まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

写真の中の子ども達

2007年11月24日 | めそめそ
 私の夫は、現在、留学関係の仕事をしていますが、それまでは約30年間、石炭の仕事に携わっていました。
 大学では、理工学部で資源工学を専攻していた夫は、卒業後すぐに北海道の炭鉱に配属され、3年間は3交替での炭鉱勤務でした
 その後は東京本社に戻り、主に海外の石炭の開発や輸入の仕事をしていたのですが、それでもやはり、3年間の炭鉱での構内労働の経験は夫の忘れがたい体験で、未だに当時の話をする時には、涙なし・・・だったことはありません
 そんな夫の留学業への転身振りはかなり奇異でおもしろいらしく、ときどき取材などもあり、つい最近は、東京MXテレビという放送局からごコンタクトがあったとか

 長年、大地を相手に仕事をしていた夫は、地味な仕事には慣れていますが、そういう華やかな世界には慣れていず、お引き受けするにはかなりの覚悟がいったらしく、考え込んでいました
 やっと覚悟を決めた夫に、ディレクターから依頼されたのが「炭鉱で勤務している頃の『いかにも構内労働者』という写真を2,3枚見せてください。」ということでした
 いかにも構内労働者・・・要するに、真っ黒になって、ヘルメットにキャップランプをつけ、まさに石炭を掘る仕事をしている時の写真、ですよね。

 それからは大変です 家の押入やキャビネットの天袋など、ひっくり返して昔の写真探し。
 出てくるわ、出てくるわ・・・ 懐かしい写真の数々 今の息子と同じ年だった頃の夫の写真を見て・・・まるで昨日の事のように語る主人の当時の話が、あらためて「いにしえの話」であることを実感しました

 しかし、肝心の「炭鉱夫姿」の夫の写真は見つからないのです・・・ そもそも、夫曰く、「当時、あまりに当たり前だった毎日のそういう姿は、わざわざ特別でも何でもないから、写真に納めることなんて考えもしなかった」ということでした。
 そう言われれば、炭鉱に3年間もいれば、最初の1ヶ月くらいは不似合い?だったであろう姿も、きっとそのうちに身に付き、極々平常の日々の姿、だったでしょう

 夫は結局、それの類の写真を数枚見つけ出し、その後は、夫と二人で、我が子2人の幼い頃の写真を眺めました
 その時間は、それほど長い時間ではなかったのですが、夫も私も、出てくる息子と娘の写真を見るたびに・・・
 「見て見て、ほら、こんなにかわいい!」とか。
 「きゃー、こんなに小さかったのねえ・・・」とか。
我が子を自画自賛しながら、夫は静かに写真に見入り、私は一枚一枚見るたびに、うるうるとしていました
 
 それにしても・・・なぜ、私はうるうるとしたのでしょうか?
二人のわが子は、決して理想的な息子、娘ではなく、むしろ、毎日、どこか彼らのことが気に入らず、腹を立てたり、一人で文句を言ったりしています
 しかし、かと言って、やはり我が子はかわいく、十二分にそれぞれの問題点は理解していながらも、敢えてけなしたりすることもなく、極々自然に彼らと暮らしているわけです ならば、どうして主人も寡黙になり、私はハラハラと涙が出てきたのでしょうね・・・

 幼い頃の子ども達は、みな、一生懸命に生きています
「早くしなさい!」と、いつもいつも急かす親の理不尽な言葉にも文句を言うことなく・・・
 子どもが外から帰宅したら、彼らがほっとする間もなく、「ちゃんと手は洗ったの?帰ってきたら、手を洗う約束でしょ」と母親にガンガン言われ・・・
 子どもが何かに目を奪われ、その様子にじっと見入っていると、「何ぼーっとしてんの」と叱られ・・・
 それでも子ども達は、自分の世界の中で、一生懸命に生きています 思えば、何と健気なことでしょう

 写真の中の幼い息子、幼い娘
私に抱っこされて、眠そうな顔で微笑む息子、缶ジュースを手に持って、満面の笑顔でカメラのほうに顔を向けている娘。
 二人は、あの頃、親にあれこれと文句を言われ、10コ叱られて、1コ誉めてもらう、というような生活をしていたように思います そのたびに、「はい・・・はい・・・」と素直に返事をし、時には、「声が小さくて、お返事が聞こえません!」などと畳みかけられてもいましたねえ・・・
 親とは、本当にひどい生き物ですねえ

 まさに今、そんな「健気な子ども」を育てている真っ最中のみなさん・・・
いかに彼らが、真面目に、一生懸命に毎日を過ごしているかを、あらためて考えてみてください
 「だんだん言うことを聞かなくなってきました!」などと怖い顔でおっしゃいますが、でも、本当はまだまだ素直なうち、に違いありません
 
 写真の中で、笑顔で無邪気にでおどける我が家の兄妹の姿・・もう絶対に戻ってこない姿であり、二度と見ることのできない姿です。
 あの頃の無邪気さ、屈託のなさ、天真爛漫な姿・・・それらは、もう大人になった彼らにはありません
 なぜなら、彼らは自分の世界の中で、大人と何ら違いなく、親の知らない敵?!と戦い、様々な経験をし、傷つき、学んでいる・・・
 だからこそ、昔のように、いつもいつも無邪気ではいられない、屈託なく笑顔でいられない、天真爛漫ではいれない・・・

 いずれ子ども達は、親の手の届かないところで生きるようになります パパ、パパ、ママ、ママ!と言っている時期は、それほど長くはありません
 お子様との「今」を、どうぞ大切になさってくださいね

コメント (2)
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知らない幸せ

2007年11月13日 | う゛う゛ー
 テレビの週間視聴率ランキングを見ていると、常にトップにきているのがNHKの朝の連続テレビ小説
 辛口のコメントをすれば、笑いがベタだったり、次のストーリーが読めたり・・・と、苦笑するものではありますが、実家の両親が、お決まりの場面で大笑いをしたり、感動して涙を流したりしているのを見ると、やはり、絶対に「年長者に優しい番組」は必要だなあ、と実感します

 以前は、何となく「見なければ、何かをし忘れた気分になるもの」という感があり、それが好きであろうとなかろうと見ていたあの15分番組でしたが、ここ4,5年はすっかり遠のいていました
 その大きな理由のひとつは、NHK大阪局制作の作品を見るたび、気分の悪い?しっくりいかない思い?をするからでした。
 年をとってきたせいでしょうか、それがどんなにくだらないことでも、我慢する許容範囲が狭まってきているのです・・・
 要するに、ドラマの中の言葉が、単なる「セリフ」だとわかっていても、俳優さん、女優さんが話す大阪弁、関西弁が不自然だったりすると、朝から耳障りで、気分が悪くなるわけです
 「おおきにー」とか「そんなこと、わたし、言うてへんでえ」みたいな短い言葉でも、その場面で非常に重要なセリフの場合がありますよね。そのアクセントやイントネーションがほんの少しでも変だったりすると、ものすごーく残念だし、違和感があるし・・・そして腹が立ちます

 「もっと大阪弁、上手な人、使いや こんなド下手クソ(こうして文字に書いてみると、とんでもなく下品な言葉なのですねえ)な俳優さん、つこてしもて(使ってしまって)。なんで、こんな人、使うねん」と・・・
 これに関しては、主人も同じように感じるらしく、一緒に見ることの多い二人がこうなってしまうと、ドラマのストーリーを追うよりも、その人が出てくるシーンになるたびに寡黙になってしまい・・・まるで腹を立てるために朝の連ドラを見ているような節があり・・・そのことに気づいて、お互いの馬鹿さ加減に苦笑し、見る習慣を止めたのでした

 ところが、今回の連ドラ「ちりとてちん」は、なかなかおもしろいです スタート直後、主人公が高校生の頃は、福井県小浜市が舞台でしたが、今では、すっかり大阪に移り、それ以来、主人も私も、いつ「下手クソな大阪弁を話す人が登場するか」とドキドキではありますが、今のところはみなさんお上手

 じつは・・・私は気づいたのです
ドラマの舞台が若狭だった頃、当然、俳優さん達は「若狭弁?小浜弁?」を話されます。
 聞いていると、とてもおもしろい言い回しがありました
 「ほーけー(そうなのねえ)」のように「け」がつく言葉があるかと思えば、時々、「○○こ」と、とっても滑稽な音が最後にくる言い回しもありました

 そこで、ある日、主人と私は顔を見合わせて言ったのでした。
「NHK大阪局の制作でも、大阪弁が出てけーへんかったら、私達二人とも、ものすごく安心して毎日見られるねえ・・・」と。
 
 そうなんですよね。
私達には、福井県の方言はわかりません。実際に、福井県小浜市で話されている言葉を聞いたことがないのです。ですから、主人公やその家族が話すセリフは、私達が耳にする「初めての若狭の言葉」ですから、間違っているのか、時々イントネーションがおかしいのか、音として不自然なのか・・・全くわからないのです
 そう、そうなると、私達はイライラすることもなく、聞き慣れない言葉を「かわいらしい言葉ねえ」と、とってもほのぼのとした気分で見ていられる・・・

 完全にわからないからこその幸せ・・・あると思いますよ

 たとえば、我が子のこと。
ご両親の中には、こと細かく、我が子のことを知っていたい、という方がいらっしゃいます。お気持ちはよくよくわかります
 私も我が子が幼い頃は、自分の目の届かない幼稚園での生活、小学校での生活で、息子や娘がどんなふうに先生に接し、どんなことをお友達と話し、どんな雰囲気を持ってその中で存在しているのか?それを知りたいなあ、と感じたものです
 そして、「今日はどんなことがあったの?」とか「今日は何したの?」などと、子どもの帰宅を待ちかまえて尋ね、詳しく話してくれる娘には安心し、ほとんど語らない息子を不満に思ったものです。
 しかし、子どもの成長とともに実感したことは・・・
子ども達が親に話すことは「話しても問題ないこと」だけであり「親に話してやったら喜ぶようなこと」だったり、「安心するであろうこと」だったりで、実際、彼らが困ったり、悲しかったり、不都合だったりするようなことは、だんだんと成長とともに、普通は自発的には語られないもの、なのです

 また、ここからが一番私の言いたいポイントですが・・・
『親が、すべて知っていたから、と言って、それが何になるのでしょう?』ということなんですね。
 親が、我が子のすべてを知り得たとして・・・それが何?それで?

 結局は、プラスもマイナスも、すべてのことを知ることで、親は心配をしなければいけなかったり(その心配ごとは、ほとんど、親の力をしても、解決することはないものです。所詮は、子どもの世界の中での出来事ですからね・・・)、もっともっと知ったことによって不安になったり、子どもに根掘り葉掘り尋ねることで、結果的には子どもをもっと追い込んでしまったり、一層悲しませたり・・・

 親が、すべてを知っているということは、決して、親にとっても、子どもにとっても、幸せなこと、ではありません

 そうです・・・「完全にわからないからこその幸せ」そう思いませんか?


 

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親は責任重大

2007年11月01日 | プンプン
 大騒ぎのKKくんは、単身、メキシコに行くとのこと 才能もあり、真面目に練習に取り組む熱意も根性もある彼のことですから、リードする人によっては、これからもっと、良い方向に導かれていくことでしょう
 ブログの中で、K一家の話題に初めて触れた時も、「好きでも嫌いでもない」と書きましたが、それでも今回の一連の騒動では、「親と子」「その関係」について、感じたり、深く考えさせられたりする、良い機会でした

 例の、彼一人で会見に臨んだ時の様子を見て、私は同年代の子を持つ親として、とても彼を痛々しく眺めました
 我が家の二人の子ども達は、すでに成人したり、成人を目前に控えたりしておりますが、大学生という立場もあり、まだまだ一人前扱いされることもなく、親の庇護のもと、大きな口を叩きながら、安穏と生活をしています
 親元を離れて暮らしている大学生ならば、もっと「一人で生きる」ということを意識もしているでしょうが、それでもなお、18歳から一人暮らしの学生生活をしていた主人の話を聞いていても、やっぱり学生は半人前

 しかし、KKくんは、「一家を代表して」話さないといけない立場に立ち、なおかつ、彼のリーダーであるべき父の非礼を詫び、父を擁護しなければならない・・・
 私は、あの時ほど「親の責任」という言葉を、ひしひしと感じたことはありませんでした

 KKくんがまともな言葉が話せないのも、敬語使えないのも、彼のせいではありません
 あの日、いつもの品のない、ギラギラ成金スタイルを改め、スーツにネクタイ姿で現れた彼は、精一杯、丁寧な言葉で話そうとしていたことがよくわかりました
 しかし、残念ながら彼には、丁寧に話すためのボキャブラリーがなく、その話し方も知らない・・・ あそこにいたのは、まさにKKくんの父親、だったではありませんか?
 彼を育てた父にも、そのボキャブラリーがなく、そういう話し方を知らないからこそ、3人の息子達も、何も知らない できない ・・・当たり前のことですね

いえいえ、世の中には、自分の親がどんな人間であろうと、ある意味、その親を反面教師として、立派に成長する子ども達もたくさんいるでしょう
 しかし、悲しいことにKKくん達のような、親子べったりの一卵性親子では、子どもが親以外の世界に触れ、学ぶ機会さえ与えられなかったのですからね・・・

 日頃、私が接しているご家庭は、K一家、K親子とは、遠く離れた世界の方々です。けれど、私が実感していること、それは、K一家、K親子とは全然違い世界に思われるであろうご家庭でも、実際には、全く同じことが起こっているのですよ ただ、本人達に、その意識がないだけ・・・と言えるかもしれません

 確かに、敬語は使える品格のあるご家庭でも、K一家とは全く違った意味での、「親のミスリード」はあるものです
 たとえば・・・
  KKくんの父親のように、自分の果たせなかった夢を我が子に託す。
  自分の歩いてきた道を唯一無二の最良の世界と信じ、それを我が子に辿らせようとする。

 深い深い愛情の名のもとに、親が我が子をミスリードし、結果的に子どもに可哀想な思いをさせてしまう・・・そんなことはよくあることです

 親の責任
私も一人の親として、常に考え、我が子と自分の時間や生活を、時には立ち止まり、客観的に見ることも大切でしょうね そして、自分を戒めたり、あらためて確認したり、そういうことを怠ってはいけないのでしょう。
 
 私は我が子をミスリードしていないか
私は・・・反省すること、たくさん・・・・あります

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