まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

「疲れたわー」は禁物!

2011年10月20日 | う゛う゛ー
 すっかりブログの更新が滞ってしまいました
神奈川県は今、考査の真っ只中です。何をしても、なかなか熱中できません。年長児クラスの子ども達の顔が次々と浮かびます。今年も、まどか先生のパワーキャンディーを食べ、おまじないと唱えて考査に向かったであろう子ども達・・・かーみーさーまーっ!!と絶叫したくなります

 さてさて。
そんな考査の中。サポートをする側のママ達も、それはそれはお疲れになるでしょう 一昨日、神奈川一斉考査の日の夜には、「私は付き添いをしただけなのに、へとへとになりました・・・」という、たくさんのメールをいただきました
 そうなんですよねえ・・・神経を集中すると、頭がパンパンになり、肩に力が入って、本当に疲れますよね

 でも
私はここ数年、とっても残念に思っていることがあるのです。それは、何と「つかれたー」「つかれたー」と言う子ども達ばかりが増えたことか・・・

 確かにね、考査に臨んだ子ども達は、間違いなく疲れています 一生懸命に聞こう!聞き逃しちゃいけない!えーっと、これはこうで・・・こっちはこうで・・・と、神経を集中し、真摯に考査に向かった子ども達。
 彼らは、考査が終わったら、間違いなく「楽しかった」と言って戻ってきたとしても・・・やっぱり、実際にはとても疲れているでしょう

 でもね、普段の幼稚園や、保育園の生活では、そんなに「つかれたー」と、眉間に皺を寄せたり、機嫌が絶不調になるような「疲労」にはならないはず、なんですよ
 にも関わらず、たった4歳、5歳の子どもが、頻繁に「つかれたー」と言うのは、間違いなく、親が四六時中「疲れたー」という言葉を発しているからにほかなりません。

 幼い子どもは、親を見て、親の言葉を聞いて育っていくものです
短い人生とはいうものの、4年間、5年間、毎日毎日、親と一緒に生活をしていると、自然に親の話し方にも似てきますし、親の言うことを真似たり、似たような行動や仕草が身に着くものです
 教室に通ってくれている子ども達の中には、とっても上手に「私の真似」をする子もいますよね 私といる時間は短時間、短期間なのに、どうしてそんなふうに上手に真似ができるのか?
 その答えは簡単ですよ クラスの中での子ども達、好奇心旺盛で、熱心に集中して私の話に聞き入る子ほど私の真似が上手いのです。なぜなら、そういう子ども達は、私が話している時、私との時間の中にのめりこんでいるから・・・そんな子どもと私との時間は濃厚で、それがたとえ短期でも、神経を集中して私との時間を過ごしているから、私の真似も出来るんですよね

 ちょっと話が横道に逸れてしまいました。
とにかく、子ども達は、一緒に生活をしている親の言動、行動をコピーすることによって新しいことを学び、自分のものとして取り入れ、そのことを重ねていくことによって成長していきます。
 ですから、結果として、「良い事」も「悪い事(と言ってしまうのは無謀ですが)」もコピーしてしまう・・・

 頻繁に「ああ、疲れた」と、これ以上、無愛想な顔はないだとう、というような顔をして、子どもの前でその言葉を連発していたら、当然、子どもはそれをコピーします。
 それが良い証拠に、4,5歳の子どもでも、私を相手に「せんせい、あのね、今日わたしね、すごくつかれたのー・・・」と言う時には、あらまあ、あなたもそんな不細工な顔になっちゃうのねえ、というほど、醜い顔をして言うものです

 子は親を見て育ちます
よく「親を見れば子どもがわかる」「子どもを見れば親がわかる」と言いますが、やっぱり、それは本当のことです
 どんなに取り繕って、立派なことを数々語ってくださっても、子どもの様子を見れば、どんなご両親なのか、ご家庭なのかはある程度は見えるものです
 もちろん、子どもは「父」と「母」のDNAを受け継ぎ、生まれてきていますから、お子様を見ていて、父母のどちらに似ているのか?は特定できません。それでも尚、子どもがよく言う言葉、子どもの思考を見たり感じたりしていると、ご家庭が見えてきます

 どうぞ、そういうものなんだなあ・・・と、うんうんと頷き、お家で話す言葉には注意をしましょう
 基本的に、言葉や言葉遣いは「教える」ものではなく、子どもは生活の中で「馴染んで」「慣れて」使うようになるものです。
 子どもだから敬語は使えない!のではなく、子どもが日常生活で、「敬語を聞く機会が少ない」から、その子は敬語が使えないわけです。(サザエさんの息子、タラちゃんが外で大人を相手に話す時、「どこへいくんですかあ?」と敬語を使うのは・・・長谷川町子さん、きっと、そういう子ども像を良しとしていたのでしょうねえ。そう言えば、カツオくんもワカメちゃんも、きちんと敬語が使えましたね

 またまた、脱線です
私はね、「つかれたー!」という子どもが、とってもかわいそうだと思うわけです。「つかれたー」と言ったとたん、何かを精力的にする気力も失せ、前進しようとするパワーも出なくなる・・・たった4歳や5歳、6歳で、こんなことでは、いったいこの先、どうなってしまうんでしょう

 三つ子の魂百まで、です。
幼い頃から、何にでも果敢に向かい、いつも明るく前進していく心意気そういう子どもは、そんなに「つかれたー」は言いません

 もしあなたが、我が子の理想の将来像に「パワフルな行動力と、疲れを知らない思考力」を求めるのであれば、「ああ、疲れたわー」を頻繁に言わないこと

 それに、40歳を過ぎてから、「ああ、疲れたわー!」を頻繁に言っていては、間違いなく心も身体も老け込んでいきますよー はっはっは





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わが子の心をおもんばかる

2011年10月07日 | う゛う゛ー
 私がベランダから、家族にいってらっしゃい!と手を振ることは、すでに過去に何度か書いたブログでご存知かもしれません 
 手を振っていた相手は、最初は小学校の制帽であるかわいいフエルト帽をかぶった男の子や女の子でした。その子達がいつしか千切れるように笑顔で手を振り返す子どもから、ちょっと困ったように手を挙げるティーンエイジャーになり・・・今は一人減り、職場へと急ぐキャリアウーマンになりました

 つい先日も、いってきます!と玄関を出た娘に、いってらっしゃい!と声をかけたあと、私はベランダに急いで移動しました。
 慌て者の娘は、よく携帯を忘れた!とか、パスモを忘れた!とか言って自宅に戻り、ベランダで待つ私は待ちぼうけをくらいます
 じゃあ、もうそんなことなら、すっかり大きくなった子のために、2度もいってらっしゃいをする必要なんてないでしょう と笑われそうですが、習慣になったこの行為を止めるのは、なかなか勇気のいるものでねえ・・・
 長年、少し遠いところから子ども達の歩いている姿を眺め、息子や娘の「内面」を見てきた気がします。

 子どもが幼児期を過ぎると、お互いに面と向かって話す時には、結構「構えて」話すようになります ちょっと元気がないかな?などと思い、思い切って「どう、元気なの?」「学校、いつも通り?」などと聞いたところで、彼らの答えはたいてい「うん、元気!」とか「変わりないよー」という返事・・・
 けれど、ベランダから彼らの姿を見ると、トボトボ・・・だったり、陰鬱そうな足取りだったり・・・

 彼らの悲しみや辛さを知ったところで、母親が直接何かをしてやれることはありません。じつは、それが幼稚園、保育園の子どもでも、同じかもしれませんね。
 親子であっても、幼児であっても、彼らが「一人の世界」「子どもの世界」にいる時には、親の力なんて非力で、届かぬものなのですから

 でも、私は長い間、意気揚々と歩く姿を見る時にはホッと胸を撫で下ろし、私まで良い気分になり・ ・・下を向き、足取り重い時には、ひたすら「がんばれ!がんばれ!」と念じ、エールを必死に送る・・・それが、身についた習慣になりました

 そう、そのつい先日。
娘が中庭に姿を見せました。その日は、忘れ物もなく、スムーズに出発できた日のようでした ぱっと目に入ってきたのが、ベージュとオレンジの中間色のようなバッグでした
 玄関で送り出した時には体に隠れて見えなかったのでしょう。その日、娘が履いていたショートブーツの色とマッチしていた、ということもあるのでしょうが、とても印象に残る素敵なバッグでした きっと、新しく買ったものだと思いました。
 バッグが好きな娘は、いろいろとこだわいりがあり、なかなか「買う」という行為に至りません。「買った」というだけで、それがいかに娘にアピールしたものか、どんなに気に入ったものか、ということがうかがいしれました

 ああ、玄関で気づいて、「いいねえ!」と言ってやれば、朝から元気が出たかもしれなかったのに・・・私はすぐにそう思いました。
 そこで、私は携帯を手に取ると、娘宛にメールを書きました。
 「玄関では気づかなかった。バッグ、買ったの?いいねえ!とっても素敵」と。
 すると、2,3分でメールが返ってきました。
 「そうそう、買ったの!いい色でしょ。良かった
 短いメールでしたが、彼女は、間違いなく満員電車の中で、大変な思いをして返してくれたものでした。

 彼女の会社は、最寄駅から徒歩10分程度。電車を降りてから返事を書いても良かったはずです。なのに、どうして彼女は敢えて満員の通勤途中の電車から返事を返してきてくれたのか?
 娘は、私の思いをキャッチしたのでしょう 
ここのところ、ちょっと仕事でスランプに陥っている娘を知りながら、根掘り葉掘り聞かない母親・・・新しいバッグに気づき、「素敵!とほめることで、精一杯のエールを送ってくれている・・・娘は、そのことに気づき、母親への最大級の感謝の思いを込めて、敢えて、混雑した電車の中で返事を書いてきてくれたのです

 お互いの思いをキャッチできる関係・・・書くことは簡単ですが、実際にはなかなかそういう理想の関係を築くことは難しいものです 親子だからと言って、相手が思い通りの動きをしてくれるわけではありません。
 
 わが子が小さい頃には、ついつい親は、「この子は自分の思い通りになる。だって、私はこの子をこんなに愛しているし、私の言っていることは正しいのだから!」という確固たる「錦の御旗」を振りかざし、子どもに相対しているものです
 その証拠に「なんであなたはママの言うことを聞かないの!」と怒鳴るでしょう?この言葉の裏には「ママの言うことを聞いていれば、間違いはないのよ!」という意味が含まれています。自分の言うことを聞かないわが子に憤っている!

 でもね、時には、「この子は、どう考えているのだろう?」「どうして、こんな行動(言動)に出たのだろう?」と考えてあげることも必要ではないでしょうか?

 幼いなりに、子どもは「何らかの思いを持って」行動をしているものです それを上手に言葉では表現できなくても(私は、子ども達に、一生懸命に自分の思いをパパやママ、お友達に言葉で伝えなさい!と、繰り返し教えています)原因があって、そこ結果としての行動、言動があるのです。
 それを無視して、「言うことを聞きなさい!」と繰り返し続けるだけでは、そこには「あ・うんの関係」は育ってはいきません

 私は長い間、娘に悲しい思いをさせてきました。
私自身にはそんな意識はありませんでしたが、娘はずっと「私は2番手。ママはお兄ちゃまが一番大事なんだもん」と思い、大学までの10数年を過ごしてきたのでした。
 そんな娘の心を知った時の私の驚愕・・・私のショック・・・巻き戻すことのできない10数年の時間。事実はどうあれ、幼かった娘が、ずっと悲しい思いをしてきた時間は、もう消し去ることはできないのです

 そのことを知って以来、私は自分に「まずは、娘の思いを慮る(おもんばかる)こと」を課してきました。すると、自然とたくさんの娘の思いを五感から感じられるようになったのでした 当然、娘との関係は、驚くほど「あたたかいもの」になりました。
 まだ、たった3,4年のことです・・・

 たとえそれが幼い我が子であったとしても、子どもの思いを無視し、「親が正しい」という理由で、子どもの思いに聞く耳を持たなければ?そこには何も生まれません
 怖いことに、親はそのことに気づかず、親子の愛情は、無条件にそこに「存在するもの」だと思っているのですねえ・・・

 今日も娘は、あの素敵なバッグを肩にかけ、出かけていきました そしてやっぱり、ベランダから見送る私に、笑顔で手を振ってこたえてくれました・・・ 



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