まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

親のことば

2006年12月24日 | にこにこ
 あれは、息子が小学校2年生、娘が年長のクリスマスイヴの事だったと思います
 我が家では、主人がインドネシアのジャカルタに単身赴任中で、クリスマスからお正月を家族で一緒に迎えるために、私は12月23日、二人の子供を連れてジャカルタに向かいました

 クリスマスイヴの食卓には、主人にとっては久しぶりの私の手料理と、現地のお手伝いさんシティが作ってくれたインドネシアのお祝いのお料理「ナシクニン」が並びました
 Tシャツにサンドレス、という装いの子供達。暑い国で迎える珍しいクリスマスに子供達はうきうきで、朝から大騒ぎをしていたのですが、夕食も半ばを過ぎると、二人は急に不安げな顔をして、そわそわし始めたのでした 
 いったいどうしたのか?とたずねてみると、娘は半泣きの顔で答えてくれました。
 「あのね、おにいちゃまがね、サンタさんはきっと私達のことを見つけられないから、困るだろうなあ、って言ってたの いつもの横浜のおうちには私達はいないでしょう。私、ずっといい子にしていたから、きっとサンタさんはお願いをしたものを届けてくださるって思うんだけど、私達、こんな遠い国にいるから・・・サンタさん、届けるところ、わからないでしょ・・・

 おー、そうなのね 子供達のキュートな心配に主人と二人、思わず顔がほころびました。じつはその時にはすでに、お手伝いさんに事情を話し、ケーキの時間の頃になったら、プレゼントを玄関前に置き、インターフォンを鳴らしてもらう段取りになっていたのでした

 娘が話した後、息子が続けました。
 「10歳まではサンタさんがプレゼントを届けてくれるって、パパとママが教えてくれたでしょう?(私達は、そのように子供達に伝えていたのです。だから、大きくなった子供達には、サンタさんはもうプレゼントをもってはやってこないのだ、と)ぼくは、もうあと2回だけなんだよ・・・やっぱり、1回、ぬけちゃうのは悲しいなあって思って・・・

 当時の息子は、「子供の科学」という雑誌が大好きで、どこへ行くにもカバンの中にその雑誌を入れ、何度も読み返すような子供だったのですが、そのわりには「夢を追いかける」ような幼い?ロマンチストでもあり、大真面目にサンタさんの存在を信じていたのでした
 そんな息子をおもしろがって、私達が「ねえ、サンタさん、あなたのところにも来る、かしら?」などと聞いてみると・・・彼の思いはこのようなものでした。
 世の中ではサンタさんはパパだ、と言われている。確かに、パパやママがサンタ代わりでプレゼントをくれるって場合もあるけれど、でも、やっぱり子供達のためだけに、子供達だけが存在を知ることのできる「本物のサンタさん」は必ずいる!大人になると、その存在や記憶は消滅してしまうのだ、と・・・

 二人の心配をよそに、ケーキの頃になると、玄関でピンポーンと音がしました
 その時の二人の子供達の、まさに飛び上がる驚愕と、喜びの表情は、しっかりとビデオに納められています(いつか、子供達と一緒に、しあわせな家族の思いでの時間として、ビデオが見られればいいなあ、と思っています・・・
 二人は玄関に飛んで行き、プレゼントを抱えて、ダイニングに戻ってきました。二人はまるで魔法?奇跡?の中にいるように喜び・・・
 「こんなに遠くまでサンタさんは届けてくれたのね!」
 「いや、きっとジャカルタの子供達に届けるついでに寄ってくれたんだよ!」
 などと早口で話す様子は、今でも昨日のことのように思い出します
 あれから13年。果たして、サンタさんの存在の記憶は、消滅したのでしょうか・・・

 私は、クラスの中で子供達によくこんな話しをします

 「自分の好きなことだけを、いつまでも好きなだけしたい!って思う、かな?たとえば・・・ずっと好きなブロックをして遊んでいたい、とか、ずっと好きなお絵描きをしていたい、とか 
 パパやママに「もういい加減にしなさい!何度言ったらわかるの?!もうさっさと片づけて!ご飯だって言ってるでしょ!」とか「もう幼稚園に行く時間なのに、いつまでぐずぐず、そんなことをしてるの!」とかいつも言われて、いやだあなって思ってる?
 パパやママはいいなあ、大人だから、きっと好きなことを、好きなだけやれるんだろうな、って思ってるわよね。
 でも、それは間違いです

 大人は自分で好きなことがいつでも出来る・・・それはそうかもしれないわね でも、本当は、自分の好きなことを、好きなだけやるってことなんで出来ないのよ
 お父さんは会社に行ってる、わよね。今日は行きたくないし、面倒くさいから、会社に行くのはやーめた!なんて言わないでしょう?
 お母さんだって、毎日、あなた達のお世話をしたり、お掃除やお洗濯をしたり。ママも会社に行ってるよ、ていう場合は、ママは会社のお仕事も、お家のお仕事も、両方しないといけないのよ

 じつはね、大人になるってことは、確かに好きなことを、好きなだけ出来るようになる、ってかわりに、「したくはないけれども、しなといけない」という事がたくさん出てくる、ってことなの・・・
 時には自分以外の人のためにも、たくさんのことをしないといけなくなる!

 それじゃあ、ボクは大人は大変そうだから、赤ちゃんがいいなあって思う、かな?お腹がすいた、と言っては泣き、退屈したよって言っては泣き、眠いよ、お尻が気持ち悪いよと言ってはなく・・・好き放題よね
 でも、そのかわり赤ちゃんは口だって満足にきけないし、自分であっちこっちに自由行くことも出来ない・・・

 さあ、あなた達はどっちがいい?好き放題出来るけど、自分では出来ないことがたくさんある赤ちゃん?
 それとも、しないといけないことはあるけれども、出来ることがいっぱいある大人?

 先生は、あなた達に、立派な大人になって欲しいなあ 毎日、毎日、たくさんのことを学んで、いろいろとたくさんのことが出来るようになって、時々、人のために役に立って、喜んでもらえるような、そんな素敵な大人の人になって欲しいって思ってるのよ・・・

 こういう話しをすると、子供達はとても真剣に聞いてくれます
幼いながらも、しっかりと理解しようと耳を傾け、その時の表情からは間違いなく、「心に響き、確かに何かを感じている」ことを実感します

 無邪気な子供の心には、どんな言葉も、まっすぐに届いていくのでしょうね。そう、プラスの言葉も、マイナスの言葉も・・・です

 今日はクリスマスイヴ
我が家では、二人の子供達はそれぞれに予定があり、主人と私だけが残ります。
 昨夜は思いがけず、本当に久しぶりに家族4人でテーブルを囲みました もうサンタさんの来訪を気にすることもなく、親としても何の細工も考える必要なく、大人の会話を楽しむ夕食でしたが、やっぱり、あの子供達が「幼い頃」のクリスマスは懐かしいですねえ・・・
 私の趣味で、ベランダに取り付けたクリスマスイルミネーション・・・あの頃の子供達なら、どんなに喜んでくれたでしょう。
 そんな事を思いながら、娘のアルバイト先のコーヒーチェーン店の苦みの利いた深みのあるコーヒーを4人でいただきました

  みなさんに、メリー、メリー、クリスマス 


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

装いって大切

2006年12月19日 | にこにこ
 先日、私が教室に行く時間を気にしながら、まるでビデオの早回しのように支度をしていると、主人が洗面所にやってきて私に尋ねました
 「ねえ、今日はこの格好でいいかなあ?
顔を洗おうと、洗顔フォームを手にとって、まさに洗面台に屈んだ時の主人の声。ふっと顔を上げ、鏡に映った主人の姿を見ると・・・う゛―、お世辞にもオシャレな装いとは言えません

 「あれれ?昨夜に選んだもの、どうして着るのやめたの?」
 「むー、あれ、ちょっと寒いんじゃないかって気がするんだよねえ・・・」

 日頃は服装にあまり頓着しない主人が、どうしてその日に限って、着るものを気にしていたかと言うと・・・じつは、その日は久しぶりの高校の同窓会だったのです

 主人は、昭和29年生まれ。彼が高校時代を過ごした昭和40年から50年は、学生運動が日本中を吹き荒れた時代です 彼が通った大阪の住吉高校は、そんな時代の中で、かなり学生運動に燃えていた学校で、未だに「ボクらは住高だけで天王寺までデモをしたんやぞ 高校生でそこまでした学校は、住吉だけや」と胸を反らして話してくれます。そして、今でも「体制に批判・・・」とか「国家権力の横暴・・・」という類の言葉には敏感に反応します
 どうもそれは、私が「ユーミンの卒業写真やコバルトアワー」などと聞いて、胸をキュンとさせる・・・のと同じ感覚、青春の切ないほど懐かしい思い出のようです

 ということで・・・そういう時代の中で、まさに体制を批判していた主人にとっては、「自分の服装にかまう」「装いにこだわる」などと言うことは、意識の低い、おバカなチャラチャラしたノンポリ野郎のすること、という図式が出来上がっているようで・・・ついこの間までは、「まあ、こんなもんでエエやろう、誰も見てないって!主義」だったわけです

 しかし、最近では、遅ればせながらオシャレを学習中 
人間50歳の声を聞くころになれば、男女を問わず、人間的には齢を重ね、円熟味を増しては来るものの、肉体的にはあきらかにオッチャン、オバチャンになって、きたなく、醜くはなっていくものです
 そういう事実を一生懸命に私が力説した結果、最近ではやっと、鏡を見て、一応は自分の姿をチェックするところまでには成長?!してくれました

 さて、その「装い」です。
私は、ソウルでは町の中心部にある明洞(ミョンドン)にあるロッテホテルに滞在しました。そうです、あのロッテ、です。
 ロッテホテルは、高級デパートである「ロッテデパート」に隣接していて、非常に便利なところにありますが、とっても興味深かったのは、デパートの買い物客が「かなりオシャレをして」「気合いを入れた服装で」買い物に来ていることでした
 そうですねえ、日本でも、昭和40年代後半までは、都心のデパートの買い物客は、きちんとお出かけ用のお洋服を着て、パンプスにバッグ、という装いでデパートに来ていたものでした

 いつかブログに書いたことがあったかもしれませんが、私が子供の頃には「よそいきのお洋服」というものがあり、明らかに「普段着」とは区別をして着ていたものでした。
 しかし、いつしか日本では、ジーンズは仕事着から普段着になり、時にはオシャレ着になるようになりました
 お母さんの定番はスカートだった時代は過去のものとなり、社会で活躍する女性達はパンツと呼ばれるようになった「ズボン、スラックス」をはくようになり、それは男勝りの恥ずかしい姿ではなくなっています
 確かに、装いは、時代と共に変化して当然でしょうね。着物から洋装に変わっていったように・・・

 しかし。やはり、少しだけ、考えてみませんか?
いつもパンツスタイルの女性も、着物を着た時には、歩き方、笑い方、立ち居振る舞いは少しは違うものです そう、違って振る舞おう、とするものですね。それは、その装いの機能性に起因しますが、やっぱりそれだけではないはず・・・
 そしてまた、その人がどんな装いをしているか?によって、かなり人の目からは違っても見えるものです。
 
 たとえば・・・我が子に、ちょっとかしこまって、清楚なワンピースや、小さなお襟のブラウスに、刺繍入りのスカートなどをはかせてみたとしましょう どうでしょうか?やはり人の目からは、チャーミングなレディーに見えるでしょうね
 これは男の子にも言えることです。首周りが伸びてしまったようなTシャツに、ウエストがゴムのイージーパンツ、ではなく、白のポロシャツに、チェックのズボンなどをはかせれば・・・小さなジェントルマンに早変わり

 装い・・・これは、やはり決して「何でも良い」というものではないはずです。そこから、その人の、その家庭の雰囲気まで読み取れてもしまいますし、時には生活のレベルまでも想像出来てしまうものです。
 もちろん、いつもいつも昔で言う「よそいき」の格好をする必要などありませんが、けれど、どこに行くのも同じ格好・・・というのでは、子供の社会性も育ちません。機能性ばかりを重視するのではなく、むしろTPOを考えて、変化する装いも大切だと思えてなりません
 なぜなら、子供は「その時」の装いによって、自分の置かれてる立場や状況、というものを多少なりとも肌で感じ、幼いながらも、やはりその装いに見合うべき立ち居振る舞いをしようとするものです(出来るようになるべき、と私は考えています)。

 その日に着た洋服によって、「今日はガンガンと遊んでもいい日だな、どんなに泥んこになっても叱られないな」と思ったり「う゛ー、今日はちょっとお行儀よくしてないとまずいんだな」と思ったり、そのくらいの想像は出来るはず、ですよね
 もちろん、お母さんの装いだって同じです 心ある常識人のお母さんであれば、子供の大切な学校の保護者会に、ジーンズをはいていくような愚行はありませんよね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「陰と陽」の思想

2006年12月12日 | にこにこ
 今回の4日間のソウル滞在のうち、1日は郊外を訪れることになりました 1カ所は、世界遺産にも登録されている水原華城、もう1カ所は、韓国民俗村です
 水原(スーウォン)は、息子が高校時代、修学旅行委員を務めた時、候補の一つにあげたあこがれの場所でした (結果的には、委員全員の投票の結果、他の委員が提案した候補地上海に負け、彼は興味のなかった上海には行かず、北海道のグループに加わったのですが・・・)
 当時、どうも彼は何らかの歴史小説を読み、水原華城に夢を馳せていたようですが、実際の華城は、朝鮮戦争で破壊され、現在はまだまだ復元途中で・・・息子から聞いていたイメージとは、少し違った新しいものでした しかし、凍てつくような強い北風の中、町を見下ろす東大門の上に立った時には、やはり歴史の重さを感じ、感無量でした
 もう1カ所の民俗村は、1974年に開村。韓国各地にあった両班(ヤンバン、日本の豪族、華族にあたる)の家や、古い民家を集め、建物のみならず、そこでの暮らしも含めて、文化的な遺産として残そうと政府が一大事業として推し進めたもの じつは私が高校生で訪韓した時、ホスト家庭と一緒に訪れた懐かしい場所でもありましたが、今思えばあの時は、まだ開村してまもなくの観光スポットだったのですねえ・・・

 今回の郊外への1日ツアーには、李さん(イーさん)というガイドさんが、私達夫婦に同行してくださいました 
 李さんは非常に博学で、単なる日本語が堪能な観光ガイドというよりは、自国の歴史や文化のみならず、世界の歴史的な動きにも非常に精通した研究員、と呼ぶに相応しい方で、訪れるところの説明や解説だけではなく、私のさまざまな質問にも、しっかりと例えなども使って教えてくださる有能で、魅力的な韓国人ガイドさんでした 
 この日一日は、李さんのお陰で、本当に多くのことを知り、学ぶことが出来ました
 興味をそそられることはいくつもお教えいただきましたが、その中でも、私が特に印象に残ったのが「陰と陽の文化」でした

 民俗村を歩いていると、民家の入り口のところにつり下げられた「真ん中のところで赤と青に切り替えられ筒状の布」が目に入りました
 さっそく、私は李さんに尋ねてみました。
「李さん、あのお家の軒先や玄関に掛けられている、提灯みたいな布の筒は何ですか?」
 李さんのご説明は、こうでした
韓国には古来、「陰と陽」という考え方があり、赤色は、「陽」。青色は、「陰」を表すのだそうです。物事には、必ずこのように「対極をなす2つのもの」があり、その二つが相まってこそ、すべてのことが平安に治まる、という思想なのだそうです。
 そう言えば、韓国の国旗にも、確かに「赤と青」が中央に使われています。

 玄関の布は、結婚後、夫と妻(陽と陰)が二人協力し、一つの家庭を幸せに築き上げていけるように・・・という象徴なのだそうです

 ほー・・・そうですねえ。物事には、陰と陽、明と暗、プラスとマイナス・・・あります あります
 その二つは、どちらがより大事、というのではなく、その二つはあって当然のものであり、またそのどちらもが相乗作用を生み、対極のものの存在に意味を持たせ、一つの調和と効果を生む・・・

 深いですねえ。そして私は考えました・・・
親は、どうして我が子に「プラス」ばかりを望むのだろうか?
どうしてプラスばかりを求めるのだろうか?

 我が子の長所(プラス、陽)も、短所(マイナス、陰)も、どちらも愛しい我が子の一部分、我が子そのもの。その陽、陰、どちらも認め、その中に価値を見い出してやろうという親の愛情ある姿勢で、きっと子供は、もっともっと安心感をもって伸びていくのではないだろうか?

 前夜にぱらぱらっと降ったにわか雨のために、民俗村の道は、ところどころでつるつるに凍り、わらぶき屋根からは小さなツララが美しく垂れ下がっていました 11月31日の初雪で、柿の木の枝や実にもふんわりと雪が積もっていました
 足下に気を付けて歩きながら・・・私は二人のわが子のことを思い浮かべていました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親の時間、親の歴史

2006年12月07日 | にこにこ
 本年度の考査も一段落し、私は4日間のお休みをいただきました そして・・・

 「先週末、お休みをいただいて、主人と一緒に、ソウルに行ってまいりました
 そうお話をすると、必ず、子育て真っ最中のお母様方は、「まあ先生、うらやましいですういったい、いつになったら私にそんな日が来るんでしょう・・・」と、笑顔ながらも眉をへの字に曲げておっしゃいます
 そうですね そのお気持ち、とってもよくわかりますよ
 私自身、来る日も来る日も・・・朝から晩まで流れるNHK教育テレビの放送、二人の子供を連れての毎日のお買い物、急な長男の発熱で、下の子をおんぶして走る小児科・・・そんな時間を過ごしていた頃には、主人と二人でのんびりと旅行をする・・・など、想像も出来ませんでした

 今回のソウル行き。主人にとっては、初めての「仕事以外での訪韓」、私にとっては「気持ちの中で、やっと身近になった隣国を実感しての旅」でした
 長男が生まれた頃、主人は月に1度の割合で、韓国出張をしていました しかし、ソウルは常に通過するか、ほんの1日、2日、帰国前に滞在するだけの首都。彼は常に、ソウルから遠く離れた炭鉱の町へ直行し、抗夫さん達とマッコリを酌み交わして、スムーズに仕事が捗るように努めていた、と話します。
 私は、以前のブログでもお話をした通り、最初のソウルは今から33年前、高校1年生の頃、国際理解のための論文コンテストに入賞したご褒美での友好訪韓団・・・
 主人はひたすら韓国に来ると仕事のことを考え、私は大日本帝国36年間の侵略の歴史をたたき込まれた記憶から抜け出せず・・・ こんな二人が、やっと「極々普通の観光客」という意識で、気楽な旅行に出かけた、というのが今回のソウルでした
 そして何より・・・二人の我が子達がすっかり成長し、安心して留守を任せられるようになった解放感のあった旅行でした
 子供達を誰に預けることもなく、お弁当の心配や、塾の心配や、そんなすべての気がかりのない状況のもと、主人と私は、本当に「豊かな気持ち」でソウルでの4日間を過ごしました
 射すような冷たい空気、連日気温0度のソウルを歩きながら、常に私達が感じていたことは、二人の子供達と常に真正面から向き合い、決して手を抜くことなく、一生懸命に夫婦二人で協力し、子育てに奮闘する日々があったからこその充実感、でした

 私は学生の頃から、ひたすら、いつか「母」になった時には、子供にとってステキな母でありたい!そうなることを夢見て日々を過ごしていました 幸い私は、親の理解と協力のおかげで、若くして多くの経験をさせてもらい、人一倍有意義な学校生活を送っていましたが、そこで得たすべてのものを肥やしとして、「良い妻、良い母」となることをイメージしていました 思えば、何とクラシックな考え方でしょうねえ・・・ しかし、私は大真面目にそう考えていたのです

 しかしそんな私も、実際の子育てでは、自らの精神的な未熟さから、子供達にとって決して理想的な母親ではなく、反省ばかりの毎日だったように思います
 そして、外からは順風満帆に見えた我が家も、もちろんたくさんの波風や試練があり、子供達も決して絵に描いたような優等生とは言えず、親としてはタメイキの出るような問題も起こし・・・あっちこっちに、どれほど頭を下げたことか・・・

 主人と二人でおいしいものを食べ、きっとこれはT(長男)が好きに違いない!と話し、きれいなものを見ては、是非これをM(長女)に見せてやりたい・・・と話しました
 ソウルでの心底楽しかった時間は、私達夫婦、23年間の歴史の上にあり、子供達を見守り育てた21年間の時間の延長線上にあったもの
 主人と二人、ソウルでの豊かな時を過ごしながら、自分達が歩んだ年月をあらためて愛おしいと感じました
 そして同時に、幼く、小さかった息子、娘を相手に、夫婦で奮闘したあの毎日、あの時間は、もう二度と戻ってはこない、ということ・・・きっと、昔のように、家族4人で揃って旅行に出かけることはもうないのだろうな・・・と思い、痛いほどの寂しさを感じたのでした

 今の私達のような時間は、必ずみなさんにもやってきます 永遠に続くのではないだろうか・・・と思えてしまう育児に孤軍奮闘する日々も、いずれは終わるのです
 だからこそ、どうぞ我が子との「今」を大切にしてください そして、親として、子供との時間、関係の中から、たくさんのことを学ぶことのできる日々に、あらためて感謝しませんか?
 我が子は、自分自身の鏡であり、また我が子との時間は、大人になった自分が成長できる、貴重な時間なのですから・・・


  何の予告もせず、長い期間ブログの更新をしなかったことで、すっかりご心配をおかけしたようでした。申し訳ございませんでした。心よりお詫びいたします


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする