まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

席を譲る、席を譲られる

2012年11月25日 | にこにこ
 「席を譲られてしまったよー 初めてのことでねえ、ショックだったあ。いやいや、結構ですと言って固辞したんだけどねえ
 私が馴染みのお店に入っていくと、待ってましたとばかりに話してくださいました。いつもとても親しくしているお店のご主人で、確か今年74歳になられたのだと思います。ハンサムでダンディー、年齢を超越したステキな方です

 そう言えば、私の叔父も、半年ほど前に同じようなことを言い、憤慨していたことを思い出しました。
その叔父もお店のご主人と同じ年。子どもがいないこと、年齢を感じさせない若さがあることも同じで、よく似たタイプです。
 子どもがいると、いやでも我が子の成長とともに自分が年取っていくのを感じます。私もあと数年のうちに「おばあちゃま」と呼ばれるようになり、「ああ、私もそんな年になったのだなあ・・・」と感慨を持って孫を抱っこするのでしょう
 そういう意味では、私の叔父もこのご主人も、日頃から年齢を実感することのない生活をされていた、という伏線はあったのだと思いますが、あまりのよく似た反応に、それを聞いた私のほうが苦笑でした

 席を譲る・・・なかなか勇気のいるものです
私の生徒達は、「電車やバスの中では静かにする」「座りたい!などと言ってダダをこねない」「動いている間は、歩き回ったりしない」「お年寄りにはお席を譲る」etc. などと公共の乗り物の中での「お約束」をニコニコと話してくれます。
 確かに、比較的子どもの場合は、あまりいろいろなことを考えず、「どうぞ」と席を立ち、譲ることができます。(とは言え、「すごくドキドキしたよ」とも話してくれます)
 しかし、大人はいろいろ考えますよねえ・・・「結構です!と断られたらどうしよう・・・」「まわりの人は見るだろうなあ」「すぐに降ります、と言われたら、私はどうすれば良いのかな・・・」などなど。そんなすべての思いを吹っ切って、「どうぞ」と席を譲るのです。みなさまは、いかがですか?

 この日、私はご主人にこの話をしてみました。
すると、「なるほどねえ・・・そんな思いもあるんだねえ・・・僕は今日、立ってくれた女性の気持ちには思い至らなかったなあ ただただショックでね、ハッハッハ」という反応でした。
 お親しい間柄だったので「どんなに素敵に年を重ねていても、ハツラツとして若々しく見えても、カッコイイおじいさん、おばあさんであっても、やっぱり『席を譲ってくれた人よりも年長者である』ことは事実でしょう?それにね、席を譲られた理由は、何もヨボヨボしていると思われたからでも、とんでもない年寄りだあ、なんて思われたわけでもないですよ、きっと。感じの良いステキなおじさま、おばさまだったらよけいに、私は進んでお席を譲りますよ~」とも話しました。

 相手のことを考える・・・よく言われることです。それがいかなるシチュエーションでも、平常心で相手の立場を考えることは難しいですね。
 でも、相手の行為や言動に思いを寄せたとたん、自分の心がとても「優しく、穏やかになれること」に気づくことは、非常に意味のあることだとも思います。

 たとえば・・・
小さいながらも荷物を持ち、乗り込んでこられた高齢者に「どうぞ!おかけになりませんか?」と席を譲る・・・
「まあ、ご親切にありがとうございます。でもね、私、次で降りますから。ありがとう!」と辞退する・・・
お互い笑顔で、元の席につく人、ポールを握る人。そして、次の駅に到着すると、双方会釈をして別れる・・・そこには、あたたかい空気が生まれ、きっと譲ったほうも、譲られたほうも、気持ちの良い時間、会話になったことでしょう
 
 相手のことを考えるという本当の意味、目的は、もしかしたら、自分自身が「優しい心になること」「穏やかな思いになること」なのかもしれないな、と感じています。


コメント
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