まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

ママに悟りは必要なし?!

2006年07月30日 | にこにこ
「先生、私は反省するばかりの毎日なんです 長男と次男がケンカをすると、ほとんどケンカの原因などをしっかり確かめもせず、長男ばかりを叱ってしまう・・ きっと、次男のほうがいけない!という場合もあるに違いないですよね それなのに・・・」

 むー、確かにそうでしょうね 私も必ずと言ってよいほど娘を叱らず、長男を叱っていました・・・
でも、そんなことで母親が、毎回反省なんてしなくて良い・・・私は今、そう思います

 まだ我が子が幼く、仕事を再開して間もない頃、私はまるで教科書通りに、「良い母親は、カッとして感情で叱ったりせず、じっくりと子供の話を聞いてやり、対処をしなければなりません」そんなふうに話していたものです
 今振り返ってみると、何とあの頃は未熟で、青かったことか・・・ もちろん、それは間違いなく「正しい道」です。そういうふうにできたほうが良いに決まっています そして、そんなことは、誰にアドバイスを受けるまでもなく、きっとどんなパパやママもわかっていることでしょう。
 けれど・・・じっくりと子供の話を聞く?カッとしない? 興奮している二人を前にして、果たしてそんなことができるでしょうか?そんな絵に描いたようなアドバイスが、育児に疲れ、悩み、自分を責めていたお母さん達に、現実味があったでしょうか?

 母親に、『子供のことを思う深い愛情』があれば、私は母親が感情的に我が子を怒鳴ったり、叱ったりするのも自然で良いではないか・・・そう思うようになりました
 もし・・・母親の虫の居所が悪くて、何いも悪いことをしていない我が子を怒鳴ってしまったら・・・間違いなく、平常心に戻った時、良心の呵責にさいなまれ
、とても情けない思いをします
 そんな時に、素直に我が子に謝れば良いのです
 「ごめんね さっきは怒鳴ってしまって・・・あなたは何も悪くはなかったのよ。ただ、ママにイヤなことがあって、とても気分が晴れなかったの・・・それで、あなたに八つ当たりしちゃったのよ ごめんね
 私は、お母さんが素直に、本心から我が子にこう話してあげれば、きっと子供には、ママの思いは伝わるはず・・・そう思います

 子供は・・・頭ではなく、心で育てるものです
どんなに高名な先生がおっしゃる名言よりも、どんなに何人もの子供を育てた経験豊かな先輩ママの言うことよりも、愛情をもって我が子に接している、あなた自身の感情のほうが優先されるべきです

 最近、我が子を賢く育てたい、という思いばかりが先行してしまうお母さんが多くなり、「良い、悪い」「正しい、間違っている」こういう価値基準だけで子供を育てる親が増えました
 しかし、本来、社会人として生きるための道徳的なこと以外は、そんなに何でもきっぱりと「善悪、正誤」で分けることなどできないものでしょう その時の状況、環境によって、微妙に違っていきて当然のこと。

 今、親として何をすべきか?
 今、我が子に何が良いのか?

 そう肩肘張って、力んで考えることよりも・・・

 今、親として何をしてやりたいのか?
 今、我が子に何がしてやれるか?

 このことを見つけるほうが、ずっとずっと大切ではないでしょうか?
 親になったからと言って、急に悟りの成人君主になるわけはなく・・・また、なる必要もない 

 そう思いませんか? 
だって、カッとして思わず我が子を怒鳴るあなたも、我が子の寝顔に、何てかわいそうなことをしたのだろう・・・と涙を流し、手を握り、思わず頭をなでているあなたも、子供のことを誰よりも愛しているママなのだから
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自信を持って・・・

2006年07月25日 | にこにこ
「大丈夫、大丈夫 進んでいって、もし間違いに気づいたり、問題があったりすれば、今ではなくその時に真剣に考えればいいのですもの 迷って、悩んで自分を苦しめず、ねっ 肩の力を抜いて、さあ、前へ進みましょうよ

 考えて、考えて、考えすぎて混乱し、臆病になり・・・ 同じところをぐるぐると回る暗い迷路の中で、足がすくんで動けなくなってしまっていたお母さん
 彼女は、こんな当たり前の励ましの言葉を聞き、そっと背中を押されると・・・やっと立ち上がり、顔をまっすぐ前に向け、泣き笑いの笑顔で、吹っ切れたように歩き出します
 
 自分が信頼できる・・・と感じた誰かに、「大丈夫ですよ」と言ってもらい、優しく背中を押される・・・
 毎日、悩みながら子育てに孤軍奮闘しているお母様方にとって、こういう「優しくて、力強い言葉」そして「背中を押す力」は、とっても大事なんですね

 じつは、先だって大阪に帰省をした折、京都駅で途中下車した私は、一人の若いお母様にお目にかかりました 仮にAさんとしましょう。
 Aさんはワーキングマザー かなり以前から、私のホームページをご覧くださり、私の考え方に興味を持ってくださっていた、ということでした。

 ふた月ほど前、Aさんから「メールで相談」依頼のメールを頂戴しました 現在私は、時間的な都合で、メールでのご相談は海外在住の方に限らせていただいています。しかし、横浜と京都の距離を考えると、確かにお目にかかってのご相談は不可能です
 かと言って、これから受験期を迎えるこの時期、私が考えあぐねた結果、メールでのご相談を承諾したとしても、きっと私自身が、自分で納得のできる返事を、間、髪を入れずにすることは難しい・・・「残念ながら、お断りをするしかないな・・・」そう決めた時、ふっと考えたのです
 幸い、メールをいただいた半月後に、私は大阪への帰省を決めていました。「そっか、京都でお目にかかろう!」

 Aさんは、実際には十分すぎるほど十分、ご主人様とご一緒に、現在は2歳のお子さまの将来の教育について考え、教育環境としての学校への展望を持っていらっしゃいます そして同時に、「今、親として何をすべきか?」「今、何がしてやれるか?」もわかっていらっしゃる・・・足りなかったものは、「自信」でした

 いつか私は書きましたね さまざまな道でのプロはいても、「お母さんのプロ」はいない!と。
 どんなに親が、真剣に我が子のことを考え、その時点で最良と思える道を選び、その道にリードしてやっても、数ヶ月後?数年後?に、その道は「じつは正しい道ではなかった」と気づくこともあるでしょうし、なぜか立派だった道が、急にぬかるんだ道、茨の道になるかもしれません
 それを思えば、将来の設計図という意味で、我が子の展望を持つことは大切ですが(やはり、何も決めずに行き当たりばったり・・・では困ります)、やはり大切にすべきは「今」です
 今のことを真剣に考える・・・そして、そっと背中を押してもらう・・・ほっと安堵の気持ちに包まれて、自信を持って前進・・・ 本当に大切なんですね

 あれから、そろそろ2週間・・・
きっとAさんは、ご家族揃って、元気に前を向いて進んでいることでしょう


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大雨の惨状 - 私の役割

2006年07月23日 | う゛う゛ー
 クラスの時、子供達に「日本のあちこちで、たーくさんの雨が降って、多くの人が亡くなったり、お家が使えなくなっているってこと、知っているかしら?」と聞いてみました。
 さすがに子供達全員が「ニュースで見たよ」「とってもお気の毒だって、ママが言ってた」などと、口々に話してくれました。

 でも、中には、「あんなふうに、ジャブジャブってお腹のへんまでお水に浸かって、ちょっと歩いてみたい気がする」という子供もいました。
 当然ですね。まだまだ幼い年長さんなんですから

 どんな子供も一様に「お水好き」です。
雨の中、それほど苦な様子もなく、レインコートを着て、傘をさして歩いていたり、わざわざビシャッと水たまりに入ったり・・・
 先だって、「冒険好きの子供」というブログを書きましたが、「お水」は、子供達のそういう冒険のとっておきのアイテムでしょう。

 けれど、さすがに今回は、そう話した子供に私はこう言いました。
「むー、そうねえ、あんなことって、普通は出来ないから、何だかちょっぴり楽しそうかなって思ったのね でもね、あの水って、プールのお水みたいに、きれいなお水じゃないのよ」と言うと、すかさず「知っている 泥のお水なんだよね。山が崩れた土とか、石とか、いっぱい入ってる茶色の水なんだよね」という子もいます。きっと、お父さんやお母さんに、教えてもらったのでしょう。

 「そう、泥のお水、なのよね。でも、本当は泥だけではなく、ウンチやオシッコだって混じってしまったお水なのよ。だってそうでしょう?もし、大人の人のお腹までお水があるとすれば、あなた達のおうちのお手洗いは、きっとその泥水の中でしょう?そしたら、じゃってお水でウンチやオシッコを流すこともなく、勝手に流れていってしまうわ・・・手を洗ったお水も、お風呂のお水も、お台所のお水も、全部、全部、一緒になってしまっているんですもの・・・どう、それでも歩いてみたいかな?ちょっぴり楽しそうだって思う?」

 そう話すと、「知ってる!」と言っていた子供達も、急に神妙な顔になり、テレビに映し出されるニュースの世界が、本当はどんなに大変な、どんなに困った状況なのか、子供ながらに理解したようでした

 その後は、おうちの中に、大人の腰のあたりまで水に浸かると、どういうことが起こるか?という質問をしてみました。
 いろいろなヒントを与えていくと・・・
  「冷蔵庫の中にも泥水が入る」
  「お洋服が入ったタンスが水に浸かり、服が汚れてしまう」
  「本箱が水に浸かって、絵本が濡れる」
  「ベッドが水に浸かってしまう」などなど、答えが出てきました。

 そして、一度そうなってしまったものは、もうほとんどが元通りには使えなくなる、ということ、雨が止んで、お水が家から引いていっても、そのお家が、もとのように使えるかどうかもわからない、ということも話しました

 すると、今度は、「ずっと体育館で暮らすのはどうだろう?」という意見も出てきました。
きっと、避難所になっている学校の体育館の様子などを、ニュースで見ていたのでしょう。
 そこで・・・お家では、みんな家族だけで暮らしているけれど、体育館には多くの人がいて、きっとお手洗いも足りないし、あたたかいご飯も食べられない、お年寄りや赤ちゃんもいるし、体の不自由な人もいる・・・そういう人が長い間、ずっと同じように暮らせるかしら?と聞いてみると、また子供達は考え込みました

 今朝私は、主人と二人で朝食を食べながら、各局のテレビのワイドショーで紹介される、各地の惨状を観ていました
 私達はそれぞれに好きなものを食べながら、のんびりとテレビのほうを観ています。ベランダの花々は、ここ数日の涼しい気候の中で活き活きと咲き誇り、桜の大木は緑の葉を茂らせています。テレビの中の、避難所の方々との暮らしの違い・・・

 せめて私は、ニュースの中の惨状が、子供達にとって他の娯楽番組やアニメと同じように「テレビの中の世界」として目に映り、すーっと通過してしまうのではなく、本当はそこがどんなことになっているのか、どういうものなのかを伝え、たとえ幼くとも一生懸命に考えさせる機会を与えることが私の役目と認識しよう・・・あらためてそう思いました

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完璧よい子なんて、いません!

2006年07月20日 | う゛う゛ー
 先日の帰省中、私は35年ぶりで、母方の郷里である奈良県五條市、というところに法事で出かけました もちろん、今までにも何度も母方の法事はあったのですが、母方の郷里で・・・ということもあり、なかなかその時期に合わせて帰省する、ということができず、こんな不義理をする結果となっていたのでした
 実際のところ、今回も、事前に母から知らされたわけではなく、帰省をしたあとで急に「明日、行く?」などととんでもない提案があり・・・ 私としては、大変トンチンカンな装いの、失礼な参加となったのですが、すっかりご無沙汰の遠来の親戚、ということで、歓迎してもらいました

 小学生だった従兄弟達も、今では「おじさん、おばさん」。
私達は、数少ない思い出話に花を咲かせる苦労をするよりも、新鮮な気持ちでお互いの近況報告をした後は、関東と関西の文化比較など、爆笑に継ぐ爆笑の数時間 お料理教室の先生をしている従兄弟の手料理を堪能する・・・というオマケまでついて、私にとっては、本当に有意義な法事でした。 きっと昔、私を蛍狩りや、蝉取りに連れていってくれた三十三回忌を迎えた叔父も、きっとお仏壇の中で満足してくださったことと思います

 さて。
町のあちこちは、当然すっかり様変わりをしているのですが、それでもやはり、随所随所には当時の雰囲気が残っているところもあり、私はそういうところを見ているうちに、急に、幼い頃、年に数回訪れたこの町でのことを思い出したのでした
 私には、1歳年下の従弟(前出のお料理学校の先生)と、彼の妹である3歳年下の従妹がいます 子供の頃、私は年が近いこともあり、よく彼らと一緒に遊びました
 確かに、「彼らと遊んだ」ということはよく記憶としては残っていたのですが、ここ何十年も、すっかり具体的な思い出としては、完全に忘却の彼方に行っていたのでした。

 しかし・・・今回、彼らと「現在」の話をしながら、私は、なぜか彼らと一緒にやった「とんでもなく悪いこと」を、たくさん思い出していたのでした

 親達が母屋で話している間、従弟達の部屋に入って、みなでお人形さんの髪をハサミでカットしたこと
 小学校低学年の頃、別の叔父のところに赤ちゃん(この従弟とも会いました)が生まれた時、何だか虫のように動く新生児の様子が物珍しく、特に手を触ると、握り替えしてくる反応に驚き、何度もその赤ちゃんである従弟の手を、ぎゅーっと押しつぶしたこと
 お菓子に入った乾燥剤の袋を破り、洗面器の中に入れて遊んでいたこと
 お仏壇の前に座り、手を合わせる振りをして、ろうそくと一緒に置いてあったマッチを擦って、火をつけてみたこと・・・
 そして、とんでもないことに、私はそういう悪事(いたずら、とも言いますが)を首謀者として働いていながら、ほとんどすべて素直に謝らず、何だかんだ言っては、年下の従妹達に罪をなすりつけたり、言い逃れをしたりしていたのでした

 昭和ひとけた、昔ながらのかみなりおやじの父の家庭の中で、一人っ子の私には、「父に叱られること=バシンとぶたれ、30分以上も怒鳴り続けられること」でした
 何か好奇心に駆られていたずらをすることや、悪事とわかりながら、どうしても止められずにいたずらをすることは、父の逆鱗にふれることであり、父に逆らえない母の保護も受けられない・・・ということを意味してました

 そういう状況のもと、母の郷里での、従弟の時間は、すっかり私の「本性がむきだし」になる時間であり、日頃の鬱憤をはき出し、なおかつ「怖い父から叱られない」という安心感から、最もずるく立ち回れる「悪の素顔」が表に顔を出す時間でした
 やったことは、どれをとっても超悪質、というほどのことではありませんが、「いたずら」そのものよりも、それをやったことを隠したり、素直に謝りもせず、人に罪をなすりつけていた自分の行為に、40年経過した今、あらためて当時のことを鮮明に思い出し、すっかり重い気分になっています・・・

 子供は・・・どの子も、とても残酷で、ずるく、汚い部分をたくさん持っているものです そして、我が子に、そういう部分が当然のこととしてあり、条件が揃えば必ずマイナスの顔を出すものだ、ということを、しっかりと自覚している親は多くはありません
「うちの子は、心が優しく、そんないじわるや、いたずらなどは、絶対にしません」そういうことを、平気で、真顔で言う親がたくさんいます。
けれど、本当にそうでしょうか?

 私の母は、未だに私のことを「しっかり者の、優しい子供。絶対にいじわるをしたり、いたずらをするような子供ではない」と心から信じています
 しかし、それは間違いです。母の勘違いです
 なぜなら、私が母の前では、絶対にヘマをしなかったから・・・それだけに過ぎません


 さまざまな条件が、幸か不幸かピタリと揃ってしまうと、どんな子供達も、とんでもなく悪人になり得る「種」を持っているのだ、ということを、親はしっかりと理解、認識しなくてはいけないでしょう
 「うちの子に限って・・・」そんなありふれた言葉は口にはされないでしょうが、「うちの子も、となりの子も」みんな同じ要素を持っているのですよね・・・
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乗り物地獄?!

2006年07月16日 | う゛う゛ー
 さすがに3連休の初日、東海道新幹線は混雑していました私はそういう日だということをすっかり忘れ、いつもの月1回の帰省の時となんら変わることなく、携帯電話で新幹線の予約を取り・・・ところが、新横浜駅のホームに行くとびっくり そこは人、人、人・・・家族連れの姿も多く,普段とは様子が違いました
 滑り込んできた新幹線に乗ると、案の定、超満員 指定をとっていた席の付近は子供連れのグループ。ポップコーンが飛び交い、泣き声、ママ達の大声での笑い声・・・うーーーー
 今日は、どうしても京都までの2時間のうち、持ち込んだパソコンでしたい仕事のあった私は、覚悟を決めてグリーン車に行き、座席を変更してもらいました
 こちらはガラガラ 平日はビジネスの方で混み合うであろうグリーン車も、家族連れやレジャー客の多い連休には不人気のようです

 私の前の席の窓側には若いママ 通路側にはベビーカーが入り、中では2歳くらいの男の子がすやすやと眠っていました
 さっそく私は仕事を始めました。さすがにグリーン車は静かで、書き物ははかどります
 しかし!! その30分後、予想しえた事態に陥りました ミスターリトルが目を覚ましたのです。
 なかなかチャーミングな彼ではあるのですが、当然のことながら、とっても自由奔放なのですねえ 奇声を発しては、困るママの反応をおもしろがるように、次には爆笑。今度は大声で歌を歌い その場でジャンプ・・・静かなその車両内には、彼の声が響き渡りました。

 空席が目立つグリーン車とは言うものの、車内では熟睡する乗客、読書をする人、パソコンを広げる人・・・やっぱり、ミスターリトルは招かざる乗客に違いありません喧騒の連休初日の新幹線移動でも、そこにゆったりとした時間を求めるからこそ、エクストラの料金を支払い、グリーン車に乗ったはずですからね・・・
 もちろん、ミスターリトルのお母さんは、十分にそれは感じていたことでしょう わが子が問題行動を起こすたびに、「しーっ!しーっ!」と注意をします
 けれど、京都までの1時間半の間、残念ではありましたが、そのお母さんから聞いた言葉は200回くらいの「しーっ!」と、約100回の「静かにして!」だけでした

 私は、決して子供連れでグリーン車に乗るな と言ったり、ママを非難したりしたいのではないのです グリーン車に変更するには(私同様、車掌さんが差額を請求にきていましたから)それなりの理由があったでしょうし、「しーっ!」も「静かにして!」も、そのママの精一杯の気遣いであり、子供への叱責であったでしょうから

 でも、たぶん、ミスターリトルは、なぜ何度も「しーっ!」といわれ続けるのか?「静かに!」とばかり言われるのか、わからなかったでしょうね
 彼は、目が覚めてまもなくは、「しんかんしぇん、しゅごい」「しんかんしぇん、いいね」と、何度もうれしそうに話していました きっと彼は「乗り物好き」の少年で、念願叶って憧れの新幹線に乗り、すっかり興奮していたのでしょう

 ミスターリトルのお母さんは、新幹線から降りたとたん、心底ほっとし、どっと疲れたでしょうね 京都駅のホームを、ベビーカーを押しながら歩くお母さんの後姿に、私はそっと「お疲れ様、どうぞ早くほっとしてくださいね!」と声をかけました
 それにしても・・・子供と一緒に、長時間、乗り物に乗るのは大変ですよね 本人の機嫌を損ねないようにといろいろと考えると同時に、公共の場として、他人に迷惑をかけないようにする、という気遣いも必要です

 この大変だったお母さんのことは、とにかくさておき・・・
やはり、長い時間、子供と乗り物に乗るときには、ぜひ、それなりの準備をしましょう
 少々荷物は多くなるかもしれませんが、たとえば、子供が自分で背負える程度の小さなリュックに、ミニカー2台と指人形2体・・・それだけでも、どれだけ遊べるかしれません 小さなメモと、色えんぴつセット、折り紙も役に立ちますよ

 乗り物に乗っている時間の長短には関係なく、親として我が子に、子供にでも理解できる言葉で、公共の乗り物でのマナーを教える義務があります  しかし同時に、親である以前に社会人として、同乗するまわりの人たちへの気配りをすることも重要でしょう

 それにしても・・・
ピカチュウの絵が大きく描かれている飛行機、新幹線の700系などなど、子供たちは「特別」に見える乗り物に乗りたがります でも実際には、乗ってしまえばその中は、ほとんどは「特別」ではなく「ただの乗り物」なんですねえ
 ふーーーー
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