まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

子を持つ親の勘違い

2012年09月23日 | めそめそ

  我が子を胸に抱いた時の感動、喜びを忘れることはできません。
 生まれてきてくれてありがとう。

 私はこの時期、たくさんの願書を見せていただきます。表現は少しずつ違いますが、ほとんどのご両親が、このようなフレーズを書かれます。確かに・・・本当にそうですね
 私自身も二人の子どもの母親です。すでに、すっかり社会人になった我が子であり、彼らが生まれた時・・・などは、もう遥か彼方の「古(いにしえ)」の出来事です。
 にも関わらず、やはり、二人が生まれた時のこと、本当に小さくて、壊れそうだった頃のことなど、不思議に鮮明に頭に出てきて、その時の空気、匂い、音までも、感じることができます
 それを思えば、我が子の誕生からまだ3年、5年、10年・・・そんなお父様、お母様にとっては、「我が子の誕生の日、誕生の瞬間」のことは、ついこの間のことのように思い出されることでしょう。 

 我が子の話をするのは、とても嬉しく、楽しいことです
けれど、現実の子育ての毎日では、ひっきりなしに文句を言い、教育的見地から?!いろいろな「指導」をして、一日に何度も「ため息」をついている・・・ママ友に会えば、お互いに我が子の愚痴をこぼし合い、共感して手を叩いて笑ったり、一層眉間にシワを寄せて語り合う・・・
 でも、思えばそれも、本当は「母親の至福の時間」の一部に過ぎません。
 本当に子育てに行き詰まり、親子関係で真剣に悩むような時期は、子ども達が小学校高学年以降のこと、というのが大半ですからね。

 先日、娘と話をしていて、こんな興味深い話を聞きました。
娘の大好きな先輩。一人はすでに一児の母で、現在子育てに奔走中のAさん。もう一人はバリバリと仕事をするキャリアウーマン。そろそろ部下もでき、こなす仕事には信頼が厚いBさん。
 娘がキャンプリーダーとして活動をしていた頃、この二人の先輩は娘の憧れであり、常に学ぶことの多かった多彩で優秀な方達でした
 私は中学や高校生だった娘から、6歳年上の彼女達の話をよく聞き、いかに彼女達が有能なキャンプリーダーで、人としても娘に多くの刺激を与えてくれる立派な女性であることを感じていました。

 娘は、久しぶりにBさんにお目にかかったそうです。
仕事の愚痴や悩みをたくさん聞いていただき、たくさんのアドバイスをもらった、と嬉しそうに話してくれました
 そんなBさんに、「Aさんはお元気ですか?私も長い間、Aさんにはご連絡を取りそびれて、失礼をしているのです。」と話したところ、Bさんは苦笑をしながら、こう話してくれたのだそうです。
 
 つい先日、久しぶりにAさんと電話で話をしたところ、30分間、ずっと子どもがかわいいという話しや子育ての愚痴をこぼし、最後には「あんぱんまんミュージアムはとっても楽しいところだったよ是非、Bも行ってみてよ」と言われ、正直、返す言葉が見つからなかった・・・と。

 私はこの話を聞き、言葉には上手く表現できない複雑な悲しさに襲われました
Aさんは、きっと昔、自分自身がキャンプリーダーとして小さな子ども達の相手をし、人気のリーダーだった頃の経験も活かし、一生懸命に子育てをしているのでしょう。地方出身のAさんは、近くに子どもをちょっと預けることのできる母親もおらず、まさに育児を楽しみながらも、孤軍奮闘しているに違いありません。
 久しぶりに話す大好きなB。心の許せる相手です。だからこそ、きっと深い考え、ましてや悪意など何もなく、自分の近況を話しただけだったでしょう。
 しかし、まったく別の世界で、完璧に異質の毎日を送っているAさんとBさん。
すでに、ともに泣き、ともに笑った頃の思い出話でしか共感しあえない相手になったことをBさんは感じたことと思います、少なくとも、現時点では・・・
 どこにあるかも知らない子ども向けの施設「あんぱんまんミュージアム」に行ってごらん、と言われて、「返す言葉が見つからない」Bさんは悲しかったでしょうし、さびしかったでしょうね。Aさんのことが、大好きだったから・・・

 時として、子を持つ親は大きな勘違いをします
かわいくて仕方のない我が子・・・時には怪獣になって、母親を大混乱させる我が子だとしても、何ものにも代え難い存在の愛しい我が子と暮らしていると、すっかり感覚が麻痺してしまい、常に「母としての目線」でしか物事を考えられないようになります

 我が子の話をする・・・ 我が子の写真を見せる・・・ 我が子だけが映ったポストカードを送る・・・
 世の中には、「母となること」とは違うことに、人生の意義を見出し、日々を過ごしている人もいます。
また、我が子が欲しい!と強く願いながらも、残念ながら、子どもに恵まれない夫婦もたくさんいます。中にはまさに今、夫婦で辛く、長い不妊治療をされているご夫婦もあるでしょう。
 
 子どもはかわいいですね
私は、教室の子ども達を抱きしめながら、ときどき、我が子が幼かった頃のことを思い出すこともあります

 母と母、親と親に通じる共通語や世界観は確かにあります。
でも、それが世の中全体に通じるものだと勘違いしてしまう自分がいる、ということを自覚しませんか?そして、そういう自分を戒め、本当の意味での優しい人、人を思える人になれればいいな・・・と思います
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娘の優しい言葉

2012年09月05日 | めそめそ
  今朝、私は寝坊をしてしまいました
本来ならば、6時に起きて、娘のお弁当を作るはずが、ハッと目が覚めたら7時。カチャリと音がして、娘の部屋のドアが開き、すでに洗面所に入っていく音が聞こえました。私の耳元には携帯電話。アラームを無意識で止めてしまったようです。
 ああ、20代の娘じゃあるまいし、アラームを止め、寝過ごしてしまうなんて・・・なんて失態だ、と頭を掻き毟りたくなりました
 娘は先週から大きな商談が始まり、外に食事にいく時間も、何かを買いに出る時間もないから、お弁当は大助かりと話していたところなのに・・・

 私は急いで洗面所に行き、鏡に向かって歯を磨いていた娘に声をかけました。
 「Mちゃん、ごめん ママ、寝過ごしちゃった 今、あなたの部屋のドアが開く音で目が覚めたのよ。最低 だから、お弁当、作ってないのよ。」と。すると娘は、鏡を通して私を見て、笑顔でこう言いました。
  「よく寝られたんだね。良かった良かった 疲れてるんだよー。睡眠、大事だもん お弁当、気にしないで。ちょっと前までは、食べに出たり、何か買ったりしてお昼を済ませてたんだもん。少しでもママが長く寝られて良かった
 私は、すっかり大人になり、心優しい女性に成長してくれた娘を感じ・・・言葉が出ませんでした。

  「ほんと、ママは最低だわー・・・」と、何度も私は独り言を言いながら、リビングに戻りました。
  「ママー、ジュース、お願いしますー」と娘の明るい声。
 昨夜、娘の部屋の電気が消えたのは1時過ぎ、でした。忙しいながらも、今朝は気持ちよく目覚めたんだなあ・・・と安心しつつ、毎朝、娘が飲んで出かけて行く豆乳バナナジュースを作りました。
 ぐるぐる回るジューサーの中を眺めながら、たくさんのことが思い出されました

 15分後に、娘は元気に出かけていきました。私はいつものようにベランダに出て、マンションの中庭を見て待っていると、娘が現れました。そこで手を振っているのは24歳になった娘。ときどき、遅い夕食を食べながら、私を相手に一生懸命、最近の仕事の苦労話を聞かせてくれる娘・・・です。お制服にランドセル姿で手を振っていた娘から、何年の月日が経ったのでしょうか。

 私は、娘にとっては、決して良い母親ではありませんでした。
昨年、私が雑誌の「人間ドキュメント」という特集に取り上げられた時、編集者は取材ということで、息子と娘、双方にインタビューをされました 取材はそれぞれ、別の場所、別の日時だったにも関わらず、その時、二人が「どんなお母さんですか?」の問いに対し、最初に言った言葉が「母は、非常に愛情深い人です」という言葉だったそうです。
 二人はすでに大人ですから・・・この言葉には、額面通りの大きな愛情と、そして、その裏には少しの「皮肉」も込められていることを、私は理解しています

 いろいろな機会に話したり、書いたりしていますが、3年前、息子が急な心臓病を患い、奇跡的に命を助けていただいて以来、私の物事に対する考え方、捉え方、感じ方・・・大きく言えば、私の人生観、価値観、そのものが大きくかわりました。
 「生きていることはすばらしい。人は、大きな力によって生かされている。もし、生き物に輪廻があったとしても、自分自身で意識をしている「今」はたった一度きり。だからこそ、幸いも災いも、自分に降りかかることにはすべて意味があるからこそ感謝をして、一瞬一瞬を大事に生きること・・・」
 無理にそう考えようとしたのではなく、そういう思いが自然に私に宿り、私が生きている「意味」になりました。すると、すべてのものが愛しく、悲しいほどに美しく、大切になりました

 長い長い間、私は娘に多くを求め、私の考える理想像こそが「素晴らしい女性像である」と信じ、それを強要し、四角四面の理屈で話し、それが私の最大の愛情である、と勘違いをしてきました
 娘の一番多感な時期・・・反発、反抗しながらも、もっとも親の愛情を求め、愛情を必要としていた時期、彼女がどれほど寂しい気持ちで、母親に理解してもらえない辛さを耐えてきたことか・・・

 「よく寝られたんだね。良かった良かった 疲れてるんだよー。睡眠、大事だもん お弁当、気にしないで。ちょっと前までは、食べに出たり、何か買ったりしてお昼を済ませてたんだもん。少しでもママが長く寝られて良かった
 この娘の優しい言葉、こういう感じ方、捉え方・・・それは、私自身の「変化」の裏返しなのかもしれないな・・・そう思いました。

 4歳、5歳、6歳の子どもの「今」は、確実に24歳につながっています
私のような失敗は、ないほうが良いですよ。親子ともに、それは辛いことですから・・・

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就職戦線に思うこと・・・

2012年03月27日 | めそめそ
3月もあと数日です。いよいよ、本格的な春の到来ですね。そろそろ、西のほうからは桜の開花のニュースも届くようになりました
 昨年の今頃は、まだ震災後間もない時期であり、世の中全体、特に余震のあった関東では、悲しみと、どこかで常に神経が張りつめた状態の時期でした。テレビを点けても、あまり賑やかな番組はなく、民放でも企業CMはなく、総理府から流れる同じメッセージだけで・・・ まだまだ復興というには程遠い被災地を思い、心を痛めながらも、あれから1年の時が過ぎたのだなあ、と、来る春を思うこの頃です。

 先週末、あちこちで「袴姿」の女子大生を目にしました 多くの大学では、先週、卒業式があったのですね。我が家の息子と娘は、昨年、大学卒業を迎えましたが、二人がお世話になった大学、どちらも卒業式も入学式も中止でした。あらためて、わが子達は大変な時期に学業の全過程を終了し、社会人として、世の中に出ていったのだなあ・・・と思います。

 そんな思いの中で、私はいつも、スーツ姿の若者達を眺めます。
私は仕事がら、小さな子ども達の姿に目を留めることが多いですねえ そして、特にこの時期は、入学や卒業の子ども達の姿を見ると、胸がいっぱいになり、心の中で全員にエールを送ります

 しかし、わが子二人が成長したことによって、以前は全く気にも留めなかったことに、新しい視点が生まれました
今までは、試験と言えば「入学試験」しかイメージにありませんでした 幼稚園受験、小学校受験、中学受験、大学受験・・・仕事の上でも、母親としても、「あまたの」試験をサポートする経験をしていますからね
 でも、じつは「就職試験」というものがあるのですよね・・・そして、リーマンショック以来の長い長い不況、そして震災。日本は、就職超氷河期の中にいます
 
 私も子どもが小さな頃は、テレビで流れる就職の話題や、ニュースでの報道に、「ふーん、そうなんだねえ。」程度の関心しかありませんでした。しかし、実際に、わが子達が大学3年になり、就職活動が始まる という時期になると、上手く言えませんが、何が何だか「???」の気分でした。なぜなら、昔の親の経験は、ほとんど役には立たなかったからです。インターネットが当たり前のものになった今、「エントリーシートをダウンロードして・・・」と言われても、ピンとこない・・・
 試験とはいうものの、入試のための勉強ではないので、塾や予備校に行くわけではありません。でも、どの試験の時よりも、独特の緊張感がありました
 我が家では、娘のほうが1年先に大学3年生になり、就職活動が始まりました。娘に付き合い、「黒のスーツ選び」をした時には、そんなものなのねえ・・・という感覚。1年後、息子の場合は、かなり特殊な状況でしたので、その不思議な感覚は一層強かったように思います。
 2年前の1月の末、まだはっきりとした退院の日が決まらず、入院中だった息子は、外出の許可をいただき、とにかく逸る心を鎮める意味でも、「とりあえず、リクルートスーツを買いに行こう」ということになりました。出かけはしたものの、すぐに疲れてしまい、駅のベンチやホームで、何度も座って休憩しながらの買い物で・・・本当ならば心配ばかりが先立つところですが、なぜか、強い祈りが「母と子の興奮」にもなっていたかもしれません

 おっと。話が横道に逸れてしまいました
私が今日、伝えたかったこと・・・それは、就職試験というものは、バッタバッタと「落ちる」ということ。そして、それを横で眺める(それを遠くで知る)親は、ひたすらチアアップしないといけない、ということです。そのチアアップの方法は、相手が「大人」であるだけに、それはそれはむずかしいこと、なんですよ・・・「就職すること」は、自分の足で立ち、生きていくための基本です その意欲があるからこそ、必死に就職戦線に立ち向かっている・・・
 そんな若者達が、どんどん、試験に落ちるのです それでも、めげたり、くさったり、落ち込んだりしている暇はなく、ひたすら前を向き、立ち上がり、次の就職試験に向かわなければならない
 これがね、大学受験だったら、「いやになった」「ちょっとの間、考えるのを止める」「ちょっと休憩する」と、浪人の期間、リハビリをすることが可能です。でも、就職試験の場合は、「休むこと」は許されません 卒業の時期はやってきます・・・
 わが子の就職先が決まらない・・・まだまだ小さな子どもをお持ちのみなさんには、それがどんなことか、なかなか想像できないことかもしれませんが、わが子の就職試験を経験してみて、「就職試験に落ちる」ということの「辛さ」「痛さ」が、いかに深く、重いものであるかを実感しました それは、そこに苦渋の決断が必要であったとしても、何らかのかたちで、進学先は決まっていく学校の受験とは、異質のものでした。

 あと1週間もすれば、世の中に「新入社員」達が誕生します でも、きっとほぼ全員がいくつもの「不合格」を経験し、打ちのめされる・・・立ち上がる・・・を必死の思いで繰り返してきた若者達なんですよ。
 地方から出てきて、一人暮らしをしている大学生達の場合は、親はわが子の就職活動を身近で見ることはありませんが、子どもは、その現実に立ち向かい、入社の日を迎えています

 子どもが幼い時には、話した 立った 歩いた と喜び、親子でともに「ほとんどがプラス」の体験を重ねていきます それが、ピタリと心身の成長と結びついています。こういう成長に慣れてしまった親達は、子育て中の「わずかなマイナス」で傷つき、悲嘆にくれることは多いものです
 でもね、やっぱり、世の中には「プラス」があって「マイナス」があるのです。それが道理だと思います。

 秋以降、リクルートスーツを着ている大学生達を目にすると、心の底から、私は「がんばれ!がんばれ!」とエールを送ります。
 愛する大切なわが子に「マイナス」が降りかかった時、悲劇のヒロインのママに成り果てて、さめざめと泣いたり、ワーワーと泣き叫んだりするのではなく親ではなく、「災い転じて福と成す」というバイタリティーを持って、わが子をあたたかく照らしてあげる「太陽の母親」になれるよう、精進すること・・・
 それが、母親としての責務ではないのかな?と・・・スーツ姿の若者達を見ながら考えています。

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我が子がそこにいる、ということ

2011年12月08日 | めそめそ
 今日、12月8日。
仏教では「成道会(じょうどうえ)」の日。お釈迦様が悟りを開かれた日です カトリックでは、「無原罪のマリアの日」とされ、祝日になっています
 たまたま、この日が息子の手術日となった、と話した時、信仰心の厚い二人の友人は、ともに「大丈夫 この日の手術ですもの。どんなに難しい手術であったとしても、必ず成功するわよ。この日は特別の日なんだから」と力説してくれました。
 私は、このそれぞれの友人の言葉に、どれほど大きな力をもらったかしれません。

 2年前の今日、息子は自分で歩いて手術室に向かいました。角を曲がる時、振り返った息子は、夫や妹、私に手をあげて、視界から消えました。
 今見た息子の姿が、息子の最後の姿になるのだろうか?
泣くまい 悲しむまい 嘆くまい それをしてしまったら、もう終わってしまう・・・そんなふうに思いました。
 そんな話をすると、多くの方は私のことを「あなたは強い母親ですね。」とおっしゃいます。
そうなのかもしれません。でも、息子の命をつなぎとめるための努力はしても、それ以外のことは何一つとして無駄なことをする気にはなれませんでした 
 なぜ、こんなことになってしまったのか・・・どうして私の息子にこんなことが起こってしまったのか・・・そんなことを考えて、涙を流して、いったい何になるというのでしょうか?
 そんなことをする時間があるのであれば、息子のために「祈る」ほうが、どれほど価値のあることか!と思っていました。

 きっと、息子は今日も、忙しく働いているのでしょう こんな時代に仕事をいただけたことも、仕事に就ける身体にまで回復させてもらえたことも、生きている!ということにも、ひたすら感謝です。

 今日、みなさんはお子様に腹を立てましたか?怒鳴りましたか?呆れましたか?
  何度言ったらお弁当箱を出すの!
  言われる前に宿題をしてしまいなさい!
  いつまでゲームをしているの!
  どうして学校からのお手紙を出さないの!
  またピアノの練習をしなかったわね!
  さっさと塾に行きなさい!
  もう12月なのよ、わかってるの!・・・・
 私自身も母親として、何十回、何百回と息子、娘に言ってきた言葉です どれもこれも大事なことです
 
 でもね。
たまには、本当にいつでも、でなくても良いので、たまには思ってみてください
そこに、あなたの息子が、娘がいてくれることが、どんなに素晴らしいことなのかを・・・

 お弁当箱を出さない子でも 宿題をなかなか済ませられない子でも ダラダラとゲームに溺れる子でも 手紙を出し忘れる子でも ピアノの練習をサボる子でも 塾にいくのを嫌がる子でも 12月になっても、なかなか本気モードにならず、偏差値があがらなくても
 そこにあなたの大事な子どもがいて、あなたをイライラ、カリカリさせてくれることが、じつはどれほどのことなのか

 「おめでたですよ!」と言われたその瞬間から、あなたは、その子を授かるという凄い奇跡をもらい、あなたのもとにその子は産まれてきたのです
 そして今日まで、腹の立つことが五万とあったかもしれませんが、嬉しくて幸せで、泣けてくるほど素敵だと思える時間もたくさんくれたはずです。

 あなたのそばで、あなたに笑いかけてくれる息子がいること、娘がいること・・・生きているということ・・・
時には、そのことに感謝をしてください 毎日、当たり前のように無事に親子で過ごせていることは、決して「当たり前」のことではないのですから・・・
 私は毎年、これからも12月8日になると、繰り返し、繰り返し、同じことを説き、我が子がそこにいてくれることに感謝しましょうね、っと言うでしょうね




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さようなら、雪だるま

2011年02月12日 | めそめそ
 みなさんは、「スノーマン」というお話しをご存知でしょうか?
1978年、レイモンド・ブリッグス(Raymond Briggs)というイラストレーターであり作家でもあるイギリス人が描いた、ほぼ文章のない絵本です
 4年後の1982年、その作品はダイアン・ジャクソンという監督が、短編のアニメーション映画として映像化。翌年のアカデミー賞では、短編アニメーション部門で最優秀作品となっています
 この映画のサウンドトラック盤のメロディー(ハワード・ブレイク作詞作曲)は、あまりにも有名ですね。セリフのない映像のバックに、もの悲しく流れるメロディーは、最初から、結末の何とも言えない悲しさを予言させているかもしれません

 昨日は、久しぶりに首都圏でも雪が降りました 朝、カーテンを開けると、見慣れた町の明るい風景が、一転、雪国のような静かな音のない世界になったように思えました。祝日だったために、町全体が静かだったからかもしれません・・・
 我が家でも、アルバイトがお休みだった娘は朝から家にいて、ひっきりなしにレースのカーテンを開いては、「ねえママ、まだどんどん降っているよ」とか、「ちょっと積もってきたみた~い」とか、まるで小さな子どものようなウキウキした声で報告してくれていました

 とうとう、家の中でじっとしていることの出来なくなった娘は、「ママ、ちょっとポストに行ってきて・・・むー、ちょっとお散歩してくる」と完全武装で出かけていきました きっと、それほど急がない郵便物だったのだと思いますよ
 彼女は、本当にご近所をうろうろと散歩したようで、帰宅するやいなや「ひや~、寒い寒い 」と言いながらお湯を沸かし、とても嬉しそうに話してくれました
 「あのね、マンションの1階のあちこちには雪だるまが立っていてね かわいいの!小さい子ども達は、朝からさっそく作ったんだね そっこらじゅうに、いっぱい小さな雪だるまがいるのよ」と笑顔で話してくれました。

    
                                   {
                
                          
    
                                

 こんな感じでしょうかね・・・ 我が家でもそうでしたが、日頃、あまり雪をみない都会の子ども達は、雪が降り、積もってこようものなら、突然、「小動物」のような感じではしゃぎまわりますね 
 嬉々として娘が語る町の様子を聞きながら、私の昔、大雪が降り、マンションの中庭でお友達の親子とご一緒に、結構大きな「かまくら」を作った時のことを懐かしく思い出していました

 でも・・・
今日、教室でクラスを終えて帰ってくる時。私は何とも切ない、悲しい気持ちになったのでした
 あちこちに放置された小さな雪だるま達・・・どれもすでに完全な形は留めず、半分になっていたり、倒れていたり、中には踏みつけられていたものもありました

 雪は、解けるものです。
雪だるまを、ずっとそのままで置いておくことはできません。

 でもね、大はしゃぎで雪だるまを作っただけで終わりですか?雪だるまには命はないし、雪でできているんだから、解けるのは仕方がない・・・
 子ども達に、アッケラカンと、そう教えますか?

 是非いちど、お時間がある時に、「スノーマン」の絵本でも、アニメーションでも、観てみてください
 エンディングを迎えた時、もしあなたがそれでも「雪だから、解けるのはしかたがない」と無感動に思われたとしたら・・・私はとても残念です

 科学の進んだ現代。世の中の事象は、すべて科学的に説明が出来ることでしょう。いつだったか、私が「お腹がすきました」と話したら、「お腹がすく、ということも、きちんと数式で表すことができるのですよ!」と生徒のお母様に教えていただいたことがありました

 でも、何でもかんでも学術的に理解し、知識を最上のものとして学んでいったとしたら、そこには豊かな感性は育ってはいかないでしょう・・・

 今夜は雨が降るそうです
その雨で、小さな雪だるま達は、完全になくなってしまいますね でも、すっかり解けたなくなってしまうまでに、「雪だるまさん、楽しかった さよなら ありがとう」そう、心から言える我が子に育ってほしいものだ・・・と思っていただければな・・・そう思いました。

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