まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

中学受験のつらい思い出・・・

2006年01月31日 | めそめそ
 今日は1月31日。明日、2月1日は、首都圏の多くの私立中学の受験日にあたります
今ではすっかりお馴染みになった「N」マークのおけいこリュックを背負った中学受験生の姿。おそろいのバッグではなくとも、おけいこバッグを背負った町のあちこち、駅のホームなどで見かける小学校高学年の子供達を見ていると、受験塾に通学してるのだろうな・・・ということはよくわかります

 この前の日曜日、やはり夕方のニュース番組では特集を組み、中学受験生の家庭が取り上げられていました。たまたま、番組の進行役をつとめる2人が東京出身で、中学受験の経験者であったため、コメントは甘口?、 話題はご自分達の思い出のほうに移行していきましたので、見ていた私も胸がキリキリ・・・という話にはなりませんでした
 それにしても、どうして小学校や中学受験の話題は、ああも辛口、批判的なものになってしまうのでしょうねえ・・・(理由は簡単、そこには受験生本人の意志よりも、親の意志が大きく働いているから、ということだからでしょうが)

 遅ればせながら、息子が受験を終えた後で、私があらためて気づいたこと・・・それは、ついつい脇役で忘れられている「静かに協力、サポートをしてきた受験生の弟や妹」の存在でした。受験の折、努力し苦労するのは当然、本人。そして万全の体制でバックアップするのは両親。まあ、受験生の兄や姉もサポート、協力をしているはずですが、たいていの場合、彼らはすでに経験者。主役だったことがある人達です。
 しかし、小学校や中学受験のように、親達の受験生へのサポートが絶対に不可欠な場合、弟や妹のサポート(犠牲や我慢)なくしては、両親は受験生をバックアップできないものなのですねえ

 たとえば・・・テレビの音を小さくする、というような、時代を超えた協力もあれば、主役である受験生に家族のタイムテーブルがセットされるため、弟、妹には時間的な多くの制約が生まれてきます。
 この中には、週末を有効に使えず、休日にもかかわらず、遊びにも連れていってもらえない、というようなこともあるでしょう また、母親が塾の送迎をする時に、同行を強いられたり、また一人でお留守番をすることを余儀なくされたり・・・
 私自身がそうであったように、神経と目が受験生に集中するために、ついつい健気に我慢をしている下の子どもへの、優しい眼差しや配慮が完全に欠落してしまうものです

 もう、すっかり昔の話になってしまいましたが・・・私が中学受験を終えた息子、そして2学年下の娘と話していた時、娘がポツリと話したひとこと。
 「夜、お兄ちゃまとママが塾から帰ってくるのを待っている時ね、コトッとか何か音がしたら、ものすごく怖かったよ・・・2年以上もお留守番していたけど、あの怖い気持ちは、ぜーんぜん慣れられなかったなあ・・・

 もう、取り返しのつかないことではありましたが、私はその娘の言葉を聞いた時、「私はこの子のために、いったいどんな償いをしてやれるのだろうか・・・」と、心の底から自分の不甲斐なさ、薄情さ、視野の狭さ・・・未熟な母親である自分を実感しました。

 このブログを読んでくださるみなさんの中には、まだまだ中学受験などは遠いこと、という方も多いでしょうね。また、一貫校においでになり、中学受験とは無縁の方もたくさんおいでになるでしょう。
 でもね、親というものは、一人の子ども、一つのことに一生懸命になると、ついついまわりが見えなくなるものです。
 そして、見えなくなっている対象は、まさに愛するわが子、夫であるのですね、悲しいことに・・・
 このことは、決して中学受験にだけ言えることではありません こんなこともあるのだなあ・・・と、娘に悲しい思いをたーくさんさせながら、ちっとも気づかなかった私の思い出話として、ちょっと心に留めていてくださいね。
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すてきなレディー達

2006年01月29日 | にこにこ
 「ハイ、チーズ!」
 私のお隣に笑顔で並ぶKちゃん、Mちゃん、Nちゃん、Yちゃんは、とうとう私の身長を超えました。私より、少し高い目線から私を見て、はにかみながら「わっ 抜いちゃったよ!先生」と口々に話す彼女達・・・3月には小学校を卒業、春からはとうとう中学部に進学です
 久しぶりにこの会に参加されたママから見せていただいたYくんのお写真・・・いつもニコニコで、気分に斑のない素直な性格ながら、ちょっぴりいつも不安げだった私の記憶の中のYくんは、すっかり素敵な、しっかりとしたお兄さんになって写真の中で笑っていました
 昨夜は、恒例となった平成11年度の卒業生ご家族との夕食会でした それにしても・・・お嬢さん達は、みな、キラキラと輝いていました・・・立派になったのは彼女達の身長だけではなく、「心」も広く大きくなったのだということを、私は一人一人の言葉から実感しました

 彼女達を卒業生として、さまざまな小学校に送り出してから6年。会うたびに、子供達の変化を感じていました。たまたま、お近くにお住まいのお子様とは、ばったり道で出会い、お話をしたりはしましたが、ほとんどのお嬢さんとは1年に1回。だからこそ、彼女達の如実な変化、成長を、ひしひしと感じ取れたのかもしれません

1年生の頃は、まだまだ私と一緒に過ごした時間の記憶は新しく、気分は受験準備のために通っていてくださった頃の延長戦上にいたようでした。

 2年生・・・お教室にいた頃の感覚はすでになくなり、私は彼女達にとって「ストレンジャー」になりつつあるのを感じていました。仕方のないこととは思いつつ、私は少し胸を痛めました

 3年生・・・ちょっぴり引きつった笑顔で、それでも親しげにしてくれるごあいさつから、私という存在が、彼女達の記憶の中では完全に過去の人となっていることを感じました。私にとっての「かわいこちゃん達」は、急激な成長期に入っていました。とっても身近な大人として、彼女達の成長を喜ぶ私に、彼女達は多少の戸惑いを感じていたようでした。

 4年生・・・この頃、静かに一人一人の子供達を観察していると、彼女達の性格や物腰、思考が、大きく変化していることに気づきました。幼稚園、保育園の頃、とってもおしゃべりだった子が、物静かになっていたり、逆に静かだった子どもが、すっかり積極的になったり・・・
 
 5年生・・・一人一人の性格の変化が安定期に入ったようでした。私との間にも、和やかな会話が戻ってきました 彼女達との会話から、私は「親しげに接してくる過去の人」から、「自分のことをよく知り、愛してくれる理解者」という新しい意識が、彼女達の中に生まれたように思えました。身長の逆転は、時間の問題でした。
 
 そして6年生・・・ 小学部の卒業を目前に控え、彼女達の思いは新しい環境の「中学部」に向かっていました 彼女達の眼差しは優しく、穏やかで、なおかつ若々しい勢いに満ちていました。私からの問いかけや言葉に、真摯に応え、にっこりと微笑む卒業生達は、光り輝くチャーミングな「女性」へと変身したうようです

 昨日は土曜日。私は、年長児、年中児のクラスで、子供達と大いに笑い、大いに語りました 
 そしてやっぱり「あのね、大きくなる、あなた達が赤ちゃんじゃなくなるってことはね・・・」という、いつもの「成長」のお話をしました。子供達は、うなずいたり、笑ったり、質問したり、とっても楽しそうでした。
 
 夜・・・あの幼い年中児クラス、年長児クラスの子供達の様子を思い出しながら、私は目の前の、素敵に成長しレディーになった卒業生を、うるうるしながらながめていました・・・
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お母さんのユーモア

2006年01月27日 | にこにこ
「ええなあ、なあ、ママ!」
「そやねえ、かっこええねえ!」
「すごいなあ、ママ!」
「ほんまほんま、すごいわ!」
「おはなも、おほしさんも、みんなきれいやなあ!」
「電車さん、よろこんでるやろなあ、きれいにしてもろて!」
「うん、きっとよろこんでるわー!」
「ほーら、出発するよー!」
「でんしゃさん、バイバイ!こんど、パパもいっしょにのるわな!」
「パパ、乗ってくれへんかもよー。そんなもん、中に乗ってしもたら、絵描いてようと、描いてまいと、みんな一緒やー、言うて。はっはっは!さあ、ほんなら○○ちゃん、いこか・・・ママ、さむーなってしもたわー。冷え冷えやあ、ママ、アイスになってしまうわあ
「うん、いこいこ!でんしゃ、いってしもたなあ・・・」
「そらそやわあ、○○ちゃん、ずーっと電車さん、ここに停まってたら、お客さん、怒りはるやんかあ。」
「ほんまやあ、ぼくとママもしゅっぱつやあ」

 大阪の、ある私鉄の駅でのことでした。寒いホームに立って、お母さんと二人で停車中の電車を眺める男の子 3歳くらい、だったでしょうか。どうですか?ほのぼのとしませんか?すてきな話ですよねえ。お母さんの雰囲気が見えるようでしょう?
 どうもその私鉄では、何両かの車両にはお花畑や、星空などの絵が描かれていて、スポンサーの名前が描かれています。どの時間の、どの電車にその車両が当たるのかはわからないようで、偶然、ラッキーにもその車両を目にすることになった親子が、じっくりと眺めた、ということだったようです
 
 私の大阪話も、これで4回目でしょうか?
毎回、大阪話は好評ですが、私は今回のこの親子の会話も含めて、大阪特有のユーモアのセンスには敬服します

 今、世の中は何度目かの漫才ブーム。東西たくさんの芸人さんが活躍していますが、きっと彼らの家庭、特にお母さんは、ユーモアのセンスに溢れ、笑いの絶えないご家庭だったのでは?と思ってしまうのです
 そう言えば・・・今朝の出来事(私は水曜日の夜から、今日の夕方まで、大阪の実家に行っていました)。
 母がキッチンで、朝ご飯の支度をしていました 冷蔵庫を開けては何かを出し、また「あっ、忘れた!」と言ってまた開ける・・・その繰り返しです。実家の冷蔵庫は、2,3年前に買い換えたものですが、ドアが開けっ放しになっていると合成音的な女性の声で「ド・ア・が・開・い・て・い・ま・す」とアナウンスが流れるのです。
 そして、何度目かに、「あっ・・・」と言ってドアを開け、出したものを持って流しに向かったとたん、あの電子音の女性の声が!
 すると母は・・・「ハイハイ、ありがと!せやけど、あんた何遍も何遍もうるさい人やねえ。たまには、違うこと言うてみなさい!私、ああたが同じことばっかり言うの、もう飽きてしもたわ!」と言っているのです。もちろん、私がドアを開け放した洗面所から、その声を聞いているのも知らず・・・
 私は思わず吹き出してしまいました。なぜなら、私の母は少々「天然」ではありますが、とっても真面目な人で、まさかそんな独り言を言うなんて想像もしていなかったです

 ちなみに、主人の母は生粋の大阪の商家の娘です 言葉も、たんなる大阪弁ではなく、未だに島之内ことばと呼ばれる、商家のことば遣い・・・まさにこの母は、口を一度ひらいただけで、あっちこっちに笑いの花を咲かせます
 「なあ、まどかさん、○○さん、知ってはるでしょ?・・・・ほら、あの1歩進んで2歩下がる人なあ」えっ?私もすかさず「お母さん、1歩進んで2歩下がったら、ちっーとも前に進みませんやん!転進ですよー。」と応戦。

 お母さんが明るいこと、お母さんが楽しいこと・・・ 本当に、子どもにとって大切ですね たとえ幼くとも、いえいえ、幼いからこそ、子どもは家庭の雰囲気、空気を五感で感じて生活をしています 家庭のありかたは、子どもの人間形成に大きな影響を及ぼします。笑いの絶えない家庭、ユーモアのセンスに長けているパパママ・・・きっとそんな家庭には、豊かな感性を持った、あたたかくて明るい子どもが育つでしょうね
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悲劇のヒロイン?!

2006年01月25日 | う゛う゛ー
 夕方6時、羽田の日本航空のラウンジの中は、スーツ姿の男性ばかりで、空いた席を探すのが大変なほどの混雑ぶり ビールを飲んでいる人、コーヒーを手に書類を見ている人、パソコンにかじりつくように仕事をしている人・・・週末のラウンジは、ちらほらと子どもの姿も見える、レジャー客も多いほのぼのとした雰囲気ですが、平日の夕方は、ほぼ全員がビジネス客。女性の姿は2,3名でした

 そして私は、そんな男の人達を見て、あらためて思ったのですよ・・・パパ達は、みな家を一歩出たところから、毎日戦っているのだなあ、って
 我が家では、子どもが幼い頃、主人は月の半分は出張でした。日程的にひどいときには、シンガポールから帰国した翌々日にアメリカへ・・・とか、オーストラリアからナイトフライトで東京に戻った翌朝にはインドネシアへ・・・などということもありました そんなときは必ず、帰国の飛行機の中で、出張中のレポートを書き、留守中に日本でたまった仕事は、出張先に向かう飛行機の中で済ませた、と教えてくれていました
 そんな主人をそばで見ていて、何て大変なんだろう・・・と思ってはいながらも、ほとんどといってよいほど、主人の留守中に起こる突発的な子どもの体調不良を思うと、「なんで母親の私一人、こんなにてんてこまい・・・」と思ったものでした
 吐き下しをする酷い風邪を引き、高熱にうなされて泣く息子 眠くてぐずぐ言う娘を、親切なお向かえの方にお願いして、火のように熱くなった息子をおんぶして駐車場まで行き、ぐったりとした息子を後部座席に寝かしました。暗い中、地図を見ながら救急病院まで車を走らせたとき、ぱっと視界が開けたとたんに目の前に美しいベイブリッジが見えました。急に悲しくなり、運転しながら泣きました。自分の今の状況と、美しいベイブリッジとのギャップ・・・私いまだに、あのときの感覚を忘れることはできません

 出張から、どっと疲れて帰ってくる主人に、「留守中はどうだった?何かかわったことはあった?」とたずねられても、結局は「~で大変だったけど、もう良くなったよ。」くらいしか言えず、やっぱりあの大変さを本当は知ってもらいたい、伝えてどうなるるわけではないけれど、やっぱり知ってもらいたい・・・と思ったことが何度もありました

 でも・・・父親達は、外で、社会人としてのまったく別のたくさんの苦労をしているのですよね 今日はあらためてそう思いました
 羽田―大阪の便は、とりわけビジネス客の多い路線です。よほど年配の男性以外は、結構みなさん待っている間も、飛行機の中でも、お仕事をしていることが多いのです。
 今日、私の座ったエリアのお世話をしてくださったフライトアテンダントは、年齢的には、かなり経験を積んだ方。こんな夜の便で移動すれば、とんぼ返りで東京に戻るということはむずかしいでしょう 独身ということもあるかもしれませんが、結婚をなさっていれば、すでにお子様がおいでになっても良い年齢に見えました。

 私は、そのフライトアテンダントを見て、また思います・・・この方にも、きっとお子さんがおいでになるのかな?おいでになるのなら、お子さんは今夜、どうしているのだろう・・・きっとご心配もあるのだろうなあ

 社会人のパパ達、ワーキングマザーとして活躍するママ達、きっと家庭の中で育児にいそしむママ達とは、異質の多くのご苦労があるでしょうね
 育児真っ最中、ついつい、「家庭で子どもの世話をすること」が、自分だけの苦労と思い、悲劇のヒロインになってしまう・・・そんな昔の自分であったことを、あらためて反省する時間でした・・・
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母親の気持ち・・・

2006年01月24日 | めそめそ
 幼い頃、春、夏の高校野球で戦うおにいさん達を、とてもかっこいい!と思いました 子ども心に、ひたむきにスポーツに向かう姿勢に尊いものを感じ、負けて甲子園を去る時、グラウンドの砂を袋に詰める姿に、私は涙を流したものです
 しかし、同年代になった時には、どうも画面にアップになる汗だくの姿が汚らしく、ぎゃー、臭そう・・・などと思い、ちょっと気分はかわりました。

 子どもの頃からの海好きで、学生の頃から沖縄の海に魅せられた主人 趣味が高じて、40歳を過ぎてからNAUIのダイビングインストラクターのライセンスをとるほどのがっちり体型だったはずが、なぜか今ではすっかりマラソンランナーに変身し、体脂肪10代前半の「カモシカレッグ」 中華料理に出てくるカエルの足 筋肉と皮膚だけの足だなあ・・・

 いやいや、主人のことはどうでも良いのです
こんなふうに、自分が成長するに従って、感覚というものは、今いる環境や状況にも大きく左右され、「人を見る目」はいろいろと変化していきますね
 そんな今の私は、高校球児はまさに我が子の年齢です たしか、去年の今頃、私は早稲田大学ラグビー部の五郎丸選手のことをブログに書きました。我が子と同じ年の五郎丸選手が、ゴールキックをミスすると、私はまるで彼の母親になったような気持ちがして、ぎゅっと胸が締め付けられ、手足が冷たくなります。昨年のこの時期、彼のゴールキックは絶不調 私は、何度も何度も心の中で「がんばりなさい 次はしっかり成功させなさい 先輩方のために、多くの早稲田ラグビーファンのために」と祈りの言葉をつぶやいていました。

 それは、箱根駅伝の時でも同じでした。
特に今年の駅伝では、いろいろなハプニングが続出 中でも、久々に楽々優勝かと思われていた、順天堂大学のキャプテン、難波くんの8区の走りの時には、もう私は「母親の気持ち」で、テレビの前で固まっていました 極度の脱水症状で、意識朦朧となりながらも、襷の重みと使命感だけで足を前に進める姿・・・後々、「負の伝説の人」として伝えられ続けられるであろう彼、何年も何年も流されるであろうハプニングとしての映像・・・もし、あの子が私の息子だったら・・・あの子は、それを見るたびにどう思うのだろうか?これからの人生、あの子は、どのようにあの経験を自分の中で整理していくのだろうか?私は、駅伝が終わった後からも、ずっとずっと考えていました。
 「私がもし、あの子の母親だったら・・・」

 ここ2年、毎日、彼の顔を見ない日はなかった堀江貴文氏の突然の逮捕。
名門校、久留米大学付設高校から、現役で東京大学に合格。文学部在学中に起業・・・一般的にエリートと呼ばれる経歴そのものに価値があるわけではないものの、きっと彼のお母様は、我が子のことをとても自慢に思っていらしたことでしょう
 そして、その子がすっかり時の人と呼ばれるようになっても、きっと「あの子は、ちゃんとご飯は食べているのだろうか?」とか、「忙しすぎて、不摂生をしているのではないのかしら?」などと心配していたに違いありません

 きっとみなさんのお子さんは、坊ちゃんでもお嬢ちゃまでも、まだまだ幼く、ママがいないと夜も日も明けない・・・そういう時期ですね
 でも、やがて彼らも大きくなり、母親の庇護の元から巣立っていきます。そんな日のことは、まだまだ想像できないかもしれません・・・

 ホリエモンのお母様・・・テレビには、今までもお父様ばかりが登場されていたので、お母様がご健在であるのかどうかは存じませんが、もし、お元気であれば、いったい今、ホリエモンママは、何を思っていらっしゃるのでしょうか・・・
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