今日は1月31日。明日、2月1日は、首都圏の多くの私立中学の受験日にあたります
今ではすっかりお馴染みになった「N」マークのおけいこリュックを背負った中学受験生の姿。おそろいのバッグではなくとも、おけいこバッグを背負った町のあちこち、駅のホームなどで見かける小学校高学年の子供達を見ていると、受験塾に通学してるのだろうな・・・ということはよくわかります
この前の日曜日、やはり夕方のニュース番組では特集を組み、中学受験生の家庭が取り上げられていました。たまたま、番組の進行役をつとめる2人が東京出身で、中学受験の経験者であったため、コメントは甘口?、 話題はご自分達の思い出のほうに移行していきましたので、見ていた私も胸がキリキリ・・・という話にはなりませんでした
それにしても、どうして小学校や中学受験の話題は、ああも辛口、批判的なものになってしまうのでしょうねえ・・・(理由は簡単、そこには受験生本人の意志よりも、親の意志が大きく働いているから、ということだからでしょうが)
遅ればせながら、息子が受験を終えた後で、私があらためて気づいたこと・・・それは、ついつい脇役で忘れられている「静かに協力、サポートをしてきた受験生の弟や妹」の存在でした。受験の折、努力し苦労するのは当然、本人。そして万全の体制でバックアップするのは両親。まあ、受験生の兄や姉もサポート、協力をしているはずですが、たいていの場合、彼らはすでに経験者。主役だったことがある人達です。
しかし、小学校や中学受験のように、親達の受験生へのサポートが絶対に不可欠な場合、弟や妹のサポート(犠牲や我慢)なくしては、両親は受験生をバックアップできないものなのですねえ
たとえば・・・テレビの音を小さくする、というような、時代を超えた協力もあれば、主役である受験生に家族のタイムテーブルがセットされるため、弟、妹には時間的な多くの制約が生まれてきます。
この中には、週末を有効に使えず、休日にもかかわらず、遊びにも連れていってもらえない、というようなこともあるでしょう また、母親が塾の送迎をする時に、同行を強いられたり、また一人でお留守番をすることを余儀なくされたり・・・
私自身がそうであったように、神経と目が受験生に集中するために、ついつい健気に我慢をしている下の子どもへの、優しい眼差しや配慮が完全に欠落してしまうものです
もう、すっかり昔の話になってしまいましたが・・・私が中学受験を終えた息子、そして2学年下の娘と話していた時、娘がポツリと話したひとこと。
「夜、お兄ちゃまとママが塾から帰ってくるのを待っている時ね、コトッとか何か音がしたら、ものすごく怖かったよ・・・2年以上もお留守番していたけど、あの怖い気持ちは、ぜーんぜん慣れられなかったなあ・・・」
もう、取り返しのつかないことではありましたが、私はその娘の言葉を聞いた時、「私はこの子のために、いったいどんな償いをしてやれるのだろうか・・・」と、心の底から自分の不甲斐なさ、薄情さ、視野の狭さ・・・未熟な母親である自分を実感しました。
このブログを読んでくださるみなさんの中には、まだまだ中学受験などは遠いこと、という方も多いでしょうね。また、一貫校においでになり、中学受験とは無縁の方もたくさんおいでになるでしょう。
でもね、親というものは、一人の子ども、一つのことに一生懸命になると、ついついまわりが見えなくなるものです。
そして、見えなくなっている対象は、まさに愛するわが子、夫であるのですね、悲しいことに・・・
このことは、決して中学受験にだけ言えることではありません こんなこともあるのだなあ・・・と、娘に悲しい思いをたーくさんさせながら、ちっとも気づかなかった私の思い出話として、ちょっと心に留めていてくださいね。
今ではすっかりお馴染みになった「N」マークのおけいこリュックを背負った中学受験生の姿。おそろいのバッグではなくとも、おけいこバッグを背負った町のあちこち、駅のホームなどで見かける小学校高学年の子供達を見ていると、受験塾に通学してるのだろうな・・・ということはよくわかります
この前の日曜日、やはり夕方のニュース番組では特集を組み、中学受験生の家庭が取り上げられていました。たまたま、番組の進行役をつとめる2人が東京出身で、中学受験の経験者であったため、コメントは甘口?、 話題はご自分達の思い出のほうに移行していきましたので、見ていた私も胸がキリキリ・・・という話にはなりませんでした
それにしても、どうして小学校や中学受験の話題は、ああも辛口、批判的なものになってしまうのでしょうねえ・・・(理由は簡単、そこには受験生本人の意志よりも、親の意志が大きく働いているから、ということだからでしょうが)
遅ればせながら、息子が受験を終えた後で、私があらためて気づいたこと・・・それは、ついつい脇役で忘れられている「静かに協力、サポートをしてきた受験生の弟や妹」の存在でした。受験の折、努力し苦労するのは当然、本人。そして万全の体制でバックアップするのは両親。まあ、受験生の兄や姉もサポート、協力をしているはずですが、たいていの場合、彼らはすでに経験者。主役だったことがある人達です。
しかし、小学校や中学受験のように、親達の受験生へのサポートが絶対に不可欠な場合、弟や妹のサポート(犠牲や我慢)なくしては、両親は受験生をバックアップできないものなのですねえ
たとえば・・・テレビの音を小さくする、というような、時代を超えた協力もあれば、主役である受験生に家族のタイムテーブルがセットされるため、弟、妹には時間的な多くの制約が生まれてきます。
この中には、週末を有効に使えず、休日にもかかわらず、遊びにも連れていってもらえない、というようなこともあるでしょう また、母親が塾の送迎をする時に、同行を強いられたり、また一人でお留守番をすることを余儀なくされたり・・・
私自身がそうであったように、神経と目が受験生に集中するために、ついつい健気に我慢をしている下の子どもへの、優しい眼差しや配慮が完全に欠落してしまうものです
もう、すっかり昔の話になってしまいましたが・・・私が中学受験を終えた息子、そして2学年下の娘と話していた時、娘がポツリと話したひとこと。
「夜、お兄ちゃまとママが塾から帰ってくるのを待っている時ね、コトッとか何か音がしたら、ものすごく怖かったよ・・・2年以上もお留守番していたけど、あの怖い気持ちは、ぜーんぜん慣れられなかったなあ・・・」
もう、取り返しのつかないことではありましたが、私はその娘の言葉を聞いた時、「私はこの子のために、いったいどんな償いをしてやれるのだろうか・・・」と、心の底から自分の不甲斐なさ、薄情さ、視野の狭さ・・・未熟な母親である自分を実感しました。
このブログを読んでくださるみなさんの中には、まだまだ中学受験などは遠いこと、という方も多いでしょうね。また、一貫校においでになり、中学受験とは無縁の方もたくさんおいでになるでしょう。
でもね、親というものは、一人の子ども、一つのことに一生懸命になると、ついついまわりが見えなくなるものです。
そして、見えなくなっている対象は、まさに愛するわが子、夫であるのですね、悲しいことに・・・
このことは、決して中学受験にだけ言えることではありません こんなこともあるのだなあ・・・と、娘に悲しい思いをたーくさんさせながら、ちっとも気づかなかった私の思い出話として、ちょっと心に留めていてくださいね。