まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

お母さんは、きれいでいましょう!

2010年09月29日 | にこにこ
 じつは。
私は今、歯列矯正をしています ここ7,8年でしょうか、歯列矯正は子どもだけではなく、大人、特に母親になった年齢の女性の多くが、取り組むようになりました。
 ひと時代前であれば「今さらあなたの年になって、歯列矯正をしてどうするの?」と思われるような年齢の女性です
 もちろん、私などはすでに52歳ですから、まさに「あなたが矯正をして、何がしたいの?」と仰天されるような年齢でしょう。
 すでに、このブログには何度も登場している医療関係者である私の大の仲良し2人 一人は私達家族のホームドクターで、もう一人は歯科のホームドクターです。この2人のおかげで、私は門前の小僧さながら、結構、いろいろな医療関係のこと、特に歯科についてコンサルタントになれるほど?!かなり詳しいですよ
 私の場合は非常に幸いなことに、この仲良しの歯科医のおかげで、歯の治療、歯のチェック等、恵まれた環境の中で暮らしています。
 彼女の言い分は、「あなたは人前に出る仕事をしている人。私が友人でありながら、もしあなたの歯に不都合があれば、私が格好悪い思いをしてしまうわ」というもので・・・確かにそうですねえ・・・一理あります。

 ということで。
上顎が前に出ている遺伝(要するに、出っ歯、です)という私の長年の懸案が、友人の強い勧めもあって、歯列矯正によって改善させましょうということになり、昨年の7月から歯列矯正を始めました。
 年齢を重ねれば重ねるほど、歯周病のような病気が出てきて、人の歯は出っ歯、隙っ歯になる傾向にあるわけですから(みなさん、ご存知でしたか?)もともと出っ歯の私の場合は、より一層、年をとると醜い出っ歯になってしまう・・・わけですよね
 そんな私だからこそ、よけいに彼女は私の口元を心配し、ずっと「この年齢だからこそ」歯列矯正をして、きれいに年をとること・・・を勧めてくれていたのでした。

 私の矯正は、夜寝るときにだけ、矯正のための矯正具をはめる・・・というものです。
ですから、日中は普通生活のまま。この矯正だと、24時間装着する矯正よりも歯の動きはゆっくりですから、トータルにすれば長い時間かかってしまいます。
 けれど、日中に矯正具が原因で話しづらいとか、矯正具に歯垢がたまりやすくなり、虫歯になる可能性が高い、とか、そういう心配がありません
 始めてから1年2ヶ月。まさに、私の口元は、目に見えて改善されてきました 懸案の出っ歯は、ぐっと引っ込んできましたし、ガタガタだった歯並びも良くなって、少しずつではありますが、きれいに並ぶ歯が見えるようになりました。
 歯並びのために健康な歯を抜くこともなく、矯正具で日中イライラすることもなく、ひたすら、夜の間、マウスピースのように矯正具を装着するだけで、私は出っ歯から「普通の歯」に昇格しました。
 もちろん、まだまだ「夜だけの矯正」を続け、時間をかけてきれいな歯並びの歯を手に入れようとしています。これによって咀嚼(噛むことですね)も良くなり、口呼吸で口の中が乾くことからも解放されます。そうなれば、口臭もなくなるし、良いこと尽くめです

 じつは。
私には、忘れられない息子のひと言、があります。
 昨年の12月、息子が心臓の弁置換手術を終えた時のこと。手術室からICUに戻った直後、面会が許されました。その時は、まだ息子の意識は戻っておらず、口には太い管が入ったままで、身体中、管だらけでした。普通の精神状態ならば、そんなサイボーグのような姿にかなりのショックを受けたでしょうが、その時の私は、ひたすら息子が生きている、ということが感激でした
 息子のベッドの横の機械では、息子の心拍数が数値で出ています。息子の心臓が動くたびに、ポーン、ポーンという音が聞こえ、ハート形の光がピカピカ・・・息子の心臓が自力で動いている証拠です。
 手術が上手くいっても、人工心肺から息子自身の心臓に切り替えた時、果たして自力で心臓が動くかどうか・・・手術前日、主治医の先生にそう言われていたことを思えば、その「ポーン、ポーンの音 ハート形のピカピカ」は奇跡に思えました。息子はチューブだらけだけれど、間違いなく、心臓は動いている!!そう思うと、サイボーグのような姿とは裏腹に、まさに生きているという実感を伴った姿で、嬉しくてなりませんでした。
 それから2時間近く経ってからの面会、3時間後の面会、息子の意識は戻り、不思議な躁状態の息子はひたすらひたすらしゃべりまくって(実際の息子は、非常に寡黙です)いましたが、その半分以上は声がかすれていて、何を言っているのか聞き取れませんでした 
 日頃は、話すときも言葉を選び、決してノリノリで話す子ではないことを思えば、その時の息子は、幼児期以来の「おしゃべりくん」でした
 あとになって判明することですが、あの日、ICUで話したことのすべては、息子の記憶にはありませんでした。手術後、彼の意識は戻ったものの、話している時は意識下の意識での会話。あの「ペラペラ」は、彼の心の中の言葉だったんですねえ。だから、いつもはポーカーフェイスで、決して心の内を見せることのない息子のあの時の会話こそ、彼の本心。半分以上聞けなかったことは残念でなりませんが、さすがにそれは可哀想だと思った神様の息子へのお計らいだったのでしょう

 おっと失礼しました。話が横道に逸れました そうです、忘れられない「息子のひと言」です
「息子のひと言」の意味を、より実感を持ってご理解いただくために、これだけ長々と説明をしたのですが・・・いつもは本心を絶対に見せない息子が、私が2度目の面会にICUに入った時、言った言葉がこれでした。
 「お母さん、お化粧、直して来なかったの?髪もバサバサだよ」何度も言いますが、彼には、母親にこう言った記憶は残っていません。けれど、この言葉は、彼の心の中から出た本心だった、ということです。
 
 あの時の私は、「自分をきれいに見せる」という思いなど、微塵もありませんでした。
確かに、あの手術の日の朝、6時に家を出発をした時には、一応はきちんと「素敵なお母さん」の装いでした。厚化粧ではありませんが、いつもの私の顔。朝、着替えをしながら、万が一、その姿が息子が私を見る最後の姿だったら・・・そんなことをぼんやりと思ったのですから。
 けれど、長い手術の時間中、何度もお手洗いには行きましたが、かと言って、そこでお化粧を直したり、鏡を見たりする気にはなりませんでした。
 ですから、手術が終わってICUに入った時の私は、素顔というよりも、一度はしたお化粧がはげ落ち、髪は、手術前には長くしたままだったものを、手術後は簡単にシュシュで束ねていたのでした
 その姿が、息子には何とも言えない「情けない、やつれた母親の姿」に映り、とても情けなかったのかもしれません

 みなさまもご存知の通り、私は常に「元気印」です それは家庭でも同じで、滅多に「疲れたー」を言わないお母さんなんですね。
 ましてや、50歳になってからトライアスロンを始め、溌剌と父親と一緒に走りに行ったり、リビングにトライアスロンのレース中の写真なんかを飾ったりしている若々しい母・・・少なくとも、いつも元気で溌剌としていたいと、誰よりも考えている母が、幽霊のように、魂が抜け落ちたかのように息子のベッドの側に立ち、息子の手を握って涙を流している・・・きっと意識下の意識で、息子は「いったいこの人は何?僕の母親ではないでしょう?何ですか、この醜い人は・・・」と思い、思わずそう言っていたのだろうなあ・・・そう思いました。

 私はこの時のことから、ずっと考えています
 「母親は、いくつになっても、きれいでいなければならない
成人した子どもでさえ、心の中ではそう思っている、ということです 母親が40歳になっても、50歳を過ぎても、「きれいでいようとする姿勢」は本当に大切であり必要である、と最近、痛感しています。

 女性は、年を重ねれば味が出て、本当は素敵になっていきます でも、容姿に関しては、衰える一方 それは仕方がありません。若い頃は、「若い」というだけで価値がありますものね。
 
 でもね、私は思うのです。女性は、いえいえ「母」は、老けていくに任せてはいけません 
 母だからこそ、いつまでも若々しく、きれいでいよう きれいでいたい そういう意識を持って日々暮らしていかなくてはいけない、そう思います
 百歩譲って、きれいになるために「何か」をしないまでも、きれいでいなければいけないな、という思い、意識だけでも持っていなければ、ひたすら子どもにとってはもう価値のない存在になっていくのではないか?そう思うのです。
 だってね、子どもが小学生になれば、毎日は無理でも、きっとちょっとがんばればお腹がすけば目玉焼きも自分で焼けるし、納豆ご飯なら自分で食べられるでしょう?
 2,3日は、洗濯しなくても、そのくらいの洗い替えの下着はあるでしょうし。
 お風呂だって、シャワーくらいなら自分で何とかなる・・・
じゃあ、お母様の価値は?お母様がいる意味は?
 
 ママは、パパとは違うのです
子どもにとって、一番身近なママ、お母様は「素敵な人」でなければ、きっと意識の中では捨てられてしまうでしょうね。

 さあ、今日の余暇の時間には、どんなことをして、素敵でいる努力をしましょうか
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秋を感じてみませんか?

2010年09月16日 | にこにこ
 今年は本当に残暑が厳しかったですね いやいや、もしかしたら、まだ「残暑が厳しいですね」と、現在進行形で書かなければならない日が突如、やってくるかもしれません
 9月に入っても、つい2、3日前までは、モワーッと暑くて湿度の高い日や、刺すような陽射しが夏と何ら変わらない、という日が続きました。9月に入ってからの暑さは、夏バテした身体に堪えました

 でも・・・そんなふうに残暑が厳しくても、やっぱり夜になると、「秋の虫の声」が次第に賑やかになってきていたものです スズムシ、コオロギ・・・我が家のベランダ前の桜の根っこの下草からも、反対側のケヤキの根っこの下草からも、9月に入ると秋の虫の大合唱が聞こえていました。
 今年はね、8月26日の夜、初めて秋の虫が鳴き出したのですよ

 このブログを始めて、幾度となく「秋のおとずれを感じていますか?」と書いたことを覚えています。
日本には四季があります。今年のように、ラニーニャ現象で「いったい、地球はどうなっているのだろう!」と、真剣に議論されている中でも、やっぱり秋の虫が鳴き始めるのですよね
 日本の四季・・・その季節、季節でおいしい実りがあり、目にうるわしい木々、花々があり、北から南まで、さまざまな行事がニュースで放映されます そういうものを、本当にみなさんは見落としてはいないでしょうか?

 まどか先生ったら、ホント、毎年、同じことばっかり書くんだから・・・老化じゃない?などと言う声が聞こえてきそうですが、やっぱり今年も言いたいのです
 私は8月の終わりから約1ヶ月、9月、10月の出願を控え、お父様やお母様が一生懸命に書かれた願書を見せていただいています。
 願書には、名前と住所を書くだけの、まるでお役所で住民票を取るときの事務的書類のようなものがあるかと思えば、何日間もご両親で過去数年間の子育ての日々を振り返り、いろいろと思い出したり、考えたりしなければ書き上げられないような一大巨編的な願書もあります しかし、極々一般的な願書の場合は、質問の定番は「志望理由」と「家庭教育の中で大切にしてきたこと」この2つでしょうか。

 この2大質問について答える時、必ずと言ってよいほど使われる言葉に「感性豊かな子ども(人)」というものがあります。そうですね・・・我が子が幼い頃、もし「どんな子どもに、どんな人に育って欲しいか?」と問われれば、きっと私自身も答えたと思いますねえ・・・「はい、人の痛みのわかる、感性豊かな人に育って欲しい・・・」と 
 先ほど書いた質問が、2大質問だとするならば、この「人の痛みのわかる」と「感性豊かな」の二つは、2大答え、と言えるでしょう
 でも・・・人の痛みがわかるようになるためには・・・感性豊かになるためには・・・いったい、どういうことをしてやれば、そういう子どもになるのでしょうね。
 きっと、学校の先生方は、本当は「そこの部分」をお聞きになりたい、と思っているだろうなあ・・・と、私は毎年、苦笑しながら考えます

 おっと失礼!お話しが、脱線してしまいました
人の痛みのわかる・・・については、また別の機会にお話しをするとして、「豊かな感性」を育てるために必要なことの一つに、私は「日本の貴重な季節を五感で感じる」というものがある、と思っています。
 では、いったい、感性とは何か?を、漠然としてではなく、もっと知りたい!と思い、辞書を引いてみました
すると、こんなふうに書かれていましたよ。

  1. 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「―が鋭い」「豊かな―」
  2. 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。
 むー、1番は理解できますが、2番は私の頭では無理なようです ということで、ここでは、「感性とは・・・物事を心に深く感じ取る働き。感受性」として理解しましょう
 とすれば、この「物事を心に・・・」の「物事」のところに、いろいろな言葉を入れれば良いわけですね。例えば、「花々を心に深く感じ取る働き」「吹く風を心に深く感じ取る働き」「季節の恵みを心に深く感じ取る働き」etc. etc.
なるほど 何だかわかってきましたよね。

 幼い我が子が、さまざまな事象や、さまざまなものを心に深く感じ取るためには、間違いなく、子どもが感じ取れるような働きかけ、言葉かけをしないといけませんよね じゃあ、常に子どもの身近なところにいる親こそが、「物事を心に深く感じ取れないといけない」ということでしょう

 空の高さ、雲の形、八百屋さんの店先(スーパーであっても、季節の恵みは、前面に出ているものですよね)、花屋さんのバケツの中・・・そんな生活の中に、普通にあることに目も気も留めず、ひたすら知育やお稽古事にばかり躍起になる・・・私は違うと思うのですよねえ・・・

 そういう私も、子どもの頃は大のお稽古好きで、小学校1年生の頃は、「月曜日はピアノ」「火曜日はお勉強」「水曜日はお絵描き」「木曜日はお習字」「土曜日は英語」そして、毎日そろばん教室に通っていました
 ただね、自慢をしてしまいますが、私の母は、とても素敵な女性だったのです
 祖母や叔父、叔母との大所帯のお台所を切り盛りしながら、父の会社の経理をするという八面六臂の活躍ぶりで、もちろん、私の母として、学校の役員なども引き受けてくれていました。そして何より、玄関だけではなく、小さな出窓やお手洗い、ちょっとしたスペースには、季節、季節の小物を飾り、一輪挿しには花が生けられ、食卓にはその時々の実りが並びました
 
 多忙を極めた母は、残念ながら大きくなった私を相手にも、わざわざ時間を割いて何かを教えてくれる、ということはありませんでしたが、私はいつも「母を見て」育ったのでした
 超高層マンション暮らしになった両親の鉢やお皿には、庭の葉っぱや花が添えられることはなくなりましたが、今でも季節を感じられるお献立が並び、そういう話題には事欠きません。そうそう・・・思えば、最近の母の話題には、「母が見習ったという素敵な女性、祖母の姿」もよく登場します
 
 ああ・・・子どもは、親の背中を見て育つ、というのは、本当だなあ、と実感します。(どうしましょう・・・私の娘は、私の走る姿や、パソコンに向かっている姿だけを見ていたら・・・

 感性豊かな子どもに育てるために・・・まずは、秋を感じてみませんか?
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