まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

むかーし昔に思いを馳せる

2006年11月24日 | にこにこ
 とかく年をとると、いろいろと不安になるようで・・・
私の母は、4月の引越し以来、「ここに来てからは、まどかちゃんが毎月帰ってきてくれて、いろいろとしてくれるから、とっても安心やわー」と、私が帰省をするたびに満面の笑顔で言います。何と言っても、お口上手で愛想良し、という大阪人、です(お口が悪く、愛想良し、にもすぐに変身しますが)。
 またまた上手いことを言って、私を良い気分にさせているよなと思いきや、両親の様子を見ていると、どうもそういうリップサービスではないようです
 あちらの部屋のコントローラーがおかしい・・・お手洗いのあそこのランプがなぜかチカチカと点滅をしている・・・エアコンが変な音をたてている・・・etc. 私が玄関を入るやいなや、機関銃のように話し出します
 先月はどうしても時間がとれず、1回帰省をスキップした私。今月は行けないのよ、と連絡をしたときには、「それはそうよね では、来月、よろしくね」などと調子良く応えてくれたのですが、そっちの言葉のほうがお決まりのリップサービスのようで、本当はかなり落胆していたらしい

 新大阪からタクシーに乗れば、ほんの5分というところに引っ越した両親。
私の帰省の手段も、すっかり飛行機から新幹線にシフトしました
 以前は、乗り物の中での拘束時間が短いから、という理由で、断然飛行機利用(じつは、行きは一番右、帰りは一番左の席をリクエストし、晴天の場合には、大好きな富士山を上空からじっくりと眺め、感動する・・・という隠れ理由もありましたが)と言っていた私ですが、乗ってみると、新幹線もなかなか一興です
 
 地理好きの私です。あらためて車窓からの景色をじっくりと見ていると、まさに地図をたどっているようであり、また、小学校高学年の社会の授業で覚えた特産物が思い出されます 静岡のお茶畑などは圧巻ですし、そろそろ琵琶湖か、と思われるころに見えてくる青々と広がる田んぼを見ると、確かに近江米の産地であることもうなずけます
 そんなことを思いながら、本などは読まず、熱心に景色を見ているのは、新しい楽しみになりました
 そういう時間の中で、私にはどうしても気になる場所があります。そこは「関が原」です

 大変お恥ずかしいのですが、10年ほど前までの私は、常識的な日本史上の登場人物、たとえば・・・聖徳太子や源義経、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康くらいはわかり、彼らがどのあたりの時代に生きた人か?はわかりましたが、大きな出来事、その年号、主要な人物・・・などとなると、とんとわからない 高校受験や大学受験の勉強もせず、一貫校の中で好きな勉強だけをしていた私の弱みでした
 幸い、本好きだった主人の血を受け継ぎ、活字中毒?!だった息子は、小学校の高学年では司馬遼太郎の大ファンになり、むさぼるように読み漁っていました 
 そんな息子をちょっぴりうれしく眺めていた私。中学受験では、幸い、社会科の先生が彼の面接官にあたりました
 「君は歴史が好きということだけれど・・・さて、歴史上の人物で、君は誰が一番好きなのかな?」と尋ねられ、息子は少し考えた後「はい、やっぱり、僕は島左近が一番好きです」と答えました。後ろで聞いていた私は、にこやかに微笑みながらも「げげげ、シマサコン???・・・お母さんは、島左近がお好きですか?なんて聞かれたら、もう、おしまいだな」と、冷や汗がでました。

 あのとき以来、私は息子の司馬遼太郎の本を1冊ずつ借りて読み始め・・・私の歴史の教科書は、司馬遼太郎の小説になりました(今でも彼の小説が取り上げていない人は、まだ知らない人のままです

 1600年。この年号も良かったですよね 数字にとにかく弱い私でも、さすがに忘れることのない、簡単な年号。そう、「関が原」は、私にとって、もっとも興味ある歴史上での出来事になりました 何度も読み返しましたねえ・・・
 そうです、その関が原の古戦場のそばを、新幹線は走ります。冬には雪が多く、新幹線はよく徐行運転をするするところ、です

 ああ、あのあたりが南宮山?笹尾山というのは、あれかな?・・・そんなことを考えているうちに、私には、まるで黒澤明監督の大スペクタクル映画のように(実際に、彼はそんな作品は撮っていませんが)見えるはずのない合戦の様子が、しっかりと頭の中で広がります
 そんなことを息子に話すと、中高時代は地歴部で、関ヶ原を何度か訪れた息子が笑って言うのです
 「お母さん、そんなふうに、自分で勝手にロマンの世界を広げちゃだめだよ あそこには、なーんにもないんだよ 史跡としても、見学をするだけの価値があるかどうか・・・全部、想像する以外に何もないんだから。そんなに好きなら、何度も本を読み返して、自分で好きに想像するほうがいいと思うなあ・・・ 行くとしても、なかなか電車の便は不便で、時間のかかる遠いところなんだからね」と。

 でもねえ・・・やっぱり、近いうちに行ってみたいなあ、と思っています
 みなさんも一度、いろんな場所を、ちょっと目先の違った目で見てみませんか?案外、自分の身近なところに、すごい歴史が隠れていることもあるものですよ だって、今、あなたがいる場所は、太古の昔から、「確かにそこにあった」のですから もしそこが埋立地であったとしても、そこは海か川、湿地・・・として、やっぱりそこに「あった」のですもの
 そして、そこでは、やっぱり「人の暮らし」があったのです。すごい!って思いませんか?

 4,5年前、私は一時、東京の都心のタウンウォーキングに凝ったことがありました ガイドブックを片手に、どんどん歩いていると、あちこちに史跡を示す看板があったり、歴史上のさまざまなドラマを説明してくれています 坂の多い東京では、坂の名前にも由来があり、それもまた興味深いものでした。

 毎日、当たり前に過ごすのではなく、ちょっと違った視点で、いろんな場所を見てみるのは楽しいものです
 「視点をかえる」それは、どんな場合でも、新しいことが見える、とっても素敵なチャンスですね


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草月流の先生との時間

2006年11月12日 | う゛う゛ー
 今日は、主人のお供で、日本橋の高島屋で開催されている「草月展」に行ってまいりました
 会場いっぱいに「小さな秋」が広がり、豊かな時間を過ごしてきました

 じつは今週末、主人は仕事でつながりのあるお仲間達と、ロタ島で開催されるトライアスロンの大会にエントリーしています 今日の草月展に出展されている華道家の女性も、そのお仲間のお一人なのです
 私はこの時期、応援に同行することは難しいので、今まで自転車のトレーニングの時などには出向き、みなさまにご挨拶をしていました。

 華やかな会場に、立派な作品を出展されていた今日のSさんは、すっかり華道家としてのお顔でおいでになりましたが、今までトレーニング時にお目にかかった時には、愛車の自転車の横で、勇ましい出で立ち 練習時には他のメンバーもたくさんおいでになりますし、トレーニングの前後では、お話することもむずかしかったので、ゆっくりお話をさせていただくのは今日が初めてでした
 会場横のカフェで、今日は初めてお互いの仕事の内容にふれながら、1時間ほどお話をさせていただいたのですが、Sさんとのお話はどれもこれもとても興味深く、私としても、とても考えさせられるお話ばかりでした

 今日のお話の中で知ったことですが、Sさんご自身も、二人のお嬢様達も、東京の私立の一貫校、A校のご出身。
 Sさんは幼い頃から、ご自身がお花を愛するご両親の元に育ち、いつもお花に囲まれた生活をなさっていたそうです いつも、当たり前のものとして身のまわりにあった花々から、季節を感じ、いつも豊かな気分で過ごしていました、とお話になっていました
 もちろん、今はお仕事として、毎日お花に触れる生活ですから、お二人のお嬢様も、小さな頃からお花を楽しむ心、潤いある心を持ち、成長されたそうです。

 現在Sさんは、都心のホテルの花のディスプレイや、多くの教室で現代の生活にマッチした生け花を教え、多忙な生活を送っていらっしゃいます。そんな生活の中で、ここ数年は、お弟子さん、生け花教室の生徒さんとの話しでは、仰天することが多くなった、とお話になっていました

「20代のOLさんがね、お仕事の後で、お稽古に来てくださるんです みなさん、とってもおきれいなお方ばかりでね。ところが、たくさんの方が、お花もお花のお名前もご存知ないんです・・・驚くことに、中には、ユリの花とバラの花、二つの「名称」は知っていても、どれがユリで、どれがバラか、実物を前にしてもわからない、という人がいるんです バラとユリ、ですよ。こんなに形も違うものなのに、区別がつかない、というのです そしてね、たった一度も、お花を飾ったことがない、と言う人もいらっしゃるのです・・・驚きました・・・ でもね、そういう方に、少しお花の生け方をお教えしたら、とっても感動して、気に入ってくださって 今までに全くそういうものを味わう、ということに染まっていらっしゃらなかった分、とてもピュアに感じてくださり、感動してくださるんです。そんな様子を見て、ほっとします でもね、きれいに着飾り、美しくお化粧をなさったお嬢さん達・・・本当の美しさというものを、もっとお小さい頃から知っていらっしゃれば、きっとより一層豊かな女性になられたに違いない・・・そう思うと、残念でなりません

 私にとっても、無縁の話しではないなあ、と痛感しました。
そんなOLさん達は、たぶん、そのうちに結婚し、いずれ「母」となられる・・・でしょうね
 幸い、Sさんの生徒さんになられた方々は、滑り込みセーフ!で、「母」になる前に「花のある生活」を知りました。
 たとえ、S先生の教室の門を叩くまでは、ユリとバラの区別がつかなかったとしても、お花のお稽古を続けていくうちには、きっと多くの花の名前を知り、季節を感じ、お花を生けて、愛でる豊かな時間を経験されます
 しかし、Sさんの生徒さん達と同年代の「ユリとバラの区別がつかない人達」は、どうなるのでしょうか?
 「お花」の話しは、あくまでひとつの例です。もちろん、お花以外にも、豊かな人間性、優しい心根を育てるものは、たくさんあります

 それにしても・・・心の豊かさは、一朝一夕に得られるものではありません。
心や言葉に潤いのない女性が母になり、ヴィトンのバッグやフェラガモの靴を欲しがるように、我が子にも「ブランド」を・・・そんなお母さん達が増えていくことを考えただけで、私は薄ら寒くなってきました

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八百万のかみさま

2006年11月08日 | にこにこ
 風の強かった昨日、北海道では、竜巻などいうとんでもない惨事が起こり、日本中を驚かせました 私は夕方、スーパーへの買い物の帰りにふと思い立ち、強い風の中、お気に入り場所に立ち寄ってみました
 そこは、いつもの道から、ほんの少し路地を入ったところ・・・人のお家の駐車場前 秋、冬の晴れた日には、そこから、新横浜のビルの向こうに、大山の上にそびえる富士山が見えるのです 特に夕焼けの時間は美しく、真っ赤な空の中に、シルエットになった富士山がどーんと姿を現します
 私は、教室のホームページ内のプロフィールにも書いていますが、幼い頃から、富士山が大好きなのです 大阪育ちの私にとっての富士山は、そんなに簡単に見られるものではありませんでした。こうして20数年、関東に暮らしていると、ちょっと高い見晴らしの良いところに行けば、必ずと言ってよいほど富士山が見えます 
 しかし、大阪暮らしでは、見えるのは金剛山、生駒山、六甲山系・・・やはり、あのすっくと美しくそびえる富士山から比べると、大層見劣りがしてしまいます
 昨日もやはり、あの強い風のためか、赤く染まった空の中、箱根の山々を従えるように、立派な富士山が拝めました 私は思わず、手を合わせたい気持ちになりました・・・

 そう、手を合わせる・・・拝む、祈る、という姿勢ですね。
私には、宗教色のある学校で、教育を受けた経験がありません ここ関東には、非常に多くのキリスト教の学校があります。カトリック系の学校、プロテスタント系の学校などなど。
 しかし、もともと私の郷里の大阪には、関東ほど多くのクリスチャンの学校はなく、むしろ、仏教系の学校のほうが、数としては多かったのではないか?と思っています。
 話しを元に戻しますが、宗教教育を受けたことのない私にとって、「手を合わせる」という行為は、常に「何かを対象としたものではない」ものなのですね
 もちろん、お宮参りに始まって、初詣、十日戎(商人の町大阪では、えべっさんと呼ばれるこのお祭りは、とても賑やかで大きなお祭りです。私が、このお祭りの日の生まれで、福娘と呼ばれたことは、すでに以前のブログで書いていますね)、七五三、そして神前結婚・・・子供が生まれてからは、合格祈願、というのもあり、私の生活の中では、神社が大きく関わっています
 しかし、そんな私も、カトリックの「めでたし」のお祈りには、大変支えていただきました
 というのも・・・今から14年前、主人が3年間のジャカルタ駐在のため、日本を離れた10日後、急に義父は悪性の肺ガンを告知され、余命半年、と宣告されました。しかし、主人は公務員ではありませんでしたが、当時のインドネシア駐在は、社命を受けてのインドネシア鉱山エネルギー省というところへの公務転勤であったため、自分親が入院したからと言って、自由に帰国したり、任期を短くしたり、ということは出来ず・・・
 そんなことで、小学校2年生の息子と、幼稚園の年中さんの娘、大阪に住む主人の父の入院・・・と、私の留守宅を守る生活は、とても悲惨なものになりました。

 そんな私の大変な様子を静かに見ていた娘は、ある日、出かける電車の中で、「ママ、私ね、ママに『めでたしのお祈り』を教えてあげる!きっとマリア様が守ってくださるから、元気になれるよ」と言って、私がしっかりと覚えるまで、何度も何度も懲りずに繰り返し、『めでたし』を唱えたものでした
 当時娘は、カトリック校の付属幼稚園の年中さんで、朝は「てんにまします」降園時には「めでたし」のお祈りを毎日していたのでした。
 ああ・・・あのころは、本当に、困った時、情けないと思った時、泣きそうになってしまった時、私は必ず心の中で「めでたし」を唱えましたねえ・・・
 不思議とあれから15年近く経った今も、「めでたし」は私の心を穏やかにしてくれるお祈りであり、一生懸命に教えてくれた時の娘の真剣な表情を忘れることはできません

 しかし。
私には、特別の信仰はありません。人一倍信心深く、「手を合わせ、祈る」ということを頻繁にする私ですが、特に何か特別な宗教に帰依しているわけではありません さきほども書いたように、幼い頃に宗教色のある教育を受けた経験もないために、どうも私が手を合わせる対象は、何か特定のものには成り得ないようです。敢えて言うならば、手を合わせ、祈る対象は・・・「そのものの心」と言えるのかもしれません
 たとえば、雲一つない青空に映える富士山。凛とたつその姿に、私は崇高な存在、畏敬の念を感じます そして、その崇高さの中に、富士山という山の持つ「心」を感じるのです

 日本には、八百万の神(やおよろずのかみ)という考え方があります。一つ、一つのものに宿る神、です。山には山の、川には川の・・・この考え方が、数年前に大ブレイクした「千と千尋の神隠し」の中、随所に見られましたね 私は、この日本古来の考え方に、非常に納得のいくものを感じています。
 我が家の子供達は、すっかり大きくなった今も、何か古くなったものを捨てる時には、口にだして「ご苦労様。ありがとう!よくがんばってくれたね」などと語りかけ、愛おしそうにそのものを持ち、なでなで・・・としてから処分します。
 きっと幼い頃から、小さくなって履けなくなってしまった靴や上履き、体操服などを新しいひとサイズ大きいものに替える時、「ほら、○○にありがとう!ご苦労様でした!をしないさい」と言い、そのような習慣を付けさせたからだと思います・・・

 私にとっての祈り・・・は。
心静かに、心穏やかにして、私を取り巻く身のまわりのものすべてに感謝し、見つめることなのかもしれません

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心をつなぐ「言葉」

2006年11月02日 | う゛う゛ー
 今朝、我が家のマンションを出たところで、道路の工事が始まっていました 小規模な工事らしく、警備員の方がお一人、工事を知らせる大きな看板の前で立っていらっしゃいました。
 私は思わず、その方の前を通り過ぎる時、会釈だけではなく「おはようございます」とご挨拶をしました。
 すると、警備員さんは、少々面食らった顔をなさった後で、すぐに小声で「おはようございます」を応えてくださいました。工事は、直接はうちのマンションには関係のない工事ですから、たぶんその方は、どうして自分のマンションに関係のない工事のために来ている警備員に、わざわざ挨拶をしたのだろう?という発想だったのだと思いました。

 私にとっては、その方が自分の生活に直接関係ある、なしに関わらず、「おはようございます」と気持ちよく挨拶をして、たとえ一瞬でも関わり、その方との間に、「あたたかい時間」を持ちたい、そう思ったのでした

 私はとても小さな頃から、「愛想の良い子ねえ」と言っていただけるタイプの子供でした 商人の町大阪で生まれ育った私にとっては、「愛嬌良し」というのは、かなりの財産だったのです 
 私の祖母などは「笑顔、千両」とよく話しました それほど、愛想の良い、笑顔良しの女の子は、評価が高かったのです
 とは言え、私の愛想は、努力の上にあるものではありません 生まれた時からきっと備わったものであり、幸いなことに、気づけば愛想の良い子供、だったわけです
 ただ、人一倍「人好き」だったことは、その愛想良しに拍車をかけていたかもしれません。
 この「人好き」が高じて、国籍を問わず、多くの人とコミュニケーションがとりたい、という思いとなり、外国語学習が好きになりました ですから、私にとっての英語も、学生時代の第2外国語のフランス語も、主人の駐在時に学習したインドネシア語も、高1の友好訪韓団以来、懸案となっている韓国語学習も、すべて「言葉の学習」が目的ではなく、その言葉を使って、人と話したい、時間を共有したい、共に笑ったり泣いたりして、理解し合いたい、というものだったのですね・・・
 そういう意味で、自分で話していて通じないような言葉は、私にとっては意味がないものです どんなに格調高い言葉を知っていても、どんなに正しい構文を使いこなすことが出来ても、もし、その言葉が相手に通じないような「読み書き的な言葉」や「カタカナ的な言葉」では、私にとっては価値のないものでした

 たとえば・・・私の主人は英語が堪能です。彼にとっては英語は仕事をする上で、必要不可欠な道具でした 会議をする、契約を取り交わす、商売上での法的な取り決めをする、などなど。新聞もスラスラですし、CNNのニュースも、彼の好きな番組です
 では、私は?と言えば・・・英字新聞は読めません CNNは、せいぜいスポーツのコーナーだけで、それ以外はかなり困難 英語で会議?法的な取り決め?契約書を交わす?とととととととんでもない!の世界です。
 私が出来るのは、お隣のおばさんとバックヤードに実ったとうもろこしの話しとか、2ブロック先のHさん宅の猫が、○○社のキャットフードが好きだとか、ホスト家庭のお父さんとお母さんの結婚の馴れ初めとか・・・そんなよもやま話しで盛り上がり、一緒に冗談を言いながら笑い合うことだけです
 でもね、そこにはあたたかい人間関係があり、血の通ったつきあいがある
 言葉が人と人とをつなぎ、心と心が通う・・・私にとっての言葉は、そういうものでした

 先日、考査を目前に控えた年長のクラスで、「もし、あなた達が歩いている時、知らない人から道をたずねられたら、あなたはどうする?」と聞いてみました。
 すると、ある子から、全く躊躇なく、「知らない人から話しかけられたら、絶対にその人のほうも見ないで、知らんぷりをして、どんどんと歩く」という答えが返ってきました。

 じつは、私は不覚ながら、そういう答えを全く予想していなかったので、大変驚き、大きな時代の変化を実感したのでした
 子供達が、確かに多くの危険にさらされているこういう時代の中で、「人への親 切」や「人との関わる優しさ」などを、どのように教えていけば良いのか?心底その難しさを感じた時間でした

「すみません、お嬢ちゃん、○○の駅は、この道で間違っていないかしらねえ?」と、にこやかに微笑み、近寄っていったおばさんをキッと睨み、足早に通りすぎるかわいい小学生・・・
 仕方のないことなのかもしれません。けれど、私はどうしても、そういう光景を想像するだけで、胸が痛みます。
 危険と隣り合わせの現代。どこに子供にとっての落とし穴があるかが、わからない世の中です。そんな中で、やっぱり私は、人と人とがふれあうことのすばらしさ、人との関わりの中で育つ心の豊かさを、幼い子供達に教えていきたい、心からそう考えています そのための方法を、私は毎日、真剣に考えているのです

 明日、朝に顔を合わせるであろう工事現場の警備員さんは、きっと私の姿を見ると、ふっと表情を和らげ、今日よりも親しげに「おはようございます!」と応えてくれるに違いない。私はそう信じています
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