まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

我が子のお誕生日

2010年04月29日 | にこにこ
 お誕生日、みなさんはどんなふうに迎えられますか?
ご自分のお誕生日は?夫や妻のお誕生日は?我が子のお誕生日は?お父様、お母様のお誕生日は?

 教室の子ども達に聞いてみると、「ケーキを食べる」「プレゼントをもらう」「ハッピバースデーのお歌を歌う」という答えが返ってきます。 みな、一様にとてもうれしそうに話してくれます。自分のお誕生日でも、パパやママ、兄弟、姉妹のお誕生日の時も・・・です。
 でも、どうしてハッピーな気分、なんでしょうね?ケーキが食べられるから?(現代では、ケーキを食べることそのものは、それほど貴重な体験ではなく、ある意味、日常茶飯事のことでしょうが、1ピースのものではなく、ホールのケーキを買って食べる、ということは、やはりウキウキすること、かもしれませんね)好きなご馳走だからでしょうか?それともプレゼントがもらえるから?
 きっと、どれもこれも「ピンポーン」でしょうね。そして、物心づいた頃から、「お誕生日は、どこのご家庭でもハッピーな気分、ハッピーな演出をして迎える」ようにしているから、それが幼い子どもであっても「うれしい気分になる日」なのでしょう。
 
 では、親であるみなさんにとって、我が子のお誕生日は、どんな日でしょうか?
毎年、何か決まったことをされるでしょうか?中には、必ず写真を撮る、という方もおいでになります きっと、何年か撮りためていかれると、それはそれは貴重な成長の記録であり、どんな様子で、どんなことを話してそのお写真を撮ったのか・・・など、すべてが尊い思い出になることでしょう

 我が家の場合も、大抵、ケーキの用意をして、お誕生日の主役の好物のご馳走を作り、ハッピーバースデイの歌を歌ってプレゼントを渡す・・という、とてもオーソドックスなスタイルです そして、それが子ども達のお誕生日の場合には、私は毎年必ず、彼らが生まれた日のこと、その前後の日のことを思い出します
 陣痛に耐えながら考えていたこと、その時の音、空気・・・すべてのものを思い出しますね・・・病院の匂いだったり、真夜中の真っ暗な陣痛室だったり、助産婦さんの声であったり、病室から見た陽射しだったり、花壇の花々だったり・・・(残念ながら、帝王切開だった息子の出産は、そういうドラマチックな出産の思い出ではなく、出産後の痛さに耐えて数えた天井の幾何学模様の数であり、2日目にしてやっと見た我が子の、しわくちゃのおじいさんのような顔・・・なのですが、はっはっは

 でも、それがお猿さんのような真っ赤な顔であったとしても、そんなふうに、毎年、誕生の頃のことを思い出しているうちに、自然に胸が熱くなり、必ず最後は一人でウルウルしながら「ああ、生まれてきてくれて、ありがとう」そういう思いでいっぱいになります。
 多くのお母様達も、きっと同じ思いを持たれるのではないですか?

 つい10日ほど前、息子がお誕生日を迎えました すでに成人もしている息子ですから、幼い頃のような「絵に描いたようなお誕生日」ではありませんが、それでもお誕生日は特別な日。誕生から今日までのさまざまなシーンを思い出していると・・・やっぱり、ウルウルします

 けれど、今年の息子のお誕生日は、今までとはかなり違う、さまざまな感覚、考えを持った日になりました
 すでにみなさまはご存知ですが、息子は昨年の11月に緊急入院をし、翌月の12月、心臓の弁置換手術をしました。(そういう一連のことは、ブログにも書かせていただきました)かなり重度の心不全の状態で手術を受けなくてはいけなかったため、普通の弁置換手術の何倍も命の危険性があり、夫も私も、無事に手術が終わり、息子の心臓が自力で動き出したことを知らされた時には、それは「奇跡」に思え、神様に大きな大きな感謝をしました
 感動、とか、安心、という言葉がありますが・・・そういう言葉は、まさに「この時」のために使う言葉だったんだなあ、と実感した瞬間でした。

 じつは・・・
私は息子の心臓病が発覚し、手術をすることになったあの時以来、ものの考え方や人生観というもの、すべてが、すっかり変わった・・・そう思います。上手く言葉で表現できませんが・・
 何というのでしょうか・・・人は「生きている」という事実だけで、すでに大きな価値がある そう思うようになった、とでも言えばよいでしょうか。

 とかく、人は「ああだったらいいのに」とか「こんなふうであって欲しいな」とか思うものです それを「欲」と言うのですね。
 もちろん、私にも「欲」はありますよ。おいしいものが食べたい、とか、一度は○○に行ってみたいな・・・とか。
 でも、あの時以来、息子や娘(娘は健康そのもの、ですが)に対しては、親として我が子に望む「欲」が、すっかり消え失せた・・・そんな気がしています。(案外、私は欲深く、彼らが幼い頃から、かなりいろいろと我が子に望むタイプの母親である自覚があったのですよ

 退院して3ヶ月以上が経過した今でも、私は入院時の息子の様子、手術後のICUでの姿を思い出すと、平常心ではいられません
 そして迎えた今年のお誕生日
病室を出て、看護師さんと一緒にエレベーターに乗り、自分で歩いて手術室に向かった息子。振り返り、私達に小さく手を挙げ・・・そして姿が見えなくなりました。
 私は何度も何度も手を挙げた息子の姿を思い出して・・・「あの子は無事に病室に戻ってこられるのだろうか・・・あたたかい春がやって来て、あの子は次のお誕生日を迎えられるのかな・・・」何て縁起でもないことを思っているんだ、と自分に腹を立てながらも、その不安を消し去ることができませんでした

 4月、東京に季節はずれの雪が降った日。息子はお誕生日を迎えました
今年のその日は、息子の誕生の頃や、歩き始めた頃、小学校の入学式、中学受験、中高の文化祭・・・そんな懐かしい胸キュンの成長の年月を振り返ることはありませんでした。母親の私が、ひたすら思っていたことは「生まれてきてくれて、ありがとう!」ではなく、「今、生きていてくれて、ありがとう」でした。

 それで・・・私は思ったのですよ
私の場合は、我が子が命の危険のある大病、大手術をしたから「今、生きていてくれて、ありがとう」と思ったわけですが、でも、そんな特別なシチュエーションではなくても、「子ども達の思い出、子ども達の過去」に思いを馳せるのではなく、「今」にスポットライトを当てることはできるはず

 我が子のお誕生日を祝うその日、5歳ならば誕生からの5年間、10歳ならば10年間の懐かしい胸キュンの成長を振り返り、「生まれてきてくれて、ありがとう」と思うのではなく、「今、まさに目の前にいる、そこにいる我が子をしっかりと眺め、あなたがこうして、今、ここにいてくれて、パパは、ママはうれしいよ」と、あらためて実感する日にすること・・・これも、お誕生日の大事な一面なのではないか?と思いました

 人はみな、よく「昔は良かった」と言います。案外、子育ての上でもそういうことを言っていませんか?
 「昔は、口ごたえも反抗なんかもせず、ママ、ママって私の後を追ってばかりいる、かわいい子だったんです・・・」
 「腕白で手を焼いたこともありましたけど、無邪気で、すごくいっぱいおしゃべりをしてくれる、明るい子だったのに・・・」とか。

 こういう親の言葉というものは、じつは、過去の我が子を今の我が子よりもかなり肯定し、現在の人柄等をどちらかと言えば否定的な目で見ている・・・ということですよね
「生まれてきてくれて、ありがとう」という気持ちは、決して誕生の瞬間のことを言っているわけではありませんが、それでも「今、存在していること」にポイントがあるわけではないでしょう

 お誕生日に、今の我が子をあらためて眺め、「今、こうしていてくれて、本当にうれしい・・・あなたは、私達のかけがえのない宝物」と思い、そう我が子に伝えてみませんか?
 「あなたが生まれた時はちっちゃくてねえ、本当にかわいかったのよ!」ではなく・・・
 「今、ママは幸せよ あなたのような子どもを持って、本当に幸せ 今日、こうしてあなたのお誕生日をお祝いできることに感謝するわ」・・・
 そんなふうに思うと・・・きっと、「今の我が子」がぐっと近くなると思います
 そして子どもも「自分に向けられている親の目」を感じ、「今の自分をしっかりと見てくれている安心感」が生まれるでしょう。それは、親の愛情を確かに感じられること、だと思います
 息子だって娘だって、幼稚園児であろうと、小学生であろうと、中学、高校生、いえいえい成人していても、我が子はみな「今」、この瞬間を、一生懸命に生きているんですものね・・・
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笑顔はどこから?

2010年04月21日 | う゛う゛ー
 すっかり老眼が酷くなり、メガネなしでは電車の中で本を読むことが出来なくなりました メガネのフレームに凝っている私 その日の装い、TPO、洋服の色合いや気分に合わせて、とっかえひっかえ老眼鏡を持ち歩いていると、老眼鏡は常にバッグの中。
 お買い物中、値札の数字がはっきりと見えず、¥1,000-なのか¥10,000-なのか、間違いそうになるということは数知れず そろそろ遠近両用メガネを常にかける・・・という生活にするほうが、物理的に考えれば、ずっとずっと便利なのでしょう。
 でも、今、手元にある中近両用メガネ(手元とパソコンの画面の距離、両方共に焦点が合うようになったレンズ)を、すべて遠近両用のレンズに入れ替える???ひゃ~~~、それは無理というものです
 結局、電車に乗ると、景色を眺めたり、元々好きだった「人間観察」をしたり・・・それはそれで、とても楽しいです。日頃見慣れた景色でも、季節の移ろいによって発見もありますし、建設中のマンションが建っていったり、天気によって町の色合いが違ったり・・・何でも、意味合いを持って「見て」いると、「ただもの」ではなくなるものですよ
 とは言え、地下鉄では景色が見えない。人間観察をしようにも、空いた電車の中・・・けだるい昼下がりの時間、車両のほぼ全員が居眠りをしている時は、本当につまらない
 つい先日、ちょうどそんな状況で所在なげに地下鉄銀座線に乗っている時、ふと前の窓に映った自分の顔を見て、驚きました!
 「なんて怖い顔をしているんだろう・・・」

 私は、自分で言うのもおこがましいのですが、子どもの頃から「あなたの笑顔がよい、あなたは笑顔が似合う」と言われてきました。52年間の人生を振り返ってみると、確かに、しかめっ面をしている時よりも、ずっと笑顔の時間のほうが長いだろうな・・・そう思います
 この笑顔は・・・私の生来の人柄であり、同時に、幼い頃に培われた処世術でもありました。
 幼い頃の私は、祖母や叔父、叔母達と一緒に暮らす大家族の生活。渡る世間は鬼ばかり、の劇中のえなりがずきのように、子どもの頃から「人の表と裏」を目の当たりにしていると、自然と「平和に暮らす術」は培われていくものです
 まわりの大人のもめごと、ぎくしゃく感に感づいても、決して「子どもらしい気楽さ、屈託のなさ」で思ったことを口にしてしまうと大やけどをしてしまいます。(それを学習していながらも、何とか母の味方になってやりたいとの一心から発言してしまい・・・私は何度も癇癪持ちの父親のバシーンの一発を食らったものです
 少し長じてからは、一人っ子の私の逃げ道は「鏡の中の私とお話しをする」ことでした。家族の悪口、罵詈雑言を鏡の私に吐いても、誰をも傷つけませんからねえ。ふわ~、こんなふうに文字にしてしまうと、えらーく暗い子ども時代のようですが・・・そんなこともありつつ、大家族だったからこその楽しさも、もちろんたくさん経験していましたよ

 そんな私が結婚して親元を遠く離れて気楽な生活を送るようになり、そして母になり・・・私の娘は、核家族の中で育ちました。
 突然、夜中に帰宅した父親が上機嫌で社員を連れて帰ってくることもなく、父親のワンマン振りに怯えることもない穏やかな生活・・・娘は、学校の中の人間関係で悩むことはあっても、家族の中で人の顔色を見て暮らす必要はありませんでした。(もちろん、そういうことを辛いと感じていた私が母親になったのですから、娘には、至極気楽な、平安な家族生活を送らせてやりたい!と切に願っていたのです

 でも、娘が高校1年生の頃だったでしょうか。
多感な時期の真っ只中にいた娘と私は、何となくぎくしゃくする母子関係にあり、その頃の私はよく娘に「あなたは愛想が悪い!ニコリとしない子ねえ・・・」と注意をしたものです
 私の言う愛想とは、表情としての「笑顔」だけではなく、会話中の言葉、表現力、すべてに関係する「人を和ませるような愛らしさ」とでも言うものでしょうか、そういう意味での「愛想」が娘には欠けている、と思っていたのです。
 また、頻繁に「あなたは言葉が足りないわよ。言葉足らずは、心足らずよ」と、娘を諭したのもこの時期だったでしょう。
 
 そんなある日のこと。いつものように、無愛想(だと私が感じた)な娘に注意をしたところ・・・娘は、もう我慢できない、という思いを発散させながら、涙を流して私に訴えました
 「ママ、私はママのようには笑えないの!一生懸命に人に微笑もうと思う!ここで笑顔を作れば、どんなに相手が和むことだろうって・・・でも、そう思えば思うほど、顔はこわばり、笑顔にならない・・・優しい言葉で話そうともしているのよ。でも、どんなにそう思っても、自分の気持ちとは裏腹にうまくいかない!私は、ママのように自然には笑えない・・・笑顔になれないの
 ショックでした・・・ ひたすら、ショックでした・・・私は、娘の真剣な訴え、ぽろぽろと流れる涙に、ただただ驚き、かける言葉が見つかりませんでした。
 
 何て可哀想なことをしてしまったのだろう・・・確かに、娘が豊かで、誰からも愛される美しい心を持った女性になるために、との思いから、教えるべきことは教え、母親としてのアドバイスを欠かしてはいけません
 でも・・・
そうだったのですねえ。世の中には、自然に微笑んでしまえる人と、なかなか思うように笑顔になれない人がいる・・・私はその時、初めて、そのことを実感した気がしました。
 「私は自然には笑えない!」そう必死に訴え、嗚咽する娘を眺めながら、私は娘が不憫でたまらなくなりました
 そして同時に、「嫁、姑、小姑」等、ドロドロとした複雑な人間関係の中で、幼いながらも常に人の顔色をうかがうように暮らさなければならなかった窮屈な環境にも感謝しました。思えば、ああいう大家族の生活は、人間関係の「修行の場」でもあったのでしょう。

 さて、その我が娘
無愛想だと再三私に注意されていた娘は、すっかり大人になり、今では「Mちゃんはいつも笑顔・・・本当に愛想の良いお嬢さんねえ・・・」と言っていただける娘になっています。いったい娘に何が起こったのか???

 中学、高校の多感な時期、彼女は女子校の生活の中で人間関係で悩み、もまれ、多くを感じ・・・「人とは?人間関係とか?自分とは?自分の表現方法とは?」というような多くのことを学習したでしょう
 そして14年間のカトリック校生活を終え、大学に入ってからは、今までとは180度違う価値観のバンカラな環境の中で、面食らうこと、戸惑うこと、変身を求められることも多かったはず
 3年間のコーヒーショップチェーンでのアルバイトでも、常に「人と接する事」「サービスをする側の人間としての心遣い」等、お客様に満足をしていただけるよう、神経を使っていた、と言います。
 きっとこの数年間で、娘は家庭の中ではなく、彼女の生きる社会の中で「修行」を積んできたのでしょうね。そして、その修行が実を結び、ほぼどんな時でも、パッと笑顔になれる人間性が備わったのだ・・・親バカではありますが、そう思っています

 でもね、母親として・・・最近になって、やっぱり思うことがあります。
確かに、DNAに由来する人懐っこい人間性が、自然な笑顔の源になり・・・生活環境の中で培われる処世術としての笑顔もあり・・・けれど、それでもなお、笑顔とは「心がそのままで反映されるもの、心に由来するもの」ではないだろうか・・・と。
 最近、娘はよくリビングに来て、私を相手に話し込んでいくことがあります。アルバイト先での出来事、自分が感じたこと、誰かが言っていたこと・・・そんなことを、楽しそうに、けれどとても一生懸命に話しています。そんな娘と接していると、痛いほど伝わってくるのです。
 それは・・・彼女が昔、世の中でたった一人の母親から、それも「笑顔が良い」と評判の母親から、「あなたには愛想がない あなたは笑わない」と真剣な顔で注意を受けていた頃・・・彼女はどんな気持ちだっただろうか? たとえそれがとても大切な忠告だったとしても、「なるほど・・・」などと、真摯な気持ちで受け止められただろうか?

 あの頃・・・娘は、安らげるはずの自分の唯一の家庭で、不幸せな気分で暮らしていたのかもしれません 少なくとも、すこぶるハッピーだった、とは言えない・・・
 学校でも人間関係で悩み、何となく気分優れず、家庭でも母親から「あなたには愛想がない」と、ある意味、女性としては致命的に思えるようなマイナスを指摘され 娘は持っていき場のない情けなさを抱えていたに違いない・・・
 今、娘が笑顔で表情豊かに話す様子を見ていて、私はやっとあれから5年以上も経って、「あの頃の娘は、笑顔になれるほど、幸せな気持ちにはなれなかっただろうな・・・」と気付きました。
 今の娘は、多くの人から「あなたの明るさ、いいですねえ!あなたの笑顔は素敵です」と言われ、彼女自身が「幸せな気持ち」で安心して暮らしていること・・・
 母親から、「あなたは愛想が悪い」と指摘されることもなく、平安な心で母親との関係を保てるようになったこと・・・
 このことが家族の一員としての娘を「幸せ」にしたのだと思えてなりません
 言い換えれば、娘は今、母親に「愛されている」実感、母親に「私の娘は素敵だ」と思ってもらっている実感があるでしょう。その大きな安心感が、今の娘の笑顔の源のひとつになっている・・・違うでしょうか。

 地下鉄の窓に映った私の怖い顔・・・やっぱり、それは気にかかることや、心配事が多い時の顔です (超氷河期の中での就職活動・・・やっぱり口に出して聞いたり、話したりできないぶん、とても心配で、不安でなりません。はやく決まればいいなあ・・・)

 人は誰だって、気持ちが満ち足りている時には、自然に笑顔になるものですものね
 我が子が笑わない時・・・我が子の生活から笑顔が消えている時・・・それは、お父さんやお母さんも笑っていないとき、かもしれませんよ

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値打ちの話

2010年04月09日 | う゛う゛ー
 この間の日曜日は「今日はポカポカ陽気になる見込み・・・お花見に最適の気候です」という天気予報が大ハズレし、冬に逆戻りしたような寒い一日でした
その日、私は埼玉県の幸手市で開催された「さくらマラソン」の応援に行きました 今回は10マイル、という珍しい設定。10マイルと言えば、16キロなんですね。
 半年ぶりの熱海のレースで、やっと5キロのランで復活したばかりの私は、「16キロ」の設定に恐れをなし、早々と応援!と決めました

 幸手市は、江戸時代から「桜・お花見」で有名な土地らしく、町中には立派な桜並木があり、ランニングコースには、利根川の支流である川沿いの道の桜並木と満開の菜の花・・・という黄色とピンクの対比が美しい場所もあったそうです。(残念ながら、今回は走らなかった私は、この絶景を見ていません)

 いつもは、ランニングでかいた汗を流すためにシャワーやお風呂を探す私達のチームですが、今回は「あたたまるため」のお風呂探し レース終了後は、タクシーに分散して、スーパー銭湯のような入浴施設に急ぎました
 10分ほどで到着。たまたま、助手席に乗られた方がタクシー代を支払ってくださることになりました。大学を卒業して、早々と起業し成功したバリバリのビジネスマン 日頃からよく気の付く、気遣いのできるメンバーです。まだ30代半ばの男性ですが・・・お財布を探りながら、運転手さんにこう言って代金を支払われたのです。
 「運転手さん、ごめんなさい この千円札、ボロボロです 少しでもマシなお札がないか探したんですけれど・・・さすがに失礼ですよねえ、すみません。ほんと、ごめんなさい
 私はちょっと驚きました。確かに、運転手さんに手渡された2枚のお札のうちの1枚は、かなりヨレヨレでした
 とは言え、「お札はお札、お金はお金」であることは確か、です。状況からすれば、千八百○十円の運賃を支払うために、1000円札を2枚出した、というだけのことです。何も間違いはありません

 でもね。
この男性は、「ヨレヨレになった古いお札を支払うこと」に躊躇し、何とかそれを回避しようとしたけれど、それが出来ず、非礼を詫びた・・・ほんの1分にも満たない出来事でしたが、私はこの一連のことを見ながら、この方の育ちや品格に触れた気がしました

 私は10年以上前から「新札、新券」についてよく話題にします。むかーしからお付き合いのある方々は、「ほ~ら来たよ~、先生、よほど話題に事欠いたのかしら??」なんて思われるかもしれませんね でも、また敢えて!
 私のお教室に入会していただく時も、これほどまでに紙媒体を利用しないようにしているにも関わらず、わざわざ諸費用に関するプリントをお渡しし、お金やお金の支払い方について記載しています。それはなぜなのか?お考えになったことはあったでしょうか?

 比較的、お金の話題というものは(よほどの経済問題でもない限り)、人との関わりの中ではタブーですね 昔から、それを話題にすることは、「はしたない行為」だと昔から考えられているからでしょう
 けれど実際には、お金を支払う、という行為は、生活全般についてまわります そして、お金の扱い方、支払い方等は、その人の育ち方や考え方、家庭環境に大きく関係する、いわばその人の「品格」を如実に表す行為です。
 私は50歳を越えた今でも、さまざまなシチュエーションで「お金を渡す(支払う、お祝い、お悔やみ、すべてのお金関連の行為)」場合には、とても気を遣います。やはり、ここにこだわり、そつなくスマートにこなせることが社会人として、大人として、親として、とても大切だと思っています

 「新札、新券」については、このブログにも書いたことがありますし、ブログが始まる10年ほど前には、「お母様、ちょっとお耳を・・・」というHP内で月に一度更新していた手記にも書いたことがあります。
 一度は、そのことがコワ~イ受験ママゴンの目に留まり、受験関連の掲示板で、「この先生は細かいことにうるさく、ペーパーやテストの点数に関係ないお金やお金の支払い方にまで言及する」と非難囂々 たたかれた恐ろしい経験もあります。(またまた、懲りもせずに話題にしているところが、私の私らしいところ、です)
 でも、年度があらたまった今、いろいろな場面でお金を扱われることも多いかと思いますので、あらためてみなさまに「むー、なるほどねえ・・・」と考えたり、感じたりしていただくため、再度(再々度?)この話題に触れたいと思います
 以前に書いたものを、もう少し分かり易く、短くして、お話しをしましょう

 昔むかし、NHKの大阪局で制作されたドラマに、昭和初期の「船場」の商家を舞台とするものがありました。そのドラマの一場面・・・長年、その店に勤めてきた番頭さんが、嫁いできたばかりの若奥さんに語るセリフが素敵だったのです。
 シチュエーションとしては、経験不足で未熟な若奥さんの失態を隠そうと、助けてくれた番頭に対して、若奥さんがお礼の気持ちだと言って、ちょっとした額のお金(お札)を祝儀袋に入れて渡すシーンです。

 「若奥さん、ありがとうございます でもねえ、これではいけません 奉公人である私が相手だとしても、これではあまりに失礼です。もし、本当に若奥さんが本当にうれしい、ありがたいと思ってくださったのであれば、きちんと私に渡してくださるお札には、ぴしっときれいにコテを当ててくださったものでなければなりません。こんなに古くなり、ヨレヨレになったお札がそのままで祝儀袋に入っていては、若奥さんのお気持ちも半分になってしまいます 頂戴する額がたとえ同じ額だとしても、きれいなお札と使い古されたお札では「お金の値打ち」が違うのです。きっと若奥さんは、古いお札も、新しいお札も、みな同じお金、そう思っておいでなのでしょう?それは違うのですよ。新しいお札や、コテを当てられたお札には、値打ちがあるのです

 いかがですか?どう思われましたか?
私が幼い頃、お稽古ごとに持っていくお月謝袋を母に渡すと、必ず母は、決まった引き出しの中の封筒から新札を出し、きちんと同じ方向に向けて、念入りに入れてくれました。幼い頃の私は、あまりその理由に関しては考えることもなく、ただただ「お稽古ごとの  月謝は、引き出しの中の、銀行の封筒に入った新しいお札を入れるもの」というふうに思っていました。
 封筒から出したお札を数え、うやうやしく、目を閉じて頭の上まで一度おしいただき、お月謝袋の中に入れる・・・今思えば、それが一つの礼儀であり、同時に、母の各先生に対する無言の敬意の気持ちだったのでしょう。

 私は、卒業生のお母様方から、よく言われることがあります。お世話役や役員さんなど、学校で集金をされるようなお仕事に就かれると、いろいろとお感じになることが多いご様子・・・
 「日頃はみな同じように見えているお母様方でも、実際にお金を集めるような機会があると、一人一人のお人柄等が手に取るように見え、ちょっと複雑ですね。みなさまには、同じ額を提出してくださるのですが、実際には、その方の『お人柄』まで一緒にいただいた気がしてしまいます・・・」
 会費や積立金のようなものは、ほとんどの場合、事前に金額が知らされているものです。その時、その日、突然に支払うことのほうが少ないですね。
 要するに、事前に「支度をする、準備をする、用意をする」という時間は、ある、のです
 にも関わらず、お世話役の方の目の前にいらして、恥ずかしい様子も見せずに「えーっと・・・いくらでしたっけ?」と平気でお財布を出されるお母様・・・平気で1万円札を出され、全くお釣りのことをお考えになっていないお母様・・・
 その一方で、決まった額をきちんと封筒に入れてご用意なさり、「ごくろうさまです ご面倒をおかけします」と役員さんの労を労い、提出なさるお母様・・・封筒の中には、きれいな新札が入っている・・・
 受け取る側は、こういうふうに様々な対応を見せるお母様方と接していると、やはり、それぞれの方から「同じ」ものは感じない・・・そりゃあ、そうでしょうね

 さっきの番頭さんのお話し風に言えば・・・新札と使い古しのお札の値打ちの違いは、まさに「いくらでしたっけ?」とお財布を開く方と新札をきちんと用意された方の「人の値打ち」の違いになるのでしょう

 幸手のマラソンの日、タクシー代金を支払ってくださった方・・・きっと、「あまりにヨレヨレになった古いお札で支払うのは、運転手さんに失礼だ・・・申し訳ないなあ・・・」そういう意識、そういう思いを持たれるような教育をご家庭の中で受けてこられたのでしょう。たんに「仕事ができる」とか「頭脳明晰」とか、そういう無機質な人間的価値だけでなく、人と人とが関わり、互いに影響しあって生きていく上での「人間としての値打ち」が身に付いて育たれたんだなあ、と思い、あたたかいものを感じながら、私も一緒に運転手さんに頭を下げました
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