まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

雨の音

2008年06月29日 | にこにこ
 最近のブログを読み返し・・・
私も年をとったのでしょうか、妙に文句が多いですねえ 「昔は良かった」「私の時代は・・・」「最近の若い人は・・・」いやいや、嫌われるオバサンの典型の慣用句です

 まあ、私は決して文句と批判で終わろうとしているのではなく、一つの提言をして、「考えて欲しい」というのが真意です
 是非、私のブログを読み、なるほどねえ・・・ とか、むーそれは違うんじゃない・・・ とか、やな人だなあ・・・ とか、何かを感じ、考えるチャンスにしてもらえればいいなあ、と思っています

 さてさて。
関西から関東にかけて早々と梅雨入りをしてから、そろそろ1ヶ月。当たり前とは言え、雨の日、多いですね
 今年の梅雨は、九州地区の豪雨や、東北の地震被災地付近の二次災害懸念や、そういう深刻な問題が多く、「アジサイの上のカタツムリ」のような、ほのぼのの雰囲気ばかりでは論じることができませんが・・・
 その「雨」です。
みなさんは、真剣にその「雨の音」を聞いたことがありますか?雨ってね、素敵な「音」があるんですよ
 傘を差して歩いている時には、雨粒が傘に当たる音がしているのです。まわりの車の音や、人通りの多いところでは、話し声などに気をとられて聞いていないかもしれませんが、雨脚が強くなったり、弱くなったりは、目で確認しなくても、傘に当たる音だけで瞬時に判断することができます(まあ、もちろん、バタバタバタと音を立てるような強い雨では、子どもを連れて、雨の中を歩くことはなさらないでしょうが・・・)

 車が走っていく時、路面の雨をかき分けていく音もします これも、車の大きさによって全く違います。トラックやダンプカー、バスなどは、ザーーーーッという音がしますし、乗用車の場合は、シャーッという音がします。車体の重さによって、路面への抵抗?が違うからなのでしょうか。
 そして、家の中からでも、雨の音は聞こえます。窓をあけると、きっと、雨の音が聞こえるはずですよ。
 我が家はご存知の通り、ベランダ側の窓を開けると、真ん前が桜の大木だからでしょうか。ザーっという音だけではなく、時々、その音とは違う音も聞こえたりします。雨が木々の茂った葉っぱにあたり、きっと違う音を生み出しているのでしょうね

どこのメーカーだったかは覚えていませんが、みなさんは補聴器のCMをご覧になったことはあるでしょうか?
 とっても健康的な若いボディーボーダーのお嬢さんが語られるのです。
「初めて補聴器を付けた時のこと。ザーッと音がするから何かな?と思ったら、それは「雨」の音だった。ああ、雨にも音があったんだ、って、とても感激した」という内容でした。
 私は、初めてそのCMを見た時に、泣けてきました 幸い健常者として生まれておきながら、多くの人は自分の身のまわりのことを「当たり前のこと」として感じ、何事にも注意を払わず、感謝もせず、安穏と生きているのだ・・・と思うと、その女性の感性を、何よりも尊いものだと感じたのです

 雨が降ると、子どもを連れての外出は、本当に億劫ですね 車移動であったとしても、それなりの面倒さはありますし、ましてや、子どもにレインコートを着せて歩かせるのは大変。
 また、ほとんど役に立たず?オモチャと化している小さな子どもの傘を見るのもストレス・・・ですね。

 でも、万物を潤す恵みの雨としてだけではなく、雨には、もっと違う顔もあるのですよ たまには、お子さんと一緒に耳をすましてみませんか?

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脳の力

2008年06月22日 | にこにこ
 私の教室のご近所に、有名な知育の教室があります そこに通う子ども達には、3歳児弱くらいに見える「未だオムツ?」と思えるようなお子さんもおいでになって、日本の家庭の教育熱の強さを実感します
 独特のメソッドで、本当に小さい頃から脳を鍛えるトレーニング法。決して揶揄するのではなく、一つの実験として、そのトレーニングをした子と、しなかった子に、それ以降、全く同じ教育環境のもと、同じ教育を施した時、成長の段階でどんな違い、どんな差が出てくるのだろう?と、とても興味があります

 私は、自分の子どもの成長過程で、さまざまなことにこだわりを持って育ててきましたが、それらすべては「基本は家庭である」という思いに基づいたこだわりだったため、今思い返せば、あまりまわりに影響されることがありませんでした
 そういう意味では、世の中の当たり前のお母さん達のように、「頭を良くするためには○○法が良い」とか「賢い子に育てるためには、○○教室が有効」というような情報に耳を傾けることがなく・・・果たして、それが我が子に吉だったのか?凶だったのか?時々、その教室の幼い生徒さん達の登塾、降塾風景を見ながら考えることがあります

 ただ、先日、ちょっと印象的な光景を目にしました
 教室の最寄り駅の改札口は2階にあり、改札前にはスーパーやパン屋さん、コーヒーショップなどがあって、そのスペースは、都合の良い待ち合わせ場所になっています。常に大勢の人が行き交うところです。
 平日の午前中は、小さな子どもを抱っこしたり、ベビーカーを押しながらお買い物にいくお母さま方の姿あり・・・
 午後になると、電車通学の我が子を待つ母親達の姿も多く見られます。深夜になると、今どきの格好をした若者達がしゃがんでしゃべっていたり・・・
 そのスペースには、その時間によって、いろいろな顔があり、私はよく、そんな光景を、わざわざ人間観察のように眺めることがあるくらいです

 その日は雨で、そのスペースの床面は、閉じた傘からしたたり落ちる水のしずくで滑りやすくなっていました
 私は郵便局で用を済ませて、そのスペースに登っていきました。まだ2階まで上りきらず、スペースが見えない階段の途中から、すでに、かなり大きな「子ども達の嬌声」が聞こえていました それも、言葉にならない声?とでも言うのでしょうか。
 たとえば、小学生が「おい、待てー!」とか「何やってんだよー!」みたいな声ではなく、単なる「キャー!」とか「キャキャキャ!」とか・・・なのです。
 2階に上りきると、その声は、コーヒーショップの前で、ずらりと腰を下ろした3歳児くらいの声であることがわかりました
 ベンチもなければ、椅子もない、単なる「段差」しかないスペースに、小さな子ども達が7,8人、ずらっと並んで座っているのです
 そこは、まさにコーヒーショップの入り口で、その段差のところには、ショップの出入り口である自動ドアがありました。当然、子ども達が動くたびに、その自動ドアは開いたり、閉まったりしています

 その子ども達の端に、一人のお母様が立っていました 子ども達、それも、かなり小さな子ども達が店の前に並んで座った光景は、ちょっと異様だったので、嬌声もさることながら、その整列着座?!に、行き交う人達もみな目を留めて通っていくようでした。
 
 きっと、子ども達の横に立っているお母様が、あまり頓着なさらない方だったのでしょう。子ども達の声にもあまり気を留められることもなく、走り回って滑り、転んだ子どもを見ても笑っていらっしゃるだけで、「ごーん」とかなりの音がして頭を打ったようでしたが、ご心配をなさる様子もありませんでした
 私のように、人の目をかなり気にするタイプの人間にとると、好奇の目?非難の目?にさらされることが最も辛いことですが、あの時ばかりは、本当に人は(母親は)それぞれなんだなあ・・・と、あらためて実感したものでした
 あまりに子ども達の声や様子にばかり目がいき、はじめは気づかなかったことでしたが、どうも、その子ども達は、お稽古の帰りで(全員が、同じ色、同じ大きさのリュックサックを背負っていました)、同じ班?同じクラス?の子ども達が同行されたママ達と一緒に駅まで来ていたようです。そして、一人のお母様が子ども全員を預かり、他のお母様方は、スーパーにお買い物にいらした・・・ということのようでした。

 帰り道。
私は、一人の教育者のはしくれ、として、真剣に考えてしまいました
「知育って何なんだろう?」「幼い時期から始める脳トレーニングとは?」そんなことが、頭の中をぐるぐるとまわりました。
 いつもの私なら、この話題を提供し、暗に「知育も良いですが、『お行儀』『躾』『公共でのマナー』を教えるのも大事で、それも大きな親の役目ですよ」と、少々批判的にこの出来事を読者のみなさんに提供するのですが、これは、全くそういうことを意図した話題ではありません
 今回は、まさに自分の頭の中で、「それと、これとは区別して考えたい」という気分なのです。

 昔から、多くの研究者、教育者が、決して大袈裟ではなく、国を超えた人類の進化、文化の向上のために研究を重ねてきた「脳の力」
 脳の力を向上させることは、人が生きていく上で、どんな意味を持っているのでしょうか?
 また、子どもの成長過程で、どういう方面に、どのように影響していくのでしょうか?
 人としての力「人間力」と、脳の力との関係は???
 「能力」と「脳力」はどこまで関係しているのか??

 あの日から、私は、ずっとずっと考えています・・・
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お母さんは鑑、です!

2008年06月16日 | にこにこ
 私の父の誕生日は6月10日。世の中には浸透していませんが「時の記念日」生まれです。昔から時計好きで、いろいろと腕時計のコレクションがあったり(じつは、私も腕時計が大好き。これは父譲りなのでしょうねえ)、とても時間に厳しかったり・・・そんな父のことをいつも、母と私は「なんてったって、時の記念日生まれの人だからねえ。」と話したものです
 そんな父のお誕生日のお祝いをすべく、私は土曜日の夜、大阪の実家に来ました。
 昨日の日曜日は「父の日」です。本来は「お誕生日」と「父の日」を別にすべきでしょうが、結婚後は、ついつい一緒にしてしまいます

 土曜日、夕食後の時間に実家に着いた私に、母は・・・
 「とっておきの水ナスがあるんだけど、おいしいお茶と一緒にどう?」と満面の笑顔 きっと、これだー!!という水ナスの糠漬けを見つけたのでしょう
 着替えてダイニングに戻った私の目の前に、じゃじゃーんと現れたのは、ツヤツヤ紫の水ナス
 小さな塗りのお盆の上、赤絵の小鉢に盛られた「お漬物」は、それ以上の価値を与えられているようでした

 私は、大阪府堺市の出身です。
豊臣秀吉の時代に栄えた自由都市で、町のあちこちには千利休やフランシスコザビエル等、堺にゆかりの名所旧跡がたくさんある土地柄です
 そして、堺は「泉州」の中心地。最近ではすっかりグルメの中では有名になった「泉州の水ナス」は、すでに私の幼い頃から「夏の味覚」でしたし、お漬物だけではなく、和風のサラダなどにしてもよく食べました
 
 水分の多い水ナスは、すりこぎでとんとんと叩くと、簡単に手で裂けるようになり、母はそこに刻んだミョウガ(これも夏のもの、ですね)や大葉を入れ、さっとお醤油をかけて浅漬け風サラダにして「夏を感じる一品」を作っていました
 
 一夜明けた朝食の時間。またまた登場した一品
私がお膳立てをしていると、耳元で・・・
 「あのね、あなたが来るから、おととい、新ショウガをつけたのよ」と、またまた満面の笑顔
 熱々のご飯と一緒に登場したのが「新ショウガの甘酢漬け」。鎌倉彫の小さなお盆の上には、切子のガラス器に入った新ショウガ。
 いやー、これもまさにこの時期の「旬」なんですよねえ
 ショウガ好きの私は、子どもの頃から「紅ショウガの薄切りの天ぷら(これは、大阪でしか目にしませんねえ、とても残念です。おいしいですよ!)」と並び、この甘酢漬けが大好きでした

 私のブログによく登場する母ですが、実際にはあまり目立たない、控えめで「天然」の老人です
 長年、暴君(!?)だった父の後ろに控え、自分の意見や判断を求めてもらえない理不尽な生活に甘んじるしかない、という気の毒な人でした まあ、昭和一桁生まれの女性には、そういう境遇の人は多かったものです。
 しかし、そういう状況のもと、会社創業時から父の右腕として経理の仕事をし、社員からは秘かに父以上に信頼が厚く、今でも週に4日は現役で出社しています
 その一方で、家庭にあっては「優しく、有能な母」だったと思います。
 私は、幼い頃からたった一度も母から怒鳴られた記憶はなく、また、面と向かって何かを教えられた、ということもありません。
 ひたすら、私は母の日ごろの何気ない言葉や、当たり前の行動を見て、「女性のいろは」を学んだ、という気がしています

 その母は、頻繁に「私のお母さんはね・・・」と語りました。要するに、私の「母方の祖母」ですね。
 残念ながら奈良に住んでいた祖母とは、私は頻繁に会う機会はなく(長男の嫁、だった私の母は、父方の祖母や、父の兄弟姉妹と同居していましたので、思えばそれほど実家に行くことは許されなかったようです)、たくさんの思い出というものはありません
 けれど、和歌山の商人の娘として生まれたという母方の祖母は、楚々とした女性で、とても上品な人だっだ、ということはよく覚えています 晩年は不遇で、母は未だにそれを憂いています

 母は、その「自分の母親」から、たくさんのことを学んだ、と言います。
 「おばあちゃんはね、○○を作るのが上手だったのよ。」
 「お祭りのとき、おばあちゃんがたくさん作る△△はね・・・」とか。
 母が思い出話しとして語る祖母像は、やっぱり「母の鑑、妻の鑑」でした

 今の私は、諸々の雑用をするため、父の車椅子生活で、出かけにくくなった両親の外食をサポートするために、月に一度、必ず帰省をしているわけですが、毎回、母からは多種多様のことを学びます。年をとって、同じことを何度も言うようになったり、少々反応が鈍かったり?昔のまま、ではありませんが、それでも、母を見ているだけで「ほほー・・・うんうん・・・」と思うことは多いものです

 すでに、私がさりげなく書いていることの中でお気づきになった方もおいでになるでしょうか・・・
 今回の帰省で、あらためて私の目を惹いたのは、頻繁に登場する「お盆」でした。
 お台所からダイニングテーブルまで食事を運ぶときはもとより、父のヘルパーさんにおしぼりを出すときも、仏壇のお水を替えるときも、その時々にマッチした「お盆」が使われます
 当然、私の独身時代もそうでしたし、母が慌ててお盆を使わずに何かを出すときには「手盆でごめんなさいね」というフレーズをよみ耳にしました。
 けれど・・・今の私がお盆を使う機会は、きっと、母の半分くらいしかありません

 食事の後、母が父の世話をしている間に、私はキッチンの後片付けをしました。そのとき、食器を片付けてあるキャビネットの反対側の、比較的小さなスペースに、いろいろな大きさ、いろいろな種類の「お盆」が並べられてありました
 今までの帰省では、不覚にも気づきませんでした。母は、ここから、その時々に応じた大きさ、材質、デザインのお盆を選び、使っていたのですね・・・

 私はあらためて母を眺めながら・・・
きっと母は、自分の母親である祖母の後姿を見ながら成長したのでしょうね。そして、娘の私は、その母を見て、大人になりました
 ああ・・・私の娘も、今は学生生活を謳歌していますが、やっぱり、折に触れ、私を見ているのでしょう。

 季節を感じる献立然り、随所で使われていたお盆然り・・・私は、まだまだ母には全くかないません
 30年後、私の娘は私を見て、どんなことを思うのでしょう

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言葉遣いは親しだい?!

2008年06月08日 | にこにこ
 先日、おもしろいことに気づきました
今から10年以上も前になりますが、夫はインドネシアのジャカルタに3年間駐在しました。その後も、5年ほど前に1年。いずれも単身赴任での駐在でしたが、私も子ども達も、夫のジャカルタ駐在中は、何度も何度もインドネシアを訪れました
 みなさんもご存知かもしれませんが、発展途上国、それもイスラム教国家での駐在では、「バクシシ」という考え方があり、富める者は、貧しいものにほどこしをするのは当たり前、という考え方があります 当然、日本の駐在員達は駐在中、家庭でメイドや運転手などを雇い、「自分で何もかもする」というような節約をせず、富める者としての役割を果たすのです
 夫は一人暮らしではありましたが、やはり、住み込みのお手伝いさんと、運転手がいました

 年に数回、私が夫のところを訪れると、私は完璧に家事から解放されます それこそ、夫の下着にまでアイロンがきれにかけられて戻ってきますので、私はピシリと畳まれたものを、クローゼットに片づけるだけ。
 しかし この生活には、ある意味、落とし穴があったのです
 それは何か?と言えば・・・我が家のメイド(インドネシアでは、メイドさんのことをプンバントゥ、と呼びます。シティというのが、我が家の有能で、非常にクレバーなプンバントゥでした)さんは、私がジャカルタの家にいる間は、「私」に従って、家事をしてくれる、のです
 夫しかいない時には、彼女のご主人様は「夫」ですから、洗濯の仕方も、家事の仕方も、そうじの仕方も、夫が文句を言わない限り、または夫が「○○は~~~のようにしてね!」とお願いしない限り、彼女は、日本人に仕えるプンバントゥとして、彼女なりに考えて行動してくれていました
 しかし、妻の私が行くと、彼女は当然のこととして、その家の「奥様」の家事の方法を忠実に守ろうとしてくれるのです
 特に食事に関しては、献立も、その献立のための野菜の切り方、炒め方、煮方、調味料の量、入れるタイミングまで、私に尋ねてくれます

 おわかりになりましたか?
そうです 私は、私や子ども達の滞在中、自分達が気持ちよく過ごすために、プンバントゥのシティに、私流に動いてもらうためには「私が指示をださなければならない」ということです。
 何語で指示を出すのって??インドネシア語ですよ、インドネシア語

・・・ということで。
 私は、夫の駐在中、暇さえあれば、インドネシア語の勉強をしました 現地で暮らしていれば、常に耳から言葉は入ってきますし、毎日使いながら勉強していくので、学習も捗るのですが、なにせ、日本で独学をしているわけです 正直、大変でした・・・
 
 私は、外国語の学習が大好きで、勉強すると、すぐに使いたくなる人です また、たぶん、比較的、音楽的に耳が良いのだと思うのですが、外国語学習をしていていると、それが何語であっても、案外、正確な発音ができます。(通じれば良い、と思うのではなく、同じ話すなら、発音も正確にしたい、と考えているからかもしれませんが)
 とは言え、日本でテキストを前に一人でぶつぶつと言っていても、応えてくれる相手はいないですし・・・英語とは違って、そうそう、インドネシア語が話せるって人も日本には少ないですから。

 しかし、そんな困難なインドネシア語学習でしたが、ラッキーだったのは、インドネシア語が「アルファベット」を使って書き表す言語だった、ということです
 インドネシアという国は、赤道上にある、1万7千以上もの島から成り立つ、東西5000キロにも及ぶ国家です。ですから、ひとくちにインドネシア人と言っても、それはそれは多くの民族が暮らし、使われるローカルな言語ももともとは非常にたくさんあるわけです。
 そんなインドネシアが、第二次世界大戦後、日本の統治から独立を果たし、統一した国家となった時、「基本的に話す標準語」として、マレー語をベースとした「インドネシア語」が生まれました
 要するに、国家の共通語として、わかりやすい言葉が制定され、その言語を書き表す文字はアルファベットとなりました。

 つい最近、友人がご主人の転勤についてカンボジアのプノンペンに行かれました。少し生活の落ち着いた彼女から来たメールには・・・
 「言語であるクメール語の『音』には慣れそうだけれど、その文字は、ほとんど模様のようです」とありました。
 そう、文字、言語を「アルファベットで表記する」ことが、いかに日本人である私達にとって、馴染みの深い、理解しやすいものであるか、・・・

 それをまさに実証するように・・・
最近、テレビのクイズ番組で人気の「おバカキャラ」と呼ばれるような人達も、たとえば「telephone」を読めと言われた時、「テ・レ・プ・ホー・ネ」などと間違って読んだとしても、少なくとも、全く「読めない」ということはないわけです
 しかし、そこに書かれた文字が、それこそクメール語だったらどうでしょう?それとも、韓国語を表記するための「ハングル」だったら?「アラビア文字」だったら?きっと読めないでしょうね
 それほど、アルファベットというものは、私達にとって身近で、チンプンカンプンではない文字なんですね

 そうそう、話を元にもどします。
そんな駐在の経験もあって、私達夫婦は、時々、無性にインドネシア料理が食べたくなります インドネシア、などと言うと、なかなか馴染みのない国だ、と思われがちですが、みなさんに馴染みのあるリゾート「バリ島」はインドネシアですから、そう言えば、「なーんだ!」と思っていただけるのであないでしょうか

 そして、この間の日曜日も、夫が、六本木1丁目にインドネシア料理のレストランを見つけたらから、行ってみよう!ということになりました
 大きな商業ビルの一画にあるそのお店は、従業員のほぼ全部がインドネシア人のようでした。
 注文を聞きにきてくれるチャーミングな女性も、厨房でお鍋をふっているコックさんも、みな、インドネシア人。私の頭の中では、思わず・・・
 「オラン ブックルジャ ディ スィニ、スムア オラン ダリ インドネスィア?(ここで働いている人は、みな、インドネシアから来た人ですか?)」という文章が浮かびました。
 夫に、その文章を話すと爆笑し、「はっはっは!まだまだ十分、インドネシア語は覚えているんだねえ。びっくりしたよ」と言われました。

 私達はメニューを開き、日本語の下に記載されたインドネシア語のほうを、思わず見て、読んでいました。
 その時、私はあらためて思ったのでした。
 「大人になってから覚える言葉は、耳からだけではなく、ある程度は「目(文字)」でも覚えるのだなあ・・・そんなふうに、耳と目と、両方で確認しながら覚えるから、しっかりと覚え、長い間記憶しているのだろうな・・・」と
 それが良い証拠に。お恥ずかしながら、高校2年生の春に、友好訪韓団のメンバーとして、韓国を訪問して以来、私はずっと、死ぬまでに韓国語を学び、観光目的だけではなく、相手の母国語で、腹を割って話してみたい!そういう夢があります。
 一時はそれを実現させるべく、個人レッスンで韓国語を勉強しましたが、どんなに意欲はあっても空回りし、十分に復習ができないと、過老のせいも手伝ってか、なかなか身に付いていかない、覚えられないのです
 なぜなら、英語やインドネシア語と違い、テキストを見て、即座に読もうとしても、実際にはハングルはスラスラとは読めるほどまでなっていなくて、一字一字を、ぼつ・ぼつ・ぼつ・・・としか読めず・・・「telephone」のようにはいかないのです

 では、私達が母国語を覚える時はどうでしょう?
そう、私達は、文字が読めない幼い時期から、「耳で聞いて」言葉を覚えていきます。頼りは、「耳」だけなんですね
 でも、柔らかい頭は、どんどんと聞いた言葉を認識し、口に出してリピートし、そのうちに自分のボキャブラリーにしていく・・・これを、無意識の間に、子ども達は毎日、毎日、繰り返しているのです
 そのことをあらためて、久しぶりに「インドネシア語」を見ることによって、思い出しました

 そんな、「耳だけを頼りにして、母国語である言葉を覚えている子ども達」の絶対の先生は、子どもの最も身近なところで、自分が「先生」であるともあまり意識せず、ペラペラと話している親なんですねえ・・・
 正しい発音で、正しい言葉を、子ども達が身につけていくかどうかは、毎日、ペラペラと話している親次第、です

 成人した娘の話し方が、「だんだんとママに似てきたわね」と、最近、友人に言われました。
 きゃー 20歳を過ぎて、母親との時間が極端に少なくなった今も、娘はやはり、私の話す言葉を聞いているのですね・・・
 
 母親の話す言葉の大切さ。私も肝に銘じます
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人の目を気にする

2008年06月02日 | にこにこ
 満開の桜が美しい桜吹雪に変わる頃、お親しくしている若いご夫婦のところに、初めての赤ちゃんが誕生しました パパやママに似た、とても利発そうで、ハンサムな男の子ですよ、とお祝いにかけつけた友人から聞きました  
 さまざまな意味で、「恵まれた環境、恵まれた家庭」に生まれたプリンス。きっとこれから、豊かな世界の中で、ご両親の愛情をいっぱいに受けて、幸せな子どもとして育っていかれることと思います

 その数日後、我が家の長男が誕生日を迎えました 知人宅に男児誕生!というニュースの後だったこともあり、私はその幸せな赤ちゃんに重ねて、我が家の息子が生まれた当時のことをしみじみと思い出しました。もう、23年も昔のことになりますが・・・

 23年前。当時の私は、まさに「意気揚々と、母親業に勤しもう」と心に決め、息子を抱っこして寝かしつける時も真剣に歌を歌い、着替えをさせる時にも一生懸命に考えながら着替えをさせる・・・そんな感じでした
 何でもかんでも「適当に」する、というようなことは自分達の中では許されず、妊娠を確認したその時から、古今東西の高名な方々が書いた育児書、流行の子育て本、そんなたくさんのものに夫婦で目を通し、とにかく、「万全の体制で生まれてくる子どもを我が家に迎えよう」と意気込んでいました
 夫方、私方、どちらの家にとっても初孫となる息子は、まさに「宝もの」のように扱われ、みなが「めでたいムード」の中にいたようでしたねえ・・・
 
 私は・・・と言えば、そういうことも十分に意識し、ひたすら、私の夢であり目標であった「良い母になる」を実践する日がやってきたことに高揚し「こだわりを持って育てる」プランが渦巻き、頭の中がパンクしそうになっていた、と思います
 ベッドに取り付けるオモチャ一つにもこだわり、「子どものために良い」と言われるものは、ぜーんぶ実践しよう、と考えていました

 確かに、その中の「いくつか」は、息子の成長の上で大きな役割を果たしたのだと思いますし、そういうこだわりが当時の赤ちゃん息子に「何らかの効果」をもたらしたことも事実でしょう。
 でも・・・今振り返って当時のことを一つ一つ思い出してみると、恥ずかしいほど苦笑することばかりです

 けれど、新米ママの私は、すべてのことに大真面目でしたし、ものすごいエネルギーを使って「母」をしていたのでした

 そして・・・当然のことながら、4ヶ月ほど経過した夏の盛りの頃になって、すっかり疲労困憊し、育児そのものには支障はきたしませんでしたが、かなり私自身は「壊れて」いたと思います
 要するに、私は真剣に「空回り」をしていたのでしょうね・・・今、思えば。

 もし、今の「まどか先生」が、当時の南坊まどかママの子育てを身近なところでを見ていたとしたら??
 きっと満面の笑顔でまどかママのお育てを労い、誉め、そして最後に、愛情を持って言うのでしょう

 「まどかさん、もっともっと肩の力を抜いてね 子育ては始まったばかりよ。何事でも、意気揚々と突っ走ると、必ず息切れをするものです 突っ走る そしてハーハー、ゼーゼー また突っ走る そしてまたハーハー、ゼーゼー・・・ この繰り返しをしていては、あなたは完全にバランスを失うでしょう ママがそんなことになったら、一番あなたが大事にしている息子ちゃんがかわいそうでしょう? 子どもを育てる上で、様々な「こだわり」を持って取り組むことは、とってもステキなことですね 育児に限らず、何に取り組む時にも、こだわりを持たず、意識せず、刹那的に関わるのは賢い人のすることではありません でもね、だからといって、『こだわりを持つ』ことだけで自分で満足をしてしまい、こだわりの育児をしているぞーということに自分で酔ってしまう・・・それでは、自分がステキなママでしょう!と錯覚しているだけですよ もっと謙虚に、新米ママであることを自覚し、賢い母になろうと意識するよりも、「心をこめて」あなたの子どもに接してあげなさい 子育てはね、頭でするものではなく、心でするものよ」と。

 子育て、という作業は、非常に責任の大きい仕事です。
誰に対しての責任か?と問われると、当然、その子に対しての親としての責任、というのが一番
 そして、もう一つ。「社会に対しての責任」「子どもを授けてくださった神様?への責任」でしょうか・・・上手く表現できませんが・・・

 我が子は、自分の子どもであると同時に、将来は、また人の親となって子どもを育てる、いわば次世代を担う人材です そのように考えれば、「自分の子どもなんだから、自分の思うように育てる」というのは、違いますよね

 今では、育児グッズの進化で、新生児と思われるような小さな小さな赤ちゃんを連れて、レジャーやお買い物に同行させる方もたくさんいらっしゃいますね
 今では、ベビーカーも公共の場所で市民権を得ていますので、電車やデパートなどでも、小さな赤ちゃんを連れたご夫婦が、新生児用の大きなベビーカーを押して歩いていらっしゃるのをよく目にします。
 今さら、「私の子ども達が幼いころはね、ベビーカーは電車の中ではたたむものであって・・・」などと、つばを飛ばして20年以上も前の苦労話をするつもりをありません さすがの私も、今ではベビーカーの市民権には賛成ですし、ベビーカーの赤ちゃんをよくあやします

 しかし、大混雑の休日の夕方のデパ地下、行楽地から帰る急行電車の中・・・など、人で溢れる中で、平気で大きな場所をとって、どどーんとベビーカーを存在させているご夫婦を見ると、やはり、そういう状況下では、「もうちょっと、まわりへの配慮はできないかな?」と、やはり少し若いご両親に対して残念に感じてしまいます

 たとえば・・・夕方、混雑が予想されるデパ地下には、ママだけが行き、パパはベビーカーの赤ちゃんと一緒に、比較的広いスペースで、ママがお買い物を終えるのを待つ・・・こういうこともできますよね
 急行や特急を諦めて、比較的空いている各駅停車に乗る、とか。
 どうしても急いでいて、混んだ電車に乗らなければいけないのならば、ママが(パパが)赤ちゃんを抱っこし、パパが(ママが)ベビーカーをたたんで端っこに立つ、とか。
 そういう、他者への配慮は大切だと思うのです・・・

 また、我が子をあやすために、静かな場所なのに、大きな音をたてるオモチャを使って夫婦でご満悦だったり、大きな声で本を読んだり歌を歌ったり、我が子に大声で「ベロベロバー!」などと話しかけたり・・・こういうことも、私にはやはりまわりへの配慮に欠ける行為だと思えてしまいます

 現代は、何でもかんでも「私」が中心の時代
「私」の居心地が悪いのは、気分の悪いことであり、「私」がハッピーであるためには、あまり「私」以外のことは考えない・・・という風潮のようです
 
 子育て中は、その「私」が、「私と私の子ども」だったり、「私と私の家族」だったり、少し「私」の範囲が広がって、意識にあるようです。
 「私と私の子ども」が楽チンであるためには、あまり他人の迷惑は考えないようですし、「私の家族」が楽むためには、他人の目や思考は気にならない、のでしょう

 けれど、こんな子育てを実践していながら、そろそろ幼稚園に行くから・・・と、急に「しつけ」と称して「いいですか?人の迷惑にならないようにね!」などと呪文のように教えたとしても、我が子には通じる言葉ではないでしょう。

 今や、「メ・イ・ワ・ク」は、多くの子ども達にとって、知っている言葉だけれども、本当はあんまり意味はわからない・・・という言葉の象徴のようです

 これからは、ちょっぴり、「人の目」を気にする子育て・・・これを実践してみませんか?

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