まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

生かすも殺すも親次第

2010年02月23日 | う゛う゛ー
 それにしても・・・国母選手、残念でしたね 間違いなくメダルを取るものと思っていました 予選のパフォーマンスを見ていても、驚異的、超人的なゴールドメダリストに負けない技術と表現力があったように思います。

 喉元過ぎれば熱さを忘れ・・・昔から、ウワサは75日と言いますが、オリンピックも終盤を向かえようとしている今、開会式前の騒動はすでに忘れられようとしています
 そのスノーボード、ハーフパイプの国母選手のお話。
私は、彼の容認派ではありません さすがに、彼がバンクーバー入りした時の格好を見て、ひえーっと思った一人です。
 ただ、「こういう着方をする世代も出てくる時代になったのだから、日本のオリンピック委員会も、いろいろと対応を考えないといけない時代になったよな・・・」というのが、あの映像を見て真っ先に思ったことでした。 騒動は、その矢先でした。早かったですねえ、批判の嵐は

 私はあの彼のスタイルを見た時、渋谷あたりによくいる、ブレザースタイルの制服の高校生を思い出しました。彼の場合はドレッドヘアーでしたが、渋谷君達の中には長髪に茶髪、カチューシャ、という男子生徒もいますよね
 要するに、そんなふうに彼らが腰パンスタイルに制服をアレンジするのは、「体勢への批判?深い意味のないありがちな反抗心?」もしくは「決められた制服というスタイルを、いかにファッションとしてアレンジするか!」という、自己アピールなのだろうな、と私は理解しています

 ・・・ということで、オリンピック委員会も、そういう渋谷世代とも言える若者達が、日本代表として世界の舞台に参戦し、メダル争いをしてくれる時代が来ていることを認識し、良くも悪くも、優等生の着こなしをする、昔からある「爽やか系スポーツマン」だけがオリンピック選手になる時代は終わったのだ、ということを認識すべきでしょう

 国母君容認派ではないものの、私はあの腰パン騒動を見ながら、彼は気の毒だなあ・・・と、ずっと思っていました。
 そして何よりも呆れていたのは、国母選手を指導する立場にいるまわりの指導者達の不甲斐なさ、でした
 あの最初の監督と一緒に臨んだ記者会見も然り。
世の中というものを十分にわかっている社会人である監督が、あの場に臨む前に、騒動のやり玉にあがっている国母選手に、十二分なマスコミ対応の仕方を教えておくべきだった、と思います
 慌てふためいて会見を開くのではなく、同じ開くのであれば、あの場では、当然「どうしてああいう(あの場にはふさわしくない)格好をしてたのか?」「批判を受けて、今はどう考えているのか?」というような質問を、きっと何度も何度も言葉や表現を替えてたずねられることを知らせ、会見を開く以上は、何を言われても平身低頭頭を下げなければいけないのだよ、と、しっかりと教えるべきでした
 今回のことだけではなく、何か批判を受けた後、そのことへの対処というよりも「ひたすら謝罪と反省の態度を示すため」に開かれるのが記者会見なんでしょうからねえ
 
 にも関わらず、あの監督はきっと、そんな基本的なことも教えていなかった・・・そう思いました ただただ、その場しのぎというのでしょうか、マニュアル的に、ささやき女将のように、「~~いいなさい!」としか教えなかった・・・監督としての責任の自覚に欠けますよね
 というか・・・メダルを取れるであろう国母選手にビクビクし?!、甘やかし、本当の意味での国母選手を守ってやろうとする愛情が欠けていた!そう思えてなりませんでした

 大変おこがましいですが、もし私が監督だったら・・・もし小さな頃から国母選手の成長をつぶさに見ていたならば、愛情もひとしお オリンピックの代表に選ばれた時点で、あらためていろいろと注意をして、彼が気持ちよく、競技に臨めるように、しっかりと伝えたと思います。
 何となく、社会的に「あぶなっかしいヤツ」ならよけいに・・・です。そして、危惧が現実のものとなって、腰パン騒動が起こったら、即刻、彼を呼んで言ったでしょう

 「なあ、国母くん・・・こんな競技以外のことで、君が何やかんやと言われるのは僕は本当につまらないことだって思うよ。君だって、うるせーなーって思ってるんだろう
 君は今はまさに、世界に通用する本当に強い選手なんだから。強くなるための努力も惜しまない根性もあるしね。やっと、それがオリンピックっていう晴れの舞台で認められる時が来たんだよ。
 もしかしたら君は、金メダルなんて、そんなもん、どーでもいいって思ってるのかもしれないね。僕は、自分が楽しいようにやりたいだけってね。
 でも、楽しいことをやっただけなのに、それが認められ、評価されるなんて、ラッキー!!ってもんじゃないか 賞なんてもんは、くれるっていうんだったら、もらっておいて損はないよ。
 君が目立つべき舞台は、競技の場 君にとっては着こなしも自己主張だと言いたいのだろうけれど、オリンピックというものは、世界が見ている伝統的なスポーツの祭典であって、非常に保守的なものだよ
 今は、そのことを時代遅れだとか何とか云々する状況ではない!とにかく、選ばれちゃったわけだからね。そして、君だって、オリンピック選手であることを受け入れたからこそ、出場することにしたんだから。
 だから、日本代表として出場することになった今、君がわかっていないといけないことは、オリンピックは特別ってこと
 君にとっては世界選手権でも何でもかんでも、試合はすべて自分を表現するパフォーマンスの場に過ぎないかもしれないけれど、このオリンピックは、他とは訳が違う・・・それを認識していないと、大きな失敗をしてしまうことになるよ
 オリンピックは、国境を越えて、人の注目度が違う だから、世界的にこんなにマスコミの報道が過熱している時代だもの、日本でも、自国の選手のみならず、の世界中の選手達の行動、言動等、競技を離れたところにまでも目が向けられているんだよ なぜかって、それがオリンピックってものの持ってる「権威」というもんだよ。

 だから いらぬ批判を受けてしまうような言動、行動は慎むこと!わかったね
 君は強い選手だ。期待もされている。メダル候補なんだよ 
だからこそ、君の本来の強さをしっかりと世界に、そして日本に認めてもらうためにも、競技以外のところで人格や品性を云々されるようなことは避けよう。オリンピックで日の丸を背負って出場する、ということは、そういうことなんだよ」と。

 今回の騒動では、報道を見ていると、さまざまなところに論点がありました。
彼の格好が認められない、という理由から彼自身の人格まで云々する『国母選手 否定派』
 彼自身を云々するのではなく、日本代表選手としてふさわしくない格好だ、と格好にポイントを置く『TPO サジェスチョン派』
 私はそのどちらでもなく、彼を指導する立場のまわりの人間の責任を問いたい『指導者の力不足指摘派』でしょうか・・・

 とにかく、今の時代、若い人達は「まずは自分ありき」です。
自分にとって居心地の良い場所、自分が気持ちよく居られる環境、自分がハッピーでいられることが最大のポイント・・・なんですね。これは、子育ての世界を見ていても痛感することです
 このことを良いとか悪いとか、性急に言ってしまうことはできません。ある時はプラスに働きますし、ある時はマイナスに働く・・・ただ、こういう「自分至上主義」の時代なんだ、ということを、あらためて認識しているべきだ、と言いたいのです

 子育ての世界では・・・今のご両親が一番よく使われる言葉が「個性の尊重」です。つまり、我が子の「個性」を尊重し、その個性を認め、その個性を伸ばすことこそが大切、と主張されます。(もしかしたら、これは風潮であって、このことを非常に深く考え、信念を持って訴えている、という方ばかりではないのかもしれませんが)
 これは言い換えてみると、幼稚園や保育園、学校、お稽古の場に我が子がいる場合、大事なことは「我が子が気分よくいられているかどうか?」ということが「個性の尊重」という言葉で表現されているようです
 ですから、ご両親は「マス」を見ているのではなく、常に「我が子一人」を見て、我が子のハッピー度をチェックしている、ということです。我が子が団体の中の一員である以上に、「個人としての我が子」が常に尊重される時代なんですね

 ですから、時には我が子の主張や行動、言動がどんなに奇妙だったり、顰蹙をかってしまうものであっても、案外平気で「これはこの子の自己主張です」「これはうちの子の個性です」と言いきってしまう・・・やっぱり、私はこのことを困ったことだと思っています

 私は常々、自己主張と自分勝手とは別のものだと思います
社会、つまり団体には、たくさんの「個」が集まっています。金八先生の授業ではありませんが、その「個」が時には支え、時には支えられて生きています。
 「個」が集まった時点で、それは「団体」となり、それが一つの社会になります。ですから「個」が一斉に主張しあうと「団体」として統制が保てなくなってしまいます。団体の中でのルールを守ることは、時には「個」の主張を曲げなくてはいけないこともあるでしょう

 じゃあ、自分を曲げたくない、「他」のために辛抱したり、我慢したりはしたくないから、「団体・社会」には属さずに「個」のままでいるよ、というのであれば、人から評価されることも、認められることも、助けられることもない・・・
 また、そういう社会の中にいるからこそ受けられる、ある意味での「恩恵」は放棄しなければならないでしょう
 これをスポーツ競技として考えれば、一人でどんなに良い演技をして、また高い技術を持ってパフォーマンスをしても、評価は受けない。複数人数いるからこそ競いあえ、評価もされる・・・団体の中にいるからこそ1位、2位、3位・・・などと認められ、評価され、そのご褒美としてメダルをもらえる、ですよね

 じゃあ、これが幼稚園や保育園、学校ではどうでしょう?
我が子のまわりにたくさんの子ども達がいるからこそ運動会も出来れば、発表会も学芸会、音楽会などもできる・・・朝早くから良いカメラショットの狙えるところにビデオをセットしようと思ったり、我が子が一番見えるところに陣取ろうとするのは、「他」の中に「我が子」がいるから、ですね。
 歌が上手なこと、セリフがハキハキと言えること、立派に振る舞えることが認められ、独唱をしたり、主役級の役が割り当てられたり、始めの言葉や終わりの言葉やを仰せつかったり・・・親としては、我が子がオリンピックの代表に選ばれたような気分ですよね

 国母選手は、やっぱりあの競技の選手としては、高い技術を持った立派な選手でしょう。きっと、監督やコーチは、その彼の能力を高く評価し、自信も持っていらしたはずです
 世の中の親が、我が子の欠点を認めながらも、十分に良さを認識し、時にはかなり自信を持って「うちの子はスゴいんだから!」と自慢をしたくなるように・・・
 それならば
そのスゴさを世間に(たとえ、その世間が幼稚園や保育園、グループ、お稽古・・・等の狭い世間であっても、です)認識してもらえるようにするために、コーチや親は、最低限のその世間のルールや常識と呼ばれるものを教えなければいけないでしょう。それが、親に、指導者に課せられた責任です

 我が子が晴れの舞台に立つことになれば、皆と一緒にお手洗いを済ませなさい、とか、お手洗いに行ったらちゃんとシャツはズボンの中に入れて、他のお友達と同じようにしないさい、とか、皆が並ぶ時にはあなたもグズグズ自分勝手なことをしていないで、ちゃんと一緒に並びなさい、とか・・・言わないといけないですよね。
 「いいの、いいの、うちの子はお歌が上手だから、並ばなくてもいいのよ!」
 「うちの子は演技が上手だから、皆と同じように振る舞わなくてもいいの!」
 ということはないでしょう?
 せっかく歌が上手で独唱をすることになったのだから、せっかく演技が上手で主役をすることになったのだから、「すごかったわね。上手だったわね」と拍手喝采していただける子どもだからこそ、他のことでズッコケて、顰蹙をかってしまい、独唱や主役の演技が台無しになってしまう・・・あまりにもったいない

 指導者、大人、親の責任は大きい 私は、絶対にそうだと思います。だって、子どもは何も知らないで生まれてきているのですもの。

 子どもを生かすも殺すも、親の指導力、家庭のあり方・・・ドキッ 私は大人になった我が子を遠目で見ながら、やっぱり今でもそう思い、緊張しています

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初心に返れば、また楽し!

2010年02月12日 | にこにこ
 結婚してそろそろ27年。当たり前ですが、私は毎日、主婦として、母として、ご飯の支度をしています
 息子や娘が大学生になってからは、子ども達も夫と同様、お友達と外食をして帰宅する・・・という機会も増え、私は「夕食は一人。適当なものを食べる」とか「デパ地下で好きなものを買ってきて食べる」ということも多くなりました。(子どもが幼い頃には憧れたこんなデパ地下夕食も、実際にやってみると、じつは、和洋中、どれも似たり寄ったりで、案外早くに飽きてくるものでした
 当然、こういう食的に怠惰な生活をしていると、昔のように、嬉々として家族の食事を作るためにキッチンに立つ・・・そんな機会は少なくなっていたのでした
 それに、せっかく家族が食卓を囲むことになった週末なども「揃ったからお鍋を囲む」とか「揃ったからワイワイとお好み焼き」とか。結果的に簡単調理になってしまい、またまたキッチンに立つ時間は短くなりました。
 ちょうどそんな時期に、息子の入院、手術がやってきたのでした

 塩分1日に6グラム・・・イメージ、湧きますか?
これが、当分の間、手術後も心不全の状態を抱えている息子に課せられた食生活の課題です
 塩は、人が生きていく上において、非常に大切なアイテムです。その一方で、摂取量が増えすぎると、高血圧を引き起こしたり、心臓に負担をかけたり・・・と、問題もあります。(どんなものでも「ほどほど」が大切、ということでは同様ですが)
 健康体の場合、私達はだいたい、一日に10グラムの塩分が適当なんですね。

 ではここで、普段、私達が口にしているさまざまな食べ物の塩分を考えてみましょう

 ・ あじの開き 中辛の塩鮭 ・・・ 1.2グラム
 ・ たらこ ひとはら       ・・・ 2.3グラム
 ・ かまぼこ 3切       ・・・ 1グラム
 ・ ロースハム薄切り1枚  ・・・ 0.4グラム
 ・ あらびきソーセージ1本 ・・・ 0.5グラム
 ・ スライスチーズ 1枚    ・・・ 0.5グラム
 ・ 梅干し 1個         ・・・ 2.5グラム 
 ・ たくあん 3枚        ・・・ 1グラム
 ・ カップヌードル       ・・・ 5グラム
 ・ 食パン 6枚切り 1枚  ・・・ 0.8グラム

 いかがですか?日頃、あまり気にしていない塩分も、こうして書きだしてみると「へえ・・・そうなんだあ・・・」と思えるでしょう?
 これに、調理の時にはプラスして、私達はお味噌汁や煮物等に調味料としても塩分を摂取し、時にはお醤油やソース、ドレッシングなど、食品にかけたりつけたりします。当然、それらにも塩分があります
 このように考えてみると、全く何も気にかけずに調理をしてる時には、たちまち、一日の健康体の適正摂取量10グラムは、思いのほか、すぐに越えてしまうものでしょう

 ・・・・ということで。
最近の私は、毎日の食事に関して「減塩の献立を考える」というひと手間が増えました。これが、正直、なかなか大変なことなんです
お醤油やお味噌は減塩のものを使うようにして、お塩も塩辛さはそのままで塩分半分という加工塩に切り替え、塩分の少ない食材を使った献立を考える・・・塩の含有量を考えると、ハムやベーコンやソーセージは怖くて使えませんし、お魚にふり塩をして焼き、お醤油をたらして食べる、という食べ方も× いやいや・・・なかなか頭を痛めています
 息子の退院後1週間ほどは、一日中、食生活のことを考えていた、と言っても過言ではありませんでした。
 減塩食であることを感じさせないで、おいしく食事をするためには、なるべく品数を増やし、味の変化を楽しめる という工夫も不可欠です そうなると、じつは調理に使うお鍋やフライパン、ボウルやざるに至るまで、今まで以上に一食のために使う調理器具も増えてきます。お食事が済めば・・・お皿やお鉢だけではなく、それらを洗い、片づける、という手間も増えるんですね
 ここ3,4年、いかに上手に手抜きをして、自分のために使う時間を作り出し、効率よく手早く調理をして、なおかつ「おいしいと評価される料理」を作るか、ということを考えていました
 そんなスピーディーな調理や後片づけに慣れている期間が長かったため、突然にやってきたこの手間も時間もかかる「膨大な作業」に忙殺された・・・正直、まいりました

 でもね。
ある時、ふっと思ったんです 私が初めてお台所に立った頃は??? 献立を考えることも・・・切ったり、剥いたりすることも・・・調理そのものも、後片づけも・・・そんなこと、みーんなすべてが楽しかったよなーって

 高校時代から、結婚するまでの数年間、夕食の支度は私の役目でした。父の会社の重要なポストについていた母は、毎日、父と一緒に出社し、父と一緒に帰宅をしました
 私は・・・というと、英会話学校で子どもに英語を教える仕事をしていたので、大学卒業後も、5時頃にはきちんと仕事を終えることができましたし、週のうち2回程度はもっと早い時間に帰宅もできました。
 そうなると、時間的に一番余裕のあった私が食事の支度を担当する・・・これが良い花嫁修業にもなりましたし、我が家では最も合理的だったのです

 母が作っていたお料理を、見よう見まねで真似た献立もあれば、本屋で買ってきたお料理本を見ながら作るお料理もあり・・・私は毎日、楽しい気分でスーパーに立ち寄り、鼻歌まじりでお台所に立ちました
 父や母に「おいしいわねえ」と言ってもらえるのが嬉しく、ある意味、伝来の秘薬を作る魔女のように、化学の実験をする科学者のように、お料理は私の能力が試され、評価されるというオマケ付きの「楽しみ」でした・・・

 減塩の献立を考え、それを手間暇かけて調理すること・・・それを、息子の大病の延長線上にやってきた「厄介なこと」と捉えてしまっている、情けない自分に気付いたのでした

 退院から3週間が過ぎ、息子は自分で上手く調整をしながら、大学生の生活に戻っています 今は、就職活動のためにエントリーシートを書いたり、スーツ姿で説明会に行ったり・・・という生活です。
 すでに大人になっている息子は、お薬も自分で管理し、服用も自分の部屋で済ませてしまいますから、つい2ヶ月半前に、あんなに大きな手術をしたということも、時には忘れてしまうこともあります
 けれど、たまにおしゃべりをしながら、うーっと伸びをした時にシャツの下からのぞく大きな傷を見ると、確かにたくさんの方々からのエールと祈りをいただき、命を助けていただいたことをあらためて実感します

 初心に返って、ハッピーな気分でお台所に立ちなさい
きっとこれは私への「天の声」だったのだと痛感しました。

 いつのまにか、豊かに食べられることも、健康であることも、家族のために食事を作られることも、すっかり当たり前のことなのだと思ってしまっていた私でした。
 そして食事や調理を筆頭に、「慣れ」からくる「惰性」で、どんな物事にも義務感だけで取り組むようになっているのではないか?という、私への「戒め」なのだと思いました

 ローカロリーの減塩食 考えることが習慣づけば、いろいろと食材への知識も広がります。
 そうそう、身体から余分な塩分を排出するためには、「カリウム」の多い食材を採ることも効果的なんですよ 
 ちなみに、カリウムの多いお野菜や食材は・・・タケノコ、里芋、ほうれん草、枝豆、春菊、アボカド、バナナ、干し柿、など
 きっと私達家族は、息子のおかけで、以前よりもずっと自然に、食生活から健康になっていけるのだろうな・・・と、ちょっとウキウキしています
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