今朝、急に思い立ち、10年ぶりくらいで「朝マック」をしました
主人と二人、雨上がりの道を歩き、駅のそばのマクドナルドに向かいました

これは余談ですが、関東に住む人達は、マクドナルドのことを「マック」と言います。私は昨年までの10数年間、パソコンではマックユーザーでしたので、「マック」と聞くたびに頭の中にはかじりかけのリンゴが浮かび、「リンゴとハンバーガー・・・むー」と思ったものでした

しかし、大阪に住む私の甥っこ達は、「あのな、まどかちゃん、昨日僕らはマクドに行ってな・・・」と話します
そして、その「マクド」のイントネーションは、「マ」にアクセントがあるのではなく、あくまで、「ク」にアクセントがある、とても大阪弁らしい言葉になっています
何だか、マックで食べるハンバーガーと、マクドで食べるハンバーガーは、味が違うように感じてしまいます
さて、私達は2階席の外が見える席に座り、久しぶりの「マック」を食べていましたが、ちょうどそこからは、駅から降りてくる人、バスから降りてくる人などが見渡せ、二人でいろいろな人を見ながら、話しに花を咲かせました
中でも目立ったのが、「N」マークのリュックタイプのカバンを背負った子供達でした
彼らは楽しそうにお友達と話しながら、塾の方向に急ぎます
中には、一人で駆けていく子もいます。
そんな彼ら・・・とても印象に残ったのが、彼らの「駆け足」と「笑顔」でした
小学校に入学してしばらくの間は、子供達は嬉々として机に向かい、宿題などにも楽しそうに取り組みますが、次第にその様子は変わっていき・・・そのうちに総じて、子供達は「勉強好き」ではなくなっていく、と私は感じています
しかし、今朝目にした塾へ急ぐ彼らの中に「憂鬱」は見いだせませんでした。
休日に塾に行くこと。もしかしたら、それは彼らにとって、それほど「大きな苦」になることではないのかもしれない・・・あらためてそう思ったのでした
今は成人した我が家の息子も、「N」バッグではありませんでしたが、かつては中学受験を目指し、休日に塾に行き、毎週テストを受けたくち、です。週の真ん中に、必ず郵送されてくるテスト結果と順位に一喜一憂しながらも、それでもやはり彼は、脱走をすることもなく、休日に塾に通っていました
もちろん、100%の塾に通う小学生がそうだ、とは言いきれないでしょうが、まだまだ幼い彼らにとって、休日の塾は、「当然あるべき生活の一部」となっていて、マスコミが躍起になって取り上げたり、教育評論家が唾を飛ばし批判するほど、「悪」ではないのだと思えるのです。
むしろ学校ではない、別の環境の中で、違った気分で友達と会える機会だったり、自分の通う学校にとらわれない、もっと広い意味での友達作りのチャンスだったり・・・
とかく親は、自分の成長過程を、我が子を育てる上での「スタンダード」にするものです
中学受験の経験のない親は、「あんなこと、自分はしなかった・・・休みの日は、友達と外で遊んだり、スポーツをしたり、家族で出かけたりしたものだ・・・なのに、今の子は、何て可哀想に・・・」と罪悪感を感じながら、塾に送り出します
中学受験を経験し、自分も休日に塾に通って、それを辛いと感じていた親は「ああ、また我が子にもこんなことをさせてしまうんだ・・・辛い思いをするんだろうなあ・・・」と塾に向かう我が子の後ろ姿を嘆きます
「さあ、今日もしっかりがんばりなさいよ!」と明るく、力強く送り出せる親は、たぶん、自分自身も中学受験を経験し、大変だったあ、という記憶はありながらも、それでもそれをバネにして、上手く成長の糧にした数少ない親だけなのかもしれません

しかし、私は今朝の子供達を見ていて、あらためて思いました。親の意識がどれほど重要であるか、を・・・
幼い子供は、親から「あなたはかわいそうだ
」と言われると、そうなのかあ、私はかわいそうなのね、と思うものです
「あなたは幸せものよ
」と言われると、おー、僕は幸せ者なんだね、と思います
そうです!親は、我が子が幼い頃には、深い考えなく、不用意に感情的に子供に物を言ってはいけない・・・親の意識や言葉かけで、子供の気持ちはプラスにもマイナスにも大きく動く、ということを、十分に親はわかっていなければならい、と思いました
どんな経験も、子供にとっては貴重な財産です。また、成長の糧となる財産にしなければ、その経験をする時間は無駄なものになってしまうのですから・・・
( 私が、もっと大きなお子さまを持つご家庭向けに書いたホームページの中の1項目です。ご興味があれば、ご覧ください。「準備期間は宝物」)

主人と二人、雨上がりの道を歩き、駅のそばのマクドナルドに向かいました


これは余談ですが、関東に住む人達は、マクドナルドのことを「マック」と言います。私は昨年までの10数年間、パソコンではマックユーザーでしたので、「マック」と聞くたびに頭の中にはかじりかけのリンゴが浮かび、「リンゴとハンバーガー・・・むー」と思ったものでした


しかし、大阪に住む私の甥っこ達は、「あのな、まどかちゃん、昨日僕らはマクドに行ってな・・・」と話します




さて、私達は2階席の外が見える席に座り、久しぶりの「マック」を食べていましたが、ちょうどそこからは、駅から降りてくる人、バスから降りてくる人などが見渡せ、二人でいろいろな人を見ながら、話しに花を咲かせました

中でも目立ったのが、「N」マークのリュックタイプのカバンを背負った子供達でした



そんな彼ら・・・とても印象に残ったのが、彼らの「駆け足」と「笑顔」でした

小学校に入学してしばらくの間は、子供達は嬉々として机に向かい、宿題などにも楽しそうに取り組みますが、次第にその様子は変わっていき・・・そのうちに総じて、子供達は「勉強好き」ではなくなっていく、と私は感じています

しかし、今朝目にした塾へ急ぐ彼らの中に「憂鬱」は見いだせませんでした。
休日に塾に行くこと。もしかしたら、それは彼らにとって、それほど「大きな苦」になることではないのかもしれない・・・あらためてそう思ったのでした

今は成人した我が家の息子も、「N」バッグではありませんでしたが、かつては中学受験を目指し、休日に塾に行き、毎週テストを受けたくち、です。週の真ん中に、必ず郵送されてくるテスト結果と順位に一喜一憂しながらも、それでもやはり彼は、脱走をすることもなく、休日に塾に通っていました

もちろん、100%の塾に通う小学生がそうだ、とは言いきれないでしょうが、まだまだ幼い彼らにとって、休日の塾は、「当然あるべき生活の一部」となっていて、マスコミが躍起になって取り上げたり、教育評論家が唾を飛ばし批判するほど、「悪」ではないのだと思えるのです。
むしろ学校ではない、別の環境の中で、違った気分で友達と会える機会だったり、自分の通う学校にとらわれない、もっと広い意味での友達作りのチャンスだったり・・・
とかく親は、自分の成長過程を、我が子を育てる上での「スタンダード」にするものです

中学受験の経験のない親は、「あんなこと、自分はしなかった・・・休みの日は、友達と外で遊んだり、スポーツをしたり、家族で出かけたりしたものだ・・・なのに、今の子は、何て可哀想に・・・」と罪悪感を感じながら、塾に送り出します

中学受験を経験し、自分も休日に塾に通って、それを辛いと感じていた親は「ああ、また我が子にもこんなことをさせてしまうんだ・・・辛い思いをするんだろうなあ・・・」と塾に向かう我が子の後ろ姿を嘆きます

「さあ、今日もしっかりがんばりなさいよ!」と明るく、力強く送り出せる親は、たぶん、自分自身も中学受験を経験し、大変だったあ、という記憶はありながらも、それでもそれをバネにして、上手く成長の糧にした数少ない親だけなのかもしれません


しかし、私は今朝の子供達を見ていて、あらためて思いました。親の意識がどれほど重要であるか、を・・・

幼い子供は、親から「あなたはかわいそうだ


「あなたは幸せものよ


そうです!親は、我が子が幼い頃には、深い考えなく、不用意に感情的に子供に物を言ってはいけない・・・親の意識や言葉かけで、子供の気持ちはプラスにもマイナスにも大きく動く、ということを、十分に親はわかっていなければならい、と思いました

どんな経験も、子供にとっては貴重な財産です。また、成長の糧となる財産にしなければ、その経験をする時間は無駄なものになってしまうのですから・・・

( 私が、もっと大きなお子さまを持つご家庭向けに書いたホームページの中の1項目です。ご興味があれば、ご覧ください。「準備期間は宝物」)