まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

子供の経験を財産に!

2006年10月29日 | にこにこ
 今朝、急に思い立ち、10年ぶりくらいで「朝マック」をしました
主人と二人、雨上がりの道を歩き、駅のそばのマクドナルドに向かいました

 これは余談ですが、関東に住む人達は、マクドナルドのことを「マック」と言います。私は昨年までの10数年間、パソコンではマックユーザーでしたので、「マック」と聞くたびに頭の中にはかじりかけのリンゴが浮かび、「リンゴとハンバーガー・・・むー」と思ったものでした
 しかし、大阪に住む私の甥っこ達は、「あのな、まどかちゃん、昨日僕らはマクドに行ってな・・・」と話します そして、その「マクド」のイントネーションは、「マ」にアクセントがあるのではなく、あくまで、「ク」にアクセントがある、とても大阪弁らしい言葉になっています 何だか、マックで食べるハンバーガーと、マクドで食べるハンバーガーは、味が違うように感じてしまいます

 さて、私達は2階席の外が見える席に座り、久しぶりの「マック」を食べていましたが、ちょうどそこからは、駅から降りてくる人、バスから降りてくる人などが見渡せ、二人でいろいろな人を見ながら、話しに花を咲かせました
 中でも目立ったのが、「N」マークのリュックタイプのカバンを背負った子供達でした 彼らは楽しそうにお友達と話しながら、塾の方向に急ぎます 中には、一人で駆けていく子もいます。
 そんな彼ら・・・とても印象に残ったのが、彼らの「駆け足」と「笑顔」でした
 
 小学校に入学してしばらくの間は、子供達は嬉々として机に向かい、宿題などにも楽しそうに取り組みますが、次第にその様子は変わっていき・・・そのうちに総じて、子供達は「勉強好き」ではなくなっていく、と私は感じています
 しかし、今朝目にした塾へ急ぐ彼らの中に「憂鬱」は見いだせませんでした。

 休日に塾に行くこと。もしかしたら、それは彼らにとって、それほど「大きな苦」になることではないのかもしれない・・・あらためてそう思ったのでした
 今は成人した我が家の息子も、「N」バッグではありませんでしたが、かつては中学受験を目指し、休日に塾に行き、毎週テストを受けたくち、です。週の真ん中に、必ず郵送されてくるテスト結果と順位に一喜一憂しながらも、それでもやはり彼は、脱走をすることもなく、休日に塾に通っていました

 もちろん、100%の塾に通う小学生がそうだ、とは言いきれないでしょうが、まだまだ幼い彼らにとって、休日の塾は、「当然あるべき生活の一部」となっていて、マスコミが躍起になって取り上げたり、教育評論家が唾を飛ばし批判するほど、「悪」ではないのだと思えるのです。
 むしろ学校ではない、別の環境の中で、違った気分で友達と会える機会だったり、自分の通う学校にとらわれない、もっと広い意味での友達作りのチャンスだったり・・・

 とかく親は、自分の成長過程を、我が子を育てる上での「スタンダード」にするものです
 中学受験の経験のない親は、「あんなこと、自分はしなかった・・・休みの日は、友達と外で遊んだり、スポーツをしたり、家族で出かけたりしたものだ・・・なのに、今の子は、何て可哀想に・・・」と罪悪感を感じながら、塾に送り出します
 中学受験を経験し、自分も休日に塾に通って、それを辛いと感じていた親は「ああ、また我が子にもこんなことをさせてしまうんだ・・・辛い思いをするんだろうなあ・・・」と塾に向かう我が子の後ろ姿を嘆きます
 「さあ、今日もしっかりがんばりなさいよ!」と明るく、力強く送り出せる親は、たぶん、自分自身も中学受験を経験し、大変だったあ、という記憶はありながらも、それでもそれをバネにして、上手く成長の糧にした数少ない親だけなのかもしれません

 しかし、私は今朝の子供達を見ていて、あらためて思いました。親の意識がどれほど重要であるか、を・・・

 幼い子供は、親から「あなたはかわいそうだ」と言われると、そうなのかあ、私はかわいそうなのね、と思うものです
 「あなたは幸せものよ」と言われると、おー、僕は幸せ者なんだね、と思います

 そうです!親は、我が子が幼い頃には、深い考えなく、不用意に感情的に子供に物を言ってはいけない・・・親の意識や言葉かけで、子供の気持ちはプラスにもマイナスにも大きく動く、ということを、十分に親はわかっていなければならい、と思いました

 どんな経験も、子供にとっては貴重な財産です。また、成長の糧となる財産にしなければ、その経験をする時間は無駄なものになってしまうのですから・・・

( 私が、もっと大きなお子さまを持つご家庭向けに書いたホームページの中の1項目です。ご興味があれば、ご覧ください。「準備期間は宝物」)
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先生、本当に川で泳げるの?

2006年10月26日 | にこにこ
 昨日、クラスで子供達と話しをしている時のことです
カードを見せて「この道具は、どんな時に使うものでしょう?」という質問に答えてもらう、というカリキュラムでした。

 たとえば・・・「やかん」のカードを見せて、まずは「これは何?」とたずねると、「これは、やかんです!」と答えてくれます もちろん、名称がわからなければ、その道具の名前も教えます。
 年齢の低い子供達に、同じ問題を出してみると、名称がはっきりと言える子供と、かなり子供の生活に身近なものでも「名前は、・・・わかんない」という子供とに分かれます

 やはり、親が意識して「教える」という姿勢ではなくても、家庭生活の中の会話で、子供を相手に多くを語り、たくさんのことを話してあげているかどうか?が、ここではっきりとした差になって出てきます・・・
 子供は、教えられる、ということに対しては無反応でも、興味を持たせて、聞かせる、というリードからは、たくさんのものを「自然に」覚えていくものなのですね
 まあ、そういうお話は、また別の機会にして・・・

 私が昨日、5,6歳児に見せたカードは、「水着」のカードでした
当然、「水着」と答えてくれます。
  「じゃあ、これはどんな時に着るものなの?」とたずねると・・・
  「プールで着るもの!」
  「泳ぐ時に着るもの!」
  「幼稚園の水遊びの時に着まーす!」
  「海水浴に行ったら着ます!」
というような答えが次々に飛び出します。もちろん、正確に答えるとすれば、これは「水の中で遊んだり、泳いだりする時に着るもの」ということですね
 私は子供達が答えた後で、「そうね、プールや海や湖、川など、水の中で遊ぶ時、泳ぐ時に着るものね。普通のお洋服のままでは泳がないし、裸では恥ずかしいし、体が冷えてしまうものね。水の中で裸は、いろんなものが体に触れて、危険かもしれないしね!」などと、いろいろなことを付け足しながら説明をしました
 すると、熱心にその話しを聞いていた子供達が、みな、口々に言うのです。
  「ねえ、先生!川って、あの川?川なんかで泳ぐの?ええええーーーーーっ

 そうなんですねえ
「川で泳ぐ」は、どうしても子供達のイメージには浮かばないようでした
 私は、昭和33年、大阪で生まれました。かろうじて私の記憶の中に、母の郷里であった奈良県の五條市というところの榮山寺(えいさんじ 国宝である八角堂が有名)の前の川で泳いだこと、同じく、奈良県の十津川村に出かけた時、きれいな浅瀬で泳いだことなどがあります。

 しかし、確かに、私の子供達にも、たぶん川で泳いだ、という記憶はない・・・かもしれません
 長年、石炭の仕事に携わっていた主人が、マレーシアやインドネシアのジャングルに、何日もかけて鉱脈探査などに出かけた時、シャワーもお風呂もない中、頻繁に川で水浴びをしていた写真を見て、幼かった子供達は「一度でいいから、パパみたいに、川でシャンプーしてみたーい」などと妙にヒットしていたことはよく覚えているのですが・・・

 「ウサギ追いし、かの山、小鮒釣りし、かの川・・・」私達でも理解できなかったこの歌詞が、これから大きくなっていく子供達にわかるわけはありませんよね。(私は小学校低学年の頃、この歌を歌いながら、ウサギをおんぶして、カノ山という名前の山に行くのだ、と大真面目に思っていました)

 さすがに、今の子供達にも非常にポピュラーな昔話「ももたろう」。この話しのあらすじが話せても、詳しく内容について質問をしてみると、とっても楽しい答えが戻ってきたりします
 「おじいさんは 山へ柴かりに、おばあさんは 川へ洗濯に・・・」
 おじいさんは、お山の上にまた別のおうちがあって、そこには芝生の大きなお庭があると思っていた子供。
 おばあさんのお家の洗濯機が故障し、お家にはお風呂に誰かが入っていて洗濯できなかったから、おばあさんは仕方がないから川に洗濯に行った・・・(その子は、お家で実際に、洗濯機が故障し、お母さんが非常に困ってお風呂で洗濯をしていた、と話していました)とか

 子供との会話・・・いかようにも広がっていって、とっても楽しいものです そんな中で、私の子供の頃の話しをしたり、私が知りうる限りの世界の話しをしたり、子供達はいつでも、大変興味を示し、話しを聞いてくれます。
 
 是非、試してみてみださい 子供との会話が楽しめて、なおかつ子供の興味と世界が広がる・・・一石二鳥の豊かな時間になりますよ
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お母様の品格

2006年10月20日 | にこにこ
 昨日のお昼ご飯、たまに行く洋食屋さんに入りました
そこは「町の洋食屋さん」という雰囲気のお店で、今風のお店、オシャレなお店、に分類されるようなお店ではなく、お昼時にはサラリーマンや予備校生、近所のパートさんやお買い物のお年寄りなどで混雑するお店でした
 
 あと10分ほどで12時になり、そろそろ混んでこようか、という時間に私はお店に入ったのですが、すぐに目についたのが2組の親子でした 若いお母様お二人と、1歳半くらいの男の子と女の子
 二人ともしっかりエプロンをしてもらい、お店でご用意くださったお皿とフォークやスプーンを前にして、食べる気満々で待っているようでした。
 普段なら、「まあ、かわいいわねえ」とあたたかい気持ちで眺めるところなのですが、そのお店の置かれている位置、つまり、まもなく日替わりランチを注文し、ささっと昼食を済ませる人で混んでくるであろうその店のことを思うと、やはり、その親子達の雰囲気に、かなり場違い、違和感を感じるのは否めませんでした
 
 しばらくすると、親子の前に「日替わりランチ」が運ばれてきました
 「おまちどうさま!ランチでーす」 そると、男の子ちゃん、「ひや~」という声とともに、まさに狂喜乱舞状態 その彼の様子に、私は、生後8ヶ月で、ボリューム満点のお子さまランチをペロリと平らげた我が息子のことを思い出し、思わず和んでしまいました

 女の子のほうも、よく食べていましたねえ・・・とにかく、「食べる」という点では、二人の子供達はしっかりとよく食べ、食器で遊んだり、食べ物をまぜまぜしたり・・・ということはなかったと思います
 ただ、彼らの年齢を考えれば、まだまだ自分で食べる、ということが3分の2、あとは頃合いを見たお母様達が彼らのお口に入れる、という時期ですから、まだまだ「食事の時間」に飽きてしまって、それを「遊び」にしてにまえるほどの知恵はついていない時期だったかもしれません

 案の定、12時を過ぎると、小さな店内は混雑してきました その様子を感じているのか、感じていないのか、お母様方お二人は、ニコニコとお話に興じ、楽しそうにお食事の時間を送っていらっしゃるご様子でした
 その間、比較的静かな女の子とは違い、男の子のほうは「きゃー!」とむずかったり、気にいらないのか椅子にきちんと座らずに、ずるずるとずれていってしまったり・・・そのたびにお母様は、「しーっ!静かにして」とか「ほら、ちゃんと座って」と、声をかけてはいらっしゃいました

 昔の私ならば、このあたりですでに頭痛がするほどこの母親達を批判的な目で眺め、食欲も減退していたでしょうが・・・
 今では、時代の流れをある程度は受け入れる度量?!も出てきて、「子供がいる時、子供が幼い時には、母親は何が何でも我慢!我慢」という私の持論を振りかざす気持ちは緩和されています

 まあ、それでもなお、この親子にひと言だけ提言をするならば・・・「できれば、子連れで大人向きのお店で食事をしたいならば、もう少しランチの時間を外すべきではないかしら?」ということでしょうか

 まもなく、食事を終えた親子は、帰り支度を始めました。
テーブルの上にあった、飲み物用のボトルを片づけ、子供達のエプロンを脱がし、そして・・・
 テッィシュを取り出したかと思うと、さっとテーブルの下に屈み、我が子がこぼした食べ物を一つ一つ手で拾い始め、ティッシュに包み始めたのでした

 私はね、かなり感激したのでした・・・
子連れですからね、そんなに気取った服装ではありませんでしたが、お二人のママ達は、決して普段着というわけではなく、それなりにきちんとした身なりをなさっていたのです。
 そのお母様達がさっと屈み、テーブルの下にまで頭を突っ込んで、すでに「帰るモード」に入った子供をあやしながら、せっせと食べこぼしを拾う・・・
 正直に申し上げて、私はきっと、テーブルの上は子供のこぼしたもので散らかり、椅子の上もべとべと、もちろんテーブルの下も、落ちた食べ物で汚くしたままで帰って行かれるのだろう、そんな風に思っていたのです

 お店を出ていく私の後ろで、お母様達の「ごちそうさまでした!」の声が聞こえました

 お母様達の「子育て中の社会的な気遣い」は、本来は当然、為されるべきことかもしれません
 今回、私が感激した、と言っている、子供達の食べこぼしを拾い、きれいに始末をしてから店を出るという行為も、誉めるべき対象ではなく、もともとは、きちんとされて当然のマナーでしょう

 しかし、「常に自分と、自分のまわりしか見えない、見ない」という超個人主義の若い世代の子育てでは、この二人のお母様達の行為は、「とても豊かな心遣い」として、私の目に映りました

 忙しく毎日を送る子育ての時期・・・こういう時だからこそ、母としてだけではなく、その人の「人間としての品格」が非常にクリアに出るのだなあ、とあらためて感じた出来事でした
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道徳心の欠如

2006年10月13日 | プンプン
 大声でしゃべる若いお母さんが二人、ベビーカーを押して、各駅停車に乗り込んできました とにかく、乗ってきたとたん、その車両の人達が思わずギョッとして振り返るほど、大きな声なんです

 いやでも、会話の内容は聞こえてきます 確かに・・・彼女達は「母親」なのですが、もし、彼女達が2台のベビーカーの前で立っていなければ、100%、母親の会話であるとは思えないでしょう 2年ほど前、「やまんばメイク」とか言われた渋谷のギャル達が、テレビのマイクを向けられた時に語っていたあの「ことば」です

 各駅停車の電車ですからね、一つ一つ駅に停車するわけです。そして、もちろん、そのたびに乗車する人、下車する人がいるわけで、ドアの前にデデーンと2台ベビーカーと止め、その前で大声でしゃべっている彼女たち4人、お客様の邪魔にならないわけがありません。
 しかし、とっても不思議?呆れる?呆気にとられる?だったのは、彼女達には、完全に乗降客が見えてはいないようだった、ことです つまり、世をすね、世の中の人を敵対視し、反感を持って乗降客の邪魔をしようとしているのではないのです。要するに・・・自分達以外のものは、何も見ていない、見えていなのでしょう

 ターミナル駅に近づいた頃、ベビーカーの男の子「1」が、おとなりのベビーカーの男の子「2」に悪さをしに手を伸ばします 結構、やる気モードで、ぎゅっと掴む、という感じでしょうか
 すると、男の子「2」は、これまた弱いのです 掴まれただけで大泣き オチビちゃんのわりには、ものすごーく大きな声
 ところが・・・「2」のママ、「何やってんのよー、バーカ 弱っちーなあ、なんだよー」と爆笑し、息子の「2」に「泣くのはやめなさい!」とか「わかったわかった でも、大声で泣くのはご迷惑です」などとは、ひと言も言われない・・・

 いやー・・・
道徳心の欠如、なのでしょうね まあ、まわりの人間が見えず、自分の世界をカプセルに入れたままで歩いているような人であれば、道徳心、という言葉さえ、理解できないのかもしれません

 超ミニスカートの制服姿のままで、足を開いて座る・・・公共の乗り物の中で、平気で靴下を履き替える・・・おにぎりを食べる・・・お化粧をする・・・
 このあたりの、「道徳心0娘達」がマスコミで賑々しく報道され、批判を受けるようになってから、そろそろ3,4年、でしょうか。
 その時代に、もし、その子が高3だったとしたら???
 あり得る、あり得る あの時にワルワルの主人公だった少女「A」は、男の子「1」、男の子「2」の母親に成り得る年齢でしょう

 きゃーーーーー 道徳心のない母親では、よほど改心しない限りは、道徳心のある子供に育てることは不可能でしょう

 私は、これから増え続けるであろう「0(ゼロ)ママ」達を想像するだけで、お腹と頭が痛くなりました
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十六夜の月

2006年10月07日 | にこにこ
 お月様がきれいです
今夜は、十六夜の月、です。昨夜の十五夜はとっても残念でしたが、首都圏で吹き荒れた秋の嵐は、きっと来年への良い思い出となるでしょう
 「そうそう、去年の十五夜は、秋の嵐で、お月様どころではなかったわねえ・・・」と
 ちなみに、きのうは夫のお誕生日 最近では夫婦ともに忙しく、深夜に帰宅する主人。迎える私はパソコンの前・・・決して家庭内別居ではありません いたって仲の良い夫婦なのですが、あまりの忙しさに、夜はほとんど会話らしい会話は交わすことがありません
 相手の忙しさを邪魔しない、それがこの時期の私達の「相手を思いやる最大の愛情」でしょうか・・・

 そんな状況の中、昨夜は私もパソコンの電源を落とし、冷やしておいたヴーヴクリコのミニボトルを空け、タコのマリネとバケットで乾杯をしました 実際には、日付は変わり、すでに主人のお誕生日の翌日になっていましたが・・・こちらも良い思い出になるでしょう

 おっと。話しが横道に逸れてしまいましたね。失礼しました
今日は、美しいお月様の話し、でした。
 私は昔から「季節」には敏感です たぶん、私の母が、とても季節の移ろいを大切にする人で、小さな頃から春夏秋冬を身近に感じることの出来る生活をしていたからだと思います。
 今は、仕事がら、子供を持つご家庭に対して、「季節を大切にしてください!季節を敏感に感じ、行事、味覚、お花等、季節を愛でたり、味わったりする楽しさを子供達に教えてください!」と再三、お話をしています。
 でも、私は、「仕事がら」季節を大切にしてほしい、と言っているのではないのです

 そう、小学校受験の世界では、「季節」はとても重要です。
ペーパーテストでも、個別のテストでも必ずと言ってよいほど出題されるので、四季の行事、四季の花、四季の旬の野菜・・・これを知っておくことは大切です そういう意味から、私は「仕事がら」と言ったわけです。

 巷では、受験用教材として「季節のカード」が売られ、「季節のドリル」は各家庭で何度も繰り返され、子供達は・・・
  「春・・・さくら、たんぽぽ、こいのぼり・・・・つくし、たけのこ・・・おたまじゃくし・・・」
  「夏は・・・花火、海水浴、蚊取り線香、扇風機(今では過去の長物ですが、受験の世界では、しっかりと生きています)、すいか、ひまわり・・・あさがお・・・」
 というふうに、覚えるのです

 もちろん、そんな呪文的学習ではなく、家庭生活の中から、自然に子供が季節を感じ、味わい、愛でて、さまざまな四季を覚えていくのが理想である、ということは、誰もがわかっていることです けれど、残念ながら入学試験という「期限」が来る限り、どの家庭でも、最後は「呪文的学習」にならざるを得ないのが現状でしょう

 でも・・・やっぱり私は、今日の美しいお月様を見て、「あー、何てきれいなんだろう・・・」という感性を、感動を、大切にして欲しいのです。
 秋の嵐の後の、すこぶる澄んだ夜空に、凛として光る十六夜の月。
この月を「何てすてき・・・」と胸がきゅっとするくらい、美しさに感動する豊かな心をもつこと。そんな月を愛でる心のゆとり、生活の潤い それが、小学校受験の問題の中に、「季節」が登場する所以だと思います

 明日。多くの幼稚園や保育園、小学校では、運動会が催されることと思います。今日の十六夜の月と同じくらい、明日の青空も美しければいいですね そして、その美しさに気づき、深呼吸をしながら、じっくりと眺める人が、たくさんいてくれればいいなあ・・・私はそう思っています



コメント (4)
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