まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

三宅島で考えたこと

2011年08月29日 | う゛う゛ー
 週末にお休みをいただき、三宅島に行ってきました
金曜日の夜に竹芝桟橋を出航し、翌朝の5時に三宅島に到着する・・・という船の旅です。その船は、その後、3時間半の航行を続け、八丈島が最終目的地です。
 
 伊豆諸島航路・・・28年ぶりです。昔は、揺れもなーんにも気にならず、ぐっすりと熟睡できたのに 、年齢のせいでしょうか、今回は2段ベッドの4人の船室で、お友達4人、ほとんど眠れませんでした 夫はお隣の船室で、心地よい宴会のあと、爆睡したそうです・・・さすが、学生時代の夏休み、ずっと沖縄や与論、石垣で過ごした海派の強者だけあります。
  
 今回の旅の目的は、土曜日の午後スタートのトライアスロン大会でした 私は応援。選手ではない船旅は、とてもお気楽で、応援の後はちょっとした観光を・・・そんな気持ちでした

 でも、船が岸壁に着岸し、夜が明けて、島の様子が見えてきたとたん、私の思いは一変しました
空を向いてにょきにょきと立つ木々は、すべて灰色で、葉っぱは一枚もありません。麓の島内一周道路から見える山全体は、そういう立ち枯れの木々がいーっぱい立っていて、その様子は、さながら前衛芸術のモニュメントのようで・・・私はその異様さに息を飲みました

 恥ずかしいことですが・・・
今回は、スポーツ観戦、レースの応援・・・そのつもりの休日でしたので、何も事前の準備もなく、インターネットで島内観光のサイトさえ見たことがありませんでした。
 もし、私が「旅行」のつもりでガイドブックを読んだり、観光サイトをチェックしていたら、少しは予備知識もあり、心づもりもあったでしょうが・・・
 朝食後、夫を含むお仲間達が自転車で下見に出かけた間、幸いにも宿から5分で行けるところにあった村営の観光協会に出かけました。そこで私が聞いたお話・・・

 東京都三宅村。人口、2700余名。島民は今でも、毎日、火山ガスの二酸化硫黄の恐怖とともに生活をしています。
ちょうどお話をお聞きしている途中にも、屋外の屋外拡声支局(電柱状のものに設置されたスピーカー)を通して「ただ今、〇〇地区に、レベル1の注意報が発令されました。高感受性者の方は・・・」とアナウンスがありました。
 私があまりに驚いた様子を見せたのでしょうね お話し相手をしてくださった観光協会の女性は・・・
 「大丈夫ですよ レベル1ですし、この地区じゃありませんからね ああして、村役場から火山ガスの注意報や警報が出るんです。村内には45か所、同じような屋外拡声支局と呼ばれるスピーカーが設置してありましてね。レベル1からレベル4まで、火山ガス注意報や警報が出る仕組みになっているんです。私達は、4年半の全島避難を終えて、島に戻ってくる時、火山ガスと共存すること、そのリスクを納得して帰島したんです
と教えてくださいました。

 一緒に外に出て、実際にそのスピーカーを指さしてもらうと、1本の高い柱に、四方を向いたスピーカーが取り付けられ、その下には青(レベル1)、黄色(レベル2)、緑(レベル3)、赤(レベル4)の回転灯がありました。この屋外拡声支局には、スピーカーだけのものと、レベルに応じて点灯する回転灯がついているものと、2種類あるのだそうです。住宅地の中に立つ屋外支局には、たいていが回転灯がついている、とのことでした。

 アナウンスの中にあった「高感受性者」とはどういう人のことなのですか?との質問には、「ぜん息などの呼吸器疾患の患者、または心臓病の患者等、新生児、乳児、妊婦等若しくは三宅村が実施する健康診断において、二酸化硫黄に対する感受性が高く、比較的低濃度で影響を受けやすいと判断された人達を指すのです。」とも教えてくださいました。

 私は、すっかり腰を落ち着け、そこでいろいろと三宅島の噴火、島の現状等、お聞きすることにしました

 1983年の大規模な噴火で、島の中心地区であった阿古地区400戸が、雄山から流れ出る溶岩に飲み込まれていく映像は、今でも目に焼き付いています ゆっくりゆっくり流れ、徐々に住宅や役場に迫って行くどす黒い溶岩の流れ・・・この時、溶岩に飲み込まれた役場は、今でもそのままの様子で残されています。
 阿古地区の住民はその時、溶岩の流れとは反対側の、船の北側に避難したのだそうです。

 しかし、その後も島民はその不幸にも負けず、力強く生活を復興させます
噴火もだんだんと治まります。雄山の外輪山はハイキングコースになっていて、火口内は湿地帯で、貴重な植物も数多く育っていたとか また、雄山山頂には「雄山サウナ」という噴気孔があり、お話をしてくださった女性も、お子様が小さかった頃は、よくそのあたりに出かけ、子ども達はそこに顔を向けて目をつむり、「サウナだー!サウナだー!」と言って遊んだそうです。8合目あたりには牧場もあり、のどかな山頂あたりの風景だったとのことでした
 太古の昔から噴火を繰り返す三宅島には、200以上の神社があり、噴火は神の御業(みわざ)だと崇められ、その恐ろしい甚大な被害を与える神の怒りを治めるために、人は祈りを捧げた・・・三宅島の人たちは、まさに、長い長い間、雄山の噴火とともに生きてきたのでしょう。

 しかし、その1983年のマグマを吹き上げるマグマ噴火から17年後の2000年、次の大噴火が起こります 今度の爆発は、溶岩が流れ出るような噴火ではなく、火山ガス噴火でした
 緑に覆われていた外輪山は大きく陥没し、そこからは高濃度の二酸化硫黄が吹き出し、島中に火山灰を降らせました。この二酸化硫黄によって、島の6割の植物が枯れたと言います 雨が降ると火山灰は泥流となって麓の町を襲いました。

 その後、4年半にわたる全島避難の詳細は、たまたま子どもも楽しめる夏休みの映画として公開された、今話題の「ロック」という映画を観るとよくわかる、と観光協会の方々が笑顔で話してくださいました

 生前、マザーテレサが語られた名言はたくさんありますが、その中でも最も有名な言葉は、「無関心」に関する言葉だと思います。
その中の一説に「愛の反対は憎しみではない。無関心である。」という言葉があります。
 私は、1時間近くご親切な女性からお話をお聞きし、観光協会を出ました。

 暑い陽射しを受けて、真っ青な海が広がっていました 鬼が島をイメージするような「三本岳」が見えました。
 午後からはトライアスロンの競技が始まりますが、私はぜひ、今回は応援だけで終わらせることなく、横浜に帰ったら、必ず、「東京都三宅村」について、紹介をしようと思いました。

 1983年、2000年、私は、毎日報道されるニュースやワイドショーを見て、「三宅島、大変だねえ・・・」「お気の毒ねえ・・・」などと話したものです。その時は、真剣にニュースを見て、真剣に考えていた、はずです。
 でも、4年半もの長期にわたる全島避難のことも・・・
 火山ガスと共存する帰島のことも・・・
 いまだに一部の地区は、高濃度地区として指定され、特別の許可なくしては住むことができないということ・・・
すべて、知りませんでした
 報道が徐々に少なくなり・・・私の記憶の中の三宅島は「伊豆七島の中のひとつの島」というものに戻ってしまっていたのです・・・
 
 私は、立ち枯れの木々眺めながら、炎天下、宿に戻る道を歩き、マザーテレサの「愛の反対は・・・無関心」という言葉を思い出していました



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子ども、いろいろな顔

2011年08月04日 | う゛う゛ー
 当然のことながら、「大人と同じように」子どもにはいろんなタイプの子どもがいるものです。

 たとえば。
  初対面から打ち解け、人懐っこくどんどんと話してくるタイプ・・・
  ニコニコはしていても、少し遠くから眺め、まわりの様子を観察し、自分がどのように接していこうか?と考えるようなタイプ・・・
  まったく無関心を装い、実際には全身を神経のようにして、何とかうまくその場に入っていく方法を考えているタイプ・・・
  完全に自分のまわりにバリアを張りめぐらし、まるで自分がそこにはいないがごとくしようとするタイプ・・・

 どの子が「良い子」なのか?なんて、まったくの愚問であることはご理解いただけるでしょう
 ただ、そこにあるのは「親として、我が子がどんなタイプの子どもであって欲しいか?」と考えているか?どのように振る舞う子を「親として良い子と定義づけているか?」ということだけ、です。
 もちろん、子どもながらもその場がどういう場であるかを理解し、最低限「~~な振る舞いはダメだろうなあ・・・」ということは理解してほしいとは思います

 いずれにしても子どもは、短いながらも2年、3年、4年と、両親の家庭教育のもと、それまでの人生を送り、その子の「人柄」が形成されているわけです。
 そして同時に、よほど特別な事情がない限り、父親と母親のDNAを受け継きこの世に誕生し、そのDNAが子どもの思考や行動の柱となっているのですね

 でも・・・
ついつい親は、子育てに一生懸命になればなるほど、そんな基本中の基本である「自分達のDNA」のことも忘れ、「自分達が毎日育ててきたこと」も忘れ、「どうしてあなたはこんな子なの?」と嘆いたり 悲しんだり 腹を立てたり するものなんですねえ・・・何て子どもってお気の毒なんでしょう・・・

 子どもが家庭内にとどまらず、保育園や幼稚園のように、親とは離れたところで過ごす時間が出来てくると、必ず、子どもには「親の知らない顔」が生まれます
 概ね、うちの子は良い子に育ったわと安心して過ごしていたら、ある時、先生に呼び止められ、ちょっぴりご注意、お小言を聞く・・・すると時々「え?・・・それって、うちのAですか?・・・まあ・・・我が家では、そんな乱暴な、粗野なことはしない(言わない)んですけれど・・・」と困惑されるようなことがあった・・・こんな話はよく聞くものです。
 それは、まさに「親の知らない顔」が、確かに子どもにはあるという実証例、ですね。決して、先生が人違いをしているわけでも、意図的にAちゃんママに意地悪をなさろうとしているわけではないでしょう

 もちろん、プラスの例もありますね。同じように先生に呼び止められ、おー、きたぞー、きっとうちのBは何かをしでかしたんだ・・・と覚悟を決めて先生のほうを振り返り、深々とお辞儀をすると・・・
「え?・・・それって、うちのBですか?・・・あれ、本当にBのこと、ですか?・・・我が家では、そんなにお利口なことしない(言わない)んですけれど・・・」と、狐につままれたような気分になる。それも「親の知らない顔」があった、ということに他なりません。

 まずは、親は「自分の知らない顔もある」という事実を、しっかりと認識をしなければなりません
 
 そして、大事なことは、「自分の知らない顔があった」「自分が気づかない顔を持っていた」という現実にショックを受け、悲しがったり、自分を責めたりせず、「ああ、うちの子も成長したんだなあ・・・なんてすばらしい・・・この子は、しっかりと育ってくれているんだわ」と思うこと、です

 幼い子どもを持つご両親、特にお母様は、「我が子を一番理解しているのは私だ!」と信じて疑いません。
 そういう強い思いが良いほうに働けば良いのですが、「私の知らない我が子の顔があるんだ」と知ったとたん、何となく、我が子に裏切られたような気がしてしまう・・・ そういうお母様は少なくはないものです。

 でも、そうじゃないんです
 そんなふうに思ってはいけません

 そして、私は我が子のことをすべてを知っていないといけない 我が子のことは、完璧に知っていることが母親の役目であり愛情だなどと誤解してはいけません。
 そんなことは不可能だし、我が子とは言えど、生まれたその瞬間から、やっぱり「違う時間」を持って生きているんですからね

 むしろ、子どもが「聞いて欲しい」と思っていることを、しっかり聞いてあげてください!
 「ねえ、ママ!あのね!」と話しかけた時、
 「ああ、もう今、ちょっと忙しいのよ、あとでね、あとで!」
などと一蹴してしまい、決して「あと」はやってこない・・・ それではあまりに子どもがかわいそうです。心当たりはありませんか?

 子どもの「素顔」を知り、子どもの「素顔」を認め、愛してあげましょうよ 隣の芝生は青い・・・ダメダメ ご自分の家の芝生だって、ステキな味のある色のはず、ですよ





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