まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

神頼み・・・ではなく

2011年01月30日 | めそめそ

 今年も、2月1日がやってきます。2月1日、中学受験の入試の日、です
この春から社会人になる我が家の息子が、2月1日の日曜日に中学受験に臨んだのは、今から13年前のこと・・・それからの6年間、彼の中学高校在学中は、一月末に駅構内に張り出される日能研の「がんばれ中学受験生」のポスターを見るたび、夫も私も山ほどある受験準備中の思い出、受験当日のことを思い出し、決まって目頭を熱くしていました
 しかし、いよいよ大学受験を迎える、という頃からは、中学受験は「彼方のもの」となり泣き笑いをするような懐かしい思い出となっていったのでした。

 でも。
我が子がすっかり成人し、大学受験さえもはるか遠い昔の思い出になった今・・・この寒い時期、胸キュンで思い出されるものは大学受験ではなく、やはりまだまだ息子が幼かった「中学受験」のことなのですねえ。
 そして、真っ暗な寒空のもと、家路を急ぐ塾帰りの子ども達の姿についつい目がいき、心の中で祈ってしまいます
 
 「どうぞ、この子達をお守りください 一人一人の偏差値に違いはあっても、この子達は精一杯、いろんなことを後回しにし、たくさんのことを諦めて、目の前の中学受験に向かっているのですから」と。

 私は、仕事がら、「天満宮」は身近です 菅原道真公はきっと、私があちこちの天満宮に詣でるたびに・・・
 「ああ、横浜の南坊さんでしたか 今日は太宰府ですかあ?また今年は遠くまでお出かけくださったのですね。ようこそお詣りくださいました」などと、言ってくださるのではないか・・・としめっぽくなる気持ちを追い払うように、考えてしまいます
 もともと、大阪育ちの私は、神様も「○○さん」と親しみを込めて呼び、身近に感じる存在です。「えべっさん(恵比寿様)」「だいこくさん(大黒様)」「べんてんさん(弁財天様)」「おじぞーさん(地蔵尊)」そして「てんじんさん(天神様)」

 そんな私は、10月初旬、毎年、湯島や亀戸の天満宮、鎌倉の荏柄天神、等にお詣りに行き、教室の生徒達のために手を合わせ、絵馬を奉納してきます
 ついつい、少しでも高いところ(!?)に掛けたくて、151㎝の身長で必死に背伸びをします。それがどこの天満宮であっても、そこに奉納された絵馬の数たるや・・・すごいですよ・・・ご覧になったことはおありでしょうか?
 あまり人の書いたものを見てはいけない、と思いつつ、嫌でも目に入ってくる絵馬達・・・
そこには、受験生達、受験生の親たちの「悲痛な叫び」があります
 「○○大学、△△大学に合格できますように!」「☆☆高校に合格させてください!」などなど。
昨年あたりは「無事に就職先が決まりますように!」という新しい祈願もありました。
 それを書いた受験生達・・・死力を尽くした、最後の仕上げの「神頼み」ですね・・・

 あの絵馬を奉納した人達は、ご本殿に向かって、深々と頭をさげ、ある人はお賽銭を奮発して投げ込み、ある人は特別のご祈祷を受け・・・そして、ご本殿を離れたあとも、もしかしたら振り返り、もう一度、「どうぞ・・・」とお願いをした・・・

 これは、「お願い」です。どうぞ「合格させてください」というお願い・・・私も親として、我が子二人のために、何度「うちの子はがんばっていますどうぞ、合格させてやってください」と必死に手を合わせ、ある時にはたくさんの「願掛け」をして、お願いしてきたかしれません。
 そして毎年、毎年「私の生徒ちゃん達はがんばっていますっ お父様やお母様も、我が子のがんばりをずっとサポートしていらっしゃいます どうぞ、合格させてください」とお願いしてきました。
 苦しい時の神頼み・・・お願いする・・・頼む・・・

 でもね、一昨年、息子の病気を期に、私が手を合わせる時、心の中で「何か」が変わってきたことに、最近になって気づいています・・・

 今の私は、「どうぞ合格させてください!」と『お願い』をするのではなく、ひたすら、「祈る」ようになりました。
 上手に説明をすることはできないのですが、今までの「お願いすること」「頼むこと」と「祈り」とは、とても違うもののように思っています。

 明日、1月31日。きっと、2月1日に中学受験初日を迎えるご家庭では、さまざまな思いを持って過ごされることでしょう
 私も明日から、祈ります こうべを垂れ、ひたすら祈ります・・・
 どうぞ、無事に子ども達が受験を終えられますように。それぞれの子ども達、ご家庭のがんばりが実り、春から幸せな学校生活ややってきますように・・・と。



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伊達直人のランドセル

2011年01月12日 | う゛う゛ー
 小さな善意「伊達直人」・・・日本中に広がっていますね。年明けから、とても心あたたかくなる素敵な伝染です
 こうして次々に各地に登場する「伊達直人」のニュースを聞いていると、日本もまだまだ大丈夫だななどと、ホッとしてしまいます。
 リーマンショック以来、ずっとずっと暗いニュースばかりが続いていたように思うここ1,2年 ちょこちょことハッピーなニュースはあっても、「吉報・吉事」としてしっかりと心に残っていないことを思えば、やはり気分低迷のニュースのほうが多かったのでしょう。

 ただ、今回の素敵なニュース・・・私は、どうしても視点は「伊達直人の善意」のほうではなく、その善意が向けられている児童養護施設のほうに向いてしまいます。
 どのニュースを見ていても、映像では真新しいピカピカのランドセルや伊達直人のメッセージが映し出され、本当に「さらりと」ナレーションで「事情があって親と一緒に暮らせない子ども達の施設」と言われるだけで終わってしまいます
 当然、マスコミが取り上げたいのは「善意」あり、善意がむけられているほうをクローズアップする意図はないわけですから、それは至極当然のこと、だとは思います。

 でもね、子を持つ親として。
みなさまには是非、伊達直人さんから贈られた善意のランドセルを背負って、春に小学校に入学していく子ども達のことにも思いを馳せていただきたい・・・心からそう思っています・・・

 大学生の頃から結婚して大阪を離れるまで、私はボランティアのクラブに所属していました。
アメリカに本拠地のあるライオンズクラブのサポートを受けて、活動をするボランティアクラブでしたので、比較的裕福な家庭の子女達の「善意のお遊び」などと揶揄されることもありましたが
 けれど、そこで活動をする私をはじめ、すべてのメンバーは、とても真面目に一つ一つのことに取り組み、そのつど、多くのことを感じ、考えていました。50歳を過ぎた今、私が当時のことを思い出して思うことは、やはり、若い頃の経験は、何でもストレートに心に響き、感性を揺さぶることだったと思います
 
 話しが横道に逸れてしまいました
その私の所属するクラブでは、通年、地域の児童養護施設のさまざまな行事に参加してお手伝いをしたり、クラブ主導で催しを企画し、そこに施設の子ども達を招いたり、参加してもらったり・・・という活動をしていました
 
 それは、その児童養護施設の子ども達を招いて、奈良に遠足に行った時のことでした。
バスの中では歌を歌ったり、ゲームをしたり・・・子ども達もとても楽しそうで、私もハッピーな気分で一日を終えるはず、でした
 けれど、小学校1年生の女の子のひと言で、その日の私・・・いえいえ、その後、数日間、数ヶ月間の私の気分は、ずっとずっとヒリヒリと痛むものになったのです・・・子を持つ親になったあとも、私は娘の遊ぶ姿を見ながら、その時のことを思い出しました・・・

 女の子と東大寺の境内を一緒に歩いている時、その子は、突然、私にこうたずねました。
 「なあ、おねえちゃん。おねえちゃんは、いつもお母さんと一緒に住んでるのん?」

 私は突然のことに、頭の中は大パニックになり・・・でも、瞬時に適切と思える言葉も見つけられず・・・結局は素直に。
 「うん、そうやよ
と答えました。

 すると女の子は、ニコニコ笑いながら、続けました。
 「ええなあ・・・私もお母ちゃんと一緒に住みたいわ

 ニュースで簡単に語られる「事情があって親と一緒に暮らせない子ども達」・・・
今回の伊達直人の連鎖は、確かに、日本にも小さな善意がたくさんあるということを実証する出来事であり、本当にうれしく、心あたたまるものです。
 そして、満面の笑顔で、贈られたランドセルを背負ってカメラに向かって「うれしい」と言っている子ども達の言葉にもウソはないでしょう。

 でも、当たり前のように我が子と暮らし、他人様からは時には「過保護」に見られているであろう幸せな家庭の母親ならば、やっぱり、伊達直人がランドセルを贈ろうとする施設が、日本各地にたーくさんある、という事実を知り、そして、その施設には、今もたくさんの子ども達が親と離れて暮らしている、という事実を思う時間も持っていただければなあ・・・心からそう願う、ここ一連の善意の話題です。

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