まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

親の感性

2009年05月28日 | にこにこ
 現代では、さまざまなシーンで「感性」という言葉をよく使います。子育ての話しの中然り、仕事の上でも「感性」は大きな意味を持っているようです
 何事に対しても「行け行け、GO!GO!」の昭和の時代は、「感性」や「心」などという比較的「静」に位置づけられることには、あまり価値は見出されていなかったのでしょうね。それよりも、「パワー」だとか「勢い」とか「馬力」などという言葉に象徴されるような「動」が重要視された・・・
 
 しかし。この感性とは・・・なかなか、説明のむずかしいものであるかもしれません。
 ただ、私の考えでは、「感性」とは、「理屈とか理論」とか、そういうものの対極にあるもの・・・見たもの、聞いたもの、経験したこと、そういうことを素直に、柔らかい心で感じたままを大事にすること・・・だと思っています
 きれいな花を見た時、「何という花なんだろう?」と疑問に思い、是非、その花について知りたい!と思うことも、とても大事だと思います。年齢に関係なく、「知る」ことは、人を大きく豊かにしてくれますからね
 でも、そういうこととは全くちがった次元で・・・その花の名前を知らなくても、原産地や品種や開花時期を知らなくても、単純に「ああ・・・きれいだあ・・・」と感動し、その花に見とれる時間、その時間の心のあたたかさ・・・などが、その人の「感性」なのでしょう
 1+1=2、2+2=4・・・それこそが真理だ、と感じて生きている人が相手では、話していても面白みや潤いがないように、「感じる心」を持っていなければ、その人の幅は狭く、心が固く感じてしまうのではないでしょうか?

 またまたスポーツ関連の話題で恐縮ですが。
4月の石垣島トライアスロンでご一緒した方に、あるお父様がいらっしゃいました。年長児のお嬢様をお持ちのお父様で、この秋に小学校受験を控えていらっしゃいます。
 レースの前日、受付の手続きをしに体育館に行った後、説明会までの長い待ち時間をご一緒し、いろいろとお話をしました。
 そのパパのご自身の大学時代の経験、現在のお仕事への思い、父親としてのお嬢様への思い等、語られるお話がどれもこれもイキイキとしているのです
 さまざまなお話から、この方は頭だけではなく、心で物事を捉えて、毎日を楽しく豊かにご家族と過ごしておられるのだなあ、と感じ、私までがほのぼのとした気分になりました。同時に、そういうお父様のもので暮らすお嬢様のお幸せも感じてたのでした
 教室の仕事をしながらも、時折、そんな「父親像」として、その方のことを思い出していると・・・たまたまレースの後、その方がご自分の思いを現地の新聞に投稿され、その記事がその地方紙に大きく掲載されたことを知りました。その一部を、ここでご紹介しましょう。



 「昨年10月、トライアスロンをしていた知人から何気なく「やってみない?」と誘われ、その場で「デビューは来年4月の石垣島ね」と勝手に決められてしまったところから私の石垣島トライアスロンは始まりました。何しろ「石垣島」とは聞いたことはあっても沖縄本島から一体どれくらい離れていて、どんな形をした島なのかさえもわからない状態でした。
 それからはホームページに載っている大会の写真を何度も見ながら「ああやって石垣島の皆さんに応援してもらえたら気持ちいいだろうな」と思いながら練習してきました。
 大会当日は何とも言えない緊張感の中で私の初挑戦はスタートしました。海では何度も人とぶつかりながらやっとの思いで陸に上がり、自転車のある場所まで数百メートルを走った訳ですが、既に多くの石垣島の皆さんが応援してくれ私は「ああこれだ、これこれ!」とホームページで見た写真を思い出しながら嬉しくて仕方がありませんでした。自転車で走り始めてからも、沿道から応援してくれる皆さん一人一人の顔が見たくて「ありがとー!ありがとー!」と手を振り大きな声で叫びながらレースをしていました。
 最後のランニングでも皆さんからの応援は変わらず本当に心強かったです。そして沿道からの水やポカリ、塩やバナナにどれだけ助けられたことか。今までに食べたり飲んだりした何よりもおいしく感じました。迎えたゴールの瞬間、私はガッツポーズをしながら大きな声で「ありがとー!」と叫んでいました。これはこのチャレンジへの自分の気持ちと、応援して下さった石垣島の皆さんへの気持ちから出てきた素直な感情でした。
 完走者メダルをもらい、レースを振り返りながらタオルで汗を拭っていた時、何故か大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちてきました。小さな子供からおじいちゃん・おばあちゃんまでが鍋や太鼓を叩きながら「ガンバレー!」と言ってくれた一声一声、その情景を思い出すと自然に涙が溢れてきました。

 あの感動から約一週間、名古屋に戻った私は通常どおりの生活を送っていますが、石垣島で自然に出た涙の理由が今になってよくわかってきました。それは久しぶりに「本物の人の優しさ」に触れることができたからだったからだと思います。どこの誰かもわからない。けれどとにかく温かい心で人を包みこむ。「遠いところをよく来てくれたわね」と島中から歓迎されたかのようなここち良さ。まさに人としての原点を垣間見た気がしました。
 今の日本にこれだけ純粋な心の人が多くいるところは少ないと思います。石垣島には素晴らしい自然と共に「素敵な人々」がいます。石垣島の皆さんにはそうした雰囲気や文化をいつまでも大切にしていただき、これからも多くの人々を感動させていって欲しいです。私は来年も絶対に出ます。だって私にとって石垣島は心の故郷になってしまいましたから。
 来年もまたたくさんたくさん応援して下さいね。それを楽しみにまた頑張って練習します。
 石垣島の皆さん大変お世話になりました。そして本当にありがとうございました。



 いかがでしょうか?
この方が「お嬢様のパパ」として、どんなことをわが子に語り、どんなふうにそれを伝えようとなさったか・・・きっと、そのお嬢さんの心には「いしがきじま」「がんばるパパ」「パパを応援してくれた人達」「うれしくて、おとななのに、泣いちゃったパパ」等、印象として残ったのではないでしょうか
 親の感性・・・親の豊かな心・・・それは、間違いなく、わが子のまだまだ柔らかい心に直に響いていくものだと実感しています。

 ちゃんと部屋を片づけない・・・ 大きな声でごあいさつをしない・・・ 何度注意してもいっこうに治らないわが子の態度には、本当に腹が立ちますよね。
 でも、お母様の「口」を、ガミガミ、ぶつぶつと文句を言うために使うのではなく、時には、ご自分が感じたことや思いを、心を込めて言葉を発することに使ってみませんか?
 スポーツなどに挑戦しなくても、何か特別のことをしなくても、ちょっとご自分の発想を意識的にかえてみると・・・日頃の生活の中でも、いろいろと感じることは多いものですよ
 今日の雨も、眺めていると、心を落ち着かせてくれる素敵な自然の恵みです
 こんな穏やかな心で眺めてみると、日頃は感じることのできなかったことも、見えたり、感じたりできるものです。
 親の「感性」が、まさに子どもの感性を育てる手だてとなる・・・間違いありません

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パラカップ2009 - 子ども達の成長

2009年05月12日 | にこにこ
 チーム・マナーズ、総勢30名!元気に完走
4月29日、爽やかな青空のもと、今年も「パラカップ2009」が開催されました。「世界の子ども達に贈る~RUN~」この主旨にご賛同くださったみなさんと、当日は元気に身体を動かしました

 この日は・・・
走ることによって、子どもに何か伝えられるか?と重い腰を上げてくださったお父様・・・
 私がご紹介したチャリティーラン「パラカップ2009」出場を決め、それを動機に初めてランニングを始めたお母様・・・
 ちょっぴり大きくなったわが子と、熱い時間を共有するためにとエントリーされたご両親・・・
 そして、すっかりお兄さん、お姉さんになり、颯爽と10キロを走った卒業生の子ども達・・・
 在学している学校も、学年も違う子ども達とそのご家族が、このチャリティーランに同じ思いを持って集い、「チーム・マナーズ」として友好を深め、気持ち良く汗を流す・・・私は本当に感激でしたし・・・パラカップ主催者のみなさまや協賛した各種団体の方々からは、そのパワーと結束力の強さに感動した、とお話しいただきました
 10キロウォーク、10キロラン、と出場する種目は違っても、出場者全員が完走し、お一人お一人がこの日にあらためて、多くのことを考え、感じてくださったことを本当に本当にうれしく思いました

 ほんの一部ですが、パラカップの後にいただいた保護者のみなさまからのお声をご紹介させてください。
 「息子と二人、とても良い経験をさせて頂きました。歩くことは生活の中でもありますが、景色や空を眺め、その綺麗なことを楽しみながら、またたくさんの方に声援を頂き、楽しく10キロ歩くこと・・・こんなことはなかなかできません。途中、少し疲れて休みたいと言った息子でしたが、ゴールできると、まどか先生に『次回はMちゃんと一緒に走りたい!』と言っていましたので、とても楽しかったのだと思います。」
 「10kmなど、今までの生活では車での移動しかありえなかった私ですが、こうして走れるようになるきっかけを作ってくださって本当にありがとうございます。子供も10km完歩でき、帰り道では、ママがんばったね、僕も頑張った、走っている人はみんながんばったよね・・・と話していました。いつの間にか、自分中心の世界だけでなく、周りの人々をねぎらうことができるようになったのかな? 大人と同じ土俵に立ってのいろいろな経験が、子供たちを成長させてくれることを実感しました。」
 「このような経験をさせて頂きましてどうもありがとうございました。皆さんと一緒に参加できてこその楽しさを味わいました。お天気と、自然の景色と、沿道に立つボランティアの方々の声援と、いずれもすばらしいと感じました。すべて良い思い出となります。来年はウォークではなく、是非ランナーとして参加できるよう準備していきたいと思いました。応援組だった次女は、来年は 「私も走る」と寝るまで話しておりました。今日をきっかけに家族皆で「スポーツ」に興味が持てたら良いな、と思いました。」
 「先ずは親子3人、完走できたことに心から感謝です。マナーズでも、姉の影に隠れがちだった息子が快挙をあげ、びっくり!まわりのみなさまに「がんばったね~」「凄いね!」と声をかけて頂き満面の笑み。息子にとって、大きな自信になったことが何よりの収穫でした。こんな体験が子どもの精神的な成長に繋がることを、改めて感じました。」
 「今日は、ばりばりの筋肉痛ですが、昨日は天候にも恵まれましたし、ひとりではなかなかできない運動もでき、とてもよい休日を過ごすことができました。改めてこのチャンスに感謝です。あの後、GW中に訪問する知人宅へのお土産の買出しへ行ったのですが、どういうわけか主人はトレーニングパンツを購入していました・笑」
 「今年は2度目の参加でしたが、娘はパパも一緒に参加できたことが何よりも嬉しかったようです。太陽の下でのランニング、とっても気持ちのいいものですね!主人は「来年はしっかり練習して、ハーフに出る!!」と今から息巻いております。」

 きっかけは何であれ、終わった後に「ああ、やって良かった!」と感じることのできることに出会うことは、とてもすばらしいことだと思います
 今回は、たまたま走る、とか歩く、というスポーツでしたが、それがどんなものであったとしても、とにかく「行動を起こす、ACTION」なくして、何も始まりません
 このアクションから、人は間違いなくさまざまなことを感じ、考えるものです。そして決して大袈裟ではなく、そこで感じ、考えたことは、その後の生き方に大きな影響を与えることになるでしょう

 とは言え・・・
子ども達はいとも簡単にアクションを起こせるのに対して、年を重ねるごとに、人はみな、上手な理由を見つけて、新しいものへのアクションを回避していくようになります 心の中には「アクション」への憧れと期待を感じていながら・・・
 今回、そのアクションを起こしてくださったお父様、お母様、本当にありがとうございました そして、そんなステキな大偉業を成し遂げる時間を共有できたことを、とってもうれしく思っています

 さて、このレースですが。
私の何よりの大きな感動は、卒業生達が着実に成長していっている姿をこの目で確かめ、実感できたことでした
 昨年のパラカップでは、新1年生ながら、汗びっしょりになりながらも一生懸命に歩き、お母様と一緒に10キロウォークを達成したお嬢さんは、2年生になった今年もちゃんとやり遂げてくれました やはり今年も、汗ダラダラの顔まっか。ゴールして戻ってくると、にこにこと私の前を通り過ぎ、自分のバッグをゴソゴソとやっているかと思うと・・・おもむろにタオルを取りに出し、顔をごしごし・・・その姿は何とも愛らしく見えました
 すっかり私の身長を追い越した中2ちゃんも、パパと一緒にゴール 私の容赦ないハグをいやがらずに受け、昔と変わりない笑顔を見せてくれました
 昨年に引き続き10キロランに挑戦した3年生お嬢さんは、今年はタイムを1時間も縮めましたよ パパもご一緒された今年は、家族パワーが溢れたのでしょうね
 あの悪天候の三浦マラソンで転んでケガをしてしまった2年生 今回はご家族で10キロウォークにエントリーされましたが、結局はほとんどの距離を走りきりました
 つい半年前にマナーズを卒業した新1年生も、お母様と一緒に一生懸命歩き、しっかり10キロ歩き、ゴールを果たしました

 そして、ちょっぴりオマケの話しですが・・・私は、ほんの30秒ですが、10キロで念願の1時間切りを達成しました
 石垣島のトライアスロンの3日後ということで、多少、満足に走られるかどうか心配でしたが、案ずるより産むが易し 走り出したとたん、いつもより足はかなり重く感じたものの、多くのランナー、ボランティアの方々の声援に後押しされ、本当にステキなランをすることができました
 それに、この私の10キロ1時間切り達成の原動力になった「私のペースメーカー(ペースを落としてしまったりすることのないように、自分より少し前をペースを保って走る人のことです)」は、何と、4年生の卒業生でした
 私は、5キロの折り返し以降、彼が脱落していかないように要所要所で声をかけ、すっかり私がリードしてあげているつもりでした。
 ところが、6キロを過ぎても、7キロを過ぎても、彼のスピードはいっこうに落ちてきません いつしか、私が彼をリードするのではなく、私のほんの少し先をちょこちょこと、軽やかに、楽しそうに同じペースで走っていく彼を、追いかける立場になっていました
 間違いなく、彼というペースメーカーがいなかったら、私はもっと、ペースダウンして走っていたことでしょう。

 このペースメーカーWちゃん・・・心根がやさしく、いつも笑顔を絶やさなかった彼は、私の中では「いつもニコニコと機嫌良く笑い、穏やかに話し、2歳年上の大好きなおねえちゃまの後ろをちょこちょことついて歩く男の子」でした 
 ところが・・・です。今回彼は、スタート以降ずっと、ママやおねえちゃまから離れ、ずっと自分のペースを崩さずに走り抜いたのでした
 中学受験を目指す彼は、帰宅後、少しおやつを食べた後で、塾も休まずに行ったそうです・・・

 子どもの成長には、目を見張るものがあります。
親は、わが子の成長に手を貸すつもりで、実際には、あまりに手をかけ目をかけすぎて、その力強い成長の足を引っ張っている時さえあるのかもしれません
 本来、子どもは逞しい者、なんですね
 私のしつこいハグを受けて、ニコニコと笑顔で多摩川河川敷を去っていった子ども達・・・今日も、この瞬間も、どんどんと成長していっているのでしょう

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石垣島トライアスロン

2009年05月01日 | めそめそ
 4月26日の日曜日、この1年、私が大きな目標にしていた「石垣島トライアロン」が開催されました。4時間18分もかかってしまいましが、無事、完走しました 残念ながら、この日は雲が低くたれ込めた曇り空。南の島にしては気温も20度に達しない寒い日でしたが、強い陽射しによる疲労の心配がなかったのは、じつは幸いだったのだと思います。

 大会が迫るにつれて、私にしてはめずらしく緊張感が増していき・・・石垣入りしたレース前々日の金曜日ともなると、心臓が口から出てしまいそうになるほど緊張していました。
 24日の金曜日、トランスオーシャン航空の午後の石垣への直行便は、ほとんどがトライアスロンに関係する人らしく、「南の島への観光客」とはかなり風貌も雰囲気も違います。すでに、羽田を出発する時点で、トライアスロン大会は始まっているような気がしました。
 午後5時半、宿泊先のホテルに到着。とにかく驚いたことは、空港からホテルまでの道で、信じられないくらい大勢の「自転車の人」を見たことでした。
 皆ロードレーサー型の自転車にバイクヘルメット姿。当然ですが、沖縄スピード?!の車(沖縄の人達は、みなさん、スピードを出さず、ゆーっくり安全運転です)とあまり違わないスピードで、走っています。そうです、すでに石垣入りしたトライアスロン大会に参加する選手達が、自分のバイクで練習をしているのです。
 そして、ホテルに到着したら、またまたびっくり どうもそのホテルは、大会の午後に開催されるトライアスロンのワールドカップ石垣大会に出場する選手達の窓口になっているらしく、ロビーは外国人選手がうじょうじょ。中には、「JAPAN」の大きなロゴの入ったジャージを着ている選手もいて、私の緊張はまたまた高まりました
 翌日は、チームの人達と一緒に、自分の自転車に乗って近くの体育館に受付に行き、その後は説明会に出たり、バスでバイクコースの下見に行ったり(なにせ40キロあるわけですから、ゆっくりバスを走らせて、コースの注意などを受けながら乗っていると、かなり時間がかかりました)、スイムの場所で試泳をしたり・・・あっという間に夜になってしまいました。

 さあ、いよいよ大会当日です
今年のエントリー者数、1908名。そのうち、300名ほどはリレーでのエントリーです(3人ひと組で、各自がスイム、バイク、ランの選手として出場します)。2000名近い参加数は、国内でも大きな規模のトライアスロン大会です。また、島民のボランティアも約500名。石垣市の中心部はスタート前の早朝から、すでに大いに盛り上がっていました
 午前6時半。トランジションエリアはすでに人でいっぱいです。このトランジションエリアには、選手以外は入れない決まりになっています。選手達は、各種目が終わるたびにこのエリアに戻り、次の種目に向けて準備をします。ズラリと並んだ長ーい鉄棒状のバーに、小さいシールで選手のゼッケンナンバーが貼ってあり、そこが各選手の陣地?!になっています。バーに自転車のサドルを引っかけ、前輪の前に、競技に必要なすべてのものを起いていきます。
 たとえば・・・
スイムが終わり海からあがると、このトランジションエリアに向けて走り、走りながらウエットスーツを脱いでいきます。脱いだスーツを自分の陣地に起き、次のバイクに向けて支度をします。
 ただ、1秒のタイムを競うような選手達は、いかに次の種目へスムーズに移るか?も課題であり、エリート選手達は、ウエットスーツも着ずにスイムを行い、膝下までのワンピース状の水着で全種目を行いますから、このトランジションエリアでの時間は極めて短いわけです
 エリート選手でなくても、レースに慣れている選手達は、時間のロスを最短にするために、各自工夫をしています スタート前、そんな選手達の「工夫」を見るのもとても興味深いものでした

 ちなみに私の場合は・・・トランシションエリアに戻った時には、あんなにスタート前にはズラリと並んでいた自転車もまばら。なぜかって?そりゃあ、ほとんどの選手が、もうとっくにそのエリアで支度をし終え、バイクに出発してしまっていたからです
 私はウエットスーツを脱ぎ(コーチやお仲間達に教えていただいた通り、海から上がったとたんにウエットスーツを脱ぎ始め、トランジションエリアに着いた時には腰までウエットスーツを脱いでいました。この格好だけは一人前なのですが)、水着兼ランニングパンツの上にバイク用のお尻にクッションのあるパンツをはき、バイクシャツを着て、靴下をはき、バイクシューズを履いて、ヘルメットをかぶります。さあ、出発
 ・・・といきたいところですが、初めてのことで緊張感は解けず・・・これから40キロの自転車を考えると、やっぱりお手洗いに行っておきたい、と思い、すでに出発できる格好をしてから、おもむろにトランジションエリアの仮設トイレへかけていきました
 たぶん、この間、10分以上・・・でも、タイムのロスなどを考えるには百年早い 完走が目標の私にとっては、とにかく、万全の体制で各種目に臨まないとリタイアという状況を招いてしまう・・・そうなったら元も子もない・・・その思いでいっぱいでした

 さあ、やっとお手洗いを済ませて、自分の陣地に戻り(じつは、バイクシューズ。ちょうど足の土踏まずと指の間あたりに、自転車のペダルに装着するための金具がついているために、そのままで歩くとカチャカチャ鳴り、また滑りやすく、とっても歩きにくいのです。これを履いたままでお手洗いに行き、陣地まで走って戻るのも一苦労でした)、バーにかけた自転車を下ろして、乗車エリアというところまで、自転車を押して走ります

 お恥ずかしながら、正直に申しあげると、スイムが終わった時点で、私はすでに泣きそうでした 全く思うように泳げなかった後悔。これは経験不足だからではなく、明らかに「練習不足」によるものです そして、どんなに教えていただいても、イメージしていても、実際にトランジションエリアでの支度は、イメージ通りにはいきません。
 支度をしながら「ああ、私はまだこれから40キロもバイクをこいで、その後、またここに戻ってランの支度をして、それからまだ10キロも走るのか・・・」と思うと、気が遠くなる思いでした。緊張を解いてしまうと、すぐに気持ちが折れそうに思いました
 
 それでも何とか気丈に次のバイクへの支度ができて、気持ちが萎えてしまわなかったのは、がらーんとしてしまったその広いトランジッションエリアの外から目一杯フェンスに寄りかかり(そうです、そのトランジションえエリアには、選手しか入れないですから)・・・
 「まどかさーん、ナイススイムでした!よくがんばりました すごいすごい!落ち着いて支度しましょう。慌てることはありませんよ。自分のペースで、楽しんでバイク、行ってきてください!!いいですよー!!」
 と叫び、笑顔で励ましてくださるコーチの声があったからです。
私は、まさにその声に支えられて、気持ちを立て直し、泣き笑いでガッツポーズをして、バイクをスタートさせました

 驚いたのは、沿道の声援でした。ズラリと並んだ島の人達。小さな太鼓を叩いたり、缶を叩いたりしながら応援してくれます。
 「がんばれー!ちばりよー!」
気の遠くなるような40キロの道のりを乗り切れたのは、間違いなく、あの島の人達の声援のおかげでした
 
 バイクも遅い私は、どんどんと追い抜かされます けれど、コーチが言われたようにマイペース、マイペース。あんなに上手く泳げなかったスイムでも、何とか時間内に終えることが出来てタイムアップにならなかったのだから、その幸運に感謝し、しっかりとこいでランに繋げなくては
 島の人達の声援は、市街地を離れても途絶えませんでした。各家々の前には必ず人がいて、声をかけてくれます。
 13キロを過ぎ、バイクのコースがアップダウンの多いサトウキビ畑の中になっても、いろんなところに人々がいて、大きな声で「がんばれー!」の声。そして拍手
 おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、おにいさん、おねえさん、小学生、中学生、高校生、そして小さな子ども達まで・・・

 この日は風が強く、海岸線を走っている時にはかなりの向かい風 さすがに曇天でも、左に見える竹富島と海はきれいでしたが、「ああ、きれいだあ」と感動する余裕はありません 海岸線を離れ、島の内陸部に入ってからの15キロから23キロあたりまでは、今度は左からの横風を受けてハンドルがとられ、車体が揺れます。私のように遅い選手は、自転車競技とはいえ、選手達がお団子になって進むような状態はなく、常に「一人旅」です。ひたすらハンドルをしっかりと握り、風で煽られないように注意をして、こいで・・・こいで・・・

 前夜、夢にまで出てきた直角に曲がる3カ所のカーブも何とか無事にこなし、サトウキビ畑を越えて市街地に戻ってきました。
 数年前、新石垣空港建設のための予定地になり、サンゴ保護のための大きな反対活動で有名になった「白保
しらほ)」の町です。ここで30キロ地点。残り、あと10キロ。さすがに足は疲れていて、緩やかな傾斜も足にこたえます すでに首や肩はカチカチ。平坦なところで安定してこげる時に、肩を上げ下げしたり、首を左右に曲げてリラックスしようと試みますが、なかなか上手くはいきません。すでに、お尻の感覚もなくなっていました
 
 残り2キロの表示を見た時には、本当にうれしかったですねえ 
私にとって一番心配だった自転車を終えられることは、奇跡のように思えました。町の公園の時計を見ると、すでに11時。
 8時のスタートから、もう3時間が経過しています。必死に自転車をこぐ私の右横では、どんどんランのコースを走り始めている人達が見えました。(実際、この時間には、すでに私の夫は10キロのランも追え、2時間48分のタイムで無事にゴールをしていたのでした)

 やっとトランジションエリア手前の降車地点で自転車を降りた時、やっと緊張が解けた気がしました あとは10キロのランを残すだけ・・・バイクを無事に終えられたことは、本当にうれしかった
 自転車を押して自分のナンバーが付いたバーのところまで戻り、自転車を引っかけ、ヘルメットを脱ぎ、バイクパンツを脱いで、シューズをランシューズに履き替え、出発
 「もういくしかない やるしかない あとは必死に走って、完走するのみ 走れ!行け
 自分を奮い立たせました

 バイクの最後1キロで、とても疲労していることを自覚していた私は、トランジションエリアでパワーバーというゼリー状の栄養補給食品を食べるつもりが、今度は、意気込みが空回りして、それを忘れてしまい、そのままで走り出していました 体力の消耗と喉の渇きが心配でした 何とか、スタートから500メーター地点のエイドステーションまでがんばって走り、そこで水をもらわなければ・・・
 
 ところが・・・なぜか足が思うように動きません 気持ちばかりが先に先に進んでいるのに、ちっともいつものランの時のようには足が動かないのです。疲労や喉の渇きが原因だとは思えませんでした。40キロのバイク中、ずっと「こぐ」動作をしていた足の筋肉が、ランの動きにまだ慣れず、ついていかないのです
 その時、右側の沿道からコーチの声がかかりました
 「まどかさーん!バイク完走、すごいですよー よくがんばりましたね!今は走りづらいでしょうけど、大丈夫ですよ!あと1キロほど走れば、いつもの走りに戻りますよ!心配しないで その調子!」
 また100メーターほど行くと、別のコーチが・・・
 「さあ、まどかさん、がんばれ まどかさんの得意のランですよ 自信を持って行きましょう
 正確、かつ適切なアドバイス。ピンポイントの励まし。そして何より、技術やテクニックを教えるだけではなく、教える相手に対する大きな愛情を実感できるタイムリーで最大の効果のある励まし・・・感動でした

 エイドステーションでは、ボランティアの人達が手に手にお水やスポーツドリンクの紙コップを持って立っていてくれます。私はその一つをもらい、じゃーじゃーとこぼしながらもしっかりと水分補給をし、そのエイドステーションの最後の一人が紙皿に入れていた「小さく砕いた黒糖」を口に含みました。
 「さあ、最後のランです この黒糖食べたら、絶対元気でるさあ。がんばれー
 
 本当にそうだったんですよ  黒糖の甘さがパッと口に広がり、すぐに元気になった気がしました
 2キロを過ぎたあたりのエイドステーションでもお水をもらい、小さなバナナを食べて・・・3キロあたりから、やっと走っているという感覚が戻ってきました。いつもよりずっとずっと遅いペースながら、やっと自分の走りができるようになった、そう思いました
 
 あとは、もう、前に・・・前に・・・です
5キロを過ぎると、自分でも「完走できる」という確信が湧いてきて、吹き出してきた汗をぬぐうため、ちいさな子ども達が競って差し出すスポンジをもらったり、少年野球帰りの子ども達のハイタッチを受けたり・・・身体は疲れてはいるものの、沿道の声援すべてに笑顔で応え、一生懸命に走りました
 7キロから残り3キロはもう直線です。3時間ほど前に、私はこの道を、走りきれるかどうか不安になりながらバイクをこいだ道です。今度はその道を、完走できる確信を持って進みます。

 9キロのところで、右側の沿道から夫が叫びました。
 「まどか!完走できるぞ!がんばった!あともうちょっと!」
 トランジションエリアの中からも声がかかりました。
 「まどかさーーん!!がんばれー!!」
沿道からのガンバレの声、拍手、少し離れた沿道を伴走する夫・・・フィニッシュ地点はすぐ右手に見えているものの、実際にはかなり迂回して入っていきます。この1キロはじつに長い・・・
 道をぐるっとまわり、やっとフィニッシュゲートまで直線になりました。そこに現れたのがトライアスロンボーイズのチームキャプテン 大会役員に「いいでしょ?!ゴールまで一緒に走っても!」と声をかけ、私の右を走り始めました。夫は私の左を走ります
 二人の「がんばれ!がんばれ!」の声・・・
私は、本当に最後の力を振り絞り、ラストスパートをかけました。まさに歯を食いしばり、必死に・・・必死に走りました エイサーの太鼓。拍手・・・

 ゴールした瞬間、私は号泣
4時間18分・・・何という長い時間だったことでしょう。チームのキャプテンは2時間46分、夫は2時間48分・・・私は、すっかりみなさんをお待たせし・・・でも、念願のゴールを切ることができました
 ボランティアの高校生がタオルを差し出してくれて、そして、完走のメダルをかけてくれました
 チームメイトのUさん(私立女子校の校長先生)、Sさん(華道家)、キャプテン、夫・・・みなと抱き合って、ワーワー泣きました

 がんばることは・・・大変なことです。やっぱり、簡単なことではありません。
私がゴールしてまもなく、タイムリミットが来て、大会は終了しました。交通規制を解くために、コース内に置かれていたカラーコーンが次々に撤去されていきました。
 要するに、私は本当に幸運にも、時間ぎりぎりでゴールしたのでした。もちろん、完走を果たした!ということで感激し、いつまでも涙を流していた私は、全くそんなことは知りませんでしたし、スイムやバイク、ランの途中で何らかのアクシデントがあったり、タイムアップになったり・・・という理由で、275名もの選手がリタイアしていたことを知るのも、横浜に戻ってからのことです
 
 沿道からのあたたかい声援 コーチ達の真心のこもった的確なアドバイス チームメイトの支え 2000キロ離れた東京から送られてくるエール そして一粒の黒砂糖・・・
 どれ一つが欠けても、私の完走はありませんでした。

 石垣島トライアスロンで完走をする この1年の目標は達成できました 
 さあ、次はもうちょっぴりハードルを上げて、私に何を課しましょうか?

コメント (1)
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