まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

「大雪山忠別湖トライアスロン-in ひがしかわ」を終えて

2009年08月15日 | にこにこ
 大雪山国立公園は、日本一の広さを誇る・・・ということを習ったのは、確か小学校の社会科の時間でした
 でも、関西で生まれ育った私にとって、北海道は遙かかなたの地。夫の名護での入院があって以来、北海道と同様に遠くて縁遠かった沖縄が、我が家にとってぐーんと身近な地となってからはよけいに、北海道は遠い遠い地でした
 そんな北海道、旭川に行くことになったのは、トライアスロンのお仲間の一人が、「あんなに話題になっている旭山動物園・・・やっぱり行ってみたいわよね!」という鶴の一声でした

 今回のトライアスロンは、大雪山系の最高峰「旭岳」の麓、忠別湖というダム湖をスイム会場とした「大雪山忠別湖トライアスロンin ひがしかわ」という大会。
 8月9日、朝から快晴 比較的、標高の高いところとは言え、気温はぐんぐんと上がり、澄んだ空気のせいか、陽射しは刺すように強く、観光には絶好の日和ではあっても、トライアスロンには決して快適なコンディションとは言えません
 大雪山を水源とする、忠別湖の低い水温を気に病んでいた私たちではありましたが、さすがに雲一つない空を見上げて、今度はこの陽射しが気にかかりました。
 
 いよいよスタートです
私にとっては石垣島に続き、2回目の大会。まるでトライアスロンのお祭りのようで、参加者も1800名という石垣島トライアスロンとは違い、この大会はリレー参加者も含めて参加者は400名弱。
 北海道で唯一の大会ということもあってか、トランジションエリアで支度をしている時に一緒になった、ゼッケン番号の近い女性参加者たちは、どう見ても強者ばかり。真っ黒に日焼けしたオバサンたちの中にあって私は、どう見ても場違いの軟弱選手でした
 5、4、3、2、1、のカウントダウン・・・そしてスタート。
湖に入ると、本当に冷たい ちょうど、サウナの後で入る水風呂の感覚です。ウェットスーツを着ていても、冷たさが伝わってきます。でも、行くしかありません。
 前回の石垣では、あまりの緊張で、格好悪くも「クロールの泳ぎ方を忘れてしまった」私でした 今回は、ちゃんとクロールで前に進まなくては

 水は冷たいものの、とても澄んだ水で、水面は強い陽射しに照らされてキラキラしています そのうちに私は気持ちよくなってきました。
 私はちゃんと泳いでる・・・確かに前に進んでる・・・ どんどん追い抜かされてはいきますが、1周目を終えて一旦湖からあがった時には、コーチから「まどかさん、石垣よりもずっと早いタイムですよ ナイス、ナイス」と声をかけてもらいました。
 ひたすら泳ぎ・・・泳ぎ・・・途中何度も「なんで私はこんなことをしているのだろう???」と何とも言えない妙な気分に襲われましたが、何とか無事に2周目も泳ぎきり、1,5キロのスイムを終えました
 水からあがった時には、とてもすがすがしい気持ちでした

 とは言え、トランジションエリアには自転車はまばら そうです、私が遅いからです
 でも、石垣よりも少しは効率よく自転車の準備をして、今度はバイクにスタート。乗車位置までバイクを押していくと、たーくさんのレース関係者や観客から「がんばれー!」の声をかけてもらいました。
 今回のバイクコースは、片道6,5キロ地点で折り返し戻ってくる、というコース。それを3回、周ります。
 石垣島は、スタート地点から40キロ、島の南側をぐるっと回るコースでしたので、その経験しかない私は、同じところを3周回する、ということが吉となるか凶となるかわかりません・・・

 今回、競技説明会の席上で、何度も注意を受けたのがバイクコースの「行きの6,5キロ」でした。
 というのは、その半分の距離近くがダラダラの下り坂。つまり、ダラダラと下るということは、どんどん加速度が増し、スピードが出てしまう、ということであり、細心の注意を払わなければちょっとしたことで転倒して、大きな事故につながる・・・というのです
 実際、私のようなバイク初心者でも、今回は時速46キロを経験したのですから、上級者になれば60キロはざらにでるスピードでしょう。(私がやっと1周回目の下り坂を下っていたところ、救急車がコース上に停車し、まさに発進しようとしていました。あとで夫やチームのお仲間に聞いたところ、2周回目で一人の選手が転倒していたのを見た、ということでした

 いやー、怖かったですよ 
過度の緊張は肩や腕にかえって力が入ってしまうため、気持ちはリラックス、リラックス・・・基本に忠実に、お尻をぐっと後ろに引き、サドルの後方にどっかと座り、ぎゅっとサドルを両ももで鋏み、足首を曲げて両足のかかと側を意識してペダルを踏む・・・でも、スピードメーターで、40、41、42、43・・・とどんどんと上がっていく数値を見ていると、背筋がすーっと寒くなりました かと言って、怖くなって急にブレーキをかけるということは、もっともっと怖いことです 坂を下り終え、折り返し地点が見えてきた時には、本当にほっとしました

 でも、本当の地獄は、それほど心配をしていなかった折り返し後の「登り坂」でした
 ダラダラと下ったということは・・・当然ではありますが、ダラダラと登らなければならない、ということだったのですね
 石垣島のバイクコースでは、視聴率アップ?!のためかテレビ番組では、「死の登り坂」などとテロップが流れましたが、思えば、あれはたった1回限り。今回は、3周回しなければならないため、この地獄のダラダラ坂も、3回、経験しなければならない、ということでした。まさに、「行きはよいよい、帰りはコワイ」です。どんなにギア調節をしても、もう楽にはならず、あとは技術、脚力、体力、気力の勝負です。 
 技術の未熟な私は、とにかくあきらめずに、こいで・・・こいで・・・スピードメーターの「時速8キロ」という超低速走行に情けなくなりながらも、がんばる・・・がんばってこぐ・・・

 スイムに時間がかかり、バイクスタートが遅い私の1周回目は、多くの選手の2周回目。早い選手は、すでに最終周の3周回目。どんどん、私のまわりには選手がいなくなっていきます。反対のコースですれ違う夫やチームメイトの姿もなくなり、完全な一人旅になってしまいました
 やっとの思いで2周回目の登りを終えて、3周回目の下り坂を下りきり、ギアチェンジをしたとたん、急にカラカラと大きな音がして、足が軽くなりました。そう、チェーンがはずれたのでした。私にとっては、初めての経験
 口に出して、何度も「落ち着いて・・・さあ、バイクを止めて、降りて・・・焦らないで、教えてもらった通りにチェーンをはめよう・・・」そうつぶやきました。

 バイクを降りると、急に静かになった気がしました。だらだらと流れる汗・・・はじめて小鳥の声、蝉の声が聞こえました。誰もまわりにいない中、トラブルで停車した独りぼっちの私を感じました
 落ち着いて・・・落ち着いて・・・後ろのタイヤを持ち上げ、ペダルをくるくると回していると、「最後尾」のゼッケンをつけた大会関係者の自転車が近づいてきました
 「どうしましたか?大丈夫ですか?」
 「はい、チェーンがはずれました。チェーンがはずれたのは初めてですけれど・・・大丈夫です。」
 「・・・そうそう、くるくるまわして・・・そうです、そうです。そうすれば、きっと自然に入っていきますよ・・・ああ、入りましたね。良かった
 レース中は、選手には誰もさわってはいけない規則になっているのです。このマーシャルの方も心配そうに私をのぞきながら、声をかけてくださったのでした。
 「体調は大丈夫ですか?もうすぐそこが最後の折り返しです。あとは、もう1回登るだけ。がんばってください 時間は十分にありますよ。自分のペースで、慌てずに、がんばって
 
 そうなんですよね・・・「自分のペースで、慌てずにがんばる」ことは、なかなか難しいことです
 人は、どんなことでも「自分のペース」というものを持っているものだと思います
 トライアスロンの場合は、自分の泳ぐペース、こぐペース、走るペース、です。家事であれば、起きてからお掃除やお洗濯を効率よく上手にこなすペース。
 これが学生時代であれば、まわりのペースに惑わされず、淡々と自分が一番さまざまな力を発揮できるペース・・・
 ところが、人というものには見栄があったり欲があったりで、どうしてもまわりのペース、まわりのスピードが気にかかり、慌てたり、焦ったりしてしまい、結果的にそれが悪い結果を招いてしまう 
 これは子育てでも同じこと。親の見栄、親の欲がわが子のペース以上を要求し、かえって子どもの持つ力を台無しにしてしまうこともあるのですねえ・・・

 今回の大会では、何度も何度も「自分のペースで」という声がけをしていただき、そのたびに自分にあらためて「ペースを守れ!慌てるな!」と言い聞かせ、進みました。それが完走を果たせ大きな力になったと実感しています

 今回は、3種目の中でも比較的得意のランも辛い辛い10キロでした バイクの登りですっかり脚力を使い果たしてしまった私は、心肺機能と気力だけで足を動かしていたように思います。
 ランもバイクと同様、3周回。私がバイクを終え、トランジッションエリアからランに出発した時には、すでに3周目で同じコース上を走り、まもなくゴールをする・・・という人がほとんどで、腕に巻かれた3本の色ゴム(1周するごとに、折り返し地点でゴムをもらって手にはめます)を見るたびに、さすがに私は絶望的な気分になりました

 私は、比較的、意志の強い人・・・だと思います
安易には諦めず、言い訳をせず、何とか最後までがんばりたい!と思う人です。もしかしたら、がんばっている自分が好きだ、と思うナルシストであるのかもしれません
 でも、さすがに今回は、朦朧とするような暑さと陽射し、力を無くした足の筋肉・・・エイドステーションでお水を飲み、差し出されるスポンジを2個もらって、ジャージャーと首筋から水をかけ、絞りきって顔をぬらし・・・それでも吹き出してくる汗・・・ 思うように足は前に進まず、気持ちは焦ってきます・・・

 そんな私を癒し、勇気づけ、やる気を奮い立たせてくれたのが、真っ青な空にそびえ立つ大雪山系の最高峰「旭岳」の姿でした
 バイクでも、長い登りをあがりきり、暗くひんやりとする不気味なトンネルを過ぎると、目の前に旭岳が見えました。
 ランでも、どんどんとゴールして、人が少なくなっていくコースの真ん前に旭岳の勇姿です。
 折り返しても、まだまだゴールできない情けない思いの私に、「あともう少しがんばろう!あと少しがんばって、もう1度、あの旭岳を見よう。そうすれば、またちょっと元気になれる」そう思わせてもらえました。

 人は、「1歩1歩がんばる」とか「ひたむきに、わずかずつでも進む」とか、こういう形容を使い、たとえゆっくりでも進んでいくことの大切さを表現しますね そして、その尊さも十分に理解しています。
 でも、実際には、1歩1歩では大きな成果や効果は実感できず、頭ではわかっていても、こういう「牛の歩み的な努力」を積み重ねることは辛く苦しいものです
 けれど、私は今回、この「旭岳が見える」ということに救われ、それを大きな励みとして前進することができました
 旭岳が見えても、バイクやランの距離が短くなるわけではありません。その勇姿を見たとたん、私のスピードが飛躍的に速くなるわけでもないのです
 けれど、確かに、旭岳が見えることががんばった私へのご褒美になり、次に折り返して旭岳が見えるところまで、またがんばろう!そういう勇気が湧いてくる気がしたのでした
 
 最後の種目、得意のはずのランでしたが、長い坂の上り下りで脚力を使い果たした私には、すでに「がんばって走る」だけの意志は残ってはいない気がしました
 バイクで登ることに気持ちを奪われていた時には意識していなかったエネルギー切れも、思った以上に深刻だということにも、ランスタートをしてから気づきました。
 でもね・・・遅い選手には、さまざまな意味での「余裕」はないのですね、とても悲しいことに・・・

 じつは今回、少しはトライアスロンを経験したことで重要性を認識した「トランジションエリアでのサプリメント」をたくさん用意していたのです 
 塩分の補給、糖分の補給、そして速攻でエネルギーになるサプリメントなど。
 けれど、いくら「マイペースでがんばれ!」と言ってもらっても、ガランとしたトランジションエリアで注目をあびるビリの私が、悠々とサプリメントを食べたり飲んだりするまでの「勇気」はありませんでした

 ランをスタートしても、今回は石垣大会のように「魔法の力」となった黒糖の手渡しはありません。エイドステーションで渡される水分も、スポーツドリンクはなくなり、すでに水だけになっていました。どんどんと消耗し、エネルギー切れを実感しましたが、走るしかありません。足が勝手に動いているだけ・・・そんな状態でした

 私は、旭川からの帰りの飛行機の中でしみじみと思ったものです。
オリンピックでも、ワールド○○でも、スポーツに限らずさまざまなシチュエーションでも、「トップの人達」への評価は非常に高く、当然の如く、そういう人達がベストコンディションで活躍が出来るようにと、至れり尽くせり・・・手厚く優遇されますね
 これって、家庭でも同じなのではないでしょうか?

 私がビリなのは、確かに練習不足、という大きな問題があります。きっと、もっともっと熱心に練習を積めば、技術もタイムも上がるに違いありません 
 けれど、私にとってのトライアスロンはあくまで趣味です 趣味として楽しむためには、決して無謀なことはしないこと。そして同時に、私の出来る限りの最大限の努力をし、大会当日も、真面目に、一生懸命にレースに向かうこと・・・これがモットーです
 ただ、それでも上位選手と同じ結果を納めることができない、という事実がそこにります

 たとえば・・一生懸命に、ひたむきにがんばっている子どもがいるとしましょう。その子は本当に真面目で、自分の持てる力をいつもすべて使って物事に取り組む良い子です でも、結果としては、目から鼻に抜けるような結果は出せない・・・こういう子どもを、私はたくさん見てきています。
 その一方で、理解力が高く、どんなことも器用にこなし、結果的に小さな努力で大きな成果を生む子がいたとします。
 こんな対照的な両者を見ていると、必ず、前者のご両親は、「わが子のふでき」を嘆かれます そして、無意識のうちに、「どうしてあなたは出来ないの?」「どうしてわかんないの?」「何度やっても一向に良くならない・・・」などと、平気でネガティブな評価をわが子にくだします

 今回のトライアスロン・・・私はまさに、この「不出来な子」と、両親に思われてしまう子どもでした
 でもね、私は、石垣島の大会と比較すると、スイムは8分速くなりました。バイクも苦労はしましたが、やはり石垣よりも8分もタイムを縮めたのですよ。ランは残念ながら石垣のタイムを6分オーバーしてしまいましたので、総合の時間では、10分タイムを縮めたことになります
 これが私の精一杯であり・・・必死にがんばり、真面目に取り組んだ結果でした。
 そんな私でしたが、結果は・・・ビリでした
もし、私が子どもだったとしたら???私は、両親から、どんな評価を得て、どんな言葉をもらったのでしょう?
 家族連れで賑わう機内で、私は小さな子ども達の話し声や泣き声を聞きながら、そんなことを考えていました

 さて。
ランも3周目の折り返しを終えて、あと1キロほどでゴールというところまで来たとき、まだ見えない林の向こうのフィニッシュ地点から、大きなマイクの声が聞こえてきました
 「今、最新の情報が入ってきました。現在、コース上でレースを続けている選手はたった1名。神奈川県から初参加の南坊まどかかさん、51歳です。今、最終のランナー、南坊まどかさんが、一生懸命にゴールを目指して走り続けています
 ひや~~~~ えらいことになっていました。
私は、本当にビリなんですね。ビリであることは何となくわかってはいましたが こんなふうに、名前まで呼ばれ、全員で私のゴールを待たれている・・・ものすごく焦りましたが、足はなかなか速まりません 流れる汗・・・私の足音・・・
 やっと、本当にやっとフィニッシュ地点に向かって右折するコーナーが見えてきました
 「お疲れ様 さあ、やっと3周終わりましたね。もうここを曲がったらフィニッシュ地点ですよ
 心配そうに1周目、2周目を見送ってくださっていた大会関係者のおじさんが声をかけてくださいました。
 
 いよいよゴールです夫とチームメイトのUさんが一緒に走ってくれました。スピーカーからは・・・
 「さあ、最終の選手、南坊まどかさんがゴールをします」の声・・・

 ゴールで足を止めたとたん、前に足が進まなくなりました。足ががくがくして、思うように足が動きません。こんなことは初めてでした
 そのあとは、北海道新聞の取材や、マイクを持った女性からのインタビュー、たくさんのフラッシュ・・・ビリなのに、えらーく褒め称えていただきました。
 決して諦めることなく、最後まで走り抜いたこと・・・制限時間を22分残して完走したこと・・・それを誉めていただけたようです

 あれから1週間。
最後まで声援を送り続けてくださった大会関係者の方々、ボランティアの方々、陸上自衛隊の方々・・・そして、自分の完走後、わがことのように応援してくださった選手の方々の「がんばれ」の声。
 私にはまだ聞こえています

  忠別湖トライアスロンの「ブログ」に、私のお礼状が掲載されました 

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気が利く子、気遣いのできる子を育てるのは・・・

2009年08月02日 | にこにこ
 デパ地下でお買い物をしていると、小さな袋が増えていきます お豆腐、乾物、お総菜、パン・・・もし、これだけのものをそれぞれの専門連で買ったとしたら、袋は4つになります
 もちろん、自分で大きめのエコバッグを持参すれば、すべて一つにまとめることができるわけですが、デパ地下でのお買い物がメインではなく、あくまで食料品売り場に「ついで」に立ち寄った場合には、どうしてもデパートで入れてくれる袋を頼ることになります
 帰りは・・・それプラス、メインのお買い物の紙袋があり、ハンドバッグがあり・・・ もう、右手も左手も袋だらけ。これで駅の改札でスイカやパスモをタッチするとなると、ああ、もう気が遠くなりますねえ。

 先日も、私は「ついで」のデパ地下でついつい調子に乗ってお買い物をし、まさに荷物の袋が4つ、5つ・・・という状態でした。
 夕方のラッシュの電車に乗るわけではありませんでしたが、それでもやはり、この細々とした袋を一つにまとめることができれば、どんなに楽だろう・・・そう思っていたのです
 そんな思いで最後に立ち寄ったコロッケの専門店。買ったコロッケは2種類、合計4つ。わずかのお買い物です。
 ところが、私が支払いのためにお財布をバッグからごぞごぞと出していると、若いお店の女性が声をかけてくださいました
 「お荷物、一つにおまとめになられますか?少々お待ちください。大きめの紙袋をご用意いたします
 私にとっては、とてもありがたいお申し出ではありましたが、ささやかなお買い物しかしなかった先で、こんなご厚意を受けて良いのだろうか、と、本当に申し訳なく思いました

 別の場所にまで袋を取りに行ってくださり、走って戻って来られた女性は、笑顔で・・・
 「お手伝いいたしましょうか?」
と言ってくださいます。私のすぐ側では、次のお客様が注文をしようとコロッケを眺めていらっしゃいます。
 私は、これ以上このお嬢さんにご迷惑をかけてはいけないと思い、「大丈夫です。本当に助かりましたありがとうございました」と、やはり笑顔でお礼を申しあげて、その場を立ち去りました。
 振り返ってみると、そのお嬢さんは、次のお客様にも気持ちの良い笑顔で、対応されていました

 よく気のつく人、気が利く人・・・今も昔も、こういう人の評価は高いですね けれど、実際にはこう表されるような人は、それほどたくさんはいないものです
 たとえば。
二人連れで電車に乗ります つり革を持って立っていると、前の席が空いたので、年長の私の友人に座ってもらいました。
 次の駅で、友人のお隣ではなく、もう一人おいて次の席の方が立ちました。
 もし私達が二人連れである、ということを認識していれば、友人のお隣の方が空いた席のほうにご自分が1席分移動をし、友人の真隣のスペースを私に空けてくださるでしょうね
 もちろん、私達二人がとっても人に不愉快な思いをさせるようなオバサン達であれば、「おまえ達に座らせる席なんてないぞ」とばかりに、意地悪をされるかもしれませんが・・・

 けれど、案外、そういう気遣いをされる若い方は少ないですねえ 私達のことがわかっていても、意地悪をするような感じでもなく・・・ただ、ぼんやりと座っているだけ

 気がつく、気が利く、心遣いのできるという人は、きっと、どんな時にも、人のことをよく見ていて、さまざまな人を自分に置き換えて考えることのできる人・・・そういう人だと思います
 「ああ、たくさんの袋を両手に持って・・・歩きにくそうだわ・・・一つの袋にまとめてしまったら、きっと私なら歩きやすくなるわね
 「あっ、私のお隣のお席が空いたわ。そう、私が一つ積めれば、前の方が並んでお友達と座ることが出来る・・・私なら、並んで座れたほうがおしゃべりもしやすくなるって思うでしょうね

 そして、もう一つ私は思うのです。
そういう気遣い、心遣いのある家庭、そういう親に育てられた子どもは、自然に自分も同じようにできるようになっていくのだろうと・・・
 幼い頃から自分の身のまわりで当然のことのように、さまざまな気遣いが行われるのを目にしたら・・・実際に、親やまわりの大人から心遣いを受けていると・・・うれしいなあ、ありがたいなあ、と極々自然にあたたかい気持ちになるでしょうね
 
 そして、自分が見たり、受けたりしている心遣い、気遣い、心配りというものは、理屈で教えられなくても、毎日の生活の中で会得していける・・・ (気の利かない親に育てられた子どもが、親の姿を反面教師にし、社会の中で経験を積んで、気遣いのできるステキな人になるためには、かなり多くの、それ相応の経験が必要になるでしょう。)
 躾と称し、どんなに口うるさく教えても、ご両親(特に、子どもと関わる時間の長いお母様)自身が気の利かない人であったとしたら?
 「生きた教材にまさるものなし」家庭生活は、24時間体制の教養を身につける学びの場です
 
 気の利く、気遣い、心遣いのできる人に出会うと、私は、その人を育てた素晴らしいご両親をその人の後ろに見る気がします

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