まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

今度は両親へ-娘からの願い

2006年09月25日 | にこにこ
4月に、住み慣れた郊外の戸建の家から、街中の超高層マンションに引っ越した両親
 新しい生活を始めて4ヶ月が過ぎ、母から「引っ越してよかったわ 生活にもすっかり慣れて、本当に喜んで、楽しく生活が出来るようになりました ありがとうね、ここに来てよかった」と、つい最近、電話がかかってきました 普段は、お互いに時間を気にして、メールばかりのやりとりなのに

 バリアフリーの楽な生活、新幹線や飛行機利用で帰省する私が、楽に行き来できるロケーション・・・そんな思いから、強く引越しを勧め、半ば「全部、私がすべて段取りをするから、安心して」と、強制?強行?した引越しでしたが、70歳を過ぎた両親が、住み慣れた環境を離れ、すべて「0」から始める、ということは、どれほどの負担と苦痛を伴ったことであったか 私は今更ながら、そのことを実感していました

 マンションから一歩外に出ると、目の前にはロフト、NU茶屋町、阪急ファイブ、デパートなどなど・・・徒歩10分圏内にひしめく店、店。
 しかし、普段の両親の生活は、高層階から遠く六甲の山並みを眺めたり、ゆったり流れる淀川や、光る大阪湾を眺めたり・・・周辺のにぎやかなネオンや看板、若者たちの奇抜な姿は、両親にとっては現実感の伴わない、箱庭の中の住人であり、美しい景色を彩るイルミネーションやデコレーションのようです

 とはいえ、次第に今の暮らしになれてきた両親が、これからは少しでも街中に住むメリットを実感し、町のパワーを感じ、郊外の生活では体験できなかった多くのことを経験してくれればいいなあ、と思っているのです

 昨日は、「おまえがいてくれるなら、久しぶりに日本料理を食いたい」という父の願いを叶えることになり、父の車椅子を押して、親子3人で近くのレストランに出かけました
 こうして、実際に車椅子を押して町の中を歩いてみると、ほんの3センチの段差が、予想以上の困難を強いられることを痛感します
「このお店から見える景色は、うちからの景色と一緒やっかたら、ちょっとつまりませんねえ、お父さん」などと、悪気はないものの、勝手なことを話す母も、実際にはとても楽しそうで・・・
 久しぶりに親子3人で、お昼から冷酒などをいただきながら、外食を楽しみました。そう言えば、引越しのお祝いや、法事以外で、ふらりと外食に出たのは、引越し以来、初めてのことでした

 「美味しいお茶もいただいたけど、なんかコーヒーなんかも、外で飲んでみたいわー」という母。
 私は、待ってました!とばかりに、すぐそばのスターバックスに入りました 
 両親は、「初めて」だと言います
まず、入ってすぐに、母は「あらら、ここはセフルサービスなん?」と聞きます。 おー、セルフサービス 久しぶりに聞く言葉です。
 確かに、最近のコーヒーショップは、ほとんどすべてがセルフサービスですね。でも、どうもその言葉の響きには、昭和の時代の社員食堂のようなイメージがあり、笑ってしまいました

 勉強する人、パソコンを広げている人、携帯を片手に大声で話す若い女性達、文庫本を読んでいる人・・・私には見慣れたスタバの光景ですが、母にはとても驚きだったようで・・・
 「さっさとコーヒー飲んで出ていかんでも、お店の人に文句を言われへんのん?」と聞きます。
 私は母に、昨年、受験勉強中だった娘は、毎日、塾の後も長い時間スタバで勉強をしていたんだ、とあらためて話し、もっと母を驚かせました

 ココア好きの父には「カフェモ○」、ちょっと目先の変わったコーヒーをと思い、母には「キャラメルマキ○○○」を選びました
  「お父さん、熱いのは飲みにくいでしょう?ぬるめで!って頼んだのよ、お母さんのは、とっても熱くしてって頼んだから」と言うと、「そんな勝手な注文が出来るの?」と聞きます。
  「そうそう、一人一人、好みが違うでしょう?熱めとかぬるめ、だけじゃないて、ちょっとミルク多めに、とか、コーヒーの量を多くして欲しいとか、いろんな注文が出来るんよ」というと、もう母は口をあんぐり状態でした

 せっかく出てきたのだから、ということで、帰りにはロフトに立ち寄りました
 母は「お弁当箱」を買いたい、と言います。まだ現役で、週に4日は出社する母は、時々自分のお弁当を持っていくのです。家庭用品のフロアに行き、お弁当箱の売り場に行って、またまた母はびっくり
 「ひやー、よーけ(たくさん)あるねえ・・・こんなたくさんの種類、誰が買いはんねやろなあ・・・」そう言いながら、すでに物色。
 母が嬉々として探している間、父の車椅子を押してくるりとそのフロアを見に行くことにしました。パーキンソン病で、言葉も不自由な父は、今ではほとんど話すことはありませんが、実際には以前と変わらず、多くのことに好奇心を持ってみていることは確かです 
 私は、最近流行しているマグネットタイプの傘たてなどを紹介し、マンションの狭い玄関スペースを上手に活用するために、玄関ドアにくっつけて使うことを説明しました。
 「ほー、よう考えてるなあ・・・」と父。
ロフトやハンズなど、人から「優れものの宝庫」とか「便利用品が揃ってる楽しいところ」と聞いているだけで、一度も行ったことのなかった父は、多くの生活の知恵に感心した様子でした
 10分ほどして、元のところに戻っても、母はまだまだ物色中でした。遠くから見ただけでも、まるで子供のようにはしゃいだ気分でお買い物を楽しんでいる様子が感じられました
 日ごろは、介護ヘルパーさんに願いして、2,3時間、必要なものだけを買いに出る母。いつもはこれだけ「買い物を楽しむ余裕」などないのですね・・・

 やっと私たちに気づき、ちょっぴり恥ずかしそうに「もう、決めるわね これにするわ」と母。
 今度は、どこで払うの?と聞きます。キャッシャーの場所を教えると、いそいそとお弁当箱を持って向かう母。

 ところが、キャッシャーに着いたとたん、何だか上気した顔でたずねてきます 「ここでどうするのん?誰にお支払いをしたらいいのん?」
 そうなんですねえ・・・私たちにとれば、もうすっかり当たり前になっている一列に並び、空いたところに入っていく(呼ばれる)という方式は、案外、ここ10年ほどで普及したシステムかもしれません
 母の買い物は、ほとんどがデパートか、決まったお店。キャッシャーがあっても、やっぱり周辺には店員さんがいて、誰かに声をかけるとそこで支払いをしたり、一緒にキャッシャーに行く、というような支払い方法しか知らないのですね
 並んでいる母の様子は、どこか落ち着かず、少し前に進むと、こわいもののようにピタリとついて進みます。いよいよ次の次、という番になりました。前の人が「○番へどうぞ」と声をかけられ、そちらに進んでいくと、母もさっさとその人について行ってしまいました。ありゃりゃ・・・

 幸い、ロフトの若い店員さんは、みなさんとてもご親切で、「何なん、このバーサン」というような顔もせず、「すみません、どうぞ○番のほうにおいでください」とやさしくお声をかけてくださいました。
 母は、自分の間違い気づいていたのかいないのか、神妙な顔で支払いをしています・・・

 ・・・と、こんな具合で、父と母は、70歳半ばにして、すごい「冒険」をしたようでした
 車椅子を押している私は荷物が持てないので、母は私のバッグとお買い物をした荷物を持ち、歩きます。
 車椅子に座っている父は、やっぱり昔と変わらない亭主関白面で、荷物をひざにおいてやろうか?とも声をかけないわけで、「女のつまらぬ買い物に、不本意ながら付き合ってやった」という渋い顔
 でもきっと、父も、すっかり様変わりした家庭用品や、収納道具を見ては、私の説明などを真剣に聞いていたので、本当はなかなか好奇心をくすぐられる、楽しい時間だったのだと私は感じていました

 自宅まで5分、母はまるで子供のようにウキウキと歩いていました 横断歩道を渡ればすぐ目の前にあるロフト。便利なもの、おしゃれなものであふれた、「近くても、とっても遠かったお店」を、やっと「身近に」感じられた時間だったことでしょう。

「何事にも前向きに挑戦する積極性と、旺盛な好奇心。現状に満足することなく、いつも新しいものに目を向けて、多くの経験をすることによって、自分の人生を豊かに生きてほしい。」

 このように書いていると、まるでわが子が、小学校や中学校を受験するときの願書に、親としての思いを記入しているようですね でもね、私は今、年老いた私の両親に、全く同じ思いをもって、私が出来る多くのサポートを惜しまず、一生懸命に両親にエールを送っていたい、そう思っています

 昔は、私の両親が、きっと「娘である私」に望んだことを、あれから40年という年月を経た今、娘の私が「両親」に同じことを望んでいます



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都心の夜景

2006年09月22日 | にこにこ
 しばしば私のブログに登場する娘 今日もまたまた登場です

 先日、主人も2泊で出かけた法事から帰宅し、私もしばし、ほっとした思いで夕食のあとのお茶の時間を楽しんでいた時のことです 突然、携帯電話が鳴り出しました 
 50歳前のオバサンとしては、私は結構、携帯電話のさまざまな機能を駆使して使っているほうだと自負しているタイプで、着信音は家族や友人、グループで鳴り分けをしています メールと電話もすぐにわかるようにしていて、マナーモードにしていない時には、かなり賑やかにいろいろなメロディーが鳴るのですね

 着信音は娘からの「電話」です 
「もしもし、・・・ママ・・・、私ね、久しぶりに貧血で・・・Kの家に寄らせてもらってるの。だから、もう少し休ませてもらってから・・・帰るから・・・ちょっと遅くなると思って・・・ごめんなさい・・・
 むー、確かに久しぶりです。受験勉強中は、よく貧血に悩まされ、主人も私も心配していたのですが、大学進学後は、貧血になる暇さえなく、サークルだ、ボランティアだ、お誘いだ、と飛び歩いていたのでした(む?勉強は・・・してる

 じつは、その翌日から、娘はサークルの夏合宿に出かけることになっていて、そのことを思えば、親バカではありますが、一人で電車で帰宅させるのは避けたい
 主人はすっかりイイ調子で、運転できる状態ではありません ということで、私は娘の携帯電話に電話
 「もしもし、Kちゃん、そこにいるかな?」と話し、私が迎えに行くまで、申し訳ないけれど、娘を置いてやって欲しい、とお願いしました

 K宅までは、たぶん1時間強・・・でしょうか。
すっかりリラックスモードの装いから、「母のモード」に着替えを済ませ、車に乗り込みました さあ、カーナビの活躍が始まります。いやいや、この夜は、本当にカーナビのお世話になりました

 首都高速の横羽線、首都高速と乗り継ぎ、車はどんどんと都心へ・・・途中、「少し気分がよくなったようです 再度、住所と私の携帯電話の番号をお知らせします。気をつけて!」という行き届いたKちゃんからのメールを読んで少し安心した私は、一路、車を目的地まで走らせました

 日頃は、横浜で運転している私です 渋滞を考えると、都心に出かけるときには、ほとんど公共機関利用で、都心を、それも夜の都心の首都高速を走ることなどは、ほとんどありません
 いやー、きれいでしたねえ、ここ数年ですっかり姿を変えている品川、汐留・・・お台場遠望・・・あらためて大東京を実感しました 

 幸い娘は、私が到着した時には顔色もよくなり、Kちゃんと車のところまで出てきました Kちゃんにお礼を言って、車に乗り込み、いざいざ自宅へ出発

  「ごめんね、ママ こんな遠いところまで迎えに来てもらって・・・
  「ほんと、日頃の無理がたたっているのよ ちょっと自重しなさいよ
  「パパ、きっと怒ってるでしょう
  「まあね きちんと自分で話しなさいよ
  「うん おうどんが食べたいなあ・・・そんな我が儘はダメか・・・きゃー、東京タワー、きれい ママ、ほら、すごく東京タワーがキレイよ

 娘のために往復2時間半、私は仕事をするつもりだった貴重な時間を使いました
 電話がかかってきた時には、もちろん、カッとしました もー、この我が儘娘!好き放題して、体調が悪い??何言ってんのよー

 けれど・・・おいしそうにおうどんを食べた後、自室に戻った娘のところに、おやすみなさいを言いに行った私に、「おやすみなさい!」と言った後で、娘が小さな声で付け足した言葉

 「ママ・・・一人暮らしをしてるKちゃんや、HやAは、どんなに具合が悪くなっても、一人なんだねえ・・・迎えに来てくれる人も、おうどんを作ってくれる人もいないんだね・・・ありがとう・・・東京タワー、すごくきれいだったね、ママ・・・

 息子に比べて、上手に自分の思いを私に伝えられない娘でした
そんな娘との間に、妙な距離感を感じて、大いに悩んだ時もあった私ですが、その夜の娘の言葉に、やっぱり、愛情も、いろいろと教え、諭し続けてきたことはじつはきちんと伝わり、彼女の中に根付いているのだなあ・・・と実感したものです

 キレイでしたね、東京の都心の夜景・・・
長い長い子育ての年月・・・たーくさんの泣いたり笑ったりの時間は、きっと年月を経て、親子の財産になっていくのだな、と、あらためて胸があつくなりました

 
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季節の思い出

2006年09月18日 | にこにこ
 先日、友人にサンマをいただきました
とれたての脂ののったサンマです。毎年、「スーパーに行けば、1匹100円程度で買えるものなのに・・・何だか申し訳ないねえ、もらってもらうのは」などと言ってくれるのですが、さすがにスーパーのサンマとは一味もふた味も違うもので、毎年、密かに楽しみにしています

 そのサンマ。私の大好物です 「サンマ、サバ」と、「サ行」の魚好きで、サワラ、サヨリも好きです。 
 大阪で暮らしていた頃は、シャケとは言わず、必ず「サケ」と言っていたので、当時は「サケ」もその中の一つ、大好きでした
 さて、私には、サンマにまつわる懐かしい思い出があります。
そろそろ大学を卒業する、というころになって、「やっぱり油絵を描いてみたいなあ・・・」などというとんでもない夢がむくむくと頭をもたげ・・・ 結局、母の友人で、油絵を趣味としていた方を介して、先生をご紹介いただき、始めることになりました。
 なぜか母はすっかり喜び、あれこれと注文を出します どうも、ハイソっぽいことが好きな、派手好きの大阪人である母にとって「娘が油絵を描いています」というのは、天然の虚栄心?!を満たすに充分な響きがあったのでしょう
 決して上手ではありませんでしたが、何と言っても「趣味?道楽!」でしたから、毎週、とっても楽しく通いました。当時、四十代前半だった、毒舌の女性の先生との会話も楽しみの一つでした

 秋、先生のアトリエに行くと、ででーんと大きなお皿に、3匹のサンマが乗っています

「お友達に送っていただいたのよ 昨日届きました。さあ、秋の味覚を、おいしそうに描きましょう

 ほーーーー!サンマ、ですかあ サンマを、おいしそうに描くのですねえ お花や、果物を描くのとは、また違った楽しさがありました。
 そして、描いていくうちに、確かにお上手な方でも「おいしそうに見えないサンマ」があることにも気づきました。もちろん、未熟な私には、その理由、原因はわかりません。描きながら、先生が初日に「おいしそうに描いてね」とおっしゃった意味が理解できた気がしていました。

 そして、3週目、仕上げにかかったとき、先生が私のところに来て、こうおっしゃったのです。

  「まあ、Nothing but “ SAMMA “. って感じ。素敵 おいしそう!まどかちゃん、私、あなたのこの絵が今までの中で一番好きよ」 

 むー、うれしかったですよ、もちろん 褒めていただいたのですから。でも、それまで、結構いい感じかなという思いで仕上げた春の花々、力強いタッチで描いたひまわり・・・等、私なりの力作があったわけで、一番良いわと、言っていただいたのが「サンマ」というのは、ちょびっと苦笑でした

 でも、やっぱりおいしそうなサンマは描きあがりました 
大正時代っぽい、レトロな感じの大皿の上の、新鮮そうに光るサンマ・・・
 しっかりと乾かし、私は「先生に褒めていただいた大作」のつもりで持ち帰り、サンマの鮮度を損なわない?!シンプルな額に入れ、ダイニングのキッチン寄りの壁にかけてみました
 おーーー、確かに「秋」です。私は、とてもうれしくなりました

 でもね、母のお気には召さなかったようで、ワンシーズンだけ掛けてくれて、その後、あのおいしそうなサンマは、お蔵入り 母は玄関や、廊下、リビングに飾る「花々」がご所望だったようで、「サンマ」ではハイソなイメージもなく、娘の趣味の作品としては不適当だったようでした

 今年の春にマンションに引っ越した私の両親は、それを機会に、いろいろなものを処分しました。
 その中には、もう飾るスペースがないからという理由で、いくつかの額もありました
 私のサンマは、6号というサイズで、決して大きなものではありませんでしたが・・・
 いやいや、引っ越した後の荷物の中にはなかったのですよねえ、私がすべて片付けたのですが
 私のサンマちゃんは、いったい、あの後、どんな運命を辿ったのでしょうか

 私はいつも、このシーズンになると、そのサンマの絵と、家に持ち帰り、風呂敷から出したときの「母の失望の顔」を懐かしく思い出します

 季節の思い出・・・それぞれの季節の中で、みなさんとお子様との間に、これからどんな思い出が生まれるのでしょうね

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カーナビから気づいたこと

2006年09月15日 | にこにこ
 老眼になりますとね、いろいろと困ることは多いものです 
たとえば・・・スーパーでお買い物をする時、値札がよく見えません お薬屋さんでパッケージや小瓶を手に取っても、ラベルの裏側の効能書が見えません 美容室では、持ち込んだ文庫本も雑誌も読めません
 そして、ちょっと自分でも予想外だったこと・・・それは、車を運転していて、地図が見られないこと、なんです

 車好きの私は、運転も大好きです 
どこか、初めての場所に行く時、今までは電車利用ばかりで行っていたところに、次は車で出かけようと思った時などは、必ず、前日から地図をチェックし、そして、運転中も必ず、助手席に地図を広げて、信号待ちの時間などに、しっかりとチェックをして運転をしたものでした

 ところが、老眼になると、その地図が見えないのです
それが薄暮の時間などに重なると、たちまち地図は、涙の海の中の「○や□」「点や線」になってしまいます

 ということで、二月ほど前に、車を乗り換えた時、私も主人も、躊躇することなく、カーナビを取り付けました
 賢いカーナビは、いろいろと学習、チェックをしては、おしゃべりまでして、ルートを案内してくれます 画面にピッとさわれば、違うルートだってすぐに見つけてくれる 主人も私も、まるで子どものように、大騒ぎ、大はしゃぎで出かけました

 けれど、私は途中で、何かが今までとは違う・・・何か、すっきりとしない・・・何か物足りない・・・そんなふうに感じたのでした いったい何だろう?こんな親切な、こんな便利なものなのに、なぜ、私は違和感を感じてしまうのだろう???

 しばらくは運転を続けながら、ずっと考えていました そして、カーブを曲がりきったとたん、目の前に急にパッと開けた視界の中に飛びこんできた「大きな海」を見て、私は突然、気づいたのでした

 そうなんです。地図を見て運転している時には、3キロ先の渋滞はわかりませんでした 300メーター先に、右折専用のレーンがあるから、気を付けないといけない、ということもわかりませんでした
 でもね、自分が今、どんなところを運転しているのか?この都市部の、どのあたりにいるのか?この半島の、どのあたりを進んでいるのか?そういうことを、大きなビューで知ることが出来ていたのです。
 もちろん、カーナビでも、縮尺を上げれば、地図と同じように見ることは出来ます しかし、あの小さな画面の中では、それを実感することはできません

 要するに、カーナビは、とってもとっても細かいことに親切で、至れり尽くせりに教えてくれます。けれど、常に「自分が今どこにいるのか?」ということを、小さな世界の中で知らせてくれて、どちらかと言えば、すぐ目先の道を詳しく知らせ、リードしてくれています

 言い換えてみると、自分の目先を、とっても明るく照らしてくれてはいるのだけれど、ずっと先、そして、少し距離を置いた「まわり」は見えていないのです

 もちろん、カーナビは、便利に使っていますよ とっても有り難い文明の利器です
 でもね、私は「目先を明るく照らす」「ちょっと先は見えていない」「後ろや距離をおいたまわりは見えない」ということに気づき、そこから全く別のことを考えたのでした。

 現代の子育て・・・それは、とっても「カーナビ的」だなあ、って
何でもかんでも、ものすごく詳しく、丁寧に教えてくれる 到着予想時刻、目的地までの距離などまで、正確に知らせてくれる・・・
  こんなことをすれば、こうなりますよ
  こういう教材は、子どもの右脳を育てます
  時代は21世紀。これからの子どもは、○○が必要
  ~~をすれば、逆上がりは簡単 などなど・・・

 私がカーナビを画期的な魔法の機械と思うように、世の中の親たちは、カーナビ的な「子どもの○○」に飛びつき、重用し、信奉します

 でも・・・
子育てだからこそ 時にはカーナビではなく、その県全体を見渡せるような地図、その地方全体を見渡せる地図、国全体を見渡せる地図を広げて、自分のルートや位置を感じることも必要ではないか? そう痛感したのでした
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お利口さんは、パパのため?!

2006年09月13日 | う゛う゛ー
 今朝、朝のニュース番組を見ていると、メインキャスターがこんなことを言っていました

 「・・・いや、本当に宮様のところのお子様方は、お行儀がよいですねえ お小さい頃から、あんなにきちんとご挨拶をなさり、笑顔を絶やさず・・・ねえ 夏休み、新幹線なんかに乗ったら、小汚いガキが、車両の中をダダダーって走り回って、キャーキャー騒いでねえ。いやー、まいっちゃいますねえ・・・」

 私は何だか、比較する対象のあまりの大きな差に苦笑したのですが・・・確かに、Mさんのおっしゃる通りです
 そこで・・・私も考えました そして、すぐに気づいたのです

 宮家のお子様方は、当然のことではありますが、常に報道陣に囲まれ、人の目にさらされ、好むと好まざるとに関わらず、親のお立場、ご自分達のお立場と環境を自覚されています
 Vサインをしないのも、おどけたりしないのも、すべてご自分の意志以前に、「立場」を意識し、それに相応しい立ち居振る舞いをされているわけです

 もちろん、一般人の子供達には、「自分の立場」はありませんし、報道陣に囲まれることもありません
 しかし、どうでしょうか?「親の立場」というものはあると思いますし、そこに起因する「自分の生きる世界」というものはそれぞれにあるはずです

 最近の子供達は、「恥ずかしい」という意識があまりありません
理由はどうであれ、人に見られる事、注目されることは、目立つことであり、目立つことは「カッコイイこと」と感じることさえあるようです。う゛― 困ったものです  

 とにかく
良い子でないボク(私)では、パパやママが格好悪いと思うだろうなあ・・・
幼稚園(保育園)の園長先生は、ボク(私)がお利口のほうがきっと喜んでくれるだろう・・・
とか、たとえ一般人であっても、そんなふうに感じる意識を持ってもらいたいものだ、と強く思います

 躾、とは?
道徳心を身につけさせるためだけのものではなく、やはり自分のマイナスの行動、言動は「親に悪影響を与える」「幼稚園や保育園など、自分が所属する団体に悪影響を与える」ということを理解し、自分を律することでもある、ということを、しっかりと子どもにつたえなければなりませんよね
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