まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

車移動ばかりは禁物!

2009年03月30日 | う゛う゛ー
 昨日の日曜日、千葉県にある「エアロビクスセンター」に行ってきました 来る4月26日に開催される石垣島でのトライアスロンに向けて、チームで日帰り合宿と称し、スイム、バイク、ランの練習のため、コーチ達と一緒に出かけたのでした。
 こちらは、「生命の森リゾート」という広大な敷地内にある施設で、エアロビクスセンターの中には立派なプールやトラックがあり、春休み中の昨日は、首都圏の多くの中学、高校の運動部の生徒達が合宿に来ていました
 ただ、こちらはあくまでも施設の一部であり、この「生命の森リゾート」の中にはいくつもの宿泊施設、レストラン、研修施設、ゴルフ場、最近オープンしたらしい「ターザニア」という施設もあり(樹の上の冒険王国。木登りでもない、フィールドアスレチックでもない、自然共生型アドベンチャースポーツ&パーク、となっています。なかなか面白そうな施設だと思いますよ。)などがあり、いったいどこまでがこの施設内で、どこから先は一般の土地なのか、じつはよくわかりませんでした

 今日あらためて住所をチェックしてみると・・・千葉県長生郡長柄町上野、となっています。
 かなり広い県である千葉県です。千葉市、浦安市、銚子市、松戸市、柏市・・・と言われると、聞き覚えのある地名ですが、長生郡、と言われても、なかなかどのあたりなのかピンと来ません
 でも 確かに昨日、私は行ってきて、ほぼ一日をそこで過ごしたのです。大人に私が・・・です
 確かに行ってきたけれど、「千葉県だった」ということ、行きはアクアラインを通り、帰りは東関東自動車道を通った、というくらいのことしか覚えていません そう、大人である私が、ですよ
 なぜなら・・・早朝にマイクロバスで迎えに来ていただき、その後は品川で他のメンバーと合流し、車の中でワイワイと言っている間に現地に着いてしまい、帰りは、途中で夕食をして、またまたワイワイと、うとうと・・・の間に品川に戻ってきたから・・・なのでした。

 いやいや。私は本当に「まいったなあ・・・」と冷や汗が出る思いです そして、私はあらためて思いました

 これは、あるクラスでのひとこま、です。
  「この間の日曜日、どこかにお出かけをしたの?」
  「あのね、パパとママと一緒に温泉に行ったよ
  「まあ、ステキ どこの温泉に行ったの?何ていうところ?」
  「えーっとねえ・・・車に乗ってねえ・・・途中でジュースを飲んでねえ・・・わかんない
 
 そんな時、私は子ども達によく言います。
  「ねえ、ちょっと待ってよー。赤ちゃんじゃないんだから、朝起きて、車に乗って、ジュース飲んだら、温泉に着いた!なーんて、情けないことを言わないでえ あなたには、ちゃんと目と耳と口があるんでしょう?赤ちゃんみたいに、お腹がすいた、眠い、おしっこしちゃった・・・って、泣くことしか出来ないわけじゃないんだから、自分が何っていう温泉に行ったのかくらい、ちゃんと聞いておきましょうよー。ドラエもんのどこでもドアじゃあるまいし、車に乗って行ったとしても、必ず道を通って、どこかの町を通り過ぎて、ちゃんと名前のある温泉に行ったはずなんだから・・・そう思わない?」と。

 そして、保護者の方々にもお話をします。
 「自動車は、子どもにとってはたんに『自分の空間が移動しているだけ』ということを忘れないでいてくださいね。何か特別な働きかけ、言葉かけをしない限り、車の中では頭を使うこともなく、さまざまな刺激もなく、単純に自分な好きなことをしている間に、身体が移動した・・・というにすぎないのですからね。自家用車利用ばかりでは、公共の場でのマナーやエチケットなども学習する機会は少ないですし・・・

 でも、昨日のことでは、私自身が、まさにこの「空間移動」をしただけでした。昨日のことで私がわかっていることは、施設の名前、そこでやったことと、到着と出発の時間・・・くらいのものです これでは、私が苦笑をする子ども達と一緒のレベルですね・・・

 さまざまな便利さとは、「文明」であり、本当にすばらしいものですが、その一方で、人の思考力や判断力を退化させる?ことでもあります。
 
 調べてみると、生命の森リゾートに行くには・・・
東京駅からJR京葉線を利用し、蘇我という駅に行きます。そこでJR外房線に乗り換え、誉田駅まで行き、送迎バスを利用するそうです。東京駅からJR総武線の快速電車を利用すると、千葉駅まで行ってJR外房線に乗り換えるという方法もあります
 要するに、昨日の私は、早朝に起こされ、半分寝たような状態で車に乗り込み、パパの運転する車で目的地に到着・・・意気揚々と遊び始める子どもと一緒だった、ということです。

 車利用は、幼い子どもを連れて歩く時には、本当に便利なものですよね
 荷物が増えても、子どもが寝てしまっても、さほど大パニックになることはありません。煩わしい乗り換えで階段の上り下りをさせることも、待ち時間で飽きさせる心配もない・・・私も昔、娘が赤ちゃんの頃には、まだまだ幼い息子を連れて3人で電車で出かけ、冬でも汗だくになることが多々ありましたし、重い荷物を持ちながら息子の手を引き、手が千切れそうだと、その重さに泣きそうになることもしばしばでした ですから、車利用の便利さ、ありがたさは十分に承知しています。

 それでも尚。車というものは、やはり、子どもにとっては刺激や学びの少ない「空間移動の手段」であることを、親は十分に認識していなければならないでしょう。

 昨日の私は、お恥ずかしながら、仲間との楽しい会話以外は覚えていることの少ない「らくちん移動」で・・・今日は、久しぶりの自転車練習で、ガチガチに力の入った腕の筋肉痛に苦笑です。
 スムーズなトライアスロンのレースデビューのためには、まだまだ、自転車の練習に励まなければならない私。ひたすら、完走を目指し、がんばります

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桜も共演者

2009年03月27日 | にこにこ
いよいよ関東では、桜が咲いてきましたね
ここ数日の寒さのおかげで、きっと、入学式まで持ってくれるのではないでしょうか。

 先日、卒業生のお母様からメールを頂戴しました まもなくうれしい入学式を向かえるそのご家庭・・・今年の春は、きっと思い出深い春になるはず。
 
 「先生お元気でいらっしゃいますか。昨年、子どもと一緒に、つぼみの時からずっと観察していた桜を見に行きました 坂を下ったところにあるその桜の古木は、まだお花はちらほら。その桜のつぼみや、咲いた僅かの花を見て、わが子が一生懸命に話す姿 ママ、こちらの花びらの色は薄いね、とか、こっちの枝には咲いたお花が一杯あるのはなぜだろうね、とか・・・とっても熱心に見入り、何よりも楽しそうでした 
 私は昨年のことをいろいろと思い出しました。先生からの「ご指示」があり、少々気が重く、小学校以来の「観察」の思いで始めた「桜の木 通い」 ところが、毎日続けているうちに、古木への愛着とでも言うのでしょうか。愛しい思いが生まれ、桜が散っていく時には涙が流れ、緑の新芽で一杯になった時には、新しい活力に元気づけられました (中略)きっと、来年も私は、子どもと一緒に、この時期から、ここに通うことでしょう。いつまでこの子が、今と同じ目で、私と一緒にこの木を眺めてくれるかはわかりませんが、間違いなく、この桜の古木は、わが子の成長の中には欠かせない思い出の木となることと思います(後略)」

 私はこのメールを読ませていただき、本当にうれしく思いました
このお母様が書いてくださったように、私は毎年、年長児クラスの保護者の方々に・・・
 「1本の桜を決めて、毎日、完全な葉桜になって、青々と枝を茂らせるまで、親子で桜を愛でてください!」
 とお願いをします。まさに、それは、保護者の方々にとれば、この卒業生ママが書かれたように「先生からの指示」でしょうね

 いつもは、「ああ、咲いたのね。」「わー、きれいね。」「あら、もう散り始めたわ。」「いやだあ、いつの間にか葉桜になっちゃって・・・」ということでしょう。
 テレビでも、咲き始めからは、2分咲き、5部咲き、8部咲き・・・などと、カウントダウンするように楽しむ桜も、散ってしまえば、まるでそこにあることも忘れてしまう・・・年に1度、決められた季節に近くの県や市の施設にやってくる「有名な絵画」のようです
 けれど、桜は、じつは冬の寒い寒い時期から、花を咲かせるべく少しずつ様子を変えているものです。桜は、生きているのですもの・・・

 「自然の営みを感じる」とはよく言われる言葉ですが、自然を撮影なさるカメラマンだったり、気象関係のお仕事だったり、お天気に大きく左右されるお仕事だったり・・・そういうことでもない限りは、自然とは、私達の生活の身近なところにありながら、なかなか「感じる」ことのないものでしょう
 けれど、私は思うのです
自然の営みを感じるということは、決して特別なことではなく、自分の生活、家族の時間、わが子の成長・・・そういうものの「そば」にあるものを、愛情を持って感じる、ということだと

 幼稚園のお迎えの時、バスから降りてくるわが子、駆け寄ってくるわが子の「そば」にある木々や花壇にふっと目をやって、「ああ・・・」と意識して眺める目。 いってらっしゃいと夫を送り出す時に、ふっと聞こえた鳥の声。「あれ?町中でも、鳥の声って聞こえるのね・・・」
 私達の身も回りのすべてを、自分達の生活の「背景」「張りぼての絵」として邪険にするのではなく、私達の生活を、よりステキにしてくれる「貴重な共演者」として愛情を持って眺めたり、耳をすましたりしていると、私達自身が、とっても豊かになります

 みなさん、よくご存知の私の日課。
子ども達や夫を送り出す時、私は必ず、玄関先で「いってらっしゃい」と送り出した後、リビングのベランダに出て、マンションの中庭から出口に歩いていく家族を見送ります
 別に、頼まれたわけではありませんし、送られる家族にしても、いちいち、ベランダのほうを振り返り、わざわざ再度手を振るというのは面倒なことかもしれません けれど、長年の習慣・・・なんです。
 その時、彼らが手を振る姿は、必ず我が家のベランダ前の桜の大木越しに見えるのですよ。

 今朝も、私は娘を送り出し、ベランダから手を振りました
黒のスーツ姿の娘は、いつものように振り返り、小さく手を振って出かけていきました。就職活動中の娘・・・その娘の今を象徴するかのように、いつもの年よりも、早く満開になるという予想された桜は、まだまだ花を咲かせていません
 
 しばらく桜の枝々を眺めながら、スキップするようにランドセルを揺らせ、バイバイをして登校していた頃の娘の姿を思い出していました
 今ではすっかり大きくなったこの桜の木々も、息子や娘が幼かった頃は、まだまだ貧弱な桜の木だったのです。この桜達は、わが子達と共に成長し・・・そして、わが子達の成長の中には欠かせない、たくさんの思い出のつまった「共演者」です

 ほんの少し自分が優しくなるだけで、家族の身のまわりには、わが子の人生の「共演者」がたくさんあるのではありませんか?
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大人にも、無限の可能性あり!

2009年03月22日 | にこにこ
 午前9時10分、曇天の中、2009年の東京マラソンがスタート。ちょうどその時間、私は、横浜のみなとみらいのカフェに到着しました
 今日は、チーム・マナーズのハッピーランニングの日、です 4月26日、多摩川で開催されるチャリティーマラソン「パラカップ」を一つのきっかけに、ランニングの企画をたててみました
 初めてランニングをしようと決めたママ達 ただ走るだけではなく、ランニングの基礎、知識を学んで走ろう!というママ達 集合時間にはまだかなり時間がありましたが、すでに「ウキウキ、やる気」のママ達が集まり始めました

 心拍数や心肺機能の話し、血液の循環の話し、無酸素運動、有酸素運動の話し、LSD走法の話しなど、ランニングをするにあたり、知っていれば役に立つ話し、わかっていれば安心な話しなど、30分のランニングドリルのあと、しっかりと準備体操をしました
 いよいよランニング開始 大観覧車のコスモクロックを見上げると、10時30分でした。今日は風が強く、海のそばの公園を走る時には向かい風 一人であれば、かなり気分の萎える強風でしたが、初めてのランニングは笑顔がいっぱい
 若い頃は、箸が倒れてもおかしい・・・と言われますが、今日の私達は、向かい風であっても、今にも雨が降り出しそうであっても、何だかとても楽しい・・・ランニングに挑戦!みな、同じ思いを持ってこの「挑戦」をしている・・・その興奮が、すべてをハッピーにしてくれるのでした

 1キロ8分強という「ゆっくり」のペース。ハーハーゼーゼーしないランニング おしゃべりをしながら、冗談を言って笑って走れるペースは、心拍数から見てもまさに有酸素運動。
 みなとみらいホール前を出発した私達は、強烈な向かい風の中、新港パーク、赤レンガ倉庫を通り、できたてホヤホヤの象の鼻地区を左に見て大桟橋へ。そこでUターン。
 くるりと方向を替えたとたん、みなとみらいホールのある建物がはるか遠くに見えました 私達がどれだけの距離を走ってきたのかがよくよくわかりました
 「わあ、パシフィコがあんなに遠くに見える」そうなんですよね。じつはすでに2キロ以上も走っていたのです・・・
 帰りは、開港博会場の横を通り、コスモワールドを左手に見て、もとの場所へ。残り500メーターあたりでポツポツと雨が降り出しました。
 中学の新1年生になる卒業生のお嬢さんは「わー、私、こんなに走れると思わなかった!こんなに走れちゃった」と感激。ママ達もじんわりと汗をかき、爽快な気分・・・と話してくださいました
 スタートしてから40分間。私達は4.8キロを走りました
 ランチを済ませて帰ってくると、すでにメールが入っていました。
楽しかった あんなに走れてうれしかった また、絶対に走りたいと思った・・・私はうれしかったですねえ

 私は本当に思うのです
若い子ばかりではなく、大人の私達にも、実際には可能性がいっぱいあるのだ、ということ そのことを大人が実感できないのは、本当は「実感できない」のではなく「実感しようとしない」だけなのではないのかな?

 ランニングでなくても良いのです。他のどんなことでもいい・・・それがどんなことであっても、「到底、私にはできない」「そんなことは絶対に無理」「できるわけないじゃないか」こんなふうにさえ考えなければ・・・
 いつか重い腰を上げれば・・・必ず、新しい大きな可能性は生まれる きっとそうだと思います 要するに、限界を作っているのは、案外、自分自身なのかもしれません

 初めて4.8キロを走り終えたママ達の笑顔・・・その笑顔は、わが子がペーパーでたくさんの花丸をもらった時、成長を実感した時の笑顔とはまた違う、イキイキとした達成感に満ちた女性の笑顔でした
「無理」「できない(させられない)」「やれるわけない(させられるわけがない)」・・・そういう思いこみが、じつは可能性への道を閉ざし、自ら限界を作り、新しい世界を見るチャンスを奪っているのでしょう

 さまざまな学年の子どもを持つママ達 走っている時には、立派な「ランナーの卵」だったママ達も、ランチの時間にはすっかり「母親」の顔に変身し、いろんな子ども話し、子育て話しに花を咲かせました
 今夜ママ達はきっと、東京マラソンで完走したランナー達とまったく変わりない達成感を味わってくださっていることでしょう

 5月には、皇居ランニングを楽しみましょうね さあ、ランニングだけではなく・・・次なる「輝くママ」の挑戦は、何にしましょうか?
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子どもにも世界がある

2009年03月19日 | う゛う゛ー
 「先生、うちの子ったら、幼稚園でも近所の公園でも、お友達と遊んでいる時、いつも思ったことが言えずに、やられっぱなし、言われっぱなしになっているんです もう、見ていたら、イライラしてしまいます・・・」とおっしゃるご両親は少なくありません。
 そういうわが子の様子を、とても歯がゆく感じていらっしゃるご両親は、きっと子どもの頃、はっきりと「イヤ」とか、「止めて」を言えるお子さんだったのでしょうね。
 それとも・・・ご自分達も子どもの頃、今のわが子のように、ウジウジしたり、されるがままになっていて、いろいろと損をしたり、辛い目に合われた経験が多く、たからこそわが子には、毅然とした態度で臨んで欲しい!自分達と同じ悲しく辛い思いをさせたくない、と思っていらっしゃるのかもしれません

 いずれにしても、一番大事なことは、「親がどうさせたいか?」ではなく、張本人の子どもが「本当はどうしたいのか?」を知ることでしょう

 たとえば、4,5歳になっていれば、こういう考え方をしている子どももいます。
 「私はこんなふうにされるのはとってもイヤ だけど、ここでイヤって言っちゃったら、○○ちゃんは怒っちゃうかもしれないでしょう?私は○○ちゃんが好きだから、嫌われたくないんだあ
 もしそうであれば、「なるほどねえ・・・あなたは、そんなふうに考えていたのね」と優しく受け止めてあげた上で、親としてのアドバイスが必要でしょう。
 でも、親の心配通り・・・
 「ぼくは、泣くほど~~されるのはイヤ でも、どうしてもイヤって言えない
と思っているのであれば、どうしてイヤと言えないと思う?と話し合ったあとで、やっぱり、そのことを知った上でのアドバイスをしてあげなくてはいけないでしょう。
 「今は我慢できても、ずっとこのままだったら、きっと辛くなってくると思うよ。だから、お母さんは、そうなってしまう前に、『○○くん、ぼく、本当は~~されるのがイヤなんだ・・・』ときちんと伝えるほうが良いと思うわよ。」と。
 ただ、中には、「ぼく(わたし)は、ぜんぜん気にならないよ 別にイヤじゃないもん
 というような子もいるものです
そうであれば、わざわざ親が根掘り葉掘り聞き出し、事を荒立てる必要はないでしょう。
 そして、子どもがいよいよイヤだと思うようになった時に、初めて「やっぱり、イヤだって伝えるほうがいいとママは思うな」と教えてあげれば良いでしょう。

 まあ、親からすれば、何にも考えていないように見える子ども達も、じつはいろいろと考えているのですよ
 1歳の世界では1歳なりに、4歳の世界では4歳なりに、6歳は6歳なりに・・・です。
 そして、こういう幼年期は、人はそれぞれの生まれ持った性格によっては、イヤなことをはっきり「いや!」と言う子も、言えない子もいます。そして、言うタイプ、言わないタイプ、どちらが良いか?などはわかりません 
 なぜなら、人が生きていくということは、たとえ子どもであっても「人と関わり、人付き合いをして毎日を過ごす」ということですから、最善、最良の策は、その時の状況、その時の相手によって、いろいろと違ってくるからです
 まさに、子どもの世界の中でも、いろいろあるんですよ、大人の世界と同じように・・・

 私は、しばしば、クラスが始まる前や、ちょっとした雑談中に、子ども達から「相談を受ける?!」ことがあります。時には、相談というよりも、切実なつぶやき・・・の場合もあります
 「○○ちゃんは、この頃は私と遊ばずに、△△ちゃんと遊ぶようになったの。私、何も意地悪もしていないのに・・・△△ちゃんは意地悪な子で、私が「入れて!」って言ったら、○○ちゃんと二人で遊ぶからダーメ、なんて言うんだよ、先生 ○○ちゃんは好きだけど、△△ちゃんはあんまり好きじゃないから・・・どうしたらいいと思う、先生?」とか・・・
 「Aくんは強くて怖い子なんだ。いつもお砂場で砂をかけるんだ だから先生に砂をかけることを言ったら、Aくんは先生に叱られたの でも、Aくんはね、ぼくが先生に言ったせいで叱られたんだって、すごくぼくに意地悪するんだよ 意地悪すること、先生にいったらダメかなあ?」
 私が、ママにも話したの?と聞くと、「話した」という子もいれば「話してない」という子もいます
 大抵、アグレッシブなパパ、ママ(?!)のお子さんは、「話していない」チームの場合が多いです。子どもなりに、そういうアグレッシブな我が親にこの傾倒の話しを耳に入れたとたん、ことが大きくなるってことを、何となく感覚として理解していてるんでしょうねえ。そして「言わないほうが良いだろう」と自分で判断しているのでしょう
 こんな時は、私は毎週、「その続きのお話」を聞くようにし、子どものガス抜きをしてあげ、その上で、必要な時には順序立ててアドバイスをするようにしています

 いずれにしても、です。
是非、親がわかっているべきことは「子どもにも子どもなりの世界があり、彼らは日々その中で、幼いなりにいろいろと考えて生きているのだ」という事です
 親は、ついつい「わが子を中心」に考え、当然のことながら、わが子がイヤな思い、痛い思い、辛い思いをしないようにアドバイスをします けれど、すでに4歳児以降は、子ども達も「大人の世界とさほど違わない問題」等を抱えて暮らしているものです。単純に「善悪」だけでは判断できない時があったり、善悪だけで判断してしまうと、みながギクシャクしたり、みなが不幸になる場合もある・・・大人社会の、まさに縮図ですよ

 集団生活が始まると、わが子と「公園デビュー」のことで悩んでいた頃とはもう違うのです。子どもは、すでに「母と子」「親と子」という世界の外で、「自分の世界」を持って暮らしています。
 何でもかんでも親が「すべてを」知りたがり、知ることによって何にでも首を突っ込みたくなり、「わが子を中心にして考える」クセは、そろそろ終わりにしなければ・・・わが子が不幸ですよ、お母さん

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怒ってくださいよ、お母さん。

2009年03月13日 | プンプン
昨日、電車に乗っていると、ドアのところに立っている母子2組を見つけました
何かのおけいこの帰りらしく、どちらの親子も、きちんとこざっぱりとした格好をしていて、親の手にはいかにも手作りらしいおけいこバッグがありました。
 ところが、年長さんくらいに見える彼女達(子どもは、女の子でした)は、ドアが開くたびにふざけて手を出したり、足を出したりして、キャッキャ騒ぐのです
 電車の中でふざけていること自体、私は気に入らなかったのですが、それにも増して、危険だなあ、と気になりました 実際、ドアが閉まる時に、何度も子ども達の手や足があたり、それを感知してドアが開きます
 母親達は、必死に?!おしゃべりに興じ、時々「○○ちゃん、ダメでしょ」「やあねえ、そんな悪いことしちゃあ。やめなさーい」  う゛―、おわかりになるでしょうか、このママ達のブリっこ的な叱り方
 本来は、すたすたと歩いていって、子ども達にも、親にもガツンと注意すべきなのかもしれませんが・・・さすがに私にはそのガッツがなく、見ているとムカムカと腹が立つので、違う車両に乗り換えました

 子どもは大抵、親が見ていなかったり、親が何も注意をしないと、必ず誰かと一緒に、調子に乗って平気で悪いことをします
 それがどんなに不道徳なことか、それがどんなに危険なことか、の真髄がわかっていたとしても、「私だけ、ぼくだけじゃない」というズルい思いが頭をもたげ、強気になるのでしょう
 まさに、悪ふざけであり、興味本位でやってのけるのです。
これは、どんなに真面目と言われる子どもでも、多かれ少なかれ、この傾向があるものです

 だからこそ
親がそれを見過ごしてはいけない、と思います。こういう悪ふざけをし、ましてやそれが人に迷惑をかけたり、危険だったりする時には、「火を噴いたように」叱らないといけません
 いつもは優しい笑顔のお母さんが、鬼の形相で怒った・・・こういう恐怖にも似た記憶、経験の積み重ねが、子どもにメリハリをつけさせ、しっかりとした「今はふざけても良い、今はふざけてはいけない」という「道徳スイッチ・マナースイッチ」を育てることになるのです

 教育的レベルの高いご家庭では、さまざまな面で子どもを躾け、厳しく苦言を呈していらっしゃる、とは思います。
 けれど、もしかしたら、そのポイントがちょっとズレているかもしれない・・・そんなことはありませんか?
 それに、ポイントがズレていなくても、母親が自分では厳しい苦言と思っていることが、子どもにとると、たんなるダラダラのお小言・・・になっていないでしょうか?

 ここ数年、私がよく苦笑してしまうこと、それは。「我が家は躾に厳しいです」とおっしゃるご家庭の子ども達が・・・
 「ママは、いつもうるさい!」と平気で言いうこと あまり、子ども達は「親の厳しさ」を実感していないようです。
 それは、お母様の厳しさが「空回り」している、ということなんですね、残念ながら

 一人っ子や、第1子のお子さんにありがちなことですが、いつも、親と同じ感覚で暮らしていたり(大人の中で、大人と同じように、という意味)、「お兄さん」「お姉さん」として、ある意味、親から一目置かれて暮らしている子達は、自分が幼い子どもである、という自覚がありません。
 すっかり、自分のことを「大人と同じような存在」だと思っています
 親も、子どもであることは当然わかっているものの、「大人と子ども、という大きな境目」を自覚していません。そのほうが、生活が楽だからです

 躾や家庭教育を真剣に考え、さまざまな本を読んだり、著名な育児評論家の講演を頻繁に聞く・・・というような人でも、この例外ではない、と私は思っています。
 それに、今の時代は「誉めて育てる」時代。こういう社会の流れの中に身を置き、家庭生活の中で「各人が居心地よく暮らす」ことを大事にすれば、親は気づかぬうちに、人を育てる立場における毅然とした態度(時として、横暴な、です)を忘れてしまっている・・・

 正直に申しあげて、ここ5,6年は、「ここぞ」という時に、大きな声でバシッと叱りつけるお母さんを見たことがありません。
 みなさん、かわいくチャーミングな声で「だめよ」とか「ほら、何してんの」程度のことしかおっしゃらない・・・ブーーーー、です

 子どもは、生まれた時から確かに「一個人」です。
しかし、実際には、大いに尊重されるべき「知能や知識や経験」を十分に持った大人ではありません。人間としては「一個人」ではあっても、まだまだ未熟で、未経験な生き物なんです
 白紙で生まれたわが子を、それこそ、人間的にも人格的にも、立派な「一個人」にするために、親は親になったその瞬間から、親としての自覚を持って、日々努力をし、わが子を毅然と教育していかなくてはなりません

 現代は、多くの幼稚園の先生、保育園の先生も、みな、子ども達と「お友達のような」関係を築き、フレンドリーに、穏やかな、差し障りのない?!毎日を送ります。
 家庭でも親たちは、子どもとの気まずい時間や葛藤は「自分自身を疲れさせることだから」という理由で、一様に優しく、声を荒げず、叱責することなく、「注意を喚起する」程度で和やかに暮らします。
 お母様方がおっしゃる「厳しい躾」は、時には自分を満足させるだけの自慰的行為にしか見えない・・・そんな気さえすることがあります

 子どもが大きくなった時・・・
 「いやー、あのママの(パパの)豹変ぶりはすごかったねえ・・・あのトーンで怒鳴られると、ああ、ママは(パパは)本気だな、と思ってすごく怖かった
 などと、懐かしい思い出として語ってもらえるような、そんな「かみなり」を落とす迫力・・・親としての心意気・・・私は必要だと思いますよ

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