私は、昨年からトライアスロンをはじめ、今ではすっかり「オバサンアスリート」気取りです
とは言え、アスリートのつもりではあっても、なかなかコンスタントに練習のできない状況では、本物のアスリートにはほど遠いのが現状ですが・・・
しかしながら、中学、高校、大学を通じて運動部の経験のなかった私が、ひょんなことから運動を始め、トライアスロンやランニングのレースに向けて練習をするようになったことで、気づけたことがたーくさんあります
その一つは、これです

「『はじめ』『動きだし』は大変だけれど、一度動き出したら、どんどんと簡単に動くようになり、加速度がついていく」ということ。
そして、これは「一度動き出し、加速度がついたものを止めるのは、なかなか難しい」ということをも意味しています。
私は、これはスポーツだけに限ったものではない、と最近、痛感しているんですよね
たとえば私の教室。
小学校受験準備を始めた当初の子ども達は、親に言われるがまま「お教室」と呼ばれる知らない場所に連れて行かれ、わけもわからず頭のトレーニング、時には意識の改革を始めます。
もしかしたらそこは、マイペースで通える、慣れた幼稚園や保育園とは違い・・・
厳しい先生がお小言を言う怖い場所かもしれないし
わからなかったり、間違ったりしたら、みんなの前で名指しで叱られるところかもしれないし

姿勢を良くしなさい、しっかりと声を出しない!と細々としたことを注意されるところかもしれません
いやいや・・・目新しいことがいっぱいで、毎回行くことが楽しくて、ルンルン気分で通えるところかもしれませんね
まあ、いずれにしても、やっぱり、最初は慣れない場所に戸惑ったり、慣れないお勉強に頭を痛めたり・・・と、子どもにとっては、それなりに負担に思える時間だったことでしょう
しかし、大変だあ・・・と思いながらも、ママに手を引かれて通い続けていくうちに、辛かった時間が楽しくなってきたかもしれませんし、面倒だなあ、イヤだなあ、と思うことが、興味をそそられる価値ある時間になってきたかもしれません。 そして何よりも、「通い続ける」ことで、知らず知らずのうちに「大きな力」がついてくる
それが、受験準備をしている子ども達の特徴なんですね
さあ、私が何を言いたいか?に気付いてくださったかもしれません。
先ほど私が書いた「動きだしは大変だけども、一度動き出したら、どんどんと簡単に動くようになり、加速度もつき・・・」まさに、今私が書いた「通い続けていたら・・・」に通じる、と思われませんか?
このようにして、子ども達の学習意欲が高まってくると、どんどんと子ども達は「知る楽しさ
」「わかる喜び
」「できる満足
」を感じるようになってきます。
そして、その子ども達の学ぶ意欲と学習のペース、この2つのバランスさえとれていれば、子ども達の「興味・意欲・探求心」は、どんどんと広がり、深まり、確実に力もついていくのです
しかし・・・
こういう子ども自身の学びのサイクルを無視してしまったり、軽んじてしまったりしたらどうなるでしょうか?親の無理強い的なリードや、親からの一方的な押し付けや詰め込みをしてしまったら・・・・?
じつは、こういうことをしてしまうと、急に子どもの「伸び」は鈍化し、そのうちにだんだんとやる気がそげ落ち、子どものイキイキとした前向きな姿勢は失せてしまうのです
そのうちに・・・ピタリと動きを止めてしまう・・・言ってみれば「ふりだしに戻る」という状態がやってくることも少なくありません
もっと酷い場合には、「ふりだし、以前に戻る」つまり、学習以外のことにもやる気がなくなり、幼稚園への登園を嫌がったり、弟や妹をいじめるようになったり・・・家庭内での乱れが目立つようになります
もちろん、線の細い子の場合は、チックの症状が見られるようになるのもこの頃から、です
小学校受験の準備に限らず、私はご両親に、子どもの身のまわりのものすべてを、そういう「子どもを伸ばすチャンス
」だと考えて欲しいなあ、と思っています。
それが小学校受験の準備であれば、受験の準備は「親がさせるもの」ではなく、やり続けていくうちに、自然に「子ども自身がするもの」という意識を、是非とも持っていただきたい
何度も言うように、こういうことは、受験準備だけに言えることではなく、子どもを育てている上では、すべてのことに通じるものです
ヴァイオリンやピアノのお稽古、スイミング、バレエ、英語、絵画、etc.etc.・・・すべて、これが真理です
「させられている」と子どもが感じているうちは、真の「伸び」というものはほとんど見られない、と言っても過言ではありません。
何のための学習か?
多くの子ども達は、「親を喜ばせるための学習」「親を喜ばせるための練習」だと思っているもの、なんですよ
残念ながら、世の中には、たくさんの「困ったさんママ」がいて・・・
どーんと構えることができず、ちょっとしたことで一喜一憂し、自分のイメージ通りに育児やお稽古事が進まないと・・・
「もうやめましょう!」
「そんなだったら、止めてしまいなさい!」
「もう、ヴァイオリンなんて弾く必要ない!」
「泳げなくてもいいから、スイミング、もう行かなくていい!」などと叫び、鬼の形相で勝手に興奮し、「やめてしまいなさい!」を連呼するママ・・・そういう「困ったさんママ」がそこら中に生息しています

要するに、こういう「やめてしまいなさい!」と叫ぶ時のママの思考回路では、「自分が始めさせたのだから、いつでも止めさせられる」という思いなのでしょう。(そう叫んでいるくせに、本当は「じゃあ、止める!」と言われたら、もっと逆上するクセに・・・
)
子どものお稽古は、犬の散歩とは違うのです。
犬のお散歩であれば、勝手にコースを短くしたり、コースを替えたり、時にはお休みをしてしまったり、止めたり・・・できますね。
でも、子どものお稽古は、よほど経済的な理由がない限り、そんな親の一喜一憂が理由で、ころころ始めたり止めたりして良いものではない・・・なぜなら、お稽古をしている「主人公は子ども
」だから・・・そうですよね。
子ども達が、真剣な眼差しで向かい、自分の意志を持って聞いたり見たりし、自分の力で理解し、驚いたり、納得したりする時の顔は、本当に素敵ですよ
そして、そんな時の子ども達は、輝くような姿勢で学ぶことを楽しんでいます
学習とは、本来、こういうものであるべきです
いずれ、中高生になれば概ね、残念ながらイヤイヤ机に向かう時期はやってきます。そうであるならば、せめて幼い頃は、「学ぶことは楽しい
」という思いを実感させてあげませんか?


しかしながら、中学、高校、大学を通じて運動部の経験のなかった私が、ひょんなことから運動を始め、トライアスロンやランニングのレースに向けて練習をするようになったことで、気づけたことがたーくさんあります

その一つは、これです


「『はじめ』『動きだし』は大変だけれど、一度動き出したら、どんどんと簡単に動くようになり、加速度がついていく」ということ。
そして、これは「一度動き出し、加速度がついたものを止めるのは、なかなか難しい」ということをも意味しています。
私は、これはスポーツだけに限ったものではない、と最近、痛感しているんですよね

たとえば私の教室。
小学校受験準備を始めた当初の子ども達は、親に言われるがまま「お教室」と呼ばれる知らない場所に連れて行かれ、わけもわからず頭のトレーニング、時には意識の改革を始めます。
もしかしたらそこは、マイペースで通える、慣れた幼稚園や保育園とは違い・・・
厳しい先生がお小言を言う怖い場所かもしれないし

わからなかったり、間違ったりしたら、みんなの前で名指しで叱られるところかもしれないし


姿勢を良くしなさい、しっかりと声を出しない!と細々としたことを注意されるところかもしれません

いやいや・・・目新しいことがいっぱいで、毎回行くことが楽しくて、ルンルン気分で通えるところかもしれませんね

まあ、いずれにしても、やっぱり、最初は慣れない場所に戸惑ったり、慣れないお勉強に頭を痛めたり・・・と、子どもにとっては、それなりに負担に思える時間だったことでしょう

しかし、大変だあ・・・と思いながらも、ママに手を引かれて通い続けていくうちに、辛かった時間が楽しくなってきたかもしれませんし、面倒だなあ、イヤだなあ、と思うことが、興味をそそられる価値ある時間になってきたかもしれません。 そして何よりも、「通い続ける」ことで、知らず知らずのうちに「大きな力」がついてくる


さあ、私が何を言いたいか?に気付いてくださったかもしれません。
先ほど私が書いた「動きだしは大変だけども、一度動き出したら、どんどんと簡単に動くようになり、加速度もつき・・・」まさに、今私が書いた「通い続けていたら・・・」に通じる、と思われませんか?
このようにして、子ども達の学習意欲が高まってくると、どんどんと子ども達は「知る楽しさ




そして、その子ども達の学ぶ意欲と学習のペース、この2つのバランスさえとれていれば、子ども達の「興味・意欲・探求心」は、どんどんと広がり、深まり、確実に力もついていくのです

しかし・・・
こういう子ども自身の学びのサイクルを無視してしまったり、軽んじてしまったりしたらどうなるでしょうか?親の無理強い的なリードや、親からの一方的な押し付けや詰め込みをしてしまったら・・・・?
じつは、こういうことをしてしまうと、急に子どもの「伸び」は鈍化し、そのうちにだんだんとやる気がそげ落ち、子どものイキイキとした前向きな姿勢は失せてしまうのです

そのうちに・・・ピタリと動きを止めてしまう・・・言ってみれば「ふりだしに戻る」という状態がやってくることも少なくありません

もっと酷い場合には、「ふりだし、以前に戻る」つまり、学習以外のことにもやる気がなくなり、幼稚園への登園を嫌がったり、弟や妹をいじめるようになったり・・・家庭内での乱れが目立つようになります


小学校受験の準備に限らず、私はご両親に、子どもの身のまわりのものすべてを、そういう「子どもを伸ばすチャンス

それが小学校受験の準備であれば、受験の準備は「親がさせるもの」ではなく、やり続けていくうちに、自然に「子ども自身がするもの」という意識を、是非とも持っていただきたい

何度も言うように、こういうことは、受験準備だけに言えることではなく、子どもを育てている上では、すべてのことに通じるものです

ヴァイオリンやピアノのお稽古、スイミング、バレエ、英語、絵画、etc.etc.・・・すべて、これが真理です

「させられている」と子どもが感じているうちは、真の「伸び」というものはほとんど見られない、と言っても過言ではありません。
何のための学習か?
多くの子ども達は、「親を喜ばせるための学習」「親を喜ばせるための練習」だと思っているもの、なんですよ

残念ながら、世の中には、たくさんの「困ったさんママ」がいて・・・
どーんと構えることができず、ちょっとしたことで一喜一憂し、自分のイメージ通りに育児やお稽古事が進まないと・・・






要するに、こういう「やめてしまいなさい!」と叫ぶ時のママの思考回路では、「自分が始めさせたのだから、いつでも止めさせられる」という思いなのでしょう。(そう叫んでいるくせに、本当は「じゃあ、止める!」と言われたら、もっと逆上するクセに・・・

子どものお稽古は、犬の散歩とは違うのです。
犬のお散歩であれば、勝手にコースを短くしたり、コースを替えたり、時にはお休みをしてしまったり、止めたり・・・できますね。
でも、子どものお稽古は、よほど経済的な理由がない限り、そんな親の一喜一憂が理由で、ころころ始めたり止めたりして良いものではない・・・なぜなら、お稽古をしている「主人公は子ども


子ども達が、真剣な眼差しで向かい、自分の意志を持って聞いたり見たりし、自分の力で理解し、驚いたり、納得したりする時の顔は、本当に素敵ですよ


学習とは、本来、こういうものであるべきです

いずれ、中高生になれば概ね、残念ながらイヤイヤ机に向かう時期はやってきます。そうであるならば、せめて幼い頃は、「学ぶことは楽しい
