まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

優しい言葉、満面の笑顔

2007年08月29日 | にこにこ
「なんでこちらの人たちは、顔が怒っているのだろう・・・?沖縄の方々は、見知らぬ人にも必ず笑顔からはじまりますよね?私を含めて都会の人は、知らない人には笑顔はみせませんね・・・いつからこんなに警戒心が強くなったのか?それとも無愛想になったのか?・・・自分自身を正すのにも、本当に沖縄は良いきっかけになりました。
昨日も娘と近くまでお買い物に行きましたが、ほんの2,3時間の間に、子どもを大声で怒鳴る親に2組、大声でケンカする夫婦、おじいちゃんを大声で怒鳴る娘・・・今日はどうなっているの?と思うくらいに、イライラしている人達に遭遇しました。
このところの暑さで、人が皆、苛立っていることは何となく私も理解できますが、本当にこの頃はなんだか変ですね。全体的に・・・。」

 夏休みに沖縄に家族旅行に行かれて、先日私がブログに登場していただいたママからのメールです あまりに、このママの感性が印象に残ったので、また、ブログにそのままで書かせていただきました

 主人が、後ろ髪を引かれる思いで、心身共に癒された沖縄の病院を退院し、こちらの病院にリハビリのために再入院した、というメールを私がお送りしました。そこに「こちらの病院では、ドクターも、看護師さんも、患者さえもみんな忙しそうで、硬くてぴりぴりした空気が流れている・・・」と表現した、そのお返事にいただいたメールです。

 道を尋ねられて、親切に教えようとしたとたん拉致され、殺害されて山中に埋められてしまう・・・ そんな卑劣で残忍なことが起こる時代です。
世の中の母親達が、愛するわが子に・・・
  「知らない人に声をかけられても、決して答えてはいけないわよ。怖い人かもしれないのだから ニコニコしたり、口をきいたりしては絶対にいけません
と教えることを、決してまちがっている、とは言えないでしょう

 私は、電車の中や町中で、お制服姿の小学生達がいると、とても気になり、ついつい様子に見入ってしまいます 何を話しているのかしら?何をしているのかしら?と・・・
 相手が気づくと、必ず私はその子達ににっこりと微笑みかけてしまいます
 すると、10人中5人の子ども達が、私の顔をキッと怖い顔をして見つめ返します
 そして、残りの半分は、とても困ったような顔をして、目を逸らします 決して誰1人として、微笑み返す子はいませんねえ・・・
 さすがに電車通学をする子ども達。お父様やお母様の教えは徹底し、子ども達もしっかりとそれを守っているようです
 私は、そのことにあらためて感心するとともに、そんな殺伐とした時代になってしまったことを、あらためて実感し、とても悲しい気持ちになるのです

 まどか先生の笑顔が好きです・・・いつも、笑顔のまどか先生に癒されます・・・ そんなふうに言っていただけることが、私の何よりの喜びです。
 そして、そんなふうに言っていただける時、私に笑顔を与えてくれた父や母に心から感謝します
 けれど、そんな私の笑顔は、電車の中の子ども達からは何より一番拒絶しなければならないもの、怖いもの、として拒否されてしまうのです・・・そんな時代なんですねえ

 でもね、やっぱり、それでも私は思うのです
どんなに時代がかわっても、ご家庭では「笑顔」を大切になさっていますか?お母様は、愛するわが子に、満面の笑顔を見せてあげていますか?
 
 ご家庭の中にあたたかい笑顔があれば、きっと子ども達には自然に「笑顔」が身に付くでしょう

 昔、キャビンアテンダントの笑顔は、みえみえの作り笑顔で、あまり嬉しいものではない、などと言われた時代がありました
 確かに、世界中のさまざまの航空会社の飛行機に乗ってみると、日本の航空会社のキャビンアテンダントほど、あまり満面の笑顔、というものを見せません。

 でも、この夏、私は主人が入院していた沖縄と横浜を往復するために、頻繁に飛行機を利用した時、JALのみなさんの笑顔に本当に救われました
 チェックインカウンターでの笑顔、ラウンジでの笑顔、機内に入った時に見る笑顔、毛布をもらう時の笑顔、コーヒーを渡してくれる時の笑顔、お気を付けて、いってらっしゃいませ、と声をかけてくれる時の笑顔・・・
 もしそれが、職業上、訓練の上にできあがった笑顔であったとしても、「にこりともしない、怖い顔」の数倍、数十倍、人の心を癒しますよね

 優しく穏やかな言葉遣い、人を和ませる笑顔・・・
これは、人が人として存在する上での「最も基本になるもの」ではないか、とまで痛いほど思った夏でした。

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リハビリ室にて・・・

2007年08月24日 | にこにこ
 すっかりご心配をおかけしました我が家の主人
今週のはじめに沖縄の病院を退院し、今は横浜の病院にリハビリ入院をいたしました
 おかげさまで、日頃から鍛えた筋力が威力を発揮し、今は松葉づえを使って、歩けるようにまで回復。たくさんのエールを、ありがとうございました 日常生活に復帰するのは、あともうしばらくかかりそうですが、リハビリ室での「筋トレ」は順調に進んでいます 

 ある日の、名護のリハビリ室でのこと。
自由の利かない右側の手、足を左側で支え、黙々と平行バーを握って前に進もうとしている男性。
 理学療法士の先生が、「もっとゆっくりでいいよー」「そうそう、その調子で右手を先に前に持っていって・・・」と、そのつど適切な指示を出し、男性を励まします
 主人の話によれば、その男性は沖縄を旅行中、脳梗塞で緊急入院をなさったのだ、ということでした。 
 初めてその方がリハビリ室に来られた時には、全く立てるような状態ではなく、それでも理学療法士の先生が教える小さな動きの運動を繰り返し、 自室に戻っていかれていた、ということでした。
 その日から1週間、その方は確かに自分の足で立ち、ゆっくりゆっくりではありますが前に進むようになっていました

 私は、あまりじろじろと見てはいけないと思いつつも、その男性の真剣な取り組みの様子から、目を逸らせることができませんでした。
 車いすを押しているのは奥様のようです。言葉の少ないご主人に、奥様は一生懸命笑顔で話し、車椅子を押してリハビリ室を出て行かれます

 リハビリテーションという、地道な努力を必要とする世界。
あの男性のがんばり、それを見守り、サポートする奥様・・・今まで私の知らなかった世界です。

 興味を持ってリハビリ室の中の様子をじっくりと観察をしていますと・・・本当にいろんなタイプの人がいるものです
 もちろん、さっきの男性のように、一生懸命にリハビリの取り組んでいる人もいれば、どんなに理学療法士の方が励まし、事細かによりやりやすい、効率の良い方法を教えても、ああだこうだと言い訳ばかりして、決して動こうとしない患者さんもいます
 「~~だから、○○なようにしましょうね ○○は難しくて、なかなか簡単ではないので、ついつい△△にしてしまう人は多いけれど、△△では全く意味がないからねえ。必ず、○○のようにしましょうねえ
 そう何度も注意をされても、平気で△△を続け、ご満悦の顔をしている人もいます
 私はそんな様子を見ながら、ふっと「子どもたち」を見ているような気持ちがしたのでした

 「○○しましょう」と、少々「がんばり」を必要とする課題を与えたとき、ほんの一瞬、顔をこわばらせても、すぐに気を取り直すように「はい」と返事をして、さっさと取りかかる子ども・・・意外と少ないものです
 大きな声で私に聞こえるように、「できないかもしれない・・・やったことないから、できないかもしれない・・・」と、必死にアピールをする子。
 この子は、うまくいかながったときの予防線を張っているのですね
 ほんの少しだけやって、ちょっと苦手だとわかるやいなや手を止め、「がんばったよ 全部はできなかったけど、ぼくは(わたしは)すごくがんばった」と自分のがんばりをアピールする子。
 取りかかったとたん、自分にはかなり困難だとわかり、涙をいっぱいためて手を止める子供
 まわりの様子を全然気にせず、ひたすら陽気に、鼻歌交じりに取り組む子 etc.etc.

 もちろん、生まれ持った人柄があります。
ご両親が努力家であれば、やはりその因子を受け継ぐ子どもが生まれるでしょうし、努力嫌いの行き当たりばったり・・・という因子をもらえば、そういう子どもとして生まれるでしょう。
 しかし、私はやはり、人が何かに取り組む姿勢、挑戦する姿勢には、生来の因子による人柄ばかりではなく、「幼いころからの育てら方」「育った家庭環境」(もっと成長すれば、学校環境も関係してきます)に大きく左右されると思っています

 たとえば・・・
  わが子が「できない」ことに直面したとき、できなかったというその結果にこだわり、「あー、できないんだあ。できると思ったのになあ、そっかあ、なんでできないんだろうねえ、残念だなあ・・・」というような、ぼやき型のご両親。
  わが子に「できない、わからないことがある」という現実を受け入れたくない、何でも一番!とにかく優秀!というのが好きなご両親。

 こういう2タイプの下に育つ子どもは、きっと、親に「できない、わからない」という事実を知られたくない、できないことで落胆させたくない、上手にできてほめられたい、というような気持ちが強く働き、表面上でも、つじつま合わせでも、できるように見せよう!!と思うようになるでしょう。

  わが子の苦手を見つけたとき、本当はそのことにショックを受けてかなり凹んでしまったけれど、そういう様子は教育的見地から、子どもに感じさせてはいけない、と考えるご両親の場合。こういう両親は、異常なほど「がんばった、という過程」をほめちぎり、できなかった結果から、ご自身達が目を背けたいがあまりに、結果は云々しません。

 当然、この両親のもとに育つ子どもは、結果が悪かった場合には、その結果を真摯に受け止め、どうしようかと考えるよりも、とにかく、自分はがんばったんだ、必死に取り組んだんだ、という姿勢に評価を得ようとします

 これはほんの一例ですが、やはり、親の関わり方、接し方は、その子の成長に大きな影響を与えることは否めません

 名護の病院のリハビリ室。
一人、チャーミングなおじいちゃんがいました
何かの術後でリハビリをしている方なのですが、どんなに理学療法士の先生が叱咤激励しても、すぐに指示されたリハビリを途中でやめてしまいます
 車椅子に「あー」と言って座り、そして、手で頭をくりくりとかいて、「がんばったー」と自分を褒めるように大きな声で言って、奥様や孫たちに手や肩を揉ませるのです

 「○○さん、そんな1周だけで止めていたら、ちっともリハビリ進まないねえ。もうちょっと頑張れるようになっているさあ。さあ、しっかりやりましょうねえ
と声をかけられても、頭をくりくりかくばかり・・・

 その様子、私は子どもでよく見ます
何でも途中で投げ出しても、ママにハグをしてもらい、「○○ちゃん、よくがんばったわねえ、すごいすごい!ママはびっくりしちゃったわー」などとほめられて、ご満悦になる・・・ 困ったちゃん親子の姿、と同じです。
 まあ、おじいちゃんは数十年、人生の荒波を乗り越えてきたのですから、百歩譲って「頭くりくり」は許されるよな、と思いますが、子どもの場合は訳が違いますよねえ

 がんばることは、本当に価値のあることです 結果ばかりを求めるのは、絶対に違う
 でも、結果を求めない、というのも、やはり違うでしょう
 親は、がんばる姿勢を評価しながらも、良い結果が出せるようにリードすべきですし、良い結果をだそうというガッツ、意気込み、心意気を、子ども自身に持たせるような、有効な言葉かけをそのつど考えるべきでしょう

 それにしても・・・あの頭くりくりおじいちゃん、今日も名護でがんばっているかな?

 

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戦争を伝える

2007年08月12日 | う゛う゛ー
 8月6日、8月9日・・・と、毎年、8月に入るとテレビでは「過ぎし日の戦争」の番組、ニュースが多くなります。
 戦後60年。確かに、何もしないでほおっておくと、日本という国が経験した「戦争」は、風化の一途を辿ることは必然でしょう。
 
 私が生まれた昭和33年は、まだまだ戦後色が色濃く残っていた、と思います。それが、一気に「過去」として語られるように?感じられるように?なったのは、昭和39年の東京オリンピック以降だったのではないか?私は、そんな気がしています。

 先日、ある卒業生のお母様から、こんなメールを頂戴しました 私がブログの中で、沖縄で主人がケガをした、と書いたすぐ後のことです。たまたま、時期を同じくして、夏休みの家族旅行で、沖縄にいらしていた、ということでした。

 「先生がブログに書かれていた通り、沖縄の方は本当に笑顔が素敵で、素朴な方が多いですね。
悲惨な歴史を乗り越えてきている強さと、それを許す寛大な心を持った方たち、だからではないでしょうか。私はそんなふうに思いました。
私自身、沖縄は日本ではなく、独自の文化を持った人々だと感じました。それもとても崇高なものを・・・
娘は海の美しさに驚いていました。そして、その美しさが故に、いっぺんに沖縄のとりこのなってしまったようでしたが、その一方で、沖縄の中にあるアメリカ軍の基地の多さにも驚いていました。
「ねえママ、沖縄ってアメリカなの?」という疑問を持ったようです。
何とか、2年生の娘に上手く説明をしようと思いますが、まだあまりに難しいことを教えても、なかなか理解してもらえないかもしれません。
けれど、それでも敢えて、私は、沖縄の歴史、沖縄の文化、そして沖縄の地が経験した戦争の悲惨さを、この夏休みに親子で考えていきたい!心からそう思った旅行でした。」

 私は、このメールを頂戴し、とても感動したのでした。
お嬢さんの鋭い感性にも、そして、それをキャッチし、何とか素直に親の心でさまざまなことを語ろうとなさっているお母様にも・・・

 確かに、戦争の話しをするのは、なかなかむずかしいことです。
実際に戦争を経験した人間が、「自分の体験、自分のこと」としていろんなことを語られると、それを聞く側もストレートに言葉を聞き、受け止められます
 しかし、戦争を知らない人間が、戦争のことを語ろうとすると、妙に教訓めいてしまったり、悲惨さばかりを強調してしまったり、事実を伝えようとするがあまりに、詳しすぎたり・・・
 そして、最後に「だから戦争って怖いものよね。戦争はダメ。争いごとはダメ。幼稚園でも、ケンカはダメよ!」みたいに、急に飛躍して、薄っぺらな話しになってしまったり・・・

 昨年の同じような時期に、私はやはり戦争に関連したブログを二つ書いています。(ブログ1ブログ2) 
 未だに私の息子は、「ぼくは今でも『火垂るの墓』は苦手なんだよ・・・あの映画のいろんな場面を思い出すたびに、悲しくて、情けなくて・・・胸が詰まる・・・」と言います。
息子があの映画を観たのは、もう10数年前の小学生の頃だったと思うのですが、「火垂るの墓」は、そんな彼の中に強烈な印象をもって「戦争」をインプットした作品?時間?なのでしょう。

 毎年、この時期になると息子のそんな言葉を聞き・・・私は、戦争を風化させないためには、多くの様々な戦争に関する知識を与えるのではなく、この、自ら何かを敏感に感じる「感性」こそが、何よりも意味を持っているのではないか?と思えてなりません。
 ですから、親や大人が、教育的見地から、太平洋戦争のことを教え、語った後で、さっと話しを現代に転じ、9.11以降の世界の動きにスポットを当て、「だから戦争はいけない!」という結びに持っていったとたん、子どもにとって戦争は、急に「自分からは遠く離れた世界で起こっている『いけないこと』」として、立派な額縁に入った絵のように、確かにそこにあるけれど、あまり興味の持てない遠いもの、となってしまうのではないか、と思うのです。

 戦争は歴史です。戦争は事実です。
評論ではなく、その人がその戦争という事実を知って、何かを自分の五感で感じる・・・それこそが「戦争を知り、ひいては平和の本当の意味」を知る上で大切なこと、なのではないかと思います。

 那覇空港に着陸し、滑走路からターミナルの方向に機体が進んでいくと、機体の右側の窓からは次々に陸上自衛隊、海上自衛隊の格納庫が見えてきます。日中であれば、実際に戦闘機がたくさん停まっていて、時には自衛官が操縦席に座って何か作業をしている時もあります。
 那覇から名護に向かう高速バスに乗っていると、米軍の住宅の真横を通ります。延々と続く日本離れした住宅地・・・巨大な嘉手納基地の側なのです。
今では、貴重な沖縄の名所?としてたくさんの人が訪れる「ひめゆりの塔」をはじめとする、沖縄本島南部の太平洋戦争の戦跡があります。
 山原(やんばる)と呼ばれる沖縄本島北部にある海洋博記念公園。美ら海水族館があることで有名なその公園の入り口の真ん前、真っ青な海に浮かぶ美しい島「伊江島」は、沖縄本島に進軍してくるアメリカ軍が、まずは壊滅的打撃を与えた島です。

 多くの幸せそうな家族連れ、半裸に近い格好で那覇空港を闊歩する若いお嬢さん達・・・
 しかし、沖縄は、青い海、青い空の美しい南の島であると同時に、本当は今でも「多くの顔」を持った島であり、語り尽くせない悲惨な戦争体験を乗り越えてきた島なのですね・・・

 予期せぬことでしたが、私はの時期に、頻繁に沖縄を訪れ、非常に身近に沖縄の人々と触れるという機会に恵まれました
 年配のタクシーの運転手さんから聞く何気ない話しの中にも、本土に暮らしている人々とは全く違う経験、沖縄だからこその問題が多く含まれています。

 本来、旅行とは「楽しむべきもの」であり、お勉強?学習?の場であってはいけない!ましてや、まだまだ幼い子どもには、刺激の強いものは御法度で、戦争なんて自然に知るようになってからで十分・・・というお考えの方も多いことと思います。

 しかし、私は、5歳には5歳の、10歳には10歳の感性というものがあり、幼いからこその鋭い感性で、「悲惨なこと、ショッキングな事実」を知り、そして考える時間となる、と常に考えています
 
 そろそろ終戦記念日がやってきます。
今はすっかり大人になった我が家の子ども達は、太平洋戦争終結後50年の日を、主人の赴任先、インドネシアのジャカルタで迎えました。
 インドネシアにとっての8月15日は、統治していた日本の敗戦の日であり、2日後の8月17日には、スカルノ大統領がインドネシア国の独立宣言をします。
 終戦後50年は、インドネシアにとっては、独立50周年を意味し、盛大な式典が数多く催されました。小学生だった子ども達は、真剣にテレビでの式典の模様を見つめていたことを、今でもよく覚えています。

 よく「人の痛みのわかる子どもに育って欲しい」と多くのお父様、お母様がおっしゃいます。
 人の痛みを理解するためには、まずは、人の痛みの事実を知らなければ始まりません
 痛みを理解するということは、痛みを知る感性をもつこと・・・ということではないでしょうか?
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機内の子ども達

2007年08月03日 | にこにこ
 前回のブログで、主人が沖縄県名護市の病院に入院をした、と書いたため、すっかり反響が大きく、卒業生をはじめ、大きなみなさまにご心配をおかけいたしました。
 おかげさまで、沖縄パワーと、自虐的に鍛えた筋力、体力が功を奏して、順調に、ドクターも苦笑の早さで回復をしています リハビリも始まり、やっと一安心です ご心配をおかけし、申し訳ございません

 さて、私はこの2週間で、すでに沖縄と横浜を3往復しているのですが、夏休みのこの時期、特に沖縄便は、帰省客というよりも、ほとんどがレジャー客
 家族連れも非常に多く、そういう意味では「子どもたちのオンパレード」です
 一つの家族、その両親の間に生まれた子どもたち、という単位で眺めてみると、まさに「子どもは親次第」ということがよくわかります

 機内でのこと。
座席についたとたん、4、5歳とおぼしき男の子が、すぐに文句を言い始めます
 席が狭い おもちゃが出せない 喉が渇いた・・・ そのつど、お母さんはオロオロし、「ごめんね、ごめんね」を連発します。
 それにしても・・・「ごめんね」って、何でお母さんが謝るのか、ワケが解らないです それに、本当に、どのようにしたら、あれだけ「不満を連発」できる子どもが育つのか、ある意味、非常に興味深かったものです

 その一方で、5歳と3歳くらいに見える兄弟がいました 
 ふたりはキョロキョロと機内を眺め、「ここに座りなさい」と小さな声でお母さんに声をかけられて、席についきました。

 文句たらたらの「ふまんちゃん」とおりこうちゃんの「しずかくん達」は、2列ほど離れた席でしたが、横から眺めていた私からは、まるで違う「生き物」のように見えました
 ふまんちゃんは、文句を言い続けているわりには、目ざとヘッドフォンを見つけ、「ママ、これして」と渡します。
 お母さんは、まだ荷物を上の棚に乗せたり、自分の席で2時間強のフライトを快適にするため、ごそごそと支度をしていました。
 もちろん、ふまんちゃんは、そんな自分がほったらかされている時間は許せません
 「早くしてよー ねえ、これえー、これやってよー
お母さんの反対側の隣の席に、どっかと腰を下ろしたお父さんは、無言で新聞を読んでいて、わが子がうるさく言っていることを気にも留めていないようです

 しずかくん達
彼らもやはりヘッドフォンを見つけました。お母さんは彼らにヘッドフォンを渡し、ここに差し込むのよ、と教え、あとは「いろいろとやってみてごらん、ただ、このボタンは、スチュワーデスさんを呼ぶボタンだから、押しちゃだめよ」とだけ言い渡しました。
 彼らは、いろいろと真剣な面持ちでボタンをさわっているようでした 
しずかくん達のお父さんも、やはり反対側の席で新聞を読んでいましたが、チラチラと子ども達を見ては、にこにこし、途中、何度かお母さんの荷物を上の棚に上げたり、自分の前のスペースに入れてあげたり、さりげなく手伝っているようでした

 ふまんちゃん、しずかくんたち・・・ともに、各家庭に生まれて4、5年。
きっと、毎日、こんなふうな雰囲気、空気の中で生活をしてきたのでしょう 
 まだまだ小さな子どもたちですが、それでもやはり、それまでの4年、5年という、それなりに長い時間、長い年月をかけて、「今の姿」がそこにあります
 3つ子の魂、百まで・・・は、私は非常に言い得て妙、の言葉だと思います 
 よほど天地がひっくり返るようなことが起こらない限り、ふまんちゃんママの子どもへのスタンスは変わらないでしょうね きっとそのうちに、「お願い」をして勉強をさせ、勉強なんて嫌いだと叫ぶふまんちゃんの様子にオロオロし、次はママのお願いだからとわが子に泣いて懇願する・・・というタイプのお母さんになるでしょう
 そしてふまんちゃんは、何か自分のイメージ通りにできないと腹を立て、お母さんに八つ当たりし、お母さんはそのたびに右往左往する・・・

しずかちゃん達が、ドラマに出てくるような理想の子どもたちになるか、と問われれば、きっとそうではないでしょう 人並みに反抗期を迎え、人並みに親に心配をかける子どもになっていくはずです
けれど、小さな頃から「親に何でも頼む、してもらう、依存する」ということよりも「自分で、まずはやってみる、考える」という育ち方をした子どもたちは、成長の上でも、突然、うまくいかないこと、困ったことに遭遇したとき、「人のせいにしたり、くさったりして、自分はさっさか困難から逃げる」という成長のしかたはしないものです

 子どもも親も十人十色
けれど、実際にはそれほど多くのパターンはなく、究極の分け方をすれば、子どもを上手に成長に導く親と、そうでない親、に大別してしまえるものです

 さあ、あなたのお子さんは「ふまんくん」ですか?それでも「しずかくん」ですか?そしてあなたは「ふまんちゃんママ」?それとも「しずかくんママ」? 

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