まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

日本語力=外国語力ですよ!

2023年06月30日 | う゛う゛ー
 コロナ禍にあって、長いドメスティックな時期が終わり、またまた人々の目は世界に向くようになってきました  町中にも外国からの観光客が目立ちますね。為替の関係もあり、今、日本は人気の国のようですね。そうなると、俄然、外国語力、特に世界の共通語である英語力は必須です。
 英語圏の国でなくとも、英語さえ話すことが出来れば、大抵、困ることはありません だからこそ、昨今、外国語教育、特に英語教育に関しては、どんどん早期からの教育が重要視されています。そして、多くの家庭では、「我が子の英語教育は、いつ始めようか」とハラハラ、ドキドキ・・・
 しかし、まわりの言葉に踊らされたり、流されたりするだけではなく、十分にご両親で外国語教育について考えた上でのハラハラ、ドキドキ、でしょうか?

 コロナ渦が数年続き、海外での駐在者が減少したからでしょうか、最近では少なくなりましたが、一時、駐在から帰国されたご家庭のご相談で多かったのが「駐在中に覚えた外国語力を維持させたいい」というものでした。
 そういう相談は、「この幼児期に数年間も駐在をしていたため、我が子の母国語力が心配です。どのようにキャッチアップすれば良いでしょうか?」というご相談よりもはるかに多かったのですよ
 私は、そういう状況を大変危惧していたのでした なぜかって?はい、なぜならば・・・
 日本人であれ、何人であれ、母国語ほど大事なものはないから、です もちろん、それは「自分は〇〇人だ」という、人としての柱となるアイデンティティの問題でもあります。そして同時に、あまりみなさんは気に留めていらっしゃらないことなのですが・・・「人は皆、ものを考える時には『母国語』で考えている」ということ。
 外国語で話す時には、頭の中で母国語で考えた結果、その母国語での考えを外国語に置き換えて話す・・・という作業を勝手に頭の中でしているのですね。
 外国語力に長けていれば長けているほど、その置き換えに要する時間が短くなる、ということでもあります。
 つまり、考えるための術である母国語力が低いと、当然、外国語力も低くなる
 いかがですか?これで、母国語の重要性をご理解いただけたのではないでしょうか?
もちろん、成長していくうちに語彙力は増えてきます。だからこそ、外国語力も向上していきます。知っている母国語の語彙が多ければ、それを外国語に置き換えて話せるわけですし、話したい、と思えましから。
 
 しかし・・・
例えば、4歳児が、100個の外国語の単語を覚えたとして・・・どれだけのことが話せるでしょう?その覚えた100個の単語をすべて使って、十分に「会話」ができるでしょうか?
 母国語力を磨き、思考の幅と深さを広げていかなくては、まず、考えることそのものが稚拙でしかありません
 言葉は「手段」ですからね。その言葉を使って何を話すか?これは、何を考えているか?にも通じます。知らず知らずのうちに、幼児期の外国語教育が、「語彙を増やすこと」が目的になってしまってはあまりに残念です。
 もちろん、そういう外国語学習も「子どもの興味を広げる」という目的のための一つの方法であれば素敵です 100個の外国語の単語が、どんどんと子どもの世界と興味を広げてくれますものね ただ、それが親の自慢や自己満足で終わってしまったり、また、それが「外国語教育である」という少しずれた感覚、勘違いになってしまうのは・・・どうでしょうね

 子ども達が幼いうちから、しっかりと、正しく美しい日本語を周囲の大人から学び、真似て、それを自分自身のボキャブラリーとして使いこなせるように習得し、様々な考えを巡らせるようになっていくことこそ、理想的な「外国語教育の基盤」となります  そうなれば、間違いなく、その子の外国語力も大きく豊かになり、立派な国際人として育っていってくれるでしょう
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我が子の成長のチャンスを逃がしましたよ、パパ!

2023年01月15日 | う゛う゛ー
 子どもの成長のチャンス
親としては、誰しも逃したくないと考えているもの、ですよね。
 でも、実際にはそういう「成長のチャンス」は、特別の時間やシチュエーションではなく、身の回りの何てことない事柄や、普段の暮らしの中にあるもの、なのですね。だからこそ、親はその貴重なチャンスを見落とし、見過ごしてしまう・・・ そして、高価な月謝を支払ったり、時間のやりくりをして、特別のお稽古事や何やに期待をかけてしまうもの。それでは、あまりに残念です
 
 昨日の出来事です。
土曜日の朝の電車、特に各駅停車は空いていました 私が乗った次の駅から、親子4人が乗り込んできて、私の前に座りました。上のお嬢さんは4歳?いや、まだ3歳数か月というところでしょう。下のお嬢さんは2歳弱。ママは、下のお嬢さんのお世話にかかりきりでした。
 電車は、その次の駅に到着しました。アナウンスがあって「特急電車の待ち合わせをいたします。しばらく停車をいたします」電車のドアは、上のお嬢さんの横のドアは開いたままになっていましたが、彼女が前を向いて座っている時に見える正面のドアは閉まっています。そちら側を特急電車が通過するから、ですね。
 彼女は、電車が止まってしばらくすると、「ねえパパ、どうしてあのドア、開かないの?ねえ、パパ、どうしてドア、開かないの?電車、止まったよ!」とパパの方を向いて言いました。
 私は、賢いお嬢さんだなあ、と思いました 幼いお嬢さんではありますが、今までに何度か電車に乗った経験から、「電車が止まる→ドアが開く」ということを自ら学習していたわけ、です
 そういう学習によって、彼女は「電車が止まった、なのにドアが開かない。どうしてなの?」という疑問に繋がった、ということ。こういう思考のサイクルは、決して「当たり前の事」ではないのですよ とっても「すごいこと」なのです。
 ところが・・・あまりにも残念なことに、パパはスマホに熱中。もちろん、休日ではあっても、大事なお仕事をされていたのかもしれません。でもね、パパは、そのお嬢さんが3度も繰り返してたずねた質問をスルー 3度目の質問時、「電車は静かに乗るんだよ」と答えただけ、でした。
 はい、確かに電車では騒いではいけません。他の乗客の迷惑にならないように、静かに乗っているべき、です。パパがお嬢さんに伝えたことは、正しいことです。大事なマナーを教えました。

 でも・・・私は残念だと思いました
心の中で「あなた、お利口さんねえ。電車が止まったら、ドアが開くんだってこと、よく知ってるわねえ、すごいそれに、今は電車が止まっているのに、ドアが開いていないってことにも気づいたのね。じつはね、見て見て ほら、あなたの横側のドアは開いてるのよ。ねっ ドアは、こっち側とあっち側にあって、駅によって、どちら側のドアが開くかって、決まってるのよ。この駅は、あなたの見える方のドアは開かないことに決まっていたのね。さてさて、次の駅はどっち側のドアが開くのかな?楽しみね おばさんは、次の駅で降りるから、どっち側のドアが開くのか、見ていてね、ふふふ」と、そのお嬢さんに話していました

 身の回りからの学び たーくさんあります。どんなことからだって、学びがたくさんあるのです
親がそれに気づいてさえいたら・・・ 子どもの「ふしぎだなあ」「すごいなあ」「へんだなあ」そんな「???」「!!!」をキャッチできれば、子どもは毎日、たーくさんの学びを得るはず、なんですね。
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言葉足らずは、心足らず

2016年11月14日 | う゛う゛ー
 言葉足らずは、心足らず・・・
この言葉は、娘が幼い頃に私が言い続けたフレーズです。今思い返せば、私の「躾(しつけ)」の中でも、かなり上位に来る、人として覚えていて欲しい事、わかっていて欲しい事、だったと思います

 しかし、ティーンエイジャーという多感な時期にあって、学校では友人関係で揺れ、近づいてくる大学受験を不安に思う娘にとっては、頻繁に言われる私のこの言葉は時には残酷な忠告であったかもしれません
 とは言え、まさに「人としての成長期」にある娘を前にした時、私はいつも娘の気持ちを最優先にするよりも、今だからこそ言わなければという気分でした。

 昨日、買い物に立ち寄った先で、ベビーカーを押しているご夫婦と一緒になりました
あまり混んだお店ではありませんでしたが、通路ですれ違う時には毎回、ベビーカーと接触しそうになります。ベビーカーの中でスヤスヤと眠る赤ちゃんのことを思うと、決してぶつかることなく、スムーズにすれ違わなくてはな・・・と思いました。
 ただ、ベビーカーを押すパパも、ママも、私や夫のみならず、他の客とぶつかることにはあまり頓着がなかったのか、あまりそのことを気にされてはいないようでした。

 さすがに私も年を取りましたからね 若い頃のように、何でもかんでも「ムカッイラッ」とはしなくなっています、はっはっは
 でも、もしこの方達とすれ違う時、「すみません」「失礼します」というお声がけがあれば、少なくとも、その場の空気は柔らかくなったのではないかな・・・とも感じました。

 ベビーカー云々という話ではなく、私達は暮らしの中で、否が応にも「狭い所で人とすれ違う」「故意ではないけれど、少しぶつかりそうになる」ということがあります。そんな時、ひと声「すみません」「失礼します」と表情を崩して言葉にして発するだけで、その場の空気は和んだものになります

 同じような言葉はいろいろありますね
「お先に(失礼します)」「(どうぞ)お先に」「前を失礼します」などなど。
 エレベーターから降りる時にも、こういうふうな「言葉があれば空気が和む」というシチュエーションでしょう

 言葉足らずは、心足らず・・・
言葉というものは、なかなか一人歩きはしないものです。「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」というような挨拶でさえ、その言葉の中に「心、気持ち」が伴わなくては、なかなかスムーズに発することができないこともあるでしょう
 もう二度と会わないであろう人達と空間を共にする買い物先、電車、バス、さまざまな場所・・・そんな自分の人生と深く関わることがない人が相手であっても、偶然にも同じ空間に居合わせることになったのです その場では、同じ舞台に立った共演者
 ほんの少しでも、相手を思う気持ちを持てば、自然と言葉も出ているのではないでしょうか?

 特に、子育てをしている最中は、子ども達は親の行動、親の言動を見ています。そして、その姿を見て感じ、学び、そして真似をしながら成長していきます
 本当ですよ・・・
 
 
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戦争を子ども達に伝える必要性

2015年08月06日 | う゛う゛ー
 戦後70年の今年、例年の夏以上に、メディアでは戦争のことが扱われているように思います。
 この状況は決して日本国内だけではなく、世界で「終戦後70年」が大きく取り上げられるのは、太平洋戦争終結、という意味だけではなく、第二次世界大戦として考えれば、確かに今年は多くの国々にとって「終戦後70年」であるからです

 私は、家族とともに「終戦後50年」の節目の8月を、インドネシアのジャカルタで迎えました。
 当時主人は単身赴任中。10歳の息子、7歳の娘は、ジャカルタの熱い熱い空気の中で、「独立50周年」を迎えた大祝賀ムードを、肌で感じました 
 「Hari Merdeka(独立の日)」の8月17日(日本が無条件降伏をした2日後、です)の意味を、夫と二人で、小学生の我が子達に、順を追って話したことを今でもよく覚えています。
 「そうだったんだね・・・だから、あの田舎で会ったおじいちゃんは、僕達に『君が代』を歌ってくれたんだね・・・」
 「だから、旧市街のジャカルタには、オランダみたいな建物があったんだあ・・・」
 夫の駐在3年間の間に、子ども達がインドネシアを訪れ、そこで見たもの、聞いたことの諸々が、この日の話によって、彼らの頭の中でつながっていき・・・そして、いろんなことを感じ、考える機会になったなあ、としみじみと感じました。

 先日、NHKの調査で、広島と長崎に原爆が投下された日を知らないという日本人が7割にのぼる、ということを知りました。中でも、広島、長崎というその地でも、その日がわからないと答えた人が3割いた、ということは驚きでした。

 私は、比較的幼い頃から、両親の影響で、こういう歴史や社会的な動きに関しては深く興味を持つタイプだったと思います。
 昭和33年生まれの私達は、まだかろうじて、「親や祖父母の戦争体験」を聞くことがありました。思えば、私はまだ、戦後わずか10数年で生まれたのですからねえ・・・

 政治的にはどうであれ、戦争には勝者も敗者もない・・・と私は感じています 我が子を持つことになり、あらためてそれを実感するようになりました。
 18歳で初めてアメリカに短期留学をした時、「戦争の話題は避けるように」とアドバイスを受けました。たぶん、それはつたない語学力では、自分の考えや思いを十分に伝えることは不可能、という理由からのアドバイスだったのでしょう。
 でも、ホストファミリーのお父さんが、海軍の退役軍人であったことで、退役軍人家庭のピクニックにも頻繁に参加し、結果的にいろいろと戦争の話題にもなりました。
 そんな時「命の尊さ」という観点からは、戦勝国も敗戦国も関係はないと思う・・・と、その日に話したこと、話してもらったことを思い出し、いつまでもベッドの中で天井を見つめ、感じていましたねえ・・・若い日の、ピュアな感覚です・・・

 現在は、美しい青い海が観光財源となっている太平洋上の島々には、激戦地が少なくありません。二本軍玉砕と言われる島々でも、実際には、敵軍にも夥しい戦死者がいたのです。

 今のお母様達の多くは、子ども達に「美しいもの」「楽しいもの」「ハッピーなもの」はたくさん教え、経験させますが、「みにくいもの」「怖ろしいもの」「目をそむけたくなるもの」は見せず、教えず、「辛いこと」はなるべく回避させようとする傾向にあると思います人 その理由は、それは自分達も楽しくないから・・・のようです

 この間「今この瞬間も、食べるものがなく、死んでいく子ども達が世界中にはいるのよ」と教室の子ども達に話すと、「なんで食べるものがないの?お店屋さんだって、いっぱいあるじゃん」と、とても不思議な思いを持った表情で言われました。まさに、その通りですね。私は、その子の瞬時の反応をとても新鮮に感じ、「教えないこと、伝えないことの罪」を強く感じたのでした。
 なぜなら、その時の子ども達が、一生懸命に、自分達の知らない話を聞こうと前のめりになっていることが伝わってきたから、です。

 子どもに伝えるべくことはたくさんあります 伝わる言葉を探し、子ども達が理解できるように伝える義務が大人にはあるのです そして、あらためて大人の私達も、真実を学び、感じ、考える必要があるのではないでしょうか

   

 
 
 
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輪島塗のお箸が二膳・・・

2015年05月21日 | う゛う゛ー
 北陸新幹線開通で、一気に首都圏から近くなった石川県。
もともと、金沢は長年「行きたいねえ」と言っていた町でした。今まで何度も、貯めているマイル利用で行こうとしましたが、なかなか夫婦の仕事のタイミングが合わず、そのつど断念。今回、やっとその念願叶い、新幹線利用で行ってきました

 お昼前に金沢に到着。本当に近くなりました 昼食後は、夕方までしっかりと歩きまわり(帰ってから、距離を測るソフトを使ってみてみると、12キロ歩いていました)、主要な「見どころ」はほぼ訪れました。
 ゆったりとした、穏やかな時間の流れる町・・・それが私達夫婦が金沢に持った印象でした
新幹線の開通を機にリニューアルしたり、あらたに整備されたであろう建物や空間がたくさんあって、あっちもこっちも行き届き、ぴかぴか かと言って、もともと風土、文化ともに豊かな土地柄ですから、にわか仕立てのちょっと痛い空気?!というものもなく、本当に居心地の良い町でした 滞在中、何度も「前田家はすごいねえ」とか「さすが、加賀百万石!」と言葉にしました。(いやいや、石川県知事さんがご立派なのかな?)

 翌日は、朝から2時間かけてバスで輪島へ 私は中学生の頃に両親と訪れてから、ほぼ40年ぶり。その時に訪れた町の記憶はありませんが、輪島塗の工房を訪れ、製作工程を見学したことを、とってもよく覚えています 能登半島を一周したその時の旅では、九谷焼の工房、輪島塗の工房、金箔の蒔絵の工房を訪れ、まるで夏休みの自由研究のようですが・・・文化的なことが大好きだった父にとって、こういう全国の工房めぐりは、まさに教育パパの一環だったのでしょうね 
 幸いなことに、その思惑にまんまと引っかかった私は、今も自宅近くを歩いていても、何か町の説明があると立ち止まり、思わず読みふけってしまいます

 今回の輪島行きには、観光以外にもう一つの目的がありました。それは、夫の友人のご実家を訪ねる、というものでした ご高齢のお母様の一人暮らしとお聞きし、何が何でもお訪ねして、少し、お話し相手にでも・・・と考えたのです。
 とは言え、その夫のお友達に教えてもらった「お寿司屋さん」には行きたいし・・・お宅にお邪魔する前にお店に立ち寄り、「2名、カウンターでお願いします!」と予約をしました。
 お母様宅には、同じくご高齢のお友達という方が待っていてくださり、私達を車で郊外にある世界遺産まで案内してくださる手筈が整っていました 
 じゃあ、一緒にお寿司屋さんに行きましょうか!ということになり、4人で向かいました。
先に私達がお店に中に入り、4人になったのですが、大丈夫ですか?とたずねると、いきなり怖い顔で「無理無理」とすごい剣幕で言われ・・・急な変更を詫びながら、何とかならないかと再度お願いすると「2階に行って」と言われました。カウンターが4席空いていたので、「お二人はご高齢で、急な階段を上がられるのは難しいと思うのです。カウンター席でお願いできませんか?」とお聞きしましたが、「ちゃんとあんたらの2席はとってあったでしょ。とにかく、4人は無理。2階、2階」と繰り返すばかりで、舌打ちされ、睨まれ・・・ この会話も、実際には、途中で聞こえないふりをされたり、無視されたりで、決して字面ほどスムーズではなく・・・
 お年寄りお二人は、その場でオロオロするばかり。私は、何とも情けない気持ちでいっぱいになりました

 急な変更をお願いしたのは私達で、非は私達にあります。
確かに、お願いをしたのは2席で、その席はきちんと予約席として、意してくださってもいました。そういう意味では、お店のご主人に何の落ち度もありません。
 勝手かもしれませんが、ご一緒したのが地元の方で、高齢者お二人だったから、やっぱり「なんでこういう扱い?こういう応対?」と思ってしまったのです。

 結局、お二人にカウンター席に座っていただいて、私達夫婦は、2名で二階席を使う許しを乞うて、どう考えても杖をついて歩いているお年寄りには上り下りの出来ない急な階段を登っていきました。

 お寿司屋さんにご一緒しましょう、ということになった時、お二人は何度も、あそこは輪島では有名なお寿司屋さんで、本当においしいお店なのだと、自慢するように笑顔で話してくださっていたのです。
 そのお二人が、睨みつけながら声高に「2階!2階!」を繰り返すご主人の前で、どんなお気持ちだっただろうか?そして、どんなことを思いながら、カウンターでお寿司を二人で食べられたのか?

 2階の席に運ばれてきた、みんなが注文するというご主人お薦めの、地元のお寿司を前にしても、私はすっかり食べる気持ちが失せていました
あの、睨みつけていたご主人が握ったお寿司なんだなあと思うと、食べる前から、そこには「心」がないように思えてしまいました。きっと、手で握るお寿司だから、一層、気持ちが萎えたのかもしれません

 私も主人も下のお二人のことを気にしながら、ほとんど会話をすることもなく、砂を噛むような思いで「とても美味しいはずのお寿司」を食べました。
運んでくださるお店の方も、何となく居心地が悪そうで・・・でも、その方は私達のことを気遣い、下のお二人の食べているペースを教えてくださり・・・ ありがたく、申し訳ない思いでした

 お会計を済ませ、お店を出る時にも、ご主人はそっぽを向いたままだったので、その後ろ姿に「急なことでご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。ごちそう様でした。」とお声をかけました。
 帰り際に渡された輪島塗のお箸・・・ご主人お薦めのランチをいただくと、お土産にいただけるとのこと。そのお箸を持って、外に出ました。
申し訳なかったですねえ、と何度も詫びるお二人にお箸を渡し、車に乗り込みました その後は、努めてお寿司の事は忘れ、輪島の今昔物語を語ってくださるお二人に耳を傾けました

 言葉足らずは、心足らず・・・私がよく教室の子ども達やお母様方に話す言葉です。
恥ずかしさのあまりに「こんにちは」や「ありがとう」の言えない子どもはいます。少々常識に疎く、言葉の足りないお母様もおいでになります。
 でも、それが「仕事」となると話は違うよな、と私は思うのです 何か物を売る、とか、サービスを提供する、とか・・・それが仕事なのであれば、相手に対する「言葉」は、そのままで大切な仕事の一部ですよね。そして、心があれば、その心は、やはり思わず言葉となって出てくる・・・

 非は、私達にあります でもね、もしあの時「すみませんねえ、二人と聞いていたから、2席しか用意はありませんよ。4人であれば、2階のテーブルの席に行ってもらうしかないです。・・・え?お年寄りですか?いやー、事情はわかるけど申し訳ない。このカウンターの2席は、予約でとってある席でね。カウンターで4席ってのは無理なんですよ。」と言ってくださったら、きっと空気は違っていたことでしょう

 そのお寿司屋さんから、ほんのワンブロック先のお家に住んでいるお年寄りとは、お店の方は顔を合わせることはないのかな・・・一人暮らしのお年寄りでは、お寿司屋さんの常連客にはなり得ないから、大事には出来ないのかな・・・
 疑問はいっぱい残りました

 私達がお店を出る時には、カウンター席には2人の外国人客も座り、お寿司を食べていましたし、外に出ると、並んで待っている人達もいました。観光客に人気の、グルメサイトでも評価の高い有名店ですからね。お土産までいただけて。

 いただいたお箸、二膳・・・ 
何だか、本当にいろんなことを考えてしまう出来事でした。今週末も、きっと金沢や能登は、観光客で賑わうのでしょうね

 
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