「小学生以下のお子様のご来店を、ご遠慮いただいております」
筆ペンの筆跡と思える張り紙。小さなレストランとは言うものの、ガラス張りの入り口から見える店内は、当時の私には別世界に見えました
家族連れのいない店内・・・そこは、いかにも大人の小粋なレストラン。決して高級なお店ではなく、どちらかと言えば洋食屋さんという感じのお店でしたが、ランチの時間は、元町に古くからある近所のお店の店主や常連さん達で賑わい、すてきな、独特の雰囲気を醸し出していました
私が千葉県の流山市の社宅から、横浜に引っ越してきたのは今から20年前 さまざまな雑誌に紹介されているそのお店、元町の「ひかる亭」は、当時の私の夢の場所でした 1歳になったばかりの息子を抱っこしながら、食べること、食に関すること全般が大好きな私は、何度も「ひかる亭」の前を通り、中を眺めました
そのお店の名物は「紋甲イカのソテー」。雑誌の写真で紹介された、肉厚の紋甲イカは、いかにも柔らかそうで、食欲をそそられます しかし、私がそれを食べられるようになるのは、5年先?そう思うとよけいに、その紋甲イカのソテーは、自宅で食べようと思えば食べられる神戸牛や松阪牛のステーキよりも、ずっと「すごいもの」に思え、何ものにも勝る大ごちそうに見えました
3年後に娘が生まれ、私のあこがれの「紋甲イカ」は、もっともっと先にまで遠のいてしまいました。
当時は、元町通りに「ファミリア」があり、よく子供を連れて出かけたのですが、息子と手をつなぎ、娘を抱っこした私にとって、目と鼻に先にある「ひかる亭」は、遠かったのですねえ・・・ いくら食に興味がある、と言っても、こんなに「紋甲イカ」を食べることに執着する私を、ちょっとおかしい人??かなりのオタク??と思われてしまうかもしれませんね
でも、育児真っ最中の母親達にとって「子供が小さい人は、○○は出来ません」と言われれば言われるほど、○○はとてつもなくすばらしいもの、に感じてしまうものなのです
そんなある日、主人が私に言いました。
「悪いんだけど、ちょっと僕の代わりに、お使いに行ってくれないかな?元町に行って、Aくんの結婚祝いを買ってきてほしいんだけど・・・子供達二人は、僕が見てるから。君のセンスで選んで来てよ」
私は耳を疑いました。毎日毎日、朝から晩まで流れる童謡 NHK教育テレビの番組 一生懸命に、自分の納得のいく育て方で、我が子をしっかりと育てたい!それが私の長年の願いではありましたが、さすがに24時間体制での母業は、私の想像以上に大変で、何よりも自分の気持ちを上手くコントロールすることが難しく、時には泣きたい気分になったものです
二人目の子供が生まれてからは、一層、育児は大変になりました。そんな中での主人の申し出は、娘が生まれて、数ヶ月後。まさに私にとっては、「神の声」でした
子供達に危険があった時、咄嗟に走り出せるように、という思いで、常にぺしゃんこ靴を履いていた私が、久しぶりに履くヒールのパンプス。乗り換え駅のホームで、コツコツと響く音を聞いた時のうれしさを、私は今でもよく思い出します
元町のウインドウに映る姿は私一人だけ。手をつないでニコニコと笑う息子の姿も、抱っこされて眠る娘の姿もありません。
フワフワとした気分でお祝いを選び、包装をしてもらう間、私は店内をくまなく、愛情を込めて眺めたものです。ガラスや陶器であふれた店内は、小さな子供連れでは、決して優雅に見て歩ける場所ではありませんでしたから・・・
お買い物を終えた私は、すぐに主人に電話をしました 実際、お使いを終えてしまうと、急にウキウキとした気分は落ち着き、慣れない二人の子供の世話でてんてこ舞いをしているであろう主人のことが気になり始めたからです
「すてきなものが買えたよ! これから急いで帰ります!お昼ご飯、何か考えて買って帰りますので!」
そう言った私に、主人はこう言いました。
「お昼ご飯、元町で食べておいでよ! こっちは、適当にやってるから。ご飯の心配もしなくていいよ 子供達もおりこうだから、心配しないでいいからね。ちょっとゆっくりしておいでよ!」
もう、おわかりですね
あの日に食べた「紋甲イカのソテー」は、今までの人生の中で食べた、どんなご馳走よりもおいしかったです イカは、想像通りの柔らかさで、ソテーの上にちょこんと乗った小エビも、丁寧に味付けされていました。付け合わせの塩味のスパゲティーも、コールスローサラダもおいしかったですねえ・・・何と言っても、主人のあたたかい気持ち添えのランチで、私は夢にまで見たそのメニューをいただきながら、何度も胸を熱くしたものです
それから数年が過ぎ、「ひかる亭」の前に出されていた「小学生以下入店禁止」の張り紙はなくなりました 時代の流れだったのか、理由はわかりませんが、店内には、元町にお買い物に来た家族連れの姿もしばしば目にするようになりました。
もちろん、私は我が子が大きくなってからは、一人で、主人と、友人と、何度も何度も「紋甲イカのソテー」を食べましたが、やっぱり一番おいしかった紋甲イカのソテーは、「あの日」のものでした
その「ひかる亭」、みなとみらい線が、元町中華街駅まで開通する数ヶ月前に、突然、閉店しました
閉店のことを知らず、元町でのお買い物の後、主人と紋甲イカを目指して「ひかる亭」に向かい、からっぽになった店内を見た時、私はまさに走馬燈のように、たーくさんのことを思い出しました・・・
手をつないだ時の息子の手の感触、抱っこされた娘が、私の胸でにっこりと笑った顔、初めて入った日、「紋甲イカのソテーをください」と注文した時、厨房の中で「はい、モンゴウちゃん、かしこまりました!」とニコニコとフライパンを振っていた老齢のシェフの姿、etc.
昨日、元町に行った私は、「ひかる亭」のあったビルの前を通りました。いつもそうするように、昨日も「ひかる亭」のあった3階まであがるエスカレーターをふっと見ました
みなとみらい線の開通によって、東横線沿線に住む私は、一直線で元町と結ばれ、本当に便利になりました
しかし、ひかる亭も、元町ファミリアもなくなり、私にとっての元町は、完全に様変わりをしています
今では、山手界隈が外国人居留地だったころからあるような、伝統ある元町の古いお店の数よりも、東京から進出してきた店のほうが圧倒的に増え、美しいショッピングストリートとして姿を変えたものの、ちょっと寂しい気持ちもあります。
我が家でも、子供達はすっかり成長し、一緒に出歩くこともほとんどなくなりました
けれど、日頃から目にする風景や何でもない音、味、そんなものひとつひとつに、案外、子供との思い出は残るものです
今、怪獣と化した我が子や、反抗ばかりして、ちっとも親の言葉を愛情として受け止められない我が子を相手にして、日々ストレスをためているお母様達にも、やがて「一人の時間」がやってきます その時になって、初めて実感するのですよ、子供相手の地団駄踏むような苦労話は、思わず必ず泣き笑いをしてしまう、本当に懐かしい我が子との思い出になるということを
紋甲イカのソテー、もう一度、食べたいですねえ、今度は我が子と一緒に
筆ペンの筆跡と思える張り紙。小さなレストランとは言うものの、ガラス張りの入り口から見える店内は、当時の私には別世界に見えました
家族連れのいない店内・・・そこは、いかにも大人の小粋なレストラン。決して高級なお店ではなく、どちらかと言えば洋食屋さんという感じのお店でしたが、ランチの時間は、元町に古くからある近所のお店の店主や常連さん達で賑わい、すてきな、独特の雰囲気を醸し出していました
私が千葉県の流山市の社宅から、横浜に引っ越してきたのは今から20年前 さまざまな雑誌に紹介されているそのお店、元町の「ひかる亭」は、当時の私の夢の場所でした 1歳になったばかりの息子を抱っこしながら、食べること、食に関すること全般が大好きな私は、何度も「ひかる亭」の前を通り、中を眺めました
そのお店の名物は「紋甲イカのソテー」。雑誌の写真で紹介された、肉厚の紋甲イカは、いかにも柔らかそうで、食欲をそそられます しかし、私がそれを食べられるようになるのは、5年先?そう思うとよけいに、その紋甲イカのソテーは、自宅で食べようと思えば食べられる神戸牛や松阪牛のステーキよりも、ずっと「すごいもの」に思え、何ものにも勝る大ごちそうに見えました
3年後に娘が生まれ、私のあこがれの「紋甲イカ」は、もっともっと先にまで遠のいてしまいました。
当時は、元町通りに「ファミリア」があり、よく子供を連れて出かけたのですが、息子と手をつなぎ、娘を抱っこした私にとって、目と鼻に先にある「ひかる亭」は、遠かったのですねえ・・・ いくら食に興味がある、と言っても、こんなに「紋甲イカ」を食べることに執着する私を、ちょっとおかしい人??かなりのオタク??と思われてしまうかもしれませんね
でも、育児真っ最中の母親達にとって「子供が小さい人は、○○は出来ません」と言われれば言われるほど、○○はとてつもなくすばらしいもの、に感じてしまうものなのです
そんなある日、主人が私に言いました。
「悪いんだけど、ちょっと僕の代わりに、お使いに行ってくれないかな?元町に行って、Aくんの結婚祝いを買ってきてほしいんだけど・・・子供達二人は、僕が見てるから。君のセンスで選んで来てよ」
私は耳を疑いました。毎日毎日、朝から晩まで流れる童謡 NHK教育テレビの番組 一生懸命に、自分の納得のいく育て方で、我が子をしっかりと育てたい!それが私の長年の願いではありましたが、さすがに24時間体制での母業は、私の想像以上に大変で、何よりも自分の気持ちを上手くコントロールすることが難しく、時には泣きたい気分になったものです
二人目の子供が生まれてからは、一層、育児は大変になりました。そんな中での主人の申し出は、娘が生まれて、数ヶ月後。まさに私にとっては、「神の声」でした
子供達に危険があった時、咄嗟に走り出せるように、という思いで、常にぺしゃんこ靴を履いていた私が、久しぶりに履くヒールのパンプス。乗り換え駅のホームで、コツコツと響く音を聞いた時のうれしさを、私は今でもよく思い出します
元町のウインドウに映る姿は私一人だけ。手をつないでニコニコと笑う息子の姿も、抱っこされて眠る娘の姿もありません。
フワフワとした気分でお祝いを選び、包装をしてもらう間、私は店内をくまなく、愛情を込めて眺めたものです。ガラスや陶器であふれた店内は、小さな子供連れでは、決して優雅に見て歩ける場所ではありませんでしたから・・・
お買い物を終えた私は、すぐに主人に電話をしました 実際、お使いを終えてしまうと、急にウキウキとした気分は落ち着き、慣れない二人の子供の世話でてんてこ舞いをしているであろう主人のことが気になり始めたからです
「すてきなものが買えたよ! これから急いで帰ります!お昼ご飯、何か考えて買って帰りますので!」
そう言った私に、主人はこう言いました。
「お昼ご飯、元町で食べておいでよ! こっちは、適当にやってるから。ご飯の心配もしなくていいよ 子供達もおりこうだから、心配しないでいいからね。ちょっとゆっくりしておいでよ!」
もう、おわかりですね
あの日に食べた「紋甲イカのソテー」は、今までの人生の中で食べた、どんなご馳走よりもおいしかったです イカは、想像通りの柔らかさで、ソテーの上にちょこんと乗った小エビも、丁寧に味付けされていました。付け合わせの塩味のスパゲティーも、コールスローサラダもおいしかったですねえ・・・何と言っても、主人のあたたかい気持ち添えのランチで、私は夢にまで見たそのメニューをいただきながら、何度も胸を熱くしたものです
それから数年が過ぎ、「ひかる亭」の前に出されていた「小学生以下入店禁止」の張り紙はなくなりました 時代の流れだったのか、理由はわかりませんが、店内には、元町にお買い物に来た家族連れの姿もしばしば目にするようになりました。
もちろん、私は我が子が大きくなってからは、一人で、主人と、友人と、何度も何度も「紋甲イカのソテー」を食べましたが、やっぱり一番おいしかった紋甲イカのソテーは、「あの日」のものでした
その「ひかる亭」、みなとみらい線が、元町中華街駅まで開通する数ヶ月前に、突然、閉店しました
閉店のことを知らず、元町でのお買い物の後、主人と紋甲イカを目指して「ひかる亭」に向かい、からっぽになった店内を見た時、私はまさに走馬燈のように、たーくさんのことを思い出しました・・・
手をつないだ時の息子の手の感触、抱っこされた娘が、私の胸でにっこりと笑った顔、初めて入った日、「紋甲イカのソテーをください」と注文した時、厨房の中で「はい、モンゴウちゃん、かしこまりました!」とニコニコとフライパンを振っていた老齢のシェフの姿、etc.
昨日、元町に行った私は、「ひかる亭」のあったビルの前を通りました。いつもそうするように、昨日も「ひかる亭」のあった3階まであがるエスカレーターをふっと見ました
みなとみらい線の開通によって、東横線沿線に住む私は、一直線で元町と結ばれ、本当に便利になりました
しかし、ひかる亭も、元町ファミリアもなくなり、私にとっての元町は、完全に様変わりをしています
今では、山手界隈が外国人居留地だったころからあるような、伝統ある元町の古いお店の数よりも、東京から進出してきた店のほうが圧倒的に増え、美しいショッピングストリートとして姿を変えたものの、ちょっと寂しい気持ちもあります。
我が家でも、子供達はすっかり成長し、一緒に出歩くこともほとんどなくなりました
けれど、日頃から目にする風景や何でもない音、味、そんなものひとつひとつに、案外、子供との思い出は残るものです
今、怪獣と化した我が子や、反抗ばかりして、ちっとも親の言葉を愛情として受け止められない我が子を相手にして、日々ストレスをためているお母様達にも、やがて「一人の時間」がやってきます その時になって、初めて実感するのですよ、子供相手の地団駄踏むような苦労話は、思わず必ず泣き笑いをしてしまう、本当に懐かしい我が子との思い出になるということを
紋甲イカのソテー、もう一度、食べたいですねえ、今度は我が子と一緒に
Poohと申します。
ひかる亭の味を継いだお店がありますよ。
僕もまだ行ってないので、紋甲イカのソテーがあるかどうかわかりませんが・・・。
http://www.starlightgrill.jp/menu.html
平成になり、社会人となった後も結婚するまでずっと客として通いました。
おじいちゃんシェフも奥さんもとても優しく暖かい人でした。
2代目シェフの息子さんも、すごく良くしてくれました。
私にとってはあのお店は第二の我が家の様でした。。。
そんな私でさえ、子供は実家に預けて食事に行っていた事を思い出します。
今となっては叶いませんが、子供達にあの紋甲ステーキや、牛肉たたきチャップを味合わせてやりたかったです。
昔、厨房を覗き見て覚えている範囲ですがレシピ再現に挑戦してみます。
平成になり、社会人となった後も結婚するまでずっと客として通いました。
紋甲ステーキ、ピカタ、チャップどれも
私もここが大好きな洋食屋さんでしたが、
シェフだったお父様が、亡くなられ仕方なしに閉店されたと、親に聞きました。
あんな庶民的で粋で、味は本格派な洋食屋さん、今の元町で見つける事は難しいですね