まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

笑顔は心で生まれるもの

2012年04月18日 | にこにこ
 先日、運転をしている時、自転車の前に子どもを乗せているお母様から、刺すような怖い一瞥を受けました。
 そこは信号のない三叉路。私は車に乗り、狭い通りから、大きな幹線道路に入ろうと、一時停止をしていた時のことです。
 自転車は、大きな幹線道路の歩道を走っていて、私が一時停止をしていた道と交差している道を通っていました。私が一時停止している狭い道の角には大きな建物があり、幹線道路の歩道を歩く人や自転車からは、見通しの利かない三叉路でもありました
 たぶん、そのお母様は、「この脇道からは車は出てこない」と思っていらしたのでしょうね(実際には、幹線道路に入るこの道からは、車が頻繁に出入りします)。子どもを乗せたその自転車が私の車の前を通り過ぎようとしていた時、すでに私の車は停まっていたので、決してその親子を危険な目に合わせたわけではありません けれど、母性本能でしょうか、それとも、日頃から自転車移動が多く、車に対して拒否反応があるのでしょうか・・・とにかく、そのお母様の一瞥には殺気立ったものがあり、思わず私は深々と頭を下げ、「ごめんなさい!」の意味で車の中から手をあげました

 春うららの日 まどから差し込む春の陽射しに心地よさを感じながら、あらためて「そのママの一瞥」を思い出し、いろいろと考えました。
 人の表情とは、とてもとても深い意味を持っていますねえ。そう思われませんか?
もしかしたら、その「一瞥ママ」は、日頃はとても穏やかで、お優しい人柄かもしれません 誰からも好かれる笑顔美人・・・でも、夜叉の面を想像させたあの恐ろしい一瞥からは、少なくともそんなお人柄は想像できませんでした

 私は今まで、このブログの中で、何度も「笑顔は大切」ということを書いてきたように思います 笑顔でいることの効果?効用?は、たくさんあると思います。
 たとえば、辛い時でも、無理に鏡の前で笑顔を作ってみたら・・・泣き笑いをしながらも、何となく力が湧いてきますし、わが子の愚行にカンカンに腹を立てた時も・・・1,2拍我慢をして、「あなたって、何てことするのよ!」と言いつつも、がんばって笑顔を作ってみると、少しだけでも怒りは治まり、バカたれ~と言ってのけられる などなど。
 今は、敢えて「高度なテクニックとしての笑顔」を考えてみましたが、普段から笑顔でいることは、自分を幸せにすることでもある、と思うのです。そして何より、お母さんの笑顔は、子どもを幸せな気分にさせる これが究極ですよね。

 長年の経験ですが、あまり笑顔のないママのお子様は、やはりあまり笑わない子どもですし、よく笑う、笑顔良しのママの子どもは、よく笑い、笑顔がチャーミングなお子様として育っています
 笑顔・・・本当に大事だと思います。きっと、笑顔そのものだけではなく、「笑顔でいようとしている」その意識こそが、その人を深く豊かにしていくのかもしれません

 先日、ホームで地下鉄を待っていると、大変ご高齢の女性がやって来ました。たまたま、私は気づかずに優先席のあるドアの列に並んでいたようなので、その場所を離れました。
 電車に乗り込むと、幸い、社内には空席が多くあり、そのおばあちゃまも無事に座れたようでした
しばらくすると、少し離れたところからでも、そのおばあちゃまのお声と思える声が聞こえてきました。
 「まあ、そうなのね。・・・そう、おばあちゃまのお家に行ってきたのね。良かったわねえ、きっとおばあちゃまは喜んでくださったわよね。だって、あなたはこんなにかわいいんだもの。ご自慢のお孫ちゃんよねえ・・・そう、次の駅で降りるの。そうなの。気をつけて帰ってね・・・」
 そのおばあちゃまのお声の途中で、かわいい男の子の声と、お母様と思える方の声が何度か聞こえました。
 「そうなんだよ。」
 「ねえ、おばあちゃんはね・・・」
 「はい、ありがとうございます!」など。
 きっと、隣り合わせた親子がおばあちゃまに話しかけられ、それに応えていた声だと思いました。その会話の声を聞いているだけで、ほのぼのとした気分になりました

 そして、その次の駅に着いたとたん、かわいい大きな声。
 「バイバーイ!元気でねえ。おばあちゃん、またねえー!バイバーイ!」
何とその男の子の声は、その子が車両から降りた後も続き、地下鉄が走り出してからも、その子がずっと叫んでいる声が聞こえました。
「おばあちゃーん、まったねー、げんきでねえー!また会おうねー

 私は、その時の様子を実際に見たわけではありませんが、笑顔で一生懸命に手を振る男の子の姿、そんな息子の様子を笑顔で見ているママの姿、身体をねじって、何とかホームに向けて手を振ろうしているおばあちゃまの姿・・・想像しただけで、胸が熱くなりました。

 私の母でもそうなのですが、日頃、あまり人と話す機会が多くなくい高齢者は、よく町で見知らぬ人に話しかけますね。そんなふうに話しかけられた時、反応は大きく二つに分けられます。笑顔でそれに応じる人と、露骨に嫌な顔をする人。
 高齢者の話が、短い挨拶程度ならば、ほとんどの人は「仕方がないなあ・・・」という感じで作り笑顔?!で応じていますが、どんどんと長い話になってくると、まあ、どんな人でも「ああ、大変なものに関わってしまったなあ・・・」と、少々億劫になるのは理解できます
 けれど、この日の母子は、自分達が降車する駅が近いこともあったからでしょうが、少なくともとても好意的に、そのおばあちゃまのお相手をされていたと思います。そして、そういうお母様の「本当の意味での優しい心」があったから、そのママの子どもである男の子も、いつまでも「げんきでねー!おばあちゃん、またねー!」という声がけになったのでしょうねえ。 よくお教室通いの優等生親子のが「さ、おばあちゃまにごあいさつは!!」とか「さようなら、は言わないの!」などと、聞いていて痒くなりそうな会話を耳します けれど、その男の子の「またねー!」の声は、そんな、子役的子どもの声ではありませんでしたし、優等生ママに言われて、機械的に発せられた挨拶の声でもありませんでした

 またねー・・・ でも、あの男の子とおばあちゃまは、二度と会うことはないでしょう。そして、もしかしたら、男の子は翌日になると、そのおばあちゃまと会ったことさえ忘れてしまうかもしれません。
 けれど、きっと、そのおばあちゃまの心には、大きな大きな温かい記憶となって、とても嬉しく豊かなものになったと思います。それも、あの日の男の子の「ママ」の、人間性としての優しさの賜物・・・だからこそ、男の子の中に自然に宿った「優しさ」だったのだと思えてなりませんでした。

 あの日、私は「笑顔とは、顔や表情ではなく、本当は心に現れて、それが顔や表情に伝わるものだったのだ」としみじみと思ったものでした。



コメント
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