まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

「してくれない」族に思うこと

2011年06月19日 | う゛う゛ー

 先日、友人と話している時に「してくれない族」という言葉を聞きました
最初、耳にした時には「紅(くれない)族」という文字が頭に浮かび、???と思ったものですが、帰宅し、あらためてインターネットで見てみると、「くれない族」という言葉は、案外、古い言葉であることを知りました
 もともとは、1984年のTBSドラマ「くれない族・・・」という題名から生まれた言葉らしく、当時は流行語大賞で銀賞になったらしいのですが、当時の私は出産直前で、テレビドラマを楽しむというよりも、自分の新しい生活でいっぱい。それで、そんな有名?な言葉さえ、記憶に残っていなかったのでしょう・・・とまあ、ここまでは余談ですが。
 
 私の友人が語ってくれた「してくれない族」とは、「○○してくれない」と文句ばかり言う人のことで、昨今、そういう種族が増殖中だ、というのです

 「僕はこんなにがんばっているのに、評価してくれない
 「私はきちんとやっているのに、○○はしてくれない」・・・

 聞いてくれない、話してくれない、わかってくれない、から、買ってくれない、作ってくれない、などなど。
 相手から、自分に対して何等かの行動や意思表示、評価がない、ということですね。
 そう言えば、親子間、対幼稚園、対学校、対担任・・・「まどか先生、昨日、幼稚園の保護者会に参加したのですが、幼稚園側は(担任の先生は)~~~してくれないのですよ」とか「私はちゃんと~~したのに、〇〇さんはまったく理解を示そうとしてくれません」のように、口を尖らせて私にグチをこぼす?相談される?ことが、以前よりも多くなったなあ、と思います
 もちろん、その方達のお話が、単なる愚痴や文句ではなく、正当な、憤って当然のことのほうが多いのですが、中には確かに「???この人、何言ってるの?」ということもないとは言えません
 いずれにせよ、私はそのつど状況を聞かせてもらい、それに対する対応や心の持ち方などをアドバイスしているのですが、あらためて「してくれない族」という言葉や現象を聞いてみると、考えさせられました・・・

 もちろん、私にもありますよ
私がこんなに大変な思いをして、ここふた月は週1回の頻度で帰省し、いろいろな段取りをしているのに、私の両親は次から次へと無理難題を持ちかけてくる・・・ちっとも私の苦労を理解してくれない
 私がこんなに懇切丁寧に説明しているのに、ちっとも両親は覚えようとしてくれない
 
 ハッハッハ 言い出したらキリがありません。

 ただね。この「してくれない族」の話を聞いてから、私はかなり真剣に「~してくれない」と腹を立てたり、落胆したり、失望したり・・・という、この時の感情について考えました。
 「~してくれない」という不満は、自分が相手に何かを求めている、ということから生まれる感情、ですよね。求めているのに、何も(十分に)返ってこない・・・だから腹が立つ、悲しい
 ならば、たまには、完全に発想の転換をしてみるのはどうでしょう?
 「~してくれない」ことに関しては、何の解決策にもなりませんが、全然別の次元で、別の話として、「私には何ができるか?」「私は何をしてあげられるか?」ということを考えてみる・・・

 以前の私は、世の中はすべて「give and take」である、考えていました
親子であっても、兄弟姉妹であっても、友人でも同僚でも、先輩後輩も上司と部下も・・・何かgiveするからtakeが生まれる・・・と。
 しかし、この考え方で暮らしていると、生活の随所で「~してくれない」という発想が出てきます
 夫は~~してくれない、息子はわかってくれない、娘は聞いてくれない・・・私は「give」してばかりで、ちっとも「take」がないと嘆くことの多い毎日です。
 こういう時の私には笑顔はなく、いつもどこか不満顔で、鏡に映る自分がちっともステキじゃない・・・

 そんな時、さきほどの発想の転換を試みると・・・
「giveできることに喜びを感じる」こんなこともあり、じゃないか?と思えるようになったのです
 たとえば・・・いろんなことをしてあげられる夫がいる、息子がいる、娘がいる 一緒にいて、喜びや悲しみを共有できる友人がいる 一生懸命に教えると、みるみる育っていく生徒達がいる 私の言葉に「救われました」「感激しました」と言ってくださるご両親がいる
 これって、何てすばらしいことなのでしょう
 
 じつは・・・私は今、このブログを新幹線の中で書いています 早朝の新幹線に飛び乗り、今月に入ってからすでに3度目の大阪行きです
 月に1度であれば、車窓からの景色を眺め、季節の移り変わりを感じ、じっくりと本を読んだり、ちょっと居眠りをしたり・・・と価値ある2時間20分ですが、週1ともなると、この時間さえも苦痛になってきます
 けれど、今でも親孝行することのできる両親が健在であること、私の帰省を心待ちにしてくれる両親がいること・・・発想を「私にできることは何か?」に転換し、「~~できて、うれしい」と思ったとたん、車窓からの景色も鮮やかに見えるようになりますあり

 そんな、聖人君主のような発想なんて出来るわけないじゃないですかと、またまたあちこちからお叱りと呆れる声が聞こえそうですが
 でも、こんなふうに発想を替えてみると、何よりも自分自身がとても楽になります

 マイナスを頭の中で積み重ね、増幅させ、発酵させ、どんどんと疲れていくよりも、時にはマイナスをリセットするべく「プラスへの発想の転換」を試みてみませんか?
 ほんのわずかの時間であったとしても、心がフッと軽くなり、あたたかくなります そして、鏡に映る自分の怖い顔に、わずかながら優しさが見えるようになりますよ

 私は何ができるか?私は何をしてあげられるか?案外、たくさんあるものです


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父と母の独立記念日

2011年06月10日 | にこにこ

 めずらしく、疲労困憊の私です どんな時にも、あまり弱音を吐かない私ですが、さすがに週1の帰省を続けていると、今回は「もうだめだー」と、秘かに愚痴を言いたい・・・と、ブログを書いています。はっはっは、ちっとも「秘か」ではないですね

 大阪の父、6月8日、大安吉日、無事に高齢者向けの介護付住宅に引っ越しをしました
 とんでもない余談ですが・・・いずれ老いていく私達、です。何らかのご参考にでもなればと思い、敢えて、このブログに書かせていただきます。

 父を然るべき施設へ!と考え、帰省のたびにあちこち足を運んで高齢者向けの介護施設を探し始めたのが1月。一口に「介護付施設」というような言い方をしますが、いろいろなタイプがあるんですよ。施設に入ったとたん、「みなで一緒に楽しく暮らしましょう!」というコンセプトからか、1週間のメニューや、毎日のアクティビティーなどがたくさん壁に貼り出されたようなところもあれば、全く普通のマンションと変わらない静かなロビーの施設など・・・これは、まさに入居者や、入居をさせようとする家族の「好み」で施設は選ぶんだなあ、と感じました。
 今回、私が父のために選んだところは、典型的な後者の施設でした

 いずれにしても・・・自分の親の生活を一変させる決断ですからね 慎重に・・・ただ、何事も「ああでもない・・・こうでもない・・・」と考え始めると、絶対に前には進みません どんなことでも最善最良の道は「見えない」ものなのですから、「決めて、進む」ことが肝心 そういう私の信念のもと、今回の道を選びました。
 
 しかしながら、今回の決断は老老介護の限界を感じ、断腸の思いで下した決断、ということではありません。決して詭弁ではなく「両親にとって、新しい世界へのステップアップを選択したい」という思いでした。
 ここで二人が「独立」した生活を始めることで、お互いに相手に依存することなく、負担を感じたり、感じられたりすることなく、それぞれにとってのより幸せな方向に進むための道を私が提示したい・・・それが今回の決断のはじまり、でした

 あくまでも、これは私個人の考え方ですが。
夫婦間で「世話をする、世話をされている」という、ある意味での「主従の状態」をこれ以上続けていくのは、父、母、どちらにとっても、決して精神的に有益ではない、と考えました。
 ひと時代までまでは、それは唯一無二の方法であった家族間での介護。でも、物理的な条件が揃えば、別の方法、違う選択肢もあるのだよ、ということを、発展的な思いによって、両親に提案したのです

 50年以上、大事に育て築いてきたお互いを思う気持ちとは裏腹に、やはりもうぎりぎりのところに来ていたのでしょうねえ・・・快諾、とは言えませんが、父も私の提案に拒否の姿勢はありませんでした。進んで「行きたい」と言わなかった父、「行って欲しい」と言わなかった母・・・これが、両親の最後のお互いへの愛情だったのだろうなあ・・・と私は思っています

 父も母も、一人暮らしは「初めて」の経験です 
何度にもわたる施設の方とのミーティングで、父の性格、現在に至るまでの環境等をお話し、お仕事とは言え、父に心を向け、あたたかく接し、父の新しい生活をより良いものにするために!と、さまざまな工夫と努力をしてくださるでしょうが、そういう条件はそろっていても、やはり、父の生活は激変することは否めません

 また、母にしても然り、です。
80歳になって、初めて一人の自由な時間を手にしたとしても、それを喜びと実感できるようになるまでには、大きな寂しさや不安、自分は十分にやってきただろうか?という自虐的な思いに打ち勝たなくてはならないでしょう。

 それでも尚、私は、冷静にさまざまなことを熟考した結果、この新しい生活を両親に提示し、実現してもらうに至りました
 これから少しの期間・・・最初はそれぞれに苦労はしても、やはり、この選択がきっと本当の意味で、両親があらためて「お互いを心底、愛しいと思える幸せな生活になる」と確信しています。
 結果的にではあるにせよ、世話をする、世話をされる、という主従のある関係は、新しい生活にはありません それぞれが、そういう縛りから解放される・・・この決断を、いつかは「良かった」と思ってくれる日がくることを、ひたすら願っています。

 そして・・・
両親は、新しい生活を初めて今日で二日目。
 すでに父は、「ここは、ジーサンとバーサンばっかりでかなわんわ!」「食事はおいしいか、ってか?そんなもん、お腹が空いて食べてるもん、おいしいもおいしないも、わからんな」などなど、ここ4,5年は聞いたことのない生来の性格からの「憎まれ口」を叩いています
 つい三日前までは、時々、あらぬ方向を向き、うつろな目で私の姿を追っていた父は・・・どこかに退散していったのでしょうか・・・
 母は、「夢も見ないで寝たわよ。朝まで目を覚ますことなく寝たのは久しぶり!」と話し、安堵の表情を見せています

 もしかしたら。
父は私が完璧に整えたスマートでオシャレな一室で・・・母は、ガランと広くなったリビングと、空っぽのお隣のベッドを見て・・・お父さん・・・お母さん・・・(お互い、そう呼び合っています)と、泣いて暮らすのではないか?という一つの予想は、幸い、見事に打ち破られました

 父は、現時点では新しい環境の中でアドレナリン全開 厳しい家でいろいろなことを禁止されて育った子が、寄宿舎生活の自室で、興味深々で好き勝手に振る舞っている、という状態。車椅子生活で、歩けないはずが、なぜか立ち上がっていたり、一人で歩いて移動していたり、と、今度は別の心配が出てきていますが、少なくとも、多くの「刺激」によって、停止していた思考が戻り、憎まれ口が叩けるような思考回路が回復したのでしょうねえ。

 二人の生活が少し安定するまで、私の500キロの往復は続き、気の休まる日が来るのはもう少し先でしょうが・・・やっぱり、「両親の独立」に、娘として、拍手喝采をしたい、心からそう思っています
 




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ある出来事・・・

2011年06月02日 | にこにこ

 パスモ、スイカ、イコカ・・・こうしてカタカナで書くとピンとこないかもれませんね いつもは PASMO、Suica、ICOCA と表記されていて、その文字に馴染んでいます
 これらは、私も日頃よく使う便利ツールです。これが出来てからは、キヨスクでの買い物も、もちろん切符も、小銭を出して買うことはなくなりました。
 このお陰で、もたもたバッグの中から小銭入れやお財布を取り出さずにすみ、時間の節約にもなっています
 ちょっとしたマイナスは、私立の小学校に通う小さな子ども達が、電車に乗ってお友達のお家に行くとき、頭を使って切符を買うチャンスがなくなってしまったことでしょうか。
 
 さて、この便利なパスモを、先日、私は持ってでるのを忘れてしまいました。
バッグ好きの私は、ついつい出かける前に気が変わり、バタバタと違うバッグに入れ替えることがあります。その日も、違うバッグに急遽取り替えたため、そんな失敗をしてしまったのでした バッグの中身は全部入れ替えたのに、外側のポケットに入れておいたパス入れを入れ忘れたのです。
 でも、実は何の問題もありません。きっぷを買えば良いだけのことなんですからね でも私は、パスモを忘れた不便さよりも、慌ただしくバッグを替えた自分、それによってパスモを忘れて出かけてしまった自分に、何となく腹を立てていたんですねえ・・・
 いくつもの用を済ませ、あれこれとお買い物をしたため、帰りは荷物がいっぱいになりました

 ターミナル駅での切符売り場。今では、ほとんど利用する人がなくなったズラリと並んだ自動券売機。こんなご時世ですから、そのうちの何台もが節電のために使用不可の電光表示がありました。
 そんな券売機の前で、手に持ったたくさんの荷物を置き、お財布を出す煩わしさ・・・またまた自分の失態が思い出され、情けない思いをしていたそんな時。少し離れたところから、大阪弁が聞こえてきました

  「あらへんでえ。石川町なんて、書いてへん。どこやねん。」
  「おとうちゃん、あんた、まちごて聞いたんちゃうん。あんたの耳、あてにならへんもん。」
  「何言うてんねん!東横線て言うてたがな。まちごてへん!」 
  「ほんなら、なんで石川町がないんよ。おかしいやんか。」
  「うるさいなあ・・・むー、こことちゃうんかなあ・・・」

 私は、その夫婦漫才のような大声の大阪弁での掛け合いが何ともおもしろく、思わず耳をダンボにして聞いてしまいました でも、明らかにお困りのご様子。とてもお気の毒に思い、是非お役に立ちたい、と思いました

 日常生活では、私が家族と大阪弁で暮らしていることをご存知の方も多いはず
 私はやっとこさっとこバッグからお財布を出して切符を買ったあと、その初老のご夫婦のところに近づきました。

  「何かお困りですか?私、お役に立てるかもしれません!」
と、大阪人らしい?!人懐っこい笑顔で話しかけると、私が大阪弁で話しかけたからでしょうか、すぐにお二人は反応されました

  「ほんまでっか。困ってますねん。今朝、神戸から○○○○言う大きな船で着きましてんけどな、ガイドさんに中華街の行き方聞いたら、石川町へ行けって教えてもろて・・・東横線言いはったさかい、ここに来ましてんけど、そんな駅、書いてへん。ほんま・・・ウソ教えたんかいなあ・・・」

 私は、石川町はJR根岸線の駅であること、誰かと石川町駅で待ち合わせをしているのでなければ、みなとみらい線(東横線の延長路線)の終点「元町中華街駅」で降りれば簡単に行けること、を伝えました
 もちろん、ちょこちょこと笑いのとれるような小ネタを入れて・・・です

  「やあ、助かりましたわー。奥さん、お忙しいとこ、ご親切になあ。ほんま、地獄に仏とはこのことですわ、なあ、おかあちゃん!」
  「ほんま、ほんま。ええ人にでおたなあ。奥さん、見るからに人がええ!って顔に書いたある。お友達、多そうなお顔やわ。好かれはる顔や!」
 これまた、小ネタ満載です

 私は、降りる方向を間違てしまうと、中華街にたどり着くのが困難になってしまう元町・中華街駅の改札の説明をするために、結局、そのご夫婦と一緒にホームまで歩き、次の電車が来て、お二人に無事に乗っていただけるまで、10分以上、いろいろとおしゃべりをすることになりました

 お二人は、実況放送のように、とても揺れた○○○○号という大型客船の話しをしてくださり、また、かわいいお孫さん達のお話もしてくださいました 
 私も、介護のために頻繁に大阪に帰省していることや、実家が高層マンションで、とても見晴らしが良い話もしました・・・
 奥様は、その間中、ずっと私の手を握り、介護が必要な父の話にはフンフンと頷き、背中を叩いて励ましてくださいました

 とうとう、ホームに電車が入ってきました。
  「なんか、奥さんと別れ難いですわ。ほんまに・・・」
  「おとうちゃん、そんなこと、口に出してしもたら、ほんまに悲しいなるやんか。私、我慢してたのに・・・」
 私も全く同じ気持ちでした

 自動券売機のところで、そのおもしろい大阪弁の会話を聞いてから、時間にすれば20分ほどだったでしょうか・・・
 でも、そこにお互いの「心」が感じられたから、そのわずか20分の時間は、1時間、2時間、いえいえ、決して大袈裟ではなく、一日以上の重みとあたたかさを感じるものでした

 ドアが閉まり、私たちは何度も頭を下げ、手を振り、別れました・・・
 電車が行ってしまったあと、私は一人、取り残されたような寂しい気持ちになりました
 そして大まじめに、次の電車に飛び乗り、あのご夫婦を追いかけようかと思いました。地元の人間として、短時間でご夫婦が中華街を楽しめるようにご一緒したい・・・そう思ったものです

 その後、自宅に戻っても、あの方達は無事に戻られただろうか?と気にかかり・・・そういえば、どちらに戻られるのを聞いていなかったことを思いだし、なぜそれを聞いて、詳しく帰り道の説明をしなかったのだろうかと悔やみました

 一期一会。
漢字検定の初級クラスの問題のようですね。でも、本当に、人との出会い、人とのふれあい、人との会話・・・それは、この上なく素敵なものだと、私はいつも実感しています
 パスモを持って出ていたら、私はあのご夫婦とは出会わず、わずかの時間だったとは言え、あのあたたかくて、心癒される会話はありませんでした。

 私は今日も、あのご夫妻の手を振る姿を、何度も思い出しています


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