まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

母の「置き換えられた記憶」に思うこと

2016年04月15日 | にこにこ
 ここ10年、私は毎月、必ず二泊三日の帰省をします それは、両親との間で決めた約束だから、でもあります。
 大阪の郊外で暮らしていた両親。私も結婚するまでの13年間をその家で暮らしました
 アメリカへの短期留学ですっかり有頂天になり、「アメリカかぶれ」になっていた頃には、庭にデッキチェアを出して読書をしたりていましたし・・・両親もお客様を招いて庭でバーベキューをしたりしましたし・・・私の子ども達が幼い頃は、父が用意をしてくれた小さなお砂場やビニールプールで遊ばせたり・・・もしました。
 私が中学生の頃に植えられた庭の木々も、いつしか立派な木に育ち、四季折々の美しい姿を見せてくれる広いお庭でした
 けれど、若年性のパーキンソン病を患う父の症状が進行するにつれ、庭の世話も難しくなり、バリアフリーとは無縁のその家そのものが、両親の暮らしを脅かすようになっていきました。玄関から家までの階段で父が転んだり、飛び石に蹴躓いたり・・・父の自慢だった家も庭も、すべてが住み難さのかたまりのようになっていきました
 そして10年前、両親、特に父は断腸の思いで大阪のど真ん中の高層マンションに移ったのでした。その時の条件、約束が、「伊丹や新大阪から近い町の真ん中であれば、私は楽に帰省できるでしょ 飛行機や新幹線で大阪に着いても、その後、電車を乗り換えて1時間以上もかかるようでは、すごく効率わるいもん。中心に引越せば、私は毎月、帰ってくるよ」でした。

 さてさて。
その毎月の帰省によって、私と母の距離は一気に縮まりました。ってことは、以前は母子に距離があったの?ということですが、いやー、そうだったんです。
 昭和の好景気の中、父と共に小さな企業を創業した母にとって、「一番大事なこと」は、長年ずっと「会社を守ること」でした
 母は、決して口に出して「一番大事なのは仕事」とは言いませんが、一人っ子でもあり、常に両親を客観的、そして冷静に見ていた私には「自然と見えること」がたくさんありました。
 私にとっては不都合なことであり、あまり幸せとは言えないことであっても、それが事実、現実であれば甘受するしかなく、そしてその状況の中で上手く生きていくこと・・・それが私に課せられた「私の暮らし、私の環境」です それを嘆くことは、自分の暮らしを自分でつぶすことだと思っていた私は、文句はありませんでした。
 両親が私が小学校2年生の時に起業して以降、結婚して家を離れるまでの18年間、仕事中心の暮らしをしていた母との間では、あまり「母と過ごした、話した」という記憶がありません
 でも、そんな母の心の中には自分の描く「理想の母像」があったのです。母とはこうあるべき、とか、こんな母が素敵な母だ、という・・・
 そういう母のイメージする理想の母像は、母の実生活とは大きくかけ離れた「24時間体制で、子どもに目をかけ、手をかけて育てる母」でした。
 「おかえりなさ-い」と我が子を迎え、手作りのお菓子をおやつに出してあげる・・・一緒におやつを食べながら、我が子のその日の学校の様子を聞き、談笑する・・・
 そんなことは絵に描いた餅であり、実際には専業ママの家庭でも、こんなドラマのような暮らしなんてあり得ない でも、状況的にそんな暮らしが出来ない母からすると、もし自分が仕事をしていなかったら、私は間違いなくそういう母親の理想像通りの暮らしをしていたに違いない、という思いが強かったのでしょう。

 母が一度も口に出して「仕事が大事」と言ったことがないのは、そういう「仕事を大事にする母親」は、自分の思い描く理想の母親ではなかったから、なのです。私は幼い頃から、そのことに気づいていました。
 そして、「私は仕事を一番大事にしているのよ」と母が自信を持ってそう言ってしまえば、ずっと母自身も私も楽になるのになあ・・・と、ずっとずっと思っていたのです・・・
 なぜなら、私は「社会人としての母」を尊敬していましたし、自慢でもありましたし、そんな母の背中から、とてもとても多くのことを学び、真似て、今があります。それに、母の愛情はきちんと感じられていたのですから。
 これは余談ですが、私は子育てをしている間、自分の子ども達には社会人としての自分の顔をしっかりと見せてきましたし、そういう顔に誇りを持っていることも伝えてきました。これは、母と私の関係からの「反面教師」だったわけです。

 話を元に戻しましょう
そうです、私と母の距離が近づいたのは、母と二人の時間が長くなり、いろいろなことを話すようになったから、なのですが、そんな中でとってもおもしろいことに気づきました
 それは、ことごとく「母の記憶が改ざんされている」ということ、なのです。
 つまり「仕事が一番大事だった母」が長年してきたことや、言ってきたこと、何らかの出来事での記憶の中で、少し思い出すには辛い記憶や悲しい思い出などは、母の都合の良いように、母が思い出した時に気持ちの良いように置き換えられている、ということなんです
 たぶん、自己防衛本能が働き、いろいろな自分にとっての嫌な記憶や不都合な記憶をすり替えることで、母自身が安心できたり、納得できるようになっている・・・

 たとえば。
仕事を優先したために、私との固い約束を果たせなかった記憶は、本当は私が前日から体調不良だったために、体調をおもんばかった母が断腸の思いで中止をした、ということになっていたり・・・約束の手料理をふるまえなかった記憶は、ケイタリングのほうが見た目も豪華だからと以前から私が言っていたから、とか・・・
 記憶力の良い私は、いろいろな思い出をものすごく細部まで覚えています その時に着ていた洋服や、その場面の場所や空気などなど、すぐにでもよみがえってくるのです。
 娘としての私の根性が根っから悪くて、母を責めるために私のほうが、母に不都合なように記憶や思い出を意地悪くすり替えた、ということはないのです、はっはっは。
 私は、今さらブログにこんなことを書き、母への恨みを晴らしたい、なんて気は毛頭ありません 私はさっきも書いたように、心から「私の母」も「社会人としての母」も尊敬していますし、誇りに思っていますから。
 ただ、理想と現実の中で葛藤を繰り返したであろう母の長い年月を思うと、気の毒でならないのです 自分の描く母の理想像からかけ離れた現実を受け入れられず、一人で悶々としたり、自分を責めたり、時には父や他の人達を責めたり・・・ こんな「辛い」「悲しい」マイナスの時間は必要ないですよね

 現代は、特に都市部では「働くママ達」が多数を占めるようになってきました。私の教室でも、8割以上がお仕事を持ったお母様達です。
 そういうママ達が、社会からの目や批判などではなく、自らの意識の中で不必要な引け目を感じたりすることは、本当につまらないこと、残念なことです
 仕事を持っている自分に「自信と誇り」を持ち、むしろ、その姿を堂々と、気持ち良く、子ども達に紹介するような心意気を持って、毎日の子育てに勤しむ事・・・素適だと思うのですよね
 増やすことの出来ない時間に嘆いたり、変えることの出来ない状況に嘆くよりも、その状況、環境の中で、精一杯のことを心を込めてすることが、真の愛情溢れる子育てだと思えてなりません。

 変わってしまった母の記憶をもとに戻すことは不可能です
 何となく違和感があって話しますが、もう今となってはそんな母の記憶も苦笑して済ませられるほど、私も年をとりました。
 でもねえ、記憶は塗り替えられるよりも、やっぱり真実のままのほうが尊い、と思うのですよね

 




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