あるイヴェント会場でのこと。
美しく色づいたイチョウ並木は、人で溢れ返っていました ひと月前、紅葉にはまだ少し間のある時期に訪れた時には、何とも趣のある通りだ・・・と、のんびりと眺めることができたのですが・・・
恒例のイヴェントでは、今年もたくさんのお店が並んでいました。全国各地の「おいしいもの」を紹介するお店は、どこも大行列。やっとお目当てのものをゲットするのにも一苦労です。
私は、ある列に並びながら、混雑した会場を眺めていました。すると、2歳を少し過ぎた程度の小さな小さな女の子が、なかなかのスピードで歩き、その後ろをイヴェントスタッフのジャケットを着た中年の男の人が困った表情で追いかけている?ついて歩いている? 何とも不思議な光景でした。
幸か不幸か食べ物にありつくまでには、まだまだ時間があったので、その興味を引く光景を引き続き眺めていると、どうもそのチビちゃんは迷子らしく、そのスタッフが抱っこしようとすると大泣きをし、仕方なく、その人は彼女を自由にさせている・・・らしい
そのうちに、通りかかった女性グループが「やだあ、まだ親が見つからないのねえ・・・あの人、まだあの子の相手をされてるわあ」と話していたので、この奇妙な鬼ごっこは、かなり長い時間、続いていることがわかりました。
私がその様子を見始めてから5分以上経った頃、一人の若い女性が近づいてきました。
「こんなところにいたんじゃない どこ行ったのかと思っちゃったわよ。」その言葉から、彼女はそのチビちゃんの母親だと想像できました
でもね、彼女はその後、私にとっては、本当に意外な言葉を発したのでした
「私、向こうの〇〇に並んでたんです。もう、すんごい列で・・・まいったわあ。こういうイヴェントって、子ども連れが多いじゃないですか。そんなこと、わかったことなんだから、親子で並んでる人を優先にするとか、並んでる間、子どもを見てくれるスタッフを用意するとか、そういうことを考えてもらわないと・・・次回から、お願いしますよー」
私は一瞬、この人は何を言っているのだろう???と、完全に度肝を抜かれてしまいました。
そして、やっとその驚愕から思考がもとに戻り・・・この人は「お世話をおかけして、申し訳ありません。私がその子の母親です」とか「すみませんでした。その迷子は私の娘です」のような、詫びの言葉、感謝の意を表しただろうか?と、まじまじとそのママをあらためて眺めてしまいました。正直・・・宇宙人を見る気分でした
百歩譲って・・・このイヴェントに「アンケート」があり、今後の参考意見として、良かったこと、困ったことなどを書き、残していけるのであれば、彼女が発した言葉は、「一つの貴重な意見」として、立派に意味を持ったことでしょう。この人が言った通り、子ども連れの客が多いのは事実ですからね。
でも・・・この場合、この母親が迷子になった我が子を見つけ、預かってくれたスタッフに対し、真っ先に言うべきことは自分の意見ではなく、「すみませんでした」であり「ご迷惑をおかけしました」であり「お世話になって、ありがとうございました」だと思います。それが、社会人としての、親としての礼儀であり、常識だと思います
世の中、いくら時代がかわっても、もちろん、こういう母親ばかりではないことは、重々承知しています でも、やはり「自分のことしか考えていない」母親が増殖していることは事実です
自分の子どもがかわいい(他人の子どもよりも)、なるべく楽に子育てがしたい(子育ての苦労は避けたい)、こういう気持ちはいつの時代も同じです。でも、それでも尚、一歩家から外に出れば、多くの人達の中で自分が、自分の子どもが生きていることを忘れてはいけないでしょう。
少なくとも、親として見られている自分、子どもの手本となるべき自分、であることを、常々意識していれば、きっと過度の我がままや暴言や愚行は、自然と避けられるのではないか、と思っています
美しく色づいたイチョウ並木は、人で溢れ返っていました ひと月前、紅葉にはまだ少し間のある時期に訪れた時には、何とも趣のある通りだ・・・と、のんびりと眺めることができたのですが・・・
恒例のイヴェントでは、今年もたくさんのお店が並んでいました。全国各地の「おいしいもの」を紹介するお店は、どこも大行列。やっとお目当てのものをゲットするのにも一苦労です。
私は、ある列に並びながら、混雑した会場を眺めていました。すると、2歳を少し過ぎた程度の小さな小さな女の子が、なかなかのスピードで歩き、その後ろをイヴェントスタッフのジャケットを着た中年の男の人が困った表情で追いかけている?ついて歩いている? 何とも不思議な光景でした。
幸か不幸か食べ物にありつくまでには、まだまだ時間があったので、その興味を引く光景を引き続き眺めていると、どうもそのチビちゃんは迷子らしく、そのスタッフが抱っこしようとすると大泣きをし、仕方なく、その人は彼女を自由にさせている・・・らしい
そのうちに、通りかかった女性グループが「やだあ、まだ親が見つからないのねえ・・・あの人、まだあの子の相手をされてるわあ」と話していたので、この奇妙な鬼ごっこは、かなり長い時間、続いていることがわかりました。
私がその様子を見始めてから5分以上経った頃、一人の若い女性が近づいてきました。
「こんなところにいたんじゃない どこ行ったのかと思っちゃったわよ。」その言葉から、彼女はそのチビちゃんの母親だと想像できました
でもね、彼女はその後、私にとっては、本当に意外な言葉を発したのでした
「私、向こうの〇〇に並んでたんです。もう、すんごい列で・・・まいったわあ。こういうイヴェントって、子ども連れが多いじゃないですか。そんなこと、わかったことなんだから、親子で並んでる人を優先にするとか、並んでる間、子どもを見てくれるスタッフを用意するとか、そういうことを考えてもらわないと・・・次回から、お願いしますよー」
私は一瞬、この人は何を言っているのだろう???と、完全に度肝を抜かれてしまいました。
そして、やっとその驚愕から思考がもとに戻り・・・この人は「お世話をおかけして、申し訳ありません。私がその子の母親です」とか「すみませんでした。その迷子は私の娘です」のような、詫びの言葉、感謝の意を表しただろうか?と、まじまじとそのママをあらためて眺めてしまいました。正直・・・宇宙人を見る気分でした
百歩譲って・・・このイヴェントに「アンケート」があり、今後の参考意見として、良かったこと、困ったことなどを書き、残していけるのであれば、彼女が発した言葉は、「一つの貴重な意見」として、立派に意味を持ったことでしょう。この人が言った通り、子ども連れの客が多いのは事実ですからね。
でも・・・この場合、この母親が迷子になった我が子を見つけ、預かってくれたスタッフに対し、真っ先に言うべきことは自分の意見ではなく、「すみませんでした」であり「ご迷惑をおかけしました」であり「お世話になって、ありがとうございました」だと思います。それが、社会人としての、親としての礼儀であり、常識だと思います
世の中、いくら時代がかわっても、もちろん、こういう母親ばかりではないことは、重々承知しています でも、やはり「自分のことしか考えていない」母親が増殖していることは事実です
自分の子どもがかわいい(他人の子どもよりも)、なるべく楽に子育てがしたい(子育ての苦労は避けたい)、こういう気持ちはいつの時代も同じです。でも、それでも尚、一歩家から外に出れば、多くの人達の中で自分が、自分の子どもが生きていることを忘れてはいけないでしょう。
少なくとも、親として見られている自分、子どもの手本となるべき自分、であることを、常々意識していれば、きっと過度の我がままや暴言や愚行は、自然と避けられるのではないか、と思っています