まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

運動会シーズン

2008年09月29日 | にこにこ
 大阪府と奈良県の県境にある生駒山の山頂を越えた頃から、機体はどんどん高度を下げていきます そのあたりからは、大阪の住宅地の上を飛んでいきます。
 日曜日。普段なら、ただっ広い茶色の四角い空間に見えるだけの運動場ですが、昨日は、大阪空港に着陸するまで、10校以上の小学校と思しき運動場は、たーくさんの人でいっぱいで、空の上からも、子ども達と父兄達の歓声が聞こえてきそうでした
 そうです、あちこちの小学校では、秋の運動会の真っ最中でした
空港に近づき高度を下げるにしたがって、綱引きや玉入れなど、競技まではっきりと見て取れるようになりました。
 最近では、通路側の席ばかりに座り、到着後はすぐに機外に出られるようにしていたのですが、たまたま昨日は窓側の席。何校もの運動会を眺めているうちに・・・とってもほのぼのとした気分になりました
 
 娘が幼稚園のとき、私は2年続けて保護者の綱引きに出場しました。
何事にも一生懸命になるタイプの私です
 「いや~ん・・・私、久しぶりだもの・・・綱引きなんて、できるかしらあ・・・」みたいなことは言いません
 出場するんだったら、私が出るほうのチームには勝ってもらわなくちゃ
 よーい、ぱーん!となったとたん、鬼の形相で腰を落とし、脇を締めて、呼吸を止めて必死に引っ張ります
 最初は「いや~ん」のママ達、照れ笑いのパパ達も、私の気迫に押され、必ず真剣になってくれます 同じやるなら、まじめにやらなくちゃね 
 子どもが小さいうちはね、運動会での親のがんばりは、自分への愛情だと感じてるんですよ
 私は、子ども達のリレーのときも、担任の先生と一緒に、大声を張り上げて、娘のチームを応援しました ああ、懐かしいですねえ・・・
 人でいっぱいの運動場をひとつ一つ眼下に見送りながら、私は懐かしさでいっぱいになり、胸を熱くしました きっと、私と同じようなお気持ちで、我が子だけにではなく、一生懸命に声援を送っているママもいるだろうなあ・・・

 毎年、この時期になると、やたらとビデオカメラやデジタルカメラのCMが多くなります もちろん、運動会シーズンだから、ですよね
 そして、CMでは、○○倍ズームだとか、動いていても顔を認識してぴしゃりと撮れる・・・とか。それは、大勢の中で「我が子」をしっかりと撮るため、です
 でもね、必ず運動会が終わって大映写会をすると、自分の姿ばかりがアップで映っているパパの撮った映像に、我が子はちょっぴり残念な思いをするのです
 「私ばっかり・・・私だけ・・・○○子ちゃんは、この鈴割りの時には、ものすごーく上手に玉を投げて、鈴を割ったのに・・・」
 「アレ?1等だった○○介くんは何で映ってないの?ボクは4等だったんだ。○○介くんは、リレーでも走って、すっごくかっこよかったでしょう?」

 いえいえ・・・パパやママは、あなたしか見ていないのよ ○○子ちゃんが上手に鈴を割ったことも、○○介くんがかけっこでかっこいいことも見てないの だって、鈴を割るのが「あなた」じゃなかったことを残念に思い、かっこうよく1等賞を駆け抜けるのが、来年は「あなた」になることを願っているんですもの

 運動会・・・
我が子だけではなく、子どもの目線で、時には他の子ども達の様子も見てあげませんか?そして、我が子の大切なお友達の活躍に拍手を送り、本心から賞賛してあげましょう
 そんなパパやママの姿を見て、我が子はきっと「人を優しい心で眺める心」を育んでいくでしょう
 そう言えば、あのかけっこが速かったリリコちゃんは、どうしてるかしら・・・

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親のポリシー

2008年09月25日 | にこにこ
 昨日、久しぶりに娘と話す時間がありました。とは言っても、電車の中で3駅ほどの間だったのですが

 娘は、大学入学当初から、外資系のコーヒーショップ?でアルバイトをしています 昔は、コーヒー好きの私を見て「ママ、こんな真っ黒な飲み物、何がおいしいの?」と言っていたものですが、今では時々、日頃の親不孝の罪滅ぼしか、私好みのコーヒー豆を買って帰ってきたりしてくれて、「いや・・・これはおいしいよー」などと、わかった口をきくようになっています
 
 その娘・・・おもしろいことを言うのです。
  「あのね、毎日、うちの店に来てくださるお客様なんだけど、時々、午後の時間には、子どもを連れてくるのね 幼稚園くらいかなあ・・・
 その子がね、いつも○○○○(普通の大人向けの飲み物、スイーツ系メニュー)を飲むのよ。最近は、自分で注文してね すごくかわいい子なんだよ 
 でもね・・・何て言うのかなあ、私、上手く言えないけど、どうもそれって違うって気がするのよねえ・・・
 うちのお店には、12歳以下の子ども向けのメニューが用意されていて、価格も抑えられてるし、年齢を考慮したメニューなわけ。だから、私達は必ず、子ども連れのお客様には、こういうものがありますってお勧めするのね
 私ね、小さい頃、ママには絶対、子どもだからダメよってきつく言われていたメニュー、あったじゃない?
 コーヒーも、お紅茶もダメだったし。「あなたはまだ子どもだからダメです!」って、いつもビシって言われたら、そうなんだね、仕方ないね、子どもだもん、って思っていたわけ
 電車だって、座ったことなかったでしょう?よほど空いた電車でないと、私は座ったとしても、いつもママのお膝の上だったこと、よく覚えているの。
 だから、私の中では、子どもが大人と同じものを飲む、とか、平気で一人分のスペース使って親と座る、とか、ものすごく違和感があるのよねえ・・・
 だから私ね、中学の頃だったかなあ・・・ちーちゃんとレク(彼女が熱心だったキャンプリーダー養成のボランティア活動)で先輩達と一緒に○○○○を注文して初めて自分でお金を払って食べた時、二人で感動したんだよ いやー・・・世の中に、こんなおいしいものがあるんだーって。
 でも、不思議にママ達はこんなものをいつも食べられて狡いなあ、って思ったんじゃなくて、何て言うのかなあ・・・大きくなって、こんなものを食べて・・・がんばらないといけないんだなあって言うか・・・
 まあ、とにかく、子どもは子ども、これは、子どもが食べてはいけないもの、って、あらためて感じたっていうか・・・
 きっと、またあの子、うちの店に来て、○○○○を注文するんだろうなあ・・・何か、違うんだよなあ・・・
 あの子は、大きくなったら、何に感動するんだろうね・・・はっはっは 私には関係ないか

 じつは、私は娘のこの話しには、かなり驚いたのでした。
このブログにも、結構、頻繁に登場する娘ですが、そのたびに彼女は「ドライな現実派・冷静なリアリスト」として登場しているはずです
 その娘が、こういうことを語るなんて・・・

 私は、彼女と別れてから、かなり感激していました 
 3つ子の魂、百まで・・・

 私が、母親として、毅然と示した態度の数々は、何と20歳になった娘の体と心に染みつき、彼女の一部となっている・・・母親冥利に尽きる事実です
 
 私が示した持論は、決して教育的見地から語られたり、示されたりしたものばかりではありません 単なる私の好み、だったものもあったのです。 コーヒーやお紅茶を飲ませなかったのも、実際には「カフェインの子どもの身体への影響」を考慮したものでも何でもなく、私が幼い頃には飲ませてもらえなかったという経験と、大学生時代にアメリカかぶれをしていて、ホームステイ先の家庭では、絶対に子どもにカフェイン入りの飲み物を飲ませないと決めていた・・・という真似っこの部分もありました

 けれど・・・昨日の娘との会話で、あらためて実感したこと。
それはやはり、子どもが幼い頃の、親の、特に「母親の影響の大きさ」です。

 親が揺れると、子どもも揺れ・・・ 親にポリシーがないと、子どもにもポリシーがない・・・

 私とはかなり違う個性を持った娘ではありますが・・・私が母親として実践し、仕事の立場でも提唱し続けている持論は、ある意味、我が娘によって証明されたかな?そんな気がして、ほのぼのとした私です


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子どもはお気の毒

2008年09月15日 | う゛う゛ー
 今日は朝から、夫と二人で横浜国際プールに泳ぎに行きました 夫の出張中に、私が2ビート泳法をマスターしたので、是非、実際に泳いでいるところが見たい、という夫の申し出があったのです
 私も、この「習いたてほやほや」のこの時期は、少しでも頻繁に泳ぎ、しっかりと身につけるほうが良いと感じていますので、二人でいそいそと出かけました
 横浜国際プールは、50メーターの公式プールです。前回、7月に行った時には、やっと息継ぎができるようになった直後で、50メーターを泳ぎきることができず、必ず40メーターあたりで立って、あらためて残りを泳ぎました。
 しかし今日は、全く息も苦しくなく、2ビートもしっかり板に付き、問題なく泳げるようになっていました 夫からも、何度も驚愕と賞賛の言葉をかけてもらい、生まれて初めて、クロールで1000メーターを泳ぎました

 その後、昼食をし、寄り道をして帰ったのですが、最後の寄り道はお買い物でした。今日は車で出かけていたので、いつものスーパーではなく、駐車場の大きなスーパーに行きました
 あれやこれやと買い物をして、駐車場まで戻ると、そこに事前精算機・・・そこに来て初めて、90分間の無料駐車のためには、入り口でもらった駐車券に、レジで承認印が必要であることを知りました
 私達は、またB1の食料品売り場へ・・・その旨をお話ししようとサービスステーションに行ったところ、何と、目の前には、私のバッグが置かれているではありませんか

 そうなんですね
私は、ショッピングカートにレジカゴを乗せ、自分のバッグを、押し手のところに引っかけたのでした。
 ところが、山ほど買い物をし、両手にあれこれ持ってしまったために、ショッピングカートをカート置き場に戻す時、すっかり「引っかけたバッグ」のことを忘れてしまっていた?気にも留めなかった?のでした
 幸いにも、ご親切な方が、すぐにカートに引っかかったままのバッグを発見し、サービスステーションに持っていってくださった、ということでした
 夫は呆れましたし、私自身も、何とマヌケな行動か・・・と反省するやら、情けないやら・・・

 決してバッグを忘れた言い訳ではなく・・・案外、そういうことってありませんか?
 忘れ物だけではなく、たとえば・・・
  とても大事なものを買いに行き、ふっと他のものを見て、それに一生懸命になって、肝心のものを買い忘れて帰って来た・・・とか。
  わざわざ何かを部屋に取りに行って、目についたものを片づけたりして、取りに行ったはずのものを持ってこなかった・・・とか。
 お恥ずかしながら、私のような粗忽者は、しょっちゅう、そういうことがあるのです でもね、自分でしでかした「お恥ずかしいこと」ですから、「バカねえ、私ったら・・・」などと苦笑するだけで、それを人から咎められたり、叱られたり、注意を受けたりすることはありません。

 でも、それが自分の子どもがしでかした「オマヌケ」だったとしたら、どうでしょう?
 もし・・・私がショッピングカートに、大切なお財布やクレジットカード、各種鍵まで入ったバッグを忘れてきたように、幼い頃の私の息子や娘が、同じように「同様のもの」が入ったバッグを掛けたままで忘れてきたとしたら???
 きっと私は、タイムリーに叱らなくてはと思い、決して穏やかに、などではなく、ビシッと大声で言うことでしょう
 「もー、あなたは何やってんの ボンヤリしてちゃ、ダメでしょ 中には何が入ってんの?言ってご覧なさい いらなもの?ゴミ?違うわね お財布、お家の鍵 そうね 無くなったら、どうなるの?あなたも困るし、家族みんなが迷惑するのよ わかってるの??何をボンヤリしているの しっかりしなさい、しっかり ほんとに・・・呆れちゃうわ

 みなさんは、どうですか?
私はね、いまでこそ、子ども達が20歳を過ぎたので、こんな叱り方をしなくはなりました。でもね、言いますよね、母親って、こういうことを・・・
 それに、さっき私が自分のセリフとして書いたことは、何一つ間違ってはいないですし、その通りなんですよね。だから、忘れた子ども達は、当然のこととして、親から、このように叱られるべき?叱られても仕方がない!・・・わけです。

 でも
今回の私のように・・・親でもあるんです。ちょっとしたことで、注意力が散漫になって、ふっと大事なことを忘れたり、抜かしたりしてしまうこと・・・
 そして、オトナである自分がやると、こういう「ポカ」は苦笑で済ましてしまうのです 時には、お友達とのお茶の時の「笑い話」として提供することもあったり・・・

 オトナは、理不尽です
私は、自分の子ども達が大きくなった今、あらためてこういうことに気づき、彼らにはもう怒鳴らなくなりました
 そして、心からの愛情を持って、本心から・・・
 「見つかって、本当に良かったねえ。安心したでしょう?
 「あらあ、無くしてしまったの・・・びっくりしたでしょう?まっ、仕方ないじゃない。ここで、ああだこうだって言っても出てくるわけじゃなし・・・でも、また、気を付けてね。みんながこのことで、かなりの迷惑するんだもん
 ・・・のように、まずは、相手の凹んだ思いをわかった上でのコメントをするように心がけるようになりました。

 言って当然のこととは言え、怒鳴っていた頃には、ついつい子ども達は・・・
 「だって・・・」
 と、まずは言い訳をしようとしていた彼らも、「大変だったわねえ!」とか「さぞかし驚いたでしょう?」と、辛かったり、悲しかったりする自分の思いを察して言葉を話されると、とても素直になれるようで・・・
 「本当にごめんね ボンヤリしていたばっかりに、こんなことになってしまって・・・」
 と、素直に謝ることができるものなんですね・・・

 私は、小さな子ども達でも、気持ちは同じだと思いますよ。
決して、子どもを甘やかすわけでも、迎合するわけでもありません ただ、頭ごなしに怒鳴るのではなく、まずは、「相手のつらさ」を感じてあげ、それに対して心を向けてあげることです。
 諭したり、注意したりするのは、その後からでも遅くないですものね

 それにしても・・・
あのバッグ、出てきて良かった
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クロールから学んだこと

2008年09月07日 | にこにこ
 先週の金曜日は、夜8時から、トライアスロンチームのスイム練習に参加しました 日中、多忙を極めるメンバー達(40歳以上の企業家が中心のチームです)練習は、スイム、ランともに夜が中心。今回は参加者が少なく、コーチ二人にメンバー二人という、習う側としてはとても贅沢な練習でした

 宮古島合宿に向けて、徐々に練習をしていたクロールですが、とにかく、全くクロールのできなかった私にとっては、「まずは息継ぎ」。
 決して大袈裟ではなく、クロールの練習を始めて、私は生まれて初めて、「息が自由にできる」ということのありがたさを実感しました だって、ランニングをしていて、苦しくなってきたとしても、やっぱり呼吸に制限があるわけではないでしょう?
 ところが クロールをしていると、上手に「息継ぎ」ができないと、本当に呼吸困難になって、「死にそうー」と思うのですもの。
 宮古島に行く直前でも、結局、息継ぎをしながらも50メーターはクリアできず。やっと息継ぎらしきことができるようになっても、まだまだ顔をあげた時には、「よーし、この瞬間に、プール中の酸素を吸い込むぞ」という気分で必死に呼吸をしていましたから

 25メーター泳いだだけでも、ハーハーゼーゼーと、完全に無酸素運動状態。ですから、手や足の動きは2の次、3の次。
 ただ、コーチに何度も言われたイメージトレーニングである「すーっと気持ちよく前に伸びていく手・・・身体全体がまっすぐに伸びて、ぐーっと進んでいくんです。イメージできるでしょう?」というのだけは理解できていたので、何とか手だけは「すーっと伸びて」いました 
 でーもー、足のほうは意識外。バラバラ・・・バシャバシャ・・・。とにかく、息継ぎをした後の安心感、そして、身体が沈まないようにという無意識の思いからか、手をかいた後、不規則にヒラヒラっとキックをする・・・という状態でした

 そんな状態で宮古島に行ったわけですが・・・あーら不思議。
トライアスロンのスイム用のウェットスーツを着ると、まるでライフジャケットのように身体が浮くんです。それに、海水の浮力もあって、宮古島では、妙に楽に息継ぎもできて、「私、泳げるジャーン」みたいな気分にさせてくれました

 しかーし
それは錯覚とまではいかなくても、間違いなくウェットスーツと塩水の浮力の力を借りて泳げていたわけですから、本当に「泳げる」ようにならなければなりません ということで、一昨日の練習では、徹底的に「キック」の練習をしすることになりました。

 ここでちょっとトライアスロンのお話しをしましょう
あまり日本では馴染みのなトライアスロンですが、今回の北京オリンピックでは、女子の井出樹里選手は、5位に入賞を果たしました ご存知でしたか?37歳というヴェテランの庭田選手も、13位と大健闘。残念ながら、男子はふるいませんでしたが・・・
 そのトライアスロン。まず最初にスイム、です。続いて自転車。最後にラン・・・ときます。
 ちなみに、それぞれの距離は、いろいろあるんですよ 例えば、オリンピックディスタンスとい距離は・・・
  スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ。1500メーター泳いで、その後、自転車を40キロこいで、最後に10キロ走る・・・ということですね。
 比較的、日本で有名な宮古島のトライアスロンは・・・
  スイム3キロ、バイク155キロ、ラン42,195キロ(フルマラソンの距離です)。これは、ストロングマンレースと呼ばれています。
 また、アイアンマンレースと呼ばれるものは・・・
  スイム3,8キロ、バイク180キロ、ラン42,195キロ。これを、17時間以内で完走した人には、「アイアンマン(鉄人)」の称号が与えられます
 みなさんにとって、トライアスロンの話し、中でもその距離なんて、生きていく上で何の意味もないことですが、まあ、話しの種に・・・とお話しさせていただきました

 これも余談ですが・・・もし、私が今20歳代だったら?きっと、始めた限りは無謀にも、アイアンマンレースを目指したいと思ったことでしょうが、残念ながら、年齢はその倍 
 私が目指す石垣島トライアスロンは、オリンピックディスタンスの、スイム1,5キロ、バイク40キロ、ラン10キロです

 さて、トライアスロンでは、泳いだあとに、自転車、マラソン・・・と、足を使う競技が続くため、最初の水泳では、なるべく「足に負担の少ない泳ぎ方」をすることを心がけます。
 そこで、私はコーチから「2ビートの泳ぎ」を教わることになりました。
これは、水泳でも、長距離を泳ぐ選手が用いる泳法で、手で一かきすると同時に、足も1回キックします。
 つまり、歩いているのと同じ、ですね。右足を一歩前に出すと同時に、左手が前に出ます。次に、左足を一歩前に出すと、今度は右手が出る・・・歩いていると、足が一歩出る間に、手が二回前に出たりはしませんよね
 2ビートのクロール。それは、右手が前に出たら左足が1キック。右手がかき終わって左手が前に出たら、右足が1キック・・・という泳法です。
 ですから、私が昔からイメージしている、足を「バタバタバタバタ・・・・」とバタ足をして、手をかいて進むクロールとは、全く違うもの、でした
 コーチがお手本に泳いでくださるのを見ていると、足のバタバタがないので、妙に優雅なわけです。ところが、これは足を疲れさせないための知恵であり、「進まなければいけない」のは同じですから、1かき、1キックに込める渾身の力はかなりのもの・・・

 こうして、「歩くのと同じです」などと書いてしまうと、ふんふん、確かに歩くのはそうだね・・・と簡単なんですが。
 できないんです
ほんと、不思議なほどに、できないんですよ
 自分の頭の中では、「歩く時と一緒じゃない」と思い、コーチに言われるように、手をかくたびに、「キック、キック、キック」と声をかけて足を動かそうとするのですが・・・無意識のうちに、気がついたら、勝手に足がバタバタっとキックをしていたりしてね・・・
 1かきに1キックを身体で会得するために、足を交互にバタバタするのではなく、両足でバタフライの時のように、両足同時に動かすドルフィンキックのようなキックをして、手だけはクロールをする、というような練習を何度もしました。そして、「わかったぞ!」と思うのに、さて、実際にやってみると・・・できない・・・
 
 自分でも、頭と身体がバラバラの動きをしてしまうのがおかしく、コーチと一緒に大爆笑をしました。あまりに出来なくて、「笑うしかない」「思わず笑ってしまう」のでした
 そう、自分で言うのも何ですが・・・努力家の私ですから、決して不真面目に練習をしているのではないのですよ。まさに、必死に、一生懸命、がんばっている!頭でイメージして、何度もコーチと一緒に、基礎的な動きをワンステップ、ワンステップやっているのです。
 でも、できない・・・あるんですよね、こういうことって

 その後、私は30分間、やっては妙は手足の動きをし、笑い、またやって・・・を繰り返し。やっとのことで、じつは、この日のうちに2ビートができるようになりました
 そしてね、出来てしまうと、今度は、どんどんとできるようになり、上手とはいかないまでも、何であんな変な動きしかできなかったんだろう???と思えるようになるのですねえ・・・

 みなさん。
私は、この夜、プール練習が終わって、シャワーを浴びながら泣けてきました
 私の生徒達は・・・みなさんの子ども達は・・・これを繰り返しているんだなあ、と思ったのです 受験準備の時だけではなく、小学校に入っても、中学に入っても、子ども達に「学び」がある限り、これは延々と続いているのです
 心底、私は、その子ども達の思いが理解できた・・・そう思いました。

 正直、不真面目な子なんて、誰一人としていませんよ
もちろん、小学校も高学年になっていけば、勉学に対する姿勢も個人個人で違ってきますので、その状況によっては不真面目な取り組みもあるでしょうが、その年齢に達するまでの子ども達は、みんな、ひたむきに「学び」に対して向かっている、と私はいつも実感しています
 もし、お母様にとって我が子が不真面目に見えるのならば・・・その子はよほど赤ちゃんのように幼く、未成熟で、学びに対して意欲も向上心もなく、ひたすら刹那的に楽しいことだけをやって時間を過ごそうとする子ども。
 でもね、実際に、こんなに幼い子は少ないものです
 だから、不真面目に見える子というのは、きっと、その子の最後の照れ隠しでしょう。教えてもらってもできなくて、出来ない自分が悲しくて、不真面目そうすることによって、やっと自分の心の均衡を保っているのです。
 
 私が、すべてを理解して、やる気も十分にありながら、やってもやっても2ビートが出来なかったように・・・そして、優秀ななコーチの、適切な指導を仰いでいながら、なぜかできないことがあまりに「???」で、なぜか笑いしか起こってこなかったように・・・

 それに。
まがりなりにも2ビートができるようになった私は、もう、息継ぎの心配はなくなりました クロールで泳ぐことができる、と言えるようになりました
 でもね、ほんのひと月ほど前は、私は真剣に、息継ぎの心配をし、その練習をしていたのでした。
 息継ぎのタイミングのたびに、プール中の酸素を吸おうと、死にかけのお魚ように、水面で口をパクパクし、時には水を飲んでしまい、25メーターの真ん中に立って、ゴホゴホと咳をしていたのでした

 人は、学んでいる最中は、その時、その時で、程度、レベルの違うことで悩み、必死にもがき、それでも一生懸命に「少しでも上」「少しでも先」を目指してがんばっているのです
 そのことを、なぜか、父親や母親になると、少し忘れてしまう・・・そして、けんもほろろに我が子を罵倒したりしてしまうのです・・・
 「1」の状況の我が子に、「5」を望んだり、「3」の状況の我が子に「8」を望んだりと、無謀な要求を突きつけ、平気でいるのです
 
 息継ぎで悩んでいた頃の私は、2ビート泳法など考えも及びませんでしたし、とにかく、息継ぎができるようになった時には、天にも昇る気持ちでした コーチも一緒に、「息継ぎができましたね。これで、もう、いくらでも泳げますよ」心から私と一緒に喜んでくれました。

 トライアスロンを始めることで、私はあらためて「0から始める、1から学ぶ」を体験しています。
 この挑戦が、私個人だけではなく、さまざまな立場で、大きな大きな意味のあるものであることをあらためて実感した時間でした

 今日のブログの最後に、是非、私や主人が所属するトライアスロンチームのコーチを紹介させてください
 人が成長をしていく上で、もっとも大切なことは、良いリーダーを得ることだと思います。子どもにとっての最も身近で、最強のリーダーであるべき人は「両親」ですよね
 私が、トライアスロンという未知の世界に挑戦できるのは、このすばらしいリーダーであるコーチのおかげです。
 私は、幼児教室マナーズのまどか先生として、このコーチから、多くのことえを学び、あらためて気づかせてもらっています

 松山 文人コーチ   株式会社TRY-A  代表取締役

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祖父母の甘やかし

2008年09月01日 | プンプン
 私は、我が子相手に、安易に「ごめん、ごめん」と意味なく謝る親が大嫌いです
 そんな親の子どもに限って、何かを忘れたと言っては母親のせいだと怒り・・・ 何か上手くいかないと癇癪を起こして母親をののしり・・・
 自分の意志が通らないと泣いて母親を叩き・・・
母親は、完全に我が子になめられ、馬鹿にされていることに気づかず、またまた、その我が儘で依頼心の強い我が子を相手にして「ごめん、ごめん」を繰り返します。

 先日、クラスの合間に昼食をとろうと、教室の近所の定食屋さんに入りました そこは、お昼休みのスーパーの方が来ていたり、近くで工事をしている方が来ていたり、買い物帰りの老夫婦が来ていたり・・・と、まさに雑多な客層のお店で、いつも繁盛しているようでした
 私が注文をした後、本を読んでいると、杖をついた老夫婦と、5,6歳に見える男の子が入ってきました。夏休みでおじいちゃん、おばあちゃんの家に来ている孫のようでした。
 お店の方が、ご夫妻のご不自由さを考慮して、「どうぞこちらに」と、比較的広いテーブルに案内されましたが、その孫、「こっちがいーい ねえ、おばあちゃん、こっち」と、隅っこの狭い席をほうへ、どんどんと行ってしまいました
 お二人は、「はいはい」と、とても入りにくそうに、杖を置いてから、席につかれました。

 今度は、おばあちゃんがメニューを開き、「あんたはラーメン?ラーメンでしょ」と声をかけたとたん、何を思ったか、急にその孫は・・・
  「ねえ、おじいちゃん、なんでこの店に来たの?この間、行ったじゃん。ほらー、あそこの横の店
 と怖い顔をして、身体を揺らして言います。おじいちゃんは・・・
  「どこのことだい?あそこの横って、どこの横?」
と孫の顔をのぞき込んで笑顔で聞くと、今度はその孫、完全に癇癪を起こして、  
  「あそこじゃん ママも一緒に行ったでしょ?!ほら、あそこ じーじのバカ なんでわかんないの
 孫は腹を立てて興奮し、半泣きになりながらこの問答を2,3回繰り返し・・やっと。
  「ほらー、プールの横の店じゃん」と叫びます。
 
 このあたりで、お店の人も、まわりの人も、孫が何かを言うだびに、あきらかに「なんだ、コイツ・・・」という顔をして、こっそりと見ていました。今度は横からおばあちゃんが・・・
  「ああ、あそこは遠いでしょう。今日は雨も降ってるし、ママもいないから、おじいちゃんとおばあちゃんでは、あそこまでは遠くていけないんだよ
と答えます。すると孫は案の定・・・
  「「あそこが良かった ここは、イヤだよ。あそこがいい あそこだと思ってたのに
と、訳のわからないことを言い始めました。

 そのうちに、ラーメンが運ばれてきました。おじちゃんは、小さなお椀に、ラーメンをよそってやり、孫に渡します。今度は・・・
  「なんでこんなところに入れるの そのままがいーい じーじ、これ、ヤダ
 とダダをこねます。ここでお決まりの、老夫婦そろっての・・・
  「ごめんごめん

 ほんと、いったいこの「ごめん」は、何の「ごめん」なんでしょうねえ

 次は「まずい」と言って怒り(この「まずい」という、とんでもない言葉にも反応せず、おばあちゃんは叱りもせずにウンウンと聞き流し・・・)、「食べたくない」と途中で止め、お椀の中の麺をかき回して遊び・・・(お箸だって、きちんと持てていません!)
 
 私はもう、プッチンと来てしまっていて・・・何度も私の身体から幽体離脱?!したもう一人の私が、その男の子の席に行き、怒鳴っていました
 「ちょっとあなた もう一度、言ってみなさい 「まずい」って、何ていうことを言うの 世の中の食べ物に、まずいものなんてないのよ あなたの口に合わないものはあるかもしれないけれど、まずいものなんてないの 覚えておきなさい それに、あなたが食べずに遊んでいるラーメン・・・食べ物で遊ぶんじゃありません こうしている間にも、食べるものがなくて、死んでいく、あなたと同じ年の子ども達がいるのよ
 「おじいちゃまとおばあちゃまに謝りなさい 足がご不自由で、きっと杖をついて傘をさしながら歩くのはとても大変なはず。あなたも一度やってみてご覧なさい どうせあなたは、そんなことを考えもせずに、どんどんと歩いてきたんでしょう?お二人は、あなたのために、わざわざ雨に中を出てきてくださったのよ そんなことも考えることのできない頭なの?あなたの頭は帽子をかぶるためだけにあるのねえ しっかり、自分で考えてみなさい

 そして、幽体離脱した私の身体は、おじいさん、おばあさんにも怒鳴っていました
 「何を謝っていらっしゃるのですか?たった5,6歳の子どもに、こんな好き勝手なことを言わせておいて本当に良いとお考えなのですか?祖父母にも、教育、躾の責任はあるのです 年長者として、これから世の中を一人で生きていく孫に、教えてあげるべきことがたくさんありますでしょう なぜ、そういう責任を感じず、たんに甘やかすのですか?あなた達のかわいい孫が、物事を考えない、つまらない子どもでも平気なのですか?」
 「ものの道理を教えてやるべき大人が、こういして何もわからない子どもを好き放題させて良いのですか いけない時には、タイムリーに子どもを叱らなければ、子どもには「何がいけないのか?」は伝わりませんよ あなた達がやっていることは、祖父母としての責任放棄ですよ
などなど・・・

 どこの家でも、おじいちゃん、おあばちゃんは孫を甘やかし、教育、躾どころではありませんね
 今の時代、ひたすら、孫に嫌われないように、好かれるように、甘い甘い祖父母しか存在しなくなりました

 かわいそうなことに、現代の日本の子ども達は・・・
思慮が浅くて、我が子だけをかわいがり、自己満足の評価で、生まれたその時からおしっこも自分で出来ないオムツをした我が子を相手に「立派な一個の個性だ」と何でも認め、賢い子に育てるためにと知育ばかりにアンテナを張り、奨励するような両親に育てられ・・・そして、祖父母にも甘やかされて育つ・・・
 いったい、この子達は、どこで「まともな躾と家庭教育」を施されるのでしょう??? 

 結局、幽体離脱をしない私は、すっかり腹を立ててしまい、味のしなくなったランチをいただき・・・
 満面の笑顔で「ごちそうさまでした」とお店の方にごあいさつをし、店を後にしました。
 その祖父母と孫に、強烈な「イイカゲンニシロビーム」だけを送ることしかできませんでした
 お店でお食事をなさっていた方は、みな孫が騒ぐたびにギロリと一瞥していたので、多かれ少なかれ私と同じような思いを持たれた方もおいでになったのでしょう。

 私の娘は、「私、子どもが生まれても、絶対、ママには子どもを預けないわ だって、いちいち、すんごくうるさそうだもの」と言います。
 はっはっは 結構けっこう。それがイヤなら、完璧な躾を自分でしなさいよねと思ってしまいます。
 昔は「良い子」だった娘 すっかり脱皮?!を繰り返し、「良い子」はどこかに脱ぎ捨てられ、今は極々普通の大学生
 けれど・・・彼女が幼い頃は、私は本当にうるさく娘を育てました。
彼女が「母親」になった時、あらためて、その当時の「うるさい母の言葉の数々」を思い出し、しっかりと我が子に躾のできる母親になってもらいたいなあ、とひたすら願っています
 おばあさんになった私が、目くじら立てて孫を怒鳴らなくても良いように
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