まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

コロナと共存生活の子育て

2020年06月14日 | にこにこ
 コロナと共存する暮らし・・・ 手洗い、うがい、消毒、マスク、etc.etc. すべてに慣れてはきたものの、いつまで続くともわからないこの難儀に、時々、ふーっとため息をつきたくなってしまいますね でも、そのたびに、「ああ、いまこの時も、コロナと闘っている患者さん達がいる 昼夜を問わず、奮闘してくださっている医療関係者の方々がいらっしゃる」と思うと、ため息も愚痴も封印しなくてはいけないと思い直します。
 緊急事態宣言が出ている間は、国民全体が妙な興奮の中にあって、同じ方向に向かって黙々と進んでいるような気がしていたのですが、その宣言が解除され、様々な自粛生活が緩んでくると、今も患難の中にある医療関係者の方々のご苦労に思いを馳せ、感謝し、祈る姿勢が弱まっている・・・そんな気がしてなりません ワクチンもなく、治療薬もない、という状況に何らかわりがないのに、です

 ・・・と、そういう思いは、ちょっと横において。
この大変な時期に、幼児期の子育てをされている方々の数々のご苦労を思うと、心底応援したくなります 大人だけの暮らしでも、ひと手間、ふた手間も増えた難儀な暮らしです。そこに、なかなか説明をしても理解してもらえない小さな子どもがいて、その子、その子達を相手に、スムーズにこの暮らしに順応してもらう・・・きっと、時には「もー、イャダ、イャダ」と叫びたくなるでしょうね。
 どうぞ、そんな時のために「ちっちゃな幸せ」「ちっちゃな喜び」をご自分のために見つけておいてください

 私は今、62歳。
2人の子ども達は、すでに独立した社会人。まがりなりにも世間のお役に立てるように育ちました 私自身には、誇りの持てる仕事があり、自分のために使える時間がたくさんあります
 そんな私にも、子育てに孤軍奮闘し、髪をかきむしりたくなるような、叫びたくなるような、今の暮らしからは信じがたい大変な数年間があったのです。当時の私の夢は、駅前の喫茶店で(カフェ、と呼べるようなオシャレなお店ではありませんでした)一人でコーヒーを飲むことと、一人でゆったりとリビングでJ-WAVE を聴くこと、でした。けれど・・・実際の暮らしでは、朝からずっと教育テレビ(現在のEテレ)が流れ、リビングは息子と娘のオモチャで占拠されていたものです
 でもね、私の年齢になって、しみじみと思うのですよ あの大変だ大変だと歯を食いしばっていた時代は、思えば「わずかの期間」だった、ということを。そう、長くても7,8年間ではないでしょうか。
 そして、ママ、ママと心底、私を必要としてくれていた子ども達も、幼児期が過ぎれば、いろいろと手のかかることはあっても、毎日、どんどん「母親から自立する日、時期」に向かって成長していたのです・・・
 我が子を心底愛し、大切に思いながらも、時には「何とかしてー」「この手のかかる子を、わずかの時間でも良いから誰か預かってー」 そんなことを時々思っていた、子育て渦中には、子ども達の手が離れる日を楽しみにしていたものの、実際にそんな「母が自由になる日」がやってきて、子ども達の声が聞こえなくなり、初めて「あの日は、あの時間は、本当に尊い子育ての時間だったのだなあ・・・」と気づきます。

 with coronaの時代。 そして、これからやってくる梅雨の時期は、一層子育てにご苦労されることでしょう。でもね、母として子どもと過ごした時間、母として子どもに与えてきたすべては、必ず子ども達の血となり肉となります そして、成長した我が子が、言葉としての感謝にはならなくても、子どもの「心」に母の愛情は確かに根付くのです
 ああ、大変だ~と思う時のために、どうぞご自分への「おまじない」を作ってくださいね 「自分一人で飲むための高級な紅茶やコーヒー」「自分のためだけに使う、ちょっと贅沢な入浴剤」 ふふふ、何が良いでしょうね。今、ここに書いたのは、私が当時、求めていたものです 今は、こんなものは普通で、ちっとも特別でも贅沢でもないですよ、と笑われてしまうでしょうか
 昔の私は、そんな「おまじない」の効果には気づかず、ひたすら我慢することを強いて、疲労困憊していました こういう時間の遣い方、気分転換の仕方は思いつきませんでした
 「おなじないグッズ」で気分転換の時間を過ごせば、また子育てにがんばれる 仕事を持つママも同じです 子どもとの時間の意味は、長い短いで決まるものではありません。大事なことは「密度」なのですね。
 私は、私立小学校受験のための準備教室「幼児教室マナーズ」を開講していますが、働くママ達の子育てについては、小学校受験をする、しないに関係なく、「働くママ達・ワーキングマザーの小学校受験」や、教室のHP内の「働くママのみなさんへ」を役立てていただけるのではないか、と思います
 子育てに奔走するママ達、今日も明日も、がんばれー

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言葉かけの工夫

2020年01月10日 | にこにこ
 2020年がスタートしました いよいよオリンピック・パラリンピックイヤーです。
前回の東京オリンピックは、私が小学校1年生でした。赤のブレザー、白のスカートを買ってもらい、母の三面鏡の前をくるくると歩いて、一人で「入場行進ごっこ」をしたことをよくよく覚えています
 体操女子の選手に「チャスラフスカ」という選手がいました。しなやかで美しく、平均台の上で歩く姿に魅せられました 「チェコスロバキア」の選手でした。
 現在は、チェコとスロバキアという二つの国家になっていますが、当時の私は、何度も何度も「チャスラフスカ」「チェコスロバキア」を覚えるべくブツブツと唱え、いつかは行ってみたい!と思ったものです。
 きっと、今回の東京開催のオリンピックでも、幼い子ども達が「いろいろなことを感じ、想像し、考える」ことと思います。そんなことを考えただけでも、私はワクワクしてしまうのです・・・

 今朝、早い時間にコンビニに行きました。その途中で、路上でハトが死んでいました・・・かわいそうに、何があったのかはわかりませんが。どなたが片付けるのかな?とか、どこか行政に連絡をしたほうが良いのかな?などと考えながら通りすぎました。
 ものの5分ほど後、帰る時には何と!遠目にもハトのところにカラスがいることが見えました いやーな予感がしました。近づいていくと、カラスは私が側を通っても気に留める様子もなく、ハトをつついていました・・・ふっと上を見ると、ビルの窓枠にはもう一羽のカラスが止まっていて・・・祈りの言葉を頭の中で唱えながら歩きました。
 気になって振り返ると、ハトの側にはもう一羽のカラスが降りていて、二羽のカラスが見え・・・私は、「生き物が生きていくっていうのは、本当に大変なことなんだなあ・・・」と強く強く思ったのでした

 帰宅して、あらためて思ったのですが。
今朝のあの状況。私と同じように、もし幼い子どもの手を引いたママ達が通ったら、我が子にどんな言葉をかけるのだろうか?
 真っ白な子ども達。経験値の低い子ども達は、親やまわりのおとな達の言葉から大きな影響を受けます そして、かなり長い間、それが子ども達の価値判断材料になったり、その者(物)に対する思い、になったりするものです。残念ながら、親のほうはそれほど意識せずに、無意識に話したようなことであっても、子どもにとってインパクトがあれば覚えているものなのですね

 「まあ、あのカラスったら、いやーねー。だから、ママはカラスって嫌いなのよ ほんと、真っ黒で不気味じゃない?子どもの頃から好きじゃなかったのよね。」
 「カラスさんもお腹がすいているのよね。人も鳥も動物も、食べなければ生きてはいけないものだから。ハトさん、どうしたのかしらね。かわいそうにね
 どちらの言葉かけが良くて、どちらが悪い、ということを言いたいわけではありません。ただ、この2つのタイプの言葉を聞く側の子ども達は、明らかにそれ以降、カラスに対するイメージは違ってくるでしょう。
 そして、この言葉から子ども達自身が、続けて思考を発展させていけるか、それで終わってしまうか、という面では違ってはくるでしょうね。

 「考えること」「考えを発展させていくこと」は、幼い頃から習慣にすべきこと、だとしみじみ思います
 これほど情報の多い時代で生きる子ども達だからこそ、自分で物事を考えることなく、付和雷同的に行動した結果、思わぬ展開に巻き込まれてしまったり、自分の意思とは全然違う方向に行ってしまった・・・などというようなことも起こってくるのではないか、と思うのです。そして、そんなことになってしまった場合には、「どうしてこんなことになったのか?」の説明さえ、自分で理解できない

 2020年、今年もまた、たくさんの大小様々なことが身の回りで起こるにちがいありません。私もそのたびに、脳ミソに鞭打って、一生懸命に考えていきたいと思います
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新しい時代!子どもを変身させましょう!

2019年05月01日 | にこにこ
 令和の時代を生きる、子ども達へのメッセージ 

 平成の時代が終わり、令和の時代が始まりました
4歳、5歳、6歳というあなた達は、まだちょっと小さいので、あまりこの意味はわからないかもしれませんね。
 ただ、今年お正月を迎えた時に、パパやママに教えてもらった言葉「明けましておめでとうございます!」と言って、新しい一年が始まった…という時よりも、ずっとずっともっともっと新しいことが始まったのですよ。こう言えば、少しだけはわかってくれるかな

 今日は、新しい「令和(れいわ)」の一日目。せっかく、新しい時代が始まったのだから、あなた達も令和の時代に生きる「新しいあなた」に変身しましょうよ
 平成の間、ちょっと「困ったちゃん」だったところは、新しい令和にかわるこの時にポイっと捨てて、変身した「本当のおりこうちゃん」「本当の良い子」に変身してください!

 もし、あなたが…
 いつもぐずぐずお支度をしたり、ぐずぐずご飯を食べたりする、時間を大事にしない子だったら、明日からは気持ちよくさっさとお支度をし、食べ物に感謝しながら美味しくご飯を食べる良い子になって下さい
 一日は24時間、です。これは、地球の上のすべての国の人達、みんなに与えられた同じ長さの時間です。ぐずぐずする…ということは、その大切な時間を大切にしていない、ということ、なんですよ。
 だから、どうぞこれからは「時間を大切にする賢い人」になって下さい。

 もし、あなたが…
 自分の気に入ったこと、好きなことは喜んでするけれど、自分の気に入らないこと、好きじゃないこと、苦手なことは「したくない!」「しない!」という子だったら、明日からは、どんなことにも一生懸命にがんばる良い子になって下さい
 大きくなる、ということは、あなたの「好き、嫌い」「出来る、出来ない」「得意、得意じゃない」ということで「すること」を決められなくなる、ということなのです。あなたのお父さんやお母さんは、「今日はお仕事をしたくないから、休むよ!」と言ったり、「これは苦手なことだから、こういうことはしたくない!」などと言っているのを聞いたことがありますか?本当は、お父さん、お母さんだって、したくないこと、得意じゃないこともあるはずです。でも、そういう理由で、「する、しない」を決めてはいません。
 だから、どうぞこれからは「どんなことにも一生懸命に取り組む真面目な人」になって下さい。
 一生懸命にがんばることは、本当に素晴らしいことです。もし、がんばったけれど上手くいかなかったとしても、それは悪いことではありません。また、次にがんばるチャンスができたのだから。

 もし、あなたが…
 すぐに腹を立てたり、癇癪をおこしたり、泣いたり、自分にとって不都合なことがあったらプッとふくれっ面になる我儘な子だったら、明日からは、どんなことも「これは、私が素敵になるためのお勉強」と思う良い子になって下さい
 我儘な子は、我儘な大人になります。我儘な子も、我儘な大人も、まわりの人に嫌われて、悲しい思いをすることになります。人から好かれないということは、そこに「あなたがいても、いなくても誰も気にしない、あなたはいてもいなくてもどうでもよい人」ということです。そんなに悲しいことはありません。
 だから、どうぞこれからは、「誰からも愛される、穏やかな人」になって下さい。

 もし、あなたが…
 お父さんやお母さんにえらそうな口をきいたり、叩いたりするようないけない子だったら、明日からは、お父さんお母さんを大切にする良い子になって下さい
 あなたは、まだ小さな子どもです。知らないこと、出来ないこと、わからないこともたくさんあるのではありませんか?お父さんやお母さん、まわりの大人の人達は、本当にたくさんのことをあなたのために、子ども達のためにしてくださっています。そういうことを、あなたは知らないのです。
 いつか、あなたも大人になります。そして、お父さん、お母さんにもなるでしょう。今、あなたがお父さんやお母さんを大切にしないダメな子どもだとしたら、間違いなく、あなたが大人になった時、あなたも自分の子どもに愛してもらえない寂しい親になりますよ
 お父さんやお母さんほど大切な人はいません。どうぞこれからはお父さん、お母さんを大事にする、「優しい人」になって下さい。

 もし、あなたが…
 お行儀が悪かったり、汚い言葉を使う困った子だったら、明日から正しく美しい日本語を話す、お行儀の良い子になってください
 お家から一歩外に出たら、たくさんの人があなたを見ています。あなたは、いつも「この子はどんな子なのかな?」と見られているのです。お行儀の良いあなたは、とても素敵です。
 そして、あなたの話す言葉は、あなたの心、なのですよ。日本人として、正しく美しい日本語を話す人になれるように、毎日、言葉を大切にしましょう。言葉を大切にすることは、あなたの心を磨くことです。ピカピカに磨かれた心は、あなたをもっともっと素敵に、格好よくしてくれます

 もっともっと、賢い子になりたいあなた達にお話をしたいことがありますが、それはまた別の機会にしましょう。
 もう60歳を過ぎた私でも、毎日、毎日、もっともっと良い人、もっともっと賢い人、もっともっと素敵な人になろうと思い、がんばっています
 あなた達のお父さんもお母さんも、きっと同じです。
 決して疲れることのない子どものあなた達は、私よりもずっとずっとたくさんがんばれます ダメダメな大人の真似をして、「疲れた~」なんて言ってはいけません。

 今は幼いあなた達も、毎日毎日、どんどんいろいろなことを感じ、考え、学び、大きくなっていきます。なんて素敵なことでしょう。この新しい令和の時代は、大きく成長していく「あなた達が担う時代」なのですもの

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人と人とがふれあうこと

2017年01月22日 | にこにこ
 「知らない人に話しかけられたら、お返事をするのはダメよ
 「ニコニコ話しかけてくる人は、コワイ人かもしれないから、気を付けてね
 これが、現代、世間一般の「都会の子育」ての定番なのだと聞きました。何とも悲しいではありませんか・・・
 飛躍した論理かもしれませんが、要するに、知らない人は悪い人なのかもしれないから、関わってはいけません、ということですね 

 私は仕事がら、町中でも子どもの様子がすぐに目に入り、そして、大阪生まれの血でしょうか、すぐに誰にでも気軽に声をかけます 
 たとえば、妹の手を引き、一生懸命にママが押すベビーカーの後ろを必死に早足で歩いていく4,5歳児を見ると、その親子を追い抜く時に「あなた、おりこうちゃんねえ 立派なお兄ちゃまだわ。ほめてもらってね」とか・・・
 ランドセルを背負った小学校低学年の子どもが、道端で一生懸命に何かを見ている様子に出くわすと、「ねえねえ、何を見てるの?何か面白いもの、見つけたの?」とか。
 一つ目の例の場合は、そこにママがいらっしゃるわけですから、さすがに大人であるママは私の言葉を聞いて警戒心を見せることはなく、むしろ、ハッと後ろを振り向き、我が子二人の様子をあらためて見て、私に会釈をしてくれたりします
 でも、ここ数年、あきらかに後者のような例の場合、子ども達の対応は違ってきたと思います

 以前は、同様のシチュエーションで声をかけると、大抵の子どもは「〇〇を見てるの」と返事をしてくれました。ある子は恥ずかしそうに。ある子は嬉しそうに。
 中には、おーよくぞたずねてくれましたとばかりに、堰を切ったように説明をしてくれるちょっぴりオタク的な子どももいたりして・・・本当に子どもっていいなあ、と思う時間でした
 ところが、今は多くの場合、固い笑顔を残し、さっとその場を立ち去ります。もちろん、こんな時には、いろんな意味があってそうすることと思います。思わず時間を忘れて没頭してしまったことに気づき、我に返って慌てて家路につく、という場合もあるでしょうし、没頭していた自分をちょっと恥ずかしく思い、羞恥の心理で早々に立ち去りたいと思った場合・・・ でも、明らかに「知らない人に、親しげに声をかけられてしまった。おお大変」という様子の子も少なくありません。

 確かにこんな時代です。子どもの「警戒心」を育てることは、本当に大事なことなのだとも思います。
でもその一方で、多くの親達は「子どもの優しさ」「優しい心」をも育みたいと思っているわけでね・・・ そうであれば、人を見て「警戒心」が前面に出るようなリードでは、人に対して優しい言葉かけをする、とか、優しい心からの思いやり、というものは育ってはいかないでしょう

 人と人とがたとえ一瞬でも触れ合うこと。
ふっと和む言葉をかけたり、かけられたりすること。
 それは、本当に素敵なことですね。そう思いませんか?

 悲しいこと、辛いことがあって、長い時間をかけてお友達に話し、そして、長い時間をかけて慰めてもらったり、チアアップしてもらったり これも素晴らしいことです。
 でも、それほど親しくない人の、ほんの短いひと言に心和んだり、救われたりすることもあります それは、その相手とたとえ短い時間でも、人と人として向き合ったから、でしょう。

 土曜日の早朝。その日は、いつもの土曜日よりもずっと早い時間に私は家を出ました。歩いている人もまばら。
いつもの大きな交差点、信号を渡り始めると、歩行者用信号の青信号が点滅を始めました。私はびっくりして、走り出しました
 すると、反対側から走りながら渡ってきた人とすれ違う時、「走ろう」と声をかけられたのです。すれ違う瞬間、その人の笑顔が見えたように思いました。「走ろう」の声は、すれ違ったあとで遅れて聞こえてきました。
 「走ろう
「走れ!」ではないのです。私に「走れ!」と言ったのではないのです。
 走ってきたその人は、走っている自分に対しても、走りだした私に対しても「さあ、走ろう もうすぐ信号が変わる。渡りきらなきゃね」私にはそのように聞こえました。
 私は、何という気持ちの良い朝一番の出来事だったことか・・・と、本当にほのぼのとしました

 世知辛い現代社会では、子どもの人懐っこさは表裏一体であることよくわかります。
でもね、人と人とが触れ合って、相手を警戒するのではなく、相手を思い気持ちを持てば、そこに尊い空気が生まれ、そこから「優しさ」が育まれるということを、やっぱり、子育てをしている親だからこそ、知っていてもらいたいな・・・と心底思っています・・・
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母の「置き換えられた記憶」に思うこと

2016年04月15日 | にこにこ
 ここ10年、私は毎月、必ず二泊三日の帰省をします それは、両親との間で決めた約束だから、でもあります。
 大阪の郊外で暮らしていた両親。私も結婚するまでの13年間をその家で暮らしました
 アメリカへの短期留学ですっかり有頂天になり、「アメリカかぶれ」になっていた頃には、庭にデッキチェアを出して読書をしたりていましたし・・・両親もお客様を招いて庭でバーベキューをしたりしましたし・・・私の子ども達が幼い頃は、父が用意をしてくれた小さなお砂場やビニールプールで遊ばせたり・・・もしました。
 私が中学生の頃に植えられた庭の木々も、いつしか立派な木に育ち、四季折々の美しい姿を見せてくれる広いお庭でした
 けれど、若年性のパーキンソン病を患う父の症状が進行するにつれ、庭の世話も難しくなり、バリアフリーとは無縁のその家そのものが、両親の暮らしを脅かすようになっていきました。玄関から家までの階段で父が転んだり、飛び石に蹴躓いたり・・・父の自慢だった家も庭も、すべてが住み難さのかたまりのようになっていきました
 そして10年前、両親、特に父は断腸の思いで大阪のど真ん中の高層マンションに移ったのでした。その時の条件、約束が、「伊丹や新大阪から近い町の真ん中であれば、私は楽に帰省できるでしょ 飛行機や新幹線で大阪に着いても、その後、電車を乗り換えて1時間以上もかかるようでは、すごく効率わるいもん。中心に引越せば、私は毎月、帰ってくるよ」でした。

 さてさて。
その毎月の帰省によって、私と母の距離は一気に縮まりました。ってことは、以前は母子に距離があったの?ということですが、いやー、そうだったんです。
 昭和の好景気の中、父と共に小さな企業を創業した母にとって、「一番大事なこと」は、長年ずっと「会社を守ること」でした
 母は、決して口に出して「一番大事なのは仕事」とは言いませんが、一人っ子でもあり、常に両親を客観的、そして冷静に見ていた私には「自然と見えること」がたくさんありました。
 私にとっては不都合なことであり、あまり幸せとは言えないことであっても、それが事実、現実であれば甘受するしかなく、そしてその状況の中で上手く生きていくこと・・・それが私に課せられた「私の暮らし、私の環境」です それを嘆くことは、自分の暮らしを自分でつぶすことだと思っていた私は、文句はありませんでした。
 両親が私が小学校2年生の時に起業して以降、結婚して家を離れるまでの18年間、仕事中心の暮らしをしていた母との間では、あまり「母と過ごした、話した」という記憶がありません
 でも、そんな母の心の中には自分の描く「理想の母像」があったのです。母とはこうあるべき、とか、こんな母が素敵な母だ、という・・・
 そういう母のイメージする理想の母像は、母の実生活とは大きくかけ離れた「24時間体制で、子どもに目をかけ、手をかけて育てる母」でした。
 「おかえりなさ-い」と我が子を迎え、手作りのお菓子をおやつに出してあげる・・・一緒におやつを食べながら、我が子のその日の学校の様子を聞き、談笑する・・・
 そんなことは絵に描いた餅であり、実際には専業ママの家庭でも、こんなドラマのような暮らしなんてあり得ない でも、状況的にそんな暮らしが出来ない母からすると、もし自分が仕事をしていなかったら、私は間違いなくそういう母親の理想像通りの暮らしをしていたに違いない、という思いが強かったのでしょう。

 母が一度も口に出して「仕事が大事」と言ったことがないのは、そういう「仕事を大事にする母親」は、自分の思い描く理想の母親ではなかったから、なのです。私は幼い頃から、そのことに気づいていました。
 そして、「私は仕事を一番大事にしているのよ」と母が自信を持ってそう言ってしまえば、ずっと母自身も私も楽になるのになあ・・・と、ずっとずっと思っていたのです・・・
 なぜなら、私は「社会人としての母」を尊敬していましたし、自慢でもありましたし、そんな母の背中から、とてもとても多くのことを学び、真似て、今があります。それに、母の愛情はきちんと感じられていたのですから。
 これは余談ですが、私は子育てをしている間、自分の子ども達には社会人としての自分の顔をしっかりと見せてきましたし、そういう顔に誇りを持っていることも伝えてきました。これは、母と私の関係からの「反面教師」だったわけです。

 話を元に戻しましょう
そうです、私と母の距離が近づいたのは、母と二人の時間が長くなり、いろいろなことを話すようになったから、なのですが、そんな中でとってもおもしろいことに気づきました
 それは、ことごとく「母の記憶が改ざんされている」ということ、なのです。
 つまり「仕事が一番大事だった母」が長年してきたことや、言ってきたこと、何らかの出来事での記憶の中で、少し思い出すには辛い記憶や悲しい思い出などは、母の都合の良いように、母が思い出した時に気持ちの良いように置き換えられている、ということなんです
 たぶん、自己防衛本能が働き、いろいろな自分にとっての嫌な記憶や不都合な記憶をすり替えることで、母自身が安心できたり、納得できるようになっている・・・

 たとえば。
仕事を優先したために、私との固い約束を果たせなかった記憶は、本当は私が前日から体調不良だったために、体調をおもんばかった母が断腸の思いで中止をした、ということになっていたり・・・約束の手料理をふるまえなかった記憶は、ケイタリングのほうが見た目も豪華だからと以前から私が言っていたから、とか・・・
 記憶力の良い私は、いろいろな思い出をものすごく細部まで覚えています その時に着ていた洋服や、その場面の場所や空気などなど、すぐにでもよみがえってくるのです。
 娘としての私の根性が根っから悪くて、母を責めるために私のほうが、母に不都合なように記憶や思い出を意地悪くすり替えた、ということはないのです、はっはっは。
 私は、今さらブログにこんなことを書き、母への恨みを晴らしたい、なんて気は毛頭ありません 私はさっきも書いたように、心から「私の母」も「社会人としての母」も尊敬していますし、誇りに思っていますから。
 ただ、理想と現実の中で葛藤を繰り返したであろう母の長い年月を思うと、気の毒でならないのです 自分の描く母の理想像からかけ離れた現実を受け入れられず、一人で悶々としたり、自分を責めたり、時には父や他の人達を責めたり・・・ こんな「辛い」「悲しい」マイナスの時間は必要ないですよね

 現代は、特に都市部では「働くママ達」が多数を占めるようになってきました。私の教室でも、8割以上がお仕事を持ったお母様達です。
 そういうママ達が、社会からの目や批判などではなく、自らの意識の中で不必要な引け目を感じたりすることは、本当につまらないこと、残念なことです
 仕事を持っている自分に「自信と誇り」を持ち、むしろ、その姿を堂々と、気持ち良く、子ども達に紹介するような心意気を持って、毎日の子育てに勤しむ事・・・素適だと思うのですよね
 増やすことの出来ない時間に嘆いたり、変えることの出来ない状況に嘆くよりも、その状況、環境の中で、精一杯のことを心を込めてすることが、真の愛情溢れる子育てだと思えてなりません。

 変わってしまった母の記憶をもとに戻すことは不可能です
 何となく違和感があって話しますが、もう今となってはそんな母の記憶も苦笑して済ませられるほど、私も年をとりました。
 でもねえ、記憶は塗り替えられるよりも、やっぱり真実のままのほうが尊い、と思うのですよね

 



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