まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

楽しむ、楽しい、という感情

2015年01月08日 | にこにこ
 「楽しくてしかたがなかった」「本当に楽しめました」青山学院大学の初優勝に終わった今年の箱根駅伝。駅伝翌日の4日、5日、6日と、日本テレビ系列のチャンネルでは、何度も青学の監督とランナーの姿を目にしました。
 そんな彼らの口から頻繁に飛び出した「楽しかった」という言葉。たぶん、10区間を走った全員が、マイクを向けられた時、1度はこの「楽しい」という言葉を発したはず、です。

 私は、ここ数年、スポーツ選手から多くこの「楽しい」という言葉を聞くようになった、と感じていました。スポーツ選手というものは、古今東西を問わず、基本的にはどんなスポーツの選手であっても、毎日苦しい練習を積み上げ、その成果、結果として立派な成績を残していくものなのではないか、と思っています。
 今ではすっかり運動から遠ざかり、文系人間になってしまった私ですが、50歳になったのをきっかけに、トライアスロンに挑戦するぞと決め、0からクロールと自転車を習い、一応は複数回、オリンピックディスタンスのレースは完走しました
 さすがに、レースに挑戦していた時には、ランニング練習を欠かさず、頻繁に泳ぎ、大井ふ頭でバイク練習もしました。
スポーツ選手と比較にはなりませんし、そんなことをしたら非難ごうごうになりそうですが それでも、真面目に頻繁に練習をしていた当時は、多摩川べりを走っていると、「このまま、いつまでも気持ち良く走れる気がする」と思ったり、プールの中では勝手に手足が動き、息継ぎをすることも無意識でしたし、風を切って走るバイク練習は気持ち良く、坂を登って必死な時も、「この登りを制すれば、あとは気持ち良く下れるのだ」とわくわくしたものです。

 おっと 話を戻さなくてはいけません。
じつは、本来の性格が生真面目な私は、オリンピックやワールドカップクラス級のスポーツ選手達が、試合後のインタビューで「そうですねえ。すごく楽しめました」というようなコメントをすることに違和感を持っていました。「君達は日の丸を背負って出場しているのならば、楽しむとか楽しいなんて感情や言葉は不謹慎だ」なんてね。

 でも、今回、青山学院大学の10人の選手達が「楽しくてしかたがなかった」と表現していたように、苦しい練習を積み、抜擢され、ひのき舞台で自分のイメージ通りに力を100%発揮している!と実感できている時は、本来は「笑いが止まらないほど楽しいのではないか?!」と思えるようになってきました たとえ、母校の襷というプレッシーの中であっても、過度な優勝への重圧をかけられることなく、のびのびと自分の持てる力を発揮できているという状態・・・楽しいのでしょうね

 箱根駅伝に限って言えば、10区間の特性を考えた上で、その区間にフィットした選手を監督が吟味し、抜擢をする、ということ自体、その選手、そのランナーの走りや人となりを「認めている」ということ、ですね。その10人のランナーは、監督から一人一人の「個、ありのまま、特性」を認められた上で、「がんばってこいよ!」と背中を押されている・・・
 そして、ケガでの故障を乗り越えたり、辛く厳しい練習を積み上げたり、十二分に努力をした選手達は、認められ、ステージにあがっている・・・
 やっぱり、楽しいのですね。決して不謹慎なんかではなく、十分な努力の上の「その瞬間、その状況」がすこぶる楽しいのでしょう

 つい、どんなことでも自分の仕事に重ね合わせて考えてしまいますが、この「楽しい」と言い続けた青山学院大学の駅伝選手達と監督の姿は、親と子の関係にも置き換えることができる場面が多々あるのではないでしょうか?
 過度の期待やプレッシャー、我が子の適性を考えない親、我が子を認めず、常にないものねだりをする親・・・18歳から22,3歳の駅伝ランナー達がそうであったように、3歳から6歳の子ども達も、ひたむきにがんばっています。
 中学受験に向かう12歳も、高校受験に向かう15歳も、大学受験に向かう18歳以上の子ども達も、やっぱり、がんばっているはず。

 ひのき舞台に上がる時。心地よい緊張はあっても、辛さや頑張りを経験したからこその、すべてを突き抜けたからこそ味わえるような「楽しさ」がある・・・素敵ですね


コメント
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