まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

最近、驚いたこと

2014年11月30日 | プンプン
 あるイヴェント会場でのこと。
美しく色づいたイチョウ並木は、人で溢れ返っていました ひと月前、紅葉にはまだ少し間のある時期に訪れた時には、何とも趣のある通りだ・・・と、のんびりと眺めることができたのですが・・・

 恒例のイヴェントでは、今年もたくさんのお店が並んでいました。全国各地の「おいしいもの」を紹介するお店は、どこも大行列。やっとお目当てのものをゲットするのにも一苦労です。
 私は、ある列に並びながら、混雑した会場を眺めていました。すると、2歳を少し過ぎた程度の小さな小さな女の子が、なかなかのスピードで歩き、その後ろをイヴェントスタッフのジャケットを着た中年の男の人が困った表情で追いかけている?ついて歩いている? 何とも不思議な光景でした。

 幸か不幸か食べ物にありつくまでには、まだまだ時間があったので、その興味を引く光景を引き続き眺めていると、どうもそのチビちゃんは迷子らしく、そのスタッフが抱っこしようとすると大泣きをし、仕方なく、その人は彼女を自由にさせている・・・らしい
 そのうちに、通りかかった女性グループが「やだあ、まだ親が見つからないのねえ・・・あの人、まだあの子の相手をされてるわあ」と話していたので、この奇妙な鬼ごっこは、かなり長い時間、続いていることがわかりました。

 私がその様子を見始めてから5分以上経った頃、一人の若い女性が近づいてきました。
「こんなところにいたんじゃない どこ行ったのかと思っちゃったわよ。」その言葉から、彼女はそのチビちゃんの母親だと想像できました
 でもね、彼女はその後、私にとっては、本当に意外な言葉を発したのでした
「私、向こうの〇〇に並んでたんです。もう、すんごい列で・・・まいったわあ。こういうイヴェントって、子ども連れが多いじゃないですか。そんなこと、わかったことなんだから、親子で並んでる人を優先にするとか、並んでる間、子どもを見てくれるスタッフを用意するとか、そういうことを考えてもらわないと・・・次回から、お願いしますよー

 私は一瞬、この人は何を言っているのだろう???と、完全に度肝を抜かれてしまいました。
 そして、やっとその驚愕から思考がもとに戻り・・・この人は「お世話をおかけして、申し訳ありません。私がその子の母親です」とか「すみませんでした。その迷子は私の娘です」のような、詫びの言葉、感謝の意を表しただろうか?と、まじまじとそのママをあらためて眺めてしまいました。正直・・・宇宙人を見る気分でした

 百歩譲って・・・このイヴェントに「アンケート」があり、今後の参考意見として、良かったこと、困ったことなどを書き、残していけるのであれば、彼女が発した言葉は、「一つの貴重な意見」として、立派に意味を持ったことでしょう。この人が言った通り、子ども連れの客が多いのは事実ですからね。

 でも・・・この場合、この母親が迷子になった我が子を見つけ、預かってくれたスタッフに対し、真っ先に言うべきことは自分の意見ではなく、「すみませんでした」であり「ご迷惑をおかけしました」であり「お世話になって、ありがとうございました」だと思います。それが、社会人としての、親としての礼儀であり、常識だと思います

 世の中、いくら時代がかわっても、もちろん、こういう母親ばかりではないことは、重々承知しています でも、やはり「自分のことしか考えていない」母親が増殖していることは事実です 
 自分の子どもがかわいい(他人の子どもよりも)、なるべく楽に子育てがしたい(子育ての苦労は避けたい)、こういう気持ちはいつの時代も同じです。でも、それでも尚、一歩家から外に出れば、多くの人達の中で自分が、自分の子どもが生きていることを忘れてはいけないでしょう。
 少なくとも、親として見られている自分、子どもの手本となるべき自分、であることを、常々意識していれば、きっと過度の我がままや暴言や愚行は、自然と避けられるのではないか、と思っています

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品性、品格、考えさせられました。

2014年05月28日 | プンプン
 今年もホノルルトライアスロンの応援に行ってきました お天気にも恵まれ、すこぶる楽しい大会でした。

 さて、そのホノルルに到着し、飛行機を降りる時のこと。私は、何とも言えない情けない気分になったのでした
 それはね・・・
すでに機外に降りていった乗客達の「座席の汚さ」を見たから、です。
 枕は床に落ち、膝掛けのブランケットはくちゃくちゃ。使ったヘッドフォンは座席から落ちかかっていたり、座席前のポケットから半分飛び出してぶら下がっていたり・・・
 空っぽのペットボトルは座席に置き捨てられ、機内用のスリッパはあちこちに散らかっている・・・

 ホノルル空港到着のアナウンスで、もう気持ちはすぐに機外に向き、一刻も早くハワイの空気を吸いたかったのかもしれません。ナイトフライトで疲れた身体では、自分の座席を整える気分など微塵も生まれなかったでしょうか
 でもね・・・ほぼすべて、というほどの空っぽの座席の状態があまりにひどく、私は本当に泣きそうでした

 どうしてブランケットをたたもうと思わなかったのしょう?たたんだとしても、ほんの30秒ほどですよね。
 席を離れる時、たたんだブランケットの上に、ポンと枕を置くことは大儀ではないはず。ペットボトルだって、ちょっと持って出て、ゴミ箱に捨てればいいだけ。使ったスリッパも、座席下に揃えて置くなり、捨てるなり・・・

 私は、よく教室の生徒達に話します。
「あなたは、人から見られているのよ」と。幼い頃から「人の目を意識する」ことによって、自分の行い、言動に気遣うようになるから、です。
 わずか4歳、5歳の子どもだって、お利巧な子ども、賢い子ども、かっこいい子ども、というふうに人から見てもらいたい、という欲求はあるのですよ
 こういう意識によって「正しい行い」「きれいな言葉遣い」「美しい所作」は育っていきます。それが、ひいてはその子の「品性、品格」として育っていき、知らず知らずのうちに、恥ずかしい行為、みっともない行いに対する羞恥心や嫌悪感が生まれます

 誰が見ていなくても、誰がほめてくれなくても、自分の使った座席をきれいにして、その場を離れられる品性の高い人が、増えてくれればいいなあ、と心から思いました
 JALやANAの機内は、さすが日本人そう思ってもらえる、日本古来の高い品格、立派な文化が若い子ども達に受け継がれていくこと・・・子どもを育てる親、大人には、その責任があると思っています

 


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パパ、しっかりして~!

2012年12月18日 | プンプン
 今朝、ニュースを見ていると「しつけアプリ」というものが出てきました。
詳しいシステムはわかりませんが、何らかの方法で、お母様のスマホに、「タイミングよく、鬼から電話がかかってくる」というもの、です

 たとえば・・・「お風呂に入らない」とか「歯磨きをしない」などと言ってグズグズと文句を言い、自分のmust をなんとか回避しようとしている子どもがいたとします。すると、その子のそばに置いてあったママのスマホが鳴ります
 ママが電話に出ると、鬼が話すのです。
  「コラ~ ママの言うことを聞いていない子はいないかあ

 いやいや・・・私は感心してしまいました。
こういう「おどし」に大賛成か?と問われれば、残念ながら「NO」ですが でも、こういうアプリを作ろうと思いつき、そういうシステムを考え、しっかりと企業として利益を生んでいる・・・すごいですねえ。アッパレです

 ニュースの中の映像ではありますが、まあ、おかしいくらい、グズグズ言っていた3歳前と思しき女の子が、電話が鳴ったとたん、飛び上がって驚き、恐れおののいて大泣きし、「ママのいうごろぎぐ~(いうころ 聞く)・・・」となります めでたし、めでたし、ですね、ママとすれば
 何度も同じことを言って怒鳴らなくてもいいわけですから、ご自分の精神衛生面でも救いです。何も、ママ達だって四六時中、ぐじぐじと文句を言っていたいわけではないのですものねえ。

 まあ、幼稚園の年中児以降になれば、「鬼から電話」という何ともコメディーチックなことは、非現実的だと何となく気づいてくるのでしょうが、2、3歳児には効果てきめんのようでした

 ただね・・・
そのニュースの中でも、何とも言えず「不甲斐なく映っていたのがパパ」です
それに、そのニュースのナレーションでは、はっきりと「毅然と叱れなくなったパパ」とか「父権が失墜している」とか言われているのです。

 パパ達。がんばってくださいよ
鬼に脅させて我が子に躾をするようでは、パパの沽券にかかわりませんか?

 「パパなんて、ゴロニャ~ンって猫なで声を出したらイチコロよ!」なんて、ティーンエイジャーになった娘に言われたいですか?
 「オヤジなんて、屁でもないよ。俺に怒れるわけないしさ。」
なんて、同じくらいの身長になった息子に言わせておいて良いのでしょうか。
 
 子どもの小さな頃に「しっかりと毅然としたパパの姿を見せて」おかなければ、成長してから急に「父親風を吹かせて登場」しても、何の権威も感じられないでしょう

 怒鳴っても、時にはお尻をピシッとぶつことくらいはあっても、父には家長としての態度は必要です 三つ子の魂、百まで。三つでパパを「パパはちょろい」と思われてしまってはいけません


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大きな声で叱りませんか。

2011年05月01日 | プンプン

 「何やってんだー コラ待てー ほんとにあんたって子は、どうしてこんなにやっちゃいけない事ばっかりするんだろうねえ、逃げ足だけは速いんだから
 下町のお母さんが、こんなふうに大声で怒鳴り散らしながら、ほうきを持ってガキ大将の息子を追っかける・・・むかーし子どもの頃に見たテレビドラマの一こまです。昭和のドタバタホームドラマ・・・というところでしょうか

 こんなドラマの中の情景を思い出しながら考えてみると、最近、子どもに大声で怒鳴る、叱りつける母親の姿を見かけなくなりました
 電車の中、デパート、スーパー、いろいろなところで昔と変わらず「駄々をこねる子どもの姿」「泣き叫ぶ子どもの姿」を見る事はありますが、案外そういう場面で見るお母様の姿はみな一様に冷静で、ほとんどの場合、皆さん「静かに子どもに語りかけている」ように思えます。その様子は、叱る、というよりは、「叱っているパフォーマンス」にも見えてしまいます
 中には、完全に無視をして、全く我が子の悪事、大騒ぎを意に介していない様子の強者のお母様もいらっしゃいます。子どもが騒いだり、泣いたりしている横で、平然とメールを打っていたり・・・

 やっとお座りできるようになった赤ちゃんが、ティッシュの箱の前に座り、うれしそうにピュッピュッとティッシュを抜いています。出せば自然に次のティッシュが飛び出してくる・・・赤ちゃんにとっては大発見 「引っ張り出せば、次のティッシュが出てくる」ということを学習をします。
 
 幼い子どもが、自らの経験、体験を通して様々なことを学んでいくことは、それはそれはすごく意味のある事です 音を立てて、脳が働いている・・・
 しかし、だからと言って、この『ティッシュ出し』は良くない事。遊ぶ道具ではありません。そこで、お母様は叱ります。本当に恐い顔をして・・・
 「どうしてこんな悪い事をするの ダメじゃないの ティッシュがもったいないでしょ もう絶対してはいけません
と大声で注意します。
 赤ちゃんにすれば、大発見をして驚喜し、ご満悦で遊んでいたにもかかわらず、鬼のような形相のママに大声で叱られ・・大泣き

 0歳児であるこの赤ちゃんには、理屈などは通じません。ママが言った「こんな悪い事」も「ティッシュがもったいない」の意味も、実際には通じていないのです。
 ただ、いつもやさしいママが、確かに大声で恐い顔をして怒っている・・・この事実は赤ちゃんにとって衝撃であり、その衝撃は「ママが恐い顔をして、大声で怒鳴った」という記憶として残ります。

 この子は、たぶん二度と『ティッシュ出し』はしないでしょう。ティッシュの箱を見つけた時、当然おもしろかった記憶「引っ張れば、次のティッシュが出てくる」というおもしろさが甦り、またやってみようか、と思うでしょうね 
 しかし、そのおもしろかった記憶を思い出すと同時に、恐かった「ママの形相と声」も思い出されるのです

 幼い子供達は、理屈ではないところで「いけない事をしたんだ」「いけない事をしたからママに叱られたんだ」というふうに「罪の意識・罪悪感」を学びます。
 きゃー・・・これはおもしろそうだなあ・・・と思っても、気持ちのどこかにパパやママに叱られた時の「恐かった思い・嫌な思い」が甦り、こんな事をしたら、きっと大変なことになってしまう・・・という気持が生まれるのですね。そして、禁止されていることはしない、という意識が育ちます

 ここ10年ほどは、「叱る教育」は罪悪のように言われてきました。
「ほめて、伸ばす」の全盛期だった、と言えるでしょう。だから、世の中のパパ、ママは、子ども達にとっての「お友達のような存在」に成り下がり(と私は思っています)、ある意味ではなめられ、うるさいだけの人となり、何の影響力も与えない庇護者になってしまった・・・ 最近では、「大人を自分と同等に見ている子ども」の多いことに驚かされます。

 話を「叱る」にもどしましょう。
確かに、たとえ小さな子ども相手にでも、0歳児のような何も理屈が理解できないほど小さな子どもでなければ、必ず、頭ごなしに叱る、怒鳴るのではなく、きちんと「叱る理由を伝える」「叱られる理由を理解させる」ことは大切なことです
 しかし、公共の場で騒ぐ、社会のルールに反する行為をしている、何か危険なことをしている、のように「禁止」をさせなければいけない時には、そんな悠長なことは言っていられません
 まずは、「止めさせる事が先決」であって、なぜ止めないといけないかを子どもに「伝えること」「説くこと」は二の次です。
 
 叱る側がきちんと「叱る理由」を伝え続ければ、なぜその行為がいけないか?という事はわかるようになります とは言え、小学校に入るまでの幼い子供に、理路整然とした説明から「罪の意識」を育てることは大変むずかしい事です。

 「叱る」「諭す」「説く」これは人に何かを理解させる時に使う方法です。しかし、幼い子どもを相手に、スマートに「諭す・説く」だけでは、禁止は出来ません
 電車の中でいつまでも「座りたい、すーわーりーたーいー!」とぐずぐずと文句を言う我が子に・・・
 「〇〇ちゃん、だーめ。そんなこと言っちゃダメよ~ ほら、見てごらんなさい。お席、空いていないでしょう?」
 などと笑顔で上品に言っているお母様を見ると、
 「ねえ、お母さん、あなた、間違ってません?なにをここで上品ぶってるんですー?今は、ピシッと叱る時ですよ あなたの猿芝居は、滑稽なだけ 意味なーし」と心の中で言ってしまいます。そんなお母様は、叱るパフォーマンスにご自分で酔っているだけです

 平成も20年をとうにすぎた今、お母様方に「昭和の下町のお母さん」になってください、と言っているわけではありません
 ただ、時には人前であろうと、叱るべき時には大きな声を出し、子どもが日頃は滅多に見ることのない怖い顔で、ビシッと叱ることも必要です
 思わず、子どもがびくっとするような、そういう瞬間だって成長のためには必要です{/kaminari/

 いつも子ども相手に「ああ、ごめんごめん!」とわけもなく謝っているママばかりが増殖し、子ども達は知育教育ばかりを受けただけの、本当の意味での賢さを育ててもらっていない、我がままな王子様や王女様ばかりになってきています
 巷では、勘違いの「品良く叱るお母様」と「全く言われた事を聞こうともしない子ども」の喜劇が展開しています。

 毅然と叱る、ピシリと叱る!親が思っている以上に、子どもにとっては貴重な「学習の時」なのですよ



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日本人として、大切にすべきもの

2010年10月21日 | プンプン


 日本人として大切にすべきものは何か?じつは、私はよくこのことを考えます。
ティーンエイジャーの頃、私は頻繁に海外に行く機会に恵まれました。それも、旅行や留学というものではなく、海外への友好訪問団のメンバーとして・・・とか、○○国際大会の日本からの参加者として・・・とか、特殊なものが中心でした
 そういう機会では、外国人の中にあって、いやでも「日本人」としての自分を実感しましたし、国旗や国歌などに触れることも多く、日本にいる時には感じたり、考えたりすることもないような「日本人の自覚」を意識したものでした
 そんな経験から、私は年若くして、誰に頼まれたわけでもないのに「立派な日本人でありたい」と常々、意識して生きるようになっていました。

 その頃から、すでに30年以上が経過しています。時代は21世紀に入り、インターネットの普及もあって、より一層国際化が進み、そういう意味では国と国との垣根が低くなった・・・様々な情報は距離や時間を超えて世界中に広がっていき、極一部の国を除いては、人種や国籍に関係なく、同じ情報を共有することができるようになりました なんと素晴らしいことでしょう
 けれど、日本人のように侵略され、占領され、日本独自の文化、古来の文化を奪われ、蹂躙された経験のない民族にとっては、国際化とは、いとも簡単に外国に流れること、外国の真似をし、様々な面で外国の様式、形式を受け入れ、今まで手中にあったものをすべて「古いもの・古来のものは悪」として捨ててしまうこと・・・そう誤解されているように思えてなりません
 国際人になることとは「外国語が堪能になること」「海外での経験があること」というふうに決めつけ、母国語である日本語をないがしろにしてしまう若い世代の親たちがいかに多くなったか・・・本当に残念ですねえ
 こういう親たちは、当然のことのように、日本の古くからの風習は、「つまらないもの」と決めつけ、学ぼう、習おうともしません。こういう親に育てられる子ども達は、生まれながらにして、「何人かわからない、中身のない抜け殻ビト」であるように私は思います

 先日、私が日頃から尊敬している知人に、久しぶりにお目にかかりました 70歳を過ぎても素敵なその方は、「今の若い人達は・・・」などとおっしゃることがありません。むしろ、若い人達から良きことを学び、常に人として進化していたい!!そう考えていらっしゃるような方なんですね
 ところが、私は初めて、その方が嘆かれるのを聞きました。
 「いやいや・・・この夏にね、私の住まいの近くに新居を構えたいという若い夫婦がいてね。たまたま、私が懇意にしている不動産屋があるので、ご紹介したんだよ。さすがに、電話一本で済ませるというのは双方に失礼だと思ってね、私も出かけたんだがね。8月の暑い盛りでねえ、4,5軒、候補になるような物件にご一緒したんだけど・・・その後は梨の礫。紹介をした手前、私のほうが気になってね、不動産屋にも聞いてみたんだけど、その後は何の連絡もないってことでねえ ところが、つい先日、全く別のところから聞いたんだけれど、その若い夫婦、ちゃっかり、ちゃんと居を構えて、暮らしているっていうんだよねえ・・・思うような家を紹介できずに心苦しく思っていたんでね、思い通りの新居が見つかり、本当に良かったとは思ったんだけど でもなあ、何と言うのかなあ、やっぱり、一応、人の世話になったのなら、電話の1本なり、然るべき報告があっても良いようには思うんだけどねえ・・・こういうのは、ジーサンの古い考えなのかねえ・・・さすがに、ちょっと残念だねえ・・・

 私はこのお話しをお聞きし、「ああ、こういうのなんて、私のまわりにもいっぱいあるよなあ・・・」と思いました。確かに、10年前では考えられないことです
 特に、私のまわりの世界は、多少は「まし」なはずではありますが、それでも、この方の体験と、さほど違わないことは、今では日常茶飯事になった、と言っても過言ではないでしょう
 この方が、最近、ご退職なさった、ということもあり、この日はいろいろと感じていらしたことが溢れて出てきたようでした。

  職場で、あきらかに上司(先輩)にあたる人間が近づいていき、後輩の机の横に立って話し始めても、後輩側は立ち上がることもせず、平気で足を組んだままで話しをする・・・
  お茶や食事をご馳走した翌日、それがささやかなものであっても、以前は「昨夜はごちそうさまでした」とか「楽しい時間でした。ありがとうございました!」と、朝一番にあいさつに来たり、電話があったりしたものだけれど、最近では、顔を合わせても、普通に「おはようございます」で終わってしまう・・・

 ぜんぶ、ぜんぶ、よくよく理解できました そう言えば、この話しをお聞きし、なぜか私はこんなことを思い出していたのです。

 娘がお世話になったカトリック校。
 年に2度、小学校全体の保護者会がありました。もちろん、多少の欠席者はおいでになるでしょうが、全校の保護者が集まると720人。要するに、500名以上が集まり、ホールの中で着席します。
 そこに、校長先生が入ってこられる・・・すると、今までヒソヒトと話し声が聞こえていたのに、教頭先生に先導され、シスターである校長先生のお姿が見えたそのとたんに、シーン・・・とした静寂が訪れるのです。本当に、しわぶき一つたたない・・・まるで、ホールの中には、教頭先生と校長先生しかおいでにならないようでした。
 そして、今度は、校長先生が壇上に上がられ、演台のマイクの前に立たれたとたん、その500人以上の保護者が、一斉に立ち上がります。静寂の中に「衣擦れの音」それだけが聞こえます。サササー・・・いえ、さらさら・・・でしょうか。声はなし。
 校長先生が、ニコッと微笑まれる、その音までが聞こえそうでした。
校長先生が「さあ、みなさん、おかけになってください、どうぞどうぞ!」と、保護者の座る前方、左右に笑顔を向けられると、また衣擦れの音がして、全員が着席・・・

 私はね、娘が小学校にお世話になっている6年間の計12回、この時間を経験しました。
小学校に進学し、4月、初めてこの席に出席をした時の驚きは、今でもよく覚えています。この学校、この校長先生の権威というものを、その一連の「無音の威圧感」から肌で感じました。そしてそれは同時に、ものすごく心地よい緊張感として、毎回、鳥肌が立つ思いでした・・・

 しかし。先日、在校生のお母様からお聞きした近況によれば、それは「古き良き時代」の昔話なのだそうです・・・校長先生が壇上で話し出されても、あちこちから聞こえるお母様方の私語。遅れてホールに入ってくる方達の足音・・・私は、泣きそうになりました

 私は、敢えて守るべき「良きこと」はたくさんある、と思います。
日本以上に海外への留学が一般化され、日本同様に国際化を目指しているお隣の国、韓国では、若い世代の人の間でも、非常に「韓国人」としてのアイデンティティーがしっかりとしています 愛国心も強く、どんなに経済力が増し、国際化が進んでも、古来の儒教の教えは人の中に根付き、重んじられ、それは韓国人の美徳として受け継がれています

 では、いったい日本人は何を大切にし、何を美徳とし、何を守っていくのでしょう?
礼儀も礼節もなく、ひたすら「個」を大切にし、「楽」を求め、無宗教で信仰心なく、畏敬の念のない日本人
 こんな名もない私が社会の片隅で憂いても、どうにもなりませんが・・・それでも、私はやっぱり子育てをするご両親に、警鐘を鳴らしていきたい 心からそう思っています。
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