日本人として大切にすべきものは何か?じつは、私はよくこのことを考えます。
ティーンエイジャーの頃、私は頻繁に海外に行く機会に恵まれました。それも、旅行や留学というものではなく、海外への友好訪問団のメンバーとして・・・とか、○○国際大会の日本からの参加者として・・・とか、特殊なものが中心でした
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そういう機会では、外国人の中にあって、いやでも「日本人」としての自分を実感しましたし、国旗や国歌などに触れることも多く、日本にいる時には感じたり、考えたりすることもないような「日本人の自覚」を意識したものでした
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そんな経験から、私は年若くして、誰に頼まれたわけでもないのに「立派な日本人でありたい
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その頃から、すでに30年以上が経過しています。時代は21世紀に入り、インターネットの普及もあって、より一層国際化が進み、そういう意味では国と国との垣根が低くなった・・・様々な情報は距離や時間を超えて世界中に広がっていき、極一部の国を除いては、人種や国籍に関係なく、同じ情報を共有することができるようになりました
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けれど、日本人のように侵略され、占領され、日本独自の文化、古来の文化を奪われ、蹂躙された経験のない民族にとっては、国際化とは、いとも簡単に外国に流れること、外国の真似をし、様々な面で外国の様式、形式を受け入れ、今まで手中にあったものをすべて「古いもの・古来のものは悪」として捨ててしまうこと・・・そう誤解されているように思えてなりません
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国際人になることとは「外国語が堪能になること」「海外での経験があること」というふうに決めつけ、母国語である日本語をないがしろにしてしまう若い世代の親たちがいかに多くなったか・・・本当に残念ですねえ
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こういう親たちは、当然のことのように、日本の古くからの風習は、「つまらないもの」と決めつけ、学ぼう、習おうともしません。こういう親に育てられる子ども達は、生まれながらにして、「何人かわからない、中身のない抜け殻ビト」であるように私は思います
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先日、私が日頃から尊敬している知人に、久しぶりにお目にかかりました
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ところが、私は初めて、その方が嘆かれるのを聞きました。
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私はこのお話しをお聞きし、「ああ、こういうのなんて、私のまわりにもいっぱいあるよなあ・・・」と思いました。確かに、10年前では考えられないことです
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特に、私のまわりの世界は、多少は「まし」なはずではありますが、それでも、この方の体験と、さほど違わないことは、今では日常茶飯事になった、と言っても過言ではないでしょう
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この方が、最近、ご退職なさった、ということもあり、この日はいろいろと感じていらしたことが溢れて出てきたようでした。
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ぜんぶ、ぜんぶ、よくよく理解できました
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娘がお世話になったカトリック校。
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そこに、校長先生が入ってこられる・・・すると、今までヒソヒトと話し声が聞こえていたのに、教頭先生に先導され、シスターである校長先生のお姿が見えたそのとたんに、シーン・・・とした静寂が訪れるのです。本当に、しわぶき一つたたない・・・まるで、ホールの中には、教頭先生と校長先生しかおいでにならないようでした。
そして、今度は、校長先生が壇上に上がられ、演台のマイクの前に立たれたとたん、その500人以上の保護者が、一斉に立ち上がります。静寂の中に「衣擦れの音」それだけが聞こえます。サササー・・・いえ、さらさら・・・でしょうか。声はなし。
校長先生が、ニコッと微笑まれる、その音までが聞こえそうでした。
校長先生が「さあ、みなさん、おかけになってください、どうぞどうぞ!」と、保護者の座る前方、左右に笑顔を向けられると、また衣擦れの音がして、全員が着席・・・
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私はね、娘が小学校にお世話になっている6年間の計12回、この時間を経験しました。
小学校に進学し、4月、初めてこの席に出席をした時の驚きは、今でもよく覚えています。この学校、この校長先生の権威というものを、その一連の「無音の威圧感」から肌で感じました。そしてそれは同時に、ものすごく心地よい緊張感として、毎回、鳥肌が立つ思いでした・・・
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しかし。先日、在校生のお母様からお聞きした近況によれば、それは「古き良き時代」の昔話なのだそうです・・・校長先生が壇上で話し出されても、あちこちから聞こえるお母様方の私語。遅れてホールに入ってくる方達の足音・・・私は、泣きそうになりました
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私は、敢えて守るべき「良きこと」はたくさんある、と思います。
日本以上に海外への留学が一般化され、日本同様に国際化を目指しているお隣の国、韓国では、若い世代の人の間でも、非常に「韓国人」としてのアイデンティティーがしっかりとしています
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では、いったい日本人は何を大切にし、何を美徳とし、何を守っていくのでしょう?
礼儀も礼節もなく、ひたすら「個」を大切にし、「楽」を求め、無宗教で信仰心なく、畏敬の念のない日本人
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こんな名もない私が社会の片隅で憂いても、どうにもなりませんが・・・それでも、私はやっぱり子育てをするご両親に、警鐘を鳴らしていきたい
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