まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

日本人として、大切にすべきもの

2010年10月21日 | プンプン


 日本人として大切にすべきものは何か?じつは、私はよくこのことを考えます。
ティーンエイジャーの頃、私は頻繁に海外に行く機会に恵まれました。それも、旅行や留学というものではなく、海外への友好訪問団のメンバーとして・・・とか、○○国際大会の日本からの参加者として・・・とか、特殊なものが中心でした
 そういう機会では、外国人の中にあって、いやでも「日本人」としての自分を実感しましたし、国旗や国歌などに触れることも多く、日本にいる時には感じたり、考えたりすることもないような「日本人の自覚」を意識したものでした
 そんな経験から、私は年若くして、誰に頼まれたわけでもないのに「立派な日本人でありたい」と常々、意識して生きるようになっていました。

 その頃から、すでに30年以上が経過しています。時代は21世紀に入り、インターネットの普及もあって、より一層国際化が進み、そういう意味では国と国との垣根が低くなった・・・様々な情報は距離や時間を超えて世界中に広がっていき、極一部の国を除いては、人種や国籍に関係なく、同じ情報を共有することができるようになりました なんと素晴らしいことでしょう
 けれど、日本人のように侵略され、占領され、日本独自の文化、古来の文化を奪われ、蹂躙された経験のない民族にとっては、国際化とは、いとも簡単に外国に流れること、外国の真似をし、様々な面で外国の様式、形式を受け入れ、今まで手中にあったものをすべて「古いもの・古来のものは悪」として捨ててしまうこと・・・そう誤解されているように思えてなりません
 国際人になることとは「外国語が堪能になること」「海外での経験があること」というふうに決めつけ、母国語である日本語をないがしろにしてしまう若い世代の親たちがいかに多くなったか・・・本当に残念ですねえ
 こういう親たちは、当然のことのように、日本の古くからの風習は、「つまらないもの」と決めつけ、学ぼう、習おうともしません。こういう親に育てられる子ども達は、生まれながらにして、「何人かわからない、中身のない抜け殻ビト」であるように私は思います

 先日、私が日頃から尊敬している知人に、久しぶりにお目にかかりました 70歳を過ぎても素敵なその方は、「今の若い人達は・・・」などとおっしゃることがありません。むしろ、若い人達から良きことを学び、常に人として進化していたい!!そう考えていらっしゃるような方なんですね
 ところが、私は初めて、その方が嘆かれるのを聞きました。
 「いやいや・・・この夏にね、私の住まいの近くに新居を構えたいという若い夫婦がいてね。たまたま、私が懇意にしている不動産屋があるので、ご紹介したんだよ。さすがに、電話一本で済ませるというのは双方に失礼だと思ってね、私も出かけたんだがね。8月の暑い盛りでねえ、4,5軒、候補になるような物件にご一緒したんだけど・・・その後は梨の礫。紹介をした手前、私のほうが気になってね、不動産屋にも聞いてみたんだけど、その後は何の連絡もないってことでねえ ところが、つい先日、全く別のところから聞いたんだけれど、その若い夫婦、ちゃっかり、ちゃんと居を構えて、暮らしているっていうんだよねえ・・・思うような家を紹介できずに心苦しく思っていたんでね、思い通りの新居が見つかり、本当に良かったとは思ったんだけど でもなあ、何と言うのかなあ、やっぱり、一応、人の世話になったのなら、電話の1本なり、然るべき報告があっても良いようには思うんだけどねえ・・・こういうのは、ジーサンの古い考えなのかねえ・・・さすがに、ちょっと残念だねえ・・・

 私はこのお話しをお聞きし、「ああ、こういうのなんて、私のまわりにもいっぱいあるよなあ・・・」と思いました。確かに、10年前では考えられないことです
 特に、私のまわりの世界は、多少は「まし」なはずではありますが、それでも、この方の体験と、さほど違わないことは、今では日常茶飯事になった、と言っても過言ではないでしょう
 この方が、最近、ご退職なさった、ということもあり、この日はいろいろと感じていらしたことが溢れて出てきたようでした。

  職場で、あきらかに上司(先輩)にあたる人間が近づいていき、後輩の机の横に立って話し始めても、後輩側は立ち上がることもせず、平気で足を組んだままで話しをする・・・
  お茶や食事をご馳走した翌日、それがささやかなものであっても、以前は「昨夜はごちそうさまでした」とか「楽しい時間でした。ありがとうございました!」と、朝一番にあいさつに来たり、電話があったりしたものだけれど、最近では、顔を合わせても、普通に「おはようございます」で終わってしまう・・・

 ぜんぶ、ぜんぶ、よくよく理解できました そう言えば、この話しをお聞きし、なぜか私はこんなことを思い出していたのです。

 娘がお世話になったカトリック校。
 年に2度、小学校全体の保護者会がありました。もちろん、多少の欠席者はおいでになるでしょうが、全校の保護者が集まると720人。要するに、500名以上が集まり、ホールの中で着席します。
 そこに、校長先生が入ってこられる・・・すると、今までヒソヒトと話し声が聞こえていたのに、教頭先生に先導され、シスターである校長先生のお姿が見えたそのとたんに、シーン・・・とした静寂が訪れるのです。本当に、しわぶき一つたたない・・・まるで、ホールの中には、教頭先生と校長先生しかおいでにならないようでした。
 そして、今度は、校長先生が壇上に上がられ、演台のマイクの前に立たれたとたん、その500人以上の保護者が、一斉に立ち上がります。静寂の中に「衣擦れの音」それだけが聞こえます。サササー・・・いえ、さらさら・・・でしょうか。声はなし。
 校長先生が、ニコッと微笑まれる、その音までが聞こえそうでした。
校長先生が「さあ、みなさん、おかけになってください、どうぞどうぞ!」と、保護者の座る前方、左右に笑顔を向けられると、また衣擦れの音がして、全員が着席・・・

 私はね、娘が小学校にお世話になっている6年間の計12回、この時間を経験しました。
小学校に進学し、4月、初めてこの席に出席をした時の驚きは、今でもよく覚えています。この学校、この校長先生の権威というものを、その一連の「無音の威圧感」から肌で感じました。そしてそれは同時に、ものすごく心地よい緊張感として、毎回、鳥肌が立つ思いでした・・・

 しかし。先日、在校生のお母様からお聞きした近況によれば、それは「古き良き時代」の昔話なのだそうです・・・校長先生が壇上で話し出されても、あちこちから聞こえるお母様方の私語。遅れてホールに入ってくる方達の足音・・・私は、泣きそうになりました

 私は、敢えて守るべき「良きこと」はたくさんある、と思います。
日本以上に海外への留学が一般化され、日本同様に国際化を目指しているお隣の国、韓国では、若い世代の人の間でも、非常に「韓国人」としてのアイデンティティーがしっかりとしています 愛国心も強く、どんなに経済力が増し、国際化が進んでも、古来の儒教の教えは人の中に根付き、重んじられ、それは韓国人の美徳として受け継がれています

 では、いったい日本人は何を大切にし、何を美徳とし、何を守っていくのでしょう?
礼儀も礼節もなく、ひたすら「個」を大切にし、「楽」を求め、無宗教で信仰心なく、畏敬の念のない日本人
 こんな名もない私が社会の片隅で憂いても、どうにもなりませんが・・・それでも、私はやっぱり子育てをするご両親に、警鐘を鳴らしていきたい 心からそう思っています。
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