まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

つなぐことで、興味を広げてあげましょう!

2008年11月27日 | にこにこ
 先日、始まったばかりの年長さんのクラスで、「季節」のお話をしました
日本には豊かな四季があって、春夏秋冬、それぞれの季節に美しい花が咲き、野菜や果物などの実りがあり、昔から、日本人は祈りや感謝を込めて、その時々で生活に結びついた行事をするのよ・・・と。
 
 ここ数年、あらためて私立小学校受験の考査の中でも、季節の理解、豊かな固有の文化を知る上での四季の行事等に力が入っているようです。これは私の推測ですが、今では各家庭が合理性をより高く評価し、「精神面でのゆとり」である文化的行事などを軽んじる傾向にある・・・ということを、あまり良しとしていない学校の姿勢ではないか・・・

 さて、それはさておき・・・
その年長クラスでは、近年、以前よりもぐっと冬のお花としてクローズアップされてきた「シクラメン」のお話をしました ペーパーの上に描かれた「シクラメン」の絵・・・
 結構、特徴を捉えた絵ではありましたが、だれもシクラメンを認識しませんでした 確かに、チューリップやひまわりのような、とてもポピュラーなお花、とは言えません
 けれど、もうひと月ほど前から、気の早いお花屋さんでは、店頭にシクラメンの鉢植えを置いて、商っていたと思うのです。

 クラスの後、カリキュラムの説明をする時に「お子様方は、シクラメンを知らないお花だ、と言っていましたよ」とお話をしたところ、お一人のママが「大きく苦笑」をされたのでした。
 あらためてお母様からうかがってみると・・・
そのペーパーをする数日前、お母様とご一緒に、お子様は一生懸命に「ガーデンシクラメン」をお庭に植えた・・・のだそうです。
 ですから、ママは、すっかり我が子が「シクラメン」を認識している、と思われるのも当然のことです
 それに、嫌がる子ども、気乗りのしない子どもを相手に、図鑑を広げ、花々の名前を教えたわけではなく、実際にママと楽しみながら、一緒に植えたお花、ですからね。ママの驚きは察することができました

 翌日、そのママからメールがありました。
「つなぐってことの大切さを、実感しました!」と。
つなぐって、何と何を??と思われますか?

 私はよくお母様方に、子どもの身のまわりのすべてが「学び」なんですよ、とお話しします 
 椅子に座り、机に向かって学習する・・・という学習方法は、あくまで「学業」、昔で言うところの「読み、書き、そろばん」です。
 しかし、子どもが幼い間は、そういうとってつけたような学びの機会をたくさん設けるよりも、当たり前のように日々暮らしている中で、子ども達に「知ることの楽しさ」を感じてもらいたい・・・心からそう思っています
 そして、大人、親が、「子どもに伝える、話すことの大切さ」を実感してくれれば・・・まさに、生活のすべてが学びの宝庫となるのですね

 今回のことで言えば、ガーデンシクラメンを一緒に植えるだけで終わらず、その後、町でシクラメンを見つけるたびに・・・
  「あのお花、この間、一緒に植えたシクラメンよ ちょっと大きさが違うし、お色も違うからわかんなかったかもしれないけれど、ほら・・・よく観ると、同じでしょう? ポインセチアの横にあって、きれいねえ。まさにクリスマスが近づいているって気がするわね
 などと、繰り返し「一つの話題」として話してあげれば、きっと、子どもは、シクラメンをより深く認識したでしょう。

 ただね、ママが、24時間体制で、「おーしーえーてーやーるぞー」の意気込みで、「さあ、一つ残らず、おぼえるんだーーーー光線」をビリビリ出して話しているのでは、ちっとも楽しくありませんし、急に会話が色あせてしまうでしょうね

 シクラメン・・・本当にきれいでしょう?
冬になって、お花が少なくなっていく時期に、陽射しのまぶしい窓辺に置かれたシクラメンを眺めるだけで、ほのぼのとあったかーい気分になりませんか?

 そんなお母さんの感性があれば、きっと、ステキな親子の会話の中から、子ども達はさまざまなことに興味を持ち、そして覚えていくでしょう

 この日には、曜日の話しもしたのですよ。
日、月、火、水、木、金、土・・・これを、ひたすら呪文のように唱えさせたとしても、実際に曜日の感覚は身には付かないでしょう
 毎日、毎日、楽しくその日を過ごし、何曜日であったかを会話の中で登場させていくうちに、きっと曜日の感覚も芽生えていくに違いありません

 子ども達に、曜日は「星の名前なのよ」と、簡単に太陽系の絵を描いて説明すると、とっても喜んでくれました
 これも、「曜日」と「天体」を、つなぐことによって、子ども達の興味と意識を広げていったのです。

 いかがですか?真っ白な子ども達との時間って、楽しいですよね

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子育ては、自分でしましょ!

2008年11月21日 | にこにこ
 先日テレビで、「子育てを楽しむ」というレポートのような番組を見ました 高名な脳科学者の先生の講義を受け、我が子の脳を育てるためには、どうすれば良いか?ということを、母親達が学ぶ、というものでした
 仕事がら、本来はもっともっと、子どもの教育のためには、科学的にこういうことを専門的に勉強しないといけないのでしょうが、どうも、私は科学的に物事を学ぶよりも、まずは経験から「心」で感じることを重要視したい・・・という思いが根底にあり・・・
 なかなか、テレビに映っているお母様達のように、熱心に講義を受けたり、この手の本を読んだりができずにいます。でも、きっと、これが私の今後の課題となるでしょう

 話しを本題に戻しますが・・・
私が、その番組を見て一番驚いたのが、先生に質問をされて、それに答えるお母様達のその答えの内容が、ほぼすべてが「外注」だったことです
 つまり、先生に・・・
 「~~のために、あなたは何を母親としていますか?」とたずねられると・・・
 「はい、○○の教室に○歳児の頃から通っています」
 「△△の音楽を、ずっと聴かせています」
 「□□を頻繁に見せています」
というこたえで、お母様自ら、何かを進んでやっている、ということが皆無だったことです
 
 これは、「餅は餅屋」のように、専門家のほうが良いに決まっている、という発想からの行為、ということもあるでしょう。
 確かに、ちょっと塩加減の強いお料理下手のママの筑前煮よりも、なだ万の筑前煮のほうが、お味も見場も良い・・・かもしれません。
 堅さの加減が上手くいかなくて、ロールケーキにしたときに、スポンジがひび割れてしまうママのお手製ケーキよりも、有名なロールケーキ専門店のもののほうが立派、でしょうね

 でも、子育てって、そういうものでしょうかねえ・・・私は、違う気がするのです

 じつは、その脳科学者の先生も、「モーツァルトよりも、ママが自分で吹くリコーダーのほうに、子ども達は興味を示し、脳も反応をするのです」と力説していらっしゃいました。
 そして、その場で、4歳児くらいの子どもに実験をするのですが、確かにそうなんですねえ。ママが、ピーヒャラー、とリコーダーを鳴らし、昔思えば指使いを思い出しながら、下手くそにではありますが、一曲吹いたとたん、子どもはリコーダーに手を伸ばし、自分でもとても興味深そうにリコーダーを吹くのです・・・すると、脳は活性化される・・・

 以前、私のクラスに来るたび、授業中のちょっとした時間を見つけて、私に一生懸命に「ママが嫌い・・・ママの~~ところがイヤ・・・ママがいつも○○って言われるのが悲しい・・・」と、涙ながらに訴える子どもがいました。5歳児でした。
 私は、毎回、その子の訴えを真剣に聞きながら、なるほど・・・なるほど・・・と思ったものでした 5歳には5歳の、ちゃんとした思考があって(ない子、そういうものを親に育ててもらっていたいために、育っていない子もたくさんいる、というのが、今の時代ですが)、決してその子の言っていることが変だったり、妙だったり、子どもの身勝手ではないのですね。その子には、きちんとした筋の通った理屈があり、確かに、そういう意味ではママのほうが分が悪かった・・・
 私が、毎回、そうなのねえ・・・そうなのねえ・・・と共感しながら、「本当は○○って言ってくれたらいいねえ。」とか「~~一緒に出来たら、うれしいのにねえ。」などと応えました
 すると、その子も「そうなんだよねえ・・・」と、子どもらしい顔つきで応えるのです。
 でもね、結局は、その子もクラスが終わると、ニコニコして、ママと手をつないで帰るのです
 ママがうるさい 同じことを百回言う・・・と、ブツブツと文句を言っている子ども達も、当然のことながら、ママが大好き、なんです
 そういうママが、一番、子どもに大きな影響を与えている、ということを、「他力本願」のママ達はご存知でしょうか・・・

 最近、他力本願の多い、外注を好むママ達の多くは、「ご自分は、あまり努力をしたくない」という思いが、無意識のうちに、根底にある、と思えてなりません
 また、そんなママ達の中には「私は未熟でわからない」と、平気で言ってしまう方も多いですね。
 ママなんて、全員が未熟なのに・・・私だって、大学生の息子と娘を持つのは初めてで・・・大学生の親としては未熟です
 母親として未熟だからこそ、我が子とともに、一緒に泣いたり笑ったりして、一緒に成長していくものだと思うのです

 ひと月ほど前になりますが・・・
2種類の「ぶどう」を買いました。「しなのスマイル」ともう一つ、「ルビーオクヤマ」という種類でした。
 もちろん、ぶどうを栽培なさっている農家では、如実に違いがあるのかもしれませんが、消費者としては、外見ではほぼ見分けの付かない、よく似た品種に見えました。洗ってお皿に盛ると、ほとんどどっちがどっちかわからなくなります。

 私は、一人でそれを食べながら、「むー、こっちのほうが皮は剥きやすい?・・・甘さは・・・こっち?・・・噛んだときの食感は、こっちがプリッとしてるかな・・・」などと、思わずひとりごとを言って食べました。
 それほど、その「似た二つを食べ比べることに興味津々」だったからです。
 
 そうしながら、私はふっと思ったのでした。
 「うちの子達が小さかったら、きっと、すごく喜んで、こんな会話をしながら食べただろうになあ・・・」と。
 私事で恐縮ですが。我が家では、夫と娘が大の果物好き。私と息子は、大好物以外の果物にはあまり興味がありません。私は、さくらんぼ、マンゴ、ぶどう、洋梨は大好きですが、あとのものは普通。
 そんな家族ですが、息子も娘も、ぶどうに関してはとっても好きだったので、彼らが小学生の頃は、平日、学校がお休みの時を利用して、わざわざ勝沼まで車を走らせ、ブドウ狩りを兼ねて、いろんな種類の朝取りぶどうを買いに行ったものです

 こういう「比べっこ」は、子どもは大好きです
まさに、こういう比べっこをするためには、豊かな感性が必要になってきますし、同時に、食感などの感想を、相手に伝え、「なるほど!」と言わせるためには、いろんな表現力を必要とします。
 そんなことを考えながら、ママ達も、図鑑を与えたりするよりも、もっともっと、一緒に話せばいいのになあ・・・と考えていました

 専門家に任せて、正答、正論を安直にゲットしたり、新しいことを学ばせたりするよりも、「子どもと一緒に考える」「子どもと一緒に楽しむ」「子どもと一緒に学ぶ」という、そういう楽しみを感じてもらえれば、結局は、豊かで賢い子どもが育つだろうになあ・・・と思いました。
 それが語学の勉強であっても、単なる食べ物の知識であっても・・・です。 

 自分で労力を使わなければ、収穫も少ないもの・・・ですよ、きっと

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あるコーチの嘆き

2008年11月08日 | う゛う゛ー
 先日、ある有名な水泳のコーチにお目にかかり、お食事をご一緒いたしました
オリンピック2大会連続の金メダルの選手を育てられた方です。大変気さくで、愉快な方でしたが、ご自分のお仕事や選手のお話しになると、言葉を丁寧に選び、最も適切な表現、伝わりやすい表現を選ばれながら、大変熱意を持って話してくださいました
 トライアスロンのお仲間からのお誘いで、今回のお食事に参加させていただき、会の趣旨は、いろいろと泳力アップのお話しを聞こう!というものでしたが、チームメンバーが企業のリーダー達ということもあって、結局は「コーチング」や、人を教育する、というお話しにシフトしていきました
 たまたま、その席には、中学受験の準備塾で最大手の若きリーダーもおいでになり、その話題になってからは、私も、その方も、急にコーチに親近感を深めて、お話しに聞き入りました 

 日付が変わる頃まで、すっかり話しに花が咲き、水泳のお話しも含めて、たくさんの話題で盛り上がりましたが、中でも、私が大変印象に残ったのが、「最良のコーチングをし、それを効果的に進めていくためには、まずはその相手にティーチングの成果、結果というものが必要不可欠である」ということでした。
 
 つまり・・・
ここ数年、世の中では「コーチング」という言葉が定着してきました。学校や企業、さまざまなところのリーダー達は、生徒や部下達を、上手くリードしていくための「コーチング」を学ぶ、という時代になったのです。
 書店に行けば、たくさんのコーチングの本もありますし、そういう講座や、資格などもたくさん出てきました。
 要するに、リーダー達は、こぞって、生徒や部下を伸ばす、成長させる「スキル」を身につけよう、としているわけです こういう背景があって・・・

 このコーチも現在、マスコミを含めて、あちこちから講演や原稿の依頼があり、本業である水泳選手の指導だけではなく、そういう仕事でもひっぱりだこになっておられます
 ところが、その講演や原稿の演目、話して欲しい、書いて欲しいと言われる内容は、多くの場合は水泳に関する話題をメインにするのではなく「人を育てる」という部分、コーチングについて語って欲しい、ということだとか。

 ある時、企業の依頼で講演をすることになり、コーチは、なぜコーチングについて話せばよいのか?とたずねたところ、企業からの答えに驚いたのだそうです。
「そ、そ、そ、それって・・・コーチング以前の問題ではないですか・・・その人を伸ばすというよりは、それ以前に『教えること』をしなければ、伸ばすにも、伸ばす「素」がないではないですか・・・なーんにも教えもしていない社員を、より高いステージにリードすることなんて不可能でしょう???」
 そう思われたのだそうです。
私は、このお話しを聞いて、思わず「うん!うん!」と頷いてしまいました。それは、中学受験塾のリーダーの方も、私と同じ反応でした

 この場合は、企業のリーダーと社員・・・という設定になりますが、私がこのお話を我が事として聞く場合は、企業のリーダーと社員ではなく「親と子ども」に置き換えることになり、また、違う方向から考えると、「私とお母様方」ということになります

 このコーチは、現在は全日本のステージでお仕事をなさり、次のロンドンで開催されるオリンピックに向けても同様ですが、本来は、ご自分のお仕事の母体として、一つのスイミングスクールにコーチとして所属なさり、時間のある時には、そこで小学生のクラス等にも実際に水泳を教えたり、お話しをなさったり・・・ということが今でもあるのだそうです。(金メダリストの彼も、小学生の頃から、このスイミングスクールの生徒だったそうです。)
 そういう小学生や、5,6歳児のクラス時の苦労話、スクールでの親子の様子、親の反応などは、思わず二人(いえ、中学受験塾の方もおいでになりましたので、実際には3人です)で手を叩いて、うんうん!と共感し合ってしまいました

 最近では、ご家庭ではティーチングさえしない、というご両親が多くなったように感じます とにかく、最初から「専門家に外注する」とでも言うのでしょうか・・・親の役割が、どんどんと軽くなっていっているように思えてなりません
 以前、私立小学校の校長先生とお話をさせていただいたとき、とても嘆いていらしたことがありました
 校長先生がお母様方と直接にお話しをする機会があったとき、多くのお母様が・・・
 「今の子ども達はどうも親をなめていて困ります。是非、担任の先生に、子どもたちに厳しく、しっかり躾ていただけたらうれしいです
 というご意見がたくさん出たとか・・・
 校長先生はおっしゃっていました。子供たちを厳しく躾けるのは親の役目。学校には学校の、先生方には先生方の役割はあるのです・・・と。

 確かにそうですね。
人間が自分達より劣っている、と思っている獣の親でも、わが子達にしっかりと生きていくための手段である狩りの仕方や、エサの取り方、走り方、泳ぎ方、etc.etc. そんなことを、きちんと教えていますものね
 ・・・となれば、人間が、一番怠惰で無責任・・・ということになるでしょうか?
 ピアノやヴァイオリンを弾く技術を教わる、泳ぐ技術を教わる、これらは、専門家に教えて頂く他はありません。しかし、そこで習うのは、楽譜の読み方、両手の動き・・・蹴のびの仕方、水中で目を開けること、等・・・これは、技術です。
 けれど、公衆道徳、社会人の卵としてのマナーやエチケット等、これらは技術ではなく、親が、家庭で教えるべきことですね。

 私のお役目も、本当はティーチングよりもコーチングの部分が大きくなればいいなあ・・・としみじみ思ってしまいました


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