まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

スキルを学ぶ それだけでは残念です

2011年03月31日 | にこにこ

 私の長年の夢だった「クラブ・マナーズ」の活動・・・
幼児教室マナーズを、単なる「小学校受験準備のための教室」にするのではなく、私立小学校入学した後も、子どもを豊かに成長させ、その子どもをサポートするお父様やお母様に、より素敵なご両親として年を重ねていただく something special を提供したい
 お子様がマナーズに通い、受験準備をする時間はあくまで教室との縁の「プロローグ」であって、その後も長い長い素敵なお付き合いをしていきたい・・・
 ここ半年、やっと、その「クラブ・マナーズ」の活動が、少しずつ動いてきたように思っています

 昨日は、青山フラワーマーケットの「hana-kichi青山店」で、お花のレッスンをお願いしました 3月11日の地震があり、キャンセルも相次ぎましたが、今日、参加をしてくれた卒業生の子ども達は、春の花々の香りに包まれて、一生懸命「ブーケ作り」に熱中しました

 参加者は、あと1週間で入学式を迎える新1年生から、立派に成長した新中学1年生までの7名。ブーケ作りに使う20本のお花選びから、その子の個性がよく見てとれました
 小さなブリキのバケツに入った花々。そのまわりを、何度も何度も歩きながら、1本1本吟味して花を選ぶ子もいれば、あっさり20本を選んでしまう子もいる・・・

 新5年生の男の子は、ピンクや赤い花を選び、自分のバケツに入れていったあと、最後に黄色の花を1本選び、バケツに入れたとたん、感嘆の声をあげました。
 「わー この花の中に黄色の1本入れたら、ほら、すごくこの黄色の花が映えるよ すごいよ
 彼は、本当に興奮している様子でした。この時、まさに彼は自らの「気づき」によって、五感から震えるような感動を感じたようでした

 「ここに白い紙がありますね。この白い紙の長さくらいに、全部のお花の丈を切ってください
先生のそのお言葉を聞き、今度は子ども達は慣れない手つきで花バサミを使い始めました その切り方もいろいろ、なんですねえ・・・
  紙を手に持ち、最後の1本まで、紙の長さと比べながらじっくりと切っていく子。
  最初の2,3本だけ紙と合わせて切り、あとは適当に目測で切っていく子。
  紙を机の上に置き、その紙の上に4,5本の花を置いて、一度に切っていく子。
  なかなか上手く扱えない大きなはさみに閉口し、恨めしそうにママを眺める子。

いやいや・・・子どもとは、本当におもしろいです

 長さが揃った花々は、今度は子ども達の手の中で、徐々に束ねられていきます。
1度に5本を束ね、テープで巻き、また次に5本を束ねてテープで巻く・・・そして、最後にその4束を1つにまとめ、やっとブーケが出来上がります
 途中、花の色や花弁の形、葉っぱの形を見ながら好みの束にまとめ、すべてを一束にするときにも方向を変えたり、束の前後左右を入れ替えたりしながら、自分のイメージするブーケに仕上げます

 最初は1本1本の別々の花だったものが、すっかり一つのまとまりとなって、花々は調和し、一層美しさが映えます その手の中の「まとまり」を眺める子ども達の満足げな顔・・・難しい顔・・・難しい顔をした子は、また束の入れ替えを始めます。

 気に入った包装紙に包み、できあがったブーケを両手に持ったときの子ども達の満ちたりた顔・・・単なる笑顔というのではなく、そこには間違いなく「達成感、満足感」がありました。

 今日の会は「お花のレッスン」「お花のアレンジメントのクラス」でした
とは言え、単にブーケを作る方法、スキルを学ぶだけでは、あまりに残念です 技術やスキルは、本を見たり、インターネットで調べるだけで、きっと十分に学ぶことができるでしょうからね。
 けれど、花の手触り、香り、パチンと切った時の音、まとめていくときのワクワク感・・・これは、実際に経験することでしか味わうことのできないものです
 
 本当の学びとは、スキルを習得することではなく、五感から体で感じる感動であり、成し遂げたときの充足感、安心感、達成感である・・・私はそう考えています

 語学を学ぶことでも然り。言語は「手段」であって、言語学者のように、言葉そのものの研究をする以外は、決して手段以上のものではありません。どんなに「星がstar、花がflower」であると知っていても、何も意味をなしません。それは、自宅の電話番号が言えたり、幼稚園や保育園の名前が言えることと同じなのですから・・・

 先生はレッスンが終わったとき、こんなふうに話してくださいました。
 「今日、あなた達が作ったブーケを、明日も、あさっても、しっかりと見てくださいね。きっと、お花は違う表情になっていると思います 決して、今日あなたが作ったブーケと同じではないはずですよ。」
 そうですね そんな変化を愛情を持って眺める・・・そこに驚きや感動をより強く感じられるのは、自分自身で作ったからこそのことでしょう。
 
 「良い音楽を聴く」「名画を鑑賞する」その行為だけではなく、一人一人がもっと「深くを知り、感じ、考えること」に意味があるように思います。それは、スキルを身に着けるだけではなく、そこで感じ、考えてこそ意味があるように・・・
 
 明日、自分で花瓶にお水を足し、四方からブーケを眺めると、使いにくかった花バサミの手に残った感覚、花の種類によって違うパチンと切ったときの音、茎の手触りを思い出すでしょうね
 子ども達が楽しみながらも、苦労して作ったブーケは、明日はどんな表情をするのでしょう


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空っぽの商品棚

2011年03月18日 | う゛う゛ー

 ここ数日、スーパーやコンビニに行くと、愕然とします。
ほとんど商品のなくなった棚が並んでいるのです。今週のはじめは、カップ麺やレトルト食品。でも、そのうち乾電池、パン、お水、お米、牛乳、卵、納豆、トイレットペーパー・・・となり、今では、ある意味で「手当たり次第、買えるものは買っておこう」のような買い物の仕方になったようで・・・今日、午前中に立ち寄ってみると、おせんべいやポテトチップスまで、姿を消しました

 昨日、震災の報道をする特別番組の中で、この「買いしめ、買いあさり」についての話題があり、心理学者がこの状況について、学術的に解説をしていました。
  「最初は、家族のため、自分のために備蓄をしよう、という真っ当な思いだったのに、いつのまにか『あった!買える!』ということが満足感になり、目の前にあるものを買うだけで安心してしまう、という気持ちになっていくのですねえ・・・」
 なるほどなあ、と思いました。

 乾電池や懐中電灯が必要なのは、よくわかります パンも、調理をしなくても食べられますから、何かおおごとがあってライフラインがストップした場合にも「買っておいて良かったね。」と思えるものでしょう。牛乳も、小さな子どものいるご家庭では、絶対に必要でしょうね。
 でも・・・
ほぼ毎日のように、開店と同時にスーパーに駆けつけて「入荷しました」の張り紙のあるものの棚を走り回り、複数個買っていく・・・万が一のための備蓄用だったり、停電の時のためだったり、正当な理由はたくさんあるでしょうが、果たして、全員、このようにしている人達にとって、カゴの中のものは、本当に必要なものなのでしょうか?

 自分を守る 家族を守る そうですね。
 自分(達)の身は、自分(達)で守る いらぬお世話を他人にかけない すばらしいです。

 でも、自分(達)以外の人のことを考える、自分(達)さえ安心になるのではなく「みなが安心でいられるように考える」という思いも、あって良いのではないでしょうか。

 私は、どちらの思いも正しいと思います。
私は地震のあった日、横浜のビルの9階にいました。揺れが一旦おさまった時、階段で1階まで下りて外に出ると、地震発生後わずか10分弱でしたが、横浜駅西口は大混雑で、誰もが通じない携帯を握りしめていました
 私はすぐに「家まえ歩こう 7,8キロだから」と決断し、歩き始めました
 帰宅困難者となった夫と娘は、会社や友人のお宅に泊まりました。
 
 私は地震発生から、まる一日一人で自宅で過ごし、家族や親戚、友人の無事を知ったあと、本当にとてもたくさんのことを考えました。一番考えたのは、「小さなお子様のいるご家庭のこと」でした
 
 私が「7,8キロだから歩こう!」と決めたのは、確かに、日頃からよく横浜―菊名間を歩くからでもあり、一応は健脚であることから、「長い距離を歩くこと」に抵抗がなかったからです
 でも、私ではなく、すごいアスリートで、歩くことにも走ることにも抵抗のない人であったとしても・・・
  小さな子どもが一緒だったとしたら?

 抱っこや、昔のように「おんぶ」をしていれば、歩くことは可能です。百歩譲って、ベビーカーを押していてもOKでしょう。
 しかし・・・
  2,3歳の子どもの手を引いていたとしたら?
  幼稚園や保育園帰りで、疲れた子どもが一緒だったとしたら?
 私のように、即決で「歩く」とは決められなかったでしょう。
上手く早めにタクシーを拾えば私よりも早く、帰宅できたでしょうが、いろいろと考えてタクシーを待っていたとしたら?帰宅はずっとずっと遅れ、子どもはむずかり、ミルクや食事、お手洗いの心配もでてきていたことでしょう。(何と、同じ時間に横浜にいたご近所の方に後日お聞きしたことですが、横浜駅のタクシー乗り場で待って、来ないタクシーを待っていたら、帰宅したのは夜の10時だったそうです

 地震の夜、何度も来る大きな余震にドキドキしながらも、テレビを観ながら何とか気丈にいられたのは、私が一人だったからです。
 もし、夫は帰宅できず、母一人で怖がる子どもを守らなければならなかったら?どんなに不安で、泣きたい思いになったことでしょう

 また、商品のなくなっていく棚を携帯のカメラで撮り、遠方にいる友人に「日本じゃないみたいです。昔の共産国の商店のようです」などと書いて、写真を添付して送っている私です。そんな私が、必死に備蓄を考えず、「まあ、あるものを、少しずつ、工夫して食べましょう!」と思えるのは、間違いなく、すでに大人になった娘と、夫との暮らしだからなんですよね。
 まだまだ小さなお子様(たとえ高校生であったとしても)と一緒の暮らしであれば、三度の食事のことは、真剣に考えなければなりません

  自分のことを守る、我が子を守る、家族を守る!そのために「買う」こと。
  少しでも人のことを思い、買いしめ、買いあさりをしないこと。
 
 これは、どちらが正しい、正しくないではなく、親として、どちらに近い行動をするか?ということでしょう・・・

 ただ、ひとつ、私が多感な子どもを持ったお父様、お母様に絶対に申しあげたいこと それは・・・
  空っぽの棚を見せて、それが「なぜ起こっているのか?」を教えてあげてください。
  そういう現象を「パパ(ママ)は、どう思っているのか?」を話してあげてください。
  商品がなくなっていくお店を見て、「パパやママは、どうしようとしているのか?」を伝えてあげてください。

 そして、地震を含めた今の状況を、子どもにわかる言葉で伝え、被災者、被災地に思いを馳せることだけではなく、「今の自分達が置かれている立場」について、子どもと一緒に考えて欲しい、ということです

 幸い、ご遠方にご実家やお親しい縁者がおいでになる方は、春休みになったこの時期、きっと期間を決めずに帰省をなさることと思います。
 おじいちゃま、おばあちゃまは、どんなに離れたところでご心配をされていることでしょう 「そんな怖い首都圏にいるよりも、こっちに帰っていらっしゃい」親とすれば、当然の思いですね。
 53歳になった娘に対しても、やっぱり「今日は大丈夫?何か送ってあげる?」と、私の母はメールや電話をよこします。もし、私が「今日、すぐに10キロのお米を、うちと、T(私の息子です)のところに送ってくれる?」などと言ったとしたら、母はどう対処できるというのでしょう?それでも、日頃はメールで済ます用も、今はひっきりなしに電話をして、あれこれと気遣ってくれます。

 ただ、それでも、「ああ、これで安心 もう大丈夫。良かった良かった」「これで、いつも通りの生活ができるのよ」というのではなく、自分達が暮らす東京や横浜で(今は、全国各地で買いしめが始まっていると聞きますが)何が起こっているのか?を教えてあげ、そして、幼いながらも、子ども達がそれに対して、「どういうことを言うのか?」「どんなふうに考えるか?」を聞いてあげてください

 子どもは、未熟で未経験な存在です
でも、未熟なりに、考えさせるチャンスを与えると、しっかりと考える能力を持っていますし、また、その能力を育ててあげなければなりません
 いつも「守ってあげる」ばかりで、子どもに考えさせるチャンスを与えていないと、「考えられない子ども」にしか育ちません

 空っぽの商品棚。きっと、子どもにもインパクトはあるはずです
こんなマイナスの時期だからこそ、元気な私達は、縮こまらず、子ども達をも縮こまらせず、頭をしっかりと働かせてあげましょう
 この復興を支えていくのは、これからを生きていく「子ども達」なのですから
 
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私達にできること - 東北関東大震災

2011年03月14日 | う゛う゛ー

 テレビでは、地震の夜はひたすら首都圏のターミナル駅の映像が映し出され、「帰宅困難者」向けと思われる情報が流されました。自宅でそれを見る家族も、頻繁にやってくる余震に恐ろしさを感じながら、状況に応じて迎えに出たり、自宅待機をしたりしながら、夫が、妻が、子どもが無事で帰宅すること、所在を確認することに必死になりました。

 一夜明けると・・・映像は一変。
今まで、一度も見たことのない、想像を絶する光景が画面には映されていました。
 「津波」「TSUNAMI」4年前のスマトラ沖の地震で、大人である私達は、その脅威を知ったはず、でした。しかし、「知っている」という思いは、何と薄っぺらなものだったことでしょう。

 あの日以来、何度も何度も流される映像。
レゴで作った家のように、水の中で流され、浮かぶ家々。何にもなくなった海岸線の町の様子。時間が経つにつれて、一般人から投稿される生々しい映像も増え、私達は今回の地震がもた
した(もたらしている)未曾有の惨事を、じわじわと実感することになりました。
 繰り返し、繰り返し見る映像。あの映像の中には、きっと多くの人達の命があるはずです。心ない(と感じてしまう)被災者へのインタビュー。泣き崩れる人達、真っ暗な中で冷たい食事を採る人達を映すカメラ、などなど。私は、「もうやめて!」と叫びたくなりました。
 首都圏からさまざまな手段で現地に入ったテレビ局の人間は、暖かい暖房の効いた家も、家族もいるんでしょう?!こんなふうに、人の不幸を報道することって、いったい何??
 これは、阪神淡路大震災の時にも感じたことでした。きっと、同じ思いをもって、テレビのスイッチを消す方も少なくはないのではないでしょうか。

 でも、私は考えてみたのです。
幸か不幸か、そういう生々しい映像が流れる今の時代・・・その惨状の実態を、知ることのできる時代・・・そんな時代に生きている私達には、きっとその惨状を見ることによって、あらためて考え、実行する「その役割」がある・・・
 我が家のある東横線の菊名は、陸の孤島になりました。東横線は、午後5時半までは、渋谷-武藏小杉間しか運行されません。JR横浜線は運休。少なくとも、電車利用では都心に出かけることは叶いません。 グループ3のこの地域は、12時20分から約3時間、停電になります。
 生々しい報道を見て、悲惨な現場を映すな!と憤り、もう見ないようにしよう、と思うだけではなく、深い祈りの思いを持ってその現状を直視し、遠く離れた私達に「できること」を、一生懸命にやっていくこと。それが、私達の役目なのではないか?

  一生懸命に節電に取り組むこと。
  停電に備えること。
  品薄になったスーパーに行き、食べることにも事欠く被災者達を思うこと。
  交通機関の不便さに甘んじること。
  そして、被災者、亡くなった1万人を超えるであろう方々のために祈ること。

 多くの私学は、今日はお休みになったと聞きました。これから、学校が再開されても、通学にはさまざまな不便があることでしょう。お父様、お母様のご心配やご不便は、幼稚園から同じように電車通学をさせた母親として、十分に理解できます。
けれど、子ども達はその経験から、きっと多くを学んでくれるに違いありません。また、学べるような働きかけ、言葉かけは大事だと思います。私達の日常は、決して「当たり前のものではなく」ということも実感できるでしょう。
 携帯電話に大きく依存し、通じなくなると、たちまちパニックになってしまう自分達のことも、あらためて実感しましたね。私達は「いつでも携帯電話で、つながることができる」と過信し、それがなかった時代のように、非常時にはどうするか?を、十分に考えていなかったことにも思い至りました。

 ご卒業生の中には、今回の被災地にご実家、ご親戚がおいでになるご家庭もあります。

 私達にできること。幸い、こうして生きて、家族とともに暮らせている私達にできること。是非、考え、実行してみませんか?

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親のすり込み

2011年03月03日 | う゛う゛ー
 我が家は、あまりテレビを観ない家、でした
報道番組やドキュメンタリーなどは好きなのですが、ドラマ(単純明快な韓国ドラマは結構好きなんですが)や映画には全く興味がなく・・・息子や娘が食事の後は自室で時間を過ごすようになってからは、食事が終わるとパソコンに向かう、というのが習慣で、テレビがついているのは、朝の時間だけ、でした

 当然、地デジ化も遅く、ついひと月前までは、大きくて分厚いブラウン管テレビの画面の下には、常に黒い帯が出て、白字で「このテレビはまもなく見られなくなります・・・」という文章がずっと流れていました。(ご覧になったことはありますか?)
 それが流れ出した頃は、とても邪魔に思えたのですが、それも慣れてしまうと、「我が家のテレビには、こういう黒い帯がいつも出るもの」として受け入れられるようになり、総務省?からのご忠告も、ちっとも忠告の意味を成してはいませんでした

 でも、そんな我が家も、遅ればせながら「薄い液晶テレビ」となり、ブルーレイレコーダーまで購入しました そして、今では時代遅れのテレビっこのように、ワンタッチのボタン操作で録画できる番組をあれこれ録画し、週末の夜には、夫とふたりで大型画面のテレビの前に陣取り、お気に入りの飲み物をサイドテーブルに置いてハリウッド映画を見たり、私は見たいと思いながらそれが叶わなかった韓国の歴史劇を見たり・・・大型画面をしばし、実感して暮らしています 

 半月ほど前、娘の勧めで、おっかなびっくり駅前の「TSUTAYA」に行きました。
まるでおばーさんのようですが、映画にもあまり興味のなかった私は、レンタルビデオショップには今までご縁がありませんでした。(息子や娘が幼稚園に入る前には、購入すると1本2万円もしたディズニーの名作ビデオを、よく借りたものでしたが)
 そんなお恥ずかしい私でしたが、せっかく来たのだから・・・と、お店のおねえさんにおたずねし、会員カードも作ろうと思い、さっそく入会。数枚の割引レンタル券をいただいて帰りました

 そして先日、初めて数本の映画を借りました。
ずっと気になっていた朝鮮戦争がテーマになっていた韓国映画、そして、同じく興味があったトム・クルーズ主演のヒットラー暗殺計画の作品。
 どちらも、爆笑痛快エンターテイメント・・・とはほど遠く、夫の出張中、深夜まで観ていると、どーんと心に来てしまい、お布団にはいっても、いろいろと考え、なかなか寝付けませんでした
 特に、私は1973年に友好訪韓団として韓国を訪問。釜山、慶州、ソウルの高校を訪問し、現地の高校生とパネルディスカッションをしたり、ホームステイをしたりした経験があります。いやというほど、日本で訪韓団のメンバーと一緒に、事前授業として、日帝時代の教育を受けて訪問したのですが、あらためて訪問した時期を思うと、朝鮮戦争後、わずか25年、というまだまだ韓国激動の時代だったのだなあ・・・などと思いました

 さてさて。
二枚目、男前俳優のトム・クルーズ氏。借りてきた映画の中では、ドイツ人将校に扮しています。ジーンズ姿などで映画に出ている同氏を、テレビ用の広告で観たりすると、ああこの人はまさにアメリカ人だなあ・・・などと思うのに、あの独特の色のドイツの軍服を着ていると、不思議とドイツ人に見えてしまうのですねえ・・・
 ハリウッド映画ですから、ドイツ人将校のはずが、セリフはすべて英語で、最初は???と思ったものですが、やはり軍服のせいでドイツ人に見えてくる・・・

 そこで。私は不思議なことに気づいたのでした
私の父は、私がとても幼い頃、毎週、欠かさず「コンバット」という戦争映画、アメリカのドラマを見ていました それこそ、ビデオもない頃でしたので、欠かさずに観るために仕事を調整したりするのは大変だったことでしょう
 父は、大変な愛国主義者なのですが、なぜか軍用飛行機や軍艦が好きで、私は小さな頃から、戦争兵器好きの父の一面が嫌いでした 戦争映画好きだった理由も、知りません。

 まあ、とにかく、私も父と一緒にコンバットを観ていると、父は必ず「危ない ナチスの奴らが来た」とか「また来やがった、ドイツ軍だ」とか、舌打ちをしながら拳を握りしめ、言っていました。
 そんな父を見て、いつしか私の幼い意識の中に「アメリカ軍は良い人 ドイツ軍は悪い人」「アメリカ軍は味方 ドイツ軍は憎き敵」という思いがすり込まれていったのでしょう。

 画面の中の二枚目俳優、トム・クルーズ。
その映画には、ほとんど連合軍が登場しませんので、アメリカやイギリスの軍人は出て来ず、全編を通じてナチスドイツの軍服ばかりですが、どうしても、「悪者」としてのイメージが先行してしまいました・・・幼い頃にインプットされた意識とは、コワイものですねえ・・・

 そう言えば。
私の夫は、早稲田大学の出身です。まさに五木寛之の「青春の門」のシンスケしゃんのように、東京の右も左もわからずに、早稲田鶴巻町の下宿に到着した夫は、初めて大隈講堂を見上げた時の感激は忘れられない・・・と話します
 早稲女になった娘が、「ああ、この前で、小さい頃、パパとよくお弁当を食べたよね」と、アッケラカンと話す意識と夫の早稲田に対する意識とは、きっと重さも違ったのでしょう
 そんな愛校心の強い夫は、我が子達が小さな頃から、頻繁に六大学野球は、早慶戦に連れていきました 
 そんな「すり込み」から、二人の我が子は、いまだに「慶應」に対しては、ちょっと不思議な敵対心がある、と笑います それに、大学受験の折、慶應を受験することにも抵抗がある、と言っていたのはおもしろいことでした。

 大人の影響。親の影響。子どもへの無意識のうちの「すり込み」。
53歳になった私にもあるのですものねえ・・・
  花まるを絶対にもらわないといけない・・・という、すり込み
  いつも真っ先に手をあげないといけない・・・という、すり込み
  一番でなきゃ、パパやママは喜んでくれない・・・という、すり込み
  必ず~~しないといけない・・・という、すり込み 
  ○○は良くて、△△は良くない・・・という、すり込み などなど。
 
 
 いろいろと諸事情はあるでしょうが・・・どんな時にも、子どもの意識をニュートラルの状態に置いてやること。それは、豊かな感性を育む上では、親や大人が気を付けてあげなければならないことかもしれないな、と感じた出来事でした
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