私の長年の夢だった「クラブ・マナーズ」の活動・・・
幼児教室マナーズを、単なる「小学校受験準備のための教室」にするのではなく、私立小学校入学した後も、子どもを豊かに成長させ、その子どもをサポートするお父様やお母様に、より素敵なご両親として年を重ねていただく something special を提供したい
お子様がマナーズに通い、受験準備をする時間はあくまで教室との縁の「プロローグ」であって、その後も長い長い素敵なお付き合いをしていきたい・・・
ここ半年、やっと、その「クラブ・マナーズ」の活動が、少しずつ動いてきたように思っています
昨日は、青山フラワーマーケットの「hana-kichi青山店」で、お花のレッスンをお願いしました 3月11日の地震があり、キャンセルも相次ぎましたが、今日、参加をしてくれた卒業生の子ども達は、春の花々の香りに包まれて、一生懸命「ブーケ作り」に熱中しました
参加者は、あと1週間で入学式を迎える新1年生から、立派に成長した新中学1年生までの7名。ブーケ作りに使う20本のお花選びから、その子の個性がよく見てとれました
小さなブリキのバケツに入った花々。そのまわりを、何度も何度も歩きながら、1本1本吟味して花を選ぶ子もいれば、あっさり20本を選んでしまう子もいる・・・
新5年生の男の子は、ピンクや赤い花を選び、自分のバケツに入れていったあと、最後に黄色の花を1本選び、バケツに入れたとたん、感嘆の声をあげました。
「わー この花の中に黄色の1本入れたら、ほら、すごくこの黄色の花が映えるよ すごいよ」
彼は、本当に興奮している様子でした。この時、まさに彼は自らの「気づき」によって、五感から震えるような感動を感じたようでした
「ここに白い紙がありますね。この白い紙の長さくらいに、全部のお花の丈を切ってください」
先生のそのお言葉を聞き、今度は子ども達は慣れない手つきで花バサミを使い始めました その切り方もいろいろ、なんですねえ・・・
紙を手に持ち、最後の1本まで、紙の長さと比べながらじっくりと切っていく子。
最初の2,3本だけ紙と合わせて切り、あとは適当に目測で切っていく子。
紙を机の上に置き、その紙の上に4,5本の花を置いて、一度に切っていく子。
なかなか上手く扱えない大きなはさみに閉口し、恨めしそうにママを眺める子。
いやいや・・・子どもとは、本当におもしろいです
長さが揃った花々は、今度は子ども達の手の中で、徐々に束ねられていきます。
1度に5本を束ね、テープで巻き、また次に5本を束ねてテープで巻く・・・そして、最後にその4束を1つにまとめ、やっとブーケが出来上がります
途中、花の色や花弁の形、葉っぱの形を見ながら好みの束にまとめ、すべてを一束にするときにも方向を変えたり、束の前後左右を入れ替えたりしながら、自分のイメージするブーケに仕上げます
最初は1本1本の別々の花だったものが、すっかり一つのまとまりとなって、花々は調和し、一層美しさが映えます その手の中の「まとまり」を眺める子ども達の満足げな顔・・・難しい顔・・・難しい顔をした子は、また束の入れ替えを始めます。
気に入った包装紙に包み、できあがったブーケを両手に持ったときの子ども達の満ちたりた顔・・・単なる笑顔というのではなく、そこには間違いなく「達成感、満足感」がありました。
今日の会は「お花のレッスン」「お花のアレンジメントのクラス」でした
とは言え、単にブーケを作る方法、スキルを学ぶだけでは、あまりに残念です 技術やスキルは、本を見たり、インターネットで調べるだけで、きっと十分に学ぶことができるでしょうからね。
けれど、花の手触り、香り、パチンと切った時の音、まとめていくときのワクワク感・・・これは、実際に経験することでしか味わうことのできないものです
本当の学びとは、スキルを習得することではなく、五感から体で感じる感動であり、成し遂げたときの充足感、安心感、達成感である・・・私はそう考えています
語学を学ぶことでも然り。言語は「手段」であって、言語学者のように、言葉そのものの研究をする以外は、決して手段以上のものではありません。どんなに「星がstar、花がflower」であると知っていても、何も意味をなしません。それは、自宅の電話番号が言えたり、幼稚園や保育園の名前が言えることと同じなのですから・・・
先生はレッスンが終わったとき、こんなふうに話してくださいました。
「今日、あなた達が作ったブーケを、明日も、あさっても、しっかりと見てくださいね。きっと、お花は違う表情になっていると思います 決して、今日あなたが作ったブーケと同じではないはずですよ。」
そうですね そんな変化を愛情を持って眺める・・・そこに驚きや感動をより強く感じられるのは、自分自身で作ったからこそのことでしょう。
「良い音楽を聴く」「名画を鑑賞する」その行為だけではなく、一人一人がもっと「深くを知り、感じ、考えること」に意味があるように思います。それは、スキルを身に着けるだけではなく、そこで感じ、考えてこそ意味があるように・・・
明日、自分で花瓶にお水を足し、四方からブーケを眺めると、使いにくかった花バサミの手に残った感覚、花の種類によって違うパチンと切ったときの音、茎の手触りを思い出すでしょうね
子ども達が楽しみながらも、苦労して作ったブーケは、明日はどんな表情をするのでしょう