まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

知っているつもり?!

2010年11月28日 | にこにこ

 A太郎さん、ある日の帰り道、ご近所のおばあさんから呼び止められます。
「おかえりお疲れ様。今、帰りかい?これ、持って帰りなさいよ うちの庭で咲いたから・・・」
 手渡されたのは、小さな「ひまわり」でした
 別段、お花が好きなわけでもなく、突然にいただいたお花に戸惑うばかりでしたが、せっかくの「ひまわり」だし・・・ということで、帰宅したA太郎さんは、手近にあった瓶に生けました
 よく見ると、そのひまわりは少し変わった品種だったのか、全体的に花びらがオレンジっぽくて、「ひまわりは、大きい花を咲かせるもの」というイメージのあったA太郎さんからすると、それはちょっと小ぶりの花でした。
 
 その日から、A太郎さんは小さな部屋の中、見るともなくその「ひまわり」を愛で、数日間を過ごします。
 へえ・・・今日は花が大きくなった気がするなあ・・・
 あれ?これって、黄色い花びらじゃなくって、オレンジに近いよなあ・・・
 おお、立派な花になったぞ・・・
 むー、ちょっと下向いてきたよなあ、花はもう終わりかなあ・・・
 う゛―、すっかり下を向いて、お辞儀してるって感じになってしまったなあ・・・
そして、とうとう枯れてしまった「ひまわり」は、捨てられました。

 その次の日、目が覚めたA太郎さんは、お部屋の変化、そして自分の気持ちの変化に気づいた、と言います
 あるべきところに、「ひまわり」がない・・・ 何だか、急にお部屋が寒々としてしまった・・・
 ああ、僕は、毎日「ひまわり」を眺めては、いろんな変化に気づき、それを楽しんでいたんだなあ・・・心が和み、そして、一日の疲れを癒してもらっていたのだなあ・・・

 A太郎さんはこの時、生まれて初めて「花」をいうものを意識した、と話していらっしゃいました。知らず知らずのうちに、A太郎さんは「ひまわり」から穏やかで豊かなパワーをもらっていたことに気づいた、と言います

 この後、すっかりその心、その気持ちの変遷、感覚を忘れられなかったA太郎さんは、それまでの仕事を辞め、「花こそが僕の天職かもしれない」と感じ、いろいろとご苦労をされた後、現在は都心からスタートした有名なお花のチェーン店の一部門を任され、毎日、お花を愛で、お花と会話をし、花のすばらしさを多くの人に伝える仕事をなさっています

 もし、A太郎さんが、ご近所のおばあちゃまから「ひまわり」をもらっていなかったら?きっと、人生は 大きく違ったものになっていたでしょうね。
 
 どんなことでも、「触れる」「経験する」ことによって、スタートします。実際にさわったり、身近に置いたり、やってみたりすることよって、初めて「感性が動かされる」のですよね
 幼い子ども達は、よく何でも「ああ、それ、知ってる」「うん、これ、知っているよ」と言います。
 でも、本当に「知っている」というのは、もっともっと深いことのように思えてなりません。そんなに安易に「知っている!」という気分にさせるよりも(きっと、知っている、ということが、とても自慢なのだと思います)、知らないことがいっぱいだから、もっともっと知ってみたいな!と思えるほうが、素敵だと思うんですよねえ

 私は、52歳になった今も、機会があれば新しいことを「知りたい」「触れたい」「経験してみたい」と思って暮らしています
 私はA太郎さんのお話しをお聞きし、何だかとってもほのぼのとした気分になりました

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学習の記憶

2010年11月17日 | にこにこ
 先週の土曜日、マナーズ卒業生のお母様達と夕食をご一緒しました
今ではすっかりお兄さん、お姉さんになったお子ちゃま達。話題は中学受験のための塾通いや高学年の学校でのお勉強の話しになりました
 ママ達から語られるお子ちゃま達が発する「憎まれ口」。私の袖を引っ張り、モジモジしていたこと・・・やっとシーソーの問題が解けて、放心したように安堵した顔・・・そんなことを思い出しながら、すでに背の低い私に追いつきそうになっている姿を想像しましたが・・・ははは、想像できません
 でも、憎まれ口もありますが、ママ達が話されるお子ちゃま達の言葉を聞いていると、心根はちっとも変わっていないんだな・・・ということがわかり、とても嬉しく思いました

 じつは、つい半月ほど前、プレジデント社の方からお電話がありました プレジデントファミリーの企画に協力していただける人をご紹介ください、というご連絡でした。私はすぐに、A高校の1年生になっているマナーズ卒業生の坊ちゃんに連絡をとろうと、お母様にご連絡をしました
 お母様から聞くA校生のH君は、すでに私の知っている穏やかではにかみやさんのH君とは別人になっているようで・・・まさに「うっせーなー・・・」「ああ、ウゼッ」なんてセリフをお母様に連発する、ギャング高1生になっているんですよね。
ここまで大きくなると、今度はかえって「ヒュ~~~~~ッ」って感じです。

 さてさて。
その夕食での話題に戻りますが・・・昔、子ども達がマナーズのお教室で学んだこと、という話題になりました すると、何とそこにおいでになった方全員が、理科の実験時の「アルコールランプ」の話題を持ち出されました。
 それが、すこぶるおもしろいお話しなんです
私もよく覚えているのですが、私はその子達が年長の時のクラスで、「マッチの話し」をしたのです。
 その年は、とても穏やかな子ども達が多い学年でね・・・私が一つのカリキュラムとして、マッチ棒を使って形を作る・・・という課題のために、マッチの小箱を一人ずつに配りました
 すると、ほとんどの子ども達は、わっと言って身体を後ろに引き、「先生、マッチって、すんごくあぶないんだよ」と神妙な顔をして言うのです。
 私は、その様子があまりにおもしろく、ちょっとここで「別の角度から、別の学習」をさせてみよう、という気持ちになりました
 あまりに怖がっているので、一層、子ども達の目の前にマッチの箱を付きだし、「なんで危ないの?」とたずねてみました。
 すると、どんどんと身体を後ろに引いていきながら・・・口々に言い出しました。
 「だって先生、マッチって火がつくんだもん
 「マッチは、やけどするんだよ
 「マッチを持ってると火事になるって」etc.
 むー・・・私は子ども達の反応、子ども達の言葉を聞いて、「ちょっと違うぞ!」と、俄然、張り切ってしまいました
 さすがに、お母様達の教育が良かったので、子ども達全員が、「マッチがどういうものであるか?」を知り、それが「危険なものである」という認識がありました

 けれど、本当にそうでしょうか?子ども達が、マッチ箱を差し出しただけで、のけぞってしまうほど、マッチは危険でしょうか?

 私は、その時、子ども達に言いました。
 「マッチって、危ないの?(そう、そう!ママに教えてもらったよ、すんごく危ないヤツなの)どんなふうに危ないのかしら?今、先生がこうして持ってるだけでも危ないの?(そうだよー、だってマッチなんだもん、火がつくヤツなんだってばー!)」

 そこで、意地悪な私は、再度、聞いてみたのでした
 「本当にマッチって危ないの?先生はね、ずっとこのお教室に、これと同じマッチを、あと10個ほど置いているよ。」と言うと・・・
「えっ?・・・・え~?・・・そんなの、絶対にあぶない・・・あぶ・・・ない・・・よ うん、あぶないよ、先生・・・」と段々と自信喪失
 
 そこで私は話しました
 「マッチはね、この棒のままだったら、危ないものではないのよ この色つきのドングリみたいなヤツと、この箱の外の茶色のザラザラしたところを、ザーってこすり合わせたら、初めて火がつくのよ 棒のままだったり、箱のままだったりしたら、いつまでたっても、いっこうに危なくはないのよ ただの、ちょびっとの火薬がついた棒、なんだから。だって、考えてみてよー。あなた達が言うように、マッチが危なくて、火事になるものなんだったら、今ごろ、教室は大火事でなくなっちゃってるわよー そう思わない?」
 子ども達にとっては、驚愕だったようです。彼らは、ひたすら、「マッチは危ない」「マッチは危険」「マッチをさわっちゃダメ」「マッチは火事になる」と教えられていたようで、何がどう怖いのか?さえ、全くわかっていなかったのでした
 
 そこで、私は「マッチの使い方」を十分に話し、ゆっくりとマッチを擦ってみせました シュッと音がして・・・火がつきました
 子ども達は、タメイキのような、低く唸るような声で、「おーーー」と言いました。まるで、道具の使い方を会得した猿人?のように、その声は、感歎の声でした
 マッチを擦ったのは私、マッチに火をつけたのは私ですが、あたかも子ども達は、自分が教えられたようにマッチを擦り、火を付けたかのように感じたようでした 指でマッチを持つ格好をして、箱を持って「シュッ」とする真似をして・・・ニコッと満面の笑顔を見せている子もいました

 あの時から4年。
子ども達は理科の時間に、「アルコールランプの使い方」を習ったのだそうです。
他の生徒達は、先生がマッチを出して、火を付ける話しをしたとたん、何となく腰が引けたような状態だったそうですが・・・ 彼らは違いました
  「ああ、あの時の『アレ』だ!マッチは、それだけでは危ないものじゃないんだ。マッチ棒を斜めに持って、シュッと滑らせるように箱の茶色の部分にこすりつける・・・そしたら・・・ほらっ こんなふうに火がつく 上手に使えば、危ないものじゃないんだから・・・」

 子ども達は家に帰り、そして理科の授業の時の話しをして、語ってくれたのだそうです。
  「ママ、あのね。今日はアルコールランプの使い方の話しをしたんだ。みんなは怖いっていって、なかなかマッチで火をつけようとしなかったんだけど、僕はちっとも怖くはなかったんだよ だって、まどか先生がね、昔、僕の目の前で、火を付けてくれたことがあったんだ。こんなふうにして火をつけるのよ、って その時、ちゃんと見てて、覚えてたからね。簡単、簡単

 嬉しかったですねえ・・・そのお話を聞いて
学習の記憶。印象の残るような、感歎、感動を伴った学びの記憶・・・その記憶がマナーズでの貴重な経験だったとしたら、こんなに嬉しいことはありません

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祈り - 11月1日

2010年11月01日 | う゛う゛ー
 今日、11月1日。東京都の私立小学校の考査日です
神奈川県や他の首都圏の私立小学校の試験日は、曜日主導や、各校の都合で微妙に変わることがあることを思えば、この東京の試験日は不変です。

 横浜という土地がどんなに東京までの足の便が良くても、私のお教室は神奈川県にありますから、11月1日の東京の考査日がその年の受験初日、ということはありません。けれど、東京校の考査日「不変の11月1日」は、やはり一年の中で私が最も緊張する特別な日、と言っても過言ではありません
 特に昨夜、今日の早朝?は、強い雨風だったため、窓の外の木々の揺れる音、風の音で目が覚め、風雨が静まった後も、もう寝付けませんでした
 毎年繰り返されることであり、私の友人達は、「最初の数年は緊張したかもしれないけど、もう18年間もこの日を迎えているんだもん。さすがに慣れるでしょう?」と言う人が多いのですが、いえいえ・・・この緊張感は、何年年を重ねても、慣れることはありませんねえ・・・

 もう10年以上昔のことですが、息子が中学受験をした時、2月1日や2日、受験をする学校の前や、最寄りの駅の前で、塾の腕章をつけた先生方が、自分の塾の子ども達を見つけては頭をポンポンと叩いたり、握手をしたりして、励まし、エールを送り、見送ってくれたことがありました あの先生方も、たぶん、私と同じようなお気持ちだったのでしょうねえ。
 毎年、毎年、同じことを繰り返していても、きっと新しい年がやってくれば、また同じ熱い思いで生徒達を送り出してくれる・・・でもなあ、あの先生方のように、直接「その日の朝」に生徒達に会って、手を握り、身体に触れてエールを送れたら、どんなに幸せでしょう・・・

 こうして、時にはパソコンの前に座り、時には窓から外を眺め、時にはランニングなどで身体を動かし、時には家事をして、「この日」を過ごすことは修行と言えるかもしれません
 信心深く、公私ともにいろいろな願掛けをする私ですが、10月に入ると験を担いで「赤い物を身につける」ことは、教室の卒業生の方々には有名なことです
 朱色のセーターを着る、深紅のマニキュアを塗る・・・真っ赤な口紅をつける・・・そのことで気持ちが高揚し、自分では、たくさんの「気」が湧いてくる気がします。そうしていると、子ども達と接している時、「プラスのオーラ」のようなものが、どんどんと発散されるように思うのです。
 でも、神奈川の考査日(今年は、10月19日でした)を含め、11月1日の考査の日は、不思議に「赤」の気分にはなれません 何と言えば良いのでしょうか・・・「赤の装い」が『動』の行為であるとすれば、考査日は『静』の日・・・祈りの日、です。

 じつは、昨年、まさに今日、今の私と全く同じ祈りの気持ちで11月1日を迎えた3日後、息子の心臓病が発覚しました。
 11月4日、横浜のホームドクターのところから、息子を車に乗せ、六本木の心臓血管研究所付属病院に移動する間も、病院での検査中も、メールが入ってきていました 考査が無事に終了したと知らせてくださるメール、今後のご相談のメール、合否のメールも・・・私は一つ一つのメールに対応をしながら、息子と夫と3人で検査結果を待ち、そして、驚愕の検査結果の宣告を受けました。
 「君が、この心臓の状態で、今こうして生きていられていることのほうが信じがたい・・・奇跡なんだよ。」から始まるドクターの検査結果報告。まるで心臓が「ここ」に取り出されて、置かれてあるかのように見えるMRIの画像・・・そんな、一連のとんでもない事実が語られても、私が至極冷静に、時には質問まで出来る状態でいられたのは、きっと、私が「祈りの時期・祈りの状態」にあったからこそのこと・・・今、あらためてそんなことを思っています。
 もし、そういう状態にいなかったら、きっと私は、にわかに重篤な心臓病患者になってしまった息子の前で、取り乱し、泣き崩れ、「先生、息子を、息子の命を助けてください」と金切り声を上げて叫んでいたことでしょう

 祈りとは・・・願いごとをすることではありません。
○○小学校に合格させてください と神頼みをすることでも、願掛けをしたり、験担ぎをすることでもありません
 そういう、ある意味、とても身勝手な、俗世的な?目の前にあるものを「触る」かのようなことではない・・・そう思っています。
 きっと、仏教でもキリスト教でも、それぞれの教理に基づく「祈りの定義・祈りの意味」というものはあるのでしょうね でも、残念ながら、不勉強な私には、そういう宗教的な祈りは、本当はどういうものなのか?ということはわかりません
 ただ、私の考える祈りとは、少なくとも「願うこと」とは違う、もっと深く、もっと自分自身の真髄に響いてくるような・・・まるで身体はそこになくなり、魂だけが強いパワーをもって正しいこと、正しいものを動かそうとする力・・・そういうものが祈りなのではないか・・・そう思っています

 心を寄せた学校、熱い思いをもって子ども達とご両親達が向かった学校に、是非ぜひ門戸が開かれますように それは私の切なる願いです。
 でも、もっとそれ以上に、教室の中で熱心に私の話を聞き、一生懸命に言葉を駆使して私に語り、真剣な眼差しで学び、成長してきた「手塩にかけた子ども達」が、持てる力を十二分に発揮し・・・そして、一番、幸せになれる道に導いてもらいたい・・・私はそれを祈っています
 その祈りの思いは・・・手術の日、私が「どうぞ私の息子の命を助けてください!どうぞ、助けてください!生かしてください!」そうひたすら祈った「祈り」と、何も違わない・・・やっぱりそう思います

 11月1日、2日、3日、4日・・・私の祈りの毎日は、まだまだ続きます。
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