まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

真心は見えます・・・

2010年01月28日 | めそめそ
 11月も半ばを迎えた頃、私は教室の卒業生のご家庭に、とんでもなく重い荷物を突然、どーんと投げてました
 「私の息子が入院した・・・大きな心臓の手術をする・・・どうぞ手術が成功するように、一緒に祈ってほしい」と・・・
 
 あの時の私は、突然知らされた息子の重病に驚き、死の危険などという、テレビのドキュメンタリーの中でしか聞いたことのないような言葉の前に、ただただ呆然としていました。ショックを受けて落ち込む、というよりも、そのとんでもない現実の前に恐れおののき「いったい、どうなってるんだあーーー これは何なんだ」と、叫びだしたい気分だった・・・今ふりかえって、そう思います

 また、ちょうどその入院と病気を知った時期は、11月1日から始まった東京校の入試の時期と重なったため、私はよけいに平常心を保たなければ!という思いが強く、一種の躁状態に陥っていたのでした。
 毎年、私は10月に入ると、自分自身のことや自分の家庭に目を向けるよりも、考査に臨むご家庭に心を寄り添わせていたい! 何よりもそれを一番に考えたい!と思う時期であり、よりによって、こんな1年で一番大事な時期に、愛する我が子の病気が発覚するなんて・・・そんな複雑な思いもありました
 今になって思えば、その躁状態、一種の奇妙な興奮があったからこそ、私は泣き暮らすこともなく、息子の病気や手術のこと、考査のこと、すべてを冷静に見据えることができたのでしょう

 「息子のために、みなさんも祈っていただけませんか」私が投げた重い重い話・・・たぶん、受け取った側のほとんどの方が「いったい、こんなとんでもないことを知らされても・・・どうすればいいのか」と途方にくれてしまわれたでしょう。
 ところが
私がメールを送信したほんのわずか5分後から、私のパソコンにはひっきりなしにメールが返ってきました そして、その返信は、何日も何日も続きました・・・

 突然、私が不躾に投げた重い荷物は、私の悲痛な叫びを芯からあたため、癒してくれる真綿のようにフワフワの、大きな大きな「心」となって返ってきたのでした
 
 私は、一つ一つメールを開くたびに、そこに並んだ数々の言葉に心打たれ、癒され・・・嗚咽が止まりませんでした。
 なぜなら、それらのメールは、決して単なるいたわりや、なぐさめ、励ましの「言葉の羅列」ではなく、まさにその人、一人一人の心・・・「真心」がストレートに伝わってくるものだったからなのです
 
 私はその時、心の底から感じました。真実の人の心は、確かに「見える」確かに「感じる」のだということを・・・

 私達はよく「心のこもった・・・」とか「心を込めて・・・」という言葉を使います。たとえば、心のこもった贈り物、や、心を込めて話す、とか・・・でもね、私は今回のことで、あらためてしみじみと感じたものです。
 「心」というものは、意識して「込めよう」と思っても、実際に込められるものではない・・・「心」というものは、そこにその人の真実の思いがあれば、無意識のうちに「こもるもの」「こもってしまうもの」だ、ということを実感しました

 それが「ありがとう」という言葉であれば、その「ありがとう」という言葉を発した人(その言葉を書いた人)に心の底からの感謝の思い・・・ありがたいなあ、うれしいなあ、という真の思いがあったなら、その「ありがとう」の言葉を聞いた人、読んだ人に必ずその人の感謝の思いは伝わり、感じられる
 それが「贈り物」であれば、その品を贈る人の「このお品を受け取っていただきたい・・・喜んでいただきたい・・・」という真心がそこにあったなら、受け取った人に必ずその温かい思い、心は伝わり、感じられる

 息子は無事に手術を終え、退院いたしました。
手術を終えてからの1ヶ月半の間も、「先生のところの坊ちゃんはどうなさっているだろう?」「もう痛くなければいいなあ・・・」「早く元気になって欲しい!」そんなふうにみなさまが思ってくださった「お心」は確かに息子の病室に届き、大きな力になりました

  心とはどんなものなのか?
  真心とは?
  言葉とは?

 今回の息子の手術、息子の入院は、私にとってその真実を知る確かな機会になった・・・そう思っています

 尊いエールを送ってくださった多くのみなさま、本当にありがとうございました 
 たくさんの祈り、お言葉、心のこもった千羽鶴・・・息子はお一人お一人にお礼を申しあげることはできませんが、助けていただいた命を大切にして、一生懸命に生きています
 入院中はパジャマ姿でベッドに横たわることなく、ICUでの5日間を除いてはずっとジーンズ姿で通しました。幸い、院内着の指定のない病院でしたので、そういうことも可能だったわけです。さぞかし窮屈だろうとも思いましたが、もともと、変人?個性的?な部類に入る息子ですので、それも「あり」かな、と見ておりました
 自分の病状、自分の病気を正確に把握、理解し、前向きに受け止めながらも、患者、病人としてではなく、一人の人間として入院生活を送ることが、みなさまからの尊いお心に応える意思表示だったそうです
 昨日から、大学にも復帰しました 

 『ただただ生きながらえることではなく、自分に課せられた制限を守りつつ、確かに生きていくこと、を考えたい
 息子が語ったこの決意をお伝えし、みなさまの「真心」に、私は母親として、そしてまどか先生として、深く深く感謝いたします
コメント (2)
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