まどか先生の「ママ達のおやつ」

ママの笑顔は、我が子が幸せであるためのママ・マジック。ママが笑顔であるために、この「おやつ」が役立つことを願っています!

こだわりで、自分を高める

2008年01月28日 | にこにこ
 日頃から、私は教室のお母様方に「どうぞ、こだわりを持って、生活をなさってください」とお話しをします。
 そういうお話しをした時、私の目の前で、お母様達が、小さく「うん・・・うん・・・」と頷かれると、ああ、わかっていただけたのだな、と安心をします。
 でも時々、ふっと、「はたして、私の真意は伝わっているのだろうか?」と心配にもなるのです

 私が使う「こだわり」という言葉。
その意味は・・・その他大勢、となるのではなく、是非、someone special であって欲しい、という意味です。someone special の人は、something special を大事になさる・・・それが、私のひとつの定義、です
 ご自分自身が、その他大勢の中の一人、としてうもれてしまう存在ではなく、言動、行動ともに「キラリと光る存在」となってみよう、と思う人になって欲しい・・・とでも言いましょうか。
 そのためには、something special の力を借りるだけではなく、それに見合うだけの人としての精進をしなければなりません

 さて、普段、私達が使う「こだわり」という言葉。最近は、よく聞くようになっていますね
 たとえば・・・
「こだわりの食材」という言葉。飽食の時代。首都圏では、どんな食材でも手に入るようになりました 世界各地から届くめずらしい食材。新種の野菜。希少価値の肉製品・・・デパートや、大きなスーパーなどに行けば、どんなものでも手に入るようになっています
 でも、そんな時代においても、敢えて「こだわりの食材」と呼ばれるものはどんなものか?と言えば・・・
  ○○さんが作ったお米
  △△の方法で栽培した野菜
  ○○で飼育されたポーク、etc. etc.
要するに、それがどんなに「一般的な食材」だったとしても、『こだわりの』というひと言が加わると、決して一般的なものではない「普通のもの、普及品ではない」ということがわかります
 とすれば、なぜ、「こだわりの食材」を使いたいのか?使おうと思うのか?ですよね。
 その答えは・・・普及品を使ったものでは満足できない人達が、もっと上級の、もっと深いところまで追求したものを求める(普及品を使ったものでは満足できない人達に、もっと上級の、もっと深いところまで追求したものを提供したい)、ということでしょう
 そして、そういうものを求める人達こそが、味そのものだけではなく、「特別なものを使う付加価値」を重要視する人達、とも言えるでしょう

 これは、ある意味、「ブランド志向」にも似た感覚があるかもしれませんね。
たとえば、「A」というものは、どこにでも売っているものであり、値段も、100円程度から手に入る・・・
 でも、100円ショップで買い求めることのできる「A」もあれば、わざわざ「○○屋」ということろに行かなければ手に入らない「A」もあり、1,000円以上もする「A」もある・・・
 では、この場合、100円ショップの「A」で満足する人と、○○にわざわざ出かけて「A」を手に入れる人、1,000円以上の「A」を買い求める人の間には、どんな違いがあるか?

 いかがですか?あなたは、どちらの人でしょうか?もちろん、「A」が何であるか、によるでしょう。そして、単純に好みとしてどちら派に属するか、ではなく、ここには経済的な問題が発生してくるかもしれません。
 しかし、あくまで「A」は、10,000円や100,000円するような贅沢品ではない、のです。
このような条件をつければ、100円ショップ派と、「○○屋」お出かけ派には、経済的な差はほとんどない、ということになりますね。
 さあ、あなたは、どちらの「派」に属するでしょう?

 最近は、教育にこだわりを持っています、という親は多くなりました ○○メソッドとか、○○式で幼い頃から子育てをしている、のように。それもすばらしいですね
 ただ、私の言う「こだわり」は、かなりこれとは意味が違います。
なぜなら、この教育へのこだわりは、ある意味、実利的、と言えます。子どもの成長において、特別な教育法を実践することで、実質的な効果を求めている「こだわり」です たとえば、その教育法にこだわることによって、他の子ども達より早く○○が出来るようになる、とか、抜きんでて△△への理解力が高まる・・・のように
 しかし、私が先ほど書いた「A」にこだわる、ということは、あまり実利的なもの、とは言えません。付加価値とは、本来、プラスαの部分で、合理的な考え方では説明のできないものだら、です。

 以前にも書いたことがありますが・・・
銀座4丁目の交差点に近いところに、便箋や封筒、祝儀袋、和小物のお店「鳩居堂」があります。
 私は、かしこまったお便りを書く時には、この鳩居堂の便箋や一筆線を好んで用います。
 今や、便箋は、それこそ100円ショップにもありますよね。再生紙を利用したものではあっても、むしろ、エコの時代には、それはそれで尊重されるべきものです
 しかし・・・私は、この方へ!という時には、事務機メーカー「コ○ヨ」の便箋でもなく、100円ショップの便箋でもなく、やっぱり、「鳩居堂」の便箋で書こう、と思うのです。他にも、京都には、「こだわりの和紙」の小物、熨斗袋など、たくさんあります。

 以前、この話を、私のクラスでしたところ・・・
さっそく、そこを訪れたお母様から、こんなメールをいただいたことがありました。
 「鳩居堂に行って、私は驚きました。そこに並んだ便箋や封筒の数。同じ『手紙を書く』にしても、世の中には、これだけ、便箋や封筒にこだわる方がいらしたんだ・・・私の知らなかった世界です。私は、そのことに驚き、何というのでしょうか、何もそんなことを考えていなかった自分に、肩をすくめたい気分になりました」
 私は、まさに、お伝えしたいことが、しっかりと伝わったんだな・・・と実感したものです

 こだわり・・・付加価値のこだわり・・・
私は、それを人としての潤いである、と感じています。そして、付加価値のあるもの、良いものにこだわることは、それに見合う自分になろうと、自己を高める良いチャンス、だとも思っています
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両親の日本語力

2008年01月17日 | う゛う゛ー
 私は、折に触れ「母国語の大切さ」を説いています
独身時代、4年間子ども達に英会話を教えていた私は、国際語としての英語の重要性を、十分に認識していますし、実際、外国語が話せることから広がる広い世界も実感しています
 しかし、それでも尚、「まずは母国語」という思いを、ここ数年、一層強くしています。

 つい先日、私は思い立って、主人と一緒にスポーツクラブに行きました。そこは、日頃から私がメンバーになっているクラブで、中にはスパやマッサージ施設も併設されており、その日は是非、主人はそのスパ施設のほうに行ってみたい、と言い出したからです
 その時、あいにく私は、お正月に帰省をする時、財布からかさばる不必要なカードを抜いていたため、スポーツクラブの会員カードを持っていませんでした 出先で、そのクラブに立ち寄ることを決めたので、私はカードを持たないままで、そこに行くことになります。

 それでも、メンバーではなくても、日頃からスパやマッサージの施設は使える、ということは知っていましたので、立ち寄ってみることにしました
 そこで、私は愕然とすることを経験することになったのでした

 スポーツクラブに入っていくと、元気な「あけましておめでとうございます」の声が、フロントから聞こえました。いつも、気持ちの良いあいさつです
 普段なら、そこでカードを見せ、タオル等をもらい、ロッカーキーを受け取ります。その間の会話は、ある意味、決まり文句、のようなものでした。
「あけまして・・・」のあいさつと同様、毎回、その入場の手続き、その時の会話は、歯切れの良い、テキパキとしたもので、いつも気持ちよくその言葉を聞いていたものでした

 「バスタオルと、タオルをご用意すれば良いですね?・・・今日は、靴のご利用はありますか?・・・かしこまりました・・・では、これが本日ご利用いただくロッカーきーです。・・・いってらっしゃいませ
 しかし、この日は、私がメンバーカードを忘れたことと、メンバーではない主人が一緒、ということで、いつもとは状況が大幅に違っていました。

 私は、こちらの希望として、私はメンバーだけれどもカードを携帯していないこと、それでも主人がスパを利用できるかどうか、利用できるのであれば、それに対する費用はいくらになるのか?ということを、たずねました。

 ところがどうでしょう
フロントのお嬢さんは、私の言ったことが、即座には理解できなかったようでした
 私は、日頃からおしゃべり好きで、用件だけではなく無駄口もたたくほうなので、あらためて相手がわかりやすいように、いらないお話しを取っ払い、要点を整理して、再度お伝えしました

 つまり・・・
  私はメンバーだけれども、この日はメンバーカードを忘れてきたこと
  主人はメンバーではないけれども、スパを利用したい、ということ
  もし、それが可能であれば、いくらお支払いをすればよいのか?ということ

 以上、3点です。
しかし、そのお嬢さんは、やっぱり、「えーっと・・・ それはー・・・」と、困った顔で言うばかりです。
 私は、この状況にも閉口しました。なぜなら、自分では答えられない用件ならば、「少々お待ちください すぐに、お客様のお話しに、きちんとお答えできる者を呼んでまいります」と言い、誰か上司を捜せば良いでしょう?
 とうとう、私もしびれを切らし・・・
「ややこしいことをおたずねしてごめんなさいね。どなたか、詳しいことがおわかりになる方は、中においでになるかしら?」と言ってしまいました
 お嬢さんは、どんよりとした感じで、「ああ、はい・・・お待ちください・・・」と言って事務所に入って行きました

 出てこられたのは、何度か以前、お見受けした少しは年上の方でした。
しかし その上司と思しき人が登場しても、彼女が、私がおたずねをしたことを、短時間でその上司に伝えられるわけもなく・・・
 そこで、また、彼女はしどろもどろで、私の言ったことを、全く要領を得ず、トンチンカンに伝えるばかり
 私は彼女の傷つけないように、気遣いながら、3度目?4度目?その上司に同じことをたずねました。
 私は、この時ほど、若い人達の「国語力の低さ」を痛感したことはありませんでした

 フロントのそのお嬢さんは、アルバイトさんでも、パートさんでもありません。正社員なのだそうです。
 しかし、彼女は、お客様の話を正確に聞き、理解する力が備わっていたとは思えませんでしたし、また、人に何かをそ伝える会話力、表現力も身についていませんでした

 でもね、人間的には、とっても笑顔の素敵な、人をホッとさせてくれる力のある、チャーミングな方なのです
 ああ・・・何てもったいない・・・こんな素敵なお嬢さんなのに・・・ 私は、その方が素敵な人であったからこそ、本当に残念に思えたのでした。

 たぶん、こういう方は、今の世の中にはたくさんいるのでしょう。その人達も、普通に普段は生活できているのです。自分のしたいこと、食べること、寝ること、のような日常の必須の会話力があれば、必要最低限のことはでき、仲間との世界の中で、おもしろおかしく生活することはできるから

 私は、スポーツクラブの帰り道、そのお嬢さんの姿に、今の子ども達の成長した時の姿を重ねずにはいられませんでした

 現在、子どもを育てているご両親が、自分たち家族の生活の中で、親子の会話が十分に成り立ち、それこそ衣食住に関することだけを中心の話題として生活をしていれば、ほとんどの方は、「我が子の国語力には何の問題もない」と感じていらっしゃるでしょう。そういう普段の生活で使われる言葉、語彙は、決まり文句が多いわけですし、子どもの表現力が稚拙でも、親は無意識に我が子の足りない言語力を、自分たちが補ってしまっているからです。

 しかし、そんな家族の中の小さな世界の中だけではなく、子どもが両親以外の第3者に話すことを考えてみたら???
  お子様方には、何かを説明するだけの語彙、表現力が育っていますか?
  自分たちで何度も違う言い方、表現を使わなくても、スムーズにお子さんは、親の言葉を理解できていますか?

 小学生になってから、学校の国語の時間に習うことで、国語力は養える、と思うのはあまりに無謀です 
 そして、成長の途上で学んでいくから平気だよ、と思うのも、やっぱり無理があるはず。なぜなら、中学生になってしまってから、「勉強」として習う外国語が実際に身にいていますか?きっと、答えはNOでしょう
 言葉は、小さい時、無意識に聞いたり、話したりしていくからこそ、身に付いているのです。それを思えば、家庭での会話、親子で用いる言葉が、どれほど子どもの言語力に大きく影響をしているか?が理解できるでしょう
 現代人は活字離れで文字を読まず、当然、書かれた文章の中から「新しい語彙」を学習することも少ないのですから・・・

 難しい言葉を教え、会話をしなさい、と言っているのではありません
 大切なこと・・・それは、親自身が「言葉」というものを「道具以上のもの」として扱い、大事にして、言葉に宿る心を感じ、我が子に接していくこと。
 自分達が話している言葉が子どもの言葉のお手本になっていくことを認識し、自らが正しく美しい言葉を身につけることこそ大切でしょう

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生きるパワーを感じる?

2008年01月04日 | にこにこ
 あけましておめでとうございます 2008年、晴天に恵まれ、穏やかに明けました。
 今年は我が子の○○の年・・・、△△の年・・・、というふうに、年明けと同時に今年を「特別な年」として、緊張の思いで迎えた方もおいでになるでしょうね。
 すべての方々にとって、実り多い、素敵な年となりますよう、心よりお祈りいたします

 私は、年末の30日より、家族も一緒に大阪の実家でお正月を迎えました 31日には、一人暮らしの主人の母も加わり、賑やかな年明けとなりました。
 横浜の自宅にいる限り、私ペースで事が運び?!、私の天下なのですが・・・ここにいるとそうはいきません 結婚まで25年間の悪しき習慣がよみがえり、ひたすら働く・・・働く・・・ 三が日が終わった今日4日、ちょうど横浜に帰り時です

 今日は、大阪のオモシロ話をご披露しましょう
みなさんは5,6年前、違法な路上駐車撲滅のため、総理府が制作したCMを覚えていらっしゃるでしょうか?
 内容は、大阪の路上。違法駐車をしていた大阪のオバチャンに、警察官が「違法駐車です」とチケットを切ろうとしたとたん、オバチャンがものすごい勢いでまくしたてる・・・
 「違法駐車?みんなやってるやんか ほら、みんな停めてるやん 私だけちゃう(違う)やん なんで私だけ怒られんといかんの」みたいなセリフを話す、というもの。
 私はあのCMを見たとき、大爆笑をしたものです うんうん、わかるわかる、みんなこんなふうに言うに違いないだろうなあ・・・ 
 むかーしむかし、北野たけしさんが、ビートたけしとして漫才をしていた頃、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とネタで話し、笑いをとっていましたが、まさに大阪のオバチャン達の感覚は、「これ」ですねえ
 とは言え、大阪を離れて25年。体裁を構う?!関東婦人の感覚のほうがフィットした私は、すっかりその生活に慣れ、なかなか日頃はこういうオバチャンに触れる機会はなく、身近に体験する機会には恵まれませんでした

 ところが・・・お正月2日、おつかいで実家のそばの梅田のデパ地下に出かけた時のこと。幸いにもこの「大阪オバチャン」に遭遇しました

 60代のオバチャン。5,6歳のお孫さんを二人連れて、私の前を歩いておられました。孫二人は、お正月ということもあって、完全にふざけモード おばあちゃんが背負ったリュックから出た2本の紐を引っ張り、キャーキャー言いながらおばあちゃんの後ろを歩きます。
 まあ、さすがにかわいいわねえ、とは思えませんでしたが、お正月ということもあり、私も少しは微笑ましい光景だと見ていました
 しかし、その直後、おばあちゃんがデパ地下の入口に入ったとたん、二人の孫のふざけモードは頂点に達し・・・二人とも紐を持ったままで入口に寝っ転がり、入口を塞いでしまいました 後続の人たちが次々に入口で立往生をしました。
 
 さすがに、ちっとも孫たちを叱りもせず、爆笑しているおばあさんに閉口した私は、寝っ転がってふざけている二人の孫達の腕をトントンと叩き、言いました。
 「ねえねえ、あなたたち、そこで寝っ転がってたら、入ってくる人達の邪魔になるんよ。迷惑だから、立ち上がりましょう

 すると、おばあちゃん、すかさず・・・
 「ほら、あのおばちゃん、おこったはんで(怒っているわよ) 立ち、やてえ(立ちなさい、だって)
 と孫達に声をかけ、私のほうを向いてものすごい形相で睨みました。
あまりの非常識さに私はびっくり。少々顔をしかめたとたん・・・
 「なんやのアンタ たかが子どものすることやんか 入口でしただけやんか なんやの、何えーかっこ(いい格好を)言うてんの

 ひゃー、これこれ、これですね あの総理府のCMをライブで見た気がしました 
 おばあさんの言葉を聞いた瞬間は、あまりの非常識さに呆れましたし、子どもへの教育も躾もあったものじゃないな、と憤りも感じましたが、すぐに、おかしくなりました
 「なんやのアンタ!」は、吉本新喜劇のようですし・・・
 「たかが子どものすることやんか!」は、完全に低次元の勘違いですし・・・  「入口でしただけやんか」は、意味のない言い逃れ・・・
 本当に、総理府が作った違法駐車のCMのように、大阪のオバチャンの悪しき部分を象徴するような出来事で、「良いもの、見せてもらっちゃった!」の気分になりました。

 善悪の次元で言えば、このオバチャンは間違いなく「悪」でしょう
大人として、孫への教育は出来ていませんし、悪い点を指摘された時、悪を悪として受け入れ、それに対して反省もしていません。
 単に自分にとって心地悪い時間になったことに腹を立て、道理に反する意味のないことを捨て台詞として言っただけです
 しかし、何と言うのでしょうか、これほど善悪を超越した「ものすごいパワー」を感じることは久しぶりでしたねえ
 こういう「覇気」というのでしょうか、「生きる気」とでも言うのでしょうか・・・60代後半に見える老人から、パワーを感じる、ということは凄いなあ、と思えました

 実家に帰宅してから、この話を披露したところ、私の母は「大阪とは言え、普段はそんな人はいてないよ!」と憤慨し、大阪のオバチャン代表として、すでに大阪人でもなく、かと言って関東人でもない「中途半端の私」に本気で怒っていました
 実際、これも「大阪をけなされると、必死に抵抗する大阪人」らしい、と思えたのですが・・・

 パワフルに生きる 勢いを持ってたくましく生きる これは、本当はとても大切なことですね。
 今年も一年、プラスの気を出して、笑顔で、勢いを持って生きていきたい・・・苦笑しながら、そんなことを感じた出来事でした
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