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マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

首の検査結果を前にあらゆる可能性かけめぐり

2016年01月21日 | 日常

首の検査を前に、

「色々な可能性」が頭をかけめぐるのだけれど、

以前だったら「最悪の可能性」に怯えまくる自分だったろうに、

今では、ああ、もしそうだったら、残り時間何をしたらいいだろう、

そんなことばかり考えていた。

 

まあ実際に「最悪の可能性」を前にしたら、

また恐れおののきもするのかもしれないけれど・・・。

 

やりたいと思うことを、

とてもとてもそんな限られた時間に詰め込むことはできないけれど、

それでも、ただ、「体は有限、内は無限」という気持ちで、

淡々とできることを続けていくかなと思う。

 

それにしても、

まだまだ本当に言いたいことが全然言えていないという気持ちの大きさに、

自分でも驚いた。


夏の引っ越しに向けて、自分たちが大切にしたいもの

2016年01月15日 | 日常

夏以降に暮らす場を吟味する日々。

 

アラスカから越してきたときは、

限られた期間に空いているそれなりのサイズ&プライスの貸家があり、

学校もそれなりならばよし、

とにかくひとまずこちらへ大移動しなくては!という様子だった。

まあ、住んでみないことには分からないこともあるだろうしね、

という気持ちもあって。

 

今回は、

遠くても車でここから1時間半内。

実際に出かけ街の雰囲気を感じ、

学校へもいくつか問い合わせ訪ね。

 

学校も、

公表されている「統一テストの結果」だけでは、

なかなか見えないものがある。

 

人種的にも、経済的にも、

子供にとってのプログラムや、クラブや、課外活動などにも、

もう少し多様性のある地を希望。

 

ここでの5か月近く、

自分たちが何を大切にしたいのか、

より見えてきたなあと思う。

 

引っ越しは、大変だけれど、どんどん手放せていい。


アート三昧冬休み!苦しいけど楽しいんだろうなあと

2015年12月25日 | 日常

アート三昧の冬休み&ホリデイ!

アクリルペイント。

長女14歳

次女11歳

自分の部屋でも、

次男6歳

長女と次女、

ストリング・アート。

これらの釘にカラフルな糸を張っていく。

 

クリスマスデザート!by 次男&三女

 

 

我が家の場合アートは、

うまくできない!思うように表せない!葛藤と向き合いつつ、

「形」を築き続けていく体験の積み重ねのようなものかもしれない。

 

うぎゃーと癇癪、うわーんと部屋へ駆け込んで泣きじゃくる、

なんてドラマもしょっちゅう。

 

それでもしばらくして、

再びいそいそと向き合い。

そんな兄弟姉妹の様子を見ながら、

自らを見つめなおしたり。

 

アートって苦しい、

でもむちゃくちゃ楽しい、

子供たちを見ていて、

そんな気持ちなのだろうなあと思う。


頭にこびりついたステレオタイプの修正、その人その子と向き合って

2015年12月03日 | 日常

「なぜ外国人観光客を心から歓迎できないのか」日系ビジネス 2015年12月3日記事より。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/120100094/?P=1

 

 

ヒトは未知の集団に会うと、

「敵/ 味方」に分けるという認知構造を持っていると。

これは、人類が生き残るために長い間かけ培われてきた性質。

確かに、見知らぬ集団にもすぐに尻尾をふって寄っていたら、

誕生以来99パーセントを狩猟採集によって暮らしてきた人類の生存率は、

格段に低くなっていただろう。

 

そしてそうした「敵/ 味方」といった「分類」に用いられるのが、

ステレオタイプと。

それまでに手にした情報を寄せ集め、

「この集団はこういう人達」と一般化する。

 

その際、ヒトにとってポジティブな情報より、

ネガティブな情報ほど、

記憶に残り易いという性質が関わってくる。

この性質も、

生存や財産を守るために長い間をかけ培われたもの。

確かに、

「あの岩場にはライオンがよくいる」という情報をしっかり覚えていることで、

人類は生き残ってこられた。

 

長い間をかけ根付いたこうした性質のため、

ヒトは往々にして、

ネガティブな情報に基づいたステレオタイプを頭にこびりつけて、

目の前の集団に向き合いがち、と。

 

なるほど、と思う。

 

打開策としては:

 

1.未知の集団について、より知り、

理解できない行動についても、

なぜそうするのかを彼らの文脈から考えてみること。

 

2.個々人と繋がることで、

ステレオタイプを修正していくこと。

 

記事の中で、そう社会心理学者の松田英子氏。

 

 

 

本当に。

個々と繋がれば繋がるほど、

ステレオタイプははがされていく。

アメリカ人、日本人、子供、先生、問題児、発達障害者、ギフテッド、アーティスト、、、、、

 

個々の多様さに触れ、

頭にこびりついたステレオタイプを修正し続けたい。

 

目の前のその人その子を見つめて。

日々の出会いの中で、覚えておきたいこと。


小分けしひとつずつ着地点を見出して

2015年10月10日 | 日常

ああ、このむちゃくちゃなリビングルームを片づけるのーーーー。

週末の家事当番リストを見ながら、

途方に暮れる三女と次男。

 

昨夜は夕ご飯の後にも遊んで遊んで、

そのまま遊び疲れて片づけずにベッドへ行ったのだった。

 

 

「少し細かく分けて見てみようか」、

そう声をかけてみる。

 

・散らばったミニカーはどこに行く? あの箱―。

・ミニカーの道路は? ばらばらにしてあの箱―。

・散乱した色えんぴつは? あの箱に並べる―。

・散らばった用紙は? リサイクルー。

・サイエンスキットは? この箱とこの箱―。

・図書館の本は? ここに積むー。

 

すると、「結構、大したことないかも・・・」と三女。

 

これはとてもとても無理!と感じることも、

細かく分け、ひとつずつ解決策を見つけていくのなら、

結構、手に負えないこともないかも、

そんなことを、改めて子供達と実感した朝。

 

 


我が家なりの着地点を日々模索

2015年10月10日 | 日常

昨日は長女と長男の高校パレード。

部活別、クラス別に、山車。

ばらまかれるキャンディーをたくさん集めた次女と三女と次男。

 

昨夜の話し合い1:どのキャンディーをどれくらいキープするか。

今月末のハロウィンと合わせるのなら、全部キープするとなると、365日毎日食べてもなくならないほどだったりする。

プラス、こちらのスイーツは着色料香料添加物半端ないものも多い。

ちょっとだけならね、とはいかないこの量!

「よりヘルシーで大好きな食べ物と交換する」などの案を出し合って。

 

 

それで今日は、高校あげてのダンスパーティー。

昨夜の話し合い2:パーティーの後スリープオーバー(友人宅伯)するかしないか。

長女長男、真夜中ボーリングやらいくつか誘いの声がかかっている。

来て早々友人に囲まれありがくはあるものの、

アラスカでは友人といえば家族ぐるみで知った人ばかりだったのが、

こちらでは全く知らない人々との繋がり。

中学生の次女も、既に誕生会を含む三度のスリープオーバーにお呼ばれしている。

中学生はまだ親がかなり細かく関り連絡を取り合うものの、

高校生ともなると、各家庭、結構本人任せだったりする。

上の学年になれば自分で車も運転できるし。

こちらでの課題のひとつ。

 

我が家なりの着地点を日々模索。

 


一年生に習いクラゲにみとれて

2015年10月10日 | 日常

一昨日は次男のクラスの遠足の補佐で、

バルチモアの国立水族館へ。

 

興味あちらこちらに飛びまわり、

元気溢れる一年生、

を1人も迷子にさせず帰りのバスまで導く大変さ。

 

子供ってつくづく、

今目の前に起こっていることを全力で楽しむ天才。

 

開いて

閉じて。

 

クラゲの柔らかさにみとれつつ。

 

 


学校側との話し合い、スタッフの方々に感謝

2015年09月15日 | 日常

昨夜はこの学校区の数学&ギフテッドプログラムエキスパートの方とミーティング。

友人宅のディナーに誘われていてその道中だからと、

勤務時間外に家の近所の小学校に来てくださる。

 

開口一番。

「5人子供さんがいますからね、

一つ一つの学校に問い合わせていたら大変でしょう。

だからこういう場があると助けになると思うんですよ、

さあ、何でも聞いてください!

私はより大きな全体像を話すことができると思います。」

 

ハイテンションでやる気に溢れた方で、

次から次への質問の一つ一つに、

熱意のこもった姿勢で答えてくださる。

 

一時間ほども!

小学校から高校、そして大学進学までについて溢れる情報。

「すぐには消化できないほどの情報量に満たされるのはいいことですよね」

とにっこり。

 

これほどやる気に溢れた方が上司にいたら、

周りも士気が上がるだろうなあ。

話内容とは関係ないのだけれど、

その熱意熱情の源に思いを馳せた夜だった。

 

 

先週末には、

小学校のリーディングのエキスパートの方が、

今週から始まるという「リーディングプログラム」について詳しく教えてくださった。

 

この区域は様々な所得者層が混ざっていて、

この小学校も低所得者層のいる学校という指定がされている。

その中でも過去数年で最もアカデミックが改善したと表彰を受けたのよ、と嬉しそうに。

学年にとらわれずその子自身のレベルに合わせたグループ分けがされ、

8週間ごとにテストやスタッフによる審査があり、

その子の進行度によってグループ間を動くことができるという流動性の高いシステム。

「子供によってレベルも進行スピードも違いますからね」と。

 

それで次男の方は、

毎朝半分眠い状態では「行きたくなーい」と泣くものの、

着替え始めご飯を食べとしっかり目が覚めるにつれ、

行く気も高まるよう。

自ら弁当箱を詰め、プリントを整理し、あ、時間だよーと玄関を飛び出していく。

帰宅後はかなり調子よく、

昨日は「新しいリーディングのクラスたのしー」と。

 

担任の先生も、

話し合いの後、少し気をかけてくださっているようで、

先生の話をすると次男の表情がほころぶ。

 

スタッフに恵まれありがたい。

 

 

一日一度ほど、

「ホームスクールの話し合いはどんな様子?」と聞きにはくるのだけれど、

様子を見守りつつ、できることをしていきたい。

明日は小学校でのボランティア・トレーニング。

この学校では親がボランティアに入るにもトレーニングが必要とのこと。

確かに学校で出会う方々、言葉の使い方や子供に向き合う姿勢など、少し統一感があるという印象。

どんな内容なのか、楽しみ。

 


ホームスクールという選択を前に、学校生活の様子

2015年09月11日 | 日常

あちらこちらに出かけたり問い合わせたりと、

ホームスクールについて情報を集めつつ、

次男の様子を見守り、本人とそして周りの人々と話し合う日々。

 

「ママと一緒にいたい」

「学校は長過ぎる」

といった言葉から、

少しずつより具体的に次男の頭や心にひっかかっていることが見えてくる。

 

・朝のカレンダーの歌、毎日日付や曜日を変えてリズムに合わせて歌うのがうまくできない。

・スクールバスで登校したくない。

 

またここ数日の出来事:

「図書室の先生が、学校のポリシーが書いてある用紙を持ってくるようにと言った。

学校の一番初めの日に渡されたやつ!」

と帰宅するなり探し始め。

 

「他者を重んじる、プロパティーを重んじる、自分を重んじる」と書かれた用紙、

学校のパンフレットにも書いてあるしと、

とっくにリサイクルに出してしまっている。

 

この世の終わりのような泣き顔。

 

そこで、学校のウェブにあったものをコピーして、拡大して、プリントアウト。

「失くしてしまったので、ウェブからコピーしましたと書いて、親としてサインしてほしい」と言うので、

その通りに書き添えると、バックパックにしまい、ほっとした表情。

 

多分、わざわざ一週間前に渡された用紙を持ってきなさいということはないだろうと思う。

「大切だから覚えておきなさいね、忘れないようにいつも持ってくるのもいいね」ぐらいの言葉だったのじゃないだろうか。

 

実はその2日前も帰宅中の車の中で「先週渡された算数のプリントを持ってくるようにと先生が言った」と、

帰宅するとすぐに探し始めるということがあり。

エキストラの課題になっていたゲームなど隅々まで全てやり持って行ったけれど、

先生はさっと目を通して集めなかったと言う。

「復習しておきなさいね」ぐらいの言葉だったのじゃないかと思う。

 

「なかったら、失くしちゃいましたって言えばいいのよ。どうってことないんだから」

「先生に頼めばいくらだってコピーしてくれるわよ」

私や姉達からそう言われながらも、必死の泣きべそ顔で探す次男。

 

 

こうしたことを踏まえ、昨日は担任の先生と話し合い。

・朝のカレンダーの歌がうまく歌えないとナーバスになっていること。

・決まりやルールを一生懸命守ろうとすること。

・それほど重要でなく見えることでも気になり、悩みこんでしまう場合があること。

・音などに敏感なこと。

などなどシェアし。

こう見ると、一見何らかの「発達障害」にも見えるのだけれど、

特徴としては、家の外では癇癪を起したり取り乱したりという様子を見せないこと。

家族以外の人の前では、どれほど苦しくても動揺していても、何事もないような表情を装っていたりする。

 

「歌? 大丈夫、いつかできるようになるわよ。そんなこと大したことじゃないのよ」

老齢の担任の先生、ニコニコと次男を見つめながら。

「誰も完璧になんてできないのよ。うまくできないことも間違えちゃうこともある。大切なのは、その時のベストを尽くすことよ」

そうおっしゃる先生に笑顔を見せようとしながら、

今にも泣きだしそうな表情の次男。 

 

先生、私の方を向いて、

「メダルを持ち帰ったでしょう、あれを与えるのはとても珍しいことなんです(毎日交代だと思っていた)。

彼は模範的な生徒なんですよ。彼のような子がもっとクラスにいるといいんですが」と。

 

教室に向かう途中にも、

他のクラスの先生が次男を示し、

「この子は本当にadorable(愛らしい)なんですよ」とおっしゃってくださる。 

 

次男的には、

「模範であろう」というより、

やるべきことをやろうと必死で、

結果「いい子」に見られもするということなのだろう。

 

これから少しずつ、

言葉のニュアンス的な部分を理解したり、

思うようにできない時でも、

言葉にして周りに伝え解決に向け自ら動いていくなら何とかなっていくもの、

そんなことを実感として学んでくれたらなと思う。

 

そのためには、

親切で温かいスタッフの方々に囲まれたこの小学校という環境で

時間をかけていくのも一つの方法なのだろう。

 

 

 

 

 

もやもやとした「学校がイヤ、ママといたい」という気持ちを、

「なぜだろう?」と言葉で整理し表現し、

一つ一つどうにか解決できないかと動いていく。

そうしてプリントや歌やルールやスクールバスを止めて私が送り迎えをするなど具体的な心配事が緩和することで、

(他にも、「去年あったスナックタイムがないのでランチまでにお腹がすき過ぎる」とのことで朝ご飯を多めにしたり)、

ひとまず泣き続けるということはなくなりつつある。

 

それでも変わらず「学校へ行きたくないという気持ち」は強いようで、

その原因となっているのが、勉強内容のようだ。

「去年よりかなり簡単。書く練習が難しい。長過ぎる」と。

 

見ていると、

「低学年時に先のことをするのはよくない」というこの学区の哲学の下、

内容的には確かに去年よりかなり容易なことをしているようだ。

またあれこれ作ったりとプロジェクトづくしの去年に比べ、

机に向かってドリルや読み書きの繰り返しに大半を費やしている様子。

そして先生もやはり進みが気になる子達につきっきりになるようで、

残りの子達は、同じような課題を前にずっと座っているということもあるようだ。

 

 

情緒面で心配事に囲まれ必死の中、

それでも去年は感じることのあった勉強面での学ぶ楽しさもあまり感じられない。

今のところ、そういうことなのかなと思う。

 

私自身は、先のことをどんどんする必要はないとは思うけれど、

様々な角度から眺めたり試したりと、学びに深みはある方がいいだろうとは思う。

そしてそれは、公立の一般的なクラスでは、なかなか難しいのだろう。

 

来週には、

再び先生やスタッフの方々とミーティングすることになっている。

次男の様子を見守りながら、できる範囲でできることをしていきたい。