あちらこちらに出かけたり問い合わせたりと、
ホームスクールについて情報を集めつつ、
次男の様子を見守り、本人とそして周りの人々と話し合う日々。
「ママと一緒にいたい」
「学校は長過ぎる」
といった言葉から、
少しずつより具体的に次男の頭や心にひっかかっていることが見えてくる。
・朝のカレンダーの歌、毎日日付や曜日を変えてリズムに合わせて歌うのがうまくできない。
・スクールバスで登校したくない。
またここ数日の出来事:
「図書室の先生が、学校のポリシーが書いてある用紙を持ってくるようにと言った。
学校の一番初めの日に渡されたやつ!」
と帰宅するなり探し始め。
「他者を重んじる、プロパティーを重んじる、自分を重んじる」と書かれた用紙、
学校のパンフレットにも書いてあるしと、
とっくにリサイクルに出してしまっている。
この世の終わりのような泣き顔。
そこで、学校のウェブにあったものをコピーして、拡大して、プリントアウト。
「失くしてしまったので、ウェブからコピーしましたと書いて、親としてサインしてほしい」と言うので、
その通りに書き添えると、バックパックにしまい、ほっとした表情。
多分、わざわざ一週間前に渡された用紙を持ってきなさいということはないだろうと思う。
「大切だから覚えておきなさいね、忘れないようにいつも持ってくるのもいいね」ぐらいの言葉だったのじゃないだろうか。
実はその2日前も帰宅中の車の中で「先週渡された算数のプリントを持ってくるようにと先生が言った」と、
帰宅するとすぐに探し始めるということがあり。
エキストラの課題になっていたゲームなど隅々まで全てやり持って行ったけれど、
先生はさっと目を通して集めなかったと言う。
「復習しておきなさいね」ぐらいの言葉だったのじゃないかと思う。
「なかったら、失くしちゃいましたって言えばいいのよ。どうってことないんだから」
「先生に頼めばいくらだってコピーしてくれるわよ」
私や姉達からそう言われながらも、必死の泣きべそ顔で探す次男。
こうしたことを踏まえ、昨日は担任の先生と話し合い。
・朝のカレンダーの歌がうまく歌えないとナーバスになっていること。
・決まりやルールを一生懸命守ろうとすること。
・それほど重要でなく見えることでも気になり、悩みこんでしまう場合があること。
・音などに敏感なこと。
などなどシェアし。
こう見ると、一見何らかの「発達障害」にも見えるのだけれど、
特徴としては、家の外では癇癪を起したり取り乱したりという様子を見せないこと。
家族以外の人の前では、どれほど苦しくても動揺していても、何事もないような表情を装っていたりする。
「歌? 大丈夫、いつかできるようになるわよ。そんなこと大したことじゃないのよ」
老齢の担任の先生、ニコニコと次男を見つめながら。
「誰も完璧になんてできないのよ。うまくできないことも間違えちゃうこともある。大切なのは、その時のベストを尽くすことよ」
そうおっしゃる先生に笑顔を見せようとしながら、
今にも泣きだしそうな表情の次男。
先生、私の方を向いて、
「メダルを持ち帰ったでしょう、あれを与えるのはとても珍しいことなんです(毎日交代だと思っていた)。
彼は模範的な生徒なんですよ。彼のような子がもっとクラスにいるといいんですが」と。
教室に向かう途中にも、
他のクラスの先生が次男を示し、
「この子は本当にadorable(愛らしい)なんですよ」とおっしゃってくださる。
次男的には、
「模範であろう」というより、
やるべきことをやろうと必死で、
結果「いい子」に見られもするということなのだろう。
これから少しずつ、
言葉のニュアンス的な部分を理解したり、
思うようにできない時でも、
言葉にして周りに伝え解決に向け自ら動いていくなら何とかなっていくもの、
そんなことを実感として学んでくれたらなと思う。
そのためには、
親切で温かいスタッフの方々に囲まれたこの小学校という環境で
時間をかけていくのも一つの方法なのだろう。
もやもやとした「学校がイヤ、ママといたい」という気持ちを、
「なぜだろう?」と言葉で整理し表現し、
一つ一つどうにか解決できないかと動いていく。
そうしてプリントや歌やルールやスクールバスを止めて私が送り迎えをするなど具体的な心配事が緩和することで、
(他にも、「去年あったスナックタイムがないのでランチまでにお腹がすき過ぎる」とのことで朝ご飯を多めにしたり)、
ひとまず泣き続けるということはなくなりつつある。
それでも変わらず「学校へ行きたくないという気持ち」は強いようで、
その原因となっているのが、勉強内容のようだ。
「去年よりかなり簡単。書く練習が難しい。長過ぎる」と。
見ていると、
「低学年時に先のことをするのはよくない」というこの学区の哲学の下、
内容的には確かに去年よりかなり容易なことをしているようだ。
またあれこれ作ったりとプロジェクトづくしの去年に比べ、
机に向かってドリルや読み書きの繰り返しに大半を費やしている様子。
そして先生もやはり進みが気になる子達につきっきりになるようで、
残りの子達は、同じような課題を前にずっと座っているということもあるようだ。
情緒面で心配事に囲まれ必死の中、
それでも去年は感じることのあった勉強面での学ぶ楽しさもあまり感じられない。
今のところ、そういうことなのかなと思う。
私自身は、先のことをどんどんする必要はないとは思うけれど、
様々な角度から眺めたり試したりと、学びに深みはある方がいいだろうとは思う。
そしてそれは、公立の一般的なクラスでは、なかなか難しいのだろう。
来週には、
再び先生やスタッフの方々とミーティングすることになっている。
次男の様子を見守りながら、できる範囲でできることをしていきたい。