ダーリン三浦の愛の花園

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明日のためにその222-殺されたミンジュ

2016年03月10日 | アジア映画
権力、貧困の差への強烈なメッセージ。

組織、特にサラリーマンにとっては、会社と言う組織は絶対的である。
上司の命令は絶対的であり、有無を言わさず実行させる時もあるだろう。
私自身、サラリーマン社会の中で、上司の命令に「絶対」を信じたことはない。
自分自身で考え、正しければ命令に従うが、そうでない時は、命令に従ったことは無い。
そのような生き方をしたおかげで、会社組織の中ではかなり厳しい状況に置かれたこともある。
しかし、一般的に言えば、上記のとおり会社組織の中での、上司の命令は絶対であろう。
また、貧富の差も、金で有無を言わさず、富裕層の人達が、貧困層の人達を絶対命令で動かす時もある。
現実社会、フラットで平等な世界は、望むべくもないのだ。
本日紹介する映画は「殺されたミンジュ」韓国の巨匠「キム・ギドク」の作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

ある日、女子中学生が何者かに襲われ、殺されてしまう。
そして、約一年後、彼女を襲撃した犯人が、何者か分からない組織に一人づつ捕らえられる。
犯人を捕らえた組織は、襲撃の日、犯人の行なった事を紙に詳細に書けと命ずる。
嫌がる犯人には、拷問をしかけ、命令に従わせ、襲撃の詳細を書いた紙に、彼らの血痕を手のひらに付け、それを紙に押すことで犯人を解放していた。
徐々に分かってきたことは、襲撃犯にはそれを命令した上司が居ると言うことだった。
謎の組織は、襲撃犯全員を捕らえた後、それを命令した上司も捕らえ、同じ事をする。
そうして、事件の主犯へと徐々に迫ってゆく謎の組織だったが......

この映画には「権力」と言う物に対する、反発の強烈なメッセージがこめられている。
権力が生み出す不平等、それは組織で言えば「上部の人間が持つ権力」であり、世間で言えば富裕層が貧困層を見下す「金」と言うものである。
ギドク監督は、その不平等を認めながらも、それに対する反発をスクリーンに叩きつけてくる。
物語の後半で、謎の組織のボスは、権力にあがない、それに反発するがごとく、事件の主犯格を捕らえ、拷問するが、途中で彼らの権力あり方について納得してしまう。
ここの解釈が、観ていて若干気にかかった。最後まで、彼のポリシーを押し通すことをしなかった展開がこの映画の解釈を大幅に変えてしまう。
結局、現実世界のあがなえないものは、どうしてもそれを突破することができないと、この映画は結論づけてしまっているように思える。
自分自身で発信したメッセージに対して、観客にどう捉えてもらうかという前に、監督自身でその問題に回答を出してしまっているように思えた。
その点が、今回の映画については、不満が残ることになった。
ラスト、天使のハンマーが降りてくる、その結果は現在公開中の映画なので、割愛するが、それ故の結末に、監督の独りよがりが見えてくる作品だと思えた。
以前このブログにも投稿した、同監督の作品「嘆きのピエタ」の出来が良かったので、今回の作品については、全面的に納得ゆかないところがある。
しかし、映画全体としては、ギドク色の出ている作品になっている。
ギドク監督には、次の作品に期待したいと思う。
なお、以前もこのブログに投稿したが、今回も映画の宣伝文句を全面的に信じない方が良い。
いつまで、日本の映画関係者は、パブリシティーに下らないキャッチコピーを書くのだろうか、考えなおしていただきたいところである。

2014年韓国製作、カラー、122分、監督:キム・ギドク


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