Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

のんある?

2016-07-30 05:46:07 | コラム
呑み仲間とよく話すのは、最近のノンアルコール飲料の質である。

とくにビールね。

質が高い、高過ぎる。

1杯目であれば「ノンアルコール」であると気づくだろうが、5杯目あたりで「純正ビールです」といわれて出されたら、なんの疑いもなくゴクゴクいってしまいそうである。
そうして実際に、酔っぱらってしまいそうである。

80年代に発表された『バービカン』とはレベルが違い過ぎる。





ノンアルコール飲料でも「実際に酔っぱらってしまう」ことはあるそうだ。

それを酒だと思い込んで呑めば、脳は騙される―プラシーボ効果というやつ。


先日の『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日)、視聴者からの投稿で「仕事中にノンアルコール飲料を飲むのは あり? なし?」というがあった。

「実際に酒を」呑みながらモノを書き、それでギャラもらっている自分がエラソーなことはいえないのだが。

現代の日本で、それを「おおっぴらに」やるのは、やっぱりダメでしょう。

有吉ちゃんがいっていたように、「飲む」ものは「そのつもり」(酒のつもり)で「呑む」わけだし。

しかし10年後、20年後は分からない―と、番組は締めくくっていた。

そういう世の中になれば面白いな、、、とは思いつつ、我慢して我慢して我慢した「あとに」呑むからこそ、呑んだ直後の「ぷはー!!」が出来るんであってね。

まぁ繰り返しになるが、呑んで仕事しているお前がいうなって話ではある。


さて。
実際そうだったかは分からないが、『アマデウス』(84…トップ画像)では、モーツァルトがワインを呑みながら作曲するシーンが描かれる。

それも、けっこうなスピードで。

精神状態を保つために「敢えて呑んでいる」ように見える、真に迫った描写。

こうなってしまっては不幸だが、いまのところ自分は大丈夫、、、だと思う。

「呑んだほうが、よいものが書ける」と信じ込んでいるから呑んでおり、「吸わないと、よいものが書ける気がしない」と思っているから煙草を吸っている。

・・・・・。

ん?

それはそれで、重度の依存症のような気がしてきたなぁ。。。


※司祭を完全に打ちのめすエンディング・・・完璧な映画だと思う

「わたしの音楽は忘れさられ、いまでは誰も聞かない。しかし彼の音楽は―」

「あなたも凡人だ。わたしは、凡人の守り神なんだよ」

「赦そう。お前たちを、赦そう」




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明日のコラムは・・・

『部屋着は水着』
コメント (1)
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