ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

タイで、ひねもすのたりな日々を Ⅷ

2011年03月31日 | タイ2011
スコータイ2日目の朝は、新潟からのお2人さんと一緒に宿の朝食。
今日はバイクで遺跡見物とのこと。
私は、まずは町中にあるスコータイトラベルサービスに行く。

実はスコータイからバンコクまではバンコクエアウェイズの飛行機で飛ぶことになっていて、
スコータイ飛行場はこの航空会社専用空港で、町から空港までは結構な距離があり、
一般のバスはなく、スコータイトラベルサービスだけが送迎車を走らせているのだ。
それも予約していないと、車自体を走らせないので、明後日の便を予約するというわけだ。
10時には予約を済ませ、180B。タクシーだと安くても300B以上する。

町を少し先まで行くと、右に折れたところが何とかマーケットと書いてある。

道の両側には、植木市のように様々な木や、欄の花だとかが販売されている。

少し先に行くと左折した通りがメインのマーケットで、甘い豆のような果実(?)とか、

これはとても食べられませんというタガメなどの虫類も売っている。

広場では、何かゲームのようなものがあっていて、ティッシュとかいろんなものが当たるもののようだ。

ブラブラしているうちに昼になったので、宿に帰る途中、フードコートのような所で昼食。

缶ビールとチャーハンを食べて宿に帰り休む。


午後は、8年前の思い出をたどりに出る。
まず、宿の近くにあるデンソー社(日本のデンソー社のタイ子会社か?)に行く。
ここの従業員や娘たちと8年前に一緒に飲んだり騒いだりでずいぶん盛り上がって、
そのときの写真をプリントして持参すると、それを見た女性が一緒に写っている社員を呼んでくれる。
彼はそのときのことを覚えていてくれて、しばし話が弾んだ。

夕方は、そのデンソー社に入る路地の前で8年前に屋台で焼き鳥を焼いていたおばちゃんに会い、
今回も写真を撮らせてもらう。

そのときの写真を見せるとすごく喜んでくれて、串を5本ほど買って帰り、
宿でビールを買って夕食前にまずは一杯。

7時に、新潟のお2人さんと一緒に夕食に出る。

昼を食べたローカルフードコートが賑わっていたので、そこでビールを頼むと、
バスで一緒だった日本人女性と偶然会うが、彼女は疲れているのでということで宿に帰っていった。

なかなかの別嬪さんでしょう。

道前の屋台の親父がナイスだよと勧めるフライドチキンを買ってきて3人で飲む。

1時間ほど3人で盛り上がった後、一人で宿に帰ると、彼女は宿で夕食を取っていて、
隣に若い日本人旅行者がいて談笑していた。
そこに加わって、しばしいろんな話をした後、部屋に引き上げる。
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タイで、ひねもすのたりな日々を Ⅶ

2011年03月30日 | タイ2011
チェンマイのホテルは朝食付き、どうということもないメニューだったが腹は膨れる。

ホテルをチェックアウトして、ターペー門の所まで出てソンテオを捕まえる。
バスターミナルまで幾らかと訊くと、60Bとの返事。
素知らぬ顔で、「40B?」と言うと、やはり60Bとの返事。面倒だからまいいや。

バスターミナルは正面から見て、建物の反対側の出口を出た所にスコータイ行きバスチケット売り場があり、

スコータイ経由ピサノローク終点とその2カ所経由して終点がコーンケーンの2種類があって、
前者のチケットで、9:30発のバスチケットを購入。
何故かそのチケットだけは、204Bで、他は皆218B。

売り場で理由を聞くがよく分からない。
その理由が分かったのは、ランパーンを過ぎて、突然山道には行ってからのことだった。
バスは本来国道幹線をひたすら下るはずなのに
山道を力なくノロノロと登り、その後も田舎道を乗せたり降ろしたりしながら、スコータイに着いたのは4時前。
218Bのバスは、多分5時間でスコータイに到着なので、2:30には着いているはずなのに。
6時間以上かかって着いたことになる。14Bの差はあまりにも大きい。
しかし一ついいことがあって、乗り込んだときにそうではないかと思ったが声を掛けるのをためらった若い女性がいて、
降りるとき彼女の方から日本語で話しかけてきた。
スコータイのバスターミナルで、宿はどこにする?と尋ねたら、
私が目指すTR・GHだというので、一緒にソンテオで宿まで行く。
運良く2人分部屋があったので、チェックインした後、一緒に食事に行く。

彼女は朝から何も食べていないとのこと、私は昼抜きで、夕食も兼ねて屋台で食べる。

料理の内容はよく分からないが、美味しそうだったので、側の店でビールを調達して夕食。

そこで彼女と別れて、宿に帰りしばしエアコン部屋で休憩した後、
夜はGHのロビーで、ビールを飲んでは本を読んだり、まったり。
このGHも8年前に宿泊したところで、当時はできて間もない頃。

この橋を渡った左の建物の裏手にTR・GHはある。非常に清潔で、シーツや枕カバーは毎日交換する。
その当時から比べると、部屋数はかなり多くなり、ずいぶん流行っているようだ。
チェックイン時に、2人組の日本人のオジサンから声を掛けられて、
翌日分かるのだが、私と同じリタイヤ組。新潟市のご近所さん同士で旅をしている人だった。
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タイで、ひねもすのたりな日々を Ⅵ

2011年03月29日 | タイ2011
5泊6日のチェンライ滞在を終え、今日はチェンマイ移動。
まずは、夕べサタデーマーケットで買ったフィシュバーガーと水で朝食。

8:20分にGH従業員のおばちゃんたちと別れ、町中の旧バスターミナルへ。

昨日購入したチェンマイ行きのバスチケットは、1stエアコンが取れずに、9:00発VIPバス。

最後列の一人掛け席。旧バスターミナルからの乗客は6,7人。
そこから郊外の第二新バスターミナルに寄り、ここで満席になる。
3時間かけて昼にチェンマイのアーケードバスターミナルに着く。
ここで、スコータイ行きのバスチケット売り場と発時を確認。
外に出ると客を降ろしたソンテオがいたので、「ターペー!」というと、乗れという仕草。
ターペー門の所で降ろしてもらって、60B。高いが面倒なのでそのまま払って宿を目指す。
1泊だけ予約しておいたホテルはすぐ側で、こじんまりとだが清潔。
日曜日なので、ターペー門内はサンデーマーケットかなと思ったら、夜だとのこと。
近くのレストラン(8年前にも来た店)で、チェンマイ名物のカオソイとシンハビア。

チェンライで食べたカオソイに比べて、スープの味が濃く、かつ辛い。
だがこちらの方が好みだ。フウフウ言いながらたいらげる。
夕方まではすることがないので、部屋で休む。
陽が落ちる前に、ターペー通りにある8年前に泊まったホテルを見に行く。
今回もここにしようかと思った、ターペープレイスホテル。

暗くなり始めてからターペー門をくぐると、サンデーナイトマーケットは沢山の人出。

チェンマイには観光客でも特に西洋人が多い。
ちょっと広いところには、いろんな食べ物屋があって、ここチェンマイでも寿司は売れ筋のようだ。

特に買うものとてないので、しばし散策し、夕食はビールが欲しかったので、昼のレストランにする。
チェンマイは通過地点で、街が大きすぎて、それに4回目なので明日はスコータイへ向かう。
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タイで、ひねもすのたりな日々を Ⅴ

2011年03月28日 | タイ2011
チェンライ5日目、珍しく近くのレストランでアメリカンブレックファースト、99B。
10時頃からGHの自転車を借り(1日50B)、まずはメンライ王のモニュメントへ。

特に何と言うこともないのだが、コラートにある同じモニュメントより規模が小さい。
10時の時点で既に、32度。暑い。

その後、山岳博物館なるところに行き、ビデオの日本ご説明を見て、
サービスのコーヒーを下の階のレストランで頂く。
博物館と名乗るのはおこがましいのではないかと、多分来館者は皆感じるであろう規模の博物館だった。
時々道を迷ったりしながら、昼過ぎまでブラブラと自転車を走らせる。

自転車で回れば、2時間もあればほぼ一周したのじゃないかというくらいのチェンライの町。
この規模だからいいんだよなぁ、と改めて思う。

午後は宿でワインを飲んだり、本を読んだりと、まったり過ごす。
約束の時間になって、Sさんを誘ってナイトバザールに行くと、
Sさんが、「今夜は土曜日なので、サタデーマーケットがあっているはず」だという。
そのためかナイトバザールは人が少ない。
早速我々も移動する。

チェンライにはこんなに人がいるのかというほどの人出で、500m近くが歩行者天国で、

屋台の食べ物や衣料を初め、様々なものがあり、

広場にはステージがあって、日本語の歌などやっているのにはびっくり。

あまりに人が多いので、Sさんとはお互い自由行動にしようということで別れる。
帰り際に、屋台のバーガー屋で、フィッシュバーガー10Bを1個買って帰る。
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タイで、ひねもすのたりな日々を Ⅳ

2011年03月26日 | タイ2011
今朝(3月26日)の新聞で見たのだが、ミャンマーのタチレク付近で地震があった。
マグニチュードは6.8。かなり大きな地震だったようで、バンコクでも揺れを感じたとか。
報道では現在75名の死者が出ているという。タイのメーサイでも死者1名があったようだ。
タイでは地震がないという思い込みがあって、驚いている。
被災者の方に心からお見舞い申し上げます。

チェンライ4日目は、そのタチレクと国境を接する町、メーサイに行った。
メーサイからタチレクへの国境越えは簡単で、ビザはいらない。
ただし、タチレクから先には実質的には行けないシステムで、
要するにただ国境を越えてミャンマーに行ったというだけのことだ。
これを利用して、タイでのビザなし滞在を更新する方法を取る滞在者もいる。

バスターミナルに行こうとすると、
宿の前で奥にあるバーンブアGHの客らしいSさんという日本人と会う。
話を聞くと、宿を変わりたいというので、自分の部屋を見せてここはどうかと言うが、
冷蔵庫がないのでいまいちらしい。
近くのJAMSON・GHを一緒に見に行くと、エアコン、冷蔵庫、朝食までついて400B。
自分もここに変わろうかと思ったが、今日を除けば、後1泊なのでまいいかと諦める。
その後、Sさんとは午後7時に会って、一緒に食事に行くことにして別れた。

メーサイは8年前に来ているので、どうしようか迷ったが、
チェンコーンは片道2時間30分のバス旅になるので、若干びびったところがある。
メーサイまでは往復でも3時間あまり。

バスターミナルから国境まではいささか遠いので、皆ソンテオ15Bで移動する。

今回は国境は越えずに、メーサイの町歩きをする。
こんな所にという所に日本料理屋があったり、

ちょっとしんどかったが、チェンマイのドイステープのような階段を上ったところに寺があり、

そこからはメーサイが見下ろせる。

この8年の間にメーサイはかなり発展したようで、かなり様変わりしていた。
中国の影響か、天津甘栗屋が多くあり、
「バイアグラ要らないか」というお誘いが2,3度あったり、
最北端の地というモニュメントもピカピカにリニューアルされていた。

昼食は地元民が多く食べていた食堂に入る。

ここで店先で作っている麺を頼むと、30B。
その後国境と反対側に100mほど歩いたところにある甘味屋兼カフェに入る。
エアコンの入った店内でまたまったりとカフェオレ。

2時前にソンテオでバスターミナルへ、15B。
バスは既に発車状態にあったが、乗客が満員でないのでグズグズする。
発車してもグズグズと動きながら乗客を拾おうとする。
いつものことなので、焦ってもしようがない。

4時頃、部屋に帰り、シャワーを浴びてまたマッサージ屋へ。
同じ店だが、きょうの揉み手は小太りのやはり年配の婦人。
揉み手によって少しずつほぐし方が異なっていて、今日の方がよかった。
宿に帰るとすぐ7時になったので、既に宿を変わったSさんを迎えにGHに行く。

ナイトバザールを歩く後ろ姿のSさん(左)。後ろ手にあるのはARUKIKATAの本。
今夜もナイトバザールに行く。
Sさんもリタイヤ組で、1人でタイを旅しているそうだ。
チェンライが最後で、後はバンコクに飛んで1泊して帰国するという。
そんな話をしながら、ビールとつまみ、またまた寿司などをつまんで9時過ぎたので帰る。
Sさんとは翌晩も7時頃会うことにして別れる。
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