ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

やはりベトナム インドシナ横断番外

2017年08月17日 | インドシナ横断2017
1997年の夏、ベトナムに初めて訪れたことは何度もブログで書いてきた。
そのとき一緒だったK君のことは、以下にも書いている。
http://blog.goo.ne.jp/luckyriver2014/c/92ea558fb8ec1134f718e022f8407dd3

実は、そのときフエからのDMZツアーに参加した。
1997年はベトナム終戦後20数年経った年だった。
DMZツアーはフエからの日帰りツアーである。

そのツアーに参加していたオーストラリアの老人(65歳)がツアーを抜けてラオスに行くということがあった。
当時はもちろん国際バスもなく、そのツアーで最もラオスに近いところでツアーを抜けて、
バイクタクシーで国境ポイントに行き、越境したらラオスでも近くの町までバイタクで行くという、
非常にハードな国境越えを65歳の年になってやろうとする心意気に打たれたものである。
以下に写真がある。1997年夏のベトナム。
http://www8.plala.or.jp/luckyriver/vietnam/fue/hue.htm

我々もあの年になっても、彼と同じようにバックパッカーでありたいよねと、同行のT君やK君と話した気がする。
既に当時の彼の年齢を5歳超えた歳にインドシナ半島の横断を試みることができた。
全く逆のコースではあるが、今回もバックパッカーとして旅ができたことに特別な感慨がある。

当時の困難な国境越えとは全く異なり、国際バスという快適な旅行ではあったが、
その途中途中で、1997年夏のベトナム旅行と、今は亡いK君との思い出は何度となく蘇った。
DMZツアーのマイクロバスの座席に恵まれず、400kmもの日帰りで、
帰ってから腰が痛いと何度も訴えていたK君。あのときはほとんど無視して御免。

翌日、フエの公園で夜発の列車を待つ間に、公園で仲良くなったベトナムの若い女性と子どものグループに囲まれ、
すっかりリラックスしていたK君は、女性に「ファニー」と言われて喜んでいた。
そんなことどもが、今回の旅でも思い起こされ、K君がいない現実に直面してしまう。
このときの写真もDMZツアーと同じページにある。

1997年の夏、いつかはあの老人のようにと心に誓った旅を、
随分便利になった20年後にやっと果たすことができました。
フエのバスターミナルに着いたとき、K君にそう呟いたような気がする。
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10.帰国

2017年08月10日 | インドシナ横断2017
ちょっと早いが、歩いて出て、8時にはロンビエンバスターミナルに着く。
86番バスがどれくらいの間隔で来るのか分からないので、早めに待つことにした。
バスターミナルのプラットフォーム上部の表示番号、E1に86のバス番号も書いてある。
それほど心配することもなく、15分程待つと、バスは来た。

町中を抜けて長い橋を渡ると、バスはかっ飛ばし、タクシーだって追い越すスピード。
本当に道はよくなった。


車内から見る橋


川は広い

86番バスは途中泊まる停車場が少ないので、タクシーと遜色ない。
これで3万ドンだから150円。タクシーに比べると8分の1くらいか。
市バスの17番バスは6千ドンくらいだから、相当高いが、その分時短も大幅にできる。
人数が多ければ、バスを使う必要はない。
86番バスは、空港発は国内線のターミナル1から出発するが、
市内から空港に着く場合、終点は国際線のターミナル2に着く。

ハノイ発着の一人旅には便利なバスである。市内の始発、終点はハノイ駅で、
空港からの便は途中、オペラハウス近くのヒルトンホテル横にも停まる。
ハノイ駅発の便はハノイ郵便局前で乗ることができるので、
ホテル次第では、非常に便利である。

それでもやはり、40分近くかかって国際線ターミナルに着く。
ハノイノイバイ空港は前回来たときから見ると、全く変わっていた。
ターミナル2は全く新しい建物で、以前からあるターミナル1とはシャトルバスで行き来するようになっている。


ハノイのノイバイ空港国際線ターミナル

チャイナエアカウンターでチェックインするとき荷物は預けた。
台北乗り継ぎが2時間あるので大丈夫だろう。
座席は2つ占有できて、機内映画を見ていたので、福岡に着くまで退屈しなかった。
途中台北で乗り継ぐのも、ある意味変化があっていいのかも知れない。


機内から夕焼けを見る。もうすぐ日本
今回の旅も終わる。
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9.ハノイでまったり

2017年08月09日 | インドシナ横断2017
今日1日はまったりとハノイで過ごす日に決めていた。
まずは宿の朝食。まずまずの内容で、ゆったり頂く。
10時過ぎに宿を出て、散策がてらハノイでいつも土産を買うスーパーに行く。


ハノイの旧市街通りはだいたいこんなもの

暇ですなぁ

途中で路上カフェでカフェスアを1杯

その前を通る観光シクロ

ホアンキエム湖周辺は何故か歩行者天国で、いつもの喧噪さはない。
バイクの洪水を巧みにかわしながら横断する私の特技も役に立たなかった。


この通りはバイクと車の洪水で、いつもは横断するのに一苦労するのだが

湖辺の出店。はにかむ君が好き

こんな店も出ていました。ハノイでも町の変化は顕著です

ホアンキエム湖

タンロン人形劇場

コピー商品店がずらーっと並んでいる。今の服の一番人気はアンダーアーマー

春巻きのチェーン店「ラップ&ロール」。春巻き以外にもメニューは豊富。

菅笠屋さん

昼食はこれまたいつものコム屋。年々高くなってるなぁ。9万ドンはなぁ・・・。
だが味は折り紙付き。


ベトナム最後の昼食。最近最後の食事はいつもコム屋だなぁ。

ホアンキエム湖辺の椅子に座って、綺麗どころの写真でも撮ろうか。


まずは金髪女性

バックパッカーらしい女性2人組

今では珍しいアオザイ姿

何のグループでしょう
その中の一人を4ショット









昼食を摂った道向かいに、カフェができている。
ついつられて、カフェスアを1杯。


帰る途中、歩行者天国でこんなイベントもやっていました。



夜は再度ビアホイへ。昨夜と同じメニューで、今夜は4杯でダウン。
隣は10数人の欧米人グループで大賑わいでした。
カメラを持たずに出たので写真はない。
ハノイの夜はビアホイで更けたのです。
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8.フエからハノイ

2017年08月07日 | インドシナ横断2017
フエまで来たら、インドシナ横断という一応の目的は果たしたので、
帰り便が出るハノイに向かう。

ベトジェットが14:00にフエ空港を出るので、昼まではフエで過ごす。
取り敢えずは大通りに出てすぐ右手の食堂で、ブンボーフエが朝食。
ついでにカフェスア(コンデンスミルク入りコーヒー)も一杯。


ブンボーフエ

通りに女性の自転車軍団が華やかに通り過ぎる。
何かの宣伝隊のようだが、目の保養。


自転車宣伝隊

フエで1,2を争うサイゴンモリンホテルのある通りに出る。
ここを真っ直ぐ橋を渡れば王宮のある旧市街へ行く。
そちらには数回行っているので、公園に沿って右手の船着き場の方に出る。


サイゴンモリンホテル


バインミー屋さん


この風景は最初に来た20年前とほとんど変わらない


ドラゴンボート。向こうに見える橋は旧市街に通じる橋

並木道が涼しげで、外国人の姿も多い。
公園の緑の下でスマホを扱っていたり、本を読んでいる外国人もいる。
寺周りをするドラゴンボートの勧誘を軟らかく断りながら、私もベンチで本を読む。
昼前に宿に帰ってチェックアウトし、宿が手配した車で飛行場に向かう。

ベトジェットのチェックインはまだだったが、20分程で始まり、早めにチェックイン。
空港内の食堂でチャーハンを食べるも、味薄くてあまり美味くはない。
20分遅れでにフエを出て、うとうとしている間にハノイ着は3:20。

最近走り出した86番バスに乗ると、さすがに3万ドン。速くて車両は綺麗で荷物置き場もある。
途中で車掌に「ベンセー・ロンビエン?」と聞くと「モアツー」との返事。
あと2つ目かと納得。見慣れたロンビエンバスターミナルで降りて、これから宿までは徒歩。

グーグルのプリントした地図を片手に、通りの表示を確かめながら、迷わず宿にチェックイン。
エレベーター無しの4階は辛いものがある。
エレベーターの有無はサイトで確かめたはずだが、どうやら見落としていたようだ。
それに、クローゼットも冷蔵庫もない。
二晩だ。エアコンとバスタブがある。まいいかと荷物を解く。

夕方フロントで馴染みのビアホイを確かめると、10分くらいの距離だと分かる。
途中にとても賑わっている麺屋があるが、無視してビアホイへ。


ビアホイ屋

仕切っている女性の店員に席に座らされて、
早速ビアホイとフライドピーナッツ、ネーム(バナナの葉で包んだソーセージ)を注文。
ネームはちょっと酸っぱいが、慣れると癖になりそうだ。
その二つでビールを3杯飲むが、隣の4人組は速いペースでガンガンやっている。


ネームは少々酸っぱい。好みが分かれるところだ

その内お好み焼きのようなものが隣のテーブルに来て、いかにも美味そうである。
通りかかった店員に、隣に断ってその皿を指さしてオーダー。
すると、紙に15万ドンの数字を書いて、それでもいいかと聞く。
もちろんOK。予想通りの美味さ。


隣の4人組


料理名分からず。メニューには載ってないと言っていた。

さらに2杯のビールを飲んで、さすがにもう入らん。
すっかりい気持ちになって、宿に帰る途中、来たとき見た麺屋はまだ大盛況。


大盛況の麺屋


絶品でした

ついついつられてプラ椅子に座り、客が食べている皿を指さして注文。
ベトナムで初めて食べる種類の牛肉麺だが、絶品。
さもありなん、6万ドンの値が付いていました。
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7.ベトナムのフエへ

2017年08月06日 | インドシナ横断2017
サワナケートは2泊してもう十分。
それにしても野良犬が多かったなぁ。
一度なんかは、吠えながら近づいてきた時は、ドキドキしたもんだ。
それからは手に石を持って歩くことにしたが。

7時過ぎにトクトクを呼んでもらってバスターミナルに行く。
既に、フエ行きのバスは停まっている。赤い車体のピンロン。
ピンロンという名前からすると、ベトナム側のバスだろう。
中を覗いてみると結構いいバスである。これなら10時間も大丈夫かな。


ピンロンバス

その内部

バスターミナルの建物を囲んで食堂や売店が転々とある。
ゆで卵を買って乗車。長距離バスに備えて、朝食は抜く。
日本人らしき男性がいたので、声を掛けたら、「私は韓国人です」と日本語で返された。

一番前の席に座っていたら、運転手が「そこは狭いだろう」といって一番後ろの席に案内する。
広々として非常に楽なのだが、前と左右に何も掴まえるものがなく不安定。
結局、その前の二人がけの席に一人で座る。
最後までこの状態で席を占有できたので、ほとんど疲れはなかった。


誰も座らない最後部席

定時の8時に出発したバスは、2時間後トイレ休憩してすぐ出発。
12時に国境に着く。荷物を持って降りてイミグレーションの建物に入る。
正面に係官が2人座る審査用のボックスが3つある。
真ん中のボックスの右側の係官にパスポートを渡すと、調べていたが、スタンプがないと言ってそのまま返す。
何のことか分からないでいると、隣のレーンにいた韓国人男性が、こっちだと手招きする。

その列に並んでよく見ると、ボックスの上に左側にはラオス、右側にはベトナムと書いてある。
よくよく見ると係官の制服の色が違う。右側の方が緑が濃い。
つまり、まずはボックスの左に並んでラオスの出国手続きを済ませ、
その後右に並び直して、ベトナムの入国審査を受けるというシステムなのだ。

効率がいいと言えばいいが、そんなのありかよ、という気持ちにもなる。
国境の出国、入国は国側で建物自体が異なるのが普通だし、間違えるのも仕方ないと納得。
取り敢えず、手続きを済ませてベトナム側へ出ると、両替オバさんが5,6人待ち構えている。
残った50バーツ札を見せると、20万ドン差し出してきた。話にならない。
要らないというと、30万ドン出してきた。まだ嫌だというと1万ドン追加。
35万ドンが相場なので、後4万ドンというと、大げさにノー!と言う。
まいいか、取り敢えずのドンなので31万で折り合いを付ける。

ここで昼食を摂るらしく、同じバスの乗客が入っていくコム屋に、韓国人男性に誘われて入る。
豚肉の炒め物とキャベツと筍の煮物、朝抜きのせいもあるが、美味かった。


大変美味でした

1:00にピンロンバスが、警笛を「パオパオ」鳴らしながら道向こうのガソリンスタンドに停まった。
別の食堂に待っていた乗客も乗り込んだが、ここで降りた客もいたようで、若干減っている。

その中で、60代の韓国人夫妻が新たに乗り込んできた。
タイはチェンマイに住んでいると言うことで、いろいろ聞かれたが、私の英語力ではなかなか追いつかない。
前列にいる韓国人男性が同国人だから、そちらにどうぞとも言えず、しばらくお相手した。

ベトナム側に入ると、ドライバーが若いのに変わって、
アジアハイウェイ1号線にもなっている国道1号線の快適な道をかっ飛ばす。
何とフエ市のバスターミナルに着いたのは、午後4時だった。
いろんなサイト情報では、トータル10時間と聞いていたが、2時間近く短縮されている。


アジアハイウェイ1号線の標識「AH1」

バスターミナルで途中乗車の韓国人夫妻と別れた。
例の韓国人男性が、宿はどこかと聞いたので、サニーBにするというと、
自分もそこら辺で泊まるというので、タクシーをシェアすることに。
タクシーの勧誘を無視して、1台泊まっているマイリンタクシーに向かうと、
彼も同じつもりだったらしく、お互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
結局私がイミグレのヘルプに感謝して、タクシー代を支払う。
サニーBの路地に入ると彼もついて来て、その先のサニーAに泊まると言って別れた。


13ドルの部屋とは思えない。清潔且つ十分な設備

チェックイン後しばし荷物の整理などして、宿を出る。
この宿は13ドルで、朝食は付いていないが、ベランダ、バスタブ付きでコスパは非常に高い。
以前は「オリジナルビンジュオン2」という名前だった。日本人好みの宿である。

まずはATMでドンを下ろす。これで少々の贅沢はできる。
夕食は近くのステーキ屋でそれに近いものを食べ、サイゴンビアを飲む。


若干贅沢な夕食

その後、宿のある路地の突き当たりにある若者向きのバーに入る。
モヒートをオーダーして、何はともあれ、8時間のバス旅の疲れもなく、
無事フエに着いて、念願のインドシナ横断を終えることができたことに乾杯。
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