ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

そうなの~自治会 -7-

2015年02月25日 | やってますこんなこと
穂久仙地区自治会の役員は自治会長以下4人になります。
自治会長以外はいわゆる木っ端役人で、自治会長は一応地域の名士でありますよ。
名刺を作る人もあるそうですが、それほどの肩書きとも思えませんけどね。
ま、人それぞれでありますよ。肩書きがないと落ち着かない人は結構いますからね。仕方ありません。

さて、今年は役員の任期が切れて、もう一期するのか、交代するのか。
正直なところ、役員本人は交代を、でない人の多数はもう一期、というのが本音であります。
面倒を自ら抱え込むような人は、まずいないのですね。
老人会の会長でも、あとを誰もやってくれないので辞められないという人がいましたが、
宜なるかなであります。

自治会長に関しては、過去には、まだまだと3期以上やった奇特な人もおります。
しかし、現在の自治会長は「おらあ、もうせん。」と断言されておりますし、
後の役員もそれぞれに事情を抱えておりまして、総入れ替えの様相です。

口さがない地区民の方には、「一期で辞めるのは、しかも誰も残らんと言うのは無責任だ。」
と仰る方もいます。その言い分わからないではないですが、
その言い分自体が無責任でもあるように思うのですが、いかがなものでしょう。

自治会の規約には、再任を妨げないとなっておりますが、
妨げないけど辞めてはならないとは書いてないのです。
辞める自由までも奪われてはいないのですから、
「後釜を見つけるまで続けろ。」というおっしゃり様(別名、脅しともいいますが)は通用しないのです。

現役員の総辞職は、自治会にとっては困った状況で、
小組長会議でも、以上のようなご意見が出ましたが、
皆意志が固いので、新役員選考会議がもたれることになりました。

自治会長に数名候補を挙げて、これと思う人から順に、選考委員で交渉に行くのですが、
これがなかなか難しい。
自治会長の大変さは皆知っておりまして、自分からやろうというような神様仏様のような人はおりません。
第一候補者の家には2度ばかり夜討ち朝駆けで参りましたが、
奥様の強硬な反対に敢えなく撃沈。

進退窮まっているとき、ふと現会長が口に出した候補者があって、
実際にその人と交渉するや、了解の返事があったのですよ。
それからは、後の三役の候補者はスムーズにOKをもらいまして、
私も無事木っ端役人のお役目を解かれることになりました。

噂を漏れ聞くところによりますと、次期自治会長候補者に反対のご意見もあるとか。
人それぞれですから、致し方ないのですが、自分がやらなければ、
引き受けてくれる人にやってもらうしかないのです。

高齢化の波は容赦なく地域を席捲しております。
世帯の4割近くは70歳以上の高齢者世帯です。
いつかは自治会の役員も人材不足に陥る日が来るでしょう。
あいつは駄目、こいつはいかんと言っている場合ではなくなるのです。
今から、自治会をどうしていくのか、皆で知恵を出し合わなければならない。

この2年の経験で、木っ端役人なりに考えた、これが結論であります。
以上をもって、2年間の自治会役員の感想等々、ことの顛末を終わります。
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入院生活て、どう?  -7-

2015年02月23日 | 日記(?)
さて、入院生活で感じたこといろいろ。
30数年近い昔、目の手術で入院したことはあるが、入院はそれ以来である。
物珍しいことや初体験もいろいろとあった。

まず、ナースコールについて。
看護師さんは大変だなぁと思わずにはいられない。
ナースコールが多いのは、時間帯があって、食事の前後に集中する。
朝早いときは、5:30くらいから7:00くらいまで、ひっきりなしになっている。

阿蘇医療センターのナースコールは、2種類の音楽で、
多分東側と西側という風に病室の位置で音楽の種類が分けてあるのだろうと思う。
看護師の数は限られているので、対応しきれずに30秒ほど鳴り続けていることもある。

高齢者が多いのも関係があるのかもしれない。
歳を取ると、こらえじょうね(熊本弁で、辛抱する気持ち)が無くなるのだ。
ちょっと待てができない。

最近のナースコールは音楽もさりながら、看護師さんの持っている携帯機器で止めることができるのだ。
進んでるなぁ。

次に男子用尿器。昔は溲瓶と言っていた。
手術後は、先に書いたように各種チューブ等で繋がれているので、寝たままの状態。
ということは、尿は尿器で取らねばならない。
まずは下半身だけ横向きになって、細君に頼んで、先っぽから半分くらいを尿器に差し込んでもらい、
その状態で尿をするのだが、最初はなかなか出ない。
そういう姿勢で出したことがないので、上手く力が伝わらないのだ。

最初は失敗。多分もっと尿意が強くなれば出るだろうということで、
2時間後くらいにはうまくいった。
男の場合、自分のものは自分でつまんで用を足す、という習慣がついているので、
たとえ細君であってもひょいと摘まれて、尿器に誘導されるというのは微妙な感覚なのである。
それでも点滴をしているし、出るものは出る。諦めてお任せするしかないのだ。
こんなときは、俺は病人なんだからと開き直るのが精神的には一番いい。

次に看護師さん。
あんなによくしてくれたのに、もし辛口なところがあったらお許しを。悪気はありません。
看護師さんにもいろんな人がいて、そりゃあまあ、患者様もいろいろですから致し方ありません。
天使にも出会いましたが、もうちょいな天使もおりました。
寡黙で無愛想な天使(男ですけど)もいれば、饒舌でおしゃべり好きの天使もおります。
総体的に、旧中央病院の時よりは、病院の教育が行き届いたという感じで、
タメ口天使もほとんどいなくなって(時には勘違い屋さんが)います。

ただ入院して1日中病室で過ごしていると、看護師さんの仕事の大変さだけはよく分かります。
勤務時間もばらばらで、よく身体が保つなぁと感心してしまいます。
私なんぞは、気が弱いから、なるべくお手数かけまいと努力しておりましたが、
遠慮会釈無くお手数をかける患者様もいるのでして、
それでも小言一つ言わず、笑顔を絶やさず、対応してくれる(ない人も時にはおります)のです。

私の病状の進行状況も看護婦さんがいち早く先生に進言してくれて、おかげで早期の手術ができたのです。
感謝こそすれ、苦言を呈するようなことは何一つありません。
本当にお世話になりました。

これをもって、今回の入院生活の顛末を終わります。
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入院生活て、どう?  -6-

2015年02月22日 | 日記(?)
さて、食欲もかなり回復し、動き回るのもOKということになって、
ホチキス針で留めた傷の回復待ちとなると、退屈きわまりない。

しかし、自治会の総会資料作りがある。
パソコンを持ってきてもらって、監査資料作りを先に済ませる。
予感でもあったのか、入院前にかなり作業が進んでいたので、苦労せずにできあがった。
来週は資料のすべてを作らないといけないが、一部を娘に頼み、後は自分で作成する。

資料ができるとすることが無くなる。
家から本を持ってきてもらっても、すぐ読んでしまい、図書館が休業中で本もままならない。
さすがに病院だからネットには繋がらない。
暇に任せて病室の絵など描いてみる。


妹尾河童氏に習って、414号室の俯瞰図らしき図。
左が出入り口、右の窓からは阿蘇山が間近に見える。
左上が洗面台で、隣のブースがシャワー室とトイレ。
右にベッドがあり、窓際にはもの入れとテレビ。
昨年8月の開院なので非常にきれいで快適だった。

毎日階段を使って、1階まで行き、自販機のコーヒーメーカーでコーヒーやココアを購入。
階段を上るのが日課になった。
足の筋肉の弱体化は顕著で、少しは歩かないと退院してからが困る。

10日にCTを撮って、先生が退院は11日の休日午後にしましょうということになった。
やっと家に帰れるが、後半は快適な入院生活だったので、
このままがいいなぁという気持ちもよぎる(笑い)。
阿蘇の冬はまだまだ寒いのだ。
山はまだ雪を抱き、平均23度の部屋で2週間過ごした身体は慣れるだろうか。
なーんて思ってしまうのだ。実際はなんてこと無く順応するのだが。

ということで2週間の入院生活は終わりました。
辛くて、痛くて、最後には快適で、一応何事もなく終わりました。
まだ、まだ経過観察が必需ですが、一応退院です。
先生、手術室の看護師さん、4階のナースの皆さん、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
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入院生活て、どう?  -5-

2015年02月21日 | 日記(?)
傷口が塞がって、痛みもたいしたことなく、起き上がることができても、
食欲は全くない。まず、何か食べ物を頭の中に浮かべても、ムカムカ感の方が多い。
食事は普通食で提供されるが、ほとんど食べられず、細君の食事で消えて行く。

点滴を打っているので、栄養的には問題ないと言われるが、
やはり食事を取らないと痩せては行く。
術後2日目の夕方には起き上がれたが、チューブ等に両手を繋がれて、トイレに行くこともできない。
小便は、専用の小便器に寝た状態で取っていたのが、
起きるだけはできるので、出もよくなって楽になったが、やはり不便である。

夜には、我が儘を言って、1時間ごとに締め付けられる血圧計だけは外してもらった。
せっかくの睡眠剤も1時間ごとに締め付けられては、うっかり寝もできない。
これで、何とか眠ることができたが、両手が繋がれている関係で、寝返りも慎重になる。

さて、術後3日目も食欲はない。
細君も、いろいろ持ってきてくれるが、ご飯自体が食べられない。
昆布や海苔の佃煮で、何とか食いつなぐ状態である。
この日もまだ点滴と機器のチューブはとれず、しかし気分はまあまあではある。

術後4日目になると、少しは食欲が戻っている感じがする。
さらに看護師さんが先生に問い合わせて、バイタルチェックの機器が外される。
感謝。
これで点滴だけになり、自分でトイレに行けるようになる。
頼めば、点滴を外してシャワーを浴びることもできる。

と同時に食欲が出てきて、普通食のご飯230グラムの半分くらいは食べるようになった。
おかずも少しは食べるが、細君が持参した佃煮や梅カツオが美味い。

ずいぶん食べられるようになったからか、術後5日目に点滴が外された。
これで完全な自由の身である。
院内を歩いてもいいという許可も出る。
この1週間くらいでずいぶん足が弱っているのを実感する。
動けば食欲も復活するだろう。
後は傷口が癒えるのを待つだけである。
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入院生活て、どう?  -4-

2015年02月20日 | 日記(?)
手術から一昼夜が明け、傷口の痛みはほとんど無くなっている。
朝のうちに主治医の先生が来て、血腫の残りの排出具合を見る。
看護師に注射器をもってこらせ、チューブから強制的に血腫の液体を抜くのだ。

少し痛いかもしれないと言われたときには既に吸入されていて、
キーンと言う感じ、痛くはないが締め付けられる感じがする。
これを左右両方して、「じゃあ午後にチューブを外して傷を止めましょう」
と言って先生は外来診察に出られた。

昼までは安泰か、と言う思いと同時に、昼まで痛みは持ち越しかという待ちの苦しみもあるのだ。
今日からは普通食の食事も出るのだが、とても食欲はなく、
45度まで起きていいというものの、45度の傾斜では姿勢的にも食べる姿勢にならない。
ぼんやりとベッドで過ごすうちに最初の日のことを思い出した。

初日に血液凝固の関係で、手術を見送ったが、入院して経過を見ることになり、
4人部屋の窓側のベッドに収容された。
隣のベッドはまだ40歳前後の男で、病状はよく分からない。

この男が鼾かきなのだ。昼寝も夜も寝ている間中鼾をかいている。
時々、無呼吸症候群があるのか、10~15秒鼾が止まるのだが、その後はいっそう激しい鼾になる。
頭の痛みや不快感に加えて、夜中中の鼾で、初日はほとんど睡眠できなかった。
翌朝、看護師にあまり眠れなかったなどとノタマワっている。
おまえ!ぶん殴ってやろうか。
細君に電話して、早々に個室に変えてもらった。

そのときに思いついた短歌が以下。
お隣の 鼾うるさく 眠られぬ 無呼吸症候 続けと祈る
いささかブラックではありますが、正直な気持ちでもあります。

閑話休題

午後になって看護師2人従えて再度先生の登場である。
いよいよチューブを外すのだが、最後にもう一度注射器で残りの液体を吸い上げて、
「消毒液とステプラー」と看護師に指令を出し、
強烈な痛みで左を2本、恐怖に震える私をものともせず、右を2本のホチキス針で頭皮の傷を止められた。

その間、脂汗を流す私を看護師が優しく押さえてくれて、ああ天使だあと思ったものだ。
「痛かったですねぇ。よく頑張りましたねぇ。」と腕をさすってくれ、
これが天使でなくてどうする。

まともあれ、瞬間的な痛みはあったものの、続くのはそれほどの痛みではない。
1時間ほどして、天使が部屋に来て、「シャワーしますか?」という。
先生が「洗髪してもいい」とはいっていたが、さわれば傷は痛む。
どうしようかと迷ったものの、髪の毛は、手術の際の消毒液と出血で悲惨な状態である。

さらに、細君と天使の看護師さんとを天秤にかければ、
絶対天使の方がこういう状況になれているはずで、間違いなかろうと判断し、
「お願いしますと」返事をした。
もちろん、下心などあるはずもない。

風呂場で衣服を脱ぐのに照れはあるけど、そこは病人、恥ずかしさは捨てる。
髪を優しく洗ってもらい、体も背中を洗ってもらい、さすがにほかのところは自分で洗い、
約1週間ぶりの風呂はシャワーだったが、生き返る思いで病室に帰る。

これからは起き上がっても大丈夫という生活が始まる。
ただ点滴とバイタルチェックの機器に拘束されて、まだ歩くことは叶わない。
術後36時間経過した状況である。日に日に回復の予感。
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