ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

再びサパに来ました 6

2019年08月03日 | サパ6人旅
7月16日(火)

もう帰るだけという日になった。
早朝4時半に皆さんにモーニングコールを掛けて起こす。
5時過ぎにフロントに行き、チェックアウトの手続きをする。

迎えに来たバンに乗り込み、5時半前にはホテルを出る。
この朝も、朝食をとれないので、簡単な弁当を作ってくれていた。
部屋は若干狭いけど、いいホテルでした。
ロケーションとスタッフのホスピタリティが最高です。

6時過ぎにはノイバイ空港に着く。
前日にWEBチェックインをしていたので、スムーズにチェックインできたが、
荷物は羽田で受け取ることに。
さすがに熊本空港までは行ってくれなかった。

映画を2本見て、羽田に着く。
熊本便への預け荷物は、自動の預け機を使うが、これが分からない。
老人には暮らしにくい世の中になったもんだ。
隣にいたきれいな御夫人がいろいろと教えてくれたので、それも悪くないか。


羽田の待合ゲート。日本に帰って、皆ホッとしています

羽田を夕方の便で熊本に飛び、車を受け取って帰り着いたのはもう夜の9時だった。
ベトナムに6人できたのは2回目だが、そのどちらもハプニング満載でした。
サパの棚田は忘れても、ハプニングだけはいつまでも記憶に残るでしょう。
いい旅でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びサパに来ました 5

2019年08月02日 | サパ6人旅
7月15日(月)

実質的には、今日が最終日になる。
サパエクスプレスのビジネスクラスバスでハノイまで移動する。
6時にロビーに降りると、まだ電気も付いていなくて誰もいない。
フロントに向かって、「ハロー」と大声で呼びかけると、
入り口付近に、ロビーの椅子を集めてベッドを作って寝ていたスタッフが目をこすりながら起きてきた。

彼がフロントスタッフを呼んでくれ、チェックアウトの手続きを取る。
ホテルを出ようとすると、目擦りしていたスタッフが、6人分の朝食弁当をくれた。
ソフトフランスパン(これが美味かった)やゆで卵、チーズなど、水も付いていた。
カームオン(ベトナム語でありがとう)。予想していなかったので嬉しかった。

サパエクスプレスのオフィスまでは徒歩10分くらい。
早朝から降っていた雨が止んだので、歩いて行くことにした。


サパエクスプレスオフィス付近。サパの街中の入り口になる三叉路


サパエクスプレスの看板文字が見える(緑色の看板)

爽やかな空気の中、汗もかかずにオフィスに着き、スタッフに名前を告げると、
既に、全部で16人定員のバスの、前から両側の3列を我々のために確保しておいてくれた。
これも事前にメールでお願いしていたからだろう。


真ん中通路で、両側に6席、最後尾が4席の贅沢な空間。
座席もゆったりとして快適な移動でした。実質5時間の移動も苦にならなかった

ラオカイまでは普通に下って、そこから新しくできた高速道路に入る。
日本の高速道路とは比べようもないが、信号はないので速い。
途中停まって、立ちションしているドライバーや、
集落と学校の道を寸断された中学生が、高速道を横断しているなどは愛嬌か。


ベトナムの高速道路

話によると、ハノイとハロン湾にも高速道路ができて、日帰りが楽になったとか。
ハロン湾には、もう2回行ったので、行くつもりはないが・・・。

途中高速を出て、30分の休憩を取り、ハノイに着いたのは12時30分前後。
最初はハノイオフィスに停まるのかと思っていたが、サパで乗るときにホテルの名前と場所を聞かれ、
ハンガイ通りとの交差点で下ろされ、車掌の指示通り歩くと5分ほどでホテルに着いた。

ホテルには少し日本語の分かる女性スタッフがいて、預け荷物を運んでくれ、再びチェックイン。
早速昼食に出る。私がいつも利用するコム屋である。
徒歩10分もかからない場所だ。
1階は満席だったので、上に階段を上った。
2階は洗い場なので、3階かと思ったらここも満席で、ついには4階に通された。

1階で注文していたおかずが次々と運ばれて、テーブルにのらないほどだった。
ハノイビアも来て、再会のハノイに乾杯。
トマトの肉詰めや魚の煮付け、タケノコの炒め物、モーニンググローリーの炒め物にスープ、
もう一品あったかな、白飯(コム)は付いてくる。

とても食べきれなくて、満腹になって店を出る。
ホテルでしばらく休憩するが、私は毎回通ったスーパーマーケットの確認に行く。
なんと、フォーシーズンズホテルの建設中で店はなくなっていた。
ホテルへの帰り道、別な道を通っていたら別なスーパーを発見。
希望があればここに来るか。

4時過ぎから激しいスコールが来て、なかなか降り止まない。
予定では、夜はビアホイに行くつもりだったが、往復1.5㎞くらいあるので、体調を考えて中止した。
美味いフォーを食べたいというので、ホテルのスタッフに聞くと、
フォー10という店を紹介された。宿から15分くらいか。

その前に両替したベトナムドンが余りそうなので、1家族当たりに2,200,000ドン(1万円)を返金。
土産を心置きなく買ってください。

まずハンガイ通りに出て、まっすぐ西へ行き、2つめの信号を左折すると右側に店はある。
ハンガイ通りに出るとすぐに大きな土産物屋があって、N氏が欲しがっていた面がある。
この店で、大喜びで皆さん買い物をして、帰りにまた買おうという話になった。

フォー10は客でごった返していて、待ち客も多い。
6人連れの我々はいつ食えるか分からないし、雨もまだ降っている。
と、隣にやはりフォーの店がある。空いているからここにするか。

2階に通されて、フォーボーを2杯と焼きフォーボーを2杯頼んで、あとはハノイビア。
最後の夜に乾杯して、フォーに箸をつける。
残念ながら、この店に客が少ない理由がよく分かる味だった。

10回以上ベトナムに来て、いろんなところで、いろんなフォーを食べたが、
最も美味しかったフォーボーはダラット市場横のフォーボー専門店。
また、焼きフォーボーはビアホイハノイの並びの小さな店。

そして今回のこの店は、多分最も不味い店だった。
スープも麺も不味く、特にスープの味は最低だった。
隣の繁盛店の余った客という、おこぼれに胡座をかいているだけの店と言っても過言ではない。

N氏と私はドンホー版画の店を探したかったので、4人と別れるが、店は見つからなかった。
途中、4人は先ほど寄った店に行くと聞いていたので、寄って見るも誰もいない。
ホテルに帰るも、スタッフが皆さんはまだ帰っていないという。
私の部屋で話しながらしばらく待つと、途中道に迷ったと言って帰ってきた。

明朝は5:30チェックインなので、4:30に起こしますと言ってお休みする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びサパに来ました 4

2019年07月31日 | サパ6人旅
7月14日(日)

プライベートのバックハーツアーは7時30分過ぎに出発する。
ガイドさんは黒モン族の20才で既に2人の子持ちお母さん。

ラオカイまではひたすら下り、Y氏の歩数計アプリは、今日も快調にバンの中で歩数をカウントしています。
ラオカイで、ガイドさんかドライバーかどちらかが知っているレストランで、トイレに行く。
というのが、出かける前にサパは停電しており、ホテルのトイレは真っ暗で使用できなかったから、
我慢できなくなった敬老ツアーは、レストランで何も食べることなく、トイレに行ったのです。

すっきりしたところで、ひたすらバックハーへ向かいます。
歩数計も順調に歩数を稼いでいる。
10時30分過ぎにバックハーの町に着き、ガイドさんに案内されてマーケットに行く。

屋台の食堂街を抜けて、生鮮食品の市場を覗き、
これより新鮮なものはないという、籠に入った鶏やアヒルの売り場を抜ける。
橋の向こうでは、水牛の競り市もあっていた。















次に、織物等の土産物を売っているマーケットに行く。
ここでは、ガイドさんに45分間の自由時間をもらって、皆買い物に勤しむ。
私たちもクッションカバーと、孫たちに木製の立体パズルを買った。
それぞれショッピングを楽しんだようで、良かったよかった。






交渉成立でウィンウィン

12時前にガイドさんと落ち合い、近くのレストランへ行く。
ハノイビアで乾杯し、次々に出てくる料理を味わって、トイレに行き外に出る。


バックハーに乾杯

ガイドさんが、外で待っていて、今から湖に行ってボートに乗ろうという。
え~えっ!この歳でボートは乗りたくないし、一昨日はチャンアンで痛い目に遭っているし、
皆に聞いてみると、案の定却下された。
もうサパに帰ってゆっくりしようということに決定する。
ガイドさんにその旨伝えると、逆にえ~えっという顔をされた。

ドライバーを呼んで、バックハーの町を離れる。
途中ラオカイの町で、中国の河口市との国境ポイントに寄る。
ガイドさんは何やら明日の仕事の関係で、ラオカイのレストハウスに泊まるらしく、ここでお別れ。


橋の向こうは中国

その後、再びサパに帰り、教会前で降りて、皆さんはそのまま昨日の土産物市場に直行。
私はホテルに帰って、しばらく休息する。


教会前の広場。10年前はなかった豪華なホテルが向こうにできていた

夕食は同じ食堂に3度目の訪問。
今夜は、サパ名物のニジマスの鍋料理である。
量が多すぎて、食べきれないほどだった。







食事の途中、食堂の店員が表に出て何やら騒がしい。
聞いてみると、すぐ近くで火災があっているようで、我々が食事を終えて出たときもまだ煙が上っていた。
宿に帰って、Nさん夫妻の部屋から見ると、直線で100mくらいの所のようだ。

消防車のホースから放水された水が、一時すると水が切れて、また火の勢いが増す。
私は心配だったので、外に出て現場まで行った。
30分ほどでなんとか鎮火したが、その間ホースの水は出たり切れたりと、心許ないことこの上ない。


部屋から火事を見る

これで安心して眠られると、ホテルに帰った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びサパに来ました 3 

2019年07月30日 | サパ6人旅
7月13日(土)

驚いたことに、朝の5時半にラオカイ駅に着いた。
なんと、定刻なのだ。あり得な~い、ここはベトナムでっせ。
ま、だからって、全く文句はないんだけど。


ラオカイ駅

文句があるのはここから。
駅舎を出ると、多くの出迎えがいて、ネームボードを持って客を待っている。
私の名前もあるはずと、2度見回ったが、ない。
3回ほどホテルとメールをやりとりし、あれほど確認したのに、15分ほど待ったが、結局来ない。

と、その時、私の前に現れたのは、一人の男。
いかにも、「カモ見っけ!」という顔で近づいてくると、
「サパまで50,000ドンで行かないか?」
ん!ということは6人で300,000ドン(1,500円)ではないか。安い。
ホテルのバンだと、約500,000ドン。で、その差は200,000ドン(1,000円)。
即決定。


この手のバンが30台以上おります

それから、さらに6人が乗り込んできて、彼らはシンガポールのファミリー。
途中の棚田に歓声を上げながら1時間弱でサパ教会前の広場で降りる。
サパセントラルホテルは広場の反対側で、徒歩5分というところか。

ホテルで、チェックインの有無を聞くと、2部屋はOKで、あと一つはもう少し待つことに。
事前にこの日の朝食はフリーで食べてもいいことに交渉していたので、まずは2階の会場で朝食を取る。
その後、今日の観光と明日のバックハーサンデーマーケットツアーの交渉をする。


ロビーから朝食会場へ

10年前に来たときは、バイクタクシーでラオチャイ村に行ったので、そのつもりでフロントのスタッフと話していたら、
道が悪いし、雨も降りそうなので、バンで行けという。
ガイドも付いて1,000,000ドン(5,000円)というので、これに決定。
出発は9時なのでしばらく休憩できる。

バックハーツアーについては、混載ツアーで20ドル(一人)、プライベートツアーで40ドル(一人)。
これにはしばし迷った。皆に相談してもお任せということで、
敬老ツアーには、混載バスは辛いというのと、プライベートツアーは時間の使い方が自由になるという2点でこちらに決定。
このどちらの決断も結果的には正解だった。

すべて手配が終わったところで、Y氏夫妻とN氏夫妻は部屋に入る。
私たちの荷物は、N氏夫妻の部屋に置かせてもらう。ということで落ち着く。

が、その前にトイレトラブル。
フロント裏のトイレに入ったY夫人が出られなくなったと、奥方が言って来た。
取ってのところをガチャガチャやるが開かない。
スタッフを呼んでくるが、「取っての下のロックする部分を左に止まるまで回してくれ」と言うので、
何度かやってもらうのだが、Y夫人はパニック状態で、すぐに取っ手を回すので開かない。

その時スタッフが小さく呟いた言葉は、「ガッデム!」。それはないんじゃない。
夫人を落ち着かせて、ともかくロックを左まで回してしまって、カチャッと音がしたら無事開きました。
トイレ事件はいろいろあったようで、羽田空港のトイレ、機内のトイレ、今では笑い話です。

さて、9時にロビーに降りると、既にガイドさんは来ていて、バンを待つのみ。
「黒モン族か」と聞くと、「いやザオ族です」という。
我々には区別が付かないが、何かしら文化的な違いはあるのでしょう。


ガイドさんとN夫人と

このバンです

ラオチャイ村へ行く道は確かに荒れていて、バイクではとても耐えられなかったと思わせた。
途中に展望テラスが作ってあり、これは10年前にはなかったところで、観光客が増えたことを思わせた。
ラオチャイ村は上から見るだけにして、先に進んでタヴァン村に着く。











タヴァン村では、車を降りて村を散策する。
しかしそこは敬老ツアー。もう歩かん!という我が儘がまかり通って、途中で終了。
トレッキングなんてとんでもハップン(古い!)であります。

タヴァン村にはホームステイの看板が至る所にあり、ラオチャイ村から歩いて来てここに泊まるトレッカーも多いらしい。
我々は車が止まっているところまで歩いて帰り、ガイドさんはこの村在住なので、ここで別れるという。
あとはドライバーがホテルまで送ってくれるらしい。


レストラン兼ホームステイ

Y氏のスマホには歩数計のアプリがあって、それを起動させていたが、この日は既に1万歩を超えている。
そんなアホな!わしの歩数計は3,000歩にも届いていない。
なんと、途中の悪路で車が揺れに揺れて、その揺れで歩数計がカウントを増やしていたのだ。
「万歩計 バンに揺られて 1万歩」という川柳が生まれたのであります。

昼前にホテルに到着し、一段落して昼食に行くことになったが、
外は雨模様ではあるし、歩きたくないメンバーの無言の圧力で、
事前に調査しておいた洒落たレストランまでは歩かないだろうという予測で、近くのレストランを探索に行く。

ホテルから50mくらいの所にレストランというより、食堂というのがふさわしい店がある。
地元料理店のようなので、6人来るからと予約してホテルに帰り、皆を連れ出す。
数種類の料理とフォー、竹飯(餅米を竹筒に入れて焼いたもの)をオーダーする。
ビールはビアホイに近い、3.5度という低アルコールの地ビール「ラオカイビア」を6本。
私好みで、なかなか美味い店でした。

午後は、昨日の汗も流していないので、シャワーを浴びてしばし休憩する。
3時過ぎに町に出て、広場を挟んで教会の反対側にある土産物市場で物色する。
女性陣は、値切るだけ値切って、明日買うねと、つれないことをいって出てくる。

サパ教会の前まで行って、皆には近道の階段を降りて帰ってもらう。
私はサパエクスプレスバスの事務所の場所を確認に行く。
帰りに、10年前に友人と一緒に地元の人と飲んだ店を探したが、再開発ですべて取り壊されていた。


この道の左側はすべて取り壊されていた

光陰矢のごとし。

その時一番美味しかった「リトルサパ」というレストランも再開発地域で失われていた。
サパは10年前の面影をすっかりなくし、
22年前に行って郷愁に浸ったホイアンが、10年後には様変わりしたのと同じ様相を呈していた。

夕食の6時までは自由時間で、疲れを癒やすことになった。
夕食は、皆さんの要望で、再び昼に行った食堂になった。
実はこの店は、サパ風BBQの店で、入り口に20種類くらいの串が並べてあり、
それを選んで炭火で焼いてもらうのだ。


串焼きBBQ

夜はこれにしようというので、10種類くらい選んで焼いてもらい、竹飯で夕食。
お供はもちろんラオカイビア。ちょっと物足りない味かな。
これも満足して帰りに、Y氏が焼き芋と焼きトウモロコシを買って、私たちの部屋で2次会。


夜になると出る焼きイモ屋さん

事前にミニマートで買っておいた、ハノイビアとダラットワイン(ベトナム産ワイン)。
それに持参した柿の種とカルパスで宴会。
女性陣は焼き芋と、何やら甘味を食べておりました。

9時過ぎにはお開きし、皆さんゆっくり休みましょう。
明日は7時には朝食です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びサパに来ました 2

2019年07月22日 | サパ6人旅
7月12日(金)

7時からの朝食だが、8時ツアー出発なので、10分ほど早く朝食会場の屋上に行く。
ホアンキエム湖を望む朝食会場は、10脚ほどの椅子のある狭いスペースで、我々6人が入ると急に窮屈になる。
この宿は典型的なミニホテルで、エレベーターを挟んで前後2室の、2階~6階までの計10室のホテル。
私夫婦の部屋は5階なので、ホアンキエム湖を望むことができる。


朝のホアンキエム湖


朝食は、品数はそれほどでもないが、なかなか美味しかった。

今夜のハノイ駅発のラオカイ行き列車に乗るので、朝のうちにチェックアウトをしておく。
チェックアウト中に日本語ガイドが迎えに来たので、彼に以下のことを通訳をしてもらった。
まず、ツアーの前にサパまで持っていく荷物と、15日にハノイに帰るまで預かってもらう荷物を頼み、
午後8時頃に7シートのタクシーを呼んでもらうことなどを頼んだ。

ツアーは15人乗りくらいのバンで、まずはハノイのオペラハウスの横を通って、ニンビンへ向かう。
最初はかって短い間都があったホアルーの遺跡に行く。


遺跡の入り口で記念撮影


もう一度記念撮影。この後暑さのため2人脱落。4人で観光して、出たところで合流

車で5分くらいの移動で、昼食会場に着く。
昼食は、ツアー客が相手のレストランらしく、定番メニューらしきセットがどんどん出てくる。


中央部の鉄板で焼けている山羊の肉は美味しかった

昼食後、早めにチャンアンの船着き場に行く。
男3人、女3人で小舟に分譲していざ2時間のボートツアー。
ほとんどが女性の漕ぎ手だが、女性の船は年配の男性。
どうやら、女性の漕ぎ手の方がベテランらしく力強い。
ライフジャケットを着けて、いざ出発。

いくつか洞窟をくぐり抜けて、結構きれいな水を湛えた川を進みます。


最初の洞窟

出口です

女性陣の船

あの東屋で、音楽の演奏があっていました

長い洞窟には照明もあります

約2時間の船巡りは、好天の日差しとライフジャケットによって気分が悪くなるほどの暑さだった。
途中、船内のパドルを使って船を漕いでみたが、後ろの女性船頭さんの艪さばきのリズムは予想外に速い。
結局2人のパドルサポートはあまり役に立たないことが判明。
暑さに参ったころ、ようやく船着き場に到着する。

ところが、Y夫人の様子がおかしい。
後で判明するが、熱中症の一歩手前だったようだ。
帰りのバンの中で、体が熱いということになり、看護士経験のあるN夫人の指示で、
途中の店で冷えたペットボトルの水を5本仕入れて、脇の下や首の後ろに挟んで体温を下げる。
少しずつ水も補給して、30分ほど走る間に、ようやく回復された。

下手をすれば病院に行く事態になったかもしれないが、
帰り着くころには、ほぼ正常な状態になったようで、皆安心した。

早めにチャンアンを出たので、午後5時前にはハノイ市内に到着した。
ホテルはチェックアウトしているので、取りあえずはホアンキエム湖畔にあるビルの4階、
ハイランドカフェでお好みの飲み物を飲んで、1時間以上粘らせてもらう。
Y夫人もすっかり回復したようで何より。


冷房の効いた店でご機嫌な女性軍


カフェのテラス席から見たロータリー。目の前のビルの裏手にあるホテルだった


テラス席の(後ろ姿から想像するに)美女が一人物思い

計画の段階では、カフェからちょっと歩いたところの庶民的海鮮店での夕食だったが、
あいにくエアコンが効いている店ではないのと、ほんのちょっとでも近い店をということで、
前回来たときに目にとまった、ハイランドカフェから徒歩2分の「ラップ&ロール」に行った。
チェーンの飲食店で、春巻きの皮で何でも包んで食べるというスタイルの店だ。
ホーチミンにのデタム通りにあった店に一度入ったことがある。


普通の生春巻きや、揚げ春巻きはもちろん巻いてあるが、魚のフライやバインセオも、
ブンチャーという米麺や生野菜を一緒に春巻きの皮に巻いて、タレに漬けて食べる。
まさにラップ&ロール(包んで巻く)の店である。
生春巻き以外は、ほぼ好評でした

午後7時半に店を出て、ホテルに帰る。
預けた荷物を出してもらい、サパに持って行くバックパック以外のトランクなどは再び預ける。
7人乗りタクシーを呼んでもらうが、金曜日の夜で、いたるとこ歩行者天国になっていて、車は大混雑。

今日の勤務を引けた女性スタッフが、ハンガイ通りまで行って待ちましょうと言うので、ホテルを出る。
10分ほど待つが来ない。何台か7人乗りタクシーが過ぎるが、すべて満車。
4人乗りの空車はあるものの、分かれて乗るのは不安である。

しかしスタッフが電話をしたところ、空車がないようで、2台に分乗して駅に向かうことに。
実は分乗を私が心配した理由は、ラオカイ行きの列車がハノイB駅から出ることだった。
ハノイ駅といえば普通はハノイ本駅のことで、線路とかホームを挟んで反対側の通りに面している。
北部方面はハノイB駅から出るのだ。

最初に来たタクシーに3人を乗せ、ホテルのスタッフには、くれぐれもハノイB駅に行くようタクシーに言ってもらった。
呼んだ2台目のタクシーはそれから15分ほどしてきたので、ハノイB駅に向かってもらった。
滞りなくハノイB駅に着いたので、早速パンプキン号のオフィスで列車のチケットをバウチャーと交換する。

タクシーで先着しているはずの3人を探していた奥方とY氏が、「3人がいない」と言う。
いそうな所を全部探したがいない。
これだから、タクシーを分乗したくなかったのだ、なんて言っている場合ではない。
考えられる事態はただ一つ。タクシーが間違えてハノイ本駅の方に行ったのだ。

2人には待ってもらって、私一人で改札付近にいるお姉さんに無理を言って、ホームに出る。
ホームと6本ほどある線路の向こうに本駅はあるはずだ。
2,3ある待合所をホーム側の窓から確認するが、見当たらない。
2度ほど行き来して、一番人の多い待合室の端の席に座っているY夫人らしき顔を確認。

改札口は昔に比べて厳重になっていて、駅員に説明して通してもらおとしても、英語が通じない。
気持ちは焦るが、ホームから待合室には入れない。
ちょうどそのとき、ホームにいた駅員が専用通路から待合室に入ったので便乗して中に入った。
とがめる声が後ろでしたが、構うものか。

やっとY夫人に会えて、N夫妻はどこにいるか聞いたら、外で我々が着くのを待っているという。
2人に声を掛けて、取りあえず移動しましょうと、説明を省いて改札に行く。
ところがここでまた駅員ともめる。
チケットを見せて、通してくれと言うと、発車30分前でないとだめだという。
どこまで石頭やねん。ここはベトナムやろ!と言いたかったが、そんな時間はない。B駅で待っている2人が心配している。

駅の表に出たら、ちょうど乗客を降ろしたタクシーがいる。
タクシーにB駅に行ってくれるか聞いたら乗れという。
ハノイは一方通行が多いので、ホームを横切れば徒歩5分の所をタクシーだと逆に10分ほどかかる。
車の中で、再度B駅だよと確認したら、運ちゃんは「OK,OK」と言って、その返事のすぐ後に到着した。

代金を払って待合室に駆けつけると、感動の再会。
奥方は涙を流して喜んでいる。もちろん私も嬉しいが、何よりもホッとしたというのが正直なところである。
21:35の発車時間1時間を既に切っていたので、列車に乗り込む。


は~~~ぁっ、やっとサパに行ける

コンパ-トメント入り口ドアの上部にあるに荷物置き場

4人部屋のコンパ-トメントで、Y夫妻は隣の部屋でオーストラリア人青年と一緒の下段ベッド。
我々とN夫妻は一部屋で私とNさんが上段ベッド、女性2人が下段ベッド。
この日は、上のシャツだけを着替えて、Nさんと2人でハノイビアで乾杯。
ハプニング満載の1日は終わる。

定時に列車は出て、列車の横揺れや縦揺れで、眠れるんかい!と突っ込みたかったが、
うつらうつらとではあるがいつしか眠って、無事上段ベッドから落ちることもなく朝を迎えることになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする