ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか -7-

2008年05月29日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
浮かない顔をして、Tさんが戸を開けて入ってきた。
「どうしたの、お疲れみたいだけど?」
と、マキちゃんがおしぼりを渡しながら問いかける。
「いや、疲れてるわけじゃないんだけど」
Tさんは、どうしようかというような躊躇いがちな視線をわたしに向けた。

人のプライバシーを覗く趣味はわたしにはないが、
お客さんが何か話したいことがあれば、それを聞いてやるのもバーテンダーの仕事の一つだと思っている。
カウンター1枚で向き合った客とバーテンダーだからできることでもあるのだ。
Tさんは、「セックス・オン・ザ・ビーチ」に手を伸ばすと、思い切ったように話し始めた。

「セックス・オン・ザ・ビーチ」は御存知のように、
トム=クルーズ主演の映画「カクテル」で一躍人気になったカクテルである。
ウォッカをベースに、メロンリキュールとクレーム・ド・フランボワーズ、
それにパイナップルジュースを加えてステアする。
Tさんは大の映画ファンで、映画に出た(と思われる)カクテルをよく注文する。

甘めのカクテルに、と思って作ったつまみを、マキちゃんが皿に盛ってTさんに出す。
新鮮な四葉(スーヨー)きゅうりを、5mm厚くらいに輪切りにし、
ビールとたっぷりの塩昆布に、ほんのひとつまみの砂糖を入れた付け汁を作る。
そこにきゅうりの輪切りを丸1日漬けて、
きゅうりに塩昆布をまぶして皿に盛り、七味唐辛子をサッと振りかけたものである。
四葉きゅうりは、中国浙江省の杭州が原産地と言われているが、
噛んだときのシャキシャキ感がよく、わたしがもっとも好む種類のきゅうりである。

さて、Tさんの話。
新しい商品のプレゼンのために、お得意さんに行った帰りのこと。
呉服町の電停で市電を待っていたとき、通りがかったカンちゃんが歩道から、
「Tさん、階段で転んで怪我しないようにね!」
と大声で呼びかけたそうである。
電車待ちの人が数人いて、Tさんは、カンちゃんの大声に閉口して、
さらには言っていることの意味もよく分からず、視線を合わせず、手だけを振ったそうだ。

多分わたしだってそうするだろう。
電車に乗ったとき、Tさんは、カンちゃんの言ったことは既に忘れていた。
それを思い出させたのは、勤めを終えて会社を引けるときのこと。
タイミング悪くエレベーターが満員で、たまには運動がてらいいかと、階段を下りたのだが、
その途中、誰がこぼしたのか、水が敷いたようになっている段があって、
それを避けようと段を飛び越したとき、踵を踏み外して一気に転んだ。
ただ幸いなことに、踊り場まで3段ほどしかなかったので、大けがにはならなかった。
それが約1週間前のことで、Tさんはもう普通に歩いている。

Tさんとカンちゃんは、わたしの店で出会っている。
カンちゃんは、週に1回は顔を見せてくれるお得意さんで、
年齢は、30才を少し超えるくらいか、明るくて屈託のないお客さんである。
たしか、Tさんとは映画の話しで意気投合し、2度ほど店で一緒になったはずである。

「カンちゃんて、どんな人なんですか。」
と、Tさんはその話しのあとに、わたしに問いかけてきた。
「映画好きの、気の置けないお客さんですが。」とわたしが答えると、
「いや、そう意味じゃなくて、なんで僕が転ぶと分かったんでしょう。」
「さあ?」いっていいものか、わたしは迷いながら返事をした。

カンちゃんに不思議な力があるのかどうか、窺い知れないが、
カンちゃんに関するこういった類の話は、Tさんで3人目になる。
そのうち1回はわたしに関することなので、よく覚えている。

ある日、カンちゃんが店を出る前に、ドアの前に立ち止まって振り返ると、
「マスター、今日の帰りはエレベーターじゃなくて階段がいいよ。」
と言って、何もなかったようにドアを開けて帰って行った。
Tさん同様、わたしも店の用事にかまけて、カンちゃんの言ったことは数分もしないうちに忘れていた。
午前2時に店を終えて、わたしはドアに鍵を掛けると、いつものようにエレベーターに乗り込んだ。
ところが、途中でブンというような音を立てて、突然エレベーターが停止し、
どんなにフロアーの数字を押しても動かない。
初めての経験でパニックになったわたしは、扉を叩くが開くはずもなく、
やっと気づいた非常ボタンを押し続け、30分以上経って救助された。

わたしがカンちゃんの言ったことを思い出したのは、翌日階段を上がって店に行く途中のことだった。
その次にカンちゃんが店に来たとき、わたしは尋ねた。
「実はこれこれでね、カンちゃんどうして分かったの?」
「うーん、なんて言ったらいいのかな、マスターの後ろの方にエレベータの中の様子がちらっと見えたんだよね。」
「そんなんが見えたときは、その人に何かしら災難があるということに気づいてさ。」
「それって、未来が見えるってこと?」と、わたし。
「そんなんじゃないと思うんだよね、多分。というのがさ、今までに3回ほどこういうことがあってね。」
「いくつか共通する事象があって、まず僕の知り合いの人にしか見えない。」
「次に、何かしら階段に関することで、もう一つは災難というか、事故というか、そんなことだけが起きるようなんだ。」

市電の電停で待っているTさんの向こうに、その時カンちゃんは何を見たのだろう。
わたしはカンちゃんのことを話そうかどうか、どうにも踏ん切りがつかないまま、Tさんの前にマティーニを置いた。

マティーニはヘミングウェイの小説にも出るし、いろんな映画でも飲まれているポピュラーなカクテルだが、
どうやらTさんは、お気に入りのオードリー=ヘプバーン主演の「麗しのサブリナ」で使われたから飲むようになったらしい。
1995年にジュリア・オーモンド主演で、「サブリナ」という題名でリメイクされたが、
やはり、ヘプバーンには及ぶべくもない、というのがTさんのご意見だった。

Tさんの問いに、わたしは
「よく分かりませんね。」と答えるしかなかった。
カンちゃんの能力が果たして未知の力なのか、確かめる術もなく、
なにしろ中途半端な予知能力であるため、カンちゃん自体が半信半疑でいる。
そんなふうになったのが、通り町の地下道を降りるとき、転んで頭を打ったあと、
しばらく脳震盪で横になったのがきっかけらしい、などという話ではあまりに説得力がない。
「じゃあ、今度カンちゃんに会ったとき確かめるかな。」とTさんは呟いて、マティーニに口をつけた。

カンちゃんに会って、自分の未来を予知して欲しいですって。
お客さんが、カンちゃんの言う3つの条件に合っているなら、それも可能でしょうね。
ただし、予知できてもそれは災難に限ってるらしいのですが、
それでもよければ、一度名も知らぬ駅に来ませんか。

※この話及び登場人物も基本的にはフィクションです。
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四川大地震に

2008年05月28日 | 中国を思う
昨日熊日新聞に江川紹子さんのコラムがあった。
それによると、四川大地震に関して、ネット上で聞くに堪えないような書き込みがあっているようだ。
その直前、チベット問題への中国の対応に不快感を覚えた人は多く、
「罰が当たったんだ」といった意見が出るのは当然予想されたことだった。
現実に、ダライ・ラマの支援者でもあるアメリカの女優、シャロン・ストーンが、
中国当局のチベット問題への対応に対する「業(カルマ)ではないか」と発言して物議を醸している。

私もこの地震のニュースを耳にしたとき、一瞬そう思わないでもなかった。
しかし、テレビや新聞が伝える惨状を知るにつけ、
中国国民の苦難を見るにつけ、
そのような感情は吹き飛んでしまった。
いつ復興ができるのだろうか、いや復興そのものがかなうのだろうかという危惧さえ抱かせるような惨状の中で、
それでも生きていかねばならない人々の、絶望的な日々を思うとき、
思い遣りのかけらもないような発言がどうしてできるのだろう。

餃子事件や、チベット問題等、最近の中国政府の様々な問題に対する応対には不快感を覚えることがある。
聖火問題での異様な愛国心発揚にも違和感を覚えずにはいられない。
そういった多くのことが日本人に、嫌中国感を植え付けているのかなとも思う。
しかし、冷静になって考えてみようではないか。
中国政府が進めてきた教育や政策、メディアを使った世論の誘導が原因になっていないか、
日本にもそういう不幸な時代はなかったか、と振り返って見ることも大事である。

私達と中国人には、ある重要な共通点がある。
それは、同じ地球上に生を受けた人間であるということだ。
同じ国民ではないけど、同じ人間として、苦難の生を生きている人に手を差しのばすとき、
その手を受けた人々もまた、同じ人間として、別の苦難の人生を生きる人々に手を差し伸べるのではないか、
こんな考え方は、多分他愛ない理想に過ぎないだろう。
しかし、そこからしかチベット問題や各地の紛争は解決しないという気がする。

付け加えて、ミャンマーのサイクロン被害のこと。
軍事政権に翻弄され、生命の危険にさらされている人々。
私が旅行したとき、あんなに親切に接してくれた人々が、
自国民の困窮を一顧だにせず、
ただ政権維持に汲々としてる軍事政権によって苦しめられている様を想像するとき、
思わず、声を漏らしてしまうほどの怒りに駆られる。

人が不幸にいるとき、私達は決して礫を投げてはならない。
旅行をすれば必ずそこの国民と出会い、話し、親しくなる。
自分が身をもって接した人達が、苦難の生を生きているとき、
「負けないで」という自分の声が届くことを願うしか、今のわたしにはできないのだ。
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絹さやと空豆

2008年05月25日 | 酒と料理と
主に上さんが友達とやっている菜園があって、これを時々手伝っている。
菜園といってもかなり広く、0.7アールくらいはあろうか、実に様々な野菜が植えてある。
その中でももっとも勢いがあって、今の季節に伸び盛りなのが、豆の類。
スナックエンドウや、絹さや、グリーンピース、空豆。

収穫したものはその日の内に食べる。
野菜には、鮮度が命というところがあって、
例えば、トウモロコシなど、時間単位で鮮度が落ちると言われるくらいだ。
一度、自宅の裏庭の菜園で枝豆を栽培したことがあるが、
夕方収穫して、そのまま塩ゆでした枝豆の美味さは、鮮烈な記憶として残っている。

空豆も、塩水でゆがき、水で洗わずに、そのまま熱い状態で食べる。
これには絶対ビールで、本音はプレミアムモルツをキーンと冷やして、
熱い空豆の、塩味でより強調されたほのかな甘みと香りを楽しみたい。
う~ん、だが贅沢は言えない。プレミアムモルツ以外だったら発泡酒でもいいや。
贅沢は敵。それでも十分幸せな一時である。

ところで絹さや。エンドウ豆の一種でさやを主に食する豆である。
同じエンドウ豆でも、主に実を食べるグリーンピースは若干苦手である。
これは豆御飯に使うことが多く、豆や栗の入った御飯が苦手なところから来ているのかも知れない。
その点絹さやは食べてもほとんど実を感じることはなく、、
シャキッとした食感と、ほのかな甘み、夏の香りがいい。

絹さやの調理の王道はバター炒めかな。
バターの塩加減が絹さやの甘味を引きだし、食感も損なわない。香りもまたよし。
小エビのプリッとしたものと一緒に炒めると、色合いといい、味といい、極上の組み合わせ。
また、細く輪切りにして味噌汁に入れると、彩りもよく香りが引き立ってこれもいい。

これにはやはりよく冷えた白ワイン。それも辛口か。
そういえば、蒼龍ワインのシトラスセントがあった。
甲州葡萄で、柑橘系の香りのこのワインはきっと絹さやに合うだろう。
ワインの善し悪しはよく分からない。
白なら甘口か辛口か、赤ならライトボディかフルボディか程度。
それでもいいのだ。つまみと合うワインを飲めばまたこれも至福の一時。
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名も知らぬ駅に来ませんか -6-

2008年05月21日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
Eさんは今日も賑やかである。
「マキちゃん、知ってるか?男の○○が大きい奴ほど脳みそは小さいんだって。」
「またぁー、Eさんたらそんな話ばっかりだもん。」
「いやいや、これは医学的にも統計されていて、科学の話だぞ。」
「下ネタじゃーん。」と、マキちゃんに一刀両断されたEさん。

下ネタ満載のEさんのおしゃべりからは、Eさんの歩いてきた人生の労苦は伺えない。
わたしの店では、わたし以外にその素顔を見せたことがないので、
マキちゃんにも、Eさんはただの下ネタ好きのお気楽なオジサンと写っていることだろう。
苦難の人生を、少なくとも人前では嘆くこともなく、
一見好色なオジサンと振る舞っているEさんの強さに、
時に、わたしは驚嘆の思いを抱く。

Eさんのお好みはバーボン。それもワイルドターキーの12年。
クラッシュした氷をたっぷりグラスに詰め、そこにワイルドターキーを注ぎ、
軽くステアしてEさんの前に置く。
つまみは簡単に、マカダミアンナッツをブラウントーストにして、
天草の海水から作った塩を振りかけたもの。

ワイルドターキーは、アメリカはケンタッキー川に近い、
ターキーヒルで作られたので、ワイルドターキーと名付けられたとか、
商品化した人間が、七面鳥狩りに行く途中に樽買いしたバーボンを、
好みの味になるまでブレンドしたから、ワイルドターキーと命名されたとか、
由来については、わたしにはその程度の知識しかない。

Eさんには息子が1人いる。
既に18才になるが、自閉症の症状がある。
養護学校の高等部に入ってからは、併設された寮に入っているので、
Eさんの平日は一人きりで、寂しいだろうがある意味気楽でもある。
息子が生まれてから自閉症だと分かるまでに数年が過ぎ、
それが治らない病気だと医者から聞かされたEさんの奥さんは、その事実を受け入れることができず、
自分が精神的に病み、息子の面倒を見ることも適わず、
夫と息子を家に残したまま、親に引き取られていったという。

それからのEさんの人生は苦闘の連続だったらしい。
息子の面倒を見るために、それまで勤めていた会社を辞め、
仕事を転々とし、自閉症に理解のない人々に頭を下げて謝る日々だったと、
Eさんは、くもりのない笑いで、楽しかった思い出のようにわたしに話してくれた。

Eさんが、またいつもの下ネタでマキちゃんの眉を顰めさせている。
「人指し指より小指が長い男は、○○がすんげー長いんだって。」
「そんな人いるわけないでしょ!」マキちゃんが少し怒ってみせる。
「鼻が大きい奴は、アソコも大きいってのは知ってるよね。」
「知りません!」とマキちゃん。

わたしは、Eさんの下ネタに凄みすら感じてしまう。
自閉症の息子をほとんど一人で育て、
その成長を喜ぶことで、自分の人生を幸福と思うことのできるEさんに、
わたしはただ「あなたは素晴らしい方です。」と、頭を下げるしかない。

「マスター、今日のナッツはかなり香ばしいよね。」とEさん。
「すみません。ちょっと目を離した隙に、少し焦がしちゃいました。」
「なーに、これも良いもんだ。」と最後の一つをつまんだEさんは、マキちゃんに、
「マキちゃん、あるアニメで、寝室の枕元にティッシュの箱がおいてあったんだって。それを見たオバさんたちがテレビ局に猛抗議をしたんだって。」
「そのアニメがなんだか知ってる?」
「え~っ、知らない。」とマキちゃん。
わたしには、抗議したオバさんたちの方が余程不純だと思えるのだが。

そのアニメがなんだったかですって。
多分マキちゃんが答を聞いていると思います。
お知りになりたければ、一度名も知らぬ駅に来ませんか。

※この話及び登場人物も基本的にはフィクションです。
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豚肉の生姜焼き

2008年05月20日 | 酒と料理と
学生時代の話だから、昔々のことである。
サークル活動の一環で、初めて東京に出ることがあった。
その頃、同じサークルの連盟の一員である日大の学生が、昼食に連れて行ってくれた。
その時食堂で食べたのが、豚肉の生姜焼きである。
信じがたいだろうが、始めて口にしたのである。
あまりの美味さに、今でも私の中では、生姜焼きは神聖とも言える食べ物である。

さて、それから幾星霜。
生姜焼きどころではない、たっぷりサシの入った牛肉のステーキだって普通に食べることができるようになって、
食べることに感動がなくなってきたこの頃。
それでも日常は、そうそう高級なものを食べられるわけでもなく、
豚肉も、切り落としの安いやつでいいかという程度の食生活。

この脂身の多い肉をどう調理するか。
まず、ニンニクをすり下ろしたボウルに軽く塩こしょうした豚肉を入れる。
4,5時間、馴染むまで待って、ポリ袋に片栗粉を入れ、
下ごしらえした豚肉をそこに放り込み、万遍なく片栗粉をまぶす。

中華鍋に、酒とみりんで味噌をとかし、砂糖を入れ、とろみのある甘味噌を作る。
片栗粉をまぶした豚肉を油で揚げて、中華鍋の甘味噌に入れる。
強火で揚げた豚肉に、甘味噌を手早く絡める。
カリッとした食感は残した状態で皿に盛り、いろどりにアサツキのみじん切りをかける。
豚肉の脂部分もカリッとした食感でなかなかに美味い。
標題と違って、生姜焼きでなくてご免なさい。m(_ _)m

赤ワイン、赤ワインと押し入れや床下収納庫を探しまくり、やっと見つけた1本。
オーストラリアワインの人気者。
900円以下で飲めるミディアムボディのイエローテールはシラーズが残っていた。
ラッキー!
思わず顔がほころぶ一瞬でありました。
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