ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

旅の日記-11-

2009年04月30日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年8月24日  バンコク(タイ)

朝6時寝台列車の中で目覚める。昨夜9時前には寝たので、約9時間。
途中何度か目覚めながらも、かなり疲労はとれている。
昨日バタワースでのトラブルから国境を越えて、ハチャイの駅からの乗車。
えらく忙しい1日だった。

ハチャイの街で買い置きしたパンと水で朝食を済ました頃、ベッドをたたみに来る。
定刻を40分遅れてバンコクのファランボーン駅に着く。10:40。
同じトラブルに巻き込まれた韓国人母子3人と手を振り合って別れる。
駅から徒歩5分くらいの、スリクルンホテルにチェックイン。650Bなり。


  ↑ファランボーン駅構内。予約チケットは正面売り場の右端を奥に行ったところにある。

両替をしなければならないが、今日は日曜日。
ホテルに聞くと、チャイナタウンのヤワラー通りに行く途中にある寺院の中に両替所があるという。
半信半疑で行くと、本当に寺の境内の中にあった。
ホテルに帰る途中の食堂で麺とシンハビアで、しめて130B。

ホテルに寄らず、そのまま駅に直行し、
9月3日のノンカイ行きと、9月7日のノンカイ発バンコク行きの列車チケットを購入。
いずれもエアコン寝台の下段。計、1,580B。
しばらく駅の2階のベンチで人々を眺めながら休憩。

ホテルで2時間ほど休み、地下鉄とBTSを乗り継いで、サイアムに出る。
SiamParagonというどでかいショッピングモールに行ってみた。
地下のグルメ街で日本食フェアをやっている。
全く似合ってない着物を着たタイ人の若い女性がいて、微笑ましい。


 ↑日本食フェアでお好み焼きを焼いている。結構本格的で美味そうだった。

ここには、かの有名な熊本の桂花ラーメンもあって、びっくり。
実は高校時代、桂花ラーメンの娘が同級生にいて、
すこぶるつきの美人で、校内で知らぬものはないくらいだった。
しかし、その娘も既に60才を超え、はていかに暮らしていることやら。

日曜日ですごい人出。日本人旅行者もたくさんいるようだ。
洒落た店ばかりで面白くないので、早めに帰る。
駅前のちょっと汚さそうな店で早めの夕食。
めし25B。なのに、ビール大瓶60B。

前の路上で焼いている焼き鳥を3本30Bで買って、
隣のコンビニで25Bの缶ビールを買ってホテルに帰る。
ホテルの窓は駅に面していて、夕闇に染まっていく景色を眺めながら一杯やる。
この焼き鳥が抜群に旨い。
あすは、プノンペンに飛ぶ。今日は早いが寝るか。
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旅の日記-10-

2009年04月25日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年10月8日  クスコ(ペルー)

6時過ぎに目覚める。早いが起きたついでに洗濯する。
クスコはとても空気が乾燥していて、洗濯物の乾きが早い。
8時にホテルの食堂で朝食。
ここの係のおじちゃんとは、なぜか初日から波長が合って、何かしら会話をする。

9時に宿を出て、12角の石が隙間なく組まれたインカ時代の石組みを見に行く。
カミソリの刃も通らないと言われるのは全くその通りで、
試しにVISAカードを差し込んだが、全く歯が立たなかった。
ここの石組みは、その巧みさもだが、美しさも備えて、まさに芸術の域にある。


 ↑石組みのある通り、見物のインディオの若者達がいた。

アルマス広場に出ると、カテドラルの広場でテレビの撮影をやっている。
しばらく見ていると、観光客のバッグを引ったくった犯人が、観光警察に追われて逮捕されるという内容のようだ。
観光警察のキャンペーンフィルムの作成かな。

それを見物している私に後ろから声を掛けてきた日本人のカップルがいる。
説明して一緒に見ていたら、テレビ局のADらしいのが、そのカップルに声を掛け連れて行った。
撮影の中の観光客として、エキストラ出演らしい。
3回ほどOKが出ずに、4回目にOKが出て撮影終了。
出演依頼のなかった私は、再び観光へ。


 ↑カテドラル。左にアルマス広場がある。

太陽の神殿を見た後、市場へ行く。
そこで2Sol(80円)のぶっかけご飯を食べるが、
高地のため米がよく煮えていない、いわゆる芯のあるゴッチン飯である。
愛想のいいおばちゃんを目の前にしては残せず、やっとの事で搔き込んだ。


 ↑市場の食堂のおばちゃんとその孫

休憩しているそのおばちゃんの娘と、小学生中学年くらいの孫の男の子に声を掛け、
バッグから知恵の輪を取り出し、一緒に遊ぶ。
彼らはスペイン語だけなので、ほとんど会話が成り立たない。
しかし、名前やその小学生が彼女の息子であることは分かった。

再び街の中心部に帰り、レゴシホ広場付近で、昨日マチュピチュで会った日本人ツアーを見かける。
その中の2人の青年とは少し話したので、追いかけて声を掛ける。
確か今日はプーノへ入っているはずなのに、なんでここにいるんだと聞いたら、
途中の道路がストで封鎖されて、行けなかったらしい。
まさかこのストが10日ほども続き、自分のプーノ行きも断念させられるとはこのときは思いもしなかった。

一度宿に帰り、6時過ぎに再度宿を出る。
コールショップで上さんに国際電話を掛け、日本食レストランの「金太郎」に行く。
入り口で、昼間テレビ撮影のエキストラに駆り出されたカップルと会い、一緒に食事を取る。
彼らも長期旅行をしているらしく、メキシコが大いに気に入ったなどと話していた。

ここでは野菜炒めと、ご飯に赤だし。ともかくご飯が美味く、多分圧力釜で炊いたのだろう。
クスコは高度3,400mにも及び、沸点は100℃に達しない。
そのため、しっかり煮えるようにすると、ぐちゃぐちゃになり、
逆にぐちゃぐちゃにならないようにすると、芯が残るという、結構やっかいな現象があるのだ。

9時近くになったので、急ぎ足でホテルに帰る。
クスコの人たちは結構穏やかで、親切で、それでも一応用心のため夜はあまり出歩かない。
随分貧乏な人たちがいて、貧困が犯罪を起こさせることもあるので、
旅行者は自覚して行動することが必要なのだ。
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旅の日記-9-

2009年04月23日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年9月28日   マドリッド(スペイン)

8:00カサブランカの空港に着く。チェックインし、パスポートコントロールを抜ける。
その後のボディチェックで、腹巻きのドルが見つかり、
係員がこれは何だという。
なにやらイチャモンの様子。いくらか渡せよみたいなポーズ。
こいつら、ポリスなのだ、実は。
「これは俺の金だ」と強く言うと、仕方なさそうにもう行けと言う。
モロッコの最後はすっかり気分を悪くしてしまった。

マドリッドの空港からはタクシーで予約したオスタル・コメルシアルまで行く。
愛想のいいおじちゃんの応対で、やっと気分が直る。
こぢんまりしているが、とても清潔な部屋で満足。
ネットも見るだけなら日本語はOK。ただ書き込みはNOだった。


 ↑マドリッドの街並み。爽やかな気候だった。

早速街中に出る。
オスタルは繁華街の中心とも言うべきSolにあり、結構便利なのだ。
いかにもヨーロッパという町並みを抜けて、プラド美術館に着くが、すごい人並みだ。
確か夕方何時からかは無料で入館できるのだが、ちょうどその時間になっているようで、
チケット売り場では、ノーマネーと言ってチケットをくれた。
ラッキー。

ゴヤやベラスケスの本物の絵はさすがに迫力満点。
しかし、一回りですっかり疲れてしまった。
帰りに、ハム屋がやっているバルで休憩。
生ビールと生ハムサンドで、2.7ユーロ。
ビールのつまみのハムやサラミの切れっ端を盛ったタパスは無料。
ビールはおかわりしよっと。

再びブラブラ歩いて、Solに数多いる路上パフォーマーを見て歩く。
その中でも、3人で一種の弦楽器を奏でるグループは見事で、
聞き覚えのある曲を次々と演奏し、拍手喝采。
楽しくて、思わず金を投げ入れてしまった。


 Solの路上パフォーマー。彼らが一番客を集めていた。

音楽を堪能した後、マヨール広場に来る。
ここは宿から徒歩3分くらいのところにあり、近くにはレストランやバルなど沢山ある。
観光客が一番集まるところなのだ。
のんびりと時間を過ごし、宿に帰る。
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旅の日記-8-

2009年04月21日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年8月21日   ペナン(マレーシア)

朝食は7:30、ホテルで摂る。
8:00、階下のプドラヤバスターミナルに行き、昨日予約したバスの窓口に行く。
ここクアラルンプールのプドラヤバスターミナルは、やたらと大きく、窓口だけで数十ある。
窓口でバスナンバーを確認にして、再び上階のホテルに行きチェックアウト。


 ↑プドラヤバスターミナル内の食堂街。安くて美味い。

19番プラットフォームに降りて、バスを待つ。
待っている間に、シンガポールで働いていて、バタワースに里帰りする青年と話した。
インド系の青年で、会話は英語。彼は流暢、私は稚拙。

9:10バスは発車。
マレーシアの長距離バスは非常に乗り心地がいい。
ほとんど3列シートで、前方に向かって、no1の席が左にあり、
通路があって、No2とNo3が右側にある。非常にゆったりした作りである。
前の席との間も広く、リクライニングも深い。

途中1回休憩して、午後2時過ぎにバタワース経由でペナンのバスターミナルに着く。
バスターミナルは町中から少し離れていて、タクシーで、中心のコムタールに行く。
ここからホテル探しだ。
途中、自分がどこにいるか分からなくなり、パトカーを降りて買い物をしているポリスに尋ねると、
ごくごく親切に教えてくれた。

スイスホテル(名前の印象とは全く異なる)、35リンギット(1泊)。
フロントで、鍵と毛布とタオルをくれる。
タオルは雑巾と見まがうばかりで、毛布は向こうが透けて見えそうな代物。
まいいや。その分食いモンは贅沢できると割り切って、早速洗濯する。


 ↑ホテルの前の通りに毎晩客待ちしているサムローのおじちゃん。

その後コムタールに行き、スタバでくつろぎ、
ビル内にマッサージ屋を見つけて、首と肩のマッサージを1時間、25リンギット。
ちょっと贅沢しようと、マッサージ屋のフロントで聞いたら、
すし金(Sushi King)という寿司屋が1階にあるというので、そこで夕食。
なんとビールも込みで、55リンギットという散財。宿賃より20リンギットも高い。
すっかり満足して、ぶらぶらと歩きながら宿に帰る。

部屋で電気を消して寝るとなぜか明るい。
天井の廊下と境の壁(コンパネ1枚くらいに薄い)の隙間から明かりが入ってきている。
思わず笑ってしまった。
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旅の日記-7-

2009年04月19日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年10月24日  アレキパ(ペルー)

3日前には終わっていたはずのストライキが長引き、とうとうプーノには行けなかった。
どういう訳か、ここアレキパで3日も過ごすことになるとは。

朝、7:30まで寝てしまった。ここは、NHKの日本語放送が入るので、
日本時間夜9時のニュースを見た後、8時過ぎにテラスで朝食を取る。
アルマス広場を見下ろしながら、ゆったりとした気分でくつろぐ。


 ↑アルマス広場から見た風景、背後の山には冠雪が。

広場には、多分職探しの男女と思われる20名ほどの人が、
通りの車に注意を払いながらたむろしている。
上のテラスからそんな様子を見ながら朝食を摂っている自分が、
なにやらセレブリティな感じがして、いささか居心地がよくない。

10時前には宿を出て、氷河で発見された少女のミイラを見に行く。
冷凍保存の状態だったので、まるで生きているかのようだと、日本のテレビでも紹介されたものだ。
この博物館は、たとえ来館者が一人であろうと、ガイドが付く。
結構な美人のガイドさんで、しかし英語の説明なので半分も分からない。
分かったふりをして聞いてごめんなさい。

その後、しばらく歩いて市場に行く。
クスコの市場に比べると非常にものが豊富で、特に果物が多い。
しかし、食事をする場所は少なく、
ズラーッと並んだジュース屋の1軒でミックスジュースを飲んで、
別な店で、豚バラ肉の固まりを塩湯がきして、四角に切って皿に載せ、
そこにジャガイモとタマネギのみじん切りを添えたのを食べた。
一皿6sol(240円)と若干高めだが、これは美味かった。


 ↑豚バラ肉とジャガイモ。豚肉も美味かったが、ジャガイモは本当に美味い。

更に、市場ではハムとヨーグルトを買って宿に帰り、
何もすることがないので、広場でのんびりしたり、
宿ではテレビを見たり、昼寝したり。

夜は焼きめしを食ったが半分ほど残し、
近くのスーパーで赤ワインを買って帰り、
市場で買ったハムを肴に、部屋で陽気な気分で床についた。

アレキパは、コルカタへのコンドル見学ツアーでも参加しなければ、
何もすることのない町で、さて、あと2日いかに過ごすか。
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