ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

57年目の川平湾(石垣島)

2024年03月08日 | 日記(?)
3月1日~3日の2泊3日で沖縄の八重山4島巡りのツアーに奥方と一緒に参加した。
熊本ー沖縄ー石垣図飛行機を乗り継ぎ石垣空港で、他の参加者と一緒になってまずは石垣鍾乳洞へ。
追々分かるのだが、このツアーには、福島・山梨・東京・広島・熊本等々から計25名の参加者があり、
そんな集め方もあるのかと感心したものだ。


那覇空港で昼食。まずは一杯というメニューで生にミミガー、島豆腐、豚の塩焼きを肴

石垣島を始め何処に行ってもハイビスカスやブーゲンビリアが咲き誇り、
ガイドによると年中咲いているとのこと。
この旅行中ほとんど曇りの日が続き、時には雨も降ったせいか、南の島にしては体感はかなり寒かった。

さて、旅程は1日目は石垣島の鍾乳洞のみの観光でホテルに行って夕食。


花は何処でも咲き誇っている

2日目は高速船で西表島に渡り、マングローブのクルーズ、次に西表島の近くにある由布島へ牛舎で海を渡る。


マングローブクルーズ

牛車で約500mの海を渡る

由布島の植物園で見た翡翠葛。実に美しい

次に再び高速船で竹富島に渡って観光し、石垣島に戻って夕食を食べてホテルに帰着。


竹富島で見たデイゴの巨木。赤い花をつける沖縄の県花

3日目は川平湾に行ってグラスボートで珊瑚を見る。
そのあと真珠店や石垣焼きの窯元でショッピング、最後になんとか村で沖縄の民家の造りを見て空港へ。
参加者の自宅が各地に渡っていて、我々熊本組8人の出発時間が最も早く、
ということで、12時に空港で解散する。東京組は3時間程の待ちになるということだった。


川平湾に浮かぶグラスボート

このツアーで行った石垣島の景勝地、川平湾は私の思い出の地である。
大学1年生の冬、鹿児島から台湾に船で行ったときのこと、
沖縄を経由して石垣島で5,6時間の停泊があって、その時川平湾に行ったのだ。
まだ沖縄の返還前のことで、パスポートではなく黄色の入国許可証みたいなものを持参して沖縄に行った気がする。
沖縄では通貨はUSドルで、車は右側通行だった。
その時の船は3,000トンという小型の客船で、今のクルーズとは月とすっぽんである。
鹿児島の錦江湾を出るや否や、東シナ海で揺れに揺れ、台湾の基隆に着くまで全く食事が入らなかった。
まだ夜も明けやらぬ基隆沖に船が停泊し、入国審査が始まるまで待つ間に基隆の街明かりは今でも鮮明に思い出す。

初めての海外旅行の台湾で、3週間程掛けて台北から台中、台南、高雄、台東、花蓮と一周し、
台東近くの鄙びた温泉のバス亭でバスを待つ間に、喧嘩腰で言い合いしている年配の2人の言葉が日本語だったのには吃驚した。
日本の占領時になされた日本語教育が当時はまだ強い影響を残していたのだろう。
20才の若者は台北のある店の店員の女性に淡い恋心を抱き、
彼女に教えてもらった「雨夜花(ウヤホエ)」の歌詞とメロディー一部は今でも口ずさめる。

川平湾の曇り空の中でも美しい海を見て、57年前のまだ何者でもなかった若者の自分を懐かしく思いだした。
あの頃の自分は、今のような人生を想像もしていなかったに違いない。
そう思いながら今回のツアーを終えた。
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うり坊

2023年11月14日 | 日記(?)
猪のこどもをうり坊と呼ぶのは皆さんご存知だろう。
その話を二つ。

時は11月7日の午前9時30分になんなんとするとき、
国道57号線、阿蘇から大分へ抜ける大動脈の道の駅波野の約1㎞ほど手前を、時速60キロで走行中のこと、
右手からものすごいスピードで何かが走ってきて、フロントに衝突後車の下を抜けて後方へ転がった。
すぐに道路の左側に車を寄せてバックミラーを見るとうり坊が横たわっている。
猪だったかと、車を進めようとすると下の方から異音がする。
車を出て確認すると、エンジンルームの下カバーの前方が外れて走行できない状態になっている。

JAFのサービスで車を搬送してもらい、搬送してくれた方から応急処置で下カバーを仮止めしてもらい、家に帰る。
うり坊の処理は波野の処理専門の人に連絡してもらい、引き取ってもらった。
先日ディーラーに修理見積もりを依頼したら、10万円強の金額。
非常に迷惑なうり坊の突進でした。
JAFサービスの方に聞いたら、うり坊で不幸中の幸いですとのこと。
最近こういう事例が多々ありますが、親猪や鹿の事例もあって、被害の大きな車もあるとのことでした。
猪の走るスピードは半端じゃなく、まず避けるのは不可能です。
2秒でも出発が早いか遅かったら会わなかった事故です。が、事故というのはそういうものでもあります。
山野部を走る道路を運転中はご注意を。

うり坊その2
昨日のこと。
娘の家が隣にあって、我が家の居間から裏庭が見えるのだが、
そこをトコトコと歩く動物がいる。よく見るとうり坊ではないか。
「おい!、○○(孫の名前)!イノシシだよ」と言うと、
孫が「ほんとだ!犬かと思った」と吃驚している。
うり坊は悠然と歩いて右手の方に消えた。
信じられない状況だった。
近くに田圃はあるが、ここはれっきとした住宅地なのだ。
スーパーやドラッグストアーやコンビニも徒歩圏内にあり、周りにはアパートが10棟近くある暮らしに便利な住宅地なのだ。
あり得ない、何でイノシシが、何でこんな町中に。

その後、車で近所をゆっくり回ったが、うり坊の姿は見えなかった。
交番に知らせようとしたが留守だった。
家族に注意喚起して、用心するように言ってうり坊騒動は一旦落着。
今年は東北や北海道で熊による被害が多発しているが、イノシシの出現を見て、
熊の出現による恐怖は人ごとではないと思いやられた。

相次いで起こった2件のうり坊事件を通して、野生動物が身近にいること改めて認識したのです。
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奥方と久々の東京です

2023年10月30日 | 日記(?)
9月29日~10月1日で東京に行ってきました。
阪急交通社ツアー熊本発の2泊3日、ぶらり東京というツアーです。
羽田往復航空券と2泊のホテル代、1日目の浅草寺とスカイツリーの観光後ホテルまで送ってくれるというツアーで、
2,3日目は完全自由というか、勝手にしてくれというか、帰りの羽田までも自分で行きなされというツアー。
宿は千葉の幕張海浜駅に近いアパホテルリゾート幕張だが、朝食なし。
朝食は別料金で1人2,500円という魂消る金額で、どう考えても老夫婦が元を取れる程食べられるはずもない。
ホテル内にあるファミマのサンドイッチとヨーグルトで十分でありました。

奥方には東京に従姉妹がいて、従姉妹夫妻とは一緒に飲んだ仲でもあって、両方の宿六も飲み友であります。
彼らに連絡したところ、同じ宿に泊まってくれて、その夜は近くの居酒屋で日本酒を飲みながら歓談いたしました。
宿には部屋以外に広い風呂があるので、そこで疲れを取って1日目は終了です。

2日目は車で来ていた従姉妹の旦那さんが運転で千葉の小江戸、佐原の観光をする。
途中、香取神宮にお参りして佐原市の伊能忠敬記念館に行く。
まず、川下りで小江戸の雰囲気を満喫して、記念館に入る。
伊能忠敬という人なんとなく知っている歴史上の人だったが、
記念館の資料を見ていくと、その偉業がいかに素晴らしいものだったか思い知らされた。
百姓の家に生まれ、造り酒屋に婿入りの後、50歳になってから天文学を学び、そして日本地図作成に臨んだという、
異才というか、天才というか、凄い人なんだということが分かりました。
帰りには成田山新勝寺に参り、名物鰻でおなかいっぱいになりました。


香取神宮

小江戸佐原の川下り

2日目は私の若い友人(A)夫妻と丸の内にあるフランス料理店で会食する予定になっていたので、
近くまで車で送ってもらう途中初めて東京アクアラインを通ることになった。
5時30分の約束の時間丁度にA夫妻がやってきた。
私は彼らに何度も会っていたが、上さんは10年ぶりくらいの再会で、本当に懐かしそうに嬉しそうに歓談いたしました。
料理もなかなかのものでした。
私たちは東京駅から海浜幕張駅まで45分程掛けて帰りました。


相変わらず美男美女のA夫妻。上さんはうちの三女と言っています。

3日目はやはりファミマの朝食を食べた後、新宿まで電車で出ました。
ルミネよしもとで11:30開演のショーを見るためです。
これには従姉妹夫妻も車で来てくれて、フットボールアワーなどの漫才で笑った後、すぐ傍でもんじゃ焼きの昼食。
その後は帰りの飛行機まで時間があるので、車で増上寺や浜離宮などに連れて行ってもらいました。
車で東京を動いた事がなかったので、新鮮な体験だった。
最後は羽田空港まで送ってもらい、本当にありがたいことでした。多謝!!


東京タワーを背景の増上寺

浜離宮の三百年松のまえで

熊本行きの最終便だったので、家にたどり着いたのは午後9時になんなんとする時間でした。
奥方の従姉妹夫妻のおかげで非常に充実したぶらり東京の旅となりました。
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リチャリーの公演

2023年10月27日 | 日記(?)
先日、熊本市植木文化ホールでペルーの民族楽団、「RIJCHARY」の公演を聴きに行った。
初めて聞く楽団名だったのでどんなものかと半信半疑。
結果、非常に楽しい演奏会となった。

「コンドルは飛んでいる」などの民族音楽の他にも、美空ひばりの「愛燦燦」など日本の曲を3曲程入れ、
テンポの速い曲では客席で皆手拍子に身体を揺らし、舞台では踊りながら演奏するという楽しい時間だった。

それでもケーナや縦笛の音はどこかしら哀愁を帯びて、
16年前に訪れたクスコのカテドラルの広場に憩う人々や、
マチュピチュへの九十九折りの道の補修で汗を流すインディオの男達の姿が瞼に浮かんできた。



全然メジャーではないけれど、しかし心打たれる音楽というのはある。
そう思わせてくれた演奏会だった。
来年は10月13日に、同じ会場で公演をすると、既にアナウンスがあった。
どうですか、ペルーの管楽器の切ない響きを聴いてみたいと思いませんか?
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ゲスの勘ぐり?

2023年02月08日 | 日記(?)
3年間に及ぶゼロコロナ政策を突然解除して、圧倒的な数の感染拡大を起こしたと言われる中国。
ネットニュースだから何処まで真実であるかは検証の必要があるだろうが、
感染した高齢者の家族を火葬するのに車の大行列ができたり、
一週間待ってやっと荼毘に付すことができたなどの声や画像が拡散されている。

人口の8割が感染しているなどのデータが一部報道されるのを見ると、さもありなんと思える。
こういう状況に関して、習近平を頂点とした指導部は口をつぐんで何の対策もしないどころか、
春節の移動を認め、海外への団体旅行も許可し始めた。
この劇的な政策変更について、政策の発表がなされるだけで、指導部からの発言はない。
ゼロコロナ政策の時代は、欧米のコロナ政策をこき下ろして、あんなに成果を誇って顔出ししていた習さんよ、一体何処に行ったの?

で、これからがゲスの勘ぐりになるのだが、実はこの事態こそが習近平の思惑通りの状況ではないのか、と私は思うのである。
習近平はゼロコロナ政策の失敗を認めるのが恥ずかしくて、何らかの発言や対策をしないのではない。
先日発表された統計で中国の人口減が多きなニュースになった。
つまり、今後は中国は日本と同じように超高齢化社会に突入するという事実を突きつけられたのである。

中国も出生率を増やすのは並大抵のことではない。
日本や韓国でも同じだが、非正規雇用者に労働を頼る社会構造がある限り、結婚できない若者は増え、
中国では親が子供に掛ける教育費が高いので、高所得者でも多くの子供を望むことはないと言われている。

超高齢化社会になると、高齢者を支える若者の負担や国の負担は格段に大きくなる。
では、その解決策で最も簡単で早い効果が望める政策は何か?
高齢者を減らすことである。

分子が変わらず、分母だけが拡大することによる弊害は、分母を減らせば解決する。
中国指導部にとってはコロナ感染で多数の高齢者の死亡が続く状況はむしろ望ましいのではないか?
コロナ感染に何らの対策も打たないどころか、感染拡大を助長するような政策を見ていると、
残念ながら私はそう勘ぐらざるを得ないのである。
穿ち過ぎじゃないのって?。確かにそうかも知れませんな。

ゼロコロナ時代に個人の尊厳をないがしろにし、あれだけ強権的な政策実行をして、
かの国にとって、国民を守るというという言い草がどんなものかを突きつけられたのを見ると、
私の勘ぐりも、一概にゲスの勘ぐりとは言えないと思いませんか。
いや~あ、人の命を数字でしか換算しないような勘ぐりは、やはりゲスの勘ぐりですね。
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