ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

フィリピン初上陸 4

2020年03月04日 | 旅行
フィリピン4日目。
M氏は今日から仕事に戻るので、1日自由時間となる。
しかし、どうにも股関節が痛んで長い距離は歩けない。
グリーンベルトからグロリエッタまで、ショッピングモール巡りで誤魔化すしかない。


部屋から見た朝のマニラ

最初の計画では、市内の高架列車でどこかに行ってみようと思っていたのだが、
とても足が保ちそうにないので、ホテルから至近の場所で過ごすことにした。


グロリエッタに行く途中の歩道から見たジプニー(乗り合いバス)

先ずグロリエッタまで足を伸ばしたが、だだっ広いショッピングモールで買うものとてなく、
グリーンベルト3に戻って、カフェでマッタリと本を読んで過ごす。


カフェでキャラメルマキアートを飲みました

昼は、WATAMIで焼き鳥3本とビールにカツとじ丼、サンミゲルの生を注文。
日本食もないもんだが、ピザやパスタよりかはいいかと選択する。
食後は部屋に帰り、足をいたわってゆっくり休む。

今回は最初に空港でATMがなかったので、50$のみ両替し、
あとの必要分は、グリーンベルトのATMで出金した。
結構余っていたので、夕食は贅沢しようと思ったのだが、なにぶんにも空腹感が乏しく、
グリーンベルト5のスペイン料理店で、タパスの盛り合わせと白ワインでほぼ満腹。
帰りにいつもの店でまたカクテルを一杯飲んでフィリピンの最後の夜は終了。


タパスの盛り合わせは見た目も味も三つ星でした

ホテルに食事、時間の使い方も、すべてに贅沢したフィリピン初上陸の顛末でした。
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フィリピン初上陸 3

2020年02月24日 | 旅行
マニラ3日目。
今日はMさんが朝9時に迎えに来て、ルソン島の北の方を訪ねる。
車とドライバーは昨日と一緒。
M さんによると、このドライバーは優秀で、渋滞突破に優れているらしい。
慢性的な渋滞のマニラでは、温和しい運転をしていたのでは時間がいくらあっても足りないそうで、
割り込みや車線変更に独特のカンを持ったドライバーが貴重なのだとか。

取り敢えず豪華なビュッフェで朝食を頂く。
昨日皿に盛りすぎたので、今日は控えめに和食と行くか。
しかし、パンに比べて、米は非常に不味かったし、味噌汁も残してしまった。
おかずの方は種類が豊富なので、不満はない。


和食と言ってもご飯と味噌汁だけを選んできた

今年、マニラの南にあるタール山が噴火して、一時は行くか行くまいかと悩んだものだが、
このころは落ち着いていて、ほぼ平常であった。
そういうこともあって、南の方には行かず、北の方に来たのだ。
ここではアメリカ空軍基地のあった場所と海軍があった場所を訪れた。


アメリカ軍の軍港があった場所。ドライバー君も初めて来たらしく、盛んに写真を撮っていた

空軍があった場所は再開発される予定で、Mさんが最初にフィリピンに来てダムを造った近くだという。
彼も30年ぶりの訪問で、懐かしいと感慨に耽っていた。
特に何かがある場所ではなく、ルソン島自体が観光地に恵まれているわけでもないので、
町並みや海を見るだけだった。

昼には、MAXなんとやらという鶏料理のチェーン店で食事をした。
鶏の半身を素揚げしたものに、若干のポテトフライなどのプレートに、その他。
サンミゲルを飲んで、Mさんはあまりアルコールを嗜まないのでコーラ。


鶏の半身はなかなかに手強かった。昔なら一気に食べたのだろうが・・・

帰り道は、かなり渋滞がひどい箇所もあったが、
名ドライバーのおかげで予定通り5時前にはホテルに帰り着いた。
Mさんと別れてしばらく部屋で休み、グリーンベルトに夕食に出る。


スペイン料理店でのタパスとワイン。とてもタパスとは思えない量でしょう


さて、なんという名のカクテルだったっけ。少し酔ってたからなぁ、覚えてないなぁ

スペイン料理店で、タパスとワインのつもりが、
タパス一品の量が半端なく多くて、3種の皿で、チーズ、イカのフリット、ベーコンを食べたら満腹になり、
ワイン3杯で酔いもいい頃加減になって、炭水化物なしで店を出た。
帰りに夕べ寄った店で再びカクテルを飲んでのんびりしてから宿に帰った。
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フィリピン初上陸 2

2020年02月21日 | 旅行
ホテルの朝食は私が大好きなハムが5種類にウィンナーが3種類。
おまけにボリュームたっぷりのオムレツに、何よりパンが美味い。
ウェイトレスの笑顔も最高。
一流ホテルの朝食はかくあるべしということで、つい食べ過ぎたのです。

昼にMさんとホテルで待ち合わせるので、午前中は町を散策する。
1月の中頃から股関節の痛みが出るようになって、長く歩くとかなり堪えるようになった。
ということで、フェアモンテホテルからラッフルズホテルの横の道を通って、
少しは下町っぽい通りに出る。

股関節が悲鳴を上げ始める前にホテルに帰り、ロビーで文庫本を読みながらMさんを待つ。
12時前にはMさんが来て、久しぶりの再会。
自分の会社が使っているレンタカー会社の車を運転手付きでチャーターしてきてくれた。
本日は夜9時までの契約だそうだ。

早速車に乗って、まずは昼食。
朝食を食べ過ぎたので、軽いものでいいですよといったら、和食の店でざるそばだった。
「たなべ」という結構有名な日本料理店らしい。
客は地元民がほとんどだった。

その後旧市街のイントラムロスに行き、教会に入ったら、結婚式があっていた。
そこら辺を見て、急に降り出した雨の中、サンチアゴ要塞に行くも、イベント開催中では入れなかった。
雨宿りで民芸品の店を冷やかしたりしながら、教会前に戻って再び車に乗る。


教会

Mさんと結婚式

私と結婚式

マニラ市を一周するような形で車は走り、途中アメリカン セメタリーに寄る。
第二次世界大戦で犠牲となった 17,000 人以上のアメリカ兵と、アメリカ軍に仕えた 517 人のフィリピン人が埋葬されている。
実に広大な土地は整備されていて、高層ビルとの対比が鮮やかだった。


アメリカンセメタリー

5時まででゲートが閉まるので、その後南下して、下町の風情を味わった後、
BGCという新しい町に移動した。
新しく開発された町で、マンションや大きなスーパーなどがひしめき、Mさんもここに住まいを構えているそうだ。


BGCの市場

ここのフィリピン料理店で、フィリピン料理を堪能した。
ソウルフードとも言えるスープや蟹料理などなど、いずれも美味しく頂いた。
BGCを出るときも町は大賑わいで、それでも次の予定があるので、再びマカティ付近へ移動。


フィリピン料理の夕食

せっかくマニラに来たからと、Mさんのガイドでカラオケ店に行く。
マニラのカラオケ店がどういうシステムなのかはここでは明言できない。
少なくとも、Mさんと私、二人とも一曲も歌わずに1時間を過ごしたのは確かなような気がする。
1週間以上過ぎたので、そこらの記憶が定かではない。

ともかく、すっごくいい気分で宿に帰って寝たのだけは覚えている。
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フィリピン初上陸 1

2020年02月19日 | 旅行
中国でコロナウィスルス肺炎が猛威をふるうさなか、福岡空港からマニラへ旅立つ。
友人のM氏があちらでODA関連の道路工事に関わっていて、
それなら、まだ未踏の地であるフィリピンに行ってみるかということで出かけた。

福岡空港は閑散としていて、それでもマニラ線のフィリピン航空の便はほぼ満席だった。
フィリピンはいち早く中国からの入国を停止し、
在留していた中国人旅行者も送り返したという結構強硬な措置を執ったので、
肺炎の患者は未だに3人(一人は死亡)で2次感染はない。

飛行機は最近機種が新しくなったようで、機内エンタメも充実で、4時間のフライトも退屈しなかった。
今回は、JTBの航空券とホテルのパッケージツアーで、オプションで空港送迎も頼んでおいた。
空港タクシーの評判はタイ以上に悪いので、送迎は正解だった。

迎えに来てくれたガイドはバンジーさんという女性で、ホテルまで送ってもらった上に、チェックインもしてくれた。
ホテルは高級住宅地でもあるマカティ地区のニューワールドホテル。
五つ星の高級なホテルで、私の中ではピンの方にあるホテル。
ホテルを出るとすぐに、グリーンベルトという高級ショッピングモールがあり、
2階の歩道で、ランドマークやグロリエッタというショッピングモールに繋がっている。


正面の屋根がグリーンベルト3、その左がグリーンベルト5

グリーンベルトには世界各国の料理店があって、クラフトビールの専門店もあれば、
カフェも多く、各種のカクテルを飲ませる店もある。
まさに天国のような場所なのだ。


ニューワールドホテルの21階の部屋

取り敢えず広々とした部屋に入って荷を降ろすと外出。
グリーンベルト5(1~5まである)でシンガポールスリングを飲む。
シンガポールスリングは、シンガポールのラッフルズホテルが発祥のカクテルだが、
ニューワールドホテルのすぐそばに同系列のラッフルズホテルがあり、そこのロングバーでももちろんオーダーできる。


女性用のカクテルなので甘~い

そろそろ9時を過ぎているので宿に帰って風呂に入って寝る。
今夜はここまで。
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忘年会は上海で

2020年01月08日 | 旅行
2019年の忘年会は上海でやりましょう、と提案したところ、
あとの5人も大賛成で、夫婦3組の忘年会は上海で開催することになった。
なぜ上海か?

実は、阪急交通社の熊本支店が3泊4日上海・無錫の旅を3万円ポッキリで募集していたからである。
燃料費や空港税等含めても4万円を切る料金である。
航空券・ホテル・食事込みでこの金額は考えられない。
しかも、無錫はラマダホテルで、上海はハイアットリージェンシーホテルという豪華さ。

早速サイトにアクセスして申し込む。
というわけで忘年会は上海で決定。
決定後に知人友人にこの話をすると、決まって「熊本市の中華料理店ですか?」という反応だった。
「いやいや中国の上海で」と答えると、「はぁ~っ」という反応もまた同じだった。

ということで、12月7日植木インターから高速バスで福岡空港へ。
18:15発の中国東方航空で一路上海へ。
19:30に上海浦東空港に到着。
着後出迎えの現地ツーリストのガイドの元集合して、そのままバスで無錫へ移動、その距離約200㎞。


我々のグループ

このツアーの参加者は35名で、大分の4名を除くとほぼ熊本県内からの参加者である。
1日目は午前零時になんなんとする時間にチェックインしたので、ともかく寝る。
ホテルはデラックスだが、まあまあというところか。
もちろん私がいつも泊まるゲストハウスとはピンキリだが。

今回のツアーでは、無錫、蘇州、上海を中心に回ったが、
当初の巡回予定とは順番が違ったりして、何処がどうだったのか、
ツアーですっかり気が緩んでいた私には、今となっては記憶に定かでない。
その日に回った場所は写真があるので分かるが、それがどこかはご想像にお任せします。

12月8日
朝はゆっくり朝食を摂るが、デラックスホテルという割にはビュッフェの内容はお粗末だった。
朝食後、無錫市内の観光に出るが、一人集合時間に来ずにガイドが焦る。
無錫と蘇州のガイドには、無錫のガイドさんが一人参加してくれて、ガイド2人になった。
で、スルーガイドは遅れているHOKさんを連れて後でタクシーで駆けつけるので、
バスは無錫のガイドのみで出発してくれと言ってホテル裏の駐車場を出た。
バスが、表のホテル正面に来ると、HOKさんがそこで待っているではないか。
大騒動があったものの、無事全員でバスは出発するも、皆HOKさんには冷たい視線を送る。


ホテルの朝食


無錫限定ガイドさん

まずは、太湖に行き、湖畔を散策。
太湖は淡水真珠の産地で有名なところで、案の定、真珠店でショッピング。
低料金ツアーにショッピングはつきもので、このキックバックでガイドは食い扶持を稼いでいるのかもしれない。
多分だが、次に、古い町並みの巡塘古鎮をそぞろ歩く。


太湖湖畔で、ツアー客ほぼ全員


淡水真珠の店。お付き合いは仕方ない

その後、蘇州に移動し、「ぐう園」、「京抗大運河」、「中国版ピサの斜塔(笑止)虎丘」。
途中で、刺繍研究所という名のショッピングスポット。
昼食は蘇州名物と言われるおこげ料理と蘇州料理。
蘇州料理だろうが、上海料理だろうが、品数は多いものの、ほぼ野菜料理である。
3万円のツアーだからこんなもんか。

以下、どの写真が何処だったか記憶に定かでない。










刺繍の店でショッピング。お付き合いお付き合い

夕食は、フカヒレスープと上海料理だが、期待はできない。
食後は、夜の方がきれいだということで、南禅寺を見物し、周囲の商店街で自由行動。
一部は別行動でオプショナルツアーでナイトクルーズに行く。


オプションの上海蟹は一杯100元、6人で3杯というせこさ。100元の味はしなかった

この自由行動後の集合時間にまた一人遅れてくる。
なんと、朝の集合時間に来ていなかったHOKさんである。
待っていた中の一人のおばちゃんがぶち切れ気味で、「またあん人ね」と言っていたが、
悠然とやって来た、HOKさんに「あんた!ええ加減にせんね。皆迷惑すっでしょが」とキツいお言葉。
こうやって、だんだんとツアーが面白くなってきたのです。


南禅寺前の通り


南禅寺商店街

宿に帰るのが早い時間帯だったので、南禅寺商店街で仕入れたビールと、
持参したつまみを持ち寄って、我々の部屋で今回のメインテーマ、忘年会をする。
ツアー客のあれこれや、7月に行ったサパ旅行の話などで盛り上がって、
1時間ほどで今年を締めくくる。


12月9日
先ず手始めに、ラテックスの寝具店でショッピング。1日の始まりがショッピングかよ!
高反発のラテックスのマットを買うと、それを圧縮してスーツケースに入れて持ち帰る。
スーツケースはサービスらしい。
スーツケースが欲しいので、寝具を購入するという、主客転倒な客もいて(例のHOKさん)、結構売れている。
スーツケースだけなら、多分10分の一で買えたのに、と余計なことは言わない。

上海の手前、南翔に寄り、古猗園と宋代の史跡・双塔、南翔老街を散策する。
この南翔老街の自由行動中に重大な事件が発生する。
我々6人のうち、女性3人はいつものように取りあえずトイレに行く。
集合場所には私一人が残り、旦那2人はそれぞれ自由に散策に出る。


古猗園


南翔老街に行く途中


南翔老街

女性陣がトイレから帰ってきて、私は一人で、女性は3人で散策へ。
集合時間前に全員帰ってきた、はずが、仲間のNさん夫がいない。
5分過ぎても10分過ぎても来ない。

ガイドは現地で通じる携帯を持っていたHOKさんに連絡係を頼んで、他のツアー客をバスに案内する。
遅刻常習犯のHOKさんに仲間の遅刻でお世話になるという皮肉な状況ではあったが、
彼には大いに感謝することになった。昨日、仲間内で陰口を言ってごめんなさい。

その間、私はNさんが消えた方に行って探すが見当たらない。
時間は刻々とすぎていく。迷子だ。妻を初め、皆不安がるが、一番不安なのはNさん本人に違いない。
ガイドが帰ってきてもまだNさんは来ない。
ガイドは、私がまだ探していない方角を探しに行く。

その間、じりじりしながら待っていたが、10分ほどしてガイドがNさんを連れて帰ってきたときは芯から安堵した。
後で話を聞くと、南翔老街の路地に入って迷ったらしい。
一番安堵したのは、Nさん本人だったろう。
携帯もなく、言葉も分からず、書くものもなく、全く連絡の摂りようがなかった中で、
よくぞ見つかったと一同安堵の息を漏らしたのです。

この事件が今回のツアーで最も印象に残る思い出となりました。
済みませんNさん、これはあくまでも私の感想です。

次に上海に移動して、多倫路散策。ついでに中日友好会館を見物。
移動して豫園商城を散策後、また移動して外灘を散策。
もう疲れて、何処にも行きたくないと皆思っているのに、最後に田子坊を散策。
行かないと阪急交通社からクレームを受けるそうだ。


外灘


豫園商城

途中、上海蟹フルコースという名のほぼ野菜料理。
上海蟹は図体が小さくて、足も食えないことはないが、食べるにはかなりの根気が必要である。
ただ、蟹味噌は非常に濃厚で美味しかった。

本日の宿は、ハイアットリージェンシー・上海グローバルハーバーというスーパーデラックスホテル。
しかし、上海市内中心部からおよそ1時間はかかる、周りに何もない所にある。
上階にあるフロントに、ガイドに案内され、チェックインは各自で行う。
その時にちらと見たところ、どうやらこの宿はワンルーム1,800元のようだ。
日本円で約30,000円。なんとツアー料金と同じではないか。
どんだけディスカウントしているのやら。ホテル業も楽ではない。


広くてきれいなバスルーム。これを見ればホテルの格が分かります

さすがにハイアットリージェンシーを名乗るだけのことはあり、部屋は今まで経験した中ではトップクラス。
チェンマイのD2ホテルのクラブルーム並みか。
しかし、午後8時にチェックインして、翌朝6時半過ぎには出発では、ホテルの豪華さもあまり意味はない。
翌朝が早いので、今夜は早く寝ることにする。

12月10日
上海は渋滞がひどいらしい。
当初、6時にホテルを出て、空港近くで朝食を摂る予定だったが、
阪急交通社の方から、ホテルで朝食を摂らせろという指示があったので、
6時30分開始の朝食時間を15分早めて、6時15分から朝食を摂り、6時35分にホテルを出ることになった。

実質朝食時間は、15分という慌ただしさ。
おかず類を掻き込み、パン類はポリ袋に放り込んで、バスの中で食することにした。
機内食ではなく、車内食だ。
そうやって、上海浦東空港に無事時間前につき、無事チェックイン。
2時間のフライトで福岡空港に着いたのです。
その後は高速バスで、植木インターまで帰り、停めておいた車に乗り込んで、無事忘年会ツアーは終わりました。
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