ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか -20-

2022年01月26日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
さて、前回のー19ーに引き続き、5人連れ老人(失礼)の学生時代の思い出話、その第二弾です。
今回の話し手は春山さん。
飲むのはいつものように、スコッチの雄「ボウモア12年シングルモルト」をロックでちびちびと飲みながらの語りです。
ボウモアは、スコットランドのアイラ島にあるボウモア蒸留所で作られている。
海のシングルモルトというキャッチフレーズで世に出ているスモーキーなウイスキーである。


スコッチのシングルモルトでは平均的なお値段です

春山さんが右隣の方を向き、
「坂崎、ミカン畑の話、覚えているか?」
と問うと、声を掛けられた右隣の坂崎さんが、
「覚えておらいでか!」
と、にやっと笑って答えた。

では春山さんの話  ーピンハネわらしべ長者(私が名付けさせていただきました)ー
前回同様敬称略で。

その時「創志寮」の居間で窓を開け放って寛いでいたのは、春山と坂崎、それに同居の後輩の吉永の三人だった。
開け放った窓の外を眺めていた吉永が、
「春山先輩!向こうのミカン畑を見てください!」
と、谷を挟んだ反対側の丘陵にあるミカン畑を指さした。

「創志寮」は大学の農学部実習所のそばにあった。
二つの丘陵に挟まれた浅い谷の部分には実習用の畑があり、
一方の丘は実習用のミカン畑、反対側の丘に創志寮という配置だ。
以上のような地形なので、創志寮の居間からは実習用のミカン畑が障害が何もない状態で見通せた。

吉永が指さしたミカン畑を見ると、2人の若者がミカンをちぎっている。
しきりに辺りを見回す様子がどうも怪しい。
それに今日は日曜日で、農学部の実習は休みのはずである。
人がいるはずもなく、ましてミカンを収穫するなんてあり得ない。

「坂崎、行こうや」
すっくと立った春山が坂崎に声を掛け、
「よっしゃ」
坂崎は即座に反応して立ち上がる。
何のことかと怪訝な顔で二人を見上げる吉永に、春山が
「なにぼーっとしとるんや。お前も行くぞ」
と言って、三人揃って取り付け道路に出た。

春山を先頭に、ミカン畑の木立に隠れるようにそっと若者2人の背後に近寄り、
「君たち、何をしよるんな」
がたいがよく、かつ強面の坂崎が低い声で声を掛けると、
高校生と思える2人はビクッとした動作で、「アッ!」と声を出して振り向いた。
「僕たちは大学農学部の学生やけど、このミカン畑が農学部の所有と知ってるのかな?」
丁寧だけどドスの利いた声で、堂々と身分詐称(坂崎は法学部)をした坂崎は、
「もしかして、君たちはミカンドロボーかな?」
と続けるや、2人の高校生はすっかり恐れ入って、
「済みません、済みません」
と言って、ちぎったミカンが入ったレジ袋を坂崎に差し出した。
「そうか、今回だけは見逃してあげるけど、ミカンであっても無断で盗ってはいけないよ」
坂崎はその袋を受け取り、いかにも鷹揚な先輩という態度で2人を解放した。
春山と吉永は吹き出しそうになって、その寸劇から顔を背けていた。

「春山、ということでここにミカンが残ったが、どうする?」
坂崎が創志寮に向かいながら春山に問いかけた。
「農場は休みだから、事務所に行っても誰もいないし、届けようもないな。捨てるわけにもいかんし、腐っても粗末になるしなぁ」
思案していた春山が
「俺たちで食うしかないか」
と言うと、坂崎が
「もしかしてお前、最初からそのつもりだったんじゃないのか」
呆気にとられたように春山の顔を見た。

創志寮の居間に腰を下ろした春山はしばらく経って二人に向かって、
「いい考えがある。今から出かけるぞ」
早くも立ち上がろうとしている。
「何処に行くんだ。もう昼になるぞ」
坂崎の問に、
「増本先輩の家で昼飯を御馳走になろう」
春山が答えて、
「そんな厚かましいことはできんぞ。いくら先輩でも約束もなく昼飯なんて」
坂崎が呆れて春山を諫めた。
「な~ん、大丈夫さ。このミカンを手土産にすれば遠慮は要らんよ」
春山は堪えた様子もなく言った。

「おまえなぁ、ミカンドロボーの上前をはねた上に、それを使って昼飯に預かろうって言うのか」
坂崎はますます呆れた顔になった。
その二人の掛け合いを見て吉永はクスクス笑っている。
「俺たちビンボー学生はそうでもしなきゃ美味い飯にはありつけんだろ。増本さんは社会人だから大丈夫さ。それに今日は日曜日だから妹の沙紀ちゃんもいるはずだ。坂崎の憧れの沙紀ちゃんが手料理作ってくれるかもな」
春山の殺し文句に仕方なくといった風に立ち上がった坂崎は、
「吉永!お前も行くぞ」
と後輩に声を掛けた後、
「しかし春山、このミカンのことを先輩にどう説明するんだ。ドロボーの上前をはねたなんて、沙紀ちゃんのいる所じゃとても言えんぞ」
坂崎が春山に言うと、
「フフッ、悩ましいな坂崎。悩まぬ豚より悩めるソクラテスになれって、スチュアート=ミルも言っているしな、悩め悩め。サカザキ=ソクラテスよ」
春山が揶揄うようにサカザキに言った。
「バカにしやがって、もうやけくそだ、昼飯、昼飯、沙紀ちゃんだあ」
坂崎は訳の分からないことを言って先頭に立った。

吉永は、「悩めるソクラテス」はちょっと使い方間違っているんだがなぁ、と関係ないことを考えながら先輩達の後をついて行った。

その三人が昼飯にありついたかって?
いやいや、それより沙紀ちゃんの方が気になるですって。
もちろん私は聞いておりますよ。
お知りになりたいなら、名も知らぬ駅においでください。こっそりお教えします。
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名も知らぬ駅に来ませんか ー19ー

2022年01月23日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
カウンターに5人の老人(失礼!)が賑やかに並んで座っている。
昔話に花が咲いているようだ。
真ん中にいるのが春山さんで、時々顔を見せてくれるお客さん。
連れの4人は、春山さんが連れてきてくれた初見の方々である。
大学の同じサークルの仲間で、サークル創設50周年記念会の集まりがあったようだ。
当時の設立メンバーがここにいる5人だったらしい。
学生時代の話が盛り上がっていて、聞くともなく聞いていた中で面白かった話を二つ紹介しましょう。

上園さんの話 ー 井波消失の謎(と私が名付けさせていただきました)ー
ソルティドッグの残りをグッと飲み干して上園さんが話し始めた。以下敬称略で。

学生時代に上園は春山や後輩等と4人で一戸建てを借りて同居生活をしていた。
海に面したこの街では、住宅地になる平地が少ないので、傾斜地を削って造成している住宅地が多かった。
上園達が借りていた住居も同様の場所にあり、しかしあまり交通の便がよくなかったので、
2軒並びの家があるだけの、他はほぼ農地になっていた。
上園達が「下の道」と呼んでいた取り付け道は、家から4m位下を通っていた。
家の裏は傾斜地を削った裏山になっていて、まだ小さな雑木が混じった雑草地の小さな丘で、
居間の前は傾斜地の崖(といっても傾斜は50度くらいか)の部分にあたり、居間から3mほど先は細い竹がびっしり生えた崖になっていた。
崖の手前には横に細長く花壇が作ってあったが、学生4人の住まいでは花の一輪もなく、名前だけの花壇だった。
家が建っている土地の造りはこの話に深く関わることなので、少しクドいほど説明させていただいた。

上園は同級生と下級生2人の4人で暮らし、朝食と夕食は4人で当番を交代しながら作っていた。
「創志寮」などといういっぱしの大げさな名前をつけていた。
志って何処にあるの、まともな人から見ればそう言えるような生活をしている家ではあったが、大言壮語は学生の特権か。
4人の共同生活の場所は、サークル仲間の溜まり場でもあり、金がないときの飲み会の会場でもあった。

その夜はサークル仲間10人ほどが集まり、6時頃から飲み始めていた。
2時間ほど過ぎた頃、上園はふと気付いて春山に
「おい、井波は何処行ったんだ?」
その声に座を見回した春山は
「あれっ、さっきまで隣にいたはずだけどな」
と怪訝そうに答えた。
井波は上園の同級生だが、別にアパートに部屋を借りていた。
「創志寮」で飲むときは欠かさず来るような呑兵衛で、その割には早々と酔う、人のいい好漢だった。

「お~い、誰か井波を知らないか?」
と、春山が座にいる部員達に声を掛けると、
後輩の一人が、
「さっきションベン、ションベンって言いながら、そこの窓を開けて花壇の方に出ましたよ」
上園と春山が外を見るが、井波の姿はない。
念のためと、上園が居間の外にある花壇のところにまで行くと、どこからか声がする。

「誰か助けてくれ~!」
その声がどこからするのか瞬間分からなかったが、2度目の「助けて~」を聞くと、
どうやら庭先の竹藪になった崖下の方から聞こえる。
「井波!何処や~?」と大声で問うと、
「下!した!SHITA!」
と井波の必死の声がする。
花壇の端から崖下を見るが、竹藪が邪魔になって井波の姿は見つからない。

上園は春山と後輩3人ほど連れて、取り付け道路を回って家の崖下に着き、
上を見上げると、下から1mほどの竹の間に井波が見える。
酔っているせいもあるのか、竹藪の中で藻掻いている井波はなかなか抜け出せない。
5人で何とか井波を引きずり下ろすように竹藪から助け出した。
落ちたところが竹藪のクッションだったためか、2,3カ所の擦り傷で済んだのは幸いだった。

井波は酒席に戻ると、
「スマン、死ぬかと思った」
と真面目な顔で謝って、皆の笑いを誘った。
かなり酔っていた井波は、小用を足そうと居間の外の花壇から竹藪に向かって立っていたところ、フラついて落ちたらしい。
そのような弁解をする井波に上園が、
「落ちたのはションベンする前か、それともしている途中か、どっちや?その答え次第では服を着替えんで一緒に飲むのは罷り成らん!」
真剣な声で問い詰めるのに、
「あんまりビックリしてそんなことは分からん」
井波は憮然とした様子で言葉を返す。
そこに、後輩の女子部員が井波の側に寄って、仔細に井波の服、とくにズボンを点検していたが、
「大丈夫です!する前のようですウ」
と、全員に向かって宣言するや、座は大笑いに包まれた。
井波はますます憮然とした様子で、盃を傾けた。

「覚えとるや井波」
上園さんが隣の席に顔を向けると、
「そんな昔のことを覚えてるわけがあるか」
井波さんはやはり憮然として答えた。
どうやら、春山さんの奥の席が上園さんで、そのまた奥が井波さんか。
学生時代の仲間と会うと、50年経っても一瞬で当時まで時を超えるようだ。

あなたも学生時代のオモシロ話があるんですか。
では是非名も知らぬ駅に来て、ご披露ください。
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名も知らぬ駅に来ませんか 18

2021年05月17日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
ファジーネーブル

「こんばんは」
複数の声がして、先頭で入ってきたのは馴染みの高山さんだった。
「おや、今夜はお三人ですか?」私が声を掛けると、
「ええ、空いていますか?」と高山さん。
「ご覧の通り大丈夫ですよ。予約も入っていないので、ごゆっくりどうぞ」
先客に一つ席を詰めてもらい、並びの3席を作って座ってもらった。

高山さんの隣に同年配か少し年下の女性、その向こうに前頭部が薄くなりかけた男性が座った。
「マスター、僕はマッカランをロックで。君らは何がいい?」
二人の方に顔を向けて高山さんが訊いた。
「何がお勧めかな?」連れの男性が私に声を掛けてきたので、
「そうですね。無難なところでソルティドッグはいかがでしょう」
「じゃあそれで」
「承知しました」とマキちゃんの方に顔を向けると、頷いてグラスを準備し始めた。
「由布さんはどうする?」高山さんが隣の女性に問うと、
彼女は落ち着いた様子で私の方に、
「甘いカクテルを頂けますか。あまり強くない方がいいけど」
「桃はお好きですか?」私が訊くと、
「大好きです!」こっくり頷いて微笑んだ。
「では、ファジーネーブルをお作りします」

「今日は中学卒業25年記念の同窓会がありましてね、その流れなんです」と、高山さん。
「それにしては人数が少ないですね」と私。
「2次会でバラバラになって、3人でここに流れ着いたんです」
「うちは港ではなく駅ですから、流れ着くというより、終点に着いたというところでしょうか」
「それもそうだ。で、向こうのムサイのが松田、隣がゆうさん。由布と書いてゆうですね。実はこの3人は中学3年間同じクラスだったんです」
「仲良し3人組ですね」
と言って、由布さんの前にファジーネーブルのロンググラスを置く。

ファジーネーブルは、ピーチリキュールにオレンジジュースを注いでステアする。
ピーチのリキュールにオレンジジュースを加えるので、
ピーチなのかオレンジなのか、その味の曖昧さをファジーと表現して命名したと言われている。
甘くて飲みやすい上に、アルコール度は低いので、女性好みのカクテルとしては人気がある。
ピーチリキュールのレシピでは王道である。



マキちゃんが作ったソルティドッグとマッカラン・ウイズ・アイスが、松田さんと高山さんの前に置かれる。
3人のグラスがそろったところで、
「乾杯!」とそれぞれのグラスに口をつける。
「おいしい!」由布さんはそう言って、私の方に顔を向けると、にっこりと頷いた。

今年40才になる高山さんは、フランチャイズ展開しているコンビニチェーンのオーナーで、
業績はまあまあだが、最近は人手不足で店員の確保が大変だと嘆くことが多い。
それとなく話を聞いていると、松田さんは熊本市内の会社の課長クラスで、
由布さんは、個人営業のフラワーコーディネーターというところのようだ。
3人ともそれぞれの家族があり、男女2人の子どもと、その内の一人が中学2年生というのも共通しているそうだ。

「俺たちの中学時代と比べると、今の中学生は理解を超える存在だよな」
松田さんの言葉に、他の二人も深く頷いている。
それはいつの時代もそうなのだ。
特に変化の激しい今の時代に生きている子どもたちには、ゆっくり安らげる時間さえままならないのかもしれない。
子どもへの愚痴話で盛り上がっていたが、2杯目のグラスを空けた頃から、松田さんが睡魔に襲われ始めた。
高山さんに指を指されて松田さんの方を見た由布さんは、
「クスッ」と笑った顔を高山さんの方に振り向かせた。

その笑い声が聞こえたのか、松田さんがカッと目を開いて、
「オレ、帰るわ」と言うや、
立ち上がって、覚束ない手つきで財布を取り出し、千円札を数枚出して、それを
「高山、これでいいか」と言ってカウンターに札を置いた。
「今勘定してもらうからちょっと待てよ」と、高山さんが私に目配せをする。
私が勘定書きを書く前に、
「いいから、お前はもうお少し由布さんを接待しろ」
「いやいや、そういうわけにはいかんだろ」と言う高山さんの袖を引いた由布さんが、
「いいじゃない、せっかく松田君がああ言ってくれているんだから」と言い、
その由布さんの顔をじっと見た高山さんが座ると、
「じゃあな」と松田さんは二人に手を上げて帰って行った。

由布さんのおかわりは、再びファジーネーブルだった。
高山さんは3杯目のマッカラン。
「由布さん、家の方は大丈夫なのかい」
「旦那がいるから大丈夫よ。高校生の娘も帰っているし、こう見えても時々女子会で飲み歩きしているのよ」
「へ~え、中学生の時、僕のマドンナだった由布さんが飲み歩きかぁ」
「幻滅した?それより、高校生になったとき、高山君をデートに誘ったけど相手にしてくれなかったじゃない」
「いやぁ、あのときは本当に意外で、思い人から誘われるというのが想定外で、狼狽えて首を横に振ったんだよ」
「そんなことだと思ったわ。高山君は昔から自己評価が低かったよね。女子の間では結構評判よかったのに」
「まさか!」
「本当だってば」
「もう一度誘ってくれたら、今頃は稼げる女房を持って、左うちわだったのか。残念なことをしたなぁ」
「フフッ、残念だったわね。美人の妻と左うちわを逃がしてしまって」
「仕方ないさ、人生なんて何処でどう変わるか誰にも分からないよ」
「そうね、仮定の人生を羨んでもどうしようもないわね」

「由布さんにお願いがあるんだけど、高校生の娘さんに、うちの店でバイトをやってくれないかな?」
現実に戻ったように高山さんが訊くと、
「娘の学校ではバイト禁止なの」
「そうか、じゃあ無理だな」
「娘の部活の先輩だった子が今年から大学に通っているから、その子に訊いてあげるわ。私もよく知っている子だから」
「よかった。頼むよ。これで今夜の同窓会に来た甲斐があったというもんだ」
「なに言ってんの。かってのマドンナに会えたのが一番の収穫だったんでしょ」
からかうように笑顔で言った由布さんに
「そうそう、もちろんそれが一番さ」
とこれも笑って答えた高山さんは、
「マスター、お勘定お願いします」

松田さんも含めた割り勘で支払いを済ませた二人は、にこやかに店を後にした。
その後、二人に何か発展があったのか、ですって?
さあ、それはどうでしょうか。
結構いい雰囲気ではありましたが、ご期待のような方向に行くのとはちょっと違うような。
気になって仕方ない!と。
では、一度「名も知らぬ駅」にお出でになって、本人に確かめてみますか
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名も知らぬ駅に来ませんか 17

2020年05月21日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
ジントニック

高倉さんは、長い馴染みのお客さんである。
決まった席に座るというような拘りはあまりなくて、空いていればカウンターのコーナー付近に座るのが常で、今日もその辺りのスツールに腰を下ろした。
「マスター、ジントニックを」
高倉さんの「いつもの」は、ジントニックだが、「いつもの」というオーダーを聞いたことはない。
「いつもの」と言うことで、馴染みであることをひけらかすようなことを自分に許したくないのだろう、と思っているのだが、はて?

ジントニックと言えば、ジンベースのカクテルの中では、定番中の定番。
ジンとトニックウオーターだけのシンプルなカクテルで、ジンを4分の1、トニックウオーターを4分の3、氷の入ったロンググラスに注いでステアする。
トニックウオーターは、柑橘類の果皮から抽出されたエキスや糖分に炭酸水を加えたものである。
元々は、キナという木の樹皮に、マラリアに有効な成分(キニーネ)があることが分かり、その成分を入れた飲料として飲まれたらしい。
それにジンを入れたら意外に美味しかったことから生まれたカクテルという説がある。
熱帯地方で仕事に就いていた東インド会社の人間に飲まれたという話もある。
シンプルなカクテルだけに、ジンやトニックウオーターの種類と組み合わせによって味が異なるという、なかなかに味わい深いカクテルでもある。

「最近はね、熊日(新聞)のお悔やみ欄を見るのが慣習になっているんです」
口に含んだジントニックを飲み込んで、高倉さんは話し始めた。
「それはまたどういう・・・」
私が問うと、
「半年前になるかな。偶々お悔やみ欄を見ていたら、知っている名前があったんです」
「・・・・・」
「昔職場が同じだったことのある男でね。当時は時々2人で飲みに行ったりしていたんだが、職場が別れてからここ20年以上、年賀状のやりとりくらいの無沙汰になってしまっていたんです。そいつの名前がお悔やみ欄にね」
「ビックリなさったでしょう」
「ああ、ビックリというのもあったのだけれど、彼の名前を見た瞬間はただボーっとしてさ。現実感がなくて、ふわふわした感じで思考が彷徨うような、上手く表現できないんだけど」
「なんとなくですけど、分かるような気がします」
「その日はいろいろと考えましたね。私もそういう歳になったんだと。自分の周りの人が皆、お悔やみ欄に載ってもおかしくない歳に自分もなったんだと、そういう現実を突きつけられたんです」
「高倉さんはおいくつになられました?」
「70才、古希ですよ。お悔やみ欄を毎日見て、知った名前がないかを確認している自分を俯瞰する自分が別にいて、ふと、いつかは自分の名前がここに掲載されたのを誰かが見つけて、『あいつもとうとう逝ったんだ』と思うんだろうなぁ、なんてことを思ったりしてね」
「いやいや、まだまだですよ」
慰めにもならない言葉は高倉さんにスルーされたようで、
「マスター、モヒートをいただけるかな」
高倉さんはジントニックを飲み干して、グラスを押し戻しながらオーダーを告げた。
「おや、珍しい。」
高倉さんがジントニック以外のカクテルをオーダーすることはここ数年来なかったことだ。何か気分を変えたいことでもあったのか。

「私はね、これまでの人生で友人を4人自死で亡くしているんです。」
遠くを見る目で高倉さんは話し始めた。
「そのうちの2人はもう30年以上になるかな。先に逝った友人は脱サラ後、旅行会社を設立して、当初は順調だったんだが、段々客足が遠のいたみたいで、借金が嵩んでいったんです。さらに悪いことは重なるもんで、奥さんが悪性の癌に罹患して、1年保たずに亡くなってしまった。それもあったのか、しばらくは鬱病のようになって、とうとう自死してしまったんです」
高倉さんは呟くように話を続ける。
「2人目の友人も最初の男同様に幼馴染みでした。昔はかなり有名だった熊本地場のスーパーチェーンに就職して、頑張って会社でかなりの地位まで行ったんですが、それがかえって彼の命を縮めたのでしょうね」
「といいますと?」
「全国チェーンの大手スーパーが熊本にも進出して、会社は赤字転落、次々と店舗を閉鎖しました。もう駄目かなというような記事が出た頃でした、彼の訃報が届いたのは」
「残念でしたね」
「男気があって、責任感の強い男でした。私と違って、スポーツ万能で喧嘩も強く、よく私を庇ってくれたものです」
その頃を思い出したのか、高倉さんの顔に小さな微笑が浮かんだ。
「友達に先に逝かれるのは、結構堪えますよね」
「マスターもそういう経験があるの?」
「この歳まで生きていると何やかやと・・・」
口を濁した私は、昨年暮れに急逝した友人の顔を思い出していた。
いつかは自分も通る道とは分かってはいるが、友を亡くした時の寂寥感はなかなか癒えるものではない。
「残された時間が少ないからこそ、悔いのないように生きないといけないのでしょうね。先に逝った友人のためにも」
そう言って、高倉さんはモヒートのグラスに浮いた露を指でなぞりながら独り言ちた。

高倉さんの話にある、あと2人の友人の話が知りたい?
それはどうでしょう。聞いて辛い話は語るのも辛いといいます。
多分無理だとは思いますが、それでもよければ名も知らぬ駅に来ませんか。
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名も知らぬ駅に来ませんか 16

2020年04月17日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
ジンジャエール

「あ~あ、あったかい」
両手を擦りながらカンちゃんが入ってきた。
カンちゃんのことは以前ここで書いたことがある。不思議ではあるが、ちょっと微妙な能力の持ち主である。
彼の仕事は、繁華街にある酒屋の配達人。主に、夜の飲食店回りをしている、ということで私の店とも顔馴染みである。
月のうち数回の休日があり、その1回は客として店に顔を出している。
「今日は休み?」と問うと、
「そうです。午後いっぱいアパートのメンテナンスに付き合って、ヘトヘトです」
カンちゃんは亡くなった父親からアパートを遺されて、今はそこの一室に管理人を兼ねて住んでいるらしい。
母親はすぐ近くの実家に一人暮らししているということだった。
カンちゃんが夜の仕事で帰りが遅くなるのと、昼間にアパートのメンテナンスをしたり、
住人の要求などに応える必要もあって、アパートに住んでいるのだというようなことを話したことがある。
アパートからの収益があるなら、酒屋の配達をしなくても食べるには困らないだろうと聞いたことがあるが、
その時、カンちゃんは、
「マスターがさ、僕の立場だったらどう?毎日のんべんだらりと過ごせる?」
と、逆に質問された。
「そうねぇ、しばらく放浪するかな。でもこの歳だから、体力的に無理だな。パチンコも毎日では飽きるし、ゴルフはしないし、う~ん、やっぱり毎日ゴロゴロと過ごすのはむしろ苦痛かな」
「そうでしょう。遊んで暮らすってのは、結構しんどいと思うんだよね」
「確かにね」
「その点、酒の配達をしていると、いろんな店のきれいなお姉さんと顔見知りになったり、お客さんの酔態が結構笑ったりすることもあって、退屈しないんです」
思い出したように笑って話してくれた。

カンちゃんのオーダーはいつもジンジャエールである。
車を運転する仕事なので、アルコールは飲まなくなったと言っていた。
ジンジャエールの種類は大まかに、甘口のドライと、辛口のゴールデンの2種類に分けられる。
カンちゃんのいつものは、ウィルキンソン ジンジャーエール辛口で、ゴールデンタイプのものである。
ウィルキンソンからはドライタイプの甘口のものも販売されているし、同じ辛口でも瓶入りのものは少し辛みが強い。



この日のカンちゃんはいつになく饒舌で、自分の呼び名の由来を教えてくれた。
「僕のことをカンちゃんと呼んでいるけど、本名はなんだかマスター知ってる?」
「そういえば聞いてなかったな。カンイチ、カンタロウ、カンペイ、カンジ、カンクロウ、・・・・なんか聞いたような名前ばっかりだな」
「ぜーんぶハズレ。実はヒロシなんです。漢字は寛という字を書きます」
と言って、カウンターに指で寛という字を書いた。
「あー、菊池寛の寛か」
「さすがマスター、古い人が出てきたね」
「それでカンちゃんか、なるほどね」
「ヒロシちゃんや、ヒロシ君より呼びやすいでしょう。それに親しみやすいし、僕も気に入っているんです」
露の浮いたグラスのジンジャエールを一口飲んでカンちゃんは続けた。

「今の仕事先に履歴書を持って行ったとき、社長が寛という字をカンと読んで、じゃあカンちゃんでいいな。と言ったのが始まりなんです」
「ヒロシとは読まなかったんだ」
「ええ、僕もそれでヒロシと読むんですと訂正したんですが、社長は、『まあカンちゃんでいいじゃないか。それより、ヒロシならヒロシネタの一つくらいやってみてよ』なんて無茶振りしてきたんです」
「ハハ、面白い社長だね。で、ネタをやったの?」
「ええ、この名前のおかげで何度かやらされた経験がありますから」
「へー、ヒロシのネタなの?」
「なんと、僕のオリジナルネタですよ」
とカンちゃんが言ったとき、店内にいた3人連れの客の一人が、
「やってみてよ!」と声を掛ける。
その連れの女性からも、
「お願いします」の声。
カンちゃんはちょっとの間考えていたが、
「やってみるかな」
いつもは静かなカンちゃんの意外な一面を見る思いだった。
「マスター、いいかな?」
「もちろんいいよ。私も楽しみだな」
私の返事を聞いたカンちゃんは、カウンターのコーナー付近にあるスペースに立った。
両手をポケットに突っ込み、少し斜めに足を配り、俯き加減にポーズを取ったカンちゃんは、おもむろにネタを始めた。

ヒロシです。
この前、バイクで町を走っとったとデス。
すると、後ろから来た中学生が自転車で追い越していったとデス。
「こら、あんまりスピード出すと危なかぞ!」と言ったら、
中学生が振り向いて、
「ボーッと走ってんじゃねえよ!」と叱られたとデス。
ヒロシです、ヒロシです、・・・・。

このネタに、3人連れのお客さんは大喜びで、私も大いに笑わせてもらった。
カンちゃんのお茶目な一面を発見して、私は幸せな気分になった。
カンちゃんはというと、すっかり照れて、席に戻ってジンジャエールを飲み干していた。
その後のカンちゃんは、ヒロシネタを披露したのが嘘のように、以前と変わらぬ様子で酒の配達をしている。
月一回の来店の時も、相変わらずジンジャーエールをオーダーして、
「やっぱ辛いなこれ」
と、愚痴ともつかぬ感想を言って、小一時間ほど過ごして帰る。

カンちゃんのヒロシネタを見たいですって?
う~ん、カンちゃんの休みは不定期だから、見られるかどうか保証はできませんが、
それでもよければ「名も知らぬ駅」に来ませんか
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