2006年は事情があって、海外旅行を見合わせていた。
2007年の2月、有給を組み合わせて5日間ほどの連休にして、
タイのチェンマイとチェンライを訪れた。
この目的は、彼の地のロングステイの事情を探るためで、
将来数ヶ月単位で滞在することを前提として見て回ることにあった。
しかしながら、この身にロングステイはいささか無理かな、というような結論を得ることになったのだが・・・。
さて、2007年の夏はタイ東部からちょっとだけ国境を越え、
ラオスのパクセーを旅することにした。
まずはバンコクから寝台列車でタイ最東部の都市、ウボンラチャタニに着き、
ここから国際バスで国境を越えてラオスのパクセーに入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/05/cd8c0f866f3e8809fdca2c8211c3cd70.jpg)
ウボンのバス停にある食堂。ここで朝食を摂りパクセー行きのバスに乗る。
陸路の国境越えは意外と簡単で、下手すると密入国になりそうなほどだった。
パクセーはラオス南部ではかなり大きな街なのだが、
それでもタイの都市に比べると随分見劣りする。
歩いて一回りするには広いが、人家が多いというわけではない。
町の中心はほんの一回りという感じだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/be/8987ee6338443c0e9846fd1d0b4deb3e.jpg)
パクセーの子ども。子どもは何処でも可愛い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f0/c095839e387302ce662581ec0fa6d50a.jpg)
ワットプーに観光に行く途中に出会った一人旅の日本人女性。
ここでは川縁のレストランで、ガンガン音楽がかかっているところがあって、
そこにたむろしている若者たちが珍しくて席につき、
ほとんど英語は分からないらしく、それでもなんとか会話をし、折り紙で遊んだりした。
ここでのパクセーの若者の生態は実に興味深いものがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/93/7938f3784c9307ea4283ee40651fd319.jpg)
ナンパカフェ風のレストランにたむろしていた若者たちと。
パクセーで2泊した後、再び国際バスでウボンラチャタニに帰り、
宿の近くの市場食堂で食事をしたり、ガイヤーンという鶏の串焼きを買って食べたり、
公園で園児がいたので、スケッチをして引率の保母さんと話したり、
夜は広場にできている遊技場を見たり、遊んだり、
有名なロウソク祭りの直前だったので、ロウソクの作り物を見物したり、
乗り合いバスでビッグCというスーパーに行く途中、乗り合わせた中学生と話したり、
結構楽しい町だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3d/4dddf9e3a2abd166d361ca3bb265d908.jpg)
市場食堂で出会ったべっぴんさん。残念ながら彼氏付き。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/f7/acb20766796dba4cf8255666ba98bd00.jpg)
公園に遊びに来ていた園児たち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/91/90359c13b409595c58a322edcc83b5f6.jpg)
ビッグCスーパーへ行く途中の乗り合いバスで一緒だった中学生と。
ウボンの後は、列車でスリンに移動した。
スリンは中くらいの町で、象祭りで有名なところだが、
普段は特に見るところとて無いような町で、その割には立派なホテルもあり、
何故か、ファランといわれる白人をよく見かけた。
ナイトマーケットで夕食を取ったが、店の人たちは気のいい人ばかりだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/0e/4c69a7d65e0ad4b93da7cf51e3642a90.jpg)
ナイトマーケットの屋台を切り盛りするお母ちゃんと働き者の娘。
最後は、ピマーイ遺跡に行きたくてナコンラチャシマーに2日滞在した。
別名コラートといわれるこの町は結構大きな街だが、あまり印象に残らなかった。
むしろピマーイの町に1泊して、小さな町で1日を過ごすのもいいかもしれないと思ったものだ。
大きい街はとりとめが無くて、現地の人々とのふれあいも薄くなるようだ。
それとも我々の方に、働きかける気力が薄れてきているのか。
2007年の2月、有給を組み合わせて5日間ほどの連休にして、
タイのチェンマイとチェンライを訪れた。
この目的は、彼の地のロングステイの事情を探るためで、
将来数ヶ月単位で滞在することを前提として見て回ることにあった。
しかしながら、この身にロングステイはいささか無理かな、というような結論を得ることになったのだが・・・。
さて、2007年の夏はタイ東部からちょっとだけ国境を越え、
ラオスのパクセーを旅することにした。
まずはバンコクから寝台列車でタイ最東部の都市、ウボンラチャタニに着き、
ここから国際バスで国境を越えてラオスのパクセーに入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/05/cd8c0f866f3e8809fdca2c8211c3cd70.jpg)
ウボンのバス停にある食堂。ここで朝食を摂りパクセー行きのバスに乗る。
陸路の国境越えは意外と簡単で、下手すると密入国になりそうなほどだった。
パクセーはラオス南部ではかなり大きな街なのだが、
それでもタイの都市に比べると随分見劣りする。
歩いて一回りするには広いが、人家が多いというわけではない。
町の中心はほんの一回りという感じだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/be/8987ee6338443c0e9846fd1d0b4deb3e.jpg)
パクセーの子ども。子どもは何処でも可愛い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f0/c095839e387302ce662581ec0fa6d50a.jpg)
ワットプーに観光に行く途中に出会った一人旅の日本人女性。
ここでは川縁のレストランで、ガンガン音楽がかかっているところがあって、
そこにたむろしている若者たちが珍しくて席につき、
ほとんど英語は分からないらしく、それでもなんとか会話をし、折り紙で遊んだりした。
ここでのパクセーの若者の生態は実に興味深いものがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/93/7938f3784c9307ea4283ee40651fd319.jpg)
ナンパカフェ風のレストランにたむろしていた若者たちと。
パクセーで2泊した後、再び国際バスでウボンラチャタニに帰り、
宿の近くの市場食堂で食事をしたり、ガイヤーンという鶏の串焼きを買って食べたり、
公園で園児がいたので、スケッチをして引率の保母さんと話したり、
夜は広場にできている遊技場を見たり、遊んだり、
有名なロウソク祭りの直前だったので、ロウソクの作り物を見物したり、
乗り合いバスでビッグCというスーパーに行く途中、乗り合わせた中学生と話したり、
結構楽しい町だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/3d/4dddf9e3a2abd166d361ca3bb265d908.jpg)
市場食堂で出会ったべっぴんさん。残念ながら彼氏付き。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/f7/acb20766796dba4cf8255666ba98bd00.jpg)
公園に遊びに来ていた園児たち。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/91/90359c13b409595c58a322edcc83b5f6.jpg)
ビッグCスーパーへ行く途中の乗り合いバスで一緒だった中学生と。
ウボンの後は、列車でスリンに移動した。
スリンは中くらいの町で、象祭りで有名なところだが、
普段は特に見るところとて無いような町で、その割には立派なホテルもあり、
何故か、ファランといわれる白人をよく見かけた。
ナイトマーケットで夕食を取ったが、店の人たちは気のいい人ばかりだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/0e/4c69a7d65e0ad4b93da7cf51e3642a90.jpg)
ナイトマーケットの屋台を切り盛りするお母ちゃんと働き者の娘。
最後は、ピマーイ遺跡に行きたくてナコンラチャシマーに2日滞在した。
別名コラートといわれるこの町は結構大きな街だが、あまり印象に残らなかった。
むしろピマーイの町に1泊して、小さな町で1日を過ごすのもいいかもしれないと思ったものだ。
大きい街はとりとめが無くて、現地の人々とのふれあいも薄くなるようだ。
それとも我々の方に、働きかける気力が薄れてきているのか。