ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

旅の出会い、というかハプニング、のようなもの 2007 タイ東部とパクセー

2010年09月25日 | 旅の空の下
2006年は事情があって、海外旅行を見合わせていた。
2007年の2月、有給を組み合わせて5日間ほどの連休にして、
タイのチェンマイとチェンライを訪れた。
この目的は、彼の地のロングステイの事情を探るためで、
将来数ヶ月単位で滞在することを前提として見て回ることにあった。
しかしながら、この身にロングステイはいささか無理かな、というような結論を得ることになったのだが・・・。

さて、2007年の夏はタイ東部からちょっとだけ国境を越え、
ラオスのパクセーを旅することにした。
まずはバンコクから寝台列車でタイ最東部の都市、ウボンラチャタニに着き、
ここから国際バスで国境を越えてラオスのパクセーに入る。


ウボンのバス停にある食堂。ここで朝食を摂りパクセー行きのバスに乗る。

陸路の国境越えは意外と簡単で、下手すると密入国になりそうなほどだった。
パクセーはラオス南部ではかなり大きな街なのだが、
それでもタイの都市に比べると随分見劣りする。
歩いて一回りするには広いが、人家が多いというわけではない。
町の中心はほんの一回りという感じだ。


パクセーの子ども。子どもは何処でも可愛い。


ワットプーに観光に行く途中に出会った一人旅の日本人女性。

ここでは川縁のレストランで、ガンガン音楽がかかっているところがあって、
そこにたむろしている若者たちが珍しくて席につき、
ほとんど英語は分からないらしく、それでもなんとか会話をし、折り紙で遊んだりした。
ここでのパクセーの若者の生態は実に興味深いものがあった。


ナンパカフェ風のレストランにたむろしていた若者たちと。

パクセーで2泊した後、再び国際バスでウボンラチャタニに帰り、
宿の近くの市場食堂で食事をしたり、ガイヤーンという鶏の串焼きを買って食べたり、
公園で園児がいたので、スケッチをして引率の保母さんと話したり、
夜は広場にできている遊技場を見たり、遊んだり、
有名なロウソク祭りの直前だったので、ロウソクの作り物を見物したり、
乗り合いバスでビッグCというスーパーに行く途中、乗り合わせた中学生と話したり、
結構楽しい町だった。


市場食堂で出会ったべっぴんさん。残念ながら彼氏付き。


公園に遊びに来ていた園児たち。


ビッグCスーパーへ行く途中の乗り合いバスで一緒だった中学生と。

ウボンの後は、列車でスリンに移動した。
スリンは中くらいの町で、象祭りで有名なところだが、
普段は特に見るところとて無いような町で、その割には立派なホテルもあり、
何故か、ファランといわれる白人をよく見かけた。
ナイトマーケットで夕食を取ったが、店の人たちは気のいい人ばかりだった。


ナイトマーケットの屋台を切り盛りするお母ちゃんと働き者の娘。

最後は、ピマーイ遺跡に行きたくてナコンラチャシマーに2日滞在した。
別名コラートといわれるこの町は結構大きな街だが、あまり印象に残らなかった。
むしろピマーイの町に1泊して、小さな町で1日を過ごすのもいいかもしれないと思ったものだ。
大きい街はとりとめが無くて、現地の人々とのふれあいも薄くなるようだ。
それとも我々の方に、働きかける気力が薄れてきているのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴耕雨読  Ⅵ

2010年09月25日 | 農作日記
先日、娘が図書館から借りてきていた中に、
有川浩著作の「三匹のオッサン」という本があった。
何気なく手に取ってみたら、これが面白く、一気に読んでしまった。

筋立ては、還暦を迎えた、今風に言えばアラ還の親父3人が、
それぞれの特技を生かして、町内の悪をバッタバッタと切る、といったものだ。
こんなに単純に括ったのでは、この本の面白さは味わえないし、作家にも申し訳ないのだが、
これを縦糸に、その3人の孫や奥さんが絡んで横糸となし、
それぞれの関係や会話が、世代のギャップを表して、本の味付けとなっている。

面白かったので、つぎに同じ作家の「フリーター家を買う」を読んでみたが、これも一気に読んでしまった。
不明にも有川浩という作家は、読んでしまうまで男だと思っていた。
正確には、アリカワ ヒロという女性の作家で、その他「図書館戦争」などの著作がある。

いまだ前述の二作しか読んでいないが、機会があれば別の作品も読んでみようと思っている。
最近は、どちらかというと軽い小説の方を読むことが多い。
熊本弁で言う「こらえ性根(じょうね)」が無くなってきたのだろう。
サッと読み流すようなものでないと途中で止めてしまうことがあるようになった。
根気がなくなってしまったのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴耕雨読  Ⅴ

2010年09月15日 | 農作日記
久しぶりの晴耕雨読。

昨年は雨が少なくて、里芋の水遣りに数回通ったが、今年は適度な雨に恵まれてその必要はない。
既に夏野菜の時期は過ぎかけていて、
キュウリの収穫は終わり、茄子とトマトも終盤を迎えて、あと数日いうところか。
インゲン豆の蔓も枯れかけて、いよいよ終わりを感じさせる。

先日、ジャガイモの植えてあった方の畑を耕し、
石灰と堆肥を撒いた後、もう一度耕して、マルチを張ったところに白菜を移植。
その他、青首大根に漬物用大根、聖護院大根を五畝ほど植え付けた。
その大根類の芽は既に出ていて、今朝の適度な雨で本葉が出るのもすぐだろう。

ほかには、人参とほうれん草が二列ずつ、チンゲンサイと水菜を余った畝に撒いて、
人参とほうれん草は芽が出るまでに少し時間がかかるのでまだだが、後者は既に芽が出ている。
阿蘇高菜の種は、畑で種取り用に干しておいたものを先日処理して、
いつでも撒けるように種を収穫してあったので、
正月の青物にできるならということで、畑の隅に少しだけ撒いてある。
3月収穫用の高菜の種まきは10月下旬になるだろう。
そうそう、こちらにはサツマイモが少し植えてあって、今月末くらいが収穫かな。

上の方の畑では、里芋が勢いよく茂り、先頃少しだけ植えてあった早生品種を掘ったところ、
かなりの数の芋が収穫でき、3軒で分けて初物を楽しんだ。
つくね芋の葉も青々と茂り、今年も収穫は間違いないだろうが、残念ながら、生姜は失敗だった。
その他、後輩にもらったホースラディッシュも勢いよく葉を伸ばしている。

最近は、少し気温も下がり、畑仕事も楽になってきた。
週一程度の畑仕事も、4人集まればワイワイと茶を飲んだりと、楽しいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の出会い、というかハプニング、のようなもの 2005 ベトナムPartⅡ

2010年09月12日 | 旅の空の下
2004年には、ワーキングホリデイの制度を利用してニュージーランドに行っている娘を訪ねて彼の地に旅行した。
主に北島だけを1週間の滞在だったので、特別なことは何もなかった。

ということで、2005年は8年ぶりのベトナム縦断をすることになった。
その間、ベトナムの情報は格段に増え、宿もまた格段に増え、
ホーチミンのデタムには、日本人経営のツアーデスクさえできた。
日程や諸事情で行けなかったハロン湾や、ミーソン遺跡などに行くこと、
経験できなかったビアホイ屋でビアホイを飲むこと、等々をメインとし、
行程は8年前をなぞることにした。


ビアホイ屋の酔っぱらい。ビールの差し入れごちそうさんでした。

ホーチミンには1泊し、翌夜には夜行列車でダナンに向かう。
その1泊目の夜、やっとの事でビアホイ屋を見つけて入店、というか、
入るかどうか躊躇っている我々に、中にいる酔っぱらいの男たちが「来い、来い」と手招き。
テーブルに座って飲み始めると、隣の席からビールの奢り、
もう一方からはつまみの奢りと、酔っぱらった男たちの酔態はどの国でも変わらぬもので、楽しく飲ませてもらった。


この年でベッド上段は無理だよね。それ分かっててチケットを取ったのって確信犯??

ホーチミンからは寝台列車でダナンに向かったが、
4人部屋の寝台の下段2つに上段1つを確保していたものの、
先に入室していたおばあちゃんが下段の一つに既に寝転がっている。
そこは僕らの席だと言っても全く言葉が通じず、
おまけにどう考えてもその年齢で上段のベッドに上り下りするのは不可能だと思われ、
我々が諦めるしかなく、その後に来た娘等からは感謝されたものの、
我々2人は上段ベッドのエアコン吹き出し口から出る冷気に震えながら寝ることとなった。
この列車は発車からあまり経たない時間帯に突然急停車し、
どうやら人身事故らしいということが分かり、騒然とする。
「これは相当遅れそうだな」と話すが、結果は15分ほどの遅れで発車した。「さすがはベトナム」(って何がさすがなの)。


ホイアンのホテルの従業員。なかなか可愛い娘さんでした。

ダナンからホイアンにタクシーで移動。
ホイアンの宿は、バスタブ付きでまあまあのところだった。
従業員と指さし会話帳で遊んでいたら、いささか煩かったようで、えらいさんに叱られスゴスゴと部屋に帰った。
ホイアンは既に8年前のホイアンではなく、多分の失望を抱えてフエに向かった。


右から2人目の立っている男が怪しげな日本語を操る。

シンカフェのバスでフエに着いて、すぐ近くに宿を取った。
夕食はARUKIKATAにあるスアンチャン食堂が近くだったのでここで取ることになった。
少し濃いめの味付けだが、どれをとっても外れのない料理は安価で、
おまけに怪しげな日本語を話す従業員(店長?)に出会えて、ビールも料理も美味美味。

フエからは飛行機でハノイに飛び、クラッシック1という結構居心地のいい宿にチェックインし、
少し街を歩いた後に帰宿し、すぐそばのビアホイ屋に出かけた。
ビアホイ屋と言っても店先の歩道で営業している極零細居酒屋である。
つまみは茹で落花生くらいしかなく、客もビアホイ目当てで、
1杯10円のビアホイを2杯ほど飲んで帰るというのが普通。


路上のビアホイ屋。左の3人は先客の青年。

そこに行くと、先客の青年が3人いて、我々のために席を作ってくれた。
といっても写真にある風呂椅子を3つ持ってきて少し空間を作っただけだが。
日本人から見れば1杯10円のビールなら、100杯飲んでも1,000円じゃないかという感覚。
彼らに席の御礼に数杯奢って、たどたどしい会話をすると、
彼らの商売は、観光客向けのライター販売。我々にもどうかと言ってきたが丁寧にお断りした。
ライターの入った箱を首にかけ、観光客に声を掛けては売りさばくというものだ。
その日はライターが売れたのだろう、ビアホイ屋に来て飲めたから。
そのうちの一人は、妻子がいるといっていたが、
早晩消えそうなこの商売で家族を養うのは至難の業だろうと思われた。


先客の青年たちはライター売りが仕事だった。もう転職しただろうが。

ハロン湾にはハノイから1泊2日で行き、宿泊はカットバ島。
船内では同じツアー客のスペイン人3人組のオジサンたちと昼食中に意気投合し、
というか、陽気なラテンの乗りに圧倒され、
カットバ島の宿泊先の夕食のテーブルも一緒に囲み、
それに一人旅のスエーデンか何処かの青年も加わり、大騒ぎの食事となった。


スペインから来た3人組。バルセロナから来たと言っていた。


カットバ島の夕食。左は一人旅の青年。

8年ぶりのベトナムは、シクロのしつこい勧誘もなく、
それでもメーターを倒さない、行き先をわざと間違えるなどの悪質なタクシーに出会ったり、
帰りに、ハノイの空港に向かうときには、事故現場を避けるために、
我々のタクシー運ちゃんは無茶なことに、相手車線を逆走して危うく事故になりそうになったりと、
ハプニングには事欠かず、出会いもまた沢山あって、また来ようと思わせる国だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の出会い、というかハプニング、のようなもの 2003 タイ北部

2010年09月09日 | 旅の空の下
ミャンマーもラオスもバンコクやノンカーイなど、タイを経由することはあっても、
タイを本格的に個人旅行したことはなく、
2003年はタイに行こうということになった。
目指すはタイでは美人の産地として名高い、北の薔薇チェンマイである。

せっかくチェンマイへ行くので、足を伸ばしてチェンライからメーサイへ行き、
ちょっとだけ国境を越えてミャンマーに入ってみようということになった。
その後はチェンマイへ帰り、ランパーンやピサヌローク、スコータイを経て、バンコクに帰るという行程だ。

チェンマイメインだったが、面白いことに、町として気に入ったのは、チェンライ。
出会いがあったのはスコータイということで、
メインじゃないところの方が面白いというのは、我々の旅では普通になってきた。


市場の一杯飲み屋で、ちょっときつい酒を奢られる。

2人とも美人でした。

チェンライのナイトバザールは、ともかくいいです。

チェンライは田舎町というには結構開けているが、
住むならこれくらいの規模の町がいいという、
ちょっとロングステイでもしたくなるような町だった。
夕市に行くと、多くの食料品が売られており、立ち飲み屋もある。
覗いていると、飲んべえのタイ人の男たちが、「飲め、飲め」と勧めてくれる。
こういう時断ったことがない私はありがたく頂いた。
町をブラブラしているとき見かけた美人に是非と写真を撮らせてもらい、
夜はナイトバザ-ルで、生ビールを楽しみ、ついでに食事も終えてのんびりと1日を過ごす。

チェンマイは街が大きすぎてあまり面白くない。
朝の急行でランパーンに向かい、ホテルにチェックイン後、公園のような広場に出た。
小学生が遊んでいたので、一緒に遊んだら、体育の授業に来ていたのだった。
先生もいたが、いやな顔もせずに我々を見てくれたのがありがたかった。


体育の授業に来ていた小学生

ハーモニカで「故郷」を吹いてみた。拙い演奏をご静聴ありがとう。

ランパーンの高校(中学?)生。快く記念撮影。

ランパーンの後は再び列車でピサヌロークに向かい、
そこからバスでスコータイに着いた。
スコータイの遺跡巡りの途中では、
ピサヌロークから来た女子高校生か女子大生かのグループに、
授業の課題のアンケートに答えてくれと言われ、しばし会話を楽しんだ。


アンケートの質問をしてきた女学生。

遺跡巡りの後、散策途中会社(デンソー)前で飲み会をしているところを覗き、
簡単なつまみで飲んでいる社員たちに一杯だけ御馳走になって、
その後、市場見学し、夕食は再度昨日のタイスキ屋へ。
タイスキのスープで雑炊風飯にしたところ、店員全員が眉を顰める。


デンソー社員に誘われてほんの一杯だけウィスキーを頂く。


タイスキ屋の従業員と。ワイワイ話していたら、店のえらいさんに叱られました。

今日もコンビニで氷と水を買って、ウィスキーを飲もうやということで行くと、
夕方飲んでいたデンソーの会社の連中がまだ飲んでいる。今度は若い女の子もいる。
こりゃあ参加せねばと、焼き鳥とウィスキーを差し入れて、一緒に歓談する。
約2時間騒いで帰宿。楽しかった。


差し入れした焼鳥とそこのおばちゃん。後方のグループがデンソー社員たち。

まだ夕方ですが、

日が暮れても呑み会は続き、

社長もいい気分、

みんないい気分。

スコータイは小さな町だが、いろんな人との触れ合いがあって、一番心に残る場所となった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする